第10話 悪魔
教会での報告を終えたリッカは、指輪があちこちで見つかっていた事を知り、嫌な予感を覚えていた。何かあるのかもしれないという不安感は、居心地の悪さを感じさせる。
眠りから覚めたリッカはいつも以上に用意をして、いつものように墓場へと向かう。
「あー、良く寝た」
「おはようだんな、ちょうど日が沈んだとこだぜ」
墓守のリッカはいつものように、ベッドから降りて窓を開け放つ。太陽が沈んだばかりの空はまだ濃い赤色を残し、夕方と夜の間だけに見られる複雑な色合いを見せている。
開け放たれた窓からはどこかの家の夕食の香りと共に、涼しい風が入ってくる。
「だんな、今日の仕事は?」
「いつもの墓地の見回りだよ」
「えー、飽きたよ」
「スペックは何を期待してるんだよ、仕事だからね」
少し固くなってきた買い置きのパンをかじりながら、教会の刺繍の入った灰色の上下に黒のローブを纏う。外からは見えないように作られているローブのポケットへ、清めの酒や棒状になっている火の魔法媒体などを詰め込んでいく。
今日は珍しく普段は持って行かないような、ショートソードも腰に下げて、愛用のナイフも一度鞘から抜いて切れ味を確認していく。
「なんか念入りだな」
「うん、なんかね、今日はやっておいた方がいい気がするんだ」
ローブのポケットから道具を何度か出し入れして違和感が無いかを確認する、同時にどこに何を入れたかを頭と手に記憶させていく。
数回出し入れをすると、バサッとローブを振って動きにくくないか、道具が揺れたり落ちたりしないかも確かめる。
「よし、いいね」
「ほんと念入りだな」
リッカがドアを開けると、赤色はすっかりなくなり世界は夜の時間を迎えていた。暗闇に臆することなくスタスタと歩いて仕事に向かう。
◇
墓場についたリッカはいつものようにゾンビや幽霊が過去に出た場所を次々と巡っていく。墓から這い出たゾンビには墓に戻るように伝え、飛び回る幽霊にも声をかける。このリッカのスタイルも教会の理解があればこそではある。
他の墓守であれば清めの酒と法術でかき消してしまうような相手、リッカはそんなことはしない。人に害をなすアンデッドでなければ、やがて魔素と大地に還るまではここに居ればいい。夜は誰も墓場にはこない安楽の地なのだ。
「いつもと同じだな」
「そうだね、いつもと同じだ」
墓場は区画ごとに区切られていて、石を積んだ壁や鉄の柵でその境目が分かるようになっている。リッカの担当する所はこまめに見回りに来たり、雑草などの手入れをしていることもあり比較的キレイに保たれている。
「だんなの他の墓守って何人くらいいるの?」
リッカはローブのポケットから水筒と干し肉を取り出して、休憩しようと石壁に寄りかかった。そこへ、退屈してきたのか、スペックがふとした疑問を投げかけてくる。
「うちの教会だと3人かな、1人は去年からの新人」
「他の所は?」
「うーん、よくしらないんだけど、3人から5人くらいじゃない?」
「へー、そんなもんなんだ」
墓守の仕事は多く、死者の埋葬や墓地に出るアンデッドの対応、街中でもアンデッドが出現する場合もあるのでその調査などがある。法術の心得がある事が必須だが、人々とは違う時間で過ごす事を嫌がり、墓守になる者は少ない。
「それに、手抜きする所もあるんだ」
「ふーん」
「あっちの区画、雑草が育ちすぎて木みたいでしょ」
「あー、確かに」
リッカが指を指したほうには、背の高さほどもある雑草が見えている。この先の区画は冒険者の宿など根無し草の人々が多く居る地区の教会が担当しており、教会に関わる人々も出自は根無し草のような人間ばかりだ。
墓はあるが身内がいない、手入れをする人が少ない地区で夢破れた遺体が多く眠っている。
「昼に手入れしないし、墓守もアンデッド対応だけで手が塞がって、それで、、、」
「だんな! あれ、あれ!」
説明を続けようとするリッカを焦ったスぺックの声が止める。スペックは靄のような腕を伸ばして指さすように雑草の奥を示している。
