絡繰人形は物語を知らない ver.0.1
※作中に登場する絡繰人形による小説は、全て筆者が開発したプログラムによって執筆されています。
玄関口で踵の潰れた革靴を履いてから、俺はふと振り返った。
俺が春に越してきたばかりの四畳半の学生アパートは、ほんの半年ですっかり畳が見えなくなっていた。特価本の山がそびえ立っているお陰で、正面の窓は暫く開けていない。右手には万年床が陣取っており、左側の壁には設計図が幾重にも折り重なって貼り付けられたままだ。その下には工具と部品とが無造作に散らばっている。足の踏み場があるのは、部屋の真ん中の卓袱台周りしかない。
そして今はその希少な空間さえも、「彼女」によって占拠されている。「彼女」の名前はリャカという。俺が独学で組み上げた、「絡繰人形」である。
リャカは座布団の上に正座して、宮沢賢治を食い入るように読んでいた。その横顔は、新式の絡繰にも引けを取らないほど美しい。花街で捨てられていた絡繰人形を素体にしたのは正解だった。血の通っていない美しい白い肌も、俺が何度も鑢がけして仕上げたものだ。
だがそんなことは、どうでもいいのさ。俺は、男の相手をさせるためにリャカを作ったのではない。
「それじゃ、ちょっと外に出るよ」
「行ってらっしゃいませ」
リャカは感情の無い声で答えた。視線は開いた本に落としたままだった。でも俺は知っている。その本を、リャカはもう三度は読んでいる。だがリャカは、自分で本を取ろうとしない。いつも俺が渡した本しか読もうとしないのだ。
「その本も、もう飽きただろう」
「いえ。楽しいです」
今まで一度も、リャカが不平を言ったことはなかった。いつもすました顔で本を読んでいる。もっと豊かな表情もできるように算譜を作ったはずだが、リャカが表情を変えるところは見たことが無かった。算譜というのは、絡繰人形の挙動を制御する特殊な言語みたいなものである。多分、「感情」の算譜に錯誤があったのだろう。全ては俺の無能のせいだ。
所詮、俺は工学の専門家ではない。凡庸な仏語科の学生では、工学書を読み漁ってどうにかこうにか旧式の絡繰を組み上げるだけで精一杯だった。多少動きがぎこちなかったとしても、リャカが俺の期待に応えてくれるなら、それで十分なのだ。
いつもならリャカには留守番をさせて、俺一人で書店へ行き、リャカに読ませるための本を買ってくるのだが、この日の俺は、なぜかリャカに尋ねたのだった。
「君も書店に行くかい?」
「はい」
リャカはすぐに顔を上げた。表情は変わらない。喜んでくれても良かったのだけれど。
リャカをお供に連れて、俺は神保町の古書店街へ足を向けた。リャカの歩みは少し遅いので、半時ほどかかってしまった。
俺の行きつけの書店へ入ると、老店主の目が僅かに丸く見開いたのが分かった。だが俺は気にせずに、小説の並ぶ書棚へ向かった。
リャカは、あちこちの書棚に並んだ数多の本を見まわしていた。これだけ多くの本を目にするのはこれが初めてだから、嬉しいのかもしれない。
「読みたい本はあるかい?」
だがリャカは本に手を伸ばさなかった。
「特には」
俺に遠慮でもしているのだろうか。
「これとか良さそうだ。ヴェルヌの『地底旅行』」
俺が本を渡すと、リャカは待っていたように無言でそれを開いて読み始めた。自分で作っておいてなんだが、不思議な奴だ。
「書生さん、それは『ガァルフレンド』かい?」
最近覚えたのであろう若者言葉を自慢そうに口にしながら、老店主はリャカを一心に凝視していた。
「持ち込み禁止の張り紙はありませんでしたが?」
「花魁人形と駆け落ちごっこをするのが、今の『ヤング』の流行りなのかね? 嘆かわしいことだ」
「店主、リャカは花魁人形ではありません」
「はいはい。好きにしたらよろし」
言いたいことだけ言って、老店主は奥へ引っ込んでいった。
この大正の時代になって、絡繰人形を昼間に連れて歩く人は珍しいものではなくなった。とはいえ、まだ将軍のいた頃は、絡繰人形と言えば花街で男の相手をする花魁人形しかいなかったから、年寄りが絡繰に偏見をもっているのは仕方のないことではあった。それに昼間に見かける絡繰人形も大抵は金持ちの給仕だから、俺が怪しまれるのは当然と言える。
俺も初めは、リャカを外に出そうとは思っていなかったし、これまで外に連れ出したことも無かった。人目のこともあるが、何よりリャカに持たせた能力を理解してくれる人がいないだろうという不安があったことが大きい。他人に見せても恥ずかしくないくらいの実力が伴ってきてから大々的に売り出し、世の中を驚かせてやろう、というささやかな野望もあった。それが無理だったとしても、このままずっとリャカと二人きりで小説を読んで暮らすのも悪くはない選択肢だと、俺は本気で思っていた。
だが俺の目論見が蜃気楼であることは、すぐに明白となった。俺がいくら本を買い与えて読ませても、リャカの能力は進展しなかった。俺が必死になってリャカを作った努力は水の泡だったのだろうか、と何度も思った。リャカが生まれてきた意味は無かったのだろうかと、寝床でいつも考えていた。少しずつ、少しずつ、俺は追い込まれていた。きっかけが欲しかった。
だから俺は、リャカを外へ連れ出したのかもしれない。それでも俺は、まだリャカと過ごす日常が壊れることはないだろうと高を括るような、浅はかな「ヤング」だった。
本を三冊買って書店を出ると、そこには黒塗りの馬車が止まっていた。
何だろう、と思っていた矢先、背後に潜んでいた絡繰がリャカを羽交い締めにして、俺から引き離した。さらにもう一体の絡繰が間に割って入り、俺の前に立ち塞がった。
「おい待て!何をする!」
リャカの素体は英国製の旧式だったから馬力も弱い。あっという間にリャカは馬車の脇まで引き摺られていった。
「その絡繰人形、儂が買った」
そう言い放った若い男が、馬車から身を乗り出して、捕らわれたリャカを眺めている。あれは多分、戦争成金だろう。
「売り物ではありません」
「別にいいじゃないか。新型を一体買っても余るくらいは出すよ。儂は収集家でね。特に、まだ職人が手作りしていた参式の顔が好きなんだ」
「駄目です。リャカを売る訳にはいかない!」
男は面倒そうに俺の方を向いた。
「強情だねぇ。心配しなくても、大事に使ってあげるよ。使い捨てにするような無粋な輩と一緒にされては困る」
「俺のリャカは、そんなことのために作ったんじゃない」
「作ったとはまた酔狂なことを言う。どうせでまかせだろう? まぁいいさ。なら何に使うんだね? ただ身の回りの雑用をさせるためだけに、君は絡繰を侍らせているとでも?」
この期に及んで、俺はリャカの能力のことを言うべきか迷っていた。だが「ただの給仕だ」と言って納得してもらえる相手ではなさそうなのは確かだった。
「リャカを作った理由を教えれば、これは無かったことにしてくれますか?」
「いいぞ。教えてみろ、書生君よ。この大衆の往来の前で言えることならな」
若い男は嫌味ったらしく笑った。
俺は横目でリャカの方を見遣る。リャカは、本を読んでいる時と変わらない表情に見えた。リャカが笑うところを見るまでは、俺は諦められない。
