第7話 霊を殴る娘
墓守は夜の仕事、人々が眠る時間に死者と相対することがその仕事。だが人である限り、人との関わりは切れない、時に昼に呼ばれる事もある。今日は墓守の仕事の中でも特に珍しい昼間の仕事。
珍しくリッカはいつもならベッドに飛び込んでいるだろう時間に、そのベッドからもぞもぞと起き上がってくる。
昨日は見回りもすることなく、世間の多くの人々がそうであるように夜に眠っていたのだ。
「うぅ、よかった起きれた、ぁぁ眠い」
「珍しいな、太陽が昇っている時間に起きてきたよ」
太陽が出ている時間に普通に過ごしているアンデッドの方が珍しいなど、いつもなら言い返すが、今は眠気が強すぎて言い返す余裕もない。
「ぅぅ、すー」
「だんな!寝るなってば、今日は貴族様の屋敷で仕事でしょ!」
スペックが毛布をはぎ取って、その毛布でボフボフ叩いてくる。これはさすがに眠ってはいられず、安眠を妨害された怒りよりも感謝の気持ちが上回る。
「あー、スペックありがとう。顔洗ってくるから衣装一式出しといて」
「やれやれ、手のかかる息子だこと」
「息子ってなんだよ」
今日はいつもの灰色の上下に黒のローブの服装に加えて、正装になるため帽子や経典、首飾りなども身に付けていく。
当然、髪型や髭などもキレイに整えていくことが必要、リッカの寝ぐせはいつもどこかの髪が跳ね上がってしまい、整えるのに時間がかかる。水を付けて押さえつけるが、片側だけピョンと髪が跳ね上がってしまう。
「まぁ、そのうち納まるでしょ、いつものことだから」
「だんなって、ちょっとだらしないよな」
ドアを開けて、普段の夕暮れ時ではない、明るい太陽の下を歩いて行く。
◇
普段は行かない地区、貴族たちの家が並ぶ区画に入る。貴族たちは国の行政に関わっていたり、学校や各種施設の重役を担っている。中には商人が国にとって重要な物品や資材を仕入れるようになり、貴族の身分にまでのし上がった人物もいるが、多くは先祖代々続く家が多い。
今回訪れるのはその中でも真面目という家系で有名なコルフィ家だ、どうも家の中に何か居るような感覚が続くから視てほしいという依頼。法術を使える事、万が一アンデッドに襲われても何とか出来る事、いつも行く教会の神父様が不在だった事などの要因が重なり、リッカに白羽の矢が立ったのだ。
「あ、こっちだぜ」
スペックが先導するように歩いていく。何で貴族の家がある区画に詳しいんだろうか、生前は冒険者、幼い頃は路上生活で苦労していたとは聞いた事がある。人に言えない仕事もしていたのかもしれない。
黒い門と、広い庭園が印象的な家の前でスぺックが足を止める。入口に門番を兼ねた使用人が常駐しているので、相当の規模の家なのだろう。
「こんにちは、お招き頂いております墓守のリッカです」
「当主から伺っております。どうぞお入りください」
ぴしっとした使用人の服に身を包んでいる男性が、門をあけると大きく頭を下げて迎え入れてくれる。このようなやり取りに慣れていないリッカにとっては居心地が悪い。
使用人の男性は手慣れた様子と流れるような動作で応接室まで、不慣れなリッカでさえも自然に案内してくれる。
「少々、お待ちください。当主を呼んでまいります」
「ありがとうございます」
「だんなが不慣れですみません」
声が聞こえず、姿が見えない事を良い事に、余計な一言を足してくれるスペック。案内をしてくれたのは助かったが何でついてきたのか、多分貴族の家に入ってみたいという好奇心なのだろう。
数分でドアが開いて、黒の下地にきらびやかな装飾が施された衣装とも思える服を纏う、体格が大きくふくよかな男性が入ってくる。金色だが髪は薄く、頭皮が明らかに透けて見えている。
その後ろから、金色でふわふわの髪を一歩一歩ゆらしながら、ピンク色のドレスを着た切れ目の女性も一緒に入ってくる。その手は真っ白な手袋をつけており、手袋の上に指輪もしている。
「どうぞ、お座りください」
「ありがとうございます、失礼します」
そっと椅子にこしかける。恰幅の良い男性は椅子に座るが、ピンク色のドレスの女性は立ったままだ。スペックは墓守の後ろに佇むように立っている。
「どうした、カルア座りなさい」
「いいえ、お父様」
カルアと呼ばれたドレスの女性はスタスタと墓守の後ろまであるいてくる。虚空をにらみつけるようにしているが、そこはスペックの居る場所。スペックもなんとなく戸惑っているが、見えているとは思っていない。
「はっ!」
「おごっ!」
急に掛け声を発したかと思うと白い手袋が拳の形に変わり、スペックの顔の位置に左手が飛んでいる。スペックの顔の位置の魔素が煙に息を吹きかけたように散らされる。
さらに右足が跳ね上がり、スカートがめくりあがる。跳ね上がった右足はスペックの体を両断するように魔素を散らしていく。軸足を捻って、右足を降ろす事なく踏み込むような蹴りを放つ。
