1 カイ=バーンハード
険しい岩山がそびえ立つ、とある山岳地帯。
その山腹に空いた大きな洞窟の入り口で、冒険者の二人組がモンスターと戦っていた。
「はあああっ!! 」
剣を振り回しながら声を上げるは、一人の若い女剣士だ。
20匹以上はいるだろうか、彼女の背丈の半分ほどもある巨大なアリのような虫と対峙している。
次々と飛びかかって来るアリ達を、白銀に輝く両手剣で造作もなく吹き飛ばし、どんどんその数を減らしていく。
だが、洞窟の奥からはまだ夥しい数のアリが顔を覗かせていた。
「……! 多いわねっ!」
女剣士の方へとじりじりと間合いをつめてくるアリたち。
彼女は一つ息をついて剣を握り直し、刃先を前に向け構えた。
と同時に、10匹ほどのアリが一斉に彼女へ襲いかかる。
「はあっ!!」
多勢に無勢――かと思いきや、彼女は剣を横に一振り。一刀両断にてそのアリたちを全て斬り伏せてしまった。
鈍重な両手剣を軽々と扱うその所作から、彼女の腕のほどが伺える。紛れもない強者だ。
無造作に後ろで縛った茶髪を振り乱しながら、見事な剣捌きでアリの死体を量産していく。
そんな彼女の様子を、もう一人の冒険者――若い少年が、後ろから眺めていた。
魔術師風の白いローブに身を包んだその少年は、大きめの岩に腰掛け、彼女の戦いぶりをただ傍観している。
「カイ! そっちに何匹か行ったわよ!!」
アリが何匹か女剣士の脇をすり抜け、少年の方へ突っ込んできた。
カイと呼ばれたその少年は、自分の方に向かってくる敵を見て立ち上がる。
「……分かってるよ」
「シャアア!!」
擦れるような奇声をあげながら向かって来るアリ達を一睨みすると、少年は腕を上げ、両手を前方へ構えた。
その瞬間。
突然アリ達の体が、ひとりでに燃え上がった。
「ギイイィィ!!」
燃え盛る炎に、堪らずのたうち回るアリ達。
何とか炎を消そうとしてそこらをジタバタするが、その凄まじい火力にどうにもならない。そしてそのうち動きを止め、炎と共に跡形もなく焼滅してしまった。
そして少年は、その様子を特に何を思うでもなくただじっと眺めていた。
少年の名はカイ=バーンハード。
弱冠16歳にして、凄腕の魔術師だ。
短く切りそろえられた銀髪と、吸い込まれそうなほど深く蒼い瞳を携え、16歳にしてはクールで大人びた顔立ちをしている。だがそれでいて、年齢相応の子供っぽさもどこか垣間見える――ミステリアスな雰囲気の少年だ。
「流石ね! 休んでないで、少しは手伝ってくれてもいいのよ!?」
ただ傍観しているだけのカイに、敵を薙ぎ払いつつ不満をぶつける女剣士。
「いやあ、俺が手伝ってもいいけどさ……リンカ一人で十分だよ。さっきから見てるけど、余裕そうだし」
「はあ!? 余裕なわけないでしょ! 見てわかんないの!?」
しかし悪態をつきながらも、リンカと呼ばれた彼女はしなやかな動きで敵を屠り続けている。傍目から見れば全く余裕そうなので、カイは一人で首を傾げた。
「あんたが手伝ってちゃっちゃと終わらせてくれれば、早く帰れるのよ!」
「……早く帰るって、何か用事でもあるの?」
「ええ、今日はギルドで会合があるの! その準備をしないといけないのよ……たあっ!!」
向かってきた最後の一匹に彼女は剣を一振りし、真っ二つに切り裂く。
際限なく湧いてきていたアリも、リンカの働きの甲斐あって既に鳴りを潜めていた。辺りにはアリの死体が散乱し、身動きをとる個体は一つも無い。
リンカが戦っていたのは、大型の虫魔獣「魔蟻虫」だ。
体長1mほどもある大型のアリで、人里離れた山岳地帯で巨大な巣を作ることで知られている。そのサイズからも想像できるように、巣はちょっとした洞窟といえるほど大きい。
カイとリンカは、共にギルドに所属する冒険者。今回は「魔蟻虫の巣の殲滅」の依頼を受け、この洞窟、もといアリの巣に来ていた。
「会合って……そうなんだ。大変だね、ご苦労さま」
「あんたねえ。少しは気持ちってものを込めなさいよ」
ニコニコしながら素っ気なく答えるカイに、リンカはムッとした表情をみせる。
「……まあいいわ。とりあえず、先に進むわよ」
リンカはそう言うと、腰に提げていた袋から松明を2本取り出した。
「火、お願いね」
と言われるがまま、カイがその松明に手を掲げる。
そして瞬きもしない内に火が灯された。
「ありがと。さ、行くわよ!」
リンカは松明を掲げ、陽気に薄暗い洞窟の奥へと進んでいった。カイもその後に続いていく。
――――
今回の依頼は、巣の中のアリを全滅させるのが達成条件だ。
さっきリンカが倒したのは入口付近にいたアリ達で、まだ奥に潜んでいる個体は沢山残っている。なので巣の中の部屋を一つ一つ周って行き、残党のアリを処理する必要があった。
「……楽なものね。私、来なきゃ良かったかも」
出くわしたアリをあっという間に燃やし尽くすカイに、リンカが感嘆の声を漏らす。
「駄目だよ、サボっちゃ。リーダーなんだから」
「サボってたのはあんたでしょ!?」
生意気な口を叩くカイにリンカは口を尖らせた。
カイが言うように、彼女はこの冒険者パーティのリーダーを務めている。メンバーはカイとあと2人いるのだが、今日その2人は共に所用で休みだった。
「違うよ。ラスボスの前に力を温存してるんだ」
「あんまり生意気言ってると、明日は同じ依頼、あんた一人だけでやってもらうわよ」