「リャカは、小説を書いてもらうために作った絡繰なのです」
俺の言葉に対して、一瞬、男は間を置いてから、呆れたように笑い出した。
「絡繰が小説を書く? 何を馬鹿なことを言っているんだ、書生君。頭が空っぽの絡繰だぜ? 小説なんて書けるはずがないじゃねぇか」
「それでも俺は、読みたい小説があるんです。だが自分では書けなかった。だからそれを書いてもらうためにリャカを作ったんです」
それを聞いた男は、少し思案してから太腿をパチンと叩いた。
「よし。そんならここで試しに絡繰先生に書いてもらおうじゃねぇか。それで白黒はっきりつけようぜ」
俺の背中に、冷たい汗が一筋流れる。だがここで怯むわけにはいかない。
「いえ、それが……実は、リャカにはまだ小説が書けないのです」
「は? 今何て言ったんだい、書生君?」
「いずれは書けるようになるはずですが、今はまだ勉強している途中なのです。それに俺の仮説も完璧ではありません。少しずつ修正していく必要があるのです」
男はあからさまに不機嫌な顔に変わった。
「なんだよそれ。つまらねぇなぁ。小説書けねぇの? じゃあ使えねぇじゃんか。もっと金を積んでやろうかと、少しでも思ってしまった自分が情けねぇよ」
男は巾着袋を取り出して中に手を突っ込むと、中から適当に金貨を掴んで投げた。俺の足元に、一年は遊んで暮らせそうなお金が散らばった。
「書生君、交渉は決裂だ。すまないが、それはもらっていくよ。明日には芥捨て場に転がっているかもしれないがね」
「やめろ!」
男の絡繰がリャカを背負って馬車に乗り込もうとした。俺はそれを止めようとしたが、手前の絡繰に邪魔をされて近付けない。
「待ってくれ! リャカが居なくなってしまったら、俺は!」
するとその時、馬車の前に歩み出てきた人物がいた。
「ちょっとよろしいかな」
それは紺のビロードのコートを着た老紳士だった。薄灰色の髪は綺麗に整えられている。顔の皴の深さとは対照的に、若者のような澄んだ蒼玉の瞳をしていた。すっと背筋の伸びた立ち姿は、凪いでいる海のような雰囲気を醸し出している。一見すると温厚そうではあるものの、一歩間違えると深い底まで引き摺り込まれてしまうのではないかと予感させる恐ろしさが、そこにはあった。
「いかがしましたか、ご老人」
流石にこの男も運だけで成金になった訳ではないようで、老紳士の佇まいに何かを感じ取っているようだった。
「その絡繰人形は、ウチが買おう」
「お孫さんへのお祝いの品ですかな? しかし失礼ですが、私が先に買ったのです。私から買うなら、相場の二倍は頂くことになりますが、よろしいですかな?」
老紳士の口元が、ふと緩んだ。
「よかろう。言い値で買ってやる。お代はウチの店に取りに来なさい」
そう言うと、老紳士は男に背中を向けて歩き始めた。
「店? 店ってどこだい?」
老紳士は振り向きながら答えた。
「『ゲイゼル』だよ。そうそう、君の父上によろしくな、猿田君」
去っていく老紳士の背中を見つめながら、男は舌打ちをした。
「くそっ! 『ゲイゼル』の野郎かよ! おい、そのくだらん絡繰は捨てていくぞ。無駄な時間を食っちまった」
男の指示でリャカは解放された。幸いどこも壊れていないようだ。
馬車が蹄の音を立てて騒々しく去っていき、俺達だけが路上に残された。ほっと肩の力が抜けたが、すぐに俺はさっきの老紳士の姿を探した。しかし人混みの中に紛れてしまって、見つからない。
「さっきの人に御礼をしないと」
「あそこ」
リャカがその白い指を差した先に、あの紺のコートの老紳士の姿が見えた。ちょうど路地に入っていくところだった。
「ありがとう、リャカ。助かる」
しかしこのまま歩いて行ったのでは、また見失ってしまう。かといってリャカを置いていく訳にもいかない。俺はリャカをおんぶして、人混みをかき分けて走った。
老紳士の消えた路地に入ってみると、途端に人影は少なくなった。老紳士の姿は見えなかったが、一本道だから、この先のどこかにいるはずだった。曲がりくねった道を奥へ進んでみると、建物の陰になった薄暗がりの一角に掲げられた、ネオンサインの看板が目に留まった。
『お茶パブ ゲイゼル』
恐らくここが、老紳士の言っていた「店」なのだろう。いかにも怪しい店だが、他に心当たりもない。
俺はリャカを下ろしてから、恐る恐る店のドアをノックしてみた。
「すみません」
「どうぞ」
さっきの老紳士の声だった。ドアを開けて入ってみると、そこにはカウンター席が並んでいた。奥にはテーブル席もあるようだ。しかし客はいない。バーカウンターの前の棚には、所狭しと茶葉の入った瓶が並んでいた。これがお茶パブというものなのだろうか。
「いらっしゃい。ゆっくりしていきなさい」
気付くと老紳士がカウンターに立っていて、湯を沸かしていた。
席に座るのを勧められたが、俺はその場で深く頭を下げた。
「先程は助けて頂き、ありがとうございました」
「気にしなくていいんだよ。私が勝手にやったことだ」
「しかし、お金が……」
「お代のことなら、彼は取りに来ないよ」
老紳士はにこりと笑いながら、茶葉の瓶を一つ手に取った。茶葉を匙にとり、白い陶器のポットに入れる。
「もしそうだとしても、何か御礼をしないと気が済みません。何でも仰ってください。できる限りのことはしてみますから」
「面白い子だね。君は」
老紳士は、ポットに湯を回して注ぎ入れて、それから小さな蓋を置いて蒸らした。茶葉の安らぐ香りが広がった。それから老紳士は口を開いた。
「ではこうしよう。私は君の絡繰人形を買った。そして君は後払いで買い戻した。そしてその分のお金は、その子にこの店の給仕として三か月働くことで返してもらう。どうかね?」
「リャカが、この店で給仕を……? 本当に給仕の仕事だけですか?」
「もちろんだ。信頼してくれていい。私はね、君の『小説を書く絡繰人形を作りたい』という夢を信じたくなったんだ。この店は、懇意にしてくれている作家も多い。もしかしたら君達の役に立つかもしれない」
「……」
確かに茶を運ぶくらいならできなくもないとは思う。だが、今日初めて外に連れ出したのに、いきなり働くだなんてできるだろうか。
俺はリャカの目を見つめる。するとリャカは、俺の服の裾を掴むと、じっと俺の目を見て頷き返した。リャカがこんな行動をするのを見るのは、初めてだった。
これは何かのきっかけになるかもしれない。俺はそう直感した。
「分かりました。給仕をするために作ってはいないので、ご期待に沿えるかは分かりませんが、やらせて頂きます」
老紳士はお茶をカップに注ぎながら、微笑みを浮かべていた。
「良かった。私は店主の佐原だ。よろしく」
「私は椿です。帝都学院の仏語科に通っています。こちらの絡繰人形はリャカといいます」
「立ち話もなんだから、どうぞお座りなさい」
「しかし、高価なお茶を頂く訳にはいきませんし」
リャカの躰の整備費用が嵩んでおり、正直、俺の懐事情はよろしくない。
だが佐原さんは、構わずにカップを差し出した。
