悪役令嬢と王子と平民子と隣国の皇太子による、社会通念上最も適切と思われる表現による婚約破棄の話
「アレクシア・バートレット公爵令嬢! 君との婚約は破棄させてもらう! 僕の新しい婚約者は、ここにいるエルシー・リリエンタールだ!」
この茶番劇の主宰者であるイーサン・ルーガン第一王子がそう宣言し、会場はどよどよとどよめきに包まれた。
その群衆の中で、一人蠍の毒刺を喰らったかのように硬直している公爵令嬢アレクシア・バートレットは、自身を冷たく睨み降ろす王子に向かって震える声を発した。
「とっ、突然どうして……!」
「どうして、だと!? しらばっくれるな! 貴様がここにいるエルシーにした数々の悪行、覚えがないとは言わせないぞ!」
王子の腕の中にいる小動物前とした可愛らしい少女――エルシーは、平民でありながら優れた白魔法の才能があり、特例でこの学園に入学してきたという少女だ。まぁ、その持ち前の上昇志向と可憐な見た目で虎視眈々と玉の輿を狙い、遂に公爵令嬢から王子を奪い取った手練手管としたたかさを考えても、全く傑物だという他ないだろう。
イーサン王子は確実な怒気を孕んだ声で言った。
「エルシーが勇気を持って僕に告白してくれたぞ、アレクシア! 貴様が数ヶ月前、エルシーを階段から突き落とし、大怪我をさせたことはわかっているんだ!」
王子がそう告げた途端、会場内に悲鳴に似た驚きの声が上がった。
「そっ、それは冤罪です! 私にはそんな覚えは……!」
「冤罪だと! ここには多数の目撃者と証人も……!」
ダメだ。私はこめかみを指で掻いた。
「すみません、ちょっといいですか!」
『私』はそこで大声を上げ、事態の進行を遮った
ハイライトを邪魔された王子が不満そうに『私』を見た。
「……なんだ、今のやり取りになにか問題でもあるのか?」
「ええ、大いに問題がありますね」
『私』は王子の威光など無視したような声で事務的に告げる。
この稼業はナメられたら最後。たとえ相手が王子だろうが貴族だろうが、そんなことはおかまいなしの雰囲気を纏い、ずけずけと問題点を指摘する人間でなければいい職人とは言えない。ある意味での図々しさと尊大さ――それこそが婚約破棄コーディネーターの真価なのだ。
『私』はイーサン王子を見て言った。
「アレクシア公爵令嬢が階段から人を突き落とした……というのはどうもいただけませんね。暴力的な表現を子供が見て真似したらどうするという苦情が入る可能性があります」
「う、そ、そうか……しかし子供は真似しないだろう、こんなこと」
「子供は何でも真似しますよ。それにその可能性があるというだけでスポンサーは嫌がるものなんです。筋書きを変えましょう」
「え……でも私、階段から落ちて怪我したことは事実なんですけど……」
イーサン王子の腕の中にいたエルシーが戸惑ったような声で言う。
『私』はピシャリと言った。
「事実でもなんでもダメなもんはダメです。そうですね……こうしましょう」
少し考えてから、私は言った。
「そうですね、アレクシア様がエルシー様に向かって人種差別的な発言をした……これで行きましょう」
「えっ」
今度声を上げたのはアレクシア公爵令嬢だ。
アレクシアは美しく整った顔を困惑の表情にして、しどろもどろに言った。
「いや人種差別的発言って……どういうことですの? エルシー嬢と私は同じ人種じゃないですか」
「いいですか? そもそも階段から人を突き落としたら立派な殺人未遂です。追放程度で済むはずがない。皆様が作った筋書きが最初から釣り合っていないのです」
「いや、だけど一応アレクシアは公爵令嬢だから穏便に済ませるということで追放にするわけであってな……」
「公爵家の威光を王室が忖度してその罪を軽くするなんてそれこそ苦情モノです。上級国民だけ優遇するのか、とね。反面、人種差別的発言ならば、まぁアレクシア様の追放も納得でしょう。いいですか、もう一度この筋書きで始めてください。台本イロハニホヘトのハから。ハイ始め」
『私』が淡々と告げると、イーサン王子はまだ納得できない表情を浮かべつつ、それでも流石は千両役者と見え、数瞬後にはきっちりと続きをやり始めた。
