第5話 悲しみの顔
今日もリッカとスペックは墓場に足を運ぶ、墓に眠るは遺体と故人の心。それはやがて大地と魔素に還っていくが、還りきらずに残る物もある。遺品か骨か、感情か、汲みきれない想いが時にある。
びちゃ、ぐちゃ、気持ち悪い感触を足の裏に感じながら、土がむき出しになっている区画を歩く。今日は月も出ていなくて真っ暗な中、ポタリポタリと天の涙も落ちてきている。靴には泥水もしみこんで、後で洗わないと不衛生この上ない。
「今日は最悪、洗濯が大変だ」
「あー、うん、ローブも泥ついてるぜ」
今日のローブは新しく出したばかり、墓守の装備品はお給金の中に装備代が上乗せという形で支給されている。
つまり、節約すれば出費は減るが、しっかりしたものをそろえるとそれだけ自腹を切る形になる。
墓守の服は、ポケットなどの仕込みが沢山あるだけではなく、丈夫な生地を使う上に、買い手が墓守だけなのでオーダーメイドの形になる。
「ちなみにそのローブおいくら?」
「飲み屋で飲み放題。食べ放題のセット10日分でお釣りくるくらい」
「たっけぇ!!」
雨は確実に強くなってきているので、さっさと見回りを済ませてローブの洗濯をしたい所だが、雨の日にはゾンビなどの実体のあるアンデッドに限らず、物に宿る存在でもよく出てくるらしい。
こんな日に早く帰る墓守は三流以下だ。少しでも気分を変えるためか、スペックも気を使って話しかけてくれているのだろう。
「だんな、俺の声って普通は聞こえないんでしょ、どうやって話してんの?」
「意思を投げつけて、飛んでくるのをキャッチする感じ」
「ぜんぜん、分からねぇ」
アンデッドの声には波長というか相性のようなものがある。精霊の言葉のような意思そのものを相手に送るような感覚。普通に声を出しながらの方が当然簡単なのだが、やろうと思えば言葉に出さずとも意思を伝える事もできる。
声にならない声を聴く力、声を頼らずに相手に意思を伝える力、それも法術の使い手の一つの能力とされている。
「うぅぅ、ぁ」
「なるほど、よく伝わってくる、そんなに悲しいのかぁ、何があったの?」
「スペック? それ違う人の声だよ」
「え?」
スペックの魔素が靄のようになっている体、その頭の部分の横に女性の顔だけが浮かびあがっている。首筋に届くほどの髪の長さ、やや垂れ下がった目、泣きはらした後のような涙の跡も見て取れる。悲しいという感情はしっかりと伝わってくる。
振り向いたら目前に顔があればだれでも驚く。墓守でなければ、明らかに化けて出た物を目にしている訳だから、腰の一つも抜かしていたのかもしれない。
「おあわぁ!!」
「驚いたら失礼だよ、ちょっとまってね『合わせる』から」
リッカは女性の幽霊へ意識を集中いく、うめき声のような声から、次第にはっきりとした声として感じ取れるようになる。
泣いている女性の声として捉えることができるようになってから声をかける。
「こんなもんかな、初めまして墓守のリッカです」
「ヒック、悲しいの私、あぁ、」
どうやら、意識がはっきり残っているタイプではない様子。感情だけが強くのこっているような印象もある。泣いているだけなら無害なので、法術で体を構成している魔素を軽く散らせれば穏やかになるだろう。
ふわふわと女性の顔が漂っていく、女性の顔は墓の上や木の下など、歩いてはいけないような所もふわふわと行ってしまうので、追いかけるのも大変。とりあえず話ができないかもう少し声をかけてみる。
「何か、悲しい事があったのですね」
「そうなのよ、悲しいの、悲しいのよ」
悲しいと何度も繰り返しながら空中を漂っていた女性の顔だが、急に動きを止めると、ゆっくりとこちらへ振り返る。
その顔は涙を流しながらも怒りの表情に変わっている。目の部分は真っ赤に色づいて吊り上がり、口は耳まで広がるのではないかと思うほどに大きく裂けて広がっていく。
「何あの顔? すっごい怖い」
「あー、危ない奴だったかも」
「悲しいのよ」
女性らしい声だったのがうめき声のような低くてゆがんだ声に変わる。顔は人間だったと思えないほど醜悪に変わり、魔物や悪魔と呼んだ方が納得できるほどに変貌している。
リッカは清めの酒の小瓶を取り出し封を開け、愛用のナイフも抜いて構える。
幽霊タイプのアンデッドの場合、物理的な攻撃はせいぜい近くにある石などを投げつけてくるぐらい、切れ味は落ちるがナイフで十分弾ける。怖いのは精神的な影響のほうだ。
「悲しいのよー! キィアァァァ!!」
醜悪な女性の顔は金切り声をあげる。その声は法術の使い手でなくても受け取ることが出来るほどの強い声、怒りの感情、悲しみに耐えきれないその心のありかたがビシビシ伝わってくる。
「この声はきついなぁ、精神が痛い、スペック大丈夫?」
「うぅ、俺悲しくてよう、だんなぁ、ひっく」
スペックはうずくまり、泣いているかのような仕草をとっている。スペックは靄みたいな体だからその表情は良く分からないが、その顔がみれたら涙でくしゃくしゃになっている事は想像できる。
「あぁ、だめだった」
「悲しいって言ってるじゃないのぉぉ!!」
