第74話 リッカの長い一日 ~日没~
カルド神父とゼロストの説教が終わった後、クーラの説教が始まる。
後日にスペックは語る。一番怖かったのはクーラのねえちゃんだったと。
人食鬼か悪魔か何かと見間違えるほどの恐ろしい表情をしたクーラが目の前に立っている。
口元だけを見れば微笑んでいるかのようだが、メガネの奥には明らかに怒りの感情を宿した2つの瞳が見える。
額か頭に角が生えているかのようにも見えるが、それはリッカの幻覚に違いない。
「リッカさん?」
あくまでもいつも通りを意識しているのだろうが、その声に紛れもない怒りの感情が織り込まれている。
「は、はい」
「それに、スペックさん?」
「え? 俺も? あー、そうだよなぁ」
思わず腰が引けて、頭が下がってしまう。
スペックの方をみると、ふわふわとした魔素の体の密度を上げて、いつもよりも小さくなっている。その姿に思わずリッカの頬が緩む。
「へー、笑っている余裕があるんですね」
「いや、あのそういう訳ではないですが……」
「カルアさんの魔素の状態が私でも見た事ないくらいになっているんです。理由、知ってますよね」
「はい、心当たりはあります」
ある意味ゼロストよりも恐ろしい、リッカの前に座り手を組んで怒りの視線と、口元の微笑をリッカに向ける。
スペックがそっと部屋を抜け出そうとしているが、リッカは魔素を操作してスペックを隣の席に張り付けにする。
「だ、だんな! 離せ! ここにいたら危ない気がする!」
「逃げたら、もっと危険だから諦めなって」
「ええ、スペックさんを逃がさない事はポイントアップですよ。さ、遠慮なく話して下さいね」
「実はですね」
リッカはカルアが悪魔化したバランの魔術の直撃を受けて意識を飛ばした事、そしてスペックがカルアの体に入り応援を呼ぶと同時に安全な場所まで避難させた事を伝えた。話し始めると同時にカルアの表情が真面目な物に変わりリッカの一言一言に耳を傾けている。
カルアの治療に必要な情報を僅かな物でも逃さず聞き取ろうとする、治療の担い手としての責任感が滲みでている。
「経過としては以上ですね」
「たしかに魔術を受けたと思われる場所の魔素の乱れはすごかったです。あと全身の魔素の流れと体の筋肉とかの痛みはスペックさんが入って動き回った物ですね……」
リッカの説明を聞いていたカルアはまだ頭を抱えている。リッカの説明だけではまだカルアの状態の説明には足りていないと感じている様子がある。
「ですがそれだと、全身の魔素に不純物というか、焦げ付いたような魔素が混ざっているような反応がある所の説明がつかないんです」
「あ、カルアさん聖物の識別の水晶を使ってますよ」
「なんで早く言わないんですか! というか、沈黙の水晶の影響下の人を連れてったんですか!?」
再び鬼のような表情になり、声には怒気が戻ってくる。
「強引に沈黙をもたらす魔素をぬぐい捨てて、法術使えていたので……」
「そんな無茶苦茶な!」
「俺も『入れた』からな、あんまり変な事だったら気が付いたはずだぜ」
「確かに、沈黙の水晶の焦げ付き魔素は入ってくる魔素まで妨害するはず」
ギリギリと音を立てるかのようにしてスペックの方へ首が回る。
「つまり、カルアさんの体を扱えるほど深く『入った』んですね?」
「あ、いや、まぁその、緊急事態だったからだよな? そうだよな、だんな? な?」
「スペックに無理やりでもカルアさんを動かしてもらわなかったら、カルアさん助かりませんでした」
静かに目を閉じて、リッカとスペックの言葉を頭の中でかみ砕いているのか、クーラは言葉を反さない。
責められているリッカと、スペックにしてみれば、ほんの数秒の時間が何分にも感じられてしまう。
「リッカさん『入った』事は報告したのですか?」
「ええ、一応緊急事態だったということで、不問になってます」
「はぁ、リッカさんも真面目ですね」
「正直クーラさんの診察になったら気付かれると思ってましたから、黙っていても仕方ないですから」
「リッカさんのためだったら、内緒にしましたよ」
「え?」
クーラが席を立ち、机を回ってリッカの隣にまで来る。
先ほどまでの鬼の顔ではなく、純粋な微笑みを浮かべながら片手をリッカの肩に置く。
「心配したんですよ」
「え? え?」
「だんな、嫌な予感してるだろ」
クーラはもう一方の手を抱きしめるようにリッカの背中に回す。
「あの? その、クーラさん?」
「なので、体験しておいてくださいね、えい!」
掛け声と一緒に抱き潰すかのようにクーラが両手に力を込めると同時に、クーラの魔素が一気に流れ込む。本来の魔素とは違う流れの魔素が異常な不快感を伴ってリッカの全身を駆け巡る。
全身の魔素が逆流する感覚は、平行感覚を失わせ、呼吸のリズムすらも崩す。海で溺れた時のように鼻や口、耳などから不快な臭いの水が意思とは無関係に流れ込んでくるかのような感覚に近い。
「おおぅぇぇえ!!」
反射的に腕を振り、体をよじる、足も不快感から逃れようと本能に従って暴れようとする。
不快感の原因でもある強く抱きついているクーラを殴ってしまわないよう、リッカは自分の体の不快感に耐え、暴れえる体を本能に逆らって抑え込む
「あーあ、だんな優しいんだから」
「スペック止め、うおぉうえぇぇ!」
「はい、おしまい」
クーラが手を離すとリッカが床に崩れるように倒れ込む。不快感は水が引くかのように急速に無くなっていく。
「リッカさんは異常なしですね、いいですか、カルアさんは今体験してもらったような状態になってるんです。大丈夫と思わないで、以後注意してください」
「は、はい、気を付けます」
「よろしい、スペックさんもですよ、今回はお仕置きしませんが『入った』ともなれば討伐対象ですからね、次はこうなりますよ」
床に倒れるリッカを指さしながら、微笑みをスペックに向ける。
「は、はい! 気を付けます!」
片手を敬礼するかのようにして微笑むクーラに上ずった声で応答する。
怯えのような感情が込められたスペックの声は、例え法術の心得がない人には届かない。むしろこれほどまでにクーラが怒っている事が噂として駆け巡るに違いない。
「じゃ、私はこれで帰りますからね。明日の午後にでもカルアさんのお見舞いに行ってくださいね。今のリッカさんと同じくらいの状態になっていますから、スペックさんよろしく」
「はい! だんなは持って帰ります!」
「スペック、揺らさないで、おぇぇ」
クーラが会議室のドアを開けて出ていく。
夕日の赤が夜に飲まれようと赤黒く空を染めている。
「あ、だんな、今日も墓守の仕事は休み?」
「昨日は、見回りしてないから、行く、しばらく休めば、行ける、はず」
「無理すんなよ~」
リッカが墓地の見回りに行けるようになったのは、月が空の中心に輝く深夜になってからだった。
長い1日はまだまだ終わらない。夜は墓守の1日の始まりなのだから。
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