21 約束
「ひ、人殺し……?」
その言葉に、カイは思わず眉をひそめてしまう。だがルナの様子から冗談ではないという事をすぐに理解し、真剣な目で彼女の顔を見据えた。
「……説明してくれるかい」
そしてルナは、昨日起こった事を、今まで黙っていた事を、涙ながらに全て話してくれた。
襲われて逃げてきたと言っていたが、実は逃げるに留まらず、返り討ちにしてしまったのだと。
自分は犯罪者なのだと、ルナはそう言った。
――真夜中に、突然見知らぬ人達に襲われた。
首を絞められ殺されそうになったが、その時発作が起きた。
おかげで何とか助かったが、襲ってきた人達は全員死んでしまった。
怖くなって、その場から逃げ出した。
外に飛び出し、無我夢中で走り続けた。
そして疲れ果てたのか気を失い、気づいたら見知らぬ暗い洞窟に居て、
そこで、カイと出会った。
カイは迷子の自分を助けてくれただけでなく、悩みを親身になって聞いてくれた。
更には病気を治す手助けもしてくれるというので、とても嬉しかった。
そして何より、一緒にいると安心できて、楽しかった。
だから、カイに甘えてもう何も考えない事にした。
殺人を犯した事実から目を背け、いま目の前にある幸せに浸る事にした。
――今にも壊れてしまいそうな悲痛に満ちた声で、ルナは心の内をそう語った。
「そうか……そうだったんだね……」
全てを知ったカイは、ルナの震える手を取り優しく握りしめる。
「殺されかけたなんて。知らなかった……」
襲われて逃げてきたと、カイはそれしか聞かされていなかったので、真実を知った衝撃は凄まじいものだった。
まさか首を絞められて殺される所だったなど考えすらしていなかった。
そして――逆に殺し返してしまったなんて。
ルナが負った「傷」の深さを、甘くみていた。
「ルナが、ルナが……殺したの。部屋にいた人、全員。で、電気で……!」
大粒の涙を零しながら、ルナは声を詰まらせ嗚咽する。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!! ルナのせいで……ごめんなさい……ごめんなさい……」
幾度となく、ただただ謝罪の言葉を繰り返すルナ。
涙をとめどなく溢れさせ、ひたすらに許しを乞う彼女の姿を見て。
カイはただ、手を握ってやる事しか出来なかった。
話を聞く限り、ルナに落ち度は全くない。
ルナは被害者だ。殺されかけたのだから、抵抗して殺してしまっても正当防衛が成立する。悪いのは襲ってきた奴らで、襲われたルナは罪に問われない。
だが罪に問われないからと言って、人を殺してしまったという強烈なトラウマや罪悪感が消える訳ではない。
ルナは、自分を加害者だと考えている。
自分が殺されかけた事など眼中にないまま、逆に殺めてしまった者たちへの罪の意識に支配され、どうしていいかわからずに泣いている。
そして自身の良心の呵責に従い、ひたすら謝り続けているのだ。
この子は、優しすぎる。
こんな目に遭うには、幼すぎる。
こういうとき、何と声をかけてあげればいいのだろう。
どんな言葉で、どんな論理で宥めるのがベストなんだろう。
――分からない。
カイは、彼女の傍で寄り添うことしか出来ない自分に苛立ちを覚えていた。
転んだ子供を慰めるのとは違うのだ。これほど複雑で重い問題を抱える子と直面した経験など、16歳のカイにはまだ無かった。
しかし、今それを呪っても仕方がない。
「辛かったね。怖かったね。……でも、大丈夫。今はもう、大丈夫だから。大丈夫だからね」
そう言って、カイは優しくルナを抱き寄せた。
今の自分が思いつく限りの、優しい言葉を。ただ必死にかけてやる。
「君は、悪くない。悪くないんだ。だから……だから、安心して。ね」
それは悲しくなってしまうほど拙い慰めの言葉だったのだが――返って純粋な優しさに満ち溢れており。
ルナの心を、大いに揺さぶった。
そして彼女は耐えられなくなったのか、そのままカイの胸に顔を埋め、わっと声を上げて泣き出した。
くぐもった悲鳴が、雪のように白い綿花畑に響き渡る。
水槽の栓を抜いたかのように、ルナは痛みと悲しみに満ちた感情の昂りをカイに吐き出した。
瞳から溢れ出る冷たい涙を服越しに肌で感じながら、カイは彼女を優しく抱きしめ、背中を撫でてやる。それに応えるように、ルナはカイの体に思い切りしがみつき、体を震わせた。
人肌の温もりと優しさが、深く傷ついた心に染み込んでいき、余計に彼女の涙を掻き立てた。
