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二十五日目

「良いお天気よ!」

 昼食後、ちょっと用事があると言って寝室に消えていたクナウティアは、居間へ戻ってくるなり大声でそう言った。

 アイサは驚くこともなく、読んでいた『ナスターシアの冒険』十二巻から目線を上げ、窓の外を眺めた。

「あぁ、本当だ」

 朝から降りしきっていた雪は止み、陽の光が照っている。

 ここ数日、昼間になるとこうやって太陽が照るのだ。そうしてすこしだけ溶かされた雪の上へ、また夕方から降る雪が積もる。

 見れば、クナウティアは午前中まで着ていたワンピースから、厚手のブラウスと、同じく厚手の質素なズボンへ着替えていた。見慣れない姿の彼女はにこにこと笑い、手を後ろに隠しながらアイサへ近づく。どうやら、また何か驚かそうとしているらしい。

「なんだ」

 本を閉じて訊いてやると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「じゃーん」

 得意げに片手を掲げ、隠し持っていたものを披露する。

 深い青色の手袋だ。

「ようやく出来上がったの」

 見てくれ、と言わんばかりに差し出すので、アイサは受け取りじっくりとそれを眺めた。

 以前に手芸店『クルミ』で購入していた毛糸を使っているようだ。青を基本に、白と灰色と赤で細かな編み込みの模様がつくられている。花の模様だろうか。手触りはなめらかでやわらかく、弾力がある。美しいばかりでなくとても暖かそうだ。

「実は、もう一つあるの」

 そう言って、クナウティアはもう片方の手で後ろに隠していた手袋を掲げた。

 それは深い赤色をしていた。同じく白と灰色と青で細かな花模様が編み込まれていて、こちらのほうが花のかたちが丸く、華々しい雰囲気がある気がした。

「すごいな」

 手袋を編んでいるのは知っていたが、こんなに凝ったものだとは気づかなかった。

「二つ揃いの手袋か。とてもきれいだ」

「気に入った?」

「あぁ。良いと思う」

「じゃあつけてみて!」

「え?」

 クナウティアは早く早く、と急かす。アイサは戸惑いながらも、そっと手袋をはめた。

 それは不思議なほどにアイサの手に馴染んだ。暖かくやわらかで、とても気持ちが良い。指の長さや太さ、手のひらの大きさまで、すべて測ったようにぴったりだ。

「どう?」

 アイサは答えに悩んだ。するとクナウティアはアイサの手を取り、指先や指の又の部分などに余ったところが無いかどうか確かめた。

「大きさはちょうど良さそうね。良く似合ってるわ」

「おい、どうして、」

「いつも見ているから。私の手と比べればこんな大きさかなって」

「違う。どうして私の手に合わせているんだ」

「アイサの手袋だからよ」

 平然と言って、クナウティアは赤色の手袋を自らの手にはめた。

「どう?」

 今度は答えに迷わなかった。アイサはごく自然に「良く似合っている」と口にした。深い赤色の手袋は、まるでそれ自体が花のようにも見える。彼女の金の髪にも、肌や瞳の色にも、文句なしに似合っていた。

「さぁ、じゃあ行くわよ。アイサもカーディガンとコートを着て! 靴下もね」

 クナウティアは毛糸のカーディガンとコートを身に着けると、靴下をはいて、アイサにも分厚い靴下を投げてよこした。アイサは戸惑いつつも彼女の言う通りに靴下をはき、シャツとズボンの上にいつも使っているカーディガンを着込んで、さらに上から軍のコートを羽織った。

 久しぶりに袖を通した特別なコートは、ずしりと重く、肩にのしかかるようだ。

 なんておかしな姿だろう。上官が見れば、とんでもないとお怒りになるだろう。

「アイサ、早く!」

「待て。外へ出るならブーツに履き替えろ」

 クナウティアは「忘れてたわ」と、慌てて室内履きの革靴からブーツへ履き替えた。アイサも笑いつつ、軍のブーツに履き替える。

 急いで外へ出たがるクナウティアを制し、アイサは先に扉の前に立った。上着を身に着けてはいるものの、外がどの程度の温度なのかは確かめなければならない。彼女が風邪などひいては困る。

