二日目
目覚めたアイサは、まっさきに隣の存在を確認した。
ほぅ、と安堵の息をつく。クナウティアは昨晩眠りについたときと寸分違わぬ美しい寝姿で、穏やかな寝息をたてていた。
外は薄暗く、ちょうど夜が更け始めたところのようだった。幸い彼女よりも早く目覚めることはできたが、想定していたよりもずいぶん深く眠ってしまった。
彼女が目覚めるまでの間にトレーニングでもするかと寝台を抜け出すと、クナウティアがむくりと身体を起こした。華奢な身体がぐぐっと背伸びをする。
「おはよう、アイサ。早起きね」
アイサは「そちらも」と短く返した。残念ながらトレーニングはできそうにない。
クナウティアは先ほどまで眠っていたと思えないほどスッキリとした顔で寝台から下りた。寝つきも信じられないほど良かったが、寝起きもとても良いようだ。
「着替えて朝食にしましょうか」
そう言うと、クナウティアは大きな箪笥を探り、いくつか服を取り出した。
「アイサ、今日はこれを着て」
押し付けられた服を反射的に受け取ったものの、アイサは「いや、」と戸惑った。
「私は自分の服を着る。お前の服は繊細で、もしも傷つけたらと思うと落ち着かない」
「大丈夫よ。丈夫な生地だし、もし破れてもすぐに直せるわ。あなたの軍服はこの家で着るには堅苦しすぎるわよ」
「しかし、あれが私の制服だ」
「でも、いまはお休みでしょう?」
ああ言えばこう言う。いや、私が言論に弱いだけか。アイサはため息をついた。
「サーベルを身に着けていたい。これが腰に無いと落ち着かないんだ」
「だと思った! だからこの服を選んだの。短めのチュニックとズボンなんだけど、とっても強い生地だし、腰のところに装飾も無いから遠慮なくベルトもかけられるわ。絶対にあなたに似合うと思うの!」
きらきらと輝く紫の瞳の勢いに圧倒され、アイサはしかたなく着替え始めた。クナウティアはにこにこと微笑みながらそれを見守る。
チュニックはひざ上までの長さになった。まるであつらえたように、肩幅や袖の長さ、ズボンの丈までもがちょうど良い。期待のこもった瞳に見つめられながらサーベルのベルトをかければ、クナウティアは嬉しそうに手を打った。
「素敵! 思った通り、よく似合うわ! その服、つくったものの私じゃあんまり似合わなくて勿体ないなと思ってたの」
満足げに言って、クナウティアは着替え始める。アイサは彼女の華奢な背中と、自身の纏う服を見比べた。
「お前がつくったのか。これも、それも、すべて?」
「そう。服をつくるのは趣味なの。お師匠様に習ったわ」
クナウティアが着替えたワンピースは、これもまた繊細で美しいワンピースだった。街の仕立て屋でもここまでのものはなかなか見ない。
「素晴らしい才能だ」
彼女は照れくさそうに「ありがとう」と微笑んだ。
二人は顔を洗い身支度を整え、台所に立った。クナウティアは「お客さんは好きに過ごしていて」と言ったが、アイサはそんなわけにはいかないと手伝いを申し出た。それこそ、これからひと月共に過ごすのだから、ずっと客で居るわけにはいかないのだ。
「でも、手伝うったって、することなんてそんなに無いのに」
きょとんとした顔でそう言い放った彼女に、すこしだけ嫌な予感がした。そしてその予感は、クナウティアが四本の人参を手に取ったところで確信に変わった。
「待て」
「なぁに」
「それは何だ」
「人参よ」
「それをどうする」
「どうって、料理するのよ」
「まさか、茹でるのか、まるごと」
クナウティアは不思議そうに首を傾げ、「ええ」と頷いた。何を当たり前のことを訊いているのだとでも言わんばかりの表情だ。
「まさか、毎食それなのか」
「いいえ。昨夜は芋だったでしょう」
「芋と人参のほかは何がある」
「基本的には芋と人参ね。たまに果物を食べることもあるけど」
頭がくらりとした。アイサの険しい表情に、クナウティアはまた首を傾げる。
「何かいけなかった?」
「あ、いや、いけなくはない……素材の味は良いものだとは思う。だが、それだけではやはり栄養も偏るし、飽きるだろう」
「よくわからないわ。これが一番簡単だし、お師匠様が亡くなってからはもう、ずっとこうだったから」
アイサは彼女の持つ人参を見つめた。白いワンピース姿の彼女に、人参の色がやけに毒々しい。
「私がつくっても構わないか」
クナウティアはぱちぱちと瞬きをした。慌てて「迷惑で無ければ」と付け加えれば、彼女はくすりと噴き出した。
「迷惑なんて、そんなわけないわ。じゃあお願いしちゃう」
アイサはほっと胸をなでおろし、ふと気づく。
「……しかし、もしやこの家には現在、芋と人参しか無いんじゃないか」
「そうね」
「調味料は」
「ハーブならあるけど。あ、あとミルクもあるわね」
野菜とハーブとミルクだけでは、すこし物足りない。偉そうなことを言っておいて、この材料では彼女の料理と大差ないものしか用意できなさそうだった。
思案するアイサの袖を、クナウティアが引っ張った。
「こっち。これですぐにお買い物ができるの」
