鬼恨む鬼
あの志念家の一件……
それからすでに一ヶ月くらい経過しようとしていた。
あの日から、この島から姿を消してしまったと思われた彼女だが……
ボクは一度だけ、彼女と会っていた……。
この学園生活何度目かのバスを逃しての帰宅中。
異常が当たり前に住み着くこの島でそんな脅威に遭遇することは、
ハズレを引くより簡単な話だ。
バイクを斜に構えて、その座席の横から腰を下ろした人間が道を塞ぐように……
ボクがバスを逃してここに来ることを、運命的に知っていたように……
ピッチリした黒いライダースーツからそのスタイルの良さが明確に目に取れ、
もったいぶることもなく、取り外したメットからは、綺麗な青色の髪が零れ落ちる。
「久しぶりだね、トウタくん」
そう彼女はボクに微笑みかける。
「久しぶり、ウミちゃん……元気だった?」
ボクのそんな言葉にウミちゃんは苦笑する。
「まるで、他人事みたいに言うな、私のことも事件の事も」
そう、冷たい目でウミちゃんは笑い……
「なんて言ってもここらじゃ、有名な資産家の志念家相手に喧嘩をうったんだ、一言に元気ですなんて言えないさ」
そうウミちゃんは返す。
あの日からの一ヶ月近く、彼女は一人ずっと戦っていたのだろうか。
「そんな、危険を抱え込んだ状態で、ボクなんかの前に姿を現して平気なの?」
そうボクが彼女に返す。
「奪い損なっちまったモノが無事なのか……ちょっと気になってね」
ウミちゃんはボクを通して誰かを見るように……
あの日、ウミちゃんは……今を捨て自由を手にし殺人鬼となり……
そして……自分を失い、不自由に今を生きている。
自由と不自由……その矛盾を生きる殺人鬼。
「あの凶悪な自由人がいないうちに……っても思ったけどね」
その抜けた顔を見たら安心したと……ウミちゃんは握ろうとした凶器から手を下ろした。
「で……わざわざ、ボクに会いにきた訳じゃないんだろ?」
そうボクはウミちゃんに尋ねる。
「……ひどいなぁ、トウタくんの事、本気で結構気に入ってんだぜ?」
そういたずらに微笑む。
言いながらも……ボクから目を反らすと……
「……ナエは元気してる?」
そうボクに尋ねる。
彼女を殺そうとしたものを殺すために自由になろうと思った彼女
彼女を救うために不自由になろうと思った優しい彼女
正しいのは正義か間違いは悪か……
正解は一つじゃなければならない……
そして、それは……どちらが正しいかなんて明確で……
それでも……同じ不自由を生きる者として、ボクはその答えは導き出せない。
「……元気だよ」
少しだけ悩んだ結果……出した回答。
もちろん、今までどおりの元気はない。
一番の親友が自分のそばから消えたんだ。
元気なわけないじゃないか……
それでも、彼女が決死に決断した結果だ……
ボクにはそう答える以外の回答は思いつかない。
「本当に優しいなトウタくんは……」
彼女は何故かその答えを聞いて、手にした拳銃をボクの額に向ける。
悲しい目で……ボクを見る。
「私は君を……奪うことも壊すことも出来ない……ナエは裏切りたくないからさ……」
そうウミちゃんは言い……
「本当の答え……聞かせてくれないか?」
彼女の望む回答……
「ナエが私に失望していた……なら、私は君を連れ去ることも、この引き金を引いて壊すことも許される……私の現状は……ナエを助けられた時点で達成しているんだ」
どちらを期待しているのか……
ナエちゃんを失い……自由を手にするのか。
未だ……会うことすら適わぬ友達に縛られ不自由を生きるのか……
「……どうした?私を殺すなら今だぜ?通報するのも、凶悪に助けを呼ぶのも……」
拳銃をつけつけ、その権利を持っている人間がそうボクに告げる。
「……宝物を守るために自由を手にする器用さも……そんな宝物を捨て不自由を手に取る不器用さも……尊敬くらいするさ、痴れ事だけどね……」
ボクのその言葉にウミちゃんは大笑いして……
「ほんと……トウタくん、君にだけは敵わない」
彼女はボクに向けた拳銃を下げ、
そう笑いながら言って……バイクを乗りなおすと……
エンジンをかけ、ボクに背を向ける。
「後部座席空いてるんだ……座るか?」
ウミちゃんは頭だけ後ろに振り返り、その横顔がいたずらに笑っていた。
