9話 森から家へ
夜に紛れてしまうような真っ暗な竜が月明かりに照らされていた。
竜の蘭々と輝いた目が、惚けたままのリアンとデュークを映し出す。
「…っな⁈なんで、ここに⁈」
最初に声を上げたのは、デュークだった。
竜がデュークの疑問に答えるはずもなく、そのまま家の前で眠り始めてしまった。
「…お、お父さん。…これ、どうするの?」
リアンは不安げに父を見上げる。
竜を退かそうにも、重さ的にそれは不可能である。それに、下手に刺激すれば、こちらが大惨事である。
2人が無言で顔を合わせていると、鳥小屋からダトラが暴れる音がした。
「…一先ず、ダトラを落ち着かせるぞ。そこで待ってろ。」
鳥小屋に行くためには、寝ている竜に近づかなくてはならない。デュークは極力近づかないように、物音を立てないように忍足で鳥小屋に入っていった。
鳥小屋に入っていく父を見送った後、リアンは竜に目を移す。竜は、すっかり寝入ってしまっていた。
10分ほど経つと、父が鳥小屋から姿を現した。
父の肩などに、羽が落ちているところを見ると、どうやらダトラは相当暴れていたのだろう。
「お前は、もう家に戻って寝ろ。」
大きな溜息を吐きながら、デュークはリアンに手を仰ぐように振る。
「お父さんはどうするの?」
「こいつをこのままにして、寝れねぇよ。俺が見張っとくから、お前は寝とけ。」
デュークは、竜を恨めしそうに見た。
リアンも起きていると言ったが、デュークはそれを許さなかった。
家に戻るリアンを見送った後、デュークは寝ている竜に目を戻し、ドアに倒れ込むように座り込む。その手にはしっかりと、ナイフが握られていた。
月が沈みかけ、日が上り始めた頃にリアンは目を覚ました。昨晩は父に寝るように言われたが、結局その後、直ぐに眠る事はできず、お陰で体は快調とはいえなかった。
リアンは、見張ると言っていた父のことが気になり、ドアに手をかける。ドアを引くと同時に、外でもたれかけて座っていたデュークが背中から倒れ込む。
「お父さん⁈ごめん!大丈夫?」
父は呻きながら、起き上がる。すぐにリアンは背中をさすってやった。
「っつぅ!…ああ。大丈夫だ。」
夜通し竜を見張っていた父は、疲れ切っているのが見て取れた。リアンはドアの先へと目を移す。疲れ切った父に対して、竜は未だぐっすりと寝ているようだった。
「お父さん、中で休んでいなよ。何かあったら、呼ぶからさ。」
「…ああ。…何かあったら、叩き起こしてくれ。」
リアンと交代するようにデュークは家へと寝に戻る。
ただ、竜を見ているだけでは、時間がもったいないので、リアンは朝ご飯の下準備を始めた。
リアンが芋の皮剥きをしていると、突然、頭から生暖かい風がリアンの首筋にかかる。
反射的に顔を上げると、リアンの目の前に竜の顔があった。
「っ!!!!」
本当に驚いたときには、人は声を出すことすらできない。リアンは、皮剥き途中の芋を手にしたまま、竜との距離を取ろうとするも、足が震えてしまって、3歩ほどしか距離を取れなかった。
どうやらいつの間にか、竜は起きていたようだ。
先程の距離の近さには随分、驚かされたが、竜にリアンを襲う気はないようで、それ以上、リアンに近づいては来なかった。
リアンは、飛び出しそうな心臓を押さえながら、息を整える。
先程まで、芋に注がれた目線が前に向くと、リアンはある事に気付いた。
昨晩、竜はその足でリアン達の家まで来たのだと思っていた。しかし、家の周辺のどこを見ても、竜の足跡はなく、倒れた草木は見れなかった。
つまり、竜は自分の翼でこの家にたどり着いたのだ。
「…お前、もう、飛ぶことができるの?」
