第56話 夜明け
法術の使い過ぎで『酔った』リッカは使い物にならなくなっていた。
リッカに代わり、負の感情が乗った魔素はカルアが払いに行っている。
全身に唇を浮かべた幽霊を限界まで法術を使って魔素に還したリッカ、その後は簡単な法術を使おうとするだけでも吐き気に襲われてしまい。他の娼婦の館の生霊を払うのはカルアに任せていた。
「だんな、情けないな」
「こんなに法術つかったことないよ、あー気持ち悪い」
排水が流れる水路に顔を近づけておいて、いつ吐き気がこみ上げて来ても大丈夫なようにする。全身ずぶぬれで、悪臭も放っているのだろうがそれどころではない。法術や魔術の使い過ぎの『酔い』は回復するまでひたすら待つしかない。
「昼間にゼロスト師に魔素球を5個も作らされたのが原因だからね、普段なら平気なんだけどね」
「はいはい、お嬢ちゃんが居てよかったな、仕事任せられるからよ」
「それは本当、前だったら出直しになってるとこだった、うっぷ」
空が夜の黒から、濃い青に変わり始める頃、カルアとバイオレットが娼婦の館のドアを開けて、リッカが這いつくばる水路まで戻ってくる。
「おかえり~、だんなはダメだ完全な酔っ払いだよ」
「魔素の使い過ぎの酔っ払いだからね」
「普段から飲み過ぎだぜ」
「こんなになるまで飲んでないでしょ!」
傍から見れば、スペックは幽霊なので誰の目にも止まることなく、虚空に向かって話続けているリッカしか見えない。1人で楽しそうに話しながら、排水路に吐物を落とす姿は紛れもなく酔っ払いか狂人に見えていることだろう。
「なんだ元気そうじゃないかい、こっちはお嬢ちゃんに全部やってもらったよ。リッカさんより見どころありそうじゃないか」
「へー、バイオレットのおば……」
スペックが軽口を叩こうとした瞬間に炎すら凍てつかせるような氷の視線が虚空を見つめる。
もちろん、見えないスペックがいる場所を見事に貫いているわけなのだが、視線の持ち主のバイオレットは幽霊を見れる程の法術の才能はない。
「ね、ねねね、ね、姉さんに褒められる事はなかなかないぜ!」
「そっそうです! カルアさん、ありがとうございました。さすがですね!」
女の感とは恐ろしい物だ、リッカは一瞬だけスペックへ視線を向けて無言の警告を与えてから、カルアを褒めて感謝を伝える。バイオレットの視線も大人の女性のそれに戻っているので、機嫌を損ねずに済んだようだ。
その一方でカルアは褒められているのにも関わらず、浮かない顔をしている。法術の使い過ぎで疲れたという様子でもない。
「あの、私、頑張りましたわ」
少し声のトーンが上がり、緊張しときのような声になっているが、カルアは言葉を続ける。
「なので、お嬢ちゃん呼びは止めて頂けませんか?」
それを聞いたバイオレットは微笑んだように見えた。年齢が分からないミステリアスな容姿と、紫色のドレスが演出する美しい怪しさが、笑顔にいたずらをしようとする小悪魔を見え隠れさせている。
「僕も最初はお坊ちゃん呼びされてたからね、スペック、これ洗っといて」
「媒体? あっ、なるほどね」
何をするか感じ取ったリッカはスペックに火の魔法媒体を渡し、すっかり水になってしまったお湯が満たされていた桶で汚れを落としてもらっている。
「じゃあ、お嬢ちゃん。火をくれるかい?」
バイオレットは長い煙管を右手に持つと、丸めた煙草の葉を入れて口に咥える。
目を閉じて口づけを待つ乙女のような仕草でカルアに煙管を向ける。
「はい、お嬢ちゃん」
「え? あ、え?」
スペックから火の魔法媒体を受け取ると、戸惑ったようにあたふたするカルア。助けを求めるようにリッカに視線を向ける。
「バイオレットさんは仕事をちゃんとやって、煙草に火をつけてくれる人は名前で呼ぶんですよ」