「アレクシア・バートレット公爵令嬢! 貴様がエルシーに対して発言した数々の人種差別的発言、覚えがないとは言わせないぞ!」
ギャラリーからどよめきが上がった。
アレクシア公爵令嬢も必死の形相で続きを始める。
「じっ、人種差別的発言なんて! 私はした覚えがありませんわ!」
「覚えがないだと!? しらばっくれるな! ここにいるエルシーに【ピ――――――――】だの【ピ――――――――】だのと執拗に! 社会通念上こんな発言が許されると思うな!」
「そんな……! 私は【ピ――――――――】だの【ピ――――――――】だのという社会通念上許されない発言など生まれてこの方した覚えはありませんわ!」
「イーサン王子、私を信じてください! 私は確かにアレクシア様から【ピ――――――――】とか【ピ――――――――】などと社会通念上許されないことを繰り返し言われました!」
「おおよしよし、辛かっただろうエルシー、だが僕がついてる、もう大丈夫だ……」
ここは後で音声の編集が必要だな……『私』はそんなことを考えつつ行く末を見守る。
イーサン王子は冷たい目でアレクシア公爵令嬢を睥睨した。
「アレクシア、貴様の数々の人種差別的発言、もはや明確だ! 貴様は修道院へ追放処分とする!」
「あーダメダメ止めて止めて」
『私』は両腕を大きく振りながら場に割って入った。
イーサン王子は困惑したような表情で言った。
「またか……どこが問題だった?」
「ええ、その『修道院へ追放』というのがいけませんね」
『私』は眼鏡のフレームを押し上げながら言った。
「修道院は不良令嬢のゴミ溜めではない、この表現によって実際に修道院に不良令嬢が預けられるケースが多発し、真に清らかな心で神にお仕えすべきシスターの枠が確保できなくなったなどと教会側からクレームが入る可能性があります。宗教とモメるとこれが厄介なんですよ。それにこれは教会の信徒ではない人々に対して配慮を欠いた表現でもあります」
「ご、ゴミ溜めって……」
アレクシアが眉間に皺を寄せた。
『私』はキッとアレクシア令嬢を睨んだ。
「ダメなものはダメです。本来ならば貴方、彼女を階段から突き落とした時点で普通の裁判なら仮釈放なしの禁錮12年とかですよ?」
「だ、だからそれは冤罪で……しかも重すぎない? 仮にも私、公爵令嬢ですのよ?」
「冤罪でもなんでもこの時点でそれを知ってるのはあなた一人です。問題なのはこれを見る人間がどう感じるかなのです。そうですね……」
『私』は会場の真ん中で腕組みし、しばらく考えた。
「よし、こうしましょう。――アレクシア様はエルシー嬢に対して行った数々の人種差別的発言により、王子から約9000時間の社会奉仕活動を義務付けられる、と」
「きっ、9000時間の社会奉仕活動……!?」
アレクシア公爵令嬢が驚きの声を発した。
イーサン王子が虚空を見上げて数を計算した。
「え、えーと、一日が24時間だから……割ることの9000……一年と十日、か」
「いっ、いやあああ! 一年と十日間も社会奉仕活動!? 公爵令嬢である私がゴミ拾いしたり老人ホームの慰問したりしますの!? 修道院に追放の方がまだマシですわ!」
「物事は考えようです、アレクシア公爵令嬢。修道院に追放されたら普通はもう二度と出てこられません。その代わり何十年という人生でたった一年と十日、社会に奉仕するだけであなたは晴れて無罪放免となるわけです。命あっての物種ではないですか」
「しかし、これだと却って罪が軽くなってません? これならいっそアレクシア様をギロチンに掛けたほうが……」
「可愛い顔でとんでもないことをサラッと言わないでください、エルシー嬢。今や死刑制度廃止は国際的な潮流です。これは社会派ドキュメンタリーではなくエンターテイメントなのですから軽々しい発言はお控えになるべきかと」
「む、そ、そうか……すまない、僕の権限を以ってエルシーの今の発言は撤回させてもらう」
「いいえ、気にしていません……さぁ皆様、台本チリヌルヲのヲからもう一度」
『私』が言うと、気を取り直した表情の演者たちがきっちり続きをやり始めた。
