20 決意
店を出て再び商店街を歩いていくカイと、その一歩後ろをついていくルナ。
特に行く場所も無いのであとは家に帰るだけだったのだが、カイは家路にはつかず、目的もなくただぶらぶらと歩を進めていた。
そしてその足取りは、どこか重かった。
これから、ルナをどうすればいいだろう――それを改めて考えた時、漠然とした不安が襲ってきたのだ。
先程ルナがおかしな反応を見せた件も気にはかかっていたが、この問題に比べれば全くの些事だった。
『この子の事、あんたがちゃんと責任持って面倒見るのよ?』
朝にリンカから言われた言葉を思い出す。
あの時は『大丈夫』と二つ返事をしてしまったが、実際の所今後の事はあまり考えていなかった。
とりあえずギルバートから教わった通り、魔力制御だけは責任持って教えてあげるべきだろう。これで病気を制御できるようになれば、それでいい。
だがそれにしても、習得するまで何週間かはかかるはず。自分は日中冒険者の仕事があるので、つきっきりで教えられるかといえば自信が無かった。
それ以前に、生活の面倒も見てあげないといけない。
「カイ?」
このままいくと、ルナを家に連れ帰って一緒に住む事になるだろう。
こんな幼い子の衣食住の世話なんて、一人でできるのだろうか。同居している師匠は遠出してて今は家に居ないし、頼れる大人もそばに居ない。
それに忘れかけていたが、ルナはいいとこのお嬢様なのだ。間違ってもおかしな扱いはできない。
「カイってば」
そういえば、ルナの家族はどうしているだろう。
娘がいなくなって、向こうは大騒ぎになっているに違いない。父親が軍のお偉方なのだから、もっと大変な事になっているかも。
魔力制御のやり方だけ教えて、やはり早急に家へ帰すべきなのだろうか。
でも、ルナは帰りたくないと言っていた。
そういえば、なぜ帰りたくないのかを聞いてなかった――
「……カイ?」
ルナに顔を覗き込まれ、カイはハッと我に返った。
気づけば、商店街を通り越して街の端っこにまで来ていた。目の前には街を囲う城壁が広がっている。
「どうしたの? 考え事?」
「あ、いや……ごめん、何でもないよ。どうかした?」
見ると、ルナは何やら言いたげな様子でこちらを見上げていた。
さっきの事で何か不満を言われるのではないかと思ったカイは、緊張に身を強ばらせる。
が、ルナが口にしたのは全く意外な言葉だった。
「あ、あのね……カイ、ありがとう」
突拍子もない感謝の言葉に、カイは固まってしまう。
「……え? な、何に?」
狼狽えるカイに、ルナは目を細め微笑む。
「色んな所に連れて行ってくれて。今日、すごい楽しかったの。ルナ引きこもりだったから、街へお出かけに行く機会なんか今まで殆ど無かったし。だから、今日は初めてみる景色ばっかりで、それにいろんな人に出会えて……新鮮で、楽しかったの」
そして照れくさそうに、ニッとはにかんだ。
「それも全部、カイが一緒に居てくれたおかげだから。ありがとう、カイっ」
「…………」
えも言われぬ温かい感情が、胸に込み上げてくる。
カイは思わず自分の手を握りしめた。
ルナとは昨日出会ったばかりの浅い関係だ。事情を聞いてかわいそうだと思い、保護した。ただその程度の間柄。
それなのに――何故だろうか。そんな単純で未熟な繋がりを、ずっと強く握りしめていたいと思えるのは。
目の前で微笑むこの幸薄な少女の、力になりたい。いつからか、心の底からそう思っている自分がいる。
律儀で、物知りで、ちょっぴり恥ずかしがり屋で。
生まれ持った病気に苦しみ、周りから疎まれ蔑まれ。それでいて、とても前向きで優しくて。
そして――人を傷つけてしまうことを何よりも恐れ、泣いてしまう。
たった二日の付き合いで、彼女について分かったのはせいぜいこれくらいだ。だがそれだけで十分言える事がある。
――こんな子が、不幸になっていい道理なんかない。
(……君には、その笑顔が一番似合ってるよ)
どんな事があっても、この子は自分が絶対に救ってみせる。
カイはたった今、そう心に決めた。
「……そっか。そんな事なら、俺がいくらでも色んな場所に連れてってあげるよ」
「ホントに!?」
目を輝かせ、その場でぴょんと飛び跳ねるルナ。
「あはは、ホントさ。そうだ、近くに良い景色が見れる場所があるんだけど、行くかい?」
「行きたい!」
「じゃあ、行こうか」
そして――今度は、カイから。
ルナに手を差し出した。
ルナは少し驚いたように固まっていたが、その後満面の笑みを浮かべ、すぐにその手を取ったのだった。
――――
街を囲う城壁を門から抜け、二人は街の外に出てきた。
ここは首都ウェストレアから南に伸びる道路だ。舗装された道から一転、砂利道がはるか遠くまで続いており、その周りには広大な草原や森が広がっている。
二人は手を繋ぎ、その道をしばらく真っ直ぐに歩いていく。すると、道の両脇に広大な畑が見えてきた。
白い毛玉を実らせた植物が一面を覆い尽くす、綿花畑だ。ちょうど夕焼けの陽の光を反射し、橙色に煌めく神秘的な景色が広がっている。
「わあ……きれい……ふわふわ……!」
「これは霜綿花っていってね。この国の特産物なんだ」
霜綿花は、布製品の原料となる植物だ。1年のうちに4度のペースで真っ白な綿毛を実らせる。
その実は柔らかく手触りが良い一方で、耐久性も高い。軍服や魔術師のローブ等にも使われる、戦闘向きの素材だ。