「ウチの従業員には、無償で提供しているんだよ。だがリャカちゃんは飲めないのだから、君が代わりに飲んでくれていいんだ。さぁ、冷めないうちにどうぞ。ジャスミン・ティーだ」
「では、ありがたく頂戴します」
初めて飲んだジャスミン・ティーは、まるで茉莉花の花弁で包み込むように、冷えた体の芯を奥底から温めてくれた。
翌日、講義が終わった俺は、一旦下宿先に戻ってリャカを拾ってから、神保町へ向かった。佐原さん曰く、お茶パブ「ゲイゼル」が営業しているのは夜だから、あまり急がなくてもよいとのことだった。
店に着く頃には日が落ちており、看板の桃色と黄色のネオンサインが妖しく辺りを照らしていた。
「失礼します」
ドアをノックしてから入ると、そこには佐原さんの姿は無かった。その代わり、俺と同年代くらいの給仕服を着た女性がテーブルを布巾で拭いているのが目に留まった。藤色の着物に白いエプロンが映える。キビキビとした動作でテーブルを拭く度に、後ろで纏めた髪が野花のように揺れる。俺たちに気付いた彼女は振り返るなり、キッと睨みつけて布巾を投げつけてきた。
「遅い! 貴方達が今日から入る新人さんでしょ? どうして先輩より先に準備をしないのさ!」
「す、すみません!」
「言葉より先に手を動かせ! 接客に上限無し! 店の敷居を跨いだら、常にお客様のことを最優先に考えなさい!」
「はい!」
まるで軍隊の鬼教官のような奴だ。仕方なく、鬼教官の監視の下、俺とリャカで手分けしてテーブルを磨いていると、店の奥から佐原さんが顔を出した。
「おや、栗山川さん。新人の子が来たら私を呼ぶように言ったじゃないか」
「遅く来るのが悪いんです。それに店の仕事を覚える前にお客さんの前に出そうだなんて、佐原さんも甘すぎる!」
「私の見込みに狂いは無いよ。リャカさんは絡繰だから、きちんと仕事をしてくれるはずさ。それに椿君はリャカさんの付き添いというだけで、雇ってはいないよ」
「え」
栗山川さんと呼ばれた女性は、まずリャカが絡繰であることに目を丸くして、さらに俺が雇われていないということに口をポカンと開けた。まさかリャカが絡繰人形であることにさえ気付かなかったとは、なんと仕事熱心な方なのだろう。
リャカが栗山川さんに連れられて給仕服に着替えに行っている間に、俺は佐原さんにお茶を淹れてもらった。それから夕飯代わりに、チップスを注文した。佐原さんはお代は要らないと言っていたが、無理を言って受け取ってもらった。
揚げたてのチップスをフォークに刺して齧ると、香辛料を利かせた衣と火のよく通った芋の絶妙な味わいが口の中に広がった。
俺はまだ二人が帰ってきていないのを確認してから、佐原さんに尋ねた。
「あの栗山川さんという方は、まるで教官みたいですね」
「彼女は自分に厳しいからね。以前は別の所で働いていたんだけど、今はこの店で働きながら作家を目指しているんだ。椿君も今度読ませてもらうといい」
「読ませてもらえますかね」
「きっと今日読めるはずだよ」
「というと?」
その時、店の裏から足音がした。きっとリャカと栗山川さんが戻ってきたのだろう。
「お待たせしました」
戻ってきたリャカの姿を見た俺は、思わずチップスをフォークから落としそうになってしまった。
濃い臙脂色の着物に給仕服のエプロンがよく似合っている。が、それだけではない。
「つい出来心で、軽くお化粧してあげんだけど、どう? 可愛いでしょ?」
栗山川さんが自慢げになるのも無理はない。リャカはいつものすました表情だったが、仄かに桜色を帯びた頬は、まるで人間のようだった。
「うん、よく似合ってる」
「あんた、もう少しリャカちゃんに女の子らしいことさせてあげなさいよ。着てた服も地味だったし」
「気を付けます……」
「さて、そろそろお店を開ける時間だ。準備をしておくれ」
「そこでチップスに舌鼓を打っている書生君は片付けてもいいですか、マスター?」
「彼はお客さんだよ。丁重におもてなししなさい」
栗山川さんは俺に向かって大きくベロを出しながら、店の奥へと消えていった。
開店時間が過ぎてしばらくすると、ちらほらとお客さんがやってきた。半時が過ぎると、席が半分くらいは埋まっていた。
リャカは、さすがに絡繰らしく、教えたことは一度で理解して無難に給仕の仕事をこなしていた。もっともリャカは無愛想なので、栗山川さんが注文を受けて、リャカが配膳をするように分担しているようだったが。
リャカにちょっかいを出すような輩がいるのではないか、と初めは不安に思っていたのだが、どのお客さんもリャカに優しく接してくれていた。佐原さんの目が届いているせいもあるのかもしれない。だが観察していると、そもそも心優しい人が、佐原さんの人柄に惹かれてこの店に来ているような印象を受けた。仕事終わりにアルコールで鬱憤を晴らすのではなく、温かいお茶で安らぎたい。そういう願いを持つ人たちが、ここに集まってきているのだろう。
客の入りのピークが過ぎた頃、一人の男が来店した。背は高く痩せ型で、よれたコートを羽織っている。まるで歩く案山子のようだった。
案山子男が入った途端、店内の小さなお喋りの声が静まり返った。一体何が起こるというのだろう。俺は万が一に備えて、店の奥にいるリャカに目を遣り、身構えた。
案山子男は俺の隣の空いているカウンター席に座った。佐原さんに温かい麦茶を所望すると、茶色の鞄から大事そうに年季の入った封筒を取り出した。今まで見たことが無いくらいに、分厚い封筒だった。
「来たのね」
案山子男に話しかけたのは、栗山川さんだった。
「そっちこそ、逃げたのかと思ったぜ」
見れば栗山川さんも、同じくらい分厚い封筒を両手で抱えていた。
「審判は誰にする? 店長は決まりとして、今日いる中だと……我孫子さんと久留里さんでどうだ?」
「私もそうしようと思っていたところよ」
一体、彼らは何を始めようというのだろうか。俺が目立たないように息を潜めていると、佐原さんが口を開いた。
「ちょっと待った。私は今日は辞退するよ。代わりに、そこにいる椿君を推薦しよう」
「えっ!? どうしてですかマスター! なんで今日来たばかりの人に!」
「そうだぜ。僕達は、店長の批評を聞くために今日ここに来たようなものなのだから」
急に矢面に立たされてしまった俺は、ただ状況を見守ることしかできなかった。
「私も、理由もなしに椿君を審判に推薦した訳ではない。彼は仏語科の書生であり、文学に明るい。しかもそこにいる絡繰人形のリャカさんを作った人物だ。ただの文芸批評家とは違う視点を持っている」
「仮にそうだとしても、ここには色んな経歴を持った人達が集まってるじゃないですか。その中で彼が群を抜いて審判に向いているとは思えません」
すっかり顔を赤くして抗議している栗山川さんを、佐原さんは制してこう言った。
「理由はもう一つある。この椿君は、リャカさんに小説を書かせようとしている野心家だ」
その瞬間、店内にいる全ての人間の視線が俺に向いた。興味と関心と懐疑と恐怖と期待の混ざり合った眼差しによって、俺は逃げ場を失ったことを即座に理解した。
「本当か?」
案山子男が尋ねてきた。
