2-10
表情は、しっかりしているんだけど。なんだか言動が心もとなさすぎる。段々と不安になってきた。
「じゃーん。ここに、1本の長い縄と、金属の欠片があります。旅の必需品」
アレスの手のなかには、確かに縄と金属片があった。前言撤回、やっぱり殴ってもいいかなこいつ。
「これを結びつけて、地上にかける。んでこれを頼りに上がる。以上。質問は?」
「作戦も何もないということだけは分かった」
アレスは少年のように無邪気に笑みを浮かべた。
「いや、カーシャの羽根の力が必要だよ」
「え?」
「風の力で、体をちょっとずつ浮かせるんだ。できるだろ?」
できなくは、ないだろうけれど。
「そうすれば少ない力で地上に戻れると思う」
「うわ、作戦っぽくなった」
「当たり前だろう」
それでも適当感は否めない。
「とりあえず、やってみるか」
わたしは頷いて、羽根に手をかけようとして、――羽根がないことに気づいた。
「羽根は預かったよ~」
頭上からラタトスクの声。
「嘘」
だってあれはサンクチュアリさまからいただいた大事なものなのに! いつの間に!
アレスがうーんと唸る。
「しかたない。自力で何とかしよう」
だけど。
簡単に縄ひとつで地上まで戻れたら苦労はしないのだ。
「うわっ」
思わず目を背ける。
どさ、っと。
10回アレスが縄から落ちたところで、縄がちぎれてしまった。10回めの落下。アレスは土まみれになっていた。わたしはずっとその挑戦を、膝を抱えて見ていた。
アレスは小さく嘆息を漏らし、だけどそれも一瞬のこと。今度は素手で登りはじめる。
穴の表面にはわずかに凹凸があるものの、手や足をかけるには窪みが足りない。まして素手ならば、土の冷たさも体力を奪っていく。
どさっ。……。どさっ。……。……。アレスはずっと無言で、穴と格闘していた。時々地上を見上げては顔についた汚れを拭く。空を仰いでじっと立ちつくす。
また登り出す。
どさり。
通算13回めの落下を終えたアレスは、ついに地面に倒れこんで吠えた。
「がーっ!」
服は土埃まみれ、手は真っ赤になっている。
「意外と上手くいかないもんだな」
アレスが顔についた砂を払い空を仰ぐ。焦りが浮かんでいる。
「くそっ、あんま時間がないっていうのに」
頭上の空は青さが減ってきている。落とし穴のなかも、随分と気温が下がってきている。
日暮れが、刻一刻と迫っているのだ。
ラタトスクは本気だ。悪戯好きの彼は、自分が楽しめるなら他人のことなんてどうだっていいんだ。
「どうした?」
アレスがわたしに近寄ってくる。
「さっきから大人しすぎて逆に怖いんだけど」
「……落ち込んでた」
ラタトスクから指輪をもらえずに、穴に落とされてしまったことに。
みすみすサンクチュアリさまの羽根を奪われてしまったことに。
夜に飲み込まれてしまうかもしれないことに。目の前には、最悪の結末が近付いていることに。
助けたい、のに。サンクチュアリさまを。世界を。
唇を噛む。
それから、アレスに対しても。考えていた。
なんで、そんなに頑張れるの?
よき為政者になる為? 美人な婚約者の為? わたしはどうしたい? どうやったら、地上に戻れる? ぐるぐる、ぐるぐると。
だけど口から出たのは、全く違う言葉だった。
「――世界の終わりって、こんななのかな、って」
「馬鹿言うな」
わたしを遮ってアレスが否定する。
「こんなのが世界の終わりであってたまるもんか。俺たちは、必ず戻ってみせるんだ。あいつの指輪を貰うんだろ?」
「だけど、思いつかないんだもん!」
何もかも。どうして空はあんなに遠いんだろう。
わたしにディテみたいな翼があれば一瞬で戻れるっていうのに。
「……あぁ、そうか」
考えていたのは、それ、だった。
サンクチュアリさまにも、ディテにも、アレスにも頼らずに。
ひとりで困難に立ち向かえるように、なりたくて。
大事なひとを守れるように、なりたくて――
『なれるよ』
輪郭のない、少女が、存在していた。
だけどわたしは彼女を知っていた。
「ルナ?」
消えてしまった筈のルナがわたしの目の前で微笑んでいた。きらきらと、淡く光を放ちながら。微笑みながら。
『ずっとそれはアカシア自身のなかにあったから』
違う、ルナじゃない。ルナはわたしの名前がアカシアだということは知らないから。じゃあ、この子は、誰?
『わたしは、アカシアのなかにある、記憶。ほら』
いつしか落とし穴ではなくて、賢者さまの球が浮かぶ空間に、わたしは立っていた。形も大きさもまばらな球体。不思議な空間で、ルナの姿は消えて声だけが響く。
『ルナに水を与えてくれたように、アカシアは自分自身に翼を与えることができる。たった1回きりだけど、大きな、大きな力よ』
同時に賢者さまの言葉が空間に反芻される。
――もうひとつ智恵を授けましょう。アカシア、貴女がもう一度真実の心と向き合うとき、貴女は世界を救うことができるでしょう。ただ、それにはひとつだけ、真実の心の一部を代償とするでしょう……。
わたしは空間に問う。
「真実の心の一部を、代償とする?」
『そう。それを、賢者への答えとして。人間は、きれいか、きたないか。アカシア、貴女自身の答えとして』
人間はきれいか、きたないか。
保留していた、答え。
『貴女のなかに今在るものこそが、答えなの。一度だけ、力に変えることができる。だけど、そしたら、あなたは二度と逢いたいひとには逢えなくなる。本当の意味での、逢いたいひとに』
「逢いたい、ひと?」
心の底で誰かが言った。
後悔しない?