リッカが驚いて立ち上がると、大きく上がった足のせいでスカートの中が見えてしまうが、黒いズボンを下に履いていたので、最初から動き回るつもりで用意していた事が分かる。
「スペック!」
「やっぱりいたのですね!」
「何をしているんだ!カルア!」
スペックは体を揺らめかせて霧のようにさせながら、窓から外に出ていく。ひとまず大丈夫そうだが、リッカは動揺を隠せない。
カルアとよばれた女性がスペックに気が付いた事、体術で魔素を散らせた事、そもそも急にスペックに殴りかかったこと、まとめて処理するには情報量が多すぎる。
「出ていったようですね」
「カルア! 妙なことをしていないで座りなさい!」
先に椅子に座った恰幅の良い男性が当主のブラグ・コルフィ、スペックに拳と足をプレゼントしてくれた女性がその娘のカルア・コルフィ。
館の中で物音や人の気配がするときがあるとのこと。それについて、カルアが生き物ではないと強く主張しており、あまりにも強い主張を退けきれずに教会へ話をしたと依頼した経過を説明してもらう。
この時点も十分に感じるカルアの気の強さは父であり、当主でもあるブラグの悩みの種なのだろう。
「一つ、伺っていいでしょうか? カルア様は、、、」
「教会の人間でしょう、敬称は不要です」
「あぁ、分かりました。カルアさんは私の後ろにいた存在に気が付いたのですね?」
「墓守がアンデッドを連れていたと言う事、説明して頂けますね?」
カルアが怒気をはらんでいる声で詰め寄ってくる。当主のブラグは困ったような表情をしながら、懐からハンカチを取り出して顔の汗を拭いている。
依頼人との関係が悪いと仕事がやりにくい、カルアもこっちに詰め寄ってきてもメリットは無いだろうに激情的な性格なのだろう、リッカとして気になる点もあるので、話を聞いておきたい所だが。
「私、多少ですが法術の心得があります。これでそちらの疑問にはお答えできたかと」
「え、あ、はい」
この人苦手、そうリッカが思いながらもスペックの事を説明する。墓守には相棒を選ぶ権利があり、自分の場合は故あってスペックを選んでいる事を伝える。
ブラグは何の話をしているのか、ついてこれていないようで、先ほどの困った表情から顔のシワをさらに増やしながら聞いている。ブラグは案内をカルアにさせると言って退室していくが、その顔は不安感というか、申し訳ないというか、哀愁すら感じさせる表情を見せている。
「父に代わり、私が案内します、どうぞこちらに」
カルアが立ち上がると、ついて来なさいとばかりにドレスを翻して歩いて行く。性格もあるのだろうが、当主のブラグよりもはるかに存在感があるのだが。周りは苦労すると、不謹慎な事を思いながらついていく。
父のブラグを差し置いてのこの態度にリッカは気おされてしまう。カルアは倉庫のような部屋に続く扉の前で、カッと足音を立てて立ち止まる。
「つきました、ここです。父は家を全部見てもらうと言っていましたが、ここだけ見て頂ければ結構」
「わかりました、見せてもらいます」
「私では居る事は分かっても、詳しくは見れませんから」
リッカが物置きの扉を開けると、ホコリが舞い古臭い空気の臭いがした。カルアがこれだけはっきりと言っているということは、ここの中にアンデッドの気配を感じているのだろう。リッカは目を閉じて魔素の流れに意識を向ける。
魔素の流れとは、空気や水の流れに似ている。閉じた部屋、水たまり、そこは流れていないように見えてもわずかな流れがある事が自然。そのわずかな流れにも逆らっている部分を見つける事が法術の基本。カルアはまだ、気配を掴めるくらいのようだが、慣れたリッカはスペックを目でも見られるくらいに掴む事ができる。
リッカはスタスタと歩きだして、立てかけてある板の前で立ち止まる。身長ほどもある板は布が巻き付けられており、絵が劣化しないように丁寧に保管されているのだと思われる。
「これ、開けてみてもいいですか?」
「かまいません」
ゆっくりと布を取り外していく、貴族の家の物品なので、うかつに傷でもつけたら大変な事になる。いつも以上に慎重になっている。
絵がその姿を現してくる。夕日に少女が背を向けて立っている、背景の空は夕焼けに染まっているが、まだ青い空と夜との狭間の紺色が混ざり込んでいる場所があり、少女の心境を空に映し出しているようだ。絵をよく知らないリッカでも名画であると感じさせる。
「優雅の赤の画家、ジャックローズの夕日の心情です」
「多分、これですね」
リッカはまた目を閉じて、今度は意図的に魔素を動かす。この絵の周辺に漂う魔素を集めて集中させていくと、絵の近くにうっすらと靄のようにまとまってくる。
「なんですか、この気配」
靄は人の形をとり、段々とその色を濃くしている片手は絵に溶け込むようにくっついており、この絵を媒体にしていることはハッキリしている。
いつもならリッカはこの絵の作者や持ち主の幽霊かと思うが、実際に赤の画家、ジャックローズは生きている事は知っている。持ち主の幽霊といってもコルフィ家では最近死んだ人もいない。