「本当に、その絡繰人形は小説を書けるのか?」
それは心の奥から出てきた曇りのない言葉で、嘲笑の色が無いのは明らかだった。
だが俺は、昨日の猿田という男を思い出していた。結局、猿田の言っていたことは事実だった。俺はリャカに小説を書かせることはできていないし、そうである以上、リャカの存在意義は無いに等しい。濁流のように襲いかかる己の無力さに溺れてしまいそうになるのを堪えながら、俺は言葉を紡いだ。
「リャカは文章を書くことはできますが、誰かを感動させたり、面白いと思わせるような小説を書くことはできていません。ですから文章は書けますが、小説はまだ書けません」
「しかし絡繰人形なら、言葉を話せるだろう。それなのに小説が書けないというのは、ちとばかり変だ」
「一般的な絡繰の会話は、あらかじめ吹き込んでおいた言葉を場面に応じて発声させているだけです。自分でものを考えて、それを言葉にしているのではないのです。私も最初はそれを応用できるのではないかと思って試したのですが、思ったような文章を書くことはできませんでした」
俺は、あの猿田と同じように、案山子男からも罵倒されるのだろうと身構えた。
だが彼の返答は意外なものだった。
「いいだろう。僕は承知した」
「私も了解です。納得はしていませんが」
栗山川さんは、隙さえあれば布巾を投げつけてきそうな目で俺を睨んでいた。
「いえ、ですからリャカは小説を書くことはできていません。私は、皆さんが期待しているような天才技術者ではないのです」
俺は喉が詰まりそうになりながら、声を絞り出した。だが佐原さんは俺の肩を叩いて言った。
「絡繰人形に小説を書かせようと思いつく人間なら、いくらでもいる。だが実際に書かせようとするのは百人に一人だ。そして実際に書かせようとして失敗しても、試行錯誤を重ねて挑戦をし続けるのは、さらに百人に一人だ。それだけで、君は面白い。ここにいる人達は皆、そう思っているのだよ」
その言葉は、俺を冷たい水の中から掬い上げて、温かい毛布に包んでくれたような気がした。こんなに幸せな気持ちになったのは、リャカを作り始めて以来、始めてのことだった。
「それは……ありがとうございます」
「では決まりだね。椿君、よろしく頼むよ」
「ちょっと待ってください。俺はまだ何が何だか分かっていません。事情を説明してください。一体これから何をしようというんですか?」
「簡単なことだよ。栗山川さんと、こちらの日向さんは、今日『小説比べ』をする約束をしていたんだ。『小説比べ』というのは、二人の作家が書いた小説を、三人の審判が読み、各自で優劣をつけて、多くの優勢を取った作家の勝ち、という遊びだ。
椿君は、二人の小説を読んで、優勢と思った方をこの紙に書いてくれればいい」
佐原さんから、小さな紙片と万年筆を手渡された。
「なるほど。しかし小説の優劣というのは結局、個人の主観だと俺は思っているのですが、それは考慮しないのですか?」
「主観でいいんだよ。公正に判断してくれる審判であると参加者がお互いに認めていれば、問題ない」
ここでテーブル席に座っていた二人の男が立ち上がり、カウンター席の空いているところへ座った。一人は腹が丸く出ていて長い顎髭を蓄えた初老の男で、もう一人は髪をポマードで七三に分けた中年男性だった。彼らが、俺以外の二人の審判なのだろう。
「では、いつものように読むのが遅い方から始めましょう。椿君は、読むのは速いかい?」
「読む速さなら、『吾輩は猫である』を半日で読むくらいです」
「じゃあ久留里さんの次にしようか」
佐原さんがさっきの二人のうち、小太りの男に目配せをした。久留里さんは、すぐ近くに立っていた栗山川さんから封筒を受け取って、中から原稿用紙を取り出すと、長い顎髭を弄りながら読み始めた。
「あの、その間に俺は日向さんの原稿を読みましょうか?」
正直、俺は早くその審判とやらの仕事を終わらせてしまいたかった。昨日遅くまで本を読んでいたせいで、すっかり眠たくなっていたのだ。欠伸が止まらない。
しかし俺が目を遣ると、佐原さんは首を横に振っていた。その理由はすぐに分かった。店の中にいた客の全員が、久留里さんの後ろに集まって、一緒に原稿用紙に目を通し始めたのだ。敵方である日向さんも、それに加わっている。
つまり、最初に読み始めた審判とともに観客も読むことになっているから、別の審判が並行して読んでしまうのは興が醒めるということなのだろう。
しばらく待っていると、久留里さんから一枚目の原稿が渡された。初めて読む栗山川さんの小説だ。眠気を押し殺して、その四百字詰めの原稿用紙に目を通す。読み終わってから、次の番の我孫子さんへ手渡した。我孫子さんは、さっきからニコニコと笑っているのだが、どうやらこれが普段の表情のようだ。
それから俺は皆の目を盗んで、日向さんの封筒から原稿を抜き取った。誰も気付いていないようだ。そして冒頭に目を通す。
久留里さんから二枚目が渡される頃には、もう日向さんの一枚目も読み終わっていた。それから優勢の方の名前を書いて、紙片をまるめて拳に握った。そしてそのままカウンターテーブルに突っ伏す。どうせ終わったら起こされるはずだ。そして俺は暫くの間、睡魔に身を任せた。
「おい。起きろ、審判」
栗山川さんに肩を揺らされて起きた時には、時計の長針が文字盤を二周ほどしていた。
「何でしょうか?」
「あんた、いつの間に寝てんのさ。ちゃんと原稿読んだんでしょうね?」
そこに笑顔の絶えない我孫子さんが口を挟んだ。
「大丈夫だ。後の番の私が見ていたからね。彼はちゃんと読んでいたよ。最初の一枚だけね」
栗山川さんが無言で布巾を掴んだのを、俺は見逃さなかった。
「待ってください。これには深い事情がありまして」
「言い訳を述べてみなさい」
「実は、俺は小説を少し読んだだけで良し悪しが分かるのです」
顔面に鷹のような速さで布巾が衝突した。
「そんなこと、ありえないでしょ! 私を馬鹿にするな!」
「いや、本当なんです! 文字を読むと、頭の中で音が聞こえてくるんです。その音で、小説全体のイメージが分かるので」
「あんたの妄想なんて聞きたくない!」
「待ちなよ、栗山川の御嬢さん」
般若のような栗山川さんを止めたのは、久留里さんだった。
「私は外科医をしているが、こんな報告を聞いたことがある。極稀に、文字を読んだ時に色が見える人がいるそうだ。他にも、音に色があると感じる人もいるらしい。だから、小説を読むと音が聞こえるというのもあり得ない話ではないと、私は思うよ」
「本当にそんなことがあるんですか?」
栗山川さんは目を丸くして尋ねる。
「残念ながら、私も直接そういう人に会ったことはないがね。しかし、この書生君がその持ち主だというのだから、ここでそれを証明してもらえばいい」
「どうやってやるんです?」
「まずは私と我孫子さんの評価と比べてみようじゃないか。それにこの店には、過去の小説比べの原稿と結果が残っているから、それも書生君に読ませてみればいい」
どうやら俺は今日も夜更かしすることになりそうだ。眠らなくてもいいリャカが、俺は羨ましかった。
