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「アカシア、ねぇ、アカシアったら」


 休憩時間にご飯も食べずひとりで書庫にいたらディテに声をかけられた。

くるくるとはねた金色の短い髪に、くるくると動く大きな翠色の瞳。猫のような瞳。服はお揃いの侍女用ワンピース。きれいな2枚の翼。サンクチュアリさま付きの侍女は勿論わたしだけではない。そのなかでいちばん仲がいいのが、ディテだ。


「何、貴女ってばまたそんな難しい本読んで! えぇと、……『善政の為の十ヶ条』? 頭が痛くならない?」

「小説だって読んでるよ。ほら」


 机に積まれているのは5冊の恋愛小説たち。書庫の奥に入れるようになったことで、わたしの読書ペースは加速していた。


「あんたってほんと本の虫よね。呆れちゃうわ。ねぇ、遊びましょうよ」

「どこに行くの?」

「回廊に。『時計樹』を見に行きましょう。今からサンクチュアリさまが『調整』を行われるみたいだから」

「行く!!」


 それは行くしかない。絶対に行くしかない。本に栞を挟んで閉じて、立ち上がる。


「あんた、ほんとサンクチュアリさまが好きなのね。まぁあたしの方がサンクチュアリさまを好きだけど」

「馬鹿言わないで。わたしの方が好きなんだからっ」


 時計樹の上に浮かぶ城と有翼人の世界、居住区を繋ぐ回廊と呼ばれる場所には多くの人々が集っていた。全員がサンクチュアリさまを見に来ているのだ。有翼人のなかでも翼が6枚あるのはサンクチュアリさまだけなので、彼らのなかでもサンクチュアリさまは特別な存在だ。


 時計樹は青々と葉を茂らせ、どっしりとした幹で地上と天空を繋いでいる。その周りをサンクチュアリさまが舞う。

 青空を、まるで庭のように。歌いながら、微笑みながら。時計樹に時折触れ、葉に口づけをして。空も時計樹も、この偉大な女王の為だけに存在する。誰もがそう信じて疑わない光景だった。

 震える全身が、この光景を喜んでいる。

 6枚の翼からきらきらと零れ落ちる羽根は時間の粒子となり地上に降り注ぐ。時計樹の栄養となり、無翼人に時間を与えていくのだ。


 わたしが生まれるずっとずっと前、かつて地上の世界は、時を失い、終わりを迎えた。


 それを悲しんだサンクチュアリさまは地上に「時計樹」をつくり、無翼人たちに再び時間を与えたのだ。だけどそれで終わりじゃなくて。時々、樹の周りを舞うことで、時間が止まらないように調整しているのだ。地上の時計で喩えるならばねじまきの役割。

 有翼人は時間を操ることができ、その力で世界を再び取り戻してくれた。そのことを知った無翼人たちは、有翼人たちを「天の使い」だと呼び、サンクチュアリさまを「神」だと崇めはじめた。無翼人と有翼人で争ったこともあるらしいけれど、そんなものは歴史にすら存在しないくらい古いはなしだ。


「あー、いいもの見ちゃった」


 ディテが大きく背伸びをする。


「誘われなかったら迂闊にも見逃すところだったわ。誘ってくれてありがとう」

「どういたしまして」

「次はいつ頃になるかな」

「どうだろう。また、近いうちにあるといいけどね」


 しごとに戻ろう、とわたしたちは回廊を後にする。他の有翼人たちも空に出たり、城や居住区へと帰っていく。


「次も見られたらいいな」


 このときはまだ何も知らなかった。

 これから始まる、大変な事件のことを。



 陽ざしのあたたかな日だった。

 わたしは執務室でサンクチュアリさまの手伝いをしていた。書類を棚から出したり戻したり、並べ替えたりしていた。自分自身の歴史の勉強にもなるので、楽しくてしょうがない。

 和やかな雰囲気が部屋を包んでいた。もしかしたら、またサンクチュアリさまとお茶ができるかもしれないと淡い期待を抱きつつ。

 だけど。

 ばん!

