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1-9


「……シャさま! カーシャさま」


 誰かが呼んでいる。走って来る。

 ――あ、これは、夢だ。瞬時に理解した。いつも見る灰色の光景とは違うけれど、幼い頃の記憶だ。

 だってわたしを呼ぶのは、小さな男の子。黒髪の、アレスだったから。


「姫さま、バルコニーに出たら怒られますよ。この前だって父王さまにきつくお叱りを受けていたじゃないですか!」


 だけどバルコニーは外がいちばんよく見える。

 父さまと母さまが帰ってこられるのを誰よりも早く知ることができるから、譲れない。確かあのときはそう思っていた。


「だって、明日は母さまのおたんじょうびなんだもん!」

「……念の為に伺いますが、両手に持っているのは花ですか?」

「そうよ」


 明日は国じゅうが母さまの誕生日を祝うから、それなら前日に、誰よりも先にお祝いをしたかった、のだと思う。


「花を降らせるのは誕生日ではなくて結婚式だと思うのですが」


 アレスの冷静なツッコミ。この国では、結婚式で造花を宙に舞わせる風習がある。枯れない花は永遠の愛の象徴だ。

 誕生日も結婚式もおめでたいことだからいいじゃない。わたしは頬を膨らませるけれど、眼下に母さまの姿を見つけるとすぐさま機嫌を直した。


「あ、母さまだー!」


 えいやっ、と。色とりどりの花を放る。


「母さまー!」


 急に降ってきた花に驚いて、父さまと母さまがバルコニーを見上げる。わたしは満面の笑み。父さまは一瞬眉をひそめたが、やれやれといった感じに溜め息をひとつ。母さまと共に、うれしそうに手を振ってきた。


「結局のところ、カーシャさまには誰も敵わないっていうことですね」


 アレスが憎まれ口を叩く。


「僕も含めて」

「なぁに? 何か言った?」

「いいえ、何でもありません。さぁお部屋に戻りましょう」



「……シャ! カーシャ」


 アレスに呼ばれて目を覚ますと、陽はかなり高く昇っていた。何か夢を見ていた気がするけれど思い出せない。


「ご、ごめん。寝てた」

「見たら分かるよ。それよりも、大変なんだ。どうやら、同じことが国の至るところで起きているらしい」


 一気に頭が冴えた。貴重な時間を浪費していたことを激しく後悔する。

 時間が次々に喪われている?