「分かりました。俺の評価はこの手の中の紙片に書いてあります。まずはお二人の評価をお教えください」
「ではまず私から。私、久留里は栗山川さんに投票します」
そう言って、久留里さんは栗山川さんの名前が書かれた紙片をテーブルに置いた。
「今日は批評は後にしよう。我孫子さん、どうぞ」
「分かりました」
我孫子さんはにこやかに答えて、テーブルに置いてあった紙片を裏返す。
「私も栗山川さんへ一票」
案山子の日向さんが、やはりというように肩を落とす。どうやら栗山川さんの原稿を読んで、結果を悟っていたようだ。
「ではそこの書生君の評価を聞いてみよう」
俺は拳を開いて、くしゃくしゃになった紙片の皴を伸ばしながらテーブルの上に置いた。
「俺も栗山川さんへ票を入れます」
おぉ、という声が上がる。
「ふむ。では理由をお聞かせ願おうか?」
「日向さんの小説も、良かったと思います。私には、雨漏りしている屋根から落ちる水滴の音がしました。期せずして家の中に入り込んでしまった水滴が、憎たらしそうに見つめる人間の呟きに身を震わせながら、割れた湯呑みの中へ落ちていくのが聞こえました。私は好きです。
でも栗山川さんの小説は、蝶の逃げる羽音が聞こえました。その蝶は瑠璃色の羽をしていて、暗い森の中でも日の光を浴びたみたいに輝いていました。いつも人間の蝶収集家に追われているのですが、羽化したらすぐに死んでしまう儚い命なので、逃げるうちに死んでしまうのです。そういう蝶の羽音でした。
音の情景の広がりと、裏にある繋がりと、音の能動性を感じたので、私は栗山川さんに票を入れました」
俺の説明に、一同は静かに耳を傾けていた。中には頷いている人もいた。
「それを君は、あの冒頭の一枚から読み取ったのかい?」
我孫子さんは、笑顔を忘れて真顔になりながら尋ねてきた。
「読み取った訳ではありません。文字情報だけでは、その先にどう展開するかなんて分かりませんから。でも聞こえる音からは、その先にどう展開するのかが直感的に分かるのです」
「これは驚いたね。二人の小説の特徴を端的に言い表しているよ。私でも、ここまで簡潔に例えるのは難しい」
「作家の我孫子さんでもそう思うのかい。それなら彼の能力は本物かもしれないぞ。よし、マスター。過去の小説比べの原稿も持ってきてくれ。彼に読ませたい」
久留里さんが頼んだ時には、既に佐原さんは紐で縛った分厚い封筒の束を持ってきていた。
天井を見上げて打ちひしがれた俺に、佐原さんはカウンターから温かい焙じ茶を差し出した。ちょっと苦みが強くて、目が冴えてしまった。これは零時を回るまで解放してもらえそうにない。
その日以来、俺は小説比べの審判を頻繁に頼まれることになった。過去の小説比べについての俺の見解が悉く審判の評価と一致していたことで、信頼を得ることができたようだった。初めは、リャカの付き添いで店に行っても暇を持て余すだろうと思っていたが、かえってリャカよりも俺の方が忙しくなってしまったような気がする。
一方、リャカは着実に店の仕事を覚えていた。二週間も経つと栗山川さんの代わりを務められる程に成長していた。接客に愛想が無いのは相変わらずだったが。
そんな頃、すっかり固定席になったカウンターの右端で夕飯のチップスを食べていると、隣に座ってくる人がいた。栗山川さんに小説比べで負けた、案山子男の日向さんだ。会うのは、小説比べの日以来だ。
「今、時間あるかい? 食べながらでいいんだが」
「何でしょう?」
「実は僕は、大学で絡繰工学を学んでいる学生でね。君がリャカさんに小説を書かせようとしていると聞いて、僕も軽い気持ちで作ってみたんだ。しかし満足できる小説を書いてくれなくて困ってしまった。そこで君に助けを求めに来たって訳さ」
「リャカも完璧な小説を書けている訳ではありません。俺も勉強したいことが多いので、ぜひお話を聞かせてください」
日向さんは、佐原さんに温かい麦茶を注文してから話し始めた。
「僕が知りたいのは算法なんだ。僕は、雛形になる文章をあらかじめ与えておいて、そこに単語を入れ込む方式で小説が書けるのではないかと考えた。
例えば、まず『甲は乙へ行った。』という文章を絡繰に記憶させる。そして甲を『彼』、乙を『東京』にすれば、『彼は東京へ行った。』という文章になる。あるいは甲を『犬』、乙を『公園』にすれば、『犬は公園へ行った。』という文章になる。
だが幾つか問題がある。その一つは、雛形の文章に自由度が無いことだ。『甲は乙へ行った。』の後に『甲は乙と思った。』を続けたいこともあれば、『甲は乙と考えた。』と続けたいこともある。そうした分岐を各雛形に対して定義していくと、膨大な数になる。そこを人間が全て指定することは困難だ。だから、物語はほぼ固定されたものになってしまう。
文章の自由度を高くする方法について、何か知っているかい?」
俺は口に入れていたチップスを飲み込んでから答えた。
「それなら一つ面白い算法があります。最近、ロシアのマルコフという数学者が、プーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』を例に使って発表した手法です。マルコフは、小説においてある単語が現れる確率は、その前の単語に影響されることを示しました。俺はそれを応用することで、小説のような文章をリャカに書いてもらっています」
「その算法で、本当に小説を書けるのかい? 確かに面白そうだが、僕には確信が持てない」
「では実際にリャカに書いてもらいましょうか」
俺は万年筆と帳面をテーブルに置いて、リャカを呼び寄せた。
「リャカ、小説を書いて欲しい。参考にする小説は、夏目漱石の『倫敦塔』にしよう。文字数は、三百文字くらいで」
「承知致しました」
リャカは悩む様子も見せずに、紙の上で万年筆を滑らかに走らせた。一分もしないうちに、小説のような文章が姿を現した。
風なき河に帆をあやつるのだからエーンズウォースが獄門役に歌わせたもう。心安く覚して帰りたまえ」と女が黒い喪服を着て悄然として立って朦朧とあたりを見廻わすと男の子を連れた女そのままである。沙翁とは名前からがすでに恐ろしい。古来から塔中に吸い込まれる時櫓の上に移すのは一時の事をしない。動かない。意識の内容周囲の壁にあるのは一時の事にてあれど」と云う。折から遠くより吹く木枯しの高き塔を見て、大きな寝台が横わる。厚樫の心を寒からしめているかと怪しまれる。幼なき方は床に腰をかけてある女神の裸体像が風に煽られて、大きな寝台が横わる。
日向さんは興味津々な眼で、その文章を何度も読み返していた。
「ほぅ、これはこれは。所々(ところどころ)、文法が変だったり、文の意味が不明だったりするが、しかし文章にはなっている。面白い」
「では次に、俺が最近気になっている、宮沢賢治の『注文の多い料理店』を混ぜてみましょう。リャカ、参考にする小説に『注文の多い料理店』を加えて、同じ条件で書いてみてくれ」
「承知致しました」
リャカは再び、あっという間に文章を書き上げた。