「なに? ん?」
「指輪!」
雑草の奥に紫色の光が一瞬見えたような気がする。スペックが言うには指輪が空中に浮いているらしいが、リッカにはよく見えない。もし幽霊が持っているとするのならば、リッカにはその幽霊の姿は見つけられない。
手に持っていた水筒と干し肉をしまいながら、隣の区画へと一歩足を入れる。何かいるかもしれないという警戒は怠らずに慎重に足を進めて、草むらに近づく。
息を殺すように草むらの奥を伺うが、幽霊などのアンデッドは見つけられない。代わりに小さな輪の形に見える魔素の集まりを捉えた、その形はまさに指輪のようだ。異常には変わりない、声も息も押さえて様子をうかがう。
(確かに、指輪に見える。でも幽霊もいない)
ならば考えられるのは使い魔達だ。悪魔や妖精、人造妖精と言われる存在、彼らは魔法媒体を持たずして魔法を使う。時には目をくらませ、時には認識をずらすなど、人の目を逃れる手段を多数持っている。
妖精なら体が魔素に包まれているからわかる、人造妖精は研究所などの限られた場所にしかいない、墓守の使い魔なら主たる墓守がいるはず、残った可能性は一つ。
(悪魔だ、小悪魔程度だろうけど)
悪魔を見つけた時のルールは即殲滅、悪魔は人に害を与える事しかしない。時には人のために知識を与えるような事もあるが、それは戦争や悲劇を大きくするための燃料にするためだ、悪魔には優しさはない。
もう一つ、悪魔は人が創る存在だ。人が人を憎む時、呪いをかける時、それを餌と依代にして悪魔が生まれる。人が人のために身に着けた知識や経験を、人が人を襲うため使う存在が悪魔なのだ。
「だんな、何か分かった?」
スペックが言葉ではない魔素を通じて声をかけてくる。その瞬間、指輪の形の魔素の周りにボンヤリと赤い色が見え始まる。
「まずい! 気付かれた」
悪魔が姿を消すのをやめるとき、近くにいる生き物に害を与えるその時だ。この場にいるのはリッカだけ、こちらに何をしてくるか分からない。リッカはショートソードを抜き右手で構え、左手には火の魔術媒体を持つ。
空中には全身が真っ赤な、赤ん坊のような大きさの悪魔が飛んでいる。丸い球を二つくっ付けたような頭と胴体。目は窪んでおり黒く塗りつぶされたかのようだ、頭髪の代わりにねじれている小さな角が2つ伸びている。
足は機能していないのではないかというほど短く、手も腕も同じように短い。その指には魔素が集められている指輪が紫色の淡い光を放っている。
「先手、もらうよ!」
左手の媒体を構えて魔素を集中、空中に現れていく悪魔に向かって火球を次々と打ち出すが、空中でどんどんと吹き消されるようにに消えていく。火球を意に介さず悪魔はこちらに視線を向ける、その視線からはこちらを見下すような意思が感じられる。
悪魔の指輪は紫色の光を強く放っており、悪魔の動きと連動してより輝きを増しているように見える。
「キィーィ?」
「まだまだ!」
さらに火球を打ち出しながら、悪魔に向かって走り込む。打ち出しては消されていく魔法を気にせず、ショートソードを悪魔の顔に向かって突き出すが、固い金属を叩いたような衝撃で弾きあげられてしまう。
おちょぼ口のような小さな口が一気に耳元まで広がったかと思うと、黒い目も目じりが下がり、悪魔がその表情をニチャリと粘つくような笑顔に変える。
「イヒッ」
「だんな、危ない!!」
悪魔の両手の間に黒い球体が出現している。小さいとはいえ、悪魔は悪魔、人を殺すほどの力は十分にもっている。あの黒い球体は周囲の魔素を集めて、こちらへ打ち出す魔法の用意をしているに違いない。
そう当たりを付けたリッカは周辺の魔素を操作して、周辺の魔素を散らすように動かすが、球体へと流れ込む魔素の方が多い、悪魔の手から黒い球体が弾丸のように打ち出される。
「あが!」
黒い弾丸を腹に受けたリッカは吹き飛ばされて、墓石にぶつかって地面に転がされる。悪魔は腹に手を当てて、ケタケタと笑い声を上げるような仕草をしてとても楽しそうだ。
