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2-12

「待ってくれ、アカシアなんだろう!? ほんとは最初から分かってたんだ。また逢えるなんて思わなくて、すごくうれしかったんだぞ! だけど言うタイミングが見つからなくて、だからカマかけたりしてたのに、ちっとも反応してくれないし!」


 絶叫が夕焼けに響く。アレスの手がわたしを捕まえようとして、空を切る。初めて露わにされた感情に、心が揺さぶられる。

 泣くな。泣いたら、負けだ。笑え――笑うんだ、アカシア!


「ずっと、いや、今でも。俺は、アカシアのことが好きだ――!」

「――わたしも」


 アレスが、はっと瞳を見開いた。「だったら、」と上げた声は最後まで続くことはなかった。きっとわたしが笑っていたから。泣きそうになりながら、微笑んでいるから。

 これがふたりに用意された結末。

 アレスに答えるのは、賢者さまの約束を破ることになるかもしれないけれど。

 それくらいはいいでしょう?


「――婚約者さんと、お幸せにね」


 これでお終いなんだ。

 さよなら、アレス。


 そして。

 わたしは天空に、戻ってきた。



 医師長さまに指輪を渡してから、かなりの時間が経っていた。

 どうも落ち着かなくてサンクチュアリさまの寝室の前を行ったり来たり、繰り返す。だって指輪をすり潰して薬にするだなんて、おかしな話だ。もしも賢者さまとラタトスクの仕組んだ悪戯だったら? 疑っている訳ではないけれど、効果を見るまでは安心できない。

 どうか無事に。サンクチュアリさまのご病気が治りますように!


「アカシア」


 医師長さまが寝室から出てきた。


「サンクチュアリさまは」


 わたしの問いかけに、医師長さまが表情をわずかに綻ばせた。


「ありがとう、アカシア。すべての有翼人の代表として、礼を言う。他の者たちにもすぐに煎じて飲ませる。これで大丈夫だ。女王陛下も、君を呼んでいらっしゃる」


 急いで寝室に飛び込む。


「サンクチュアリさま!」

 寝台に横たわったサンクチュアリさまはわたしを待っていたかのように、微笑んだ。わたしが地上に降りる前よりも顔色がよくなっている。


「よく頑張ってくれましたね」


 無礼なのは百も承知、わたしは遠慮なく駆け寄る。サンクチュアリさまだ、元気になったサンクチュアリさまだ。寝台の隣に置かれた小さな机には淡い桃色の粉と水。どうやらこれが薬みたいだ。言いたいことがたくさんあって、どれから話せばいいのか迷って言葉が出てこない。色々あったんですよ、ありすぎて、大変でした。

 サンクチュアリさまの掌が、そっとわたしの頬に触れた。


「辛いことが、たくさんあったのでしょう……?」

「そんなことはありませんよ、サンクチュアリさま」

「ごまかしても駄目です。泣きそうな表情をしているのに」


 サンクチュアリさまは上体を起こすと、寝台から出た。だいぶやつれてはいるものの、瞳にはしっかりとした光がある。


「すぐに舞いましょう。――あなたの心を祝福して」


 ふわぁ、っと。

 サンクチュアリさまが窓から外に出た。こんなことは初めてだった。


「サ、サンクチュアリさま!?」


 透けるくらい白いドレスは、ふわりと、軽やかに。

 きらきら、きらきら。光の粒子が空を舞う。6枚の翼で優雅に時計樹のもとへ。力強い舞い。翼の軌跡をなぞるように、光が散る。

 時計樹の隅々まで光が染み込んでいく。地上に、時間が戻っていく。

 美しい光景だった。何にも代えがたい、きれいで、心を射抜く舞い。


「うっ、……」


 気が知らず知らずの内に緩んでいたのか、嗚咽が漏れた。堰を切ったように、涙は次から次へと溢れてくる。

 わたしは立っていられなくなって窓に手をかけてへたり込んだ。全身が張り裂けそうに痛くて。だったらいっそのこと粉々になってしまえばいいのに。

 ルナ。ディテ。

 アレス。

 サンクチュアリさま、この数日でわたしはたくさんのことを思ったり考えたりしました。あんなに怒ったり笑ったりしたのも久しぶりでした。

 それから、解っていたんです。逢えてうれしかったのは、わたしもだってこと。だけどもう逢わない。逢えないから。

 だからどうか、幸せに、なって――



 有翼人の流行病が終息してから、暫く経った日のことだった。

 わたしは書庫を片づけていた。胸元には、サンクチュアリさまの羽根と、ルナのガラス玉。


「アカシア」


 やって来たのはサンクチュアリさまだった。


「休憩時間にも働く必要はないのですよ? ここのところ、休みなしだと聞きました」


 わたしのもとまで歩いてくると、サンクチュアリさまは、わたしをじっと覗き込んできた。


「顔色が優れませんね」

「そ、そんなことないですよ」


 常に何かしていないと、気が紛れなかった。やってもやっても終わらない書庫の片づけはありがたかった。

 すると急にサンクチュアリさまがわたしを抱きしめてきた。いい香りとともに、冷えていた全身が温まるようだった。ゆっくりと体を離したサンクチュアリさまの表情は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。


「今日は『彼』の結婚式のようです」


 彼が誰のことをさしているのか。


「貴女が望めばいつでも地上に降りられるように、私は羽根を預けているのですよ」

「サンクチュアリさま、知って……」

「私を誰だと心得ているのです」


 サンクチュアリさまは悪戯っ子のように笑みを浮かべたけれど、わたしは首を横に振る。


「今のわたしの場所は、ここです。国を取り戻さなくても、人々はそこに在ると気づいたから。それならわたしの役目は、祈ることしかありません」

「ならば、なおさらです。ディテの墓参も兼ねて、日常を取り戻した地上の世界を、その目で見てくるべきではありませんか?」

「……ずるいです、サンクチュアリさま」


 ディテの名前を出されたら、拒否することはできなかった。わたしは深く頭を下げて、サンクチュアリさまの元を後にする。

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