鉄の甲が野を蔽う秋の陽炎のごとく塔下に通ずる穴倉でその内に仕事を求め、太平の裏から次第に消え去ると同時に眼前の塔影が一つありました。「どうもおかしいぜ。」 みるとたしかに壺のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、見る人こそ幸あれ。日毎夜毎に死なんとなく鳴らした。「そうだろう。」「沢山の注文というのがやられる」「気の毒な、もうものが、ある時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時は人にたべさせるのである。僧侶、貴族、武士、法士の前に、わが死ぬべき折の様を想い見る人は寒さにぶるぶるふるえ、声もなく、また扉があって、それだから仕方がないわ」と斧を磨ぐだけでも骨が折れる。
「少し文の印象が変わったな。『たべさせる』とか『ふるえ』とか、平仮名が多くなった。台詞も口語的に変わった。これはつまり、参考にする文章が多くなれば、それだけ自由度も増えるということか」
「その通りです。このマルコフの算法を使えば、これまでの人類には想像もできなかった小説すら書くことができるかもしれません。
とはいえ、このリャカの文章を小説と呼んでいいのかは分かりません。あくまでも、確率に従って単語が並んでいるだけなのですから。いずれ、より複雑な算法で、よりもっともらしい文章が書ける日が来るでしょう。しかしそれでも小説を書けたとは言えないと、俺は思っていますが」
そこにカウンターから静かに見守っていた佐原さんが口を挟んだ。
「ところでリャカさんが読む小説は、椿君が選んでいるのですか?」
「そうです。リャカは読む小説を自分で選ぶことができないので、良い音が聞こえる小説を選んで読んでもらっています」
「とすると、リャカさんの書いた小説というのは、必然的に椿君の主観が含まれているということですよね。それはリャカさんの書く小説の質を高める代わりに、書き得る文章の可能性を狭めているのかもしれません」
「というと?」
「例えるなら、お茶と同じです。お茶というのは、いわば茶葉から茶漉しを通して抽出されたものです。茶漉しの目が細かければ、お茶に混ざるものも少なくなります。それは良いことなのかもしれません。しかし細かい目の茶漉しでは、きっと茶柱は立たないでしょう。リャカさんに与える小説を選びすぎるのも、良くないのかもしれませんよ」
佐原さんの勘は、やはり鋭い。俺は、少し間を置いて考えてから答えた。
「俺はむしろ、リャカに小説を読ませている現状を変えなければならないと思っています。小説というものは、作家が伝えたいものがまず存在して、それを伝えるための形式として小説が生まれるのだと思うのです。だから、リャカ自身が読みたい小説を選んで読み、その上で何かを伝えたいと思えるような意志を持たせる必要があると感じています。そのための方法は、全く見当がついていませんが」
すると日向さんが、宙に向かって呟いた。
「確かに、君の言う通りかもしれない。過去の小説を継ぎ接ぎして作られた小説は、まるで『フランケンシュタイン』に出てくる怪物のようだからな」
「言い得て妙ですね」
「いや、しかし今日は勉強になった。ありがとう。僕もリャカさんに負けない絡繰を作ってみせるよ」
「もし完成したら、当店で絡繰による小説比べをやりましょう。本邦初、いや世界初かもしれません」
佐原さんは冗談めかして笑っていたが、目は本気だった。ひょっとすると、もう裏で準備までしているかもしれない。
その日の帰り道、リャカと一緒に歩きながら、他にも小説を書く絡繰が沢山いる世界を想像した。世間は小説という娯楽に溢れるのだろうか。人間の作家は居なくなるのだろうか。そして、リャカはどうなるのだろうか。
俺の未熟な技術では、いずれリャカは時代遅れになるだろう。ずっと出鱈目な文章を書き続けて、「これが古い絡繰か」と目の前で嘲笑されるような、そういう見世物絡繰になるのだ。それを避けるためには、もっと俺が勉強をして、常にリャカの能力を更新していく必要がある。仏語科になんていないで、工学を専攻せねばなるまい。
だが俺には、今更絡繰作りに人生を賭ける勇気が無かった。絡繰人形の本場である英国か仏国で学んで、作家絡繰を作る会社を作ろうかと、本気で考えたことは何度もあった。しかしリャカがいずれ本当に小説を書けるだなんて、誰も保証してくれないのだ。このまま出版社か新聞社にでも就職して安定した人生を送る方が、よっぽど幸せな生き方である。結婚している頃にはリャカを木箱にしまって、ネジを巻くことも無くなるだろう。
それならいっそ、絡繰人形に詳しい日向さんにリャカを預けた方がいいのかもしれない。きっとその方がリャカも幸せになれるのではなかろうか。俺と一緒に居たところで、あの狭い四畳半に押し込められて、同じ本を何度も読みながら時が経つのを待つことしかできないのだから。
瓦斯灯の頼りない灯りが、俺達の足元を照らしている。揺らめく影のように、俺達はこのまま闇の中へ溶けていってしまいそうな気がした。
「リャカは、他の絡繰と小説比べをしてみたいかい?」
「特には」
「そうか」
秋の夜風が吹き抜けていく。外套を羽織っていたが、ちょっと寒かった。
風が止むのを待ってから、リャカは呟いた。
「私には、小説を批評することはできませんので」
その瞬間、俺の頭の中に閃きが舞い降りた。
そうだ、小説の批評ができるようにすれば、リャカはもっと良い小説が書けるかもしれない。リャカが考えた文章を、リャカ自身が批評して、その結果を元に書き直す。リャカの頭の中で、小説比べが行われるのだ。そうすれば、リャカは小説を書けるようになるかもしれない。それに他人の小説を自分で批評して、良い部分を判断して取り入れることもできるだろう。
「君に小説を批評できるようにしてあげよう。必ず」
そして俺は跪いて、リャカに背中を向けた。薄暗くてよく分からなかったが、リャカは目を丸くして俺を見つめているように見えた。いつもは無表情だから、俺の見間違いかもしれない。
「善は急げだ」
俺はリャカを背負って、四畳半へと続く夜道を駆け抜けた。このままリャカと一緒にどこまでも行けるのではないかと、俺は思った。
その夜から、俺は小説を批評する算法の開発に取り組んだ。小説の批評というのは、結局は主観だ。好き嫌いで評価が分かれる部分は少なくない。だから俺は「ゲイゼル」にいる人達を模倣して、それぞれ異なる評価基準を持つ仮想審判をリャカに組み込むことにした。
個々の算法自体は単純で、効果があるのか不安で仕方なかった。だがしかし、もし失敗したとしても俺の仮説が否定されるだけだ。失うものは何も無い。
他にも思いついた改良を色々と試しているうちに、気付けば一月ほどが経っていた。
絡繰の部品で散らかった四畳半で、俺は目を覚ました。既に太陽は高く昇っていた。昨晩は、帳面に書いた算譜を穿孔紙に写しているところで、意識を失ったようだった。
算譜は、穿孔紙と呼ばれる紙に孔を開けることで記録できる。これを絡繰人形の背中側にある読取機に取り付けることで、絡繰人形は穿孔紙に記録された算譜に従って行動できるようになる。
