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1-10

 帽子男がにやにやしながら立っていた。

 いつからここに? わたしはルナを庇うように立ち位置を変える。

 ラタトスクが手を叩きながら大声を出した。


「いやぁ、実に素晴らしい。いいものを見た」

「お前、時間が喪われたと、この街のことを言っていたよな。もしかして、夜が地上の世界を飲み込むことについて、何か知っているんじゃないのか?」

「だったらどうするかい」

「力ずくでもお前を伏せさせて、全部話してもらう」


 今度は、アレスは躊躇いなく剣を抜いた。殺気を隠すこともせずに、ラタトスクに対峙する。鼓動が速くなる。闘うつもりなのだろうか?


「カーシャとルナは先に行っててくれ」

「う、うん。行こう、ルナ」

「いやはや、そんな物騒な!」


 ラタトスクが嗤う。両手を上げて、ひらひらと振ってみせた。


「私は武器なんて持っていないんだから。闘う気なんてこれっぽっちもないさ」

「じゃあここで全部話せ」

「ははは! 君はなんておこがましいんだねアレス。だけどそんな君は嫌いじゃないよ。うん、そうだな。これだけは教えてあげよう。喪われてしまった時間は二度と元には戻らない。そして世界は二度めの終わりを迎える。これは避けようのない道」

「俺らにはどうすることもできないって言いたいのか」

「ただの人間には無理だね。だって、気づいていないんだろう」

「何をだ」


 アレスは臨戦態勢を解かないまま、問い返す。

 その瞬間、悟ってしまった。どうして気づけなかったんだろう。ううん、きっと気づきたくなかったんだ。


「この街の人間は昨夜全員消えてしまったというのに」


 冷たい掌の、意味する、ものは。


「もう、ここには。人々の強い念しか、残っていないんだよ?」


 嘲笑うかのように。

 ラタトスクは、ルナを、指差した。


「――!」


 ルナはがたがたと震えながら人形を抱きしめて立っていた。


「いい加減気づいたらどうだい。君はもう死んでいるんだ」

「お前こそ適当なでまかせを並べるのはやめるんだ」

「アレス、君は本当に面白いな。だったら、彼女に直接訊いてみたらどうだい」


 ゆっくりと、アレスはルナを見た。ルナは首を横に振りながら、再び泣きそうになっていた。


「せっかくだったら見せてあげるよ。ほら」


 ラタトスクの左手がリズミカルに動く。すると、ルナの人形がふわふわとルナから離れて、宙に浮いた。ルナが慌てて捕まえようと手を伸ばす。

だけどギリギリで手が届かない。


「小さすぎて、理解できていないんだろうけれど。こういうのは力ずくがいちばんだ」

「何をするつもりだ!」


 僅かに、アレスに焦りが浮かぶ。彼も気づいてしまったのだ。

 くいっ、と。

 ラタトスクの指が弧を描く。


「やめてーッ!」


 わたしは叫ぶしかできなくて。ラタトスクはわたしの叫びを無視して、弧を、描く。

 ぱん!

