第41話 訓練
貴族のカルア・コルフィが墓守となる事が決まった。貴族がその身分を捨ててまで教会の仕事をするというのは時々あることだが、女性がこの仕事に配置されることの方が珍しい。
まだ日が高い、珍しくも昼食を食べていたリッカは食器の片づけを済ませると灰色の上下と黒いローブを取り出してきて、ナイフや清めの酒などの墓守の仕事服の用意を始めていた。
「あれ? こんな時間から墓地いくの?」
「行かないよ、カルアさんが新人で来たでしょ、腕前とか見ないといけないからさ」
「夜も行くんでしょ?」
「いや、今日は休みにする」
いつもはショートソードも身に着けているが、先日モーラ神父との戦いの時に壊れたので、新しい物を注文してある。
鍛冶屋の親方には大事に使えと雷を落とされたが、人間に踏みつぶされたと話したら頭でも打ったのかと本当に心配されてしまった。受け取る時にも小言を言われるのではないかとリッカがぼんやり考えているコンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。
「はーい、開いてますよ」
ドアが開く音と共に外の光が差し込んでくる。
うす暗い部屋にふわふわの金髪で、灰色のドレスに黒のローブを纏った女性がゆっくりと歩いて入ってくる。女性の後ろにはぽっちゃりと太って、髪が薄くなっている男性が立っている。
新人墓守となった貴族、カルア・コルフィとその父であるブラグ・コルフィの2人。リッカが師匠となって墓守の仕事を教える初日、本人だけ来ればいいのだが父としても不安があるのだろう。
「リッカさん、これからよろしくお願いします」
「あ、はい、不慣れですが頑張ります」
スッと頭を下げて優雅に挨拶をするカルア、初対面の時のような荒っぽい感じはおさまったようにリッカには感じられる。以前より穏やかなのはありがたいが、リッカにとっては先日まで気を使う相手だった人が後輩というか、弟子のような立場になるので、やりにくいという感覚が抜けないままでいた。
後ろに立っていたブラグはいつの間にかカルアの隣に並ぶと、真剣な表情でリッカに語り掛けるように話を始める。
「リッカさん、娘は指輪を壊してもらってからイライラするような様子は確かに減ったのです。ですが、結論を出したがるせっかちな所は変わらず、家の『土地』に関する仕事には向かないのです」
「え? それはどういう事ですか?」
「貴族の土地というのはなかなか面倒な物で、土地の権利で揉めている所では双方の名誉を守りながら、両者を納得させなければなりません」
「ふーん、貴族も面倒なんだなぁ」
ブラグが言うには、例えば先祖代々続いてきた貴族の家、隣の貴族の家にこれまた先祖代々受け継がれてきた木が成長して張り出してしまった時。隣の貴族は土地を侵略される訳には行かず、木がある貴族の家は木を切るわけにもいかない。
こんな時にコルフィ家が間に入り双方の土地の区切りを変えたり、王の名の元に土地を譲ったり、木を切ったりすればその便宜をはかった貴族の家には名誉や報酬が与えられるように仲立ちをする事が役目なのだそうだ。
「へー、じゃあ『敷地はここまでですので、木を切ってください』とか簡単に言っちゃいけない訳だ、カルアの嬢ちゃんなら言いそうだな」
スペックが貴族を相手にしているとは思えない言葉使いでズバズバ言っているので、魔素の波長をずらしてカルアとブラグには声が聞こえないように調整する。
「カルアはハッキリ言ってしまうので、片方の味方になったかと捉えられる事も多いのです」
「コルフィ家も大変な役割なんですね」
「そこに加えて、悪魔崇拝や悪魔に操られているのではという噂が立ってですね、私も困っていたのです」
うつむいたカルアは肩をすくませて小さくなっている。
ちょっとした噂や、ほころびに付け込んでくるという意地の悪い水面下の戦いの中では、カルアのような存在はコルフィ家にとっては付け込まれる隙ともなる存在になってしまったのだ。
悪魔付きと噂されているような人物が来て『私が中立の立場で立ち合います』と言ってきても、誰も信用はしないだろう。それが、自分達が先祖代々受け継いできた土地に絡むとあっては面倒になることは目に見えている。
「教会を利用するようで、申し訳ないのですが『悪魔付きが教会の仕事をするわけがない』とハッキリ言えるようにするためでもあります。カルア自身の名誉と、我がコルフィの名を守るためと思ってお願いします」
「今回の悪魔を見つけたのも、ブラグ・コルフィ氏のおかげですからね、こちらこそよろしくお願いします」
「では私はこれで失礼させていただきます。娘の事よろしくお願いします」
やはり、貴族とは思えないほどの腰の低さで頭をペコペコとさせながら帰っていく。ドアが開いたままの部屋の中ではカルアとリッカの2人きりになったように見えるだろう。幽霊のスペックが立っているが、それに気が付けるほどの目を持っていなければ、貴族としては男女2人という避けたい光景が目に入ってくる事になる。
