第51話 修業の始まり
ついに修行が始まった。
教会では修業をする期間は禁欲が定められている。酒や煙草の禁止、肉や魚を食する事の禁止など様々な項目がある。
墓守達は禁欲に加えて、法術の修行もこの期間に行うのだ。
墓守リッカは余裕がない。
教会が定めている修業期間が始まり、墓守達は法術の精度の向上のため日中は魔素を球体にして自分の周囲に浮かべる修行を行う事になっている。
墓守になったばかりで相棒という立場から修行を始めたカルア、そしてまだ修行を続けているパニシュ、この2人は魔素の球体は1つだけ浮かべていればいい。
「ふぬぬぬぬ!!」
「リッカ君あと5分くらいだからね」
「平常心ですわ!」
「先輩、がんばってください」
「だんな~、がんばれ~」
教会の会議室に集まり、朝の祈りの儀式の後から日没までずっとここで魔素の球体を浮かべながら、墓守の仕事についてや日々の悩みの相談をするのが通例だが、リッカには話す余裕すらない。
この場に居ないカルド神父の教会に所属する一番ベテランの墓守コラーは日光の下を歩けない体質、そのため修行は自宅で教会の職員が付き添いで行っている。ちなみにカルド神父とコラーは法術の上級者なので、浮かべている球体の数は3つとなっている。
「だんな~、が~ん~ば~れ~」
「スペック! それ邪魔!!」
「これも、だんなの修行だぜ」
スペックがリッカの目の前で全身をくねくねと揺らしたり、不思議なポーズをしたりと応援しながらも集中を切らせようとしている。
リッカの浮かべている球体の数はなんと5つ、法術の使い手としては上級を超えた特級とも言えるほどの数を浮かべている。
「3、2、1、終わり~」
「ふう」
「無事におわりましたわ」
「だぁ! はぁはぁ、はぁ」
音もなく泡がはじけるようにそれぞれが浮かべていた魔素の球体は姿を消す。
ほっとしたような墓守達とカルド神父だったが、リッカだけは全身に汗をかいて肩で息をしており、さながら長距離を走り抜けた後のような様子になっていた。
魔素を操る法術や変化させる魔術は使いすぎると『酔う』と言われる状態になり、立っている事すらできなくなるほどの不快な気分やめまいや吐き気に襲われる。
「うっぷ、気持ち悪い」
「だんな、バケツいる?」
「大丈夫、いらない、うっぷ」
「やっぱり酔っちゃった、でも出来たからね、ゼロストさんもギリギリを見極めたよね」
今日の修行が始まるときにピグマンのような大きな体のゼロストが現れ、リッカにできるだろうと修業期間の魔素の球体を5個浮かべるように言いつけて行ったのだ。
豪快で大雑把なイメージが強いゼロストだが、人の才能を見る目に長けている。リッカも上級を超える法術を身に着けられると踏んで、このような無茶を言ったのだろう。
実際ギリギリだったがリッカはこの無茶な修行を乗り越える事が出来た。修行期間は始まったばかりだが、一番大変な初日を超えたので、ゼロストの見立ては正解だったと言うしかない。
「リッカ君、次の仕事行けるの?」
「行きますよ、この時期しかできない仕事ですから」
「え? リッカさんこの状態で見回りに?」
「違いますよ、カルアさんには言いにくいんですが、娼婦の館です」
「はい?」
娼婦という言葉を聞いた瞬間カルアの表情は一変、角が生えたのではないかと思うほどの怒りを隠そうともしない、鬼や悪魔のような表情になってしまった。
「禁欲の修業期間だと言うのに、何考えてるんですか!」
「違います! 修業期間だからこそです!」
「お、おお、お、女を抱きに行くのが修行とでも言うんですか! 恥を知りなさい!」
「違いますって! 娼婦の館に出る幽霊と夜に会えるのは、禁欲期間の今だけなんです! お客さんいないでしょ」
「え? 墓守の仕事なんですか?」
「だから仕事だって言ってるじゃないですか!」
街の至る所にアンデッドは出現する。
路地裏だったり、民家だったり、広場だったり、墓場だったり、どこにでもいる。そしてそこにいる幽霊達の多くは悲しみや苦しみ、成し遂げられなかった想いを持っている。
それは娼婦だろうと変わりはない。
「あ、先輩、カルアさん行かないなら僕が一緒に……」
「ダメ、パニシュ君はコラーさんと一緒にお墓の見回りね」
「ですよね~、わかりましたよ」
パニシュは肩を落としながら、部屋を出ていく。キレイなお姉さん達を見たかったという想いが背中に書いてあるようだ。
「まぁ、こういう世界もあるって知ってほしいんだよね、カルアさんも一緒に行ってね」
「え? 私も?」
怒りの表情はどこへやら、ポカンとした顔に変わっているカルアは戸惑いの感情に支配されていた。修行を超えられるかという不安と緊張の表情から、余裕な表情で修業を終えて、怒りに戸惑いとカルアの表情筋は今日は大忙しだ。
「そう、一緒に行ってね」
「娼婦の館は年中無休ですが、この修行期間だけお客さんが少ないんです、墓守の服装をしていれば変な誤解もありません」
「でも、教会の女性が入っていいのですか?」
「同じ女性の方が話しやすいと感じるアンデッドもいますからね」
望んで夜の世界に飛び込んだ女性もいるにはいるが、その大半は何かの事情を抱えた人が多い。借金や身売り、奴隷や家出をした人など故郷を捨てた人も珍しくない、どこかで住み込みの仕事でも見つかればよかったが、それも見つからなければ夜の世界に生きる女性が1人増えることになる。
当然、その中にはあまりの辛さから生霊や怨念のような物も生まれるし、夜の世界に馴染めずに自ら命を絶つ人もいる。
そうした負の出来事の集約もアンデッドを生み出す温床になるが、そこに居るアンデッドは女達の苦しみと悲しみの集約とも言える存在なのだ。
「中には元貴族だった娼婦もいますから、苦労している人が多いのも娼婦の館なんです」
「そうだな、お嬢ちゃんみたいな箱入り娘さんには、わかんね~よな~」
「立場を追われた貴族達も少しは見てきましたわ、娼婦になっていたなんて……」
「人生色々ってことだね。じゃ、少し休んだら、行ってきてね」
カルド神父も退室していく。神父は明日の祈りの儀式に備えてこれで眠れるのだが、墓守達はそうではない。修業期間の間は修行と禁欲の生活に加えて、墓守の仕事も重なってくる。アンデッド達には休息が無い、当然それと相対する墓守にも休息は無いのだ。
リッカとカルアも修業の疲れを抱えたまま、1人だけ元気な人型の靄を連れて夜の街へと向かって行った。
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