 扉を開けた瞬間、冷たい風が頬を撫でた。ひやりとした感触と視界のまぶしさに瞳を細め、一歩を踏み出す。寒さはそれほどでもない。アイサの重たく分厚いコートよりも、クナウティアの薄手の魔法コートのほうが防寒には優れているので、このぶんなら問題ないだろう。彼女のお師匠様の魔法には本当に頭が下がる。

「きれい! きらきらしてる」

 クナウティアは嬉しそうに言って駆けだした。アイサは「足もとに気をつけろ」と彼女の後を追った。

 建物の周囲を避けるようにして積もった雪は、膝の高さを超える程度だ。

 クナウティアは手袋をはめた手で雪をすくいあげ、宙に放り投げた。日の光にきらきらと輝き落ちていくそれを、アイサはぼんやりと眺め、辺りを見渡した。

 以前に比べ、ずいぶんと雪の量が減った。

 そんなことを考えていると、何かが背後からこちらへ向かってくる気配がして、アイサは反射的に身をひるがえした。

「あーぁ」

 クナウティアの残念そうな声がした。見れば、彼女が投げたらしい雪玉が、アイサの後ろで積もった雪に埋もれていた。

「ぼんやりしてるから当たると思ったのに」

「あれを避けられなければ軍人失格だ」

 クナウティアはむすりと頬を膨らませ、また新たな雪玉をつくりはじめた。

 いくつかの雪玉を抱えると、彼女はじりじりとアイサに詰め寄った。アイサは突っ立ったまま彼女の様子を窺う。

 赤い手袋は一つの雪玉を取ると、大きく振りかぶり、思い切りよく投げた。

 雪玉はアイサのコートの胸のあたりへぶつかった。

「どうして避けないのよ!」

「避けてはいけないのかと思って」

「避けられるなら避けて! あとアイサも投げて!」

「投げるのは無理だ。手加減が難しい。しかし避けろというなら全力で避けてやろう」

「ぜったいに当ててやるんだから!」

 クナウティアはぶんぶんと肩をならすように回した。彼女の外見とそぐわない、けれど非常に彼女らしいその仕草に、アイサは思わず噴き出した。まるでちいさな少女のようだ。

「当ててみろ」

 アイサは膝上まである雪のなかへ入った。思った通り、なかなかに足がとられる。このくらいならちょうど良いだろう。

 重いコートを着ていても、雪の無いところではぜったいに当てられない自信があった。地面から投げる彼女と雪の中で逃げる自分ならば接戦になるだろう。アイサにとってはトレーニングにもなる。

「見てなさいよ!」

 しかしクナウティアは楽しげにそう言って、自らも雪のなかへ踏み込んできた。

「おい、どうしてお前までこっちに来る」

「どうしてって、アイサがそっちにいるから」

「お前は雪の外から投げればいい」

「嫌よそんなの、不公平だわ! それに、雪で遊ぶんだから雪にまみれなきゃもったいないじゃない!」

「風邪をひいたらどうする」

「もう、心配性ね。……あら」

 数歩進んだところで、クナウティアが首を傾げる。アイサは「どうした」と訊いた。

「足が動かないわ」

 言わんこっちゃない。アイサはちいさく息をつき、「待っていろ」と彼女のほうへ向かった。溶けて固まっては降り積もるのを繰り返している雪は、アイサにとっても重たいのだ。華奢なクナウティアがこのなかを歩けるわけがなかった。