「なーんちゃって、また会おうな」
左ひじから上をあげ、小さく手をあげて、
ウミちゃんはボクの前を立ち去る。
「ピンチの時は助けを呼びなよ、気が向いたら助けにいくさ」
そう、笑いながら走り去った。
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ボクが言える台詞でも無いかもしれないが、この男は相当にいかれている。
殺人鬼なんかよりもずっと……
この島に居る誰よりも……
自称正義の、殺人鬼キラー。
ボクが再び出くわす事になる事件。
そして……その犯人よりも……恐らくは……
「ほら、いい加減、吐しろ、逸見トウタ」
目の前の男は、警服に身を包み、蹲るボクを見下しながら言う。
「ケホッ……ゲホッ……」
呼吸すら困難だったが……軽い吐血と同時に呼吸できるくらいに回復する。
警棒を右手に握り、左のてのひらをその警棒をペシペシッと叩きながら、
冷たい笑みでボクを見下ろす。
自称……殺人鬼を許さない正義の警察官。
彼はボクに先の殺人事件の月鏡 ウミの居場所を聞き出そうとボクに拷問を続けていた。
「なぁ……逸見トウタ、俺はてめぇみたいな庶民を裁く趣味なんてねぇんだ……ヤるのは殺人鬼だけって決めてるんだよ、頼むから俺に背負う必要のない罪を背負わすな、逸見トウタ」
八神ソウスイ……彼の名前。
数年前まではいたってまじめな警官だったと聞いている。
この法律の成立しない島で、真面目な警官。
だが……ある日を境に彼は変わってしまった。
ある事件を境に彼は変わってしまった。
ただ、殺人鬼を恨み……その権力で消し去る。
それだけを生きがいにするように……
「知らないって何度も言っている……まぁ、知っていても知らなくても、ボクがあなたに伝える言葉は何一つ変わらないけど……痴れ事だけどね」
ボクのその台詞に即座に険悪な表情をする。
「うっかり加減を忘れそうだ、逸見トウタ……てめぇの自業自得だけどな」
前髪を鷲づかみにされ、かかんだ八神の顔の位置まで頭を持ち上げられる。
どこの倉庫か……どこで拷問を受けていたのかボクは知らない。
光を閉ざされていた倉庫のドアが開く。
久々に浴びた日の光にボクも八神も目を眩ませられる。
薄めで開いたドアの方向く。
何者かの黒いシルエットだけが光に影を作る。
「あはは~っ、さすがに探すのに苦労しちゃったよ」
現れた彼女はボクたちに向けてそう言った。
「何もんだ、てめぇ?」
八神がそう彼女に向けて言う。
「あはは~っ、《《それ》》返してもらうね?」
そうナギちゃんがゆっくりと近寄ってくる。
「てめぇが、月鏡ウミか?」
そう八神がナギちゃんに問いかける。
「あはは~っ、《《それ》》も僕の敵の名前だね~」
ゆっくりと歩き近寄るナギちゃんに、八神は恐れることもなく……
容赦なく振るった警棒をナギちゃんは難なく避ける。
「あはは~っ、結構強いね《《オジサン》》」
そうナギちゃんが八神に言う。
「俺はまだ二十歳だ……《《小娘》》」
そう呼ばれることを不服そうに八神が返す。
「いいから、さっさと返せよ……《《オジサン》》」
手にしたナイフよりその瞳がキラリと光、その刃が八神の喉仏の寸前で止まる。
「なるほど……小娘、てめぇが殺人鬼であろうが、そうじゃなかろうか……てめぇは実に爽快にヤれそうだな」
そう八神は捨て台詞を吐き、その場を立ち去った。
「……とーたちゃん、生きてる?」
ナギちゃんが、地に転がっているボクを小首を傾げながら覗き込み尋ねる。
「うん……ナギちゃんのお陰、ありがとう」
ボクがそう返すと、いつものようにあははっと右のてのひらをくちにあてながら笑った。
八神ソウスイ……彼との出会いは此処を訪れることになる数時間前に時間を遡ることになる。
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「とーた先輩、どうか私にご教授ください」
そんな真剣な眼差しをボクごときに向ける女子生徒。
公明 キサラギ……
兄妹とは思えないが、ヒイラギの妹だ。
将来は探偵を目指している……という話で。
前回の志念家の事件を聞き、ボクに尊敬の眼差しを向けている。
