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第6節 美々面が圭太のアパートにやって来てから初めての日曜日、突然「先生」から電話が掛かってきた。

 美々面が圭太のアパートにやって来てから初めての日曜日、突然「先生」から電話が掛かってきた。


「今からあの子を連れてウチに来なさい」


 先生はそれだけ言うと相手の都合も聞かずに電話を切ってしまった。

 いつものことながら勝手なやり方に圭太は溜息の出る思いがした。

 すぐに電話を掛け直して断ってやろうかと思ったが、もとより予定の無かった圭太には断るよい理由も思いつかない。

 嘘を吐けばいいとも思ったが先生に対して嘘を吐いている自分を想像してみると何だか胸がつかえるような、もやとした感覚を覚えた。

 結局、圭太は大人しく先生の言葉に従うことにした。


「ほら、外に行くよ」


 圭太は美々面に声を掛けた。

 彼女はすっかりアパートに慣れた様子で床の上に寝っころがっていた。

 しばらく待っても返事が無いので圭太は美々面が寝ているのかと思った。

 しかしよく見れば天井を向いた鼻がひくひく動いているのだった。


「起きてるんでしょ。ほら立って」


 美々面はめんどくさそうに上半身だけ起こして聞き返した。


「どこ行くの」


「先生のところだよ」


「……行ってらっしゃい」


 そう言うと彼女はまた寝転がってしまった。


「いや君も行くの」


 圭太はなんとか起こそうとしたが美々面はぐずぐずして容易に動かなかった。

 しまいには彼女を半ば引きずるようにしてアパートを後にした。




 先生の家は圭太のアパートから近い。

 歩いて10分程の所にあるので近所と言ってよかったが、先生とは学校まで行くのに使うルートが違うため普段外で出くわすようなことはめったに無かった。

 圭太が先生に会うのは他の生徒たちと同じくほとんど学校の中だけだったが、しかし先生の家は不気味な存在感を放って圭太の日常生活に一種の圧迫感を与えていた。

 なぜ圭太が先生の近所で一人暮らしをすることになったかというと、引っ越した先が偶然近所だった訳ではなく圭太の父が一人暮らしすることになった息子を案じてわざわざ先生の家の近くに部屋を用意したのだ。

 圭太の父と先生は学生の頃からの古い友人だった。

 前に父から聞いた話では圭太が幼い頃に何度か先生と会ったこともあったらしい。

 しかし圭太にはその時の記憶は無く、先生に特別に親しみを感じることもなかった。


 いつもなら徒歩でもすぐに着く先生の家だったが、今日は美々面の歩みに合わせているせいでなかなか辿り着かなかった。

 道中、無言に耐えかねて圭太が口を開く。


「でも急に家に来いなんて何の用だろう。何だと思う?」


 美々面は質問には答えず代わりに鼻をすんと鳴らした。

 何の興味も無いといった風だった。

 圭太はいい加減無視されることにも慣れてきた。

 もう何日も一緒に暮らしているというのに美々面はちっとも打ち解けようとしてくれない。

 慣れはしても懐いてはくれないのだ。

 圭太はあの夜の美々面の豹変は何だったんだろうと首を傾げた。

 あの夜以降、今のところ彼女が人が変わったようになるあの不思議な現象は起こっていない。

 彼女はあの夜のことについて何も言おうとはしなかったし、圭太もまた尋ねようとはしなかった。

 圭太はしばらくはぎこちなく美々面に接していたが、彼女の方はちっとも気にすることなくその後もマイペースを貫いていた。

 そんな相手の様子を見て圭太は自分ばかりが気を揉んでいるのが段々馬鹿らしくなった。

 ほどなく圭太も美々面に自然に接することができるようになっていった。


 二人はようやく先生の一軒家の前にたどり着いた。

 圭太は入口のチャイムを鳴らす。

 しかし中から誰も出てこなかった。


「呼びつけておいてまったく……」


 圭太が家の中の気配を窺ってみると微かに話し声が聞こえる。

 試しにドアノブをひねってみると鍵は掛かっていなかった。

 圭太は少し悩んでから遠慮気味に中に入って行った。

 美々面と二人で玄関に突っ立っているとしばらくして奥から先生が出てきた。

 見れば先生は誰かと電話で話している最中だった。

 先生はアゴで二人に家に上がるよう指図すると、また奥に引っ込んでいった。

 圭太たちは客間も兼ねる書斎で先生を待つことにした。

 先生の書斎は本の匂いがした。

 壁の一面は全て書棚になっていて箱入りの文学全集や学術書なんかが背の高さごとに几帳面に並べられていた。

 奥には紫檀の書斎机が置かれており部屋の隅には先生お気に入りの年季の入った安楽椅子もあった。

 圭太はこれまで何度か書斎に入ったことがあったのでそれらのものは見慣れていた。

 だが部屋には今日初めて見るものもあった。

 書斎机の脇に動物を入れるようなケージが置いてあったのだ。

 生き物は入っていなかったがケージの中には新聞紙が敷いてあり干草のようなものの破片も散らばっていた。

 実際にそこで小動物か何かが飼われていたように見えた。

 しばらく待っても先生が来ないので圭太は部屋の中央に置かれたソファーに座って待つことにした。

 ソファーの前には低いテーブルがありその上に錠剤の入った包装シートが置かれていた。

 これも初めて見るもので既に半分ほどの薬が使われていた。

 いつも背筋をぴんと伸ばして学校の廊下を足早に歩く先生を見ていると病気などとは縁が無いように見えるのだが、年齢が年齢だけに持病の一つもあるのかもしれなかった。

 ふと美々面の方を見てみるとなにやら落ち着かない様子で部屋の中をきょろきょろと見回していた。

 彼女はある地点で一頻りきょろきょろすると小首を傾げ、また別の場所に移動してきょろきょろし始めるのだ。

 どうも何か気になっている様子だ。


「ねぇ、さっきから何して……」


 圭太が言いかけたところでちょうど電話を終えた先生が部屋に入って来た。

 先生は美々面の姿を見るや大声を上げた。


「お前は入っちゃダメだと言っただろう」


 驚いた美々面は全身をバネのように弾ませたかと思うと脱兎のごとく部屋から逃げ出してしまった。

 圭太が驚いていると先生は気まずそうに釈明する。


「あの子は前に本にいたずらをしたからこの部屋の出入りを禁止してたんだ」


 圭太はありそうな話だなと思った。

 緊張した場の空気を和ませようと何の気なしに質問してみた。


「電話の相手は誰だったんですか?」


 先生はこともなげに答える。


「ああ、あの子の親だよ」


 圭太はぎょっとして聞き返した。


「どんな話をしたんですか」


「なに君が美々面を預かってくれているという話さ」


「ぼ、僕が預かってるって言っちゃったんですか? 相手は何て言ってました」


「ちゃんと面倒を見ているといったら安心していたよ。君によろしくと言っていた」


「……怒ってなかったんですか」


「ちっとも」


 信じられないような話だった。

 会ったことも無い人間に自分の娘を預けておいて不安に思わないというのはどういう親の心情なのだろうか。

 もしかすると何か複雑な事情のある家庭なのかもしれないと思い、圭太は初めて美々面に憐憫に似た感情を覚えた。


「あの、美々面の家族ってどんな……」


 圭太が質問しようとすると、


「そんなことより今車を出してくるからあの子を捕まえておいてくれ」


 美々面の家族の話題にさして感心の無いらしい先生は惜しげもなく話を打ち切った。


「車? 車でどこかに行くんですか」


 圭太が尋ねると先生は珍しく冗談めかして言った。


「まあ着いてからのお楽しみだ」

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