2-7
*
大衆食堂の前でアレスとディテが大きく手を振っていた。
「おかえりー!」
「急にどうしたんだよ、カーシャ」
わたしはふたりに頭を下げる。
「ごめんなさい」
ディテがあたしを抱きしめる。
「いいのよ。だけど、お願い。あたしのやりたいようにさせて。ね?」
「危なくなったらすぐに止める、って条件つきでな」
あまり納得していない面持ちでアレスが両腕を組む。
「……分かった」
だけど。
「だけど、ディテのことも助けるから。薬を使って。だから、病なんかで死なないって約束して」
「ありがとう、カーシャ」
そっとディテが耳打ちする。
「彼、ほんといいひとよ」
ふたりで何を話したんだろう。
「仇とか婚約者とか、この際どうでもいいじゃない」
「いや意味分からないから」
「もう。素直じゃないのね」
「わたしの言葉がディテに通じない……」
「それはあたしの台詞よっ」
アレスが咳払いでわたしたちの会話を打ち切る。
「で、ディテさんと話した結果、今から飛ぶことにしたから」
しかも話が早すぎる。
「そうじゃなきゃ日が暮れちゃうもの」
ディテがわたしにウィンクを投げてきた。そして、翼を広げる。ほのかに青い2枚の翼。病で抜け落ちたとはいえ、まだまだ立派なかたちをしている。
「ふたりとも、あたしに捕まっててね」
頷いて、わたしはディテの左手をとる。アレスは右手を。
軽くディテが跳ねる。そのまま宙に浮き、一気に上空へと昇る。地上の世界があっという間に遠く、小さくなる。
――飛ぶ。
ひとりで天空から降りたときとは違う浮遊感。鳥肌が立つ。ぷるぷると首を横に振ってから改めて地上を見遣る。おもちゃみたいな世界。無翼人の世界。
「空を飛ぶのははじめてだ!」
アレスが興奮したように大声を上げて。
「すごいな、有翼人って――」
それから言葉を失った。視界のあちらこちらが灰色に染まっていたから。
夜に飲み込まれた凄惨な跡。きっとこのなかにわたしたちが通ってきた、ルナの街もあるのだろう。
風を感じながら、しばらく誰も口を開かなかった。
「――あれが首都だよ」
不意にアレスが呟く。
「昔、あそこには王国の城があった」
心臓の鼓動が大きく波打つ。
「今は政の為の大きな塔が建てられている。ほら」
不自然な緑色をした建物が見えた。城の面影は全くない。
かつての王国――。
わたしのいた場所。
もう二度と戻らない時間。だけど、今わたしはこうしてここにいるから。
「泣いてるのか? カーシャ」
揺られながら。
ぽろぽろと、涙が空に舞う。
「気のせいよ」
ぽろぽろと。
流れていく涙は、誰の、何の為に?
「そうか」
アレスはそれ以上追及してこなかった。
「俺は、よき為政者になれるように頑張るよ。今回カーシャと旅をして、改めてそう思った」
前はその言葉を聞くだけで腹が立ってしょうがなかったけれど。
「……なれるよ」
無意識の言葉だった。
「アレスなら、なれる」
「……ありがとう」
「おふたりさーん」
わたしたちの手を繋いで先を飛んでいるディテが、わざとらしく声を上げた。
「もうすぐ着くわよ」
まだ灰色じゃない村。まだ、人間が生きている場所。
「しっかりと掴まっててちょうだい」
ゆっくりと、確実に地上に近づく。
ふわり。一瞬だけ変な感じがして、その後、両足が地上に着く。
わたしとアレスはディテから手を離した。
「はじめての飛行はどうだった?」
「……いや、すごかったよ! 人間がいかに小さいかってのがよく分かって、身が引き締まった」
「それはよかったわ」
ディテが翼を小さく折りたたむ。
「日が暮れてきたわね」
そして空を仰いだ。段々と朱色になってきている。
「どうする?」
「今日はこれ以上動くのは難しいから、宿を探そう」
ディテの体調が気になる。無事に地上には降りられたけれど、病状はどこまで進んでいるのか。アレスを見遣ると、首肯してくれた。
「俺も賛成だ」
*
簡単に宿は見つかり、アレスに申し訳ないと思いつつも宿代を出してもらった。部屋は勿論、ディテと一緒だ。
「ほんとに、ありがとう」
「そんなかしこまらないで。あたしが勝手にやったことなんだから」
それから、わたしが地上に降り立ってからの話をした。
ディテはわたしが地上にいる間の天空の話をしてくれた。
「ちょっとしか経ってない筈なのに、話ってつきないものよね」
ディテが目を細める。
「さっきはアレス君がいたから訊けなかったけど、ほんとはどうなの?」
「ほんとは、って?」
「だーかーらー。好きなんでしょ、彼のこと」
「……ありえねー」
わたしは寝台に倒れこむ。
「粗野な言い方しないの。だって、いい雰囲気だったわよ? 空飛んでるとき」
「ディテ、目がおかしくなったんじゃない」
深呼吸をひとつして。
「わたしの仇であることは、この先もずっと変わらないんだから。指輪が手に入ったら、旅も終わるし。そうしたら、わたしはまた地上に降りて――」
もうひとつ深呼吸。
「かつての王国を再び取り戻すんだから」
そのとき、アレスは、敵だ。
「もうっ、そうじゃなくて」
隣の寝台にディテも倒れこんだ。
「アカシアが言ってるのは、状況説明だけでしょう? 自分の気持ちについては、何も教えてくれてない」
「大嫌いよ、あんな奴」
寝返りをうつ。
「苦労もしないで育ってきて、理想論ばっか並べて。今回は、ほんと、たまたま一緒に旅をすることになっただけで、そうじゃなきゃ一生関わりたくない相手。だから無理やりくっつけさせようとしないでちょうだい」
それはわたしの本心だった。
「……そっか」
それ以上ディテは何も言ってこなかった。
部屋のなかが静まり返る。寝てしまったんだろうか。明日は大事な日だ。わたしも、寝てしまおう――