昨晩のうちに算譜をどこまで穿孔紙に写したか覚えていないが、穿孔紙を何枚か確認してみると、算譜は全て写し終わっているようだった。全て確認するのも面倒なので、リャカに試しにやってみてもらうことにした。もし間違いがあったら動作が止まるはずだ。
「リャカ、こっちへ。算譜を入れ替えてみよう」
「はい」
俺は、リャカの服の背中の釦を外して、背扉を開けた。自動的にリャカは脱力して、停止状態に入る。中の読取機から穿孔カードを慎重に取り外し、新しい方を嵌めてから背扉を閉じた。服の釦を嵌め終わる頃には、リャカは再起動していた。ここ最近は、ずっとこれの繰り返しだ。
「リャカ、書いてみてくれ」
リャカは、素早く卓袱台の前に座って、紙を手繰り寄せ、万年筆を握る。まるで泉から湧き出した水のように、次々と文字が書き連ねられていく。
街は海の底の知れた女の子らしかった。朝、どんな用件もない。旅人は、てんでなかった。不穏な文字が記されている。穏やかな口調を真似さえしていないのだ。美しい静かになるのだろう。不穏な文字が流れるのであった。気楽にして遣ろう。華やかな振袖の模様を喋舌りました。素敵だなあ。元気そうである。キレイな方が得策です。方のように薄暗い通路に転がった。夕方には、わたしですよ。夜のしんとしていましてね。男のように夜遅くなってしまいました。夕暮れの冷気が、日のうちだった。鉤爪のように片手で少し蝋燭の光の下を向いた。羽根ぶとんしかなかった。日光は桃いろにいっぱいであった。山のように口元に笑みが浮かんだ。
リャカの小説は、まだ人間の小説には程遠いが、以前よりも透き通った管楽器のような音に近付いてきていた。
「いいぞ、リャカ。上手くなってきている。その調子だ」
俺が何気なく、そう話しかけた時だった。
「わぁ、嬉しい。私、そんな風に褒められるのは慣れてないのよ」
リャカは、まるで年頃の女学生のように、頬を紅潮させながら屈託のない笑みを浮かべていた。
俺は、目の前の光景が信じられなかった。
「今、なんて言ったんだ?」
「何度も言わせないでよ、馬鹿!」
リャカは手近に置いてあった機械油用の布巾を掴んで、俺に向かって投げつけた。
まるで栗山川さんみたいじゃないか。
「大丈夫か? 何か変な算譜を書いてしまったかもしれない。今、取り替えよう」
「止めて! お願いだから!」
途端にリャカは取り乱して、散らばった部品を弾き飛ばしながら、部屋の隅へと後退っていった。幽霊でも見ているみたいに、顔が引き攣っている。
「分かった、分かった。算譜は取り替えないから、落ち着いて」
「信じてもいい?」
「俺を信じろ。俺はいつでもリャカの味方だ」
「約束してくれる?」
「約束するよ」
リャカは俺の目をじっと見つめていた。リャカの宝石のような瞳は、どこまでも透き通っていた。
「……分かった」
リャカはようやく冷静さを取り戻したようだった。しかし、いつもみたいに無表情で座っているのではなく、部屋の隅で蹲ったまま動かず、俺とは視線を合わせようとしなかった。
その姿を観察しながら、俺も次第に状況が掴めてきた。これはつまり、リャカが意識を持ったということではないだろうか。俺が、リャカに組み込んだ仮想審判の中には、栗山川さんを模倣したものもある。きっとそれが、算譜の錯誤か何かによって、リャカの意識として表れてしまったのだ。
もし意識を持ったのなら、俺はまず確かめたいことがあった。
「何か本を読むかい?」
俺は高く積まれた特価本の山を指差した。もしリャカが自分で読みたい本を選べるのなら、大きな前進である。
「特には」
答えは以前と一緒だった。嬉しいような、悲しいような。
「でも暇だろう。これを読んでみないかい?」
ちょうど山の上に積んであった、「ファウスト」を差し出してみる。
「……じゃあ読む」
リャカは渋々本を受け取って、読み始めた。さっき小説を書くこともできていたから、基本的な能力は大きく変わっていないようだ。
とりあえずは、このまま様子見するしかなさそうである。
しかし、リャカの性格がここまで劇的に変わってしまって良かったのだろうか。もし俺がリャカの頭の中に仮想審判を作ろうとしていなかったら、リャカは以前の物静かな性格のままだったかもしれない。リャカの幸せを、俺は壊してしまったのかもしれない。責任は全て、自分の読みたい小説を書かせようという私利私欲のためにリャカを玩具にした、俺にある。
それでも俺の脳裏には、いつも俺の聞きたい小説の音が木霊している。それは朝の霧に包まれた森の中で、誰にも踏まれていない苔生した土を、ゆっくりと裸足で踏み締めた時の音だ。足の裏から大地の鼓動が心臓まで伝わって、生命の理を囁く。夜露を運んだ風が肌をなぞって、そこに立っていることを祝福してくれる。そういう音だ。
その音が、耳にこびり付いて離れない。小説を読んでも音が聞こえない普通の人に、俺はなりたかった。
夕刻、店に行く時間になった。いつものように声を掛けると、リャカは素直についてきた。
だが道中、リャカはひたすら喋っていた。「今日も久留里さんは来るだろうか」とか「茶葉の仕入れまでに、どれそれの茶葉の在庫は足りるだろうか」とか、そんな他愛のない話を、リャカは楽しそうに語るのだった。今までリャカがこんな話を、しかも表情豊かに話すことなど一度も無かった。俺は驚くばかりだった。
店に着くと、既に佐原さんと栗山川さんが準備を始めていた。
「おはようございます! 本日もよろしくお願いします!」
昨日までとは別人のようなリャカの変貌ぶりに、二人も呆気に取られていた。
「椿君、これはどういう風の吹き回しだい?」
「昨日、夜遅くまで算譜を書いていたら、どうも間違えてしまったみたいで、こんなことに」
「すっかり明るくて元気な子になっちゃって。良いことなんだけどさ」
栗山川さんも、着替えに行くリャカの後姿を心配そうに眺めていた。
リャカが店の奥へ消えてから、佐原さんが尋ねてきた。
「夜遅くまでって、具体的にどんな作業をしていたんだい?」
「帳面に算譜を書き上げて、それから寝ぼけ眼で穿孔カードに孔を開ける作業をしていました。気付いたら寝てしまっていて、でも完成しているみたいだったので、あまりよく確認せずにリャカに読み込ませてしまったんです」
「それはもしかしたら、椿君が寝ている間に――」
「小人が悪戯でもしたんですかね」
「……そうかもしれないね」
俺は冗談を言ったつもりだったが、佐原さんは笑ってくれなかった。
確かに笑えない事態ではある。もしこのまま改良を続けたら、リャカはさらに人格が変わってしまうかもしれない。今回は社交的な性格に変わったからいいが、暴力的な性格に変わってしまう可能性も捨て切れない。そうなることだけは避けたかった。
やってきたお客さん達も、リャカの変わり身に目を丸くしていた。久留里さんなんかは「以前の無愛想な接客も、あれはあれで良かったのだけど」とぼやいたりしていたが、皆、新しいリャカを受け入れてくれているようだった。俺はほっと胸を撫で下ろした。