スペックの目には魔素を操る技術も魔法の腕前も悪魔の方が1枚上に感じる。さっきの剣を弾いたのも魔法、黒い弾丸も魔法、まさに悪魔だ。
腹と墓石にぶつかった背中に痛みが走るが、転がったままでは殺される。痛みをこらえてリッカは立ち上がると、ショートソードと魔術媒体を構え直す。
ローブに仕込んでいた清めの酒が何本か割れてしまい、入れ物だったビンの破片が生地に刺さり、ぐっしょりと濡れている。
「き、効いた。スペック! 周り見てて! 他のアンデッド来たら逃げるよ!」
「だんな大丈夫か!?」
「もうちょっとやってみる!」
腹と墓石にぶつかった背中がズキズキと痛む、骨にヒビくらいは入っているかもしれない。痛みにこらえてリッカはショートソードを振りかぶって、投げつけた。
「ふん!」
ショートソードを投げると同時に魔法媒体から火球を打ち出しながら、悪魔に向かって走り込む。悪魔は笑顔を浮かべたまま、投げられたショートソードを弾き飛ばし、火球を打ち消していく。
悪魔の目前まで迫ったリッカは、空いた右手で割れずに残った清めの酒を瓶ごと悪魔の顔に向かって振り下ろす。ショートソードと同じように弾き飛ばされ、割れたビンから当たりに清めの酒が飛び散る。
再び黒い球体が悪魔の両手の間に現れる。ニチャリとした笑顔のまま、黒い弾丸を打ち出そうと悪魔が構えたその瞬間、フッと球体が消え去った。
「やっぱりね」
笑顔から驚きの表情に変わった瞬間、リッカは懐から愛用のナイフを抜き、悪魔に向かって突き立てる。さらに、悪魔の周辺の魔素を薄くするように操り、悪魔から魔素を引き剥がす。
「キジャー!!」
悪魔が怒りと憎しみを詰め込んだような叫び声をあげる、ナイフが刺さったところから悪魔の体がどんどんと灰色になり、全身がその色に染まった瞬間、灰が吹き飛ぶように風に流されていった。
最後に悪魔の指にはまっていた指輪が石の上に落ちて甲高い音を響かせる。
「だんな、倒したのか?」
「うん、何とかね」
「指輪の魔素を使わせて空にして、清めの酒で魔法を邪魔したの」
「あー、だから、だんなの法術で魔法消せたのか」
ローブのポケットから布を取り出して、悪魔が落とした指輪そっとくるんでポケットに入れる。もうこの指輪に魔素が見えない。悪魔が剣を弾いたり、こちらを吹き飛ばすほどの魔法が使えたのもこの指輪のためだろう。
よくよく自分をみると、ひどい恰好だ。割れた清めの酒でびしょびしょで、破片やあたりのゴミがローブにへばりついている。火の魔術媒体は連射しすぎて一部焦げているし、ショートソードは何か所も刃こぼれが見える、愛用のナイフは悪魔に突き立てた物だから、呪いでもかかっているかもしれない。
腹部と背中に時折走る痛みをこらえながら、教会へと足を向ける。そろそろ夜明けだ、こんな格好だが悪魔を見つけて、この指輪を見つけた。教会への報告は急いだほうがいい。
「何とかしたけど、被害甚大だね」
「その傷で大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないよ、スペックは周りみてて、アンデッドがいたら避けるから」
この状態で敵意を持つアンデッドに会うと厄介だ、道具が無いだけでなく怪我もあり、法術もいつもより精度が落ちるだろう。
「ひどい格好だけど報告に行くよ、悪魔も指輪もみつけちゃったからね」
「俺、教会には行けないけど、せめて先に帰って薬箱くらい出しとく」
「いや、せめて、墓地から出るまでは付き添ってよ」
墓地から出る頃には太陽の上る方向が僅かに明るくなってきている。こんなボロボロでは目立つだろうがそんなことは言っていられない。痛みをこらえて教会へゆっくりと歩く。
読んでいただきましてありがとうございます。
皆さまが来て頂いているおかげで執筆意欲が高まります。
特に今回のような描写は初めてやりました。
まだまだ不慣れな所も多いですが、次の話もよろしくお願いします。
評価や誤字脱字報告など、ありがとうございます!