ルナはそのまま暫くの間、カイの胸の中でわんわん泣き続けた。カイは彼女の気の済むまで泣かせてやろうと、そのままその小さな体を抱きしめ続けた。
そして、そんな中。
ルナを襲った輩に対する怒りが沸々と湧いてくるのを、カイは感じていた。
――必ず、この報いは受けさせてやる。
ルナをこんな目に遭わせた奴らを、
誰よりも純朴で、優しさに満ちた心を壊した奴らを、
俺は絶対に許さない。
――――
泣いて泣いて、その涙も枯れ果ててしまった頃。
感情が解放されて楽になったのか、ルナは徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
そのタイミングでカイは、ルナに罪が無い事を説明してあげた。
正当防衛の事について話し、謝る必要などないという事を丁寧に伝えると、ルナは赤い目を擦りながらコクコクと頷いていた。
その表情はずっと晴れないままだったが、仕方ない。
そんな事を知っても、負った心の傷は一生消えないのだから。
ただ――罪に問われないという事実が、少しでも心の支えになるのならば。
今はそれで十分だ。
それからルナは、襲われた時の状況のことを鮮明に語ってくれた。
彼女を襲ったという輩は、「セメタリー・サン」という、組織か何かの名を口にしていたらしい。全く聞き覚えは無かったが、何やら呪文を唱えたり、教義がどうのこうのと言っていたようで、宗教団体か何かの匂いがした。
彼らがルナを襲った理由については、全く不明だ。
病気のことをよく思っていない人たちがいるとルナは言っていたが、彼女の電気の力がその宗教団体の何かを刺激したのだろうか。
確かに吸血鬼にはあるまじき、恐ろしい力であるというのは理解できる。発作に巻き込まれでもしたら、彼らは即死なのだから。
そういった害をもたらす存在を好しとしない、「教義」があるのかもしれない。
にしても、放っておけば特に害はないだろうに。
なぜわざわざ殺してまで排除する必要があるだろう。そこまで過激な思想を持った団体という事なのだろうか。
どうにも、腑に落ちない。
何か裏がある気がしてならないのだが、現時点ではなにも分からない。
とりあえず今は、彼女が無事だった事を素直に喜ぶことにしよう。
――――
ルナがすっかり落ち着きを取り戻した頃。
二人は、他愛もない話を交わしていた。今日のランチのあれは美味しかったね、といった程度の軽い雑談だ。
これは、ルナの気を紛らしてやろうというカイの気遣いでもあった。幸いにも、会話を重ねるうちにルナの表情は綻んでいき、くすくすと笑ってくれるまでになっている。
そうして雑談を続けていると、夕陽が沈み辺りが暗くなってきた。
薄い月明かりが綿花畑を照らし、夜風に吹かれて青白い光が一面煌めいている。
話の種も尽きていたので、カイはそろそろ帰ろうかと思い始めていたが――最後に一つだけ、ルナに確認する事にした。
「……ルナちゃんは、これからどうしたい? やっぱり、家に帰るかい?」
月光の下、ルナが顔をふっと見上げる。
その表情はとても柔らかく、つい先程まで涙に顔を腫らしていたとは思えないほどだ。
「さっきも言ったけど、君に罪はない。だから家に帰っても、怒られたりなんて事はないんだ。何なら俺がついていって事情を説明してあげてもいい」
ルナが家に帰りたくなかった理由の一つは、殺人の罪を咎められるのが怖かった事。
それが無いと知った彼女の気は、既に変わっているかもしれない。
「君がその気なら、明日にでもすぐに家に送ってあげるけど……どうする?」
今や、ルナが自分のもとにいる必要は全く無くなった。
病気を治すための魔力操作は教えるつもりだったが、別に家に帰っても誰かに教えて貰えるだろう。教えるのが自分である必要は無い。
さっきまでは、自分がこの子を救ってみせるのだと息巻いていたが――彼女が帰ると言うのなら、それまでだ。
だがルナは、目線を落としてしばらく考えた後、
「……ルナ、やっぱり、帰りたくない」
と、昨日と同じ様にカイの提案を拒んだ。
だがその声色は昨日と違い、怯えたものではなく――どこか熱の入った、決意めいたものだった。
カイは理由を尋ねようと口を開きかけるが、ルナが先に言葉を続ける。
「あのね。今日リヒトさんに、夢はあるか、って聞かれたの。覚えてる?」
「……ん? ああ、そういえば」
「ルナ、あの時答えられなくって。それで、自分の夢とかやりたい事とか、ずっと考えてたの。でね、一つは、病気を治すことなんだけど」
ルナがおもむろにカイの腰に手を伸ばし、服の裾を掴む。