竜は何も言わない。表情も変化しない。
それでも、リアンは竜がにやりと笑った気がした。
竜が飛べるとわかってから、リアンは竜が飛ぶのを見たくてしょうがなくなった。
竜程の大きな生物が本当に空を飛ぶのか、あの大きな翼で飛び立つときは、どのような風が舞うのか。
リアンはちらり、ちらりと何度も竜を見るも、竜は飛ぼうとする素振りは見せなかった。
(…ああ〜!見たい!見たいけど。)
竜が空を飛ぶように刺激するわけにはいかない。大人しく、竜が飛び立つ時を待つしかないだろう。
リアンがデュークと竜の見張りを交代してから、3時間程経ち、山に日の明かりが溶け込み始めた頃、家のドアからガチャリと音がして、デュークが寝ぼけ眼で姿を現した。
まず、デュークはリアンへと目を向ける。
その後、リアンの後ろにいる竜へと目を向けた。
きっと夢を見ているのだろう。我が家に娘とイヌワシはいても、竜なんてものはいなかったはずだ。
そのまま、ゆっくりとドアを閉めようとするデュークの手をリアンは掴む。
「っちょ!待ってよ!お父さん!」
まだ、疲れが取れていないだろう父を止めたのは心痛いが、リアンだって寝不足なのである。ずっと竜を1人で見張るのは厳しい。
「…わがっだ。目を覚まじでぐる。」
リアンの真剣さが通じたのか、デュークは眠りに戻るのではなく、家の横にある水場へと向かった。
しばらくすると、顔を濡らして、先程よりすっきりした顔つきのデュークが現れた。
リアンは父に、水を入れたコップを渡す。
「…はぁ。夢じゃないんだよな…」
デュークは、竜をじっと隈がついた目で見つめる。
竜は、もうすっかり起きたのか、家の周囲をぐるりと回りながら、周辺を散策していた。
「そうだ。お父さん、竜のことなんだけど…」
リアンは、父に竜が空を飛んで家に来たのではということを伝える。しかし、父の反応は薄いものだった。
「…ああ。俺も日が上り始めた頃に気づいたよ。」
「気付いてたの?」
「まぁな。それよりも、昨日も話したが、狩りに行かねぇとな。」
父の言葉にリアンは少し驚く。昨日の夜、竜のことがあったのだ、てっきり狩りはお休みになるのだと思っていた。
「竜はどうするの?」
「ダトラは連れていくし、我が家に貴重品はねぇよ。それに、村に伝えれば大騒動だ。騒動を起こさない内に、竜が消えちまえば大丈夫だろ。」
「村のみんなが竜を見つけたら、どうなるの?」
「…そしたら、無理矢理でも退去させるだろうよ。」
竜はヴェストリア王国の重要保護動物であり、その領地であるガーナッシュ村でも同様である。
しかし、竜は例外も存在するが、基本的には害獣として認識されている。民間人に被害が及ぶ場合は例外として、退治しても良い法によって定められているのだ。
この法制度によって、違法な竜狩りが正当化されてしまう事例が多くなっているのは、よく聞く話だ。
村に危害が及ぶと判断された場合、デューク含む村の男が竜を武力を持って追い出す事になるだろう。
事態が深刻化すれば、ヴェストリア王国の王城から、竜狩りとして騎士が派遣される可能性もある。
(…騎士はまずいからなぁ。)
デュークは自分の勝手な都合を理由に、村に竜のことを伝えないでいた。
竜が暴れ始めたら伝えようとは思うが、幸いな事に2人の目の前にいる竜は比較的大人しく、故意に人間を害しようとする意思は感じられない。
加えて、山のことは2人に任せられているため、家に来る者は1人もいない。時間が経てば、竜も番や仲間でも探しに、山を出るはずである。デュークは、竜を放置しても問題ないと判断した。
デュークにとっては、竜よりも、明日、明後日のご飯の方が大切であった。