第80話 ささやかな安らぎ
今日も日が昇る、街の人々は今日が始まる。墓守は今日が終わる。
墓地の見回りも終わり、明け方の街を歩く。
カルアも疲れた顔で家に帰っていき、誰もいない道を歩くのはリッカただ一人。
「すっごい疲れた帰ったら、お酒飲んで寝よう」
「余裕あるじゃんか」
ポツリと呟いた言葉に、誰にも届かない言葉が帰ってくる。法術の使い手たる墓守はこうした誰にも届かない声を拾い、誰にも見えない姿を感じ取る事ができる。
「嬢ちゃんの特訓に付き合った上、墓地の見回りまで休まないなんて、墓守の鏡だねぇ」
「そういう仕事だからね」
「で、禁欲期間に酒飲んでいいの?」
「とっくに終わってるよ、スペック探し回っているうちにね」
誰もいない所で独り言をつぶやいているようにしか見えないリッカの話相手は、スペックという相棒。誰にも見えず、声は届かない哀れなアンデッドである。
街の人々からは誰もいない場所へ視線と言葉を投げかける不気味な存在に見えていることだろう。
そのため墓守は街の人々からは避けられている、アンデッドに触れ、人に聞こえぬ声を聞き、人には見えぬ物を見る。人が目覚める頃に眠り、人が家路に着く頃には墓場や街の暗がりへとその身投じる。悪しきアンデッド奪われるかもしれず、時には悪魔とも触れる、街の人々から忌み嫌われる側面も分からなくはない。
「で、スペックの見立てはどうなの?」
「だんなはダメだ、もう少し鍛えた方がいいし、剣を抜くとへっぴり腰になる癖は直したほうがいいな」
「喧嘩売ってる?」
「あ~、嬢ちゃんの事か、よく鍛えてるけど怖がりだな。多分組手とかやっても皆手加減してたんだろ、貴族の娘なんかに本気の技は出せないさ。経験不足だけど、だんなより明らか強くなるな」
肩を落としながら自分の家へ続く小道を進む。
「あれ? だんな、どうした?」
「凹んでんだよ」
家について、ドアを開けると朝日が部屋の中に差し込む。
街の人々にとっては新しい朝の訪れで、目擦りながらを起き上がってくるのだが、墓守にとっては眠りに誘う優しい木漏れ日と同じだ。
リッカは固くなったパンを齧りながら、ローブと灰色の上下を脱いで椅子に投げかけて行く。
口をもっちゃもっちゃと動かしながら、水を汲み、布を浸すと体を拭いていく。
「ほら、もう、この筋肉の薄さ、お腹なんか赤ちゃんみた、んむゥ!」
「法術の腕上がったから、スペックの口も押えられるからね!」
スペックはリッカにだけ見える腕のような部分を自分の頭の辺りに何度も持って行って、リッカの法術から逃れようとバタバタとさせている。
「んんぅ! むん! ぷはぁ! 死ぬかと思った!」
「スペック死んでるんだから、死なないでしょ」
リッカは台所の鍋に水を入れると、火の魔術媒体を使い、かまどに火を入れる。
包丁も出すのが面倒なのか、適当に野菜を取り出すと手でちぎりながら鍋に放り込み、仕上げとばかりに塩漬けの干し肉と、乾かしたマカロニのような煮て食べる乾物も放り込む。
「法術だけなら、だんなすごいよな」
「だけ、は余計だよ」
「で、酒飲むんだろ? お気に入りの穀物割り酒でいいか?」
「ありがと、でもやめとく」
コトコトと音を立ててきた鍋の前で、リッカはコップに水を満たしてちびちびと飲んでいる。
普段なら、何種類か置いてあるお酒の中から気分に合わせて呑みながら食事を作る。禁欲期間でお酒も厳禁になってこともあり、とても楽しみにしていたはずなのに、酒瓶に手が伸びていない。
「え?!? だんな飲まないの!? さっきまで飲むって言ってたのに?」
「うん、なんかね、嫌な予感がしたんだ」
スペックは大きく頷くようにしてから、棚の酒瓶に伸びていた手を引っ込める。
「だんなの嫌な予感だけはよく当たるからな、用心は大事だよな」
「だけ、は余計だっての!」
鍋が激しく音を立てるようになると、部屋には暖かなスープの良い香りが漂ってきていた。
外は朝の時間を迎え、仕事に向かう人達が慌ただしく動いている所だろう、墓守にとってこの時間は1日の疲れを癒す、ささやかな休息の時間になっていた。
久しぶりに追加更新できました。
今後も頑張ります~