正直に言わせてもらえば……
公明家、兄妹は揃い、余り頭が良いほうではない。
それに、キサラギちゃんはまだ中学2年生という年齢だ。
「キサラギちゃん、探偵って職業は多分、君が思っているような仕事じゃないし……殺人事件を解決していれば食っていける職業じゃないよ」
ボクは小説やドラマに影響されているだろう彼女にそう告げるが……
「いえ……私は庶民を守れる、立派な探偵になりたいんです」
そう目を輝かせるが……
探偵って職業で、殺人事件での調査ってのはお金にならない。
それなら、浮気調査や人探しやペット探しなどに視点を置いた方がいいだろう。
父親と母親が警察官である公明家。
その手助けとなるのだと、キサラギちゃんは言う。
とても立派な痴れ事だ。
そして、あの志念家の一件の後、再び……
一件の屋敷で事件が起きた。
キサラギちゃんはその事件の解決へと名乗り出た。
そして、ボクという人間に助言を求めた。
この島では珍しくない……殺人鬼の出没。
ボクとキサラギちゃん、そしてナギちゃんとヒイラギ……そしてネイネちゃんもついて来る。
そして、殺人鬼を許さない……八神ソウスイがこの屋敷を訪れた。
鬼刀家に訪れた5名。
遅れてやってきた八神ソウスイは、ボクの顔を見るなり、ニヤリと笑った。
「トイレ……」
ボクはそう言って、一人客間を立ち、一人屋敷を歩いていると……
不意に後頭部に強い衝撃を受け、気を失った。
気がつくと、見知らぬ倉庫の中……真っ暗な中、八神ソウスイと二人きりとなっていた。
「会いたかったぜ……逸見トウタ?」
暗闇の中で男がそう言う。
いったい彼が何者なのか……今のボクは知ることもなく……
「知ってること……全部吐き出せよ、逸見トウタ」
そう男が言う。
「……殺人鬼は全員裁く、そうだろ?逸見トウタ?」
そう男が俺に言う。
「……月鏡ウミはどこに居る?」
凶器に満ちた目が暗闇の中でも読み取れる。
「しらな……っ」
ボクのその言葉がいい終わるのをまたずに、手にした警棒がボクの右の頬を捉える。
「くっ……」
加減なんて知らないというように、骨が砕けたのではないかと思うほどの痛みが襲う。
「大人を舐めるな、逸見トウタ……子供が守られれると思うなよ、法律は、悪だろうが平等に裁くっ」
今度は逆の左の頬を警棒が捉える。
この男に会ったときから……いや、この屋敷に着てから……もしかしたらずっとその前から……その殺気のような目に気づいていたんだ。
それが、《《この男》》のものなのか……まだ見ぬ《《殺人鬼》》なのか……それとも《《そのどちらでもない何者か》》なのか……今のボクにはわからないけど……
また、今回もその脅威はボクの前に姿を現す。
気がつけば、駆けつけたナギちゃんにボクは八神の手から救出されていて……
戻った客間では何事も無かったかのように平然と八神ソウスイは座っている。
「おい、とーた、どうした?」
ボクの顔を見て、ヒイラギが声をあげる。
「膨大に転んだ……」
ボクはそう一言で片付ける。
客間には八神の他にも警官が数名居る。
今回の事件……鬼刀家の父にあたる
鬼刀《《きとう》》 ガイが殺害された。
その調査……父親と母親の代わりに手を貸すことを名乗り出たキサラギちゃん。
親の力もあってなのか、人の手が足りず猫の手も借りたいのかはわからない……
そこに、ボクとナギちゃん、ヒイラギにネイネちゃんも加わり……
客間には屋敷に住む7名の人間が揃っていた。
鬼刀 ジン 長男
鬼刀 エン 次男
鬼刀 ヤシャ 三女
鬼刀 コウ 末っ子
鬼刀 レイ 義母
乾 コタロウタ お手伝い
乾 コトハ お手伝い
屋敷の主……鬼刀 ガイの死。
それは、始まり。
殺気……誰かにずっと見られている気がしたんだ。
今もずっと……
まるで、背中を突き刺すように……
まるで……この場に姿を見せていない誰かがいるような……
それは、あの八神ソウスイという男のせいか?
ここに紛れる殺人鬼のせいか?
それとも……
狂人や異常者が集うこの島で……
安息なんて言葉は無いのかもしれない。
一度、踏み込んでしまえば二度と日常に戻ることなどありえない……
そうとでも言いたげに……
そして、今日も静かに殺人鬼は笑い出す。