「周囲の雪を掘ろう。ちょっと待て」

 アイサは身をかがめようとして、静止した。もの言いたげな紫の瞳が、じっとアイサを見上げている。

「アイサ」

 吐息のような、楽器の音色のような彼女の声。

 アイサは息を詰めたまま彼女を見つめた。

 春の花のような、淡く優しい色の唇がうすく微笑む。

「えい」

 クナウティアは背伸びをして、アイサの頬を両手で挟み込んだ。

「ひっ」

 頬をさす冷たさに、アイサは間抜けな声をあげた。

 彼女の赤い手袋と自身の頬の間からこぼれ落ちる、大量の雪。クナウティアがにやりと笑う。

「かかったわね」

 油断していた。彼女の言葉通り、見事に罠にかかってしまったらしい。

「……そのようだ」

 アイサは静かに言って手袋をはめた手で頬の雪を拭うと、彼女に背を向けて、一人雪の中から脱出した。

「あっ、やだやだアイサ、待って!」

「計画だったのなら、足も動くはずだろう。早く戻ってこい。そろそろお茶の時間だぞ」

「いじわるしてごめんなさい! ほんとに動かないの!」

 焦ったような彼女の声に、アイサはくすりと噴き出した。

「わかっている」

 振り返り、また彼女のもとへ向かった。そうして今度はきちんと、彼女の足もとの雪を掘り始める。

「ねぇアイサ」

「なんだ」

 雪を掘りながらも顔を上げた。

「えい」

 頭上からぼとぼとと雪が落とされる。ぽかんと静止するアイサに、クナウティアはにやりと笑った。

「お前は……っ」

「あははっ、ごめんなさーい!」

 アイサの掘ったところから器用にひょこりと足を抜き、クナウティアは一目散に逃げだした。

「こら、待て!」

 アイサは両手にやわらかな雪を抱え、逃げる彼女を追いかけた。

 それからしばらく、二人して雪まみれになるくらいに雪を掛け合ったり、雪玉を転がしてやたらと大きくしてみたり、雪でオブジェをつくってみたりと、思いつく限りの遊びをした。

 クナウティアのつくったオブジェの先鋭さはすごかった。不揃いな大きさの団子がいくつも積み重ねられたようなかたちで、それぞれに葉っぱや石などで顔がつけられているのだが、それが絶妙に不気味なのだ。顔がいくつも連なっているせいもあっただろう。不気味で、とても可愛らしい。彼女がやけに真剣な表情で『彼ら』の顔をつくっているものだから尚更だった。いわく、『一人だと寂しいでしょ』ということらしいが、だとしても、いったいどうしていくつも縦に積み重ねたのか。横に並べるのではいけなかったのか。

「あぁ、面白かった」

 ひとしきり遊んで家に入り、暖炉の前で満足げに言いながら、クナウティアは上着と靴を脱いだ。アイサも分厚いコートとブーツを脱ぐ。

 せっかくつくってくれた手袋も、溶けた雪でびしょ濡れだった。一番ひどいのはやはり足もとだ。ブーツのすき間から入り込んだ雪が、ズボンも靴下をも濡らしている。見れば、クナウティアのズボンと靴下もなかなかの惨事のようだ。

「風呂に入った方がいいな。湯を沸かそう」

「アイサが先に入って」

「馬鹿を言うな。お前が先だ」

「えぇー、私は後でも良いのに」

「駄目だ」

 アイサはクナウティアの腕を引き風呂場へ連行した。魔法装置を起動させて湯を溜める。

「しっかり温まれよ」

「一緒に入る?」

「入らない」

 そっけなく言って、アイサは居間へ戻った。濡れたコートと手袋を暖炉の傍へかけ、洗濯するものをまとめたあと、クナウティアが風呂に入っている間は読書をして過ごした。

 風呂からあがったクナウティアは、すでに寝間着姿だった。今日は夕食を済ませたらそのまま眠るつもりなのだろう。自分もそれに倣おうと、アイサも入れ替わりで風呂場へ向かった。

 サーベルをはずし、服を脱いで風呂へ入る。冷えた身体で湯に浸かれば、凍ったようなつま先に勢いよく血がめぐる感覚に、初めてここへ来た日のことを思い出した。

 まだ大した月日も経っていないのに、ずいぶん長く彼女と過ごしたような気がする。

 ゆっくりと温かい湯につかるのがこんなに心地よいのだということを、アイサはこの家に来て初めて知った。義父の屋敷では自分などがゆっくり風呂を使うのは申し訳無かったし、そんな暇があればトレーニングや座学にあてたかった。軍に入ってからは寮生活で、尚更時間が惜しかった。