気付けば腹が減っていた。俺は佐原さんにいつものチップスを注文して、空腹を満たしていた。そんな時だった。
見慣れない男が来店した。
そしてすぐに俺は気付いた。忘れるはずがない。リャカを誘拐しようとした、あの成金男の猿田だ。佐原さんは、店には来ないと断言していたはずなのに、どうして今になって来たのだろう。
猿田は、静まり返った店内を気にも留めずに、真っ直ぐ俺の座っているカウンター席に歩み寄ってきた。
「よぉ、久しぶりだな」
「お前、どうしてここに」
俺はリャカを後ろに庇いながら、猿田と対峙した。
「猿田君、この店には近付かない約束じゃなかったかね?」
カウンターから佐原さんが話しかけたが、猿田は気に留める様子はない。
「今日は栗山川の奴と小説で喧嘩しに来たんじゃない。この男と商談に来たんだ」
「商談? リャカなら売らないからな」
「そんな絡繰、要らねぇよ。それよりももっと価値があるものを、儂は見つけた」
「もっと価値があるもの?」
「お前、小説の冒頭を読むだけで、小説の良し悪しが分かるんだろう? 儂は、お前のその能力が欲しい」
その言葉に、俺は呆気に取られてしまった。
「え?」
「儂は絡繰の輸入をやる会社を経営しているんだがな、最近、欧州で絵を描いたり、歌を唄ったりする絡繰が出てきた。そこで儂は、次は小説を書く絡繰だと閃いた。で、技術者を雇って作らせてみたんだが、どれも瓦落多だった。原因は、どいつも小説を理解していなかったからだ。だがお前なら、小説のことをよく知っている。それに自分で絡繰を作る技術もある。
儂の会社で働かないか。最新式の絡繰を、何体でも実験に使っていい。海外で勉強したいなら学費も生活費も出そう。一緒に肩を組んで、世界を舞台に戦おうじゃないか」
「ちょっと待った。リャカは、まだちゃんと小説を書けてはいない。それに俺自身、勉強不足だ。荷が重すぎる」
「儂は、お前の可能性に賭けたんだ。技術が足りないなら、勉強すればいいだけだ。まだ誰も、作家絡繰を作った奴はいねぇし、作家絡繰ができると証明した奴もいねぇ。だからお前がいくら勉強したところで、失敗することはあるだろう。だがな、人生やってみなければ分からないだろう? 人間、誰もが他人の歩いた道を歩いているだけじゃ、道が伸びることは無ぇ。誰かが道無き道を歩み始めた時に、そこに道ができるんだ。儂は、お前ならそれができると思ってる」
正直に言おう。この猿田の勧誘に、俺は心から惹かれていた。渡りに船とはこのことだ。金に困ることなく学ぶことができて、俺が聞きたい音のする小説を書いてくれる作家絡繰の研究に、好きなだけ没頭できる。もしかしたら、最新式の絡繰を使えば作家絡繰を作れるかもしれない。
だがしかし、心の中に引っかかっているものを、俺は無視できなかった。俺は自分が求めている理想の小説の音が聞ければそれで満足なのだろうか。リャカを元の性格に戻してやることもできなくても、それでいいのだろうか。
俺は我儘な自分が嫌いだ。俺は「いつでもリャカの味方だ」と約束したはずなのに、まだ俺の頭の中では、あの理想の小説の音が鳴り響いている。俺の目の前で、森の妖精が手招きをして幻のように踊っているのだ。確かにそれは手の届く場所にあるように見える。だが手を伸ばしてみると、妖精はいつの間にか姿を消していて、またすぐ近くの木陰に顔を出して踊っている。
そんな鼬ごっこは、いつか終わらせなければならない。いつまでも先延ばしにしてはいけない。
俺は、夢の中の森に火を放たなければならない。
「すみませんが、俺にはもう無理です」
俺は、チップスを食べていたフォークを手に取って、逆手に握り、意を決して俺の両目を横から薙ぎ払った。
これでもう、小説は読めない。音なんて聞こえない。
あの事件から一か月が経ちました。私は、退院した主様と、久しぶりにお茶パブ「ゲイゼル」へ行くことにしました。
主様の視力が戻るにはまだ時間がかかるので、私が先導しなければなりません。お店への道のりにかかる時間は、以前よりも長くなってしまいました。
お店に入ると、マスターと栗山川さんが出迎えてくれました。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「チップスと、それからジャスミン・ティーをお願いします」
「かしこまりました」
私は主様をいつものカウンター席に座らせてから、その隣に座りました。
「リャカちゃんが席に座っているのは、なんだか不思議な感じね」
「私もです」
「それで? 今日は、何か伝えたいことがあるから来たんでしょう?」
栗山川さんの視線に、私は苦笑いを返すことしかできませんでした。
「バレていましたか」
「焦らさないで、早く教えなさいよ」
「実は、私の性格を変えたのは、私自身なのです。私はずっと、栗山川さんみたいになれたら、主様の書きたい小説が書けるようになるかもしれないと思っていたので、つい算譜を書き換えてしまったのです」
しかしそれを聞いた栗山川さんも佐原さんも、表情一つ変えませんでした。
「そんなこと、とっくに気付いてたわよ」
「どうして分かったんですか?」
「女の勘ってやつさ」
人間の女性というのは、何とも不思議な生き物です。
「そんなことより、これからどうするのさ。どうせ猿の野郎には、まだ誘われてるんでしょう? アイツ、そういうところ諦め悪いから」
「それは俺が答えよう」
主様は、懐から手探りで一枚の切符を取り出して、テーブルの上に置きました。
「絡繰人形の聖地、倫敦に留学します。猿田さんが船を手配してくれました。医師からも、船に乗る頃には目も治っているだろうと言われています」
「それでリャカちゃんはどうするのさ? まさか置いていくとか言わないでしょうね?」
「リャカは、俺のために小説を書けるようになりたいと言ってくれています。だから俺は、リャカを倫敦に連れて行って、小説を書けるようにします。猿田さんからは『最新型の絡繰をやる』とも言われましたが、丁重にお断りしました」
「なるほどね~。羨ましいわ」
栗山川さんは、嬉しそうに私を眺めていました。
「栗山川さんも、一緒に行きますか?」
「そういうことじゃないのよ。リャカちゃんが小説を書けるようになるのは、まだ先かしらね」
「それが皮肉だということくらいは、私にも分かります」
「成長したじゃない」
そこにマスターが、チップスと共にジャスミン・ティーのカップを持ってきました。
「ところで、私から餞別に何かを贈ろうと思うのだけど、異国での生活に必要なものとか、何か欲しいものはあるかい?」
「本当ですか! ありがとうございます、佐原さん。とは言っても、猿田さんが世話してくれているので、生活に不自由は無さそうですね。強いて言えば、長い船旅になりそうなので、暇潰しになる本があるといいかもしれません」
「なるほど。それは良い考えだ。好きな本を買ってあげるよ」
それから主様は、私に向かって尋ねました。
「リャカは、何が読みたい?」
※本作はver.0.1であり、今後アップデートした作品を投稿する予定です。
2020/5/10 初稿
2020/5/17 第二稿 誤字修正