1-8
――アレスはやっぱり、大臣の息子のアレスだったんだ。
王家を滅ぼしたくせにどうして堂々としていられるの。
よき為政者を目指すなんて言って、理想論を語ることができるの。
わたしがどんな気持ちで天空にいたか考えたことがあるの。
……駄目だ。アレスに対しては、絶対に優しくなんかできない。
「――カーシャ?」
アレスが振り向いた。紫色の瞳がわたしを見つめる。
正直、言葉に詰まった。
それでもアレスの協力はありがたいものだった。
決めたじゃないか、アカシア。今回は、私情は持ちこまないって。サンクチュアリさまの為だけに頑張るって。賢者に会えたらアレスとの旅もおしまいなんだから。
それまで堪えるんだ。我慢するんだ。
「どうかしましたか?」
とぼけて返す。
「い、いや、何でもない」
ルナはずっとアレスにくっついたままだ。
「ほんとに誰もいないのか……」
灰色の景色は一向に変わらず。ルナが生き残っていたのが、逆に不思議なくらいだった。
「皆、消えちゃった、のかな。なんでルナだけが」
「きっといるよ、誰か。必ず」
アレスが、ルナを励ますように頭を撫でてやっている。
「ルナー!」
遠くから声がした。ルナの名を呼びながら。
「あ、先生、だ!」
ルナがぱっとアレスから離れて、声の方へ走りだす。わたしたちはルナを追いかけて走った。
かつては広場だったのだろう、今はただ何もない場所。ぼろぼろの衣服を纏った人間が何人かいる。ルナが先生だと言ったのは、体格のいい中年女性だった。
「あなたも、無事だったのね。ルナ! ルナ!」
先生がルナを力いっぱい抱きしめる。
そして遅れてきたわたしたちに気づき、警戒するように見てきた。
「あなた、たちは?」
「先生。アレスたちは、ルナを助けてくれた、いいひとだよ」
ルナが大きく手を振って、先生の誤解を解こうとする。
「あら、そうなのね」
「アレス・グライドといいます。こっちはカーシャ」
先生の目が見開かれる。
「まぁ、グライド家の……。よくお話は耳にしますわ」
「お恥ずかしい限りです」
アレスはそれなりに有名人らしい。わたしは笑顔になることもできず不自然な表情で立ち尽くす。そしてアレスが、先生に頭を下げた。
「よかったら、事情を聴かせてもらえませんか」
*
夜が街を飲み込んだ、という表現は正にその通りだったらしい。
日中は普段と変わらず、いつもの日常を送っていたのに。夜が訪れるのと同時に、さまざまなものが闇によって壊されていったというのだ。
ルナの通う学校の先生、は。
自分たちにも、原因や理由は分からないと言った。
「私たちは昨夜、夜から逃げてきた者ばかりです。だけどまた夜が訪れたら、今度はどうなるかは分かりません……。かつて、世界の一度めの終わりのときにも似たようなことがあったと、史実には記されていますが」
世界の、二度めの終わり。
ルナにしがみつかれたまま、アレスは神妙な面持ちでじっと何かを考えこんでいた。
わたしはアレスたちから離れて、食べるものを持っていなかった、残されたひとたちのところへ行く。
数えてみると、8人。つまり10人しか残らなかったというのか。全員、服はぼろぼろで、疲れきった表情をしていた。
何もかも諦めてしまった、そんな表情だった。その表情だけでわたしはいたたまれない思いに駆られる。
「あ、あんたたちは……?」
彼らは急に現れたわたしたちを、不審がっているようだった。無理もない。わたしは敵意がないことをアピールする為に深くお辞儀をする。
「わたしは、天空から来ました。カーシャといいます」
「て、天空……?」
ひとりが信じられないといった風に声を上げた。細身の青年だ。
首肯して、羽根に触れる。サンクチュアリさま、お願いです。このひとたちを助けてください。
「――水よ、大地よ」
羽根が強い光を放つ。
わたしは窪んだ瓦礫を手に取る。そこに、透明な水が湧き出てきた。周りの視線が集中する。無言でわたしはひとくち飲み、最初に声を上げた青年に瓦礫を手渡した。
ゆっくりと彼はそれを受け取り、訝しがりながら口をつける。ごくごく、と飲み干すと、彼の瞳から涙が零れた。
「水だ……」
「この土も、食べられます。どうぞ」
わたしは彼に、掬いとった土を渡す。粘土っぽい状態の土は、サンクチュアリさまの羽根の力で食べられるものに変わっていた。
まだ不安そうにしていたので、試しに食べてみせる。ほのかに甘みがあった。それを見て安心したのか、彼は土も口にした。
「ありがとうございます……。朝から何も口にしていなかったんです」
わたしは他の9人にも同じように水と土を渡した。
「ありがとうございます……!」
皆、泣きながら受け取ってくれた。
だけどそれは気休めでしかない。
ちくり。胸が痛むのは、きっと、これが天空の状況と似ているからだろう。結局のところ何もできない自分の存在がどうしようもなく思えてくる。
だって。
再び夜になったとき、もし、その夜が街を飲み込むものであったなら?
改めて、サンクチュアリさまが地上で神と呼ばれていたことを痛感する。わたしは羽根の力で空を舞う。彼らの心が、少しでも落ち着くように。サンクチュアリさまみたいに上手にはできないけれど。
ぱちぱち、と拍手が起こる。
「カーシャさまは、天からの御使いだ」
「やめてください。そんな、たいしたことは何も」
「いいや。きっと、神が遣わしてくれたんだ。私らの為に」
土と水を、ルナと先生にも渡しに行く。
「ありがたくいただきます。本当に、ありがとうございます」
「いただきます!」
ごくごくごくごく。誰よりも勢いよくルナは水を飲み干した。
「おかわり!」
ルナは水を3杯も飲んだ。最後の1滴まで飲み終えると、満面の笑みになってわたしに飛びついてきた。どうやら懐いてくれたらしい。
「で、どうするんですか」
わたしはアレスに問う。
「先生に聞いたんだけど、この街にも伝心笛の受信機があるみたいだから、まずは父上の返信を聞きに行く。あとは、この街から全員出てもらう。それしかないだろう。……カーシャ」
「な、何ですか」
いきなり話を振られてしまい声が裏返る。
「急いでいるなら、先に進んでもいいんだぞ? この街を、川沿いに進んでいけば森には着くから。お金だって貸すし」
「いやです」
気づくと、即答していた。
時間がないのは重々に理解している。この街の状況をなんとかする為にも、わたしは賢者に一刻も早く会わないといけない。それでもここで、このひとたちを見捨てていっては駄目だと強く思えるから。
「わたしも、この街のひとたちが無事に助かるまで、ちゃんと見守りたい。ひとりだけ正義の味方みたいにかっこつけるなんて許さないんだから」
拳を強く握りしめて、宣言する。
「やれることはやりたいから。そう決めてるから、わたしは」
ふ、っと。
アレスの口元が、ほんのちょっとだけ、緩んだ。
「わかった。じゃあ、受信機のところまで行ってくるから、ちょっと待っててくれ」
立ち上がり、わたしの頭に手を載せる。
「行ってくる」
いつの間にかルナは先生の膝に頭を載せて眠っていた。わたしも瞼が重くなってくる。いけない。寝ちゃ、駄目だ……。