「アレクシア、貴様の数々の人種差別的発言、もはや明確だ! 貴様は明日より9000時間の社会奉仕活動を義務付けることとする!」
アレクシアの表情から血の気が引いた。
何故、どうして、私の言葉を何故聞いてくれないの……婚約者であるイーサン王子から裏切られた絶望――アレクシアのその表情はどんな言葉よりも雄弁に彼女の絶望を語っていた。
「きっ、9000時間の社会奉仕活動……!?」
「そうだ、貴様は明日から公爵令嬢としてではなく、イチ社会奉仕活動者として、街の落書きを消したり、道化師の格好をして長期入院中の子どもたちを慰問したりするのだ! 貴様をギロチンに掛けないだけ有り難いと思え! 今や死刑制度廃止は国際的な潮流だからな!」
「イーサン王子、私、アレクシア様の顔を見るのが怖い! もし地域の清掃活動に勤しんでいるアレクシア様に箒で襲いかかられたらと思うと……!」
「ふむ、そうだな……アレクシア、お前には社会奉仕活動と共に、エルシーへの半径200メートル以内への接近も禁ずる! これに違反した場合は更に倍の時間の社会奉仕活動を義務付けるからな!」
「そんな……!」
もはや何を言っても無駄だ――アレクシア公爵令嬢はがっくりと項垂れた。
そろそろ「彼」が出てくる頃か……私は尻ポケットに丸めて突っ込んでいた台本を取り出し、付箋がついたページを開いた。
「彼女が婚約を破棄されたということは、私にもそのチャンスが巡ってきたということですね――?」
そのよく通る低い声は、まるで遠雷のように響き渡った。
ざわっ、と割れたギャラリーの中から現れたのは、漆黒の髪と瞳をした長身の美丈夫である。
「きっ、貴様は……!?」
イーサン王子が驚くのも無視して、美丈夫は床にくずおれたままのアレクシアにスッと手を差し出した。
アレクシアは驚きと戸惑いが入り混じった目で、その手と青年の顔を交互に見つめた。
「アレクシア・バートレット公爵令嬢。私がイーサン王子の代わりに、あなたの婚約者として立候補したい……受けてくれますか?」
その発言に、ぎょっとイーサン王子が刮目した。
その腕に肩を抱かれたままのエルシーでさえ、凍りついたようにその青年の登場と発言を目の当たりにしていた。
「に、ニコラス・ヴァレンディア皇太子……!」
イーサン王子の声は震えていた。
ヴァレンディア帝国はこのルーガン王国の隣国であり、大陸一円に強大な勢力を誇る日の沈まぬ大帝国だ。その圧倒的な権力と財力も去ることながら、絶世の美男子としても知られるその皇太子が、あろうことかたった今婚約破棄されたばかりの公爵令嬢を見初め、それに手を差し伸べたのである。
「ばっ、馬鹿な、ニコラス皇太子! 貴様、正気なのか!? その女は人種差別的発言を繰り返し、たった今9000時間の社会奉仕活動を義務付けられた大罪人なのだぞ!」
「ええ、それは存じ上げております。たった今見ましたからね。ただ、その社会奉仕活動とやらはヴァレンディア帝国内でも可能でしょう? だったらそれはぜひとも我が国で行ってほしい」
「ふざけるな! バートレット家は我が国の貴族だ! そんな悪女にあろうことかヴァレンディアの皇太子が求婚するなど……!」
「悪女、とは誰のことですかな? これ以上、私の婚約者になるかもしれない女性を悪し様に言われるのは我慢ならない。これを我が国との国際問題に発展させる覚悟はおありでしょうな?」
「あ、い、いや、そういうつもりでは……」
イーサン王子があからさまに動揺する。そりゃそうだ、ヴァレンディア帝国とルーガン王国の国際的な影響力には大きな差がある。いくらイーサン王子が我儘の限りを尽くしたとしても、あの大帝国相手に喧嘩を売ることなど出来はしない。
美貌の皇太子は、いまだに床にくずおれたままのアレクシアの手を取った。
「さぁ、返事をお聞かせください、アレクシア公爵令嬢。私と共にヴァレンディアで9000時間の社会奉仕活動をすると……」
腰に来る美しいバリトンボイスに、アレクシアの顔が紅潮した、その瞬間。
「はいカット! やっぱり直します!」
『私』は場の雰囲気を無視して大声を上げた。
ん? と戸惑ったようにニコラス皇太子が私を見た。
「私、セリフ間違ったかな?」
