四十三日目
「それは、ちょっと」
フリルとレースのたっぷりとついたワンピースを掲げるクナウティアを前に、アイサは言った。朝食をとり、さぁ外出という段になって、彼女はアイサを引きとめ、服を着替えることを要求してきたのだ。質素なシャツとズボンから、可愛らしく豪華なワンピースへ。むろん、アイサは首を横に振った。
「どうして」クナウティアは唇を尖らせた。「家のなかでは可愛い寝間着も着てくれてるじゃない」
「寝間着と外出着はわけが違う」
「同じよ。どちらも服だわ」
「ワンピースではサーベルがさげられないし、動きづらい」
「私はいつもワンピースだけど、動きやすいし、薬草だって取りに行くし、崖だって登るわ」
「危ないから今後一切やめろ。とにかく、今日は勘弁してくれ。……お前の身に何かあったときに対処ができなくては困る」
彼女はむぅ、と頬を膨らませ、しぶしぶ「わかった」と呟いた。
「じゃあせめて、上着はこれを着て」
そう言って持ってきたのは、ふわりと軽く編まれた毛糸の上着だ。淡い茶色のそれは、シャツの上に羽織れば膝辺りまでの丈があった。空気をふくんで揺れる繊細な薄さには、アイサとしては不安があったが、ワンピースを着せられることを思えばよっぽどましだった。
クナウティアは可愛らしいワンピースの上から、アイサのものと色違いの毛糸の上着を羽織った。丈は腰あたりまでと短く、模様の透ける編地は彼女にとてもよく似合っている。淡い草のような色も、金の髪が映えて美しい。
「じゃあ、行きましょうか、アイサ」
「……あぁ」
アイサは軍のブーツを、クナウティアは足首までのブーツを履いて、水筒とわずかな食料や貴重品をつめた小さな布鞄を持って家を出た。
「いいお天気。ちょっと肌寒いけれど、このくらいは気持ちいいわね」
クナウティアは腕を高くあげて背伸びをした。
足取り軽くスズナミの街へ向かって歩く彼女の斜め後ろを、アイサはぴったりとくっつきながら歩いた。雪解け後すぐのわりに、地面はとくに濡れたようなところもなく、ずいぶんと歩きやすい。道端には春めいた草花が顔を出している。
「……すっかり春だな。昨日の朝まではまだ、すこし雪が残っていたのに」
「この山は魔法石の関係で、季節の変化がとてもくっきりしているの。だから冬が終わればこの通り、すぐに春満開になっちゃうのよ」
「……魔法石の採掘地だったのか」
そんな話は聞いたことがなかった。しかし、クナウティアは「いいえ」と首を横に振った。
「採掘地ではないわ。場所はお師匠様の一族しか知らないし、簡単には入ることのできないところにあるから、一族以外はぜったいに採掘できない」
「魔女の禁足地か」
「お師匠様が一族の最後の一人だったし、私も場所は教えてもらわなかったから、きっともう誰も採ることはできないわ。……でも、それで良いんだと思う。だって石は、確かにここにあるんだもの」
クナウティアは立ち止まり、瞳を閉じて手を広げ、大きく息を吸った。
「冬は冷たく激しい。春は日差しと風が豊かで花々が咲き乱れる。夏はたくさんの雨と緑。秋になれば葉はいっせいに赤や茶色に染まって、また一面の銀世界がやってくる。……私はこの山が好き。魔力のすくない私でも要素の力をたくさん感じられるし、空気が気持ちいいもの」
アイサも同じように瞳を閉じてみた。さわやかな風が頬を撫で、髪をくすぐる。緑のにおいがした。風が木の葉を揺らす音が、さらりと流れる。
「私も、ここが好きだ」
アイサは心からそう思った。クナウティアは嬉しそうに笑い、また歩き出す。アイサもそれを追いかけた。
コートや軍服は、クナウティアの家へ置いてきた。あの家へはまた二人で戻ることになるからだ。しかし、こんなにも身軽だというのに、アイサの足は鉛をひきずっているかのように重たい。
「ねぇアイサ、すこし寄りたいところがあるんだけど」
クナウティアがアイサの腕を引っ張り立ち止まった。
「寄りたいところ?」
山を下りれば、スズナミの街はすぐそこだ。寄れる場所などどこにもない。しかしクナウティアは、下る道とは別の細いわき道を指さして笑った。
「こっち。いいところがあるの。すぐそこだから、ちょっとだけ寄りましょう」
