1-1
*
「どいてー! 急いでるんだからー!」
天空の城で唯一翼を持たないわたしは移動するのも一苦労、ばたばたと廊下を駆けていく。
「ちょっと、もっと優雅にできないのっ?」
「無理!」
しかめ面の有翼人に即答する。だって女王さまの侍女は基本的に忙しい。優雅に空中散歩ばっかしてる有翼人とは根本的に違うんだから!
胸が弾む。握りしめた右手が熱を持っている。
早く、早くサンクチュアリさまの元へ行かなくちゃ。
だだだだ、と。足音を響かせながら執務室の前で、きぃーっと音を出して止まる。扉を乱暴に開ける。白く磨かれた机が眩しい。その上で、サンクチュアリさまは書類に目を走らせていた。
「アカシア、どうしました?」
陽に透ける黄金の美しい髪、海よりも深い、大きくて青い瞳。陶器のようななめらかな肌。そしてきらきらとほのかに煌めく6枚の翼。わたしの上司は、精巧につくられた人形のような出で立ちをしている。女王に相応しい、高貴さの溢れる優雅なドレスを身に纏って。
椅子から立ち上がり、サンクチュアリさまはわたしに近づいてきた。
呼吸を整えてから答える。
「見つけました、書庫の、鍵!」
右手に古びた鍵を掲げてみせた。
ここ数日、城の書庫の最深部にある閉鎖書庫の鍵が見当たらなくて、数人で、まるで宝物探しのような感覚で城中ずっと探していたのだ。
サンクチュアリさまは鍵を受け取ると、顔を綻ばせた。
「まぁ。結局、どこにあったのですか?」
「不思議なことに厨房の隅っこに落ちてました。見つけたのはわたしとディテです」
「きっといいことがありますね」
「皆にそう言われました」
些細なことだけど、うれしくってたまらないのは事実だ。
「これで、サンクチュアリさまの調べ物も捗りますよ」
サンクチュアリさまは、しごとの傍ら歴史書の再編纂をしているのだ。閉鎖書庫には天空と地上、両方の重要な書類が納められている。だから欠かすことのできないものだった。
だからわたしはサンクチュアリさまの為に必死に鍵を探していた。
「ええ。ありがとう、アカシア」
サンクチュアリさまが優雅に微笑む。目の眩むほどのまばゆさだ。
この城は、地上にそびえたつ「時計樹」に支えられて存在している不思議な城。サンクチュアリさまは城では女王、地上では神さま。いろいろあって滅びかけた無翼人の世界を救ってくださったのがサンクチュアリさまだったらしい。地上では誰でも知っていることだ。
そしてわたしにとってはお仕えすべき方で、命の恩人。そんなひとに感謝の言葉を頂いたとあっては、この喜びを表現せずにはいられるか。絶対せずにはいられない!
「そうそう。もうすぐしごとに区切りもつきますし、お茶でもしましょうか」
「えっ! そ、そんな……!」
「いやでした?」
「まさか! サンクチュアリさまとご一緒できるなんて、アカシアは幸せ者です」
いつも忙しいサンクチュアリさまとお茶が楽しめることは滅多にない。
くすくすと口元に手を当ててサンクチュアリさまが笑う。
「アカシアは、いつでも大げさなんですから」
そんなことありません。サンクチュアリさまが侍女に対して気さくすぎるんですー。なんて絶対に言わないけれど。でも、それにしても女王のしごとって大変だとつくづく思う。磨き石でつくられた執務机の上から書類の束が消えたのを見たことがない。なのにサンクチュアリさまは顔色ひとつ変えずしごとをこなしていくんだから。
むしろわたしの方が侍女といっても大したことは何もしていない。基本的には雑用で1日が過ぎていく。
壁の一面に張られたガラスに映るわたしは、有翼人とはまず見た目が全然違う。薄い青色のワンピースは侍女専用。赤に近い茶髪も、碧色の瞳も、明らかに地上に住まう無翼人。というかお子さまだ。
まぁ、翼がないことが根本的に違うんだけど。
窓の外では呑気な有翼人たちが空中散歩を楽しんでいた。たとえ暇があっても、あんな風に飛んでみたいと思ったことはどうしてだか一度もない。
「アカシア、この書類を棚に戻してくれませんか?」
「あっ、すみません」
慌てて我に返り、しごとしごと。紙の束を両手に抱えて、棚の空いているところに戻していく。室内はかすかに甘い香りが漂っていた。きっとこれは、サンクチュアリさまの香りだ。
「お茶の用意、お願いしますね」
「はい」
執務室を出て厨房へ。橙色の花が描かれたお茶の一式を持って再び執務室へ。
気合いを入れてポットに茶葉、お湯を注ぐ。ものすごく緊張する。十分に蒸らしてからカップに注ぎ、緊張でかたかた震わせながらお茶用の小さなテーブルに載せる。
「お、お待たせいたしました」
「ありがとう」
わたしも厨房で貰ったお菓子を小さな皿に載せて、続いて席につく。
「最近、地上の様子はどうですか?」
翼のないわたしには地上の様子を窺い知ることはできない。だから、サンクチュアリさまに尋ねるしか方法がないのだった。
「落ち着いていますよ。とても平和です」
「そう、ですか」
お茶を飲むときもサンクチュアリさまは優雅だ。カップを一度テーブルに戻して、そっとわたしの頭に触れた。
「あなたの気持ちは、痛いほどに理解できます。ですが、その気持ちが向かう方向にはあまり感心できません」
「はい……」
気持ちが向かう方向、という言葉に胸がちょっとだけ痛む。
「それでも、わたしの夢は、地上に降りて『かつての王国』を復興させることなんです」
わたしにだって、お姫さまと呼ばれていた頃はあった。地上でもお城に住んでいた。父親は国王、母親は王妃。平和で穏やかな国。だけど。
「だから謀反を起こした人々を絶対に捕まえなくてはならないと?」
「はい」
サンクチュアリさまをじっと見つめる。
大臣たちを捕えて、王国を取り戻す。
わたしはその為に生きているようなものだった。
「……アカシア」
復讐目的では、地上に降りることは許しません。
サンクチュアリさまは、決してそう言わないけれど、いつもこの話題が出ると、必ずそのきれいな瞳でそう言ってみせた。だから逆に反論できなくなる。
それで、地上の様子を聞くときの話題はいつもおしまい。
サンクチュアリさまがお菓子を口にする。
「このお菓子は、とても美味しいですね」
「厨房長さまがサンクチュアリさまの為に用意されていらっしゃいました。雲から特別な方法で甘味成分を抽出したそうです」
「だから雲みたいにふわふわしているんですね」
「きっとそうだと思います」
「アカシアの淹れてくれたお茶も、渋みや苦みがなくてとても香りがいいです。やはりお茶はアカシアが淹れてくれたものがいちばんですね」
「こ、光栄です」
いつまで経っても褒められると緊張する。
サンクチュアリさまを見ていると、このお方の為なら何でもしたいと思える。天空に来ていちばんうれしいことは、サンクチュアリさまのお傍にいられることだろう。