「……別にいいよ。むしろ、もっと難易度上げてもいいと思う。このアリの巣くらいなら、リンカですら余裕じゃん」
「ですらって何よ、ですらって! ちょっと強いからって……まったく……」
悪態をつきながらも、リンカはカイにあまり強く言い返せないでいた。
何故なら彼は天才で、上から物を言うだけの資格があるからだ。
リンカより5歳も年下の少年でありながら、カイはこのパーティーの中核となる存在である。戦闘、索敵、補助、回復――あらゆる面でベテラン魔術師を凌駕する能力を持ち、大いにパーティに貢献してくれている。
「私達、いる!?」と何度も思わせてくれるようなその活躍ぶりに、リンカはいつからか彼に絶大な信頼を置くようになっていたのだった。
「このアリの巣殲滅の依頼を2つ受けて、2箇所手分けしてやるってのはどう? もちろん1つは俺一人でやるから。その方が報酬も上がるし、リンカも嬉しいでしょ?」
「…………」
偶にこうして偉ぶったような事を口にするカイだが、実の所、その口調からはそういった態度は微塵も感じられない。この子は純粋な思いやりの気持ちからそう言ってるんだと、リンカはそう理解した。
周りから一目置かれるような力を持っているというのに、少しもそれを鼻にかけるような事はしない。若いくせに、やけに精神的に大人びている、不思議な魅力を持つ子――それが、カイという少年に対するリンカの印象だった。
「……だめ! さっきのは冗談よ。一人でなんて、危ないからね。あんたには私がついてないとダメなんだから」
アリの巣殲滅の依頼も、実はカイの言う通り彼一人で事足りるものだったのだが。
敢えてリンカがついて来た理由は、また別のところにあった。
だが、リンカはそれを決して口にはしないだろう。
または、自覚すらしていないかもしれない。
――――
あらかた巣の中を掃除し終え、残すは一つの分岐路のみとなった。この先の二部屋を攻略すれば、今日の依頼は終了だ。
「早く終わらせちゃいたいし、ここは二手に分かれましょうか」
「……いいけど、大丈夫? まだ女王蟻を見てないから、この二部屋のどっちかにいると思うけど」
「それ、あんたの言うラスボスでしょ? 別に大したことないらしいから、大丈夫よ」
魔蟻虫にも卵を産む女王個体が存在する。女王は通常の個体よりも大きく戦闘能力も長けており、このアリの巣のラスボスといえる。
決して弱くは無いのだが、カイとリンカほどの手練であれば難なく倒せてしまう相手なのも確かだ。
「オーケー。俺は右に行くね」
「じゃあ、あたしは左。何かあったら大声で助けを呼ぶのよ? 『助けて、リンカさん!』ってね」
そう言ってニシシと笑いながら、リンカは左の通路に消えていった。
カイは若干不満げにため息をこぼす。どうにも、リンカはカイの事を保護する対象――お子様として見ている節があった。
だが、リンカも若手とはいえカイに比べれば立派な大人なのだ。それを理解しているカイは、特に彼女に言い返すこともなく、黙って右の通路へと歩を進めた。
――――
薄暗がりの通路を松明の光を頼りに歩いていく。道中何匹かアリがいたが、瞬時に炎で処理し問題なく進んでいった。
そしてしばらく歩いて行くと、突き当りが部屋になっていた。行き止まりのようだ。
その部屋は思ったより広く、中には10匹ほどアリがいるのが見えた。暗くてよく見えないが――そのアリ達は、何やら奇妙な陣形をとっているようだ。
アリの体よりも一回り大きい何かを、取り囲み守るような陣形。
もしかしてと思い、カイは目を凝らしてその正体を探る。
(……いた)
女王蟻だ。
壁際にもたれかかるように、横たわっているのが見えた。
その周りには護衛のアリの他に、木の実や植物、草などが山積みになっている。木の実などは女王に献上するエサで――草の山は布団だろうか。
女王含めアリ達は、特に動きを見せる様子がない。まだこちらに気づいていないようだ。
(……リンカ、良かったね。今日は早く帰れるよ)
向こうがこちらに反応した瞬間消し炭にしてしまおう、とカイは腕を構えながらそろりそろりと近づいていく。
しかし。
何か、様子が変だ。
こちらが近づいても、アリがピクリとも動かない。
(……おかしい)
魔蟻虫は巣の中で侵入者を見つけた場合、躊躇なく襲いかかってくるのだが――カイが松明の光で照らせる距離まで近づいているにも関わらず、アリは一向に動かない。女王アリも同様だ。
カイは不思議に思い、腰をかがめて最大限警戒しながらそのまま近づいていく。
そして、アリのすぐ目の前まで近づいてようやく、その理由が理解できた。
死んでいる。
女王アリも、その周りを囲うアリも、等しく絶命していた。
――妙だ。
巣の中でアリの死体が単体で転がっているのは、特段気に留めることでもない。寿命やケガなどで死ぬことはままあるからだ。
10匹以上の集団死。
異様な現象だ。
それに、この部屋に来るまでのエリアにはアリが大量に巣食っていた。
この部屋のアリだけ、何らかの原因で全部やられてしまったというわけだ。
カイはアリの死体を調べた。
その黒い体には目立った外傷はなく、突然動き出してもおかしくないほどきれいな死体だった。
彼らの体内で問題が起こったとしか考えられない。
(毒餌でも食べたか? それとも、病気にかかったとか――)
そのとき。
部屋の隅に積み上げられていた草の山の陰で、何かがもぞもぞと動いた。