「いえ、ニコラス皇太子。あなたのセリフは完璧でした。でもやっぱり筋書きが社会通念上最も適切な表現であるとは言い難いので止めました」
「え、問題ありましたの? 皆様わかりましたか?」
アレクシアが言うと、ギャラリーまでもがお互いに顔を見合わせた。
今のやり取りのどこが問題だったのか本気でわからないとは……これだから貴族のやんごとない子弟子女は困る。もっともっと世の中のライフスタイルやクライアントのニーズの変化をセンシティヴに感じ取り、ベネフィットのオミットをオポチュニティしてほしいものだ。
『私』は呆れのため息を押し殺して、言った。
「社会的に優位な男性が一方的に婚約者に婚約破棄を突きつけ、隣国の皇太子がその女性を見初める……この組立がそもそも根本的に社会通念上最も適切な表現であるとは思えません」
『私』が言うと、ザッ――と会場になにか風のようなものが吹き抜けた気がした。
最初に発言したのはイーサン王子だった。
「根本的に正しくない……というと?」
「ニブいですね、イーサン王子。そもそもこの婚約破棄劇ではまるで女性はモノ扱いではないですか。如何に王子相手とは言え、女性としての、そして一人の人間としての権利や矜持は当然尊重されるべきなのです。女性側の言い分も聞かず、自身の浮気を棚に上げて一方的にポイ、なんて許されるはずがありません」
ふむふむ、うんうん……と、ギャラリーの中にいた令嬢たちが頷いた。
「それに捨てられた女性を見初めるのが隣国の金満家の皇太子だなんて……女性の幸せが配偶者の年収や社会的地位によってのみ定義されると言ってるのと同義です。これは女性に対してもそうですが、むしろ男性に対して侮辱的で配慮を欠いているとも言えますよね?」
そうだな、よく考えたら……と、ギャラリーの中の令息たちが賛同する声が聞こえた。
それを聞いたイーサン王子が困ったように眉尻を下げた。
「いや、だからって……そもそも根本的におかしいならどうすべきなんだ?」
「そうですねぇ……これはちょっと舞台設定を根本から変えましょう」
『私』は短く言い、腕を組んで考えた。
さて、この状況をどう料理し、社会通念上最も適切と思われる表現に持っていくか……大陸一の敏腕婚約破棄コーディネーターとしての腕の見せ所だった。
本来ならばエルシー役を誰か社会的立場が強いとは言えない亜人種にでも演じてもらえれば適切なのだが、それだと頭から意味不明な劇になってしまう。
かなりの長考の後、『私』は言った。
「よし、決めました。そもそも婚約破棄を告げるのはエルシーさんということにしましょう。そして婚約破棄されるのはイーサン王子に変更」
私が言うと、シン、と静まった会場が、数秒後には大きくどよめいた。
「え、え、え? 何言ってるの……?」
イーサン王子が本気で戸惑ったような声を発した。
アレクシアもエルシーも、そしてニコラス皇太子までもが、私の突飛な発言に困惑しているようだった。
『私』は宣言した。
「平民の、しかも女性が、財力も社会的地位も遥かに高い男性に対して一方的に婚約破棄を告げる……うん、これがいいですね」
「ほっ、本気なのか!? そんなことどう考えたっておかしいだろうが! なんで第一王子ともあろう人間が平民の少女に……!」
「イーサン王子の脳ミソは本当に昭和のままですね。いいですか? 古来より自然界の動物や魚、爬虫類、鳥類や虫までもが、求愛してきたオスをメスが選ぶのが当たり前です。しかし人間は自然の掟に反してメール・チョイス……つまりオスがメスを選んでいるのです。これは自然法則的に非常に不自然とは言えませんか?」
「い、いや、だったら人間が二足歩行の時点でだいぶ不自然だと思うのですけれど……」
「アレクシア様まで何を仰るんですか。女性が男性を選ぶということは、社会通念上正しいどころか自然界法則的にもまったき正しいのです。それに、このように台本を修正すれば、この婚約破棄劇を見ていた抑圧されし平民の女性たちを大きく勇気づけることになり、その道の団体も喜ぶでしょう」
「な、なるかなぁ……?」
流石にエルシーが首を傾げた。
こういうときは疑念を挟まれたら終わりだ。