時間には余裕がある。彼女の要求を断る理由はなかった。アイサは頷き、クナウティアのそばにひたりと寄り添いながら歩いた。
スズナミへ向かう道に比べ、かなり細く荒れた道だ。かろうじて人の手が入っている気配はあるが、獣が襲ってこないとは言い切れない。彼女に何かあっては困る。
「緊張してるの?」
クナウティアが言った。アイサは「え?」と問い返した。紫の瞳がやわらかく細められ、華奢な指がアイサの手に絡む。
「大丈夫よ」
優しい声音で言って、彼女はそっとアイサの手を引いて歩く。
不思議と懐かしい感覚がした。繋いだ手の冷たさと、土と草のにおいの混じった風。
木々や植物の生い茂った細い道をぬけた瞬間、アイサはまぶしさに瞳を細めた。
目の前に広がる草原の丘。それを覆い尽くすように咲き乱れる、赤い花。
「アイサ、来て!」
クナウティアはアイサの手を引いて花畑へ駆けだした。圧倒されながらも走るアイサの目の前を、金の髪がちらちらと揺れる。
あっ、と思ったときには、クナウティアの身体は前のめりに勢いよく転げかけていた。アイサはとっさにつないだ手を引き、後ろから彼女の身体を抱きとめた。
クナウティアはきょとんと振り返り、それからけらけらと笑いだす。
「びっくりした! ありがとう、アイサ」
「気をつけろ。頭から突っ込みそうだったぞ」
「花があるから平気! ほら見て、満開でしょ。これぜーんぶクナウティアよ!」
クナウティアが大きく両腕を広げる。彼女の腰のあたりまである赤い花は、所狭しと、けれど風に揺れる余裕をもって咲き誇っている。
間違いない。母の宿屋のそばにあった、あの丘の赤い花だ。
「……きれいだ」
アイサはぐるりと見渡して呟いた。
驚いた。山のなかにこんなに開けた場所があることも、そこを埋め尽くすようにクナウティアの花が咲いていることも。これも、この山に眠っているという魔法石が関係しているのだろうか。とても幻想的な光景だ。
クナウティアは満足げに微笑み、そっと手近の赤い花を摘んだ。ぽきり、ぽきりと、手で簡単に摘み取っていく。
「背の高い花よね。子どものころは頭までほとんど埋まっちゃってたのを覚えてる」
「……あぁ。私もそうだった」
「でも、頭の上にあるこの花を見上げるのが好きだったわ」
クナウティアは摘んだ花を組み合わせ、細い指先で編み込み始めた。花冠をつくろうとしているのだろう。しかし、指の動きはぎこちない。普段の編み物や裁縫を行うときの器用さはどこへやら、やけにのろのろとしている。
「えぇと、ここを、こうして……?」
ぶつくさ言いながら花と花を絡め合わせるが、なかなかうまく組み合わせられない。
「かしてみろ」
アイサはくすりと笑い、彼女の手から酷使されて茎のしなびかけた花を受け取った。
「意外と難しいのね」
「いや、やり方さえわかれば簡単だ」
二本の花を交差させ、一方を軸となる方へくるりと巻き付ける。アイサは新たな花を摘みながら、手際よくそれを繰り返して編んでいく。この花は茎が長く、とても編みやすい。ただし乱暴にすると茎は折れてしまうので、丁寧に。そのことを、アイサは経験からよく知っていた。
クナウティアはアイサの手元をじっと見つめていた。いつしか彼女が花を摘み、アイサが編むという流れが出来上がり、二人は静かに作業を続けた。
こうしていると、懐かしい思い出がよみがえる。
遠い昔、腰の曲がった老婆に手を引かれて宿屋へやってきた、小さくてやせっぽちの少女。みすぼらしい風貌をした彼女と、あの丘の赤い花畑で、たった一度だけ共に遊んだ。昏い目をした少女は、アイサが花冠をつくってやると、まるで花が綻ぶように笑ったのだ。金の髪に赤い花がよく映えて――……。
「すごい、上手ね」
クナウティアの声に、アイサはぎくりと身体を固くした。
「アイサ? どうかした?」
一つの予感が、頭をよぎる。
……まさか、そんなはずはない。だってそんなの、偶然にも程がある。
花冠は、あっという間に出来上がった。アイサはそれを震える手で、クナウティアの頭へそっと載せてやった。
紫の瞳は、ふわりと花が綻ぶように微笑む。
――金色の髪に、深い赤がよく映える。
「……お前、は、」
アイサは切れ切れに言った。クナウティアは嬉しそうに、いたずらが成功したときの子どものような顔で笑った。
「ようやく思い出してくれた?」