「もう一つがね……幸せになること、なの」
まっすぐにカイの瞳を見つめて言うルナ。
「……し、幸せ?」
カイは戸惑い、聞き返す。
「うん。あのね、ママが言ってたの。人は、幸せを見つけるために生きてるんだって。そのために、色んな事を一生懸命頑張るんだって」
「……まあ、そうだね」
「ルナも、幸せを見つけたいなって思ってるの。だからルナの夢はね、病気を治して幸せをみつけることなの。だから……だから……」
頬を赤く染め、何か躊躇うように言葉を詰まらせるルナ。
「その……だから……」
「ん?」
次の瞬間。
ルナは思い切ったように顔をカイに近づけて、
「だ、だからっ。ルナの夢……叶えてくれませんか?」
カイの服の裾をぎゅっと握りしめた。
「ゆ、夢を?」
カイはその言葉が上手く飲み込めず、固まってしまう。
夢を、叶える。
あまりに現実感のないお願いに、ただただ困惑するばかりだ。
しかしルナの目は真剣そのもの。
カイは、期待混じりに見上げてくる彼女の顔をじっと見ながら、考える。
(……この子は)
病気を治して、幸せになりたいというのが、彼女の「夢」。
それを、この自分に叶えてほしいと。
だからまだ、帰りたくないと。
そういう事なのか。
「…………ふっ」
「え?」
「ふふ……あはははっ」
カイは、思わず笑ってしまった。
目の前のこの健気な少女への、愛しさが溢れてしまって。
「……なんだよそれ、可笑しいなあ。夢を叶えてくれだなんて……初めてだよ、そんな事言われたの」
そして何より――嬉しくて。
照れ隠しで、笑ってしまった。
突然笑い出したカイに驚きを隠せない様子のルナは、不安げに眉をひそめる。
「だ、だめ?」
「いやいや、だめじゃないけど……うーん、そうだなあ」
どうしたものか、とカイは首を傾げる。
「病気を治すのは、手伝えるけどさ。幸せになるのは、どうやって手伝えばいいか、分からないな」
百歩譲って、病気を治すことは全力で手伝ってやれる。
だが、「幸せになりたい」という夢を叶えてあげよう、などと大それた事は到底口に出来なかった。
そもそも、ルナが何故自分にそんな事を頼んでくるのか、カイは理解できなかった。見ず知らずの、それも昨日出会ったばかりの少年に、頼むような事ではないはずだ。
だが、そうやって首を捻るカイを見てルナは、
「そんなの、いいの。カイと一緒にいるだけで、ルナは幸せだもん」
静かにそう呟いた。
「え?」
「……あ! ち、違うのっ!! そ、そういう意味じゃなくて!!」
「…………」
「その、えっと……だから……!」
顔を真っ赤にしながら手を大げさに振って、自分の言い間違いを訂正するルナ。
「だから、その、さっきも言ったけど。カイが色んな所に連れてってくれて、それがとても楽しかったの! だから、カイと一緒にいれば楽しいって事で……それで楽しい事をすれば、自ずと幸せかなって思って」
「……そっか」
顔を火照らせ、ルナが早口で続ける。
「も、もちろん、ルナもちゃんと、お返しするから! タダで夢を叶えてくれなんて、言ってないから!」
「……ん、お返し? そんなの……」
「ルナ、冒険者になる!!」
ルナは立ち上がり、いきなりそう叫んだ。
「……え?」
突拍子もないその宣言に、カイは口をぽかんと開けてしまう。
「え、ええ? ぼ、冒険者?」
「そう! ルナもカイと一緒に、冒険者やりたい! それで、カイの仕事のお手伝いするの!」
頭に血が上っているのか、ルナは半ばヤケになったように叫んでいる。
「ルナ、ずっと興味あったの! 色んな場所に旅に行って、冒険するっていうお仕事……聞いたときから、やってみたいって思ってた。だから、一緒に冒険者になって、お返しにカイのお手伝いする!!」
「…………」
「そ、それに! カイと一緒の冒険は、きっと楽しいし! 楽しかったら、幸せって事だし……で、そうやって冒険してたら、いつか新しい幸せも見つかるかもしれないし! だから、だから……!」
ルナはぎゅっと両手で自分の服の裾を握りしめ、恥ずかしそうに下を向き、
「だから……カイと一緒に、居たい、です」
絞り出すような声で、自分の意志を伝えた。
言いたいことを言い終えて力が抜けたのか、ルナはその場にぺたんと座り込んでしまう。
そして、たたじっとカイの返答を待った。
「…………」
カイは、何か考えるようにルナの事をただじっと見つめていた。
その間が怖くて、ルナは思わず眼を瞑ってしまう。
そして、しばらくしてから。
カイは静かに口を開いた。