『私』は矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「そしてこうしましょう。エルシーさんの新しい婚約者はアレクシア・バートレット公爵令嬢ということに」
ぎょっ、と、その場にいた全員が目をひん剥いた。
アレクシアとエルシーはお互いに顔を見合わせて口をパクパクと開け閉めている。
「えっ、えええええ……!? 何を仰るんですの!? 私とアレクシア様が婚約!?」
「何を鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしているんですか、エルシーさん。今の時代のトレンドは多様性、いいですか? 多様性なんです。別にいいじゃない、平民の女の子が同じ女の子の公爵令嬢に熱い愛を囁いたって。今日日そんなものは普通です」
「それを私が受ける前提なんですの!? 私たちは女の子同士なんですのよ!?」
「あら、これは何もおかしなところはありませんよ。ただただ愛し合う二人が婚約という契約を結ぶ、それだけです。どの時代もどの世界にも普通のことではないですか」
「あっ、それは確かにちょっとイイかも……フヒッ」
「鼻の下伸ばさないでくださいイーサン王子。一体何を想像してるんですか」
今まで沈黙していたニコラス皇太子が『私』を見て言った。
「となると……婚約破棄されたイーサン王子に新たに求婚するのは私ということになるのかな?」
「おっ、さすがニコラス皇太子は察しがいいですね。その通りです」
「うえええええええええ!? ぼっ、僕も!?」
「何度も言いますが、これはただただ愛し合う二人が婚約という契約を結ぶだけです。今は多様性が尊重されるべき世界なのですから。この性別を超えた真実の愛にはスポンサーもニッコリです」
「きゃあああああああ! イーサン殿下とニコラス皇太子が結婚!? 素敵!」
「見てみたい! それはぜひとも見てみたいですわ! ねぇ殿下、そうしましょう!」
「えっ、アレクシアもエルシーもなんで乗り気なの? でも流石にニコラス皇太子が許さないだろう。大国の跡取りなんだぞ? ねぇニコラス皇太子?」
「いや、私は別にそういうことは気にしないけれども」
「ええ……!?」
「乗り気! 殿下、ニコラス皇太子は乗り気ですよ!」
「是非、是非それでお願いしますわ! これで! これでいきましょう!」
アレクシアとエルシーに押し切られる形で、台本の修正は決定した。
小道具さんを呼び、メイクも直し、カメリハも終わった。
遂に、社会通念上最も適切と思われる表現による婚約破棄劇は始まった。
◆
ホールの上、全衆目が集まる位置に佇立するのは、平民出身の愛らしい少女・エルシー。
そして頭ひとつ分は背の高い美貌の公爵令嬢の肩を抱いて、エルシーはとてもいい声で言った。
「イーサン・ルーガン第一王子! あなたとの婚約は破棄させてもらうわ! そして私の新たな婚約者は、ここにいるアレクシア・バートレット公爵令嬢とします!」
どよどよ……とギャラリーがどよめいた。
まるで蠍の毒刺を喰らったかのように、イーサン王子は絶望の表情でエルシーを見上げた。
「とっ、突然どうして……!?」
「しらばっくれないでください!」
エルシーは大声でその先の言葉を遮った。
「あなた様がアレクシア様に対して発言した人種差別的発言と、男権優位的で不適切な発言の数々、覚えがないとは言わせませんよ!」
おっ、エルシーがアドリブを入れてきた。やはりこの少女の方がイーサン王子より才能がある。
イーサン王子は情けない表情と声で必死の形相で続きを始める。
「じっ、人種差別的発言と男権優位的で不適切な発言だなんて! 僕はした覚えはないぞ!」
「覚えがない!? しらばっくれないでください! ここにいるアレクシア様に【ピ――――――――】だの【ピ――――――――】だのと執拗に! 社会通念上こんな発言が許されると思わないで!」
「そんな……! 僕は【ピ――――――――】だの【ピ――――――――】だのという社会通念上許されない発言など生まれてこの方した覚えはない! 誓ってもいいぞ!」
