第85話 墓守の家
「だんな~、そろそろ起きなって、部屋の掃除してないんだろ」
「ん? う~ん……すぴ~」
間抜けな寝息が薄暗い部屋の奥から聞こえてくる。
街の人々が仕事を終える頃、子供達が家に向かう頃。アンデッド達と墓守の時間が始まるまでの夕暮れという僅かな隙間の時間。
「あー、もう! 起こすよ!」
スペックが布団を掴んで、勢いよく引っぺがす。
「ん~、もうちょっと、だけ……す~」
「ちょっと! 起きなってば、嬢ちゃん来ちゃうよ!」
リッカは身を丸めるようにして、枕に顔をうずめる。
その時、玄関のドアを上品にノックする音が聞こえる。
「カルアです。聞きたい事がありまして、早く来ました。入りますわよっ」
「ほら、来ちゃったじゃんか! 嬢ちゃんちょっと待って!!」
スペックが止めるように声をかけるが、蝶番がきしんで動く音が聞こえてくる。
「え? キャー!! なんですのここ! 汚い!!」
「あっちゃ~、そこで待っててよ! 入ってきちゃだめだって!」
スペックが止める間もなく入ってきたカルアは叫び声をあげる。
それも、そのはず、恨みの集合体との戦いでメチャメチャにされた家の中の片づけを後回しにしていた。
さらに、その後の食事の後片付けもそのままにしていたので、貴族の掃除の行き届いた部屋しかしらないカルアにとってはゴミ捨て場も同然に感じられた。
「リッカさん! 掃除くらいしてください! 汚いですわ!!」
「嬢ちゃん! そこで止まって!」
「ん~、ふぁぁ~……カルアさん!」
「キャー!」
床に乱雑に落ちているゴミと思われる物をよけながら、カルアが寝室の入口にまで来ると、パンツ1枚で寝ぐせでボサボサの髪をしているリッカの姿が目に飛び込んでくる。
箱入り娘とまではいかないものの、貴族のお嬢様のカルアからしたら、卑猥すぎる光景だと言える。
「その、あ、カルアさん、ゴメンなさい!」
「だから、嬢ちゃん待ってって言ったじゃんか」
「なんて恰好ですの! お、お、乙女の前ですわよ!!」
手近にあった瓶を手に取ると、思いっきり振りかぶってリッカに向かって投げつける。
昨日までリッカの好きな割り酒が入っていた空き瓶が宙を舞う。
「え?」
服に頭を通した瞬間、リッカの視界は空き瓶で塞がれていた。
「嬢ちゃんお見事」
ゴンと重く鈍い音が部屋に響く。
その直後に、リッカがゆっくりと倒れ、ベッドの毛布の中へと沈んでいく。
「キャー! リッカさん!!」
「投げるの上手くなったな、一発で仕留めた」
「スペックさん! そんなこと言ってる場合ですか!? は、はやく何とかして下さいませ!」
「……やったの嬢ちゃんだよね?」
「は、は、裸の殿方の近くになんて行けません!」
ノックアウトされたリッカをスペックが起こし、カルアは椅子と机だけを使えるよう片付ける。
鼻に紙を詰め込んで、寝ぐせがいくらか落ち着いたリッカが灰色の上下と黒いローブのいつもの姿で起きてくる。
机についた2人の間にスペックが腕組みをして立つ。
「だんな、のんびりしすぎだぜ、嬢ちゃんも待てって言われたら待ってくれよ」
顔と思われる部分の魔素をゆらゆらとさせているので、墓守の2人からみたら顔の部分が燃えているかのようにも見えただろう。
「カルアさん、すみません、大変お見苦しい所をお見せしました」
「いえ、こちらこそ、勝手に入ってきて申し訳ないです」
「ま、だんなの寝坊が全部悪いんだけどな」
リッカが抗議の視線をスペックに向けるが、スペックは気にせずカルアに話をふる。
「で、嬢ちゃん、なんで早く来たの?」
「あ! そうでしたわ、これなんですが」
カルアは1枚の封筒を差し出す。
紙が貴重なこの国で封書を出すというのはそれだけで重要な事になる。封筒となると中に入る手紙にも紙を使うため、軽々しく使う事ができないからだ。
しかも、封には周りに装飾が施された教会の紋章が使われている。これが使われるのは中央教会から直接送られてきているという事になる。
「中央教会から? あ、墓守の正式な任命書かな? 見てもいいですか?」
「ええ、見てもらいたくて持って来ましたから」
スペックをにらむ視線を手紙へ向けて、文章に目を通す。