判断がつかないでいると、人の形をとった靄は話しかけてくる。
「どう? いい絵でしょ?」
「そうですね、心奪われました」
「そうでしょう?」
やりとりを始めるリッカをカルアは汚い物をみるように顔をしかめて眺めている。白い手袋はまた拳の形を取り始めている。
「いい絵なのよ、頑張って描いたわ」
この一言でリッカは確信した。これはジャックローズの生霊だ、作者が我を忘れるほどに絵に集中した結果、その『我を忘れていた』部分が絵に宿ったのだろう。相当の集中と自我を失うほどの情熱、それが生活の大半を占めるほどでないと生霊は生まれない。
「見えた! アンデッドよ去れ!」
「違います! 生霊です!!」
カルアがスペックにしたのと同じように左の拳を突き出してくるが、間に入って受け止める。
「アンデッドをかばいますか!?」
怒った口調が飛んでくる。カルアが法術を習ったのはおそらく過激派と呼ばれる派閥からだろう、アンデッドは即抹消と考えている派閥。短気な性格もあり、攻撃の対象がリッカに移ったことはすぐに察せられる。
カルアの右足がスカートを翻しながら跳ね上がってくる、脇腹狙いだろうから脇を閉めて腕でガードにする。いかに強く蹴られようとも、所詮は女性、急所に来ない限りは痛いだけだ。
痛いのを覚悟した瞬間、カルアの足はリッカの腕を超えて、顔面に届く。カルアを見ていたリッカの視線がむりやりに壁の方へ向けられる。
「あが!」
ためらいもない良い蹴りがアゴを直撃。頭に衝撃が伝わりクラクラする。さっきのスペックに対しての最後は踏みつけるような蹴りだった、それが来ると思って腕を腹に回す。
ゴキンという音と共に、今度は視界が天井に向く。さっきの蹴りの後、足を戻す前にもう一度アゴを叩いてきたのだろう。世界がぐにゃりとゆがんでリッカの体は床に崩れ落ちる。
「お嬢様! おやめください!」
「当主様!」
開いたままのドアから女性の使用人達が見ていたのだろう、カルアを止めて当主を呼びに行くなど、バタバタと走り回る声が聞こえてくる。頭を横にも縦にもゆらされたせいで、歪みの世界の中に飛ばされたリッカは何も出来ないで倒れていた。
ジャックローズの生霊はいつの間にか姿を消しており、カルアは部屋の中を探すように見回している。
◇
歪みの世界から現実の世界に帰ってきたリッカは、使用人に肩を貸してもらいながら応接室に戻る。よく冷えた水で絞った布を顔に当てているが、すでに赤く腫れてきているので、明日には痣になっているだろうほど痛々しい。
「すみません、家の娘が本当にすみません! すみませんでした」
当主のブラグは貴族とは思えないほどの勢いで頭を下げている。どことなく慣れているように感じるのはこのカルアが色々とやらかしているからだろう。
とりあえず、怒っていない事を伝えてリッカが見た事の説明をさせてもらう。
「なんですって生霊?」
「アンデッドではありません、狂信とも言える情熱が描き上がっても残っているだけです。そのうち絵に同化していなくなります」
「娘がすみませんでした、では危険はないのですね」
「ええ、情熱故の生霊ですから、いる方が絵の価値は高いくらいです」
「そうですか、アンデッドでなければかまいません、失礼」
「ああ、カルア! 謝ってから行きなさい!」
カルアは興味をなくしたとばかりに退室していく。ブラグがリッカに向き直り、包みを渡してくる。妙に厚みがある所から見るとお金の束になっているのだろう。
「不出来な娘ですみません! これは治療費です。どうかこのことは」
「い、いえ! 受け取れません!」
「家の者が怪我させたのに、では! 寄付ということで!」
「教会から来る分はもうもらってますから!」
「そういうわけにも!」
太陽が山の上に届く頃にリッカが出てくる。顔には包帯がぐるぐるにまかれており、墓守の服装と相まって不気味な見た目に仕上げられ、いつも以上に人に避けられる帰り道になりそうだ。その手には少し薄くなった包みが握られている。
スペックは中に入るとまた殴られるかもと思い、ずっと外で待っていたらしい。その顔と胴体を構成する魔素がまだ薄くなっているように感じられる。
「この包み、断り切れなかった」
「よかったじゃんか追加料金」
「カルアさん、手袋布じゃなくて革だったよ、あの格闘と法術どこで身に着けたんだろう」
「やる気十分だな、だんなより強いんじゃない? 貴族の娘なのに」
頬とアゴをさすりながら、赤く染まる街を歩いて行く。今日は見回りはキャンセルだ、もう寝てしまいたい。明日、教会に怪我の事をどう伝えるか悩みながら家へ向かう。
読んでいただきありがとうございました。
1つ1つブックマークが増えています。ありがたい事です。
今後もよろしくおねがいします。
カルア「私、そんな乱暴者の予定だったんですか?」
あのカルアさん、拳を出させる予定ではなかったんです。書いていたら、そんな風になっていってですね、すみません。