「エルシー、どうか私を信じて! 私は確かにイーサン王子から【ピ――――――――】とか【ピ――――――――】などと社会通念上許されないことを繰り返し言われたの! しかもジュリーの『カサ◯ランカ・◯ンディ』の一番を繰り返し私の前で歌っていたし……! いつか本当にあんな風にされると思うと怖くて……!」
「おおよしよし、辛かったでしょうアレクシア様。けれど私がついてます、もう大丈夫ですよ……」
『カサ◯ランカ・◯ンディ』とは、なかなかパンチの効いたアドリブと言える。このシーンのBGMはこれで決まりだな……などと胸算用で考えながら、『私』は自体の行く末を見守った。
「イーサン王子、あなたの数々の人種差別的発言と男権優位的な発言、もはや明白です! あなたには明日より9000時間の社会奉仕活動を義務付けることにします!」
イーサン王子の表情から血の気が引いた。
「きっ、9000時間の社会奉仕活動……!? 僕、王子ぞ!?」
「関係ありません! あなたは明日から第一王子としてではなく、イチ社会奉仕活動者として、スラム街で炊き出しを行ったり、フリーマーケットで得た利益をチャリティに寄付する活動をするの! あなたをギロチンに掛けないだけ有り難いと思ってね! 今や死刑制度廃止は国際的な潮流だからよ!」
「エルシー、私、イーサン殿下の顔を見るのが怖い! もし地域のゴミ拾いの最中に火箸で顔を挟まれたりしたらと思うと怖くて……!」
「ふむ、そうね……イーサン王子、あなたには社会奉仕活動と共に、アレクシア様への半径200メートル以内への接近も禁ずるわ! これに違反した場合は更に倍の時間の社会奉仕活動を義務付けるから!」
「そんな……!」
もはや何を言っても無駄だ――イーサン王子はがっくりと項垂れた、そのとき。
「彼が婚約を破棄されたということは、私にもそのチャンスが巡ってきたということですね――?」
そのよく通る低い声は、まるで遠雷のように響き渡った。
ざわっ、と割れたギャラリーの中から現れたのは、漆黒の髪と瞳をした長身の美丈夫である。
「あっ、あなたは……!?」
美丈夫は床にくずおれたままのイーサン王子に、実にスマートな所作でスッと手を差し出した。
エルシーやアレクシア、そしてギャラリーの令嬢たちがギャアと悲鳴を上げた。
「イーサン・ルーガン第一王子。私がエルシー嬢の代わりに、あなたの婚約者として立候補したい……受けてくれますか?」
その発言に、会場の黄色い悲鳴はますます大きくなった。
「に、ニコラス・ヴァレンディア皇太子……! ……うぷ、唾液が……!」
あまりの興奮にエルシーは口の端からよだれをタプタプ流しながらその光景を見ていた。
完全にドン引きしているイーサン王子に構わず、スマートな隣国の皇太子はその肩に手を置き、軟らかに微笑みかける。
『私』はサッとエルシーに目線を送ったが……ああ、ダメだ。アレクシアもエルシーも、もう完全に夢見る乙女になっている。
台本にあるセリフが流れてこないのを悟り、困惑したイーサン王子が『私』をチラチラと見た。
得たり、と『私』は何度か頷いて許可を出した。
「……ばっ、馬鹿な、ニコラス皇太子! 貴方は正気なのか!? 僕は数々の人種差別的発言と男権優位的で不適切な発言を繰り返し、たった今9000時間の社会奉仕活動を義務付けられた大罪人なのだぞ!」
「ええ、それは存じ上げております。今見ましたからね。ただ、その社会奉仕活動とやらはヴァレンディア帝国内でも可能でしょう? だったらそれはぜひとも我が国で行ってほしい」
「ふざけるな! 僕はこの国の第一王子だぞ! そんな社会通念上不適切な王子に、あろうことかヴァレンディアの皇太子が求婚するなど……!」
「社会通念上不適切な王子、とは誰のことですかな? これ以上、私の婚約者になるかもしれない方を悪し様に言われるのは我慢ならないのですが……」
「僕、男ぞ!? あなたは本当にそれでいいの!?」
「真実の愛の前にはそんなモノは関係ありませんよ」
その紳士然とした微笑みに、イーサン王子が吐きそうな顔をした。
超然とした美貌の皇太子は、いまだに床にくずおれたままのイーサン王子の手を取った。