アイサははくはくと口を開閉した。
長い年月の間、一瞬たりとも『その記憶』を忘れたことは無かった。ただそれが、目の前の彼女に結びつかなかっただけだ。
そうだ、忘れるはずがない。あれは間違いなく、アイサにとって初めての恋だったのだから。
「なかなか気づいてくれないんだもの。いつ打ち明けようか悩んじゃったわ」
クナウティアがくすくすと笑う。
気づいてみれば、どうして気づかなかったのか不思議なくらいに面影がある。しかし二人の出会ったアイサの故郷から、ここはずいぶん遠く離れている。こんなところで、こんなかたちで再開するなんて夢にも思わなかった。
クナウティアはまた、次々と花を摘み始める。
「懐かしいわ。あの日はちょうど、もと居た村からお師匠様に連れられて旅に出たところだったの。両親から捨てられて、たくさんの人から好かれて、嫌われて……自分が何なのかわけがわからなくて、嫌で仕方無かった」
アイサは震える手を握りしめ、花を摘む彼女の後ろ姿を見つめていた。
【クナウティア】の花を胸に抱えた彼女が、ゆっくりと振り返る。
「あのときアイサに出会わなければ、ひょっとしたら私は、いまも毎日泣いて暮らしていたかもしれない」
アイサは唇を噛んだ。
「……私は、何も」
「いいえ。あなたは私に、希望をくれたの」
強い風が吹いて、クナウティアの髪を巻き上げる。
「お師匠様が亡くなってから、一度だけ、あの宿屋に行ってみた。……でも、そのときにはもう宿は無くなってて、もちろんアイサにも会えなかった」
アイサは、心臓が大きな音をたてて脈打ち、全身からじわりと汗がにじみ出るのを感じた。
紫の瞳が、きらりと輝く。
「だから、もう一度アイサに会えて、私、ほんとうに嬉しいの」
アイサはたまらず、彼女を強く抱きしめた。
「すまなかったっ……!」
腹の底から押し出すように、アイサは言った。クナウティアはアイサの腕に抱かれながら「何が?」と首を傾げた。
アイサは胸が押しつぶされるような心地がして、喘ぐように息を吸った。
「私はお前を騙していた」
風が止む。空気が静まり、言葉は堰をきったようにあふれだす。
「私の本当の任務は、お前をスズナミの街へ連れ出すことだ。そうして王に引き合わせ、お前を王の妾として後宮へ入れる手伝いをすることだった」
クナウティアは何も言わない。アイサはさらに腕に力を込めながら、任務を受けた日のことを思いだす。
始まりは、かの男。『遭難した山で出会った美しすぎる魔女』の噂が広がり、王の耳に入ってしまったことだった。
現王は見かねた女狂いで、美しい女の噂を聞くと確かめたくてたまらなくなるという、ある種の病の持ち主だ。しかし、嫌がる女を無理やりにとらえて妾にしたなんてことになれば、民の評判は地の底へ落ちる。だからとりあえずの体裁を整えるために、噂の美女と『偶然を装って』出くわして、『欲しい』と思った女へは直々に「そなたを妾として迎えたい」と声をかけるのだ。
もちろん、これは半強制だ。王からそんなふうに言われて断ることのできる人間など、この国にはいない。
今回の場合、クナウティアがこんな山奥に住んでいるせいで話が余計にややこしくなった。王がわざわざこんな僻地へ赴くなどというのは『偶然』ではありえない。しかし王は、『これまでに見たことのないような絶世の美女』を早く見たくて仕方がない。そこで白羽の矢が立てられたのがアイサだ。歳の近い女同士、気を許されるのも早いだろうと、それとなく親しくなり街へ連れ出すという極秘任務を与えられた。
後宮はすでに、美女で溢れんばかり。
あの王の恐ろしいところは、短慮で浅はかで、目的のためには手段を選ばないところだ。しびれをきらせば上官の言う通り、強硬手段に出るだろう。そうしてクナウティアを一目でも見てしまえば、絶対に気に入るに違いない。だって彼女は、こんなにも美しいのだから。
しかしもっとも恐ろしいのは、彼女が王を拒否した場合だ。
アイサは深く息を吸い、言葉を紡ぐ。
「私は、お前にとっても悪いことではないのだと思い込もうとしていた。もしもお前が王を拒めば、ひどい扱いを受け、強引にでも城に閉じ込められてしまうだろう。それならばいっそ、望んで後宮に入ったほうがましだ、と」
我ながら反吐が出る。