「あれはだんなと娘をくっつけようと狙ってるな」
「くだらない事言ってないで、始めるよ」
リッカが周囲の魔素の操作を止めて、軽い口調でスペックと話し始めるが、カルアは頭を下げて小さくなったまま動かない。灰色ドレスのスカートをギュっと握って下を向いたままだが、床には水滴が落ちた跡がいくつか残っている。
「うぅ……」
「あれ? カルアさん」
「リッカさん、私……」
ゆっくりと顔をあげたカルアは両目を真っ赤にしながらボロボロと涙をこぼしている。
口の両端はキュッと下に引っ張られるようになり、両目の下にはシワもよって、号泣になりそうなのをこらえながら声を絞り出している。
「私、わだじ、うわぁぁん!!」
「え! あの、えっと!」
「あ~、だんな泣かした~」
「わぁぁ! うぇぇ~ん!!」
カルアが泣き止むまでには太陽が2つ分傾くほどかかった。何とか椅子に座ってもらい、泣き叫ぶ声は落ち着いたが、それでもヒックヒックとしゃっくりのような声を時折上げている。
お茶と干しブドウなどの甘味もテーブルに並べておいたが、カルアは目と頬を真っ赤にしながら、お茶だけを口を湿らせるかのように、ゆっくりと口に運んでいる。
「すみません、ヒック」
「うんうん、生きていれば色々あるもんさ」
スペックの言葉に突っ込みを入れたい気持ちをリッカはグッとこらえる。
「私、本当に色んな人に迷惑をかけてしまって、父の邪魔までしてしまいました。思い起せばリッカさんの所を何度も、その、叩いてしまったりして」
「見事にぶん殴ってたけどな」
「スペック!」
「う、うぅ、そんな言い方って、わたじぃ!」
再び、目が涙で満たされて今にも零れ落ちそうになってくる。
軽口を叩いたスペックを睨み付けてから、キリッと真面目な表情を作るとカルアの目をジッと見てゆっくりと言葉を紡いでいく。
「カルアさん、あなたの法術の才能はすばらしいです」
「うぅぅ、えっ?」
「アンデッドを見つけるという目を持っている人は時々いますが、魔素を散らしたり、声を聞いたりする力は誰にでもある物ではありません」
「でも、私、あんまり声は……」
「そうでしょう、それは魔素の波長を変えるという練習が必要です。練習もしないで少しでも聞こえるというのは、すごいことなんです」
スペックがニヤニヤとしながらこっちを見ているような気がするが、無視してリッカは語り続ける。
「墓守として配属されたのは、カルアさんには心外かもしれません」
「確かに、しばらく掃除とかの奉仕をやるのかと思いましたが、心外なんて、そんなこと……」
「墓守には法術に加えて色々な技術が求められますから、カルアさんの才能を見込んでの事だと思います」
「そうでしょうか……」
「私が教える立場になったのも神様の導きかもしれません、一緒に頑張ってみませんか」
「ええ、私、なんでこんな事にってへこんでいましたが、頑張ってみます」
「わぁ~、ちょろいなぁ~」
飽きれたような声を出すスペックだったが、今のカルアにはその声は届いていない。涙の跡がくっきりと残ったままだが、先ほどよりも明るい表情になっている。
リッカはナイフを鞘ごと抜きながら、ドアを開けて外にでる。
「墓守には、法術・魔術・体術と全て求められるだけでなく、葬式などの作法も身に着ける必要があります。まず、体術から見て行きましょうか、さあ全力でかかってきてください」
「だんな、なんか嫌な予感するぜ」
「はい! リッカさん!」
ノリノリになってきているカルアもリッカに続いて外に出ると、思いっきりリッカに飛びかかってくる。
リッカはこれまでのカルアのパターンから拳が飛んでくると当たりをつけていて、軽く払って体術は合格と伝えるつもりでいた。言うまでもなくカルアの拳の切れは素晴らしいものがある。おそらくゼロスト神父もカルアの体の動きから体術面は問題が無いと読んでいたのだろう。
カルアの拳がリッカに迫ってきて、ガードのためにあげた腕に触れるかと思った瞬間に下へ振り下ろされて、その反動で足が振り上げられる。
「えい!」
「あ、入ったな」
あげた腕のすぐ下をドレスの下から現れた美しい足が通り過ぎて行く。リッカの目には何かキレイな物が一瞬キラリと光ったように見えたのかもしれない。
腕のすぐ下を通り過ぎた、カルアの足は何の抵抗もなく、リッカの肋骨に突き刺さる。
「あっがぁ!」
肺から無理やり空気が押し出されて声帯を震わせる。情けないが痛い事だけは良く伝わってくる声を響かせてリッカはゆっくりと倒れていった。
「リッカさぁぁん!!」
「やっぱり、だんなより強いよな」
カルアの墓守の修行はリッカから一本とった所から始まった。
仕事の段取りが何度も変わっております、落ち着かない日々ですが、今日も何とか更新できました。
今後もよろしくお願いします。