「その正体は今調査中らしいんだけど。とにかく、この街からは出ないといけないだろうと父に言われた」


 先生や、周りの大人は真剣な顔で俯いている。


「昨日俺らがいた辺りはまだ大丈夫みたいだから、そっちに行くといい」

「分かりました」


 先生が頷く。


「やだ!」


 拒否したのは、ルナだった。

 周りの注目を浴びて、ルナは小さくなってアレスの後ろに隠れた。先生が膝を曲げて、ルナの目線に合わせる。


「どうして? ルナ」

「取りに行きたい物があるの」

「取りに行きたい物?」


 アレスが口をはさむ。ルナはアレスを見上げた。


「あのね、昨日、ニナたちと一緒につくってた、お人形」

「授業でつくった物です」


 先生が補足する。


「あれがいる。あれがなきゃ、ルナはここから出ない」


 大人たちの間に、困った、という空気が流れる。子どもひとりの我儘に付き合っていては全員の命が危ないかもしれない、どうやってこの子を説得しようか。そんな雰囲気だ。


「今から学校に行っても、間に合わないかもしれないのよ」

「でも! お人形!」


 ルナは今にも泣き出しそうだ。


「困ったわね……」


 空気がいっそう気まずくなる。

 これはルナを咎める、だけど口には出せない大人たちの葛藤だ。わたしはふつふつと沸いてくる、怒りのようなものを感じて拳を握りしめた。


「……分かりました」


 ルナの手を取る。傷だらけの小さな、冷たい掌。


「案内して。ついていくから。で、あんたは、他の皆を宜しく」


 アレスに向けて言い放つ。


「どうするつもりだよ、カーシャ」

「どうもこうも。わたしはルナのお人形を取りに行くから、後は任せたってことよ。大丈夫、絶対に追いついてみせるから。行きましょう、ルナ」

「うん!」


 ルナと手を繋いで歩きだす。


「先生たちは、川に逆らって歩いて行ってください。俺はルナたちについていくから。お願いします」


 アレスは先生たちに頭を下げると、ルナの手の片方を取った。


「行くぞ」

「ちょっと、どういうつもり」

「どうもこうも。やれることはやるんだろう? だったら俺も一緒に行く」


 反論を許さない構えで、偉そうな態度だった。


「カーシャひとりだけにいい顔はさせないぞ」

「社会勉強の一環?」


 茶化してみると。


「ああ、そうだよ」


 だけどそんなアレスの瞳には、それ以上の決意が宿っている――ように思えた。



「でね、ニナとナナが、ルナのためにクッキーを焼いてくれたの。誕生日プレゼントよ、っていって。黄色いリボンがついてたから、ルナはお人形にそのリボンをつけたの」


 ルナは両手をわたしたちと繋ぎながら、道すがら、ずっと学校のはなしをしてくれた。まるで夜に飲み込まれたという事実がなかったかのように明るい様子で。

 最近、遠足に行ったこと。公園でおままごとをするのが好きなこと。わたしとアレスは、ルナのはなしに相槌を打ちながら歩く。

 それでも学校まで来ると、ルナの明るさは段々と消えていった。


「これはひどい……」


 昨日までは子どもたちが集っていただろう学校は、もはや原形を留めていなかった。学校だとルナに言われなければ、何だったのか分からない。ただの瓦礫の山。

 ルナがわたしたちの手を離して駆け出す。


「ルナ!」


 アレスが追いかける、わたしも後に続く。

 瓦礫の真ん中でルナはそれをいちいち手でどかして、掘るように、人形を探し始めた。


「俺らも手伝うよ」

「わたしだって、探し物は得意なんだから」


 アレスとわたしはお互いに少し距離を置いたところで瓦礫を払いのけ始める。敷地自体はそんなに広くなくて、校舎だった瓦礫も、そんなにたくさんはなかった。

 空を見遣ると、だいぶ陽が傾きかけている。早くしないと。


「どんな人形なんだ?」

「布でできてて、赤いワンピースを着てるの。瞳が、とっても大きいの」

「黄色いリボンもつけてるんだよね?」

「うん」


 瓦礫をどかす。目をじっと凝らす。また瓦礫をどかす。延々と作業を続ける。


「……やっぱり、見つからないのかな」


 ぽつりとルナが呟き、手を止めた。


「どうして皆いなくなっちゃったんだろう。どうして、ルナだけがいるんだろう。先生たちがいるなら、パパやママが、ニナたちがいたっていいと思わない? ねぇ、アレス」


 ――どうしてわたしだけが!


 不意にルナの姿がわたしに重なる。

 謀反が起きて、父さまも母さまも、仕えていたひとたちも殺された。城は焼かれて跡形もなくなった。わたしが地上に生きていた証は、今、何もない。

 サンクチュアリさまが助けてくださらなかったら、わたしは今ここにいなかった。だから天空に行ったばかりの頃はよく自分を責めた。

 どうしてわたしだけが生きているの。何度も反芻した言葉。

 ルナに答えたのはアレスだった。


「……パパとママが、きっと、神に頼んで。ルナを生かしてくださったんだよ。俺だって、大事なひとがいて、そのひとが死んでしまうかもしれないなら。そのひとだけでも助かってほしいって、そう思うから」


 アレスの言葉は、優しく力強いものに聞こえた。

 わたしは唇を噛む。

 ――父さまや母さまは、わたしに生きていてほしいと思ってくれたのだろうか。


「うぅ……うわぁああああん!」


 我慢できなかったのか、ルナは声を上げて泣き出した。アレスがルナの背中をさすってやる。わたしは唇をさらに強く噛んで、もらい泣きしないように必死に耐えた。

 わたしにできることは、人形を見つけることだ。ふたりから視線を逸らして瓦礫をどける作業に戻る。

 するときらきらと光るガラス玉が見えた。


「あった……」


 瓦礫のいちばん奥には、ガラス玉が瞳にはめ込まれている、布でできた、赤いワンピースの人形が落ちていた。


「風よ」


 ほんの少しだけ強い風が瓦礫を巻き込み、人形を覆っていた部分がなくなる。わたしは人形を掴むと、勢いよく引き出す。黄色いリボンについた土を払ってから高く掲げた。


「あった! お人形さん、あったよ! ルナ!」


 ルナに渡すと、泣き崩れた顔のまま、ぎゅっとそれを抱きしめた。


「お手柄だな、カーシャ。さあ、早く行こう」


 アレスが立ち上がる。早く先生たちに合流しないと。わたしは頷いて後に続こうとする。

すると、アレスが歩みを止めた。


「どうしたの?」


 何も答えず、顎で後ろを示す。顔が笑っていなかった。

 促されて視線を向けると。


「ラタトスク!」

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