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1-7


 地上2日めも空が遠く青い。

 時々すれ違うひとに挨拶をしてみたり、花や木を眺めてみたり。花の蜜を飲んでみたり、木の実を齧ってみた、り――


「す、酸っぱい!」


 思わず顔が歪む。


「あ、それは熟して地面に落ちないと食べられたものじゃないから」

「そういう大事なことは早く言ってください」

「ごめんごめん。あまりに楽しそうだったから、つい」


 アレスは笑いながら、地上に落ちている木の実の土を払って渡してくれた。


「これならいい筈だよ」


 半信半疑になりつつも齧ってみる。


「甘い!」

「だろう?」

「あー、楽しいなぁ」


 深呼吸すら楽しい。地上と天空じゃ、空気の感じも違うから。


「通り抜ける街も楽しいぞ。結構栄えているところだから」

「ご飯美味しい?」

「ああ。名物料理もたくさんある。やっと、普通に会話してくれたな」


 ……しまった。

 と思ったのが、もろに顔に出てしまっていたようで。


「カーシャは意地を張っているけど、とてもいい子だと思うよ」

「気のせいですから。あ、わぁあ!」


 そして視界に広がる雄大な川。橋がないと対岸には渡れない。水面はきらきらと輝いていて、とても気持ちのいい景色だ。

 頬に当たるのは、心地いい風。


「流れにさからって何時間か歩けば、街に着くよ。楽しいところだから、期待してな」」


 アレスも緩々とした表情で背伸びをしていた。


 だけど。


「豊かな街だって言いましたよね?」

「あ、あぁ」

「どうして――こんな」


 そこに辿り着くと。

 空は灰色、建物という建物はすべて崩れ落ち。人間の気配はまったくなかった。

 街全体が廃墟となっていた。何か理不尽なことが起きて、すべてをめちゃくちゃにされてしまった。そんな印象を受けるくらいに、豊かという言葉からはかけ離れた光景だった。


「俺にも分からない、けれど。何かただならないことがあったのは間違いない。……住人を探そう」


 頷いて、街に入る。

 舗装されていただろう道にはところどころ穴が開いたり瓦礫が転がっていて、歩くのにもひと苦労だ。慎重に辺りを見回しながら進んでいく。


「誰かいませんかー」


 アレスが時折、声を上げる。しかし反応はない。

 諦めかけたときだった。


「この街は、時間が喪われてしまったのさ」


 鼻につく言い方。ふたりで声のした方を見遣ると、怪しげな人間が立っていた。

 円筒形の黒くて長い帽子を深く被り、礼装に身を包んでいて、一見すると紳士のように見えるけれど。顔も、素顔がわからないくらいしっかりと化粧が施されているのだ。

 やけに目を引くのは、唇に引かれた青い紅。


「誰だ」


 アレスが素早く剣の柄に手をかけた。


「これは失礼。私の名は、ラタトスク。以後、お見知り置きを」


 恭しくされるお辞儀にも不気味な雰囲気があった。ラタトスクと名乗った男は、両腕をひらひらとさせて、敵意がないことをアピールしてみせる。


「俺の名は、アレスだ。時間が喪われた、と言ったな。それはどういうことだ」


 まだアレスは手を剣の柄にかけて、警戒を解いていない。きっ、とラタトスクを睨みつけている。盗賊たちへの態度とは全く別の、強い相手に対するときの油断ない空気を身に纏って。

一方でわたしはラタトスクの言葉に少し動揺していた。


 ――時間が喪われてしまった。


 それはサンクチュアリさまのことと、何か関係があるのだろうか?

 この、ラタトスクは。一体何者?


