第77話 スペックの思い
カルアに墓守を辞めるようにと詰め寄るスペック。
普段の様子とは明らかに違い、軽い気持ちで言っている訳ではない事は嫌でも伝わってくる。
カルアの寝室には冷たい空気が流れる。
「スペック! 何を言い出すの!? ふざけるにしても言い過ぎだよ!」
「だんな、俺は大まじめだよ」
「今回はスペックも僕も失敗があったんだ! カルアさんにそこまでの責任はないよ!」
「誰だって失敗はあるけどさ、今回のはダメだ! 嬢ちゃんのためでもあるんだ!」
そんな時に部屋の扉がノックされて、ふくよかで髪の毛が薄くなっている男性が入ってくる。カルアの父であるブラグ・コルフィに他ならない。
「お邪魔するよ、カルア」
「お父様……」
「部屋の外までこれが聞こえてきました、リッカさん娘をかばって下さってありがとうございます。ですが、声を荒げたり、娘と2人というのはいただけませんな」
スペックの声が届くのはリッカとカルアの2人だけ、ブラグにはスペックの姿も見る事ができない。
笑顔のブラグはリッカの肩を掴むと問答無用とばかりに部屋から押し出そうとしてくる。
「え、あ、それはすみません。配慮が足りませんでした」
「いえいえ、むしろ2人になるのは、どうぞどうぞですよ」
「え?」
「ゴホン! 今回の件は私も知りたい事がありまして、ちょっとご協力をお願いしたい事があるんですよ。カルア、リッカさんを借りて行くよ。リッカさんすみませんがこちらへ」
「え? ちょ? え?」
ズルズルと連れて行かれるリッカをカルアとスペックが見送る。
「嬢ちゃん? だんなどうなるの?」
「多分、父の方でも何か掴んだのかもしれません、リッカさんに聞きたい事があるのだと思います」
バタンと閉じられたドアの向こうからリッカとブラグの話声が聞こえているが足音と共に遠ざかっていく。
「それで、スペックさん、辞めろとはどういうことですか?」
「まず、今回の件の一番悪いのは俺だ、それで次に悪いのはだんなだ、だから嬢ちゃんは怪我したし、俺らはずっとお説教されて、給金なしのペナルティがついたわけだ」
スペックが語る内容は自分達の失敗を語る内容になっており、カルアに墓守を降ろす理由にはなっていない。
「これまでは墓地に出るアンデッドや街の暗がりの魔素の淀みでも見回ってればよかったんだ」
「はい、墓守の仕事はそういう物がほとんどだと言われています」
「でもな、最近は悪魔絡みのネタも増えてきたもんで、だんなは手を焼いてるってわけだ今回のバランもそうだしな」
「それで、なんで私が墓守を辞めることとつながるんですか?」
スペックは背筋を伸ばして座っていた状態から、カルアの所を覗き込むような姿勢になる。
「嬢ちゃん、バランの魔術さもろ喰らっただろ? 怖くて体が動かなかったんだろ?」
「っ!!」
カルアの表情が一気に硬くなる。
墓守をやっている以上、敵意や殺意を持ったアンデッドに遭遇することは珍しくない。だが、その黒い感情は垂れ流されているに過ぎない。
盗賊が相手でもの荷を奪って生活の糧にするという目的がある。恨みはないが命を奪われるという理不尽さもあるが、目的は目的となる上に相手も人としての文化を持っている分、黒い感情は緩和される。
だが、悪魔たちは違う、人間でありながら人間でなく、人に害を与える時に持つ黒い感情は淀み黒く、暗黒に染まっている。
「ぶっちゃけな、怖かっただろ?」
「……はぃ」
殺意を向けられる。そんな生ぬるい感覚ではない、脆弱な生き物が強い生き物に食われるその瞬間と同時に漆黒に染まった黒い感情も向けられる。
絶望の先にもっと深い絶望がある事に気が付かされたかのような、より大きな恐怖の前に投げ出されたのだから、貴族として生きて来たカルアにとって、悪魔の恐怖は魂に刻まれている。
「……恐ろしかったです。魔術が来ると分かっても体が動かなかったんです」
「だろうな、人間だったのに悪魔になっちまうくらい恨みをため込んでるんだからな、それにな……」
「それに?」
硬い表情のまま顔をあげて、スペックへ視線を向ける。
「嬢ちゃんが、バランの魔術を避けられれば、だんながこんなに怒られる事なかったんだ」
「でも!?」
「昨日は丸一日だんなが説教された上に徹夜で墓地の見回りさ、貴族出身の人のとこお説教も出来ないから、後始末は全部だんなだ」
「それは、リッカさんにはご迷惑を……」
教会に所属すると貴族の身分などは関係が無くなると言われている。実際は身分の影響は大きく、特にコルフィ家のような上級貴族ともなればある程度の配慮はされて当然になる。
そもそも、リッカと一緒に墓守の活動をしているということが例外中の例外になる。学院の調査の許可があっさりと出たのも、そこまでの危険が無いという判断があってのことだったが、教授が悪魔化したという事が表に出てきたので、教会も学院も大混乱に陥っている。
「正直な、貴族のお嬢さんが墓守なんて危なくて泥臭い事しないで、受付とか案内とかじゃだめなの?」
「墓守でなければダメなんです!!」
「また悪魔に会ったら今度は死んじまうかもしれないんだぜ? なんでこだわるんだ?」
「私、小さい頃からアンデッドが見えていて、それが嫌で嫌で、周りからも不気味がられてばかりでした。それが認められて受け入れられたのは初めてなんです」
自分の本心を語る事が少なかったカルア、以前なら本心を語る前にスペックを殴り飛ばして消し去ろうとしていただろう。
教会関係者しかお見舞いに来ていないと言う事も、元々の跳ねっ返りで周辺にきつく当たるカルアに友人と呼べる人物が居ない事、悪魔憑きの噂があるため距離を置かれている事が分かる。
カルアの父の立場やコルフィ家に近づこうとする人物もいるはずだが、国の中の土地を管理するという家である以上、王の立場に近く、公平さを担保するために特定の貴族との親密にならないように配慮している家の方針などもカルアの交流範囲を狭めている要因になっていた。
「だから、この場所を失いたくありません」
硬かった表情、涙が浮かびそうになっていた目をキュッと閉じる。
再び見開いた時には覚悟の決まった目に変わっていた。
「はぁ~、ほんとに強情」
「私、強くなりますわ、貴族だからという立場に甘えません」
「だんな見てたら分かるだろうけど、排水の中に飛び込んだり、泥まみれになったり、できるのかよ」
「う、や、やりますわ、もちろんです!」
凍り付くような冷たい空気はすでにない。
リッカはこうなる可能性もあると分かった上でカルアを墓守として迎え入れているのだ。アンデッドにも関わらず相棒として共に仕事をするような懐の広さを持っているのだから。
墓守の仕事はまだまだ続く。