「さぁ、返事をお聞かせください、イーサン王子。真実の愛の前には性別など関係ない。私はあなたに真実の愛を誓いましょう……」
そしてニコラス皇太子はイーサン王子の前に跪き、その手にそっと口づけた。
その瞬間、会場にいた女性という女性が絶叫し、バリバリと会場が揺れた。赤面する令嬢、手で顔を覆う令嬢、泣き出す令嬢……イヤーッ素敵! 誰か写真撮って! などと令嬢たちは大騒ぎになり、会場は大混乱に陥った。
これは果たして演技なのか、それとも本気でそっちもイケるクチなのか、判然としない皇太子の怪演はまだ続いた。
「さぁイーサン王子、そうと決まればもうこんな場所には用はない。今の求婚の返答はヴァレンディア行きの馬車の中で聞くこととしましょう」
そう言って、ニコラス皇太子はサッとイーサン王子を抱え上げて横抱きに、いわゆるお姫様抱っこで持ち上げた。
その瞬間、イーサン王子がなんだか赤面し、戸惑ったような恥じるような、複雑な表情でニコラス皇太子に耳打ちした。
「あ、あの、ニコラス皇太子、このお姫様抱っこは台本には……」
「構うものですか。私がそうしたいからそうするのです。……ではエルシー嬢、アレクシア公爵令嬢、その後はよしなに」
キラッ、と、眩しく光る白い歯を覗かせて微笑した皇太子は、そのまま颯爽とした足取りで会場を出ていった。
ハァン、という令嬢たちの桃色吐息が会場を埋め尽くし、後には蕩けた表情を浮かべる令嬢たちと、今の何? と困惑する視線を錯綜させる令息たちだけが残された。
「……カット! ブラボーッ! 完璧です!」
『私』は大きく拍手をしながら会場に分け入った。
「皆様、お疲れさまでした!」
『私』が言うと、まだイーサン王子をお姫様抱っこしたままのニコラス皇太子が会場に戻ってきた。
「エルシーさん、そしてアレクシア様、イーサン王子! そして何よりもニコラス皇太子! とてもよい演技でした!」
『私』は大袈裟なほどに大きな声で出演者を褒めちぎった。
「素晴らしい! 皆様の熱心な演技と、ところどころのマジにより、これぞ社会通念上最も適切と思われる婚約破棄劇になりました! これでスポンサーも大満足でしょう!」
『私』はなんだかぽかんとした表情の出演者たちを次々と見た。
四人の出演者たちは、なんだか困惑したような視線でお互いを見つめ合っている。
婚約破棄劇は終わった。
さぁ、どうする。
ここまで滅茶苦茶にしてやったんだぞ。
後はあなた方がどうするかだ――。
『私』が無言でいると、まだお姫様抱っこされたままのイーサン王子がポツリと言った。
「……やっぱりやめた」
ほう、やはりそうくるか。
『私』がわざととぼけたような表情を浮かべると、他三人の出演者たちがうんうんと頷いた。
「確かに、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまいましたわね――」
そう言ったのはアレクシアだ。
アレクシアはエルシーの顔を見つめて、なんだか遠い国の話をするように言った。
「婚約破棄が流行っているのはわかるんですけれど……今こうして社会通念上最も適切な表現でやってみると、なんか違う気がしましたわ。こんなこと、社会通念上適切であるどころか、うん……なんだか、そもそも道義的におかしいことでは……」
アレクシアの声に、エルシーも頷いた。
「そうですね。如何に流行といえど、これは単なる茶番劇です」
「そうだな。これはどこまで脚色してみても、結局はエルシーと僕の浮気を誤魔化すための茶番劇でしかない――」
イーサン王子が己の軽率さを反省するように言った。
「僕はエルシーに出会って真実の愛を知ったと思っていた――けれど、やっぱりそれは社会通念上、どう頑張っても適切な行為にはならないんだな……」
そこで少し下を向いたイーサン王子は、何故なのかちょっとキリッとした顔で言った。
「――よし、僕はアレクシアとの婚約破棄を破棄する」
途中からわかってはいたけど――結局そうなるか。
『私』はため息をついた。
「本当に、それでいいんですね?」
確認するように言うと、イーサン王子以下、全員が頷いた。