 突然、扉が乱暴に開けられる。サンクチュアリさまとわたしは視線を合わせて首を傾げた。サンクチュアリさまの部屋に慌てて入ってくるのはわたしくらいだ。よほど急ぎの来客者らしい。


「女王陛下、大変です!」


 入ってきたのは初老の宮廷医師長さまだった。サンクチュアリさまが書類をめくっていた手を止める。

 わたしは医師長さまと話したことはなかったけれど、いつも落ち着いているという印象があった。そんなひとが慌てるだなんて、よっぽどのことが起きたに違いない。唾を飲みこんでふたりの会話を見つめる。

サンクチュアリさまが医師長さまに歩みよる。


「何事ですか、落ち着いてください」

「大変です。大変なんです。流行り病です!」


 流行り病?

 はじめて聞いた。有翼人にも流行り病なんてものがあるなんて。穏やかな表情だったサンクチュアリさまも、ほんの少しだけ眉をひそめた。


「どんな状況だったか教えてくださいますか」

「はい。今朝のことです。子どもたちが空を飛ぼうとして、それで」


 医師長さまが言葉を詰まらせる。


「……落ちたのです」


 信じられない。

 有翼人が、落ちる、だって?

 話に加われないわたしは、ふたりの会話を見守って推測するしかないけれど。落ちる、って地上だよね? それって無翼人にとっても衝撃的なことじゃないか? っていうか地上に落ちた有翼人って生きていられるの?


「落ちた、というのは……地上にですか」

「はい。すぐに救急部隊に回収に行かせましたが、もう、助かりませんでした」


 医師長さまの声の調子が一段と低くなる。

 助からなかった、というのは、つまり。死んでしまったということだろうか。動悸が速くなる。会話を聞き逃さないように集中する。


「……その後、何人も羽根が急に抜け落ちると医務室にやってきて、これはただならぬことだと感じました。理由も原因もまったく分からないのですが、これは大変なことです」

「わかりました」


 サンクチュアリさまは冷静に事態を把握しようとされているみたいだった。


「ただちに対策を練りましょう。医師長、医師を集めてください。会議を開きます」


 それからはあっという間。患者は増えて、空を飛べなくなった有翼人たちは衰弱して、そのまま命を落としてしまった。

 さっきまで元気だった人たちが急に倒れるだなんて信じられなかった。


「サンクチュアリさま、お願いがあります」


 だから、わたしは。

 薬をつくる為に、書庫に籠って調べ物をしていたサンクチュアリさまに頭を下げた。


「わたしは無翼人だから、病に罹ることはありません。だから、皆の看病を、手伝わせてください」


 じっとしていることなんて、できなかったのだ。

 城から回廊を抜けて、ばたばたと、全速力で走る。途中で何人かの有翼人にぶつかった。「回廊を走るなよ!」「ごめんなさいっ!」そんなやりとりを何回か繰り返して、わたしは居住区へ辿り着く。数えるほどしか訪れたことのない場所。その中央が目的地だ。

 倒れてしまった有翼人たちを看病する為に急遽建てられた円形の治療塔で、医師長さまを始めとする看護チームは休む間もなく働いていた。

 何しに来た、と問われる前にわたしは医師長さまに頭を下げる。


「サンクチュアリさまに侍女の暇をいただいてきました。何でもします。手伝わせてください」


 そして案内されたのはずらっと並べられた寝台のある部屋だった。老若男女関係なく。皆、かたく瞼を閉じていた。生気のない青白い顔。


「……皆の世話を頼む」


 医師長さまも疲れきっていた。その大変さは火を見るより明らかだった。薬が完成するまでは、治る見込みのないひとたちの看病。それはとても残酷なことだ。

 それでも、やらなければならない。


「はい、頑張ります」

「アカシア」


 部屋の隅にディテが立っていた。わたしを追いかけてきたようだった。

 ディテが不満を露わにして腕を組む。


「そんなことしたって無駄なのに」


 どうせ死んでしまうのに。

 ディテの呟きには諦めが混じっていた。


「だけど、それでも何かしたいの。そうでなきゃ、……国を取り戻すことだってできやしない」


 自分に言い聞かせるように答える。

 黙って、指をくわえて見ているだけ、なんてできない。そんな臆病者でいたら、地上に降りることはまず不可能だろう。


「やれることがあれば、やりたいもの。悔いだけは残したくないから」

「あんたって、馬鹿よね」


 わたしは大きく頷いた。

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