第9話 ある日の夕方
ある日の夕方、とある幽霊は外にいた。子供達の集まる広場を眺めていた。
数多のアンデッド、人を憎むか人を想うか、この幽霊はどちらなのか。
太陽が傾き、世界が赤に染まる時間。これから恐ろしい夜が始まるが、子供達は遊びに夢中で忍び寄る恐怖に気が付いていない。みんな笑顔を浮かべているが、太陽が姿を隠したその瞬間には笑顔は失われ、徐々に夜という不安と恐怖に彩られた泣き顔が出来上がるだろう。
「うわぁ!」
「どうしたの?」
「なんか、ゾクッとした」
1人の子供が声をあげ、その様子を見ていた他の子どもが心配して声をかけている。
「ひゃあ! 俺もゾクッとした!」
「もう夕方だからかな?」
「あっほんとだ、俺帰らないと」
「じゃあ、私も帰る、ばいばーい!」
何人かの子供が急に寒気を感じたのか、声を上げたことで遊びが中断される。いつのまにか夕方になっていることに気が付いた子供達は一人、また一人と家に帰っていく。太陽が姿を隠す前に、平和な家にたどり着けるなら子供達の笑顔は保たれる。
「よし、みんな帰ったな」
子供達が去った広場には、人には見えない白や黒などの色が混ざった靄が居る。それは揺らぎながらも人のような形を取って子供らが去っていった方向へゆっくりと歩いて行った。
この人の形の靄はアンデッドだ、人間が生を終えたとしても再び立ち上がり、人だったはずが人でなくなった存在。人には見えぬ姿をして、人には見えぬ声を出す存在。
「さっきのなんだろうね、ゾクッ! ってやつ」
「うん、びっくりしたよね」
人には見えぬ、人の姿をするアンデッド、肉体を持たないその幽霊。子供らの後をつけていた、子供達は孤児院と書かれている看板の建物に入っていく。子供らが扉を開けて中に入ると、安心したのか来た道をふらりふらりと戻っていく。
「あー、遅くなっちゃったぁ! はぁはぁ」
孤児院に入っていった子供らよりも頭一つ大きな子供が買い物袋を振り回しながら走ってくる。幽霊に気が付く事もなく、孤児院の扉に向かって駆けていく。
「走ると危ないぞー」
幽霊は声をかけるがその声は聞こえない、死者の声はそれを聴ける人にしか届かない。その姿は見える人にしか分からない。いるけどいない哀れな存在、時には自我も失っていることすらもあるが、この幽霊は意思も思考もはっきりとしている。
死んだ姿で起き上がる、死んだ体を奪い取る、生者に害を与えよう、死者の仲間に引き込もう、そんな恐ろしいアンデッドもいるが、この幽霊はそうではない。子供らを心配する父のように、手を引こうとする兄のように、子供らにその優しい心を向けているだけだ。
「はぁはぁ、あっ!!」
孤児院の扉までは後数歩、小さい小石を踏みつけた。子供は一瞬空を舞い、持っていた買い物袋も空を舞う。コロリコロリとリンゴが孤児院の前の道を転がっていく。転んだ子供の周りへと赤いリンゴが広がっていく。
「あっ! あー! 待ってよぉ!」
「あーあ、しょうがねぇなぁ」
子供は焦って坂道を下っていくリンゴを追いかける。その表情は悲しいのか、焦っているのか、必死になっている。今日の孤児院のみんなの楽しみ、美味しい笑顔をもたらすリンゴだから、落としてしまう訳にはいかない。友を想う、その気持ちがより一層の焦りを強めさせる。
その時に不思議な事が起こった。坂道を転がるリンゴが、一つ、また一つと転がる事をやめている。いや、それどころか坂道をあがってきているではないか。
「だんなから、習っといてよかったぜ、もう落とすんじゃねえよ」
あっけにとられて、焦りの表情から目をまん丸にしてポカンと口を開けている。そんな子供の買い物袋にリンゴがどんどんと帰ってくる。
「え、あれ?」
「はいはい、後もサービスだな」
子供の周辺に転がっていたリンゴもどんどんと戻ってきて、買い物袋に戻っていく。最後の一つが買い物袋に飛び込むように戻ったあとも、子供は買い物袋から目が離せない。坂道を転がっていったリンゴが、坂道を上って帰ってきた。買い物袋から出ていったリンゴが自分から買い物袋に入ってきた。
数秒間、買い物袋を見ている彼にとってはもっと長く感じたのかもしれない、ハッと我に返ったのか、買い物袋を掴んで孤児院へ入っていく。
「シスター! ねぇ! リンゴが帰ってきたんだよ!」
「おかえりー、え? リンゴ?」
「転んで、落としたのに、自分で買い物袋にコロコロって!」
「え? 何? あっ! ケガしてるじゃない!」
「怪我より、リンゴ!」
不思議な事が起こったと何とか伝えようとする子供と、不思議な事よりもヒザをすりむいてしまった子供の心配をするシスターが大きな声で話している。孤児院の扉の前でも十分に聞こえてくるくらい。
「あー、リンゴ傷だらけだ」
「それより、怪我心配してあげなさい!」
「おねぇちゃんに治してもらおうよ」
「だから、怪我なんかより、リンゴが坂道あがったんだってば!」
「夕飯まだー?」
子供達が集まってきたのかどんどんにぎやかになっていく、悲しい過去を持つ子が多い孤児院でも明るい声が聞こえてくる。外に立っている幽霊にとってにこの声は安らぎを感じる物だが、子供にあんなに言われるとは思わなかった。
リンゴが自分から帰ってくるというおとぎ話のような光景を目の当たりにすれば、こうなる事は想像するに難しくない。
「あー、ちょっとやりすぎたかな?」
そう、人には聞こえぬ声で呟いて、ふらりふらりと幽霊はその場から立ち去って行った。
◇
太陽がその姿を隠し、世界が夕焼けから夜に変わる間の時間帯、ベッドでもぞもぞと動いている男が1人。彼は人が起きている時間に眠り、人が眠っている時間に人であったアンデッドと関わる墓守だ。そろそろ仕事の時間だが、人が朝の布団から出たくないように、彼もまた夜の布団から出たくない。
「あ、あと少しだけ、、、すー」
ふらりふらりとしていた幽霊が部屋に入ってくる。ドアの隙間を通ったか、はたまた窓から入ったか、ともかく幽霊は墓守のそばに立つ。
ベッドの下に落ちていた空き瓶が、ふわふわと浮き上がる。ベッドで再び寝息を立てている墓守の上にふわふわと向かっていく。リンゴが飛び込んだのは買い物袋だが、この空き瓶が飛び込むのはどこだろう。
部屋にゴンと鈍い音が響きわたる。
「んがっ! 痛ったー!!」
声の主は飛び起き辺りを見回す。人の形のような靄の幽霊をは見つけ、自分のベッドにお邪魔してきた空き瓶を見て何をされたか理解する。
「スペックやったな! いたずらするなら教えないよ!」
「いや悪かったって、だんな、そろそろ仕事の時間だからさ」
墓守は立ち上がって体を大きく伸ばすと窓を開けている。朝目覚めた人々がするような行動だが今は夜、墓守にとっては太陽が沈んだ時こそが、アンデッドと共に目覚める朝なのだ。
「よし、準備できた」
「はやいな!」
「スペック、さっきの外ではやってないよね?」
「あ、あー、うん、後からは言われないから」
「回答がおかしいんだけど」
数日後、墓守へ『さかみちをあがってくるふしぎなリンゴがいました、こじいんのまえです。しらべてください。』と書かれた札が届けられた。
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