第52話 夜の女性
娼婦の館に向かう、2人と1人の幽霊。
修行の禁欲期間のためか、街に人は少なく、墓守は白い目を向けられる事もない。
日が暮れた頃にリッカとカルアは酒場が並ぶ地区にやってきた。そこに黒い靄が集まったような幽霊も付き添っているのだが、幽霊の姿は町の人々には見えない。もし見えたとしても夜という光が弱い世界に溶け込んで気付かれる事もないだろう。
酒場も冒険者達が何人かいるものの、いつもの活気のある様子とは大きく異なり人通りも少なく、違う街に来たのかと思うほど静かな空間になっている。
「やっぱりこの時期は静かだな、だんな飲んでかないの?」
「飲みたいけど、禁欲期間だって分かって言っているよね」
一般の人々や冒険者や戦士達にも信仰を持っている人は多く、信仰心が薄い人でもこの期間に酒や肉などを口にしたりする事で非難される事を避けるためにも禁欲して過ごす。
結果的に街にいるほとんどの人が禁欲生活をするため、酒を提供する店が集まるこの辺りは人が少なくなる。墓守にとっては人から白い目で見られるため人が少ない事が歓迎することなのだが、開店休業状態の酒場にとっては財布が厳しい時期になる。
リッカ達は何件もの酒場の前を通り過ぎて奥へと足を進めて行く。
「あの、リッカさんちょっと緊張してきました」
「別に身構える必要もないんですが、緊張するのはしょうがないですよね」
「やっぱりお嬢ちゃんだな~」
酒場の並びの奥には、煌びやかな女性とお酒を共にできるお店や、一時の華を男性に与えるお店も立ち並んでいるのだが、店頭に並ぶ看板は艶めかしい物なども増えてきている。
お店の前に出ている灯りも、桃色や紫色といった普通の家や酒場では見ない色になるような細工がされており、妖艶な雰囲気を漂わせているので、このような所に来た事の無いカルアは危険は無いと分かっていても身構えてしまう。
「とは言っても……」
カルアの視線の先には女性がドレスのすそをめくって、太ももを見せている絵が描かれた看板がある。
「うん、確かに嬢ちゃんより美人だな」
「フン!」
「あぶゅ!」
掛け声と一緒にスペックの顔と思われる場所にカルアの右手がめり込んでいる。
幽霊は魔素で体を作っているので殴られても叩かれても、通り過ぎてしまうはずだが、カルアは拳でも魔素を散らす事が出来ている。そのため幽霊を殴るという奇妙な事が成立する。
「今のはスペックが悪いね、貴族のカルアさんはこういう所来ないから、緊張して当たり前ですよ」
「スペックさん! 次は魔素に還しますわよ!」
「痛った~、悪かったよ」
その時、カルアの視線が向いていた看板のお店のドアが開き。紫色のドレスを纏った女性が出てきた。
髪の色は夜に溶け込むような黒、ふんわりと両肩にかかっている。甘い香水の香りを漂わせ、スカートのスリットは足の付け根の近い所までスッと通り、真っ白な肌を見せている。
「誰だい? こんな時期に騒いでるのは?」
「お騒がせして、すみません」
「おや? リッカさんじゃないか。あぁ、そうか禁欲期間だもんね」
「あっ! バイオレットさん。こんばんは、伺う所だったので丁度良かったです」
バイオレットと呼ばれた女性は長い煙管を取り出して、先に丸まった葉っぱを入れる。
「火、貸してくれないかい?」
「ええ」
リッカはローブから火の魔法媒体を取り出して、煙草に火をつけるに丁度良い火力に調整する。先端が蛍のように光る程度の火は、煙草の葉へと移り、バイオレットの呼吸に合わせて赤く光る。
ふぅ、とため息のような呼吸と共に吐き出された煙は魔素が空へと溶けるように夜の空に消えて行く。
「腕をあげたね、煙管ごと黒焦げにしてくれた頃とは大違いだね」
「あの時は新人でしたからね、少しは上手くなりましたよ」
「懐かしく思うくらいに時間は経ったんだね。そこのお嬢ちゃんも見たとこ墓守かい?」
「新人墓守で、リッカさんの相棒のカルアです」
「へー、弟子をとれる程になったのかい、そりゃあ、ちっとは上達してないといけないね」
バイオレットは少し疲れたような笑顔を見せる。
娼婦の館には望まないでここに連れてこられた女達の悲しみや苦しみがこびりつく、当然ここで金を稼いで、昼の世界に帰っていく女性達も多く居るが、中には抜け出せず悲しみ・苦しみの中で命を落とす女達もいる。
当然、ここに来たばかりの女性は夜の街での生き方を知らない。夜の初心者である彼女たちに仕事や住む所の面倒を見て、暴力を受けたり、金を盗られないようにするなど、夜の生き方を伝えているのが紫のドレスとタバコが似合うバイオレットなのだ。
「先週、私が面倒見てた子が死んでね、ちょっと落ち込んでるんだよ。供養してやってくれれば少しは気も晴れるってもんさ」
「わかりました。カルアさん始めますよ」
「あっ、はい」
「ここ以外にも、何件か回ってほしいから、まずはここから頼むよ」
建物の中に入ったとたん、甘い香りに混ざって色々な匂いも漂っている。
個室が沢山あり、湯浴みもできるように常にお湯を沸かしているのだろう、湿り気のある空気が漂っていて、匂いが肌や服に染み込んでくるように感じられる。
建物に入ったとたん、カルアは頭を抱えてしゃがみこんでしまう。
「う、なんて……」
「ああ、お嬢ちゃんには嫌な感じをさせる空気かもしれないね」
「カルアさん、気分悪いなら外で待ちますか?」
「違います、悲しいとか、苦しいとか、悔しいとか、色んな想いが流れ込んでくるんです」
カルアは目を閉じてゆっくりと呼吸を整えながら、周囲の魔素を把握していく。
墓守達は魔素を把握してアンデッドの魔素との波長を合わせることで、アンデッドの声なき声を聴くことができる。
普通の法術使いでも出来るはずだが、彼らでは魔素を散らす事でアンデッドを世界に還す使い方をしてしまう。波長を合わせを試みるだけでもカルアが墓守としての仕事をこなそうとしている事が分かる。
周囲の把握を終えたのか、カルアは目を開けて、ゆっくりと立ち上がってバイオレットへと視線を向ける。
「もう、良いのかい?」
「バイオレットさん 最近死んだ人って自殺ですね?」
「えっ! なんでわかったんだい!?」
「カルアさん『聴こえた』んですね?」
「はい、聞こえました。他にも生霊のような感覚もあります」
バイオレットは外の看板に準備中の札を出し、ドアにつっかえ棒をかけて開かないようにする。
「今はお客もいないから私も一緒に回るよ、生きている時に苦労するのは当たり前だけど、死んだら楽にしてやらないとね」
「カルアさん行きましょう。やる事は墓場を回る時と大体同じです」
「はい」
アンデッドの気配も感じるが、多くは生霊になりかけの苦しみや悲しみなどの負の感情を乗せた魔素があちこちに感じられる。
ここに溜まっている黒い魔素を散らすこと、負の感情に包まれたまま世界に帰れない死後の女性を救う事がリッカとカルアの今日の仕事なのだ。
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