 ほう、と深く息をつく。

 この家では何もかもが穏やかで、あたたかい。

「アイサ」

 クナウティアが脱衣場にやってきた。半透明の扉ごしに彼女の姿が見える。

「どうした」

 アイサの声は水音にまじり、やわらかく響いた。

「着替えを置いておくわ」

「着替え?」

 おかしな話だった。いつも脱衣場には、それぞれの寝間着が箪笥にしまわれている。アイサが愛用している寝間着も、今日のぶんが入っているはずだ。

 扉の向こうでクナウティアが微笑むのがわかった。

「寝間着を新しくつくったの。私からの贈り物だから、ぜったいに、着てね」

 彼女はやけに強い口調で言った。アイサはほんのすこしだけ不穏な気配を感じながらも「ありがとう」と返した。クナウティアは「どういたしまして」と上機嫌な声音で去っていった。

 入浴を済ませ、身体を拭い、温風の出る魔法道具で髪を乾かしたアイサは、クナウティアが置いていったらしい寝間着を広げて固まった。

 ワンピースだ。それも、いつもクナウティアが日常着に着ているような、たっぷりとした布地にギャザーとフリルとレースとリボンをふんだんに使った、真っ白の。

 なんということだ。これを自分に着ろというのか。

 いや、落ち着け。もしや、彼女は自分のものと間違っているのではないか。アイサは震える指で、その『寝間着らしきもの』を自らの肩にあててみた。かなり丈が長い。長身のアイサが着ても、おそらく足首ほどまである。ふわりと広がった袖は手の甲が半分隠れるほどで、どう考えてもクナウティアが着るには大きすぎる。というか、アイサにぴったりすぎる。

 アイサはいったん、それをカゴにそっと戻した。そうして、いつもの寝間着の入った箪笥を、迷いながらもひとまず開けてみた。

 中身は空っぽだ。

 やられた。どうやらこれを着るしか道は無いらしい。いや、そもそも、彼女が『絶対に着てね』と言った時点で、アイサには断るという選択肢は存在しないに等しいのだが。

 おそるおそる、ワンピースを頭から被る。また、初めてここへ来た日を思い出した。あの日の寝間着はもっと質素だったし、アイサにはずいぶん丈が短かったのだけれど。

 脱衣場の端にある姿見にうつる自分の姿を、アイサは横目にちらりと確認して、すぐに目をそらした。おそろしくて見ることができない。自分の容姿に不満を持ったことは特にないし、そもそもさほど興味がないのだが、こういったものが似合わないことだけは良くわかっていた。この家に来てから軍服以外のものを着ることにもずいぶん慣れたと思っていたが、それにしてもこのワンピースはかなりの難易度だ。服だけが可愛らしすぎる。

 サーベルを片手に居間へ戻れば、待ち構えていたらしいクナウティアは立ち上がり、大きな瞳をきらきらと輝かせた。

「可愛い! とっても似合ってるわ!」

 礼を言いたい気持ちは十分にあったが、アイサはどうにも彼女の賛辞を素直に受け取ることができなかった。

「……こういうのは、お前のほうが似合うだろう」

「そんなことないわ。アイサのほうが可愛いもの」

「馬鹿を言うな。お前のほうが可愛いに決まっている」

「ありがとう。でも私、自分の容姿はそんなに好きじゃないの」

「どうして」

「あまり良い思い出がないから」

 笑って肩をすくめる彼女に、アイサはぐっと言葉をのみこみ、それから「すまなかった」と頭を下げた。「ありがとう。こんなに凝ったもの、つくるのは大変だったろう」

 クナウティアはアイサの寝間着の袖をつまみ、ぴらりと揺らした。

「とっても楽しかったわ。アイサはいつもワンピースや華美なものを嫌がるけれど、こういう可愛いのも似合うのにってずっと思ってたの」

「……どうにも自分では見慣れなくて、落ち着かないんだ」

「素敵よ。寝間着ならサーベルをかける必要もないし、動きやすくある必要もないでしょう。もちろんいつもの凛々しい姿も素敵だけど」

 編み物の合間に裁縫をしていたのは知っていたが、まさかそれが自分のためのものだとは思わなかった。あんなに手の込んだ手袋と、こんなに細かな趣向を凝らした服まで与えられてしまうなんて。