栽培には温暖な気候と沢山の栄養が不可欠で、このファータイル国の恵まれた土壌と環境がそれを可能にしており、国中で大量生産されている。
そして実がなる時期の畑は、こうして一面雪が降り積もったかのように美しい光景が生まれるのだ。
「あそこにいこう。この畑が一望出来るんだ」
カイは畑の奥に見える小山を指差した。畑を見下ろすのに丁度いい高さの、ちょっとした丘だ。
草むらを歩き、その丘まで近づいていく。そしてその麓まで来た時、カイが思いついたように言う。
「そうだ。歩きどおしで疲れたし……ちょっと、楽しようか」
「え?」
するとカイは突然ルナをひょいと持ち上げ、抱きかかえた。
「わ、わあ!?」
「しっかり捕まってて。いくよ!」
混乱し赤面するルナを差し置いて、カイは何やら目を瞑って念じ始める。
その直後、二人の周囲に風が巻き起こった。
ぶわっ、と突風が下から上に突き上げ――二人は、空中に舞い上がる。
「わああっ!?」
ルナが叫び声をあげた直後。風が円を描くように回転し始め、二人を優しく空中に包み込んでいく。
そして、次の瞬間。その風は勢いよく二人を上へ押し上げ、いっきに丘のてっぺんまで突き上げていった。
「わあああっ!!!」
ルナは恐怖と興奮が入り交じった声を上げた。何が起こっているのか理解できず、ただ必死にカイの腕にしがみつく。
そしてつむじ風に乗ったように宙を滑りながら、二人共々あっという間に丘の頂上に着いてしまった。
お姫様抱っこされた挙げ句、風に乗って宙に浮き上がり――突如として起こった一連の出来事に、ルナは思考が追いつかない。どれもこれも全く初めての経験で、ただただ心臓がバクバクと鼓動を鳴らしている。
「……よいしょ」
カイは抱きかかえていたルナをゆっくりと地面に下ろしてやった。
地面に降り立つや否や、ルナは興奮冷めやらぬ口調でカイに詰め寄る。
「な、何だったの今の!? びっくりした……!」
「風魔法だよ。こういう使い方は、本当は駄目なんだけどね」
ごく軽い口調で答えるカイ。
風で物を浮かすことは難しく、高度で繊細な技術が求められる。未熟者がやろうとすれば事故に繋がりかねないので、推奨されていない風魔法の使い方なのだ。
だが熟練の魔術師や類まれなる才能の持ち主であれば、朝飯前の技でもある。
顔を火照らせているルナと対照的に、穏やかに微笑むカイ。ルナは口を尖らせた。
「やる前にやるって、言ってほしかったっ」
「あはは、ごめんね。でも、楽しかったでしょ?」
「……ちょっとだけ」
「そう? それよりほら、見てごらんよ」
ルナはぷくっと頬を膨らませていたが、カイの指差した方へと振り向くと、目を見開き固まった。
そこには、今まで見たどんな景色よりも衝撃的な、とびっきりの風景が広がっていた。
茜色に染まった空と、陽光を受けて煌めく真っ白な綿花の絨毯。
穏やかな夕下風に沿ってゆらゆらと揺れながら、橙色の光を乱反射してきらきらと輝いている。
どこまでも遠くに続いていく畑の先には、遠目だが海が見え、そうなるとこの綿花畑はまさに純白の砂浜。眺めていると、潮騒がここまで聞こえてきそうだ。
ルナは無言で眼前の景色に見入っている。感動のあまり、言葉を失っていた。
「ほら、こっちきて座りなよ」
「…………あ、うん」
カイは草むらの柔らかそうな所に腰を下ろしていた。
ルナは促されるまま隣に座り、そのまま肩を並べて目の前の風景に見入った。
二人はそのまま無言で景色を眺めていた。そして暫くしてから、カイが穏やかに口を開く。
「いい所でしょ。俺のお気に入りの場所なんだ」
「……うん」
「今日は色々あったね。疲れたなあ」
「うん」
カイは何気なくルナの顔を見た。随分とリラックスしているようで、その表情は柔らかいものだった。今日は色々あったせいで疲弊していないか心配だったのだが、特にそんな様子は見受けられない。
――聞くなら、このタイミングがいいだろう。
そう思って、カイは昨日聞けなかった事を尋ねることにした。
「……あのさ」
「?」
「どうして、家に帰りたくないの?」
「…………!」
「襲われて、逃げてきたって言ってたよね。怖いのは分かるけど、お母さん心配してるんじゃないかな」
昨日ルナが帰りたくないといった時、彼女は震えていた。そのため何か特殊な事情があるのだと思って、カイは今の今まで触れないようにしていたのだ。
大分落ち着いた雰囲気の今なら、躊躇いつつも何とか話してくれるのでは無いかと、そう期待してカイは尋ねた。
しかし、ルナの反応は全く予想外のものだった。
カイの問いかけにピクっと体を強ばらせたルナは、何か考えるように俯いていたが、暫くしてカイの顔を見上げる。
その目には、涙が浮かんでいた。
「!? え、ど、どうしたの!?」
紅く煌めく瞳を見開いたまま、そして涙をぽろぽろ零しながら、ルナは声を震わせた。
「ずっと……ずっと、考えないようにしてたの。思い出すと、怖くて、辛くて……悲しくて。本当は、ちゃんと、償わないといけない、のに。ずっと、逃げてたの……」
嗚咽を漏らし、声を掠れさせながら、ルナは途切れ途切れの言葉を紡いでいく。
「カイ。ルナ……どうしたらいい? どうすれば、いいの?」
そう言ってカイの服を縋るようにぎゅっと掴むルナ。
「どうって……ちょっと待って、一体何が――」
「ルナ、人殺しなの」