その後ろから、スぺックが顔をのぞかせる。
「ん~、なんか分かりにくいな」
「教会の手紙ってそんなもんだよ……え? これって!?」
回りくどい表現で書かれた手紙は慣れていないと読み解く事が難しい、リッカも教会所属である以上、こうした文章には慣れている。
カルアに届いた手紙はカルアを正式な墓守として任命するという内容が主であった。
教会の所属となるため、カルアの貴族としての身分は解消され、正式に教会に迎え入れられたという証明書も兼ねているが、ここまではリッカも驚かずに流し読みしていた。
「いくつか分からない用語があって、どういうことなんでしょうか」
リッカが驚いた所はその後だ『遠征参加』という単語が目に入る。
遠征とは、市街地を離れ国内のあちこちにいるアンデッドやアンデッド化した魔物の討伐をする仕事のことだ。
数カ月かけて国内を回り、通常の冒険者や騎士団・兵士団では対応しきれないアンデットを片付ける。
ようはアンデッド限定の討伐隊だが、墓守がこれに参加するのはもう1つ意味がある。
「その『遠征参加についての要望』『単身活動への許可申請』ってなんですの?」
「墓守にとっての遠征は街の外にいるアンデッドの対処です。これに参加して来ると言う事は単身活動、つまり独立の条件でもあるんです」
「独立ですか?」
「今、カルアさんは僕と一緒じゃないと夜の墓地に入ったりできませんが、これをこなせば、単身でも入っていく事が許可されるんですよ」
カルアが腕を組んで、首をかしげる。
本来、独り立ちができるという事は喜ばしい事のはずだが、カルアの表情は冴えない。
「私、墓守になったばっかりですわよ?」
「そうです。まだ、埋葬の立ち合いとかもやってませんから、独り立ちはまだ先のはずです」
「まー、確かに独り立ちって早すぎるわな」
墓守が1人前と認められるまでには法術の腕だけではなく、埋葬や供養の立ち合いなど儀礼的な側面の所作も身に着けていなければならない。
もちろん他にも装備や備品の管理方法や、教会との連絡の取り方、相棒を決める事など様々な事が必要になる。
「この『遠征参加の要望』が来るのは参加がほぼ決定なんです。教会のトップの頼みを断るなんてできませんし、独立の最後の手順となってるのが通例ですから」
「じゃあ、私は遠征に参加して独立になると?」
リッカは頷き、書面を見る限りそうなると伝える。もちろん、墓守としての仕事を覚えてもらってからの事になると付け加えてカルアに説明を続ける。
そこにスペックが口をはさんでくる。
「なーんか、変な感じだな、企みでもあるんじゃない?」
「カルアさんはコルフィ家の出身ですから、その辺かなぁ? あ、カルアさん遠征は僕も参加することになります、だから心配はそれほどありません」
「え、と、あの、リッカさんと私の2人で行くんですか? その、えっと、男女で何カ月も? それはそれで心配というか、なんと言うか」
カルアが急にモジモジしはじめる。男性と女性の2人で長期間一緒ということは何かあってもおかしくない。例え何もなかったとしても、それだけの期間一緒に過ごしていたとなれば、周りからは結婚を約束しているのだと思われる。
「え? カルアさん、そんなわけないですよ、当然一緒に騎士団か教会から護衛が付いてくれますよ」
「だんな、分かってないなぁ」
苦い物でもかじってしまったかのような表情を見せるカルア、さっきまでのモジモジした態度はすっかり消え去っている。
「分かりました! 父には伝えておきますから、また用意する物教えて下さいませ!」
「あ、はい」
「さ、仕事行きますわよ!」
がたんと椅子を勢いよく鳴らして立ち上がり、カツカツと足音を立てながら外に出ていく。
「ねぇ、スペック? カルアさん、どうしたの?」
「たぶん、だんなには分かんねぇよ」
リッカもカルアも、この遠征がとても大きな事件の引き金になるとは微塵も思わず、赤く染まる街を抜けて夜の墓場へと向かって行った。
復帰しました。
多少更新は不安定になるかと思いますが、今後ともよろしくお願いします。
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