2-9
*
これほど、朝を待ち遠しいと思ったのははじめてだった。
旅の目的が果たされる、朝だ。
「行ってくるね、ディテ」
深呼吸をすると、気持ちが引き締まったように思えた。
宿の外は晴れていた。人けはなくて、静かで。
時計樹は昨日までと変わらず遠くにそびえたっている。天空ではまた有翼人が飛べなくなってしまったのだろうか。昨日の夜も、どこかの時間は喪われてしまったのだろうか。
だけど今日でそれは終わりだ。
明日からは、これまで通りの日常が戻ってくる。
わたしたちは宿を離れ、村を歩き回ることにした。
「ラタトスクー!」
「いるんだろう! 出て来い!」
ふたりで呼びかける。
「ぴょ」
「きゃっ!」
足もとに小さな人間が立っていた。その小ささは、頭がちょうどわたしの膝くらい。頭と体のバランスは一対一で、緑色のだぼっとした服を着ている。くるくるの赤い髪にくりくりした大きな金色の瞳。子どもの顔。
「ぴょ」
同じのがもうひとり。さらにもうひとり。……全部で、10人。
「もしかして、ラタトスクの使い?」
ぴょ、ぴょと言いながら。彼らはわたしたちをちらちら見ては、あさっての方向に進んでいく。
「ついてこい、ってこと?」
「罠かもしれないぞ」
「それでも今は行かなきゃいけないときだわ」
わたしは躊躇わない。ぴょの後についていく。
「ぴょ」
「ぴょ」
「待てよっ、俺だって」
村の奥へ、段々と奥へ。ぴょは次から次へと流れに合流して、大きな集まりになっていた。やがてぴょたちが立ち止まり、ふたつに分かれ、わたしたちに道を開けた。
その先にはちいさな家があった。
「祠……?」
なんとなく、空気が村よりも澄んでいたからかもしれない。どうしてそう思ったのかは分からないけれど。
「ぴょ」
ぴょのサイズにぴったりな、小さな家。わたしたちの腰辺りまでしかない高さの家。わたしはかがんで、ぴょに問いかける。
「ねぇ、あなたたちは、何なの?」
ぴょは首を傾げてはにかんだ。何だか要領を得ない。
「――有翼の女王の容体はどうだい?」
そして。
辺りに声が響く。
「ラタトスク……!」
目の前でラタトスクは恭しく礼をしてくると、帽子をとった。ぴょと同じくるくるの赤い髪が露わになる。
「ま、まさか」
わたしの呟きにラタトスクはにやりと頷く。
しゅるしゅるしゅる、と。見る見る内に姿が小さくなって――
「ぴょ」
ラタトスクも、ぴょになってしまった。
「マジか……」
アレスが頭を抱えた。確かにこの状況は理解の範疇を超えている。常識人のアレスなら頭痛がしてくるのは間違いない。
「あはは。なかなか面白かったよ」
ラタトスクだったぴょ、つまりラタトスクは無邪気な笑顔で話しかけてきた。
わたしは気を引き締め直して、問いかける。
「貴方が、大地の精なのね」
「正確には違う。私たちは、全員で、大地の精だから。そしてお探しの指輪は、これだよ」
ラタトスクはポケットから光るものを取り出してみせた。
そこには黒色の、磨かれた、人間サイズの指輪があった。
「……大地の精の指輪……!」
これでサンクチュアリさまの病を治せる! 動悸が速くなる。
「お願い、どうしてもそれが必要なの。無理な頼みとは分かっているけれど、貴方だって事情を知っているんでしょう? その指輪をわたしに渡してほしいの」
「うん、いいよ」
あっさりと許可が下りる。わたしはアレスと顔を見合わせた。アレスは驚いていたけれどわたしもきっと驚いていただろう。
――こんなに簡単にことが運んでいいのだろうか?
