第72話 来訪者
悪魔と化したバラン教授を倒したリッカ、地下室のドアが開いていく瞬間を目にする。
応援が来るにしては早すぎると感じ、壊れた棚の後ろに身を隠すのだった。
ドアが勢いよく開き、尖ったピンク色の耳、上を向いた鼻をした大きな体が入ってくる。
リッカは反射的に身をかがめ、壊れた棚の後ろに回り込んでいた。
「た、ただいま、なんだな。教授、こないだはごめんなんだな」
とても大きな体のピグマンは壊れた棚や吹き飛ばされたテーブルなど、荒れた部屋をそれほど気にする様子もなく部屋の中を歩き回る。
倒れたバランを見つけても焦る事なく近づいていく。
「教授、こないだはかじってごめんなんだな」
戦士ギルドの重鎮のバルとボルもピグマンの中では特に大きな体を持っているが、この部屋に入ってきたピグマンもその2人に匹敵するほどの巨体を誇っている。
鍛え上げられたバルとボルと違い、このピグマンの腹は脂肪で膨れ上がり、胸にも脂肪が付きだらしなく垂れ下がっている。腕の下にも皮膚と脂肪がカーテンのように垂れ下がり、だらしない肉体を惜しげもなく見せつける。
「また悪魔化しちゃったから、かじっちゃうんだな」
リッカはピグマンの様子を壊れた棚の後ろからそっと見守る。
カルアの体に入ったスペックが応援を呼ぶまではまだ時間がかかる、このピグマンは間違いなく、スペックが行方不明になった時に追って行った相手だ、見つかる危険を避けながらも情報を集めなければならない。
ピグマンはバランの死体に近づいて、腕をつかみあげる。
「は、はやく人間に戻るんだな」
一般人の頭くらいならすっぽりと入りそうなほど、口を開き、バランの腕を口に入れる。
バリボリと音を立てながら、枯れ木のようになった悪魔の腕を噛み砕いていく。ゴクリと喉がなるとピグマンはピタリと動きを止める。
「あ、あれ? う、うごかないし、も、も、もどらないんだな」
わざとやっているという感じはなく、本当に戸惑っているように見える。
「も、も、も、もしかして、死んでるんだな?」
「そうだな、死んだな」
ピグマンの声でもなく、リッカの声でもない、男の声がリッカの真後ろから聞こえる。
「あ、兄貴」
「お前が腹かじったから、ここに隠れている奴にやられたんだろ」
「そ、そんな、教授ゴメンなんだな」
ばれている、いつの間にかリッカの後ろに立っていたリッカより頭2つは身長が低い男、その貫くような視線は間違いなくリッカに向けられていた。
隠れている意味もなくなったので、ゆっくりと立ち上がる。
「あ、兄貴、お、お客さんなんだな?」
「ばかやろう、侵入者で教授を倒した奴だろ」
立ち上がり、リッカは2人の動きを見逃さないように、注意を払う。右手と左手でそれぞれ、火と衝撃の魔術の媒体を掴む。
「おい、お前だれだ?」
脅しの効いた声がリッカに投げられる。
「あなたたちこそ、どなたですか?」
視線を外さないようにしながらも平静を装いながら言葉を反す。
「そこの教授の助手ってやつだな、雇い主がやられた哀れな失業者さ」
「私は教会から調査を指示されている法術使いですよ」
「へー、なんの調査か教えてもらえるかな?」
言葉の文字だけを捉えれば平和なやりとりだが、この場の空気は喧噪が始める直前のような緊張感に満ちている。
リッカも本当の事は言わない、この小柄な男も本音では話していないだろう、それはお互いが一番分かっている事だ。
「答えられません、秘密事項です」
頬を冷や汗が伝いながらもリッカは言葉を反す。
「そうかい言えないか、おい! 教授のとこ食っちまっていいぜ」
「え? 兄貴いいのか、いいんだな! ウへへ、教授ごめんなんだな!」
リッカの返答を受けた男は『食っていい』と意味深い事を告げる。大喜びするかのような声色にかわったピグマンは先ほどのように、大きな口を開け、バランの死体をスナックでも摘まむように口に放り込んでかみ砕いていく。
「な! なにを!」
「あ? お前法術使いじゃなくて、墓守だろ? じゃなきゃ悪魔になった教授の魔素を干からびさせたりできないだろ」
言い当てられたリッカは思わず目を見開く。
「当たってるみたいだな、それに、俺らが来てもそれだけ落ち着いているってことは、応援を呼んでるな」
バランの死体を引きちぎりながら、美味そうに食っていくピグマンを後ろに、小柄な男はさらに続ける。
「分かるぜ、これだけ落ち着いているってことは仲間がいるってことだ。誰か来るまで耐えればいいとかおもってんだろ」
「あなた、心でも読んでるんですか?」
「まぁ、そんなとこだな。弱ってるとは言え悪魔化したバランを倒すようなやつ、すぐには片付けられないから見逃してやるよ」
見逃すといったあとも男の眼光は緩まない。
少しでもこちらが油断して、獲れると思えばすぐに飛びかかってくるだろう、その殺意は少しも揺らいでいない。
リッカも全身の緊張を緩ませる事はなく、魔術媒体を握る手に力を込める。緊張のあまり手に浮かんだ脂汗が粘る感覚が手のひらを伝う。
「へー、油断しないんだな」
「緊張でガッチガチなものですから」
男とにらみ合っているうちに、ピグマンがバランの頭まで口に放り込んでいる。その身に着けていた衣類やアクセサリーなども残さず、当然指輪までもが、ピグマンの腹におさまっている。
「げふ、教授おいしかったんだな」
「食い終わったなら、逃げるぜ」
「あ、兄貴、荷物、も、持ってかないのか?」
「この墓守さん、油断してくれないからな、置いてくしかないだろ」
じゃあなとばかりに手を振ってピグマンを押し出すようにしながら、男が出口に向かって行く。
リッカが両手で魔術媒体を構えて男に向ける。
「逃がしません!」
衝撃波と炎が男を襲う。
だが、その体に触れる瞬間に、炎も衝撃波も最初から何もなかったかのようにフッと掻き消えてしまった。
その直後にリッカの右頬に男の拳がめり込む。歩数にして10歩以上も離れていたにも関わらず、リッカにはその動きを捉えることができなかった。苦し紛れに腕を振りあげるが、リッカの拳は空を切り、男は先ほどの場所にまで戻っていた。
「あー、お前の命を取ってる時間が無いってだけだからな、調子のんなよ」
低い声でそういうと、ピグマンを扉の外に押し出して、男も外に出ていく。
男とピグマンが部屋の外に出ると、地下室には何の物音もなくなり、静かすぎるあまり耳鳴りのような音が聞こえてくる空間になった。
悪魔を喰らい尽すピグマンの姿を見せられ、得体のしれない術を使う男と対峙した、今更になって全身に水を被ったような汗をかいている事に気が付いたリッカは、床に座り込み、深いため息をついた。
命を落とすギリギリの線を乗り切った故の虚脱感に襲われていた。
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