「真っ当に後宮へ入れば、お前ならば扱いも良いに違いない。暖かい場所で暮らし、良いものを着て、良いものを食べ、将来を約束されたお子を産む――……。いまとなっては、考えるだけでもぞっとする。大勢いる妾たちの鬱屈とした表情を知っているくせに! あんなところに閉じ込められるくらいなら、この山で閉じ込められているほうがよっぽど自由じゃないか! 私はお前のためと言いながら、自分が任務をこなすことを優先しただけだ!」
口にしているうちに、自分が恥ずかしくてたまらなくなった。
なんて馬鹿で、浅慮で、臆病だったのだろう。
「……ほんとうに、すまなかった」
息のように言って、アイサはようやくクナウティアの身体を放し、彼女を見つめた。
華奢な肩を、両手でしっかりと掴む。
「逃げてくれ。私がなんとか時間を稼ぐ。お前は後宮になど入るべきじゃない。どうにかして王を説得して、お前がまたこの山で平穏に暮らせるようにしてみせる。だからいまは、すこしだけ身を隠すんだ」
クナウティアは、ふわりとやわらかく瞳を細めた。
「知ってたわ。何もかも、ぜんぶ」
アイサは息をのんだ。クナウティアはくすくすと笑う。
「はじめに言ったでしょう。私、ほんのちょっとだけ先見ができるって。だから、あの日アイサが来ることも、私をつかまえようとしていることも、それが王様の命令だってことも、ぜんぶ知ってた」
「そんな……それなら、どうして逃げなかった」
「だって私、アイサが来てくれるのを、ずっと待っていたんだもの」
クナウティアは手にしていた赤い花をそっと掲げ、アイサの耳もとへ挿した。
「私だけ逃げるなんてだめ。アイサの身が危なくなるし、あの王様は説得なんてできないわ。きっといつか見つかっちゃう」
アイサは呆然と、紫の瞳を見つめていた。
「……それに、」
彼女の身体が、アイサの胸にそっとしなだれかかる。
「もう、一人きりで生きるのはいやなの」
華奢な腕がアイサを抱きしめる。背を撫でる感触に、アイサはまるで息の仕方さえも忘れてしまったかのように身体を固くした。
クナウティアが背伸びをする。紫の瞳が目の前にやってくる。
やわらかな唇は、アイサのそれをくすぐるように、そっと口づけた。
「二人でどこか遠いところへ逃げましょう。アイサがいればそれでいい。二人で幸せに暮らすの。ずうっと……永遠に」
アイサは唇を噛み、クナウティアの身体を離した。クナウティアはぱちりと長いまつ毛を震わせる。
「……アイサ」
アイサは息をつめたまま、胸もとから魔法石を取り出し、地面へ投げ捨て、サーベルを突き立てて砕き割った。
赤い石は砕け散り、透明に変わる。
「……クナウティア」
サーベルを腰に差し、彼女の手を強く握る。
「家に戻って、荷物をまとめたらすぐに旅に出る。いいな」
クナウティアはうっとりと瞳を細めてほほ笑んだ。
「すてき。『ナスターシアの冒険』みたいよ」
クナウティアの冷たい指先が、アイサの指にそっと絡まる。
母はとっくにいない。義父も死んだ。アイサには守るべき家族も、自身を縛るものも何もない。
自由に生きていいのだ。やりたいように、好きなように、後悔のないように。
アイサはクナウティアの手を引いて、二人で過ごした家を目指し歩き出した。冷たい手を強く握れば、彼女は息のような声で笑った。
「どうした」
「うれしいの」
「この状況が?」
「そう。だって、これからずっとアイサと一緒にいられるのよ」
金の髪が風にふわふわと揺れる。紫の瞳は、木陰のなかでぎらりと光った。
「あのとき、ひとめ見て思ったの。あなたしかいないって」
吐息のような声に、背筋が震えた。
涼やかな風が頬を撫でる。木々の緑は美しく、振り返った先にある赤い花の群生も美しい。
けれど、何よりも美しいものは、いま自分の手のなかにある。
「私もだ」
アイサはクナウティアの手をしっかりと握りなおし、そっと囁いた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ガールズラブというつもりはあまりなく、ごく普通の恋愛の一つのかたちを描いたつもりですが、要素がある場合は登録必須ということでしたので一応登録しています。
恋愛にはいろんなかたちがあると思います。それを描くのが好きです。