「やったな、カーシャ!」
でも。
ラタトスクはわたしの感嘆を待たずに、逆に遮った。
「条件があるよ」
「え?」
いつの間にかぴょの全員が、笑顔のままわたしたちを取り囲んでいた。小さくても集まればかなりの迫力がある。
ま、まさか命と引き換えにだなんて言い出す気じゃないだろうか。冷や汗が背中を伝う。アレスも剣を構えていつでも抜けるようにしていた。
それでもラタトスクはぴょの姿で、動じることもなく、指を弾いた。
「大地の精は悪戯好きなんだ」
それが合図だった。
どどど、と。わたしとアレスの足元に穴が開いて。
「――きゃぁあっ!」
「わああっ!」
穴に、落ちてしまった。
咄嗟に庇われて、再会したときのようにアレスはわたしの下敷きになっていてくれた。慌てて離れる。
陽の届かない、冷たい落とし穴。ぴょたちはじっとこちらを覗き込んでいる。文字通り、高みの見物をするらしい。
地上からラタトスクが叫んできた。
「そこから協力して出てこられたら、指輪をあげようー!」
「お前、世界の危機なんだぞ! 解ってるのか?」
アレスが立ち上がって叫び返す。
「だったら、何だっていうんだいー?」
「ぴょ」
「ぴょ」
「ぴょ」
「私たちは面白ければ何でもいいんだー。世界が滅びようが自分たちが消えようが、どうでもいいさー!」
「ぴょ」
「ぴょ」
「ぴょ」
……なんてことだ。
わたしはアレスと顔を見合わせる。さっきとは違い困惑の表情。
「あのさ、そういえば容体ってどういうことだ」
しまった。ラタトスクの奴。でもこうなったらやけくそだ。隠し通すことを諦めて、できるだけ簡単に説明しようと試みる。
「サンクチュアリさまも臥せていらっしゃるのよ」
「……そうか」
アレスはわたしを見ないで、続けた。
「だから、地上の時間が消えていってるってことか」
うん。
言いたいのに、言えなかった。その代わりに小さく頷く。
ラタトスクの呼びかけが遠くに聞こえた。
「あ、今日、この場所は時間が消えるから、気をつけてー!」
ディテと見たあの夜を思い出す。
どろりとした重たい闇。視界に入るだけで全身が粟立つような感覚を覚えた。あれが今日、ここに訪れると?
「そ、そんな……」
夜になるまでに地上に戻れないと、指輪が手に入らないどころか、消えてしまうということ?
ふざけてる。
穴はかなり深く、人間の背の高さでいうと3人分くらいありそうだった。道具もないのにどうやって登れというんだ。アレスは顎に右手をやって、じっと考え込んでいた。だったら、わたしも。
お互いが無言のまま、時間だけが過ぎていく。
唐突にアレスがわたしを見た。
「俺、結婚するんだ」
心臓が跳ねた。
アレスは無表情で、地面を見つめていた。わたしは鼓動が速くなっていることを気づかせないように、小さく深呼吸をして平静を装う。
「知ってるけど。どうしたの、上がる方法を考えてたんじゃなかったの?」
そんなことをこの場において走馬灯のように考えていたんだとしたら、一発殴ってやる。と思っていたら、アレスは穴に寄りかかって、もたれたまま座り込んだ。
「2回しか会ったことないんだけどさ。すっげー美人。髪サラサラで」
瞼を閉じて、アレスは寝るような恰好になった。
「俺が死んだら彼女は泣くんだろうか。カーシャはどう思う?」
「ちょ、ちょっと。まさか今ここで諦めてるの?」
「どう思う?」
駄目だこいつ。殴る価値もない。
「――その彼女については何とも言えないから、代わりにわたしが泣いてあげるわ」
「そっか」
だけど開かれたアレスの瞳には、しっかりとした輝きが宿っていた。
立ち上がり、背伸びをする。
誰かに問いかけるように、大声を上げた。
「果たして俺は無事彼女と結婚することができるんだろうか」
「ここから上がることができたら、できるんじゃない?」
「そうかな」
そうかな、って。
なんだかもやもやする。こんなところで、急に弱気にならないでほしい。こっちまで不安になってくる。
「結婚式、来てくれよ。天空代表、妹ですって紹介してやる」
妹って。まだそのネタが続いていたのか。
「心から遠慮しとくわ。勝手に幸せな家庭を築きなさい」
「……という訳で作戦会議だ」
なんなんだこいつ。