居間の隅に、その装置はあった。黒い台のうえに透明な箱がのっただけの、とても簡素に見えるつくりをしている。黒い台の正面には左右に一つずつボタンのようなものがついていて、中央には文字盤のようなものがあった。右の側面には0から9までの数字といくつかのボタンが並んでいる。
「まずここを押して、お店を選ぶ」
クナウティアが正面左側のボタンを押すと、文字盤に『ガラニヤ薬局』と白い文字が浮かび上がった。もう一度押すと、今度は『ゼペッシュ食料品店』に変化する。
「あとは適当な紙に……はい、これに欲しいものを書いて」
クナウティアはそこらにあった紙とペンをアイサに渡した。
「欲しいものと言っても、こちらの店にどんな商品があるかわからないのだが」
「ここは品ぞろえがとても良いの。とりあえず思いつくものは全部書いてみましょう」
「値段はわかるのか」
「わからないわ。でも、お金はたくさんあるから平気よ」
そういう問題ではないとアイサは思ったが、最終的にはここでの暮らしにかかった費用はすべて彼女に色を付けて返される予定なので、まぁ良いだろうと思い直す。
アイサはひとまず、思い当たる調味料と保存のききそうな燻製肉、それから卵と粉類を書き出した。そうして調理器具の類が無いのではということに気づき、台所を確認して必要そうなものを追記した。
クナウティアは「ついでにカタログも頼んでおきましょう。これで次からお買い物がしやすくなるわ」とメモを書き足し、それを透明の箱のなかへ入れた。
「で、今度はこっちのボタンを押す」
正面右のボタンを押せば、箱のなかのメモが消え去った。
「これでメモがお店へ届いているから、すこし待てば返事がくるわ。ゼペッシュさんのところはこの時間ならもう対応してくれるはずだから」
アイサは思わず嘆息をついた。
「すごい装置だ。こんなものは見たことがない」
「でも、軍には魔導士もいるでしょう?」
「彼らが使うのは戦闘に特化した術や装置ばかりだ。それに、物を宙に浮かせて運ぶことはできても、こんなふうに瞬時に消えるようにどこかへ送るなんてことは初めて見た」
「へぇ。やっぱりお師匠様ってすごいのね。私にとっては子どものころからこれが普通だったから」
アイサは装置をじっと見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「……これを応用すれば、人を移動させることもできるんじゃないのか。それこそ、簡単に街へ行けるようになったり」
「できるかもしれないけど、相当な魔力や質の良い魔法石が必要になると思うわ。すくなくとも私には無理ね。……あ、ほら、返事がきたわ」
文字盤の『ゼペッシュ食料品店』という表示の隣に『36ルネ』と浮かび上がる。
「あとはお金を入れるだけ。こちらのお金とあちらの商品、両方の釣り合いがとれたときに中身が入れ替わる仕組みよ。でも、お金はいつもすこし多めに入れるの。『手間賃』だって、お師匠様は言ってたわ」
クナウティアは40ルネを入れた。すると次の瞬間、透明の箱のなかにアイサが頼んだ食材や調味料、調理器具、それと冊子が現れた。
「魔法って便利よね」
クナウティアが笑う。アイサは、魔法がというよりこの家の魔法がすごいのだと思ったが、なんとなく言わずにおいた。
それから二人で共に朝食をつくった。野菜と燻製肉を煮込んだスープと卵を目玉に焼いたものという簡単な料理だったが、クナウティアは調理中、終始尊敬のまなざしでアイサを見つめた。
食卓についてスープをひとくち食べれば、さらにきらきらと瞳を輝かせる。
「すごーい、おいしい!」
「そうか」
「ほんとに! すっごく! おいしい!」
スプーンを握りしめ熱弁する。アイサはその勢いに圧倒されながらも、「良かった」と答えて自らもスープに口をつけた。素朴な味だが、なかなかうまくできている。
「すごいわ。お料理とっても上手なのね!」
クナウティアは美しい顔に似合わず、ばくばくと食事を進める。アイサは思わずくすりと微笑んだ。
「……母が、宿屋をやっていたんだ」
自分で自分の言葉に驚いた。誰かにこの話をするのは初めてかもしれない。クナウティアは「宿屋さん?」と小首を傾げた。
「料理が美味いと評判だった。私は子どものころ、いつも母の料理するところを見ていたし、ときには手伝った」
「それで料理を覚えたのね。宿屋は継がなかったの?」
「母は私が幼いころに病で亡くなってしまった。宿は人の手に渡り、他に身寄りのなかった私は孤児院に預けられた」
クナウティアは悲しげに眉を寄せ、「そう」と呟いた。アイサは「よくある話だ」と苦笑した。
「孤児院での暮らしは悲惨なものだったが、数年後、運よく良い人に引き取られた。それが義理の父だ。義父は妻と息子に先立たれた孤独な軍人だった。私の剣術の腕を見込んで、何を思ったか養子にして教育を受けさせてくれた、変わった人だった。……その義父も、二年前に亡くなってしまったが」
「いいお義父様だったのね」
アイサは神妙に頷いた。
「義父には感謝している。……だから義父のためにも、立派な軍人にならなければならないのだ」
クナウティアは「えらいのね」と笑った。アイサは「余計なことを話したな」と食事を再開した。