「カーシャ、俺から離れるなよ」


 アレスが低く囁く。拒否することを許さない強い言い方だった。


「さあ、質問に答えろ!」


 ラタトスクは悪戯を咎められた子どものように肩をすくめた。


「見ての通り。時間を喪ったものは、滅びを迎える。ただそれだけのこと。アレス、君も気をつけるといいよ。時間は平等に流れないから」


 ――時間は平等には流れない。

 それはサンクチュアリさまの口癖だ。思わず声を荒げてしまう。


「あ、貴方、何者っ……」

「私はラタトスク。また、いつか、どこかで」


 再びお辞儀をして、次の瞬間。


「!」


 ラタトスクの姿はどこにもなかった。

 心臓が、ばくばく唸っている。今のはどういうこと? 一体、どうして。

 アレスはラタトスクが完全に消え去ったのを確認すると、ふぅ、と息を吐いた。そしてわたしの肩に手を置いた。

 厳しさは消えて、いつものアレスに戻っている。


「大丈夫か、カーシャ。顔が真っ青だぞ」

「う、うん……」


 アレスの掌の温度が、わたしの緊張をゆっくりと解いていく。


「今のは気にするな。それよりも、ほんとに誰もいないっていうのか。あ」


 いた。

 人間が、縮こまって、倒れていた。

 アレスは急いで走り寄る。わたしたちよりも幼い、少女。短く乱暴に刈られた髪の毛に、ぼろぼろの衣服。擦り傷のたくさんある手足。


「おい、君、しっかり!」


 声に反応するように少女が動き、ゆっくりと瞳を開けた。


「俺の声が聞こえるか?」


 少女はじっとアレスを見つめ、こくこくと頷き、ぎゅーっとしがみついた。



 アレスにしがみついて、少女は離れなかった。


「あなた、ここの住人?」


 わたしも向かいに座って問いかける。少女はまた頷いた。アレスが続ける。


「名前は?」

「ルナ」

「ルナ、教えてくれ。一体、何があったんだ」


 アレスの質問に、ルナは睫毛を伏せた。


「夜に襲われた」

「誰に?」

「だから、夜」


 要領を得ない。アレスが困った顔をわたしに向けてきた。わたしは思いついたことを当てずっぽうで言ってみる。


「……もしかして、『夜』に、襲われたっていうこと……?」


 ルナが激しく頷いた。


「夜の闇が、この街、全部を飲み込んだ。いきなり、全部。ルナはずっと隠れてて、ちゃんとは見てないんだけど。何もかも終わっちゃった、それだけは、分かって。パパもママも、トモダチもいなくて」


 たどたどしい説明。もう一度わたしとアレスは顔を見合わせた。


「さっきラタトスクが言っていたことと、何か関係があるんだろうか」


 アレスが意見を求めてくる。

 時間が喪われると、夜に飲み込まれるということ? サンクチュアリさまが空を舞わないから起きたということ?

答えることはできなかった。だって、それはつまり、世界が終わりを迎えるということだから――それを認めてしまうということだから。


「……生きてるひとに会えてよかった」


 ルナがぎゅっとアレスにしがみつく。余程怖い思いをしていたんだろう。


「とにかく、父上に報告しないと」


 アレスはそう呟くと、懐から小さな笛みたいなものを取り出した。


「ちちうえ?」

「俺の父は、この国の元首なんだ」

「じゃあお兄ちゃんは王子さまだ」

「いや、それは違うよ。あと、俺のことはアレスって呼んでくれ。こっちはカーシャだ」

「――当たり前じゃない!」


 アレスとルナが目を丸くしてわたしを見た。……しまった。

 無意識の内に反論しちゃっていた。


「だ、だって、国王の息子が王子でしょ?」


 慌てて取り繕う。


「あはははは。で、その笛は、何ですか?」

「これは伝心笛っていう、人間には聞こえない特別な音で情報を知らせる笛なんだ。普通のひとはなかなか持ってはいないけれど、俺は、国のなかで何か特別なことがあったときの為に、父が持たせてくれている。メッセージを受け取るのは、特別な受信機がないとできないんだけど」


「へ、へぇ。すごいですね。どうぞどうぞお使いください」


 なんとか誤魔化せた。

 アレスが笛に口をつける。確かにアレスがその笛を吹いても、音は何もしなかった。


「よし、これで大丈夫だ。もしかしたら他に残っている人間もいるかもしれないし、ルナ、この辺りを案内してくれないか?」


 ルナが頷く。

 わたしはふたりの後ろを歩くことにした。

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