「そうそう、はやく点けとくれよ」
「わ、わかりましたわ!」
震える手を抑えるかのように、両手で魔法媒体を持ち、先を煙草の葉に当てる。
「ま、オチは見えてるわな」
えい! と気合を入れてカルアが込めた魔素は火球を作り、かがり火のようにパチパチと音が鳴る程の大きさの火まで膨れ上がる。
当然だが、煙草の葉は一瞬で黒焦げになり、鈍い光を発していた煙管の先端も見事に一瞬で煤まみれになってしまっていた。
バイオレットの口は白い煙草の煙と苦い香りではなく、黒い煤のような煙と焦げた臭いを吐きだしている。
「ああ! ごめんなさい!」
「プッ、アハハハ! 師弟そろって同じ事やるんだもん! アハハ!」
「だんなの最初と全く一緒だな」
「あー、耳が痛い」
目の端に涙を溜めて大きな声で笑うバイオレットはどこか少女のようにも見えた。
クスクスと表情に笑いを残し、笑い過ぎてこぼれそうになった涙を小指に移しながら、煙管を振って黒い煤を落とす。
「いやぁ悪いね、ふふ。リッカさんも最初はこうだったからね。頑張りな、お嬢ちゃん」
バツが悪そうに少しだけ頬を膨らませているように見えるカルアはとても幼く見えていた。隣にバイオレットという妖艶な女性が立っている事もその理由なのだろう。
「さ、リッカさんお湯あげるから、湯浴みしてきな。着替えも貸してあげるからキレイにして帰りなさいな」
「ありがとうございます!! 助かります!」
存分にお湯を使わせてもらえる事になったリッカは小走りで娼婦の館の中に入っていく。過去に何度かお湯をもらった事があるので、勝手知ったる他人の家となっているので、浴場に向かう。
外は朝日が顔を出して、夜の黒い空から朝の白い空へと変わってきている。
「ねぇ、お嬢ちゃん」
「はい、なんでしょう」
不意にバイオレットがカルアを呼び止める。
「お嬢ちゃん、暗い気持ちを払ってもらっといてなんだけど、あの気持ちあんまり正面から受け止めちゃだめよ」
「え?」
「ここにはね、巻き込まれて来た娘もいれば、自分から転げ落ちてきたどうしようもない娘もいるからさ」
「ええ、分かってますよ、嫌がらせばっかりする、意地の悪い気持ちを沢山払いましたからね」
「ふふ、お嬢ちゃんのほうがその辺強いかもしれないね」
バイオレットが言おうとした事、その中には自分で望まずとも夜の世界に押し込められて、昼の世界に帰ろうとして帰れなかった娘達の想いも混ざっていた事だった。
「あの、バイオレットさん」
「ん? なんだい?」
「自殺した、最近亡くなったって人。ありがとうって言ってますよ。あの部屋ですよね」
「どうして、わかったんだい? 幽霊にでもなってたのかい?」
「いえ、幽霊でなくて、気配と言うか。あの部屋だけ、バイオレットさんの波長に近い暖かい想いが残っていましたから、そうかなって思いました」
届かなかった想い。昼の世界に戻れなかった想い。恨みつらみではなく、同じ境遇の人との助け合いには暖かい友人や家族に向けられる暖かい想いもある。
カルアは間違いなくそれを感じ取っていた。暗い世界の中に僅かに輝く美しい魂がある事、バイオレットが言おうとした事をカルアは意図せず汲み取っていたのだ。
「ありがとね、お嬢ちゃん。次来てもらった時には名前で呼ばないといけないかね?」
「それまでに練習してきますわ」
太陽が昇り、鳥たちが歌い始める。
暗い想いが晴れた夜の街、墓守達と同じく、昼に眠り、夜に起きる街に休息の時間が訪れたのだ。
執筆スピードが上がっている!
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そのためには書くしかない!
やっぱり時間使わないと速度も密度もあがらないっすよね。
読んでいただきありがとうございます。