「そんな、改めてお願いされなくても。俺は最初からそのつもりだったよ」
「……!」
目を見開くルナに、カイは優しく微笑みかける。
「昨日言ったでしょ? 好きなだけ、ここに居ていいって」
カイの答えは最初から決まっていた。
だが、込み上げてくる熱い思いと、それを抑える自分との葛藤に、少し考えてしまっていた。
ルナの事を見ていると、あの可愛い妹の姿がどうにも重なってしまう。
幸せなんて言葉を聞くと、家族とのあの日々がフラッシュバックする。
今は失われた、どれだけ手を伸ばしても返ってこない、宝物のような毎日。
今はただ、その記憶に縋るだけの無為な毎日。
そんな、過去に囚われた哀れな人間が、こんな純粋で未来ある子に手を差し伸べる資格はあるのか。
つい、そう考えてしまう自分がいたのだ。
しかし、それ以上に今は、この子を想う気持ちの方が強かった。
助けてあげたい。力になってあげたい。
冒険者になりたいと言ってまで自分を慕ってくれる、彼女の気持ちに、応えたい。
そして何より――ルナの傍に居てあげたい。
そんな純粋な気持ちで、胸が一杯になっている。
新しい宝物と巡り会えた、そんな気さえした。
今、目の前に垂れている一本の糸を、
どれだけ長く、どれだけ太くなるかも分からないこの糸を、
掴まずにはいられなかった。
カイは何か決心したように一つ頷くと、ルナの手をがしと握った。
「はぇ!?」
ルナが素っ頓狂な声を上げる。カイはその小さな手を胸の前に持ち上げ、両手で優しく包み込み、紅い瞳を真正面から見据えた。
「わかった。俺が君の夢……きっと、叶えてみせる」
その蒼い眼の奥には、決意の火が灯っていた。
「約束するよ」
カイはそう言ってにっこりと笑い、ルナの手をぎゅっと握りしめた。
紅と蒼の視線が交差する。
ルナは時間が止まったかのようにピクリとも体を動かさず、ただただカイの笑顔に見入っていた。
「……はい」
そして絞り出すように、そうとだけ返事した。
――――
辺りはもうすっかり暗くなり、海の向こうには丸い月が浮かんでいた。
流石に帰らないといけない時間なので、カイはルナと手を繋いで丘を下り始めた。そんな中ルナが口を開き、カイに尋ねる。
「……ねえ、カイ。冒険者には、どうやってなったらいい?」
「ん? 冒険者ギルドに行って、登録すればなれるけど」
冒険者には基本的に誰でもなることができる。
年齢制限なども特になく、たとえルナのような少女であっても冒険者として登録する事は可能だ。
「でもルナちゃん、君が冒険者になる必要はないよ。冒険なら、一緒に付き添いって感じで連れて行ってあげるからさ。そもそも、お手伝いなんかして貰わなくて大丈夫だし」
「ううん。昨日から助けてもらってるんだし、これからもお世話になるんだから、ちゃんとお返ししたいの。だから付き添いじゃダメ。お仕事仲間になって、お手伝いするのっ」
「……そっか」
あくまでもルナは、一人の冒険者としての対等な関係を望んでいるらしい。
彼女がそこまでして自分と一緒にいたいと言うのでカイは嬉しかったが――実際は、それを話半分に聞いていた。
冒険者は、モンスター討伐など厳しい仕事が多い。
確かに遠方に出向いたりと旅をする事は多いが、行く先々でこなす仕事は楽しいとは言えないものが殆どだ。正式に冒険者をやるというのなら、相応の覚悟が求められる。ルナはそれを分かっていないようだった。
だが、それはそれで別に良かった。
共に冒険に出たとしても、ルナにそういう仕事をやらせる気はカイにはなかったし、彼女はああ言っているものの、付き添い以上の事を求めるつもりも別になかった。
ただ冒険を純粋に楽しんでもらえれば、それでいいのだ。
ルナの顔を横目でチラと見る。
こうして改めて見ると、本当に純粋な一人の女の子だ。
街を歩いていればよく見かけるような、お母さんの隣にちょこんとくっついているような、幼い女の子。
これから暫くの間、この子と生活を共にすることになるのだ。
いつまで一緒にいられるかは分からないが、少なくとも病気の件が一段落するまでは一緒にいることになるだろう。カイは責任感を感じて身が引き締まる思いだった。
「……そういえば、君の家族が心配だよ。ちゃんと連絡してあげないと」
「うん。あとで、手紙かく」
「そうだね、それがいい」
「…………」
「…………」
「暗いから、足元気をつけてね。ルナちゃん」
「……ルナ」
「ん?」
「ルナ、って呼んでほしい」
「……わかった。行こう、ルナ」
「! うんっ!!」
次回より、冒険者編スタートします。