 人形が空中で音を立てて破裂した。

 一気に血の気が引いた。スローモーションのように、人形の破片は、ゆっくりと瓦礫の上に落ちた。ガラス玉だけが地面に落ちて、ころころと転がった。


「あああ……あ……ああ……」


 ルナが破片を必死にかき集める。


「貴様ァッ」


 アレスが刃を唸らせる。いつもとは別人のように、怒りをみなぎらせて跳ぶ。あっという間にラタトスクとの距離を縮め、剣を振り下ろそうとして――


「残念だね。その攻撃は僕には通用しないよ」


 光の膜がラタトスクを覆っていた。


「それよりも、いいのかい?」


 余裕を表情に浮かべてラタトスクは嗤う。


「ルナ!」


 わたしは固まっていた体を無理やり動かしてルナに近寄る。ルナは呆然としながら破片を集めていた。うわごとのようなものをぶつぶつと呟いている。

 その体は徐々に壊れかけていた。

 瓦礫のように。体のいたるところに、ひびが入る。人間じゃないみたいに。ぴしぴし、ぴしぴしと。顔にも容赦なくひびが進む。

 アレスも剣を納めてルナに駆け寄る。


「しっかりしろ。しっかりするんだ!」


 ルナはわたしたちの方を見た。瞳から溢れる涙が、顔じゅうのひびに染み込んでいく。


「アレス、ルナが大きくなったらお嫁さんにしてくれる?」

「――」


 わたしは、アレスが言葉に詰まるのをはじめて目にした。アレスは動揺していた。生半可には答えられない提案に。

 おそらく、これが最期になるであろう、言葉に。


「……お、大きくなったら、な。だからこんなところで消えちゃ駄目だ」

「やった。ありがとう。それから、カーシャ、お水と、お人形、ありが――」


 から、からから。

 崩れた。

 崩れて、しまった。瓦礫と混ざってしまって、どこまでがルナで、どこまでがそれ以外か分からなくなってしまった。

 こんなこと。こんなこと、あってたまるものか。


「今頃他の住人も同じように消えてしまっているよ。ここはもう、駄目だ。だから早く見捨てて行くことだね。君の目的地はこんなところじゃない筈だ」

「……貴方、一体、何者なの?」


 わたしは、震える体を手で抑えつけながら、ラタトスクを睨みつけた。負けちゃいけない。恐怖に負けたら、立ち向かえなくなる。


「最初に名乗っただろう。私はラタトスク。それ以外の何者でもないよ。では、また」


 ラタトスクがお辞儀をすると、前みたいに、顔を上げた瞬間に姿はなくなっていた。



 その後、街で人間を見つけることはできなかった。

 わたしとアレスは無言のままよろよろと街を出て、川辺を進む。灰色の景色は終わり、何事もなかったかのように緑が生い茂っている。川も、何事もなかったかのように流れていた。

しばらくして、わたしは黙っていられなくなった。自分自身に認めさせたくて、言葉を発する。


「……きっと先生たち、無事に街から逃げられたんだよ」


 アレスが力なく頷いて、わたしの掌をみた。


「カーシャ、それは」


 掌にはふたつのガラス玉があった。ルナの人形の瞳だった、透き通ったきれいなガラス玉。ルナの体温みたいにひんやりとして手のなかに収まっている。


「持って、きちゃった」


 形見だなんてことは思わない。思いたくはない。だけどどうしても置いてくることができなかったのだ。

そうか、とアレスが小さく囁いた。わたしはそんなアレスを直視することができなかった。

 再び会話が途切れる。

 さらさら、と川に水の流れる音が響く。

 段々と陽が落ちてくる。のどかな景色は紅く染まっていくけれど、周りに人間の姿を見つけることはできなかった。勿論、村や街らしきものも、だ。

 どうしよう、とアレスをつい見遣ると、同じことを考えていたようで視線が合った。


「今日は、……野宿にしようか」


 適度に広い場所を見つけると、アレスは持っていた布を木にかけて、地面に対して三角形に広げてみせた。さらに持っていた小さな灯りに火をつけて、布のなかに置く。


「カーシャはなかで。俺は、外で」


 木の枝を何本か集めて火をつけると、アレスは躊躇いなく布からほんの少し離れたところに腰を下ろし、剣の手入れをはじめた。


「結構、野宿にも慣れてるから大丈夫。あ、心配しなくても、結婚前の男女が」

「それは分かってるからいいけど」


 言葉を遮って、視線を落とす。


「あ、腹が減っているのか? だったら魚でも釣るけど」

「ううん、大丈夫、……おやすみ」

「おやすみ、カーシャ」


 外も結構温かいけれど、布のなかも空気がうまく循環しているようで心地いい温かさを感じた。大きな石のところに座る。

 もしかしたらアレスは寝ずの番をするんじゃないだろうか、と訊きたかったのにできなかった。不穏な気配を察したら教える、そんな態度に見えたから。

 下手すればわたしたちが夜に飲み込まれてしまうかもしれない。

 そうしたら、何もかもおしまいだ。だから確認したかった。安心したかった。


「わたしって、自分勝手」


 あんなにもアレスに苛立っていたのに、ルナが消えたときは、隣にいてくれてよかったと心底思った。そう言えば。いつの間にか敬語で話すこともやめてしまっていた。

 色々ありすぎた所為だ。その所為で、ペースが乱れているんだ。だってアレスはグライド家の人間だ。復讐の相手なんだから。

 ――本当にそれだけの相手?

 謀反を起こしたのはグライド大臣だ。アレスは関係ない。そんなことない。アレスにはあの男の血が流れている。いつ裏切られるか分からないんだ。


「裏切られる?」


 思わず口に出してしまった。


「……裏切られたら、悲しいわ」


 そうだ。裏切られたら悲しい。そんな信頼を、いつの間にか寄せていたのかもしれない。我ながら情けないけれど。

 でも、今。

この寝床の向こうにアレスがいることに安心している自分がいる?


「考えない、考えない!」


 かぶりを振る。雑念は打ち消さないといけない。


 明日はいよいよ、森に入る。

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