声というか、思念を周辺に飛ばして、悲しいという感情に精神を引きずり込んでくる。
うずくまったスペックに向かって近くの石が勢いよく飛んでいく、当然石はスペックをすり抜けて遠くに飛んでいく。落ちている石が少し動いたかと思うと、今度はリッカに向かって飛んできた。手あたり次第近くにある物を投げつけてくるかのような現象。
「おわ!」
思いっきりのけぞって飛んでくる石を避ける、動かなければ顔に直撃していただろう。ただの石とはいえ、当たり所によっては骨にヒビが入る事くらいは十分にありえる。
人に害を与えるアンデッドは問答無用で無力化することが決まり。魔素を集める事ができるタイプだとまた復活してくることが多いが、しばらくは出てこれない。ただ、アンデッドにとって無理に魔素を散らされる事は非常に大きな苦痛を伴う。
「やりたくないんだけど、これも決まりだからね」
「キィアアアア!! ァァ、ぁ、、、ぁ、」
「もう、声はきかないよ、法術で聞こえるようにできるなら、その反対もできる」
アンデッドの『声』をより聞こえないようにすることで、影響を避けた、声に反応してしまうのなら声が聞こえなければいい。
空中にふわふわと漂う、顔が徐々に降りてくる。その動きはとてもぎこちない、さっきまで風に乗るかのような動きだったのが、引きずり降ろされているかのような動きで降りてくる。
「幽霊の体は魔素だからね、悪いけど法術なら引っ張ることも!」
「ァァ、ぁ、」
「すみません!」
清めの酒を女性の顔へ振りかけていく、魔素が散っていくようにと法術の効果も乗せてあるので、女性の顔に触れた部分から靄のように、煙のように辺りに溶けて消えていく。
恐らく激痛を感じさせてしまっているので、申し訳ないと思いながらも清めの酒1本を全て使う。
「キィィ、、ぁ!」
リッカの目でも見えないほどに魔素の密度は薄まる。これで、姿を現す事はしばらくできないだろう。空中に漂う魔素はゆっくりと流れていく。
魔素はどこにでもあり、ゆったりと流れているのが普通だが、近くの生き物、アンデッド、精霊などの何かの存在が流れていく方向に影響を与えているから複雑な流れになる。しかし、女性の顔を作っていた魔素は一つの方向に流れていっている。
「これは? スペック行くよ!」
「だんなぁ、こんな悲しい気持ちどうしたらいいんだよぉぉ」
走り出すリッカをスペックは涙を手でぬぐうような仕草をしながら追いかけてくる。リッカは一つの墓の前で足を止める。魔素の流れを探ってみると、この墓の中に流れ込んでいる事が感じられる。
両手を合わせて祈りをささげるポーズを取った後、墓石に手をかけてずらして墓穴を見れるように、持ち上げる。
もう骨だけになっている女性の遺体があるが、その指にはめられている指輪に目が行く。どうやらその石に魔素が集められているように感じられる。
「なんだこれ? 失礼します」
リッカは指輪を手に取ってみる、指輪の裏側には複雑な彫り物がしてあり、彫り物の中に魔素が流れ込んできている。これだけ魔素が流れ込んできて、この指輪が女性の持ち物ならここに魂が縛られているのかもしれない。
ナイフを取り出して、彫り物の中に僅かに傷をつける。傷をつけると同時に魔素が散っていき流れ込んでくる魔素も止まる。
「やっぱり、魔素を集める道具だった」
「だんなぁ! 俺のこの悲しい思い、、、あれ?」
スペックもいつもの調子に戻ったみたいだ、清めの酒まで使ったのに影響が残っているとは力がかなり強いアンデッドだったのかもしれない。指輪が魔素を集める細工をされていたおかげで、この人の幽霊が出来あがっていたのだろう。
「おれ、何であんなに悲しかったんだろう」
「思いっきり、幽霊の感情をもらってたんだよ」
「どういう事?」
「詳しくは分からないけど、この人の悲しいって感情と、それを受け止めてもらえなかった恨みじゃないかな」
指輪をそっと元の指に戻す。外した墓石も置き直して、墓の周りに生えてしまった雑草などで目立つ物を引き抜いて周辺を整える。
清めの酒をもう一本封を切って、墓石にかけてから手を合わせる。さっきは強引に払ってしまって申し訳なかったと思いながら。
「指輪に傷つけてすみませんでした」
数分手を合わせた後、お墓に一礼してから歩きだす。次の見回りの場所に行くためだが、次回からはこのお墓の周辺もルートに入れなければならないだろう。
幽霊が媒体にしている物は大体が故人に縁のある品、遺体と一緒に指輪が埋葬されるのは珍しくないが、それは婚約指輪や家族や親しい人から送られた物が大半、それらは何の変哲もないただの指輪。今回のように魔素を集めるなんてものがあるのは珍しい。
「ねぇスペック、冒険者や魔術使いならわかるけど、一般人だよ、あの指輪不思議だよね」
「恋人が魔術師で、お下がりもらったとかじゃない?」
「あの指輪がなかったら、さっきの人出てこなかったんじゃない」
「だんなの考えすぎだって」
まだ雨が降る、今日は一晩中雨が降りそうだ。
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