 戸惑いを隠せないアイサに、クナウティアはふわりと微笑む。

「せっかくつくったんだもの。私の前でだけは、そういう姿も見せて」

 なんて美しい、澄んだ瞳だろう。

 アイサは締め付けられるような胸の鼓動を誤魔化すように、ぐっと手のひらを握った。

「……あぁ」

 低く返せば、彼女はまた嬉しそうに笑った。

 このワンピースにサーベルをかけることはしたくなかったので、眠るまでの間、サーベルはベルトにさしたまま壁に立てかけて置いておいた。

 ここは安全だ。武器など無くとも生きていける。

 今日は夕飯までの『読書』の時間がとても短くなってしまったので、二人でテーブルについて温かいミルクを飲みながら、カタログを広げて買い物の相談をした。食料品からクナウティアの趣味のもの、それから新たな専門書やアイサのための小説本。一通り紙に書きだしたあと、クナウティアはすこし古びた一冊のカタログを持ってきた。

「それは?」

 アイサが見たことのないものだった。クナウティアはアイサの隣へ椅子を並べ、カタログを広げる。

 そこには植物の絵や説明文がびっしりと記されていた。

「植物の種や苗のカタログよ。花も野菜も薬草も、幅広く扱ってる」

「畑をしているのか?」

「薬草に使うぶんだけね。育てられるものは育てたほうが、仕入れの手間がなくて楽でしょう。お師匠様は野菜や観賞用の花なんかも育てていたけど、私は薬草だけで手いっぱい。けっこう大変なのよね、畑って」

 アイサは彼女がぱらりぱらりとゆっくりめくるカタログをじっと見つめた。街で良く見かけるものから生まれてこのかた一度も見たことのないようなものまで、色とりどりの花が載っている。

「花は好き?」

 クナウティアが言う。アイサは首を横に振った。

「いや、特には。だが、母が好きだった」

「育てていたの?」

「宿の花壇はあったが、ほんとうに小さかった。それよりも、宿のそばにとてもきれいな丘があったんだ。寒い時期が終わると赤い花がいっせいに咲く。花なんてたいして興味もなかったはずの私が、どうしてかそこは好きで、母と一緒に良く通った。……いまはどうなっているのか、もう何年も経っているから知りもしないけれど」

「赤い花は私も好きよ。なんてったって、私の名前はそこから来てるんだもの」

「『クナウティア』?」

「そう。お師匠様がつけてくれたの。大好きな名前よ」

 クナウティアはぱらぱらとカタログをめくり、「ほら」と一つの花の絵を指した。

 そこには確かに、【クナウティア】と記されていた。深い赤紫色の花は、彼女の瞳の色にそっくりだ。決して派手ではないのに凛として、華やかな美しい花。そして。

「……あの丘の花に似ている」

 いまでもはっきりと覚えている。幼い頃、ちいさな少女と一度だけ共に遊んだ、たくさんの赤い花が咲く故郷の丘。

 懐かしい光景を思い浮かべるアイサに、クナウティアは「へぇ」と笑う。

「どこにでもある花だから、それもクナウティアかもしれないわ。この森にも、この花がたくさん咲く場所があるの」

「見てみたいな」

「春になれば見られるわ」

 クナウティアはアイサの肩に、そっと頭をもたれさせた。

「一緒に見ましょう。……あなたが帰ってしまう前に」

「……あぁ」

 クナウティアと過ごした時間が増えるたび、刻一刻と、そのときが近づいてくる。

 アイサは彼女の頭に自身の頭をそっと寄せ、ゆっくりと瞳を閉じた。

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