「アレクシア、やっぱり僕の婚約者は君だけだと、今の社会通念上最も適切と思われる婚約破棄を演じてみてわかった。僕の裏切りは、社会通念上最も適切と思われる表現で演じてみてもやはり適切にはならないんだ」
イーサン王子はしみじみと言い、そして少し言葉に困った後、しかし、決然と言った。
「僕は反省したよ。この通りだ。……改めて、僕と婚約してくれるかい?」
「いや、それはないわ」
アレクシアが言下に否定し、イーサン王子がぎょっと目を剥いた。
「えっ、ええ……!?」
「いやいや、普通にムリですわ何言ってるの。私というものがありながら平民の女の子と浮気して、挙げ句コーディネーターつきでこんな茶番劇をやって正当化してみようとするなんて……社会通念上許されない行為をしでかした王子と再婚約なんてムリムリムリムリかたつむりですわ」
「そっ、そんな! じゃあエルシー……!」
「いや、なんだか今の劇で私も目が覚めました。女性が男性に選んでもらうことは社会通念上どころか自然界法則的に適切ではないんですものね――やっぱりイーサン王子との婚約はお断りしようと思います。フィーメール・チョイスが適切なはずですから」
「えっ、エルシーまで何を言うんだよ! こんなことして骨折り損じゃないか! ふたりとも機嫌直してよ……!」
「おお、二人から婚約を破棄されたということは、私がイーサン王子の婚約者として立候補するのはやはり問題ないのですね!」
「「どうぞどうぞ」」
エルシーとアレクシアの言葉に、イーサン王子の顔がサーッと青ざめた。
「えっ、ニコラス皇太子――?」
「心配はありません。我が帝国では美しいものには男女の差などないというのが一般的な社会通念ですから……多様性の尊重、でしょう?」
ゾクゾクと来るニコラス皇太子の声も、イーサン王子には聞こえているのか聞こえていないのか。
いや待って……と暴れ出したイーサン王子をがっちりホールドしたまま、ニコラス皇太子は大股で会場を出ていこうとする。
「いやムリ……! ちょ、本気なの!? 嘘でしょ!? お世継ぎとかどうするの!?」
「可愛い養子を二人で育てましょう。それに貴国と我が帝国に姻戚関係が結ばれれば、国はますます精強無比となる。さぁ、さっそく帝国行きの馬車を用意させましょう! 帰国した後、盛大な婚姻の儀の段取りを決めて……!」
「キャーッ! イーサン王子とニコラス皇太子が婚約だなんて!」
「イヤーッ素敵! 殿下、結婚式には是非呼んでくださいませ!」
「いっ、いやああああ! 僕にはソッチの趣味はない! 助けて! ねぇ! 助けてよアンタ! アンタには少なくない額払ってるだろう!?」
ジタバタと涙目で暴れながら連行されていく王子は、『私』に向かって必死の形相で手を伸ばした。
『私』は、呆れた声と表情でそれを見送った。
「残念ながら、婚約破棄コーディネーターの仕事は終わりました」
こうして、大陸一の敏腕婚約破棄コーディネーターの『私』により、社会通念上最も適切と思われる表現による婚約破棄劇は幕を閉じた。
数年後、遂に観念したイーサン王子とニコラス皇太子の盛大な結婚式の報せが大陸上を駆け巡ることになるのだけれど――。
それはまだ、先のことだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
個人的には約数ヶ月ぶりの悪役令嬢短編となります。
『社会通念上最も適切と思われる表現』にみんなてんてこ舞いしてる今日このごろの風潮は面白いと思います。
面白かった、と思っていただけましたら、どうぞ下の評価から『★★★★★』とかで評価よろしくお願い致します。
【VS】
もしお時間ありましたら、これら作品を強力によろしくお願いいたします↓
どうかお願いです。こちらも読んでやってください。
『【書籍化決定】がんばれ農協聖女 ~聖女としての地位を妹に譲れと言われた農強公爵令嬢と、聖女としての地位を譲られて王太子と婚約した双子の妹の話~』
https://ncode.syosetu.com/n6253gv/
『悪役令嬢・オブ・ザ・デッド』
https://ncode.syosetu.com/n5373gr/