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三男編の後編

退院してからも定期的に、総合病院の新生児科の外来に通っていました。生後五ヶ月になって、やっと首が座りました。やれやれです。


 毎月診て頂いている新生児科の先生に、精密検査『MRI』をしてみようと言われたのは、生後何ヵ月のときだったのかーー。首が座って、一人でガラガラを持てるようになって、寝返りが出来て、一人座りが出来て、……。そういったことがとても遅かったのでした。


 結果、脳性麻痺という診断をうけました。腕の中にいる、お肉がついてにこにこと良く笑う赤ちゃんが脳性麻痺……。


 脳の中の運動神経を司る部分が、すっぽりと抜けている、という説明を受けました。一生歩けないかもしれない、と。……ただ人は、死ぬまでに脳全部を使うわけでは無いので、その部分に期待していきましょうーー。そんな風に説明を受けました。


 そして県の大きい病院と、居住地区にある療育施設を紹介されました。


 県の大きい病院までは高速道路を使って約一時間。小児神経科と小児整形科と、リハビリテーション科の通院が始まりました。


 療育施設は児童相談所を通して通所を申し込みます。保育園のような施設で、遊びを通して体の使い方を親子で学ぶ、という感じです。


 どちらにも色んなお子さんがいました。小さなお子さんがかかる病気は、一つではありません。生まれながらにしてという子もいれば、ある程度の年齢まで何の問題もなく育ち、ちょっとした病気がきっかけで、細菌が脳などにまわってしまって……、という子もいました。


 どのお母さんも、どれ程の悲しみを乗り越えて来たのか、そう思うと胸がとても痛かったです。


 けれど、どのお母さんも一生懸命にお子さんの世話をしていました。笑顔の素敵な可愛らしいお母さんたちばかり。どの方も優しくて穏やかな方ばかりでした。


 先生方も、あの手この手でいろんな療育をしてくれました。みんなで車イスを押して、お出かけもしました。季節毎の行事も親子で楽しませてくれる工夫がいっぱいありました。素敵な時間を過ごさせて頂いたと思っています。


 そうそう、トイレトレーニングも一人でご飯を食べることも、先生方が一緒に練習をさせて下さったので、私一人で教えるのより格段に楽でした。ありがたかったです。



 幼稚園で言えば年少さんの年齢になったときに、詳しい検査を受けました。検査といっても今回は、絵本や積木、カード等を使った検査です。


 例えば、動物のイラストが描かれたカードがあるとします。その動物は何か? 何匹か? 何色か? 絵本だったら、描かれているものの名称を答える。積み木は見本を見ながら、同じ形に積めるかどうか。こんな感じです。最後に歩いているところを見せて下さい、と言われたのですが、一人では歩けません。


 検査結果は、知能は問題なく年相応。けれど体の機能は生後10ヵ月程度だったかな? とのことでした。普段接してる訳ですから、検査を受けなくても分かってたんですけどね。まあ、書類とかで必要な検査だったのでしょう。



 療育の先生に「○○くんは普通の小学校に通えると思うから、どんどん自分で出来ることを増やしてあげた方がいい」等とよく言われました。


 けれどウチには既に、おやつを食べればゴミをその辺に置きっぱなし、という悪い見本が二人もいました。なのでそれは、なかなか難しい話でした。(月曜日の朝、給食当番の割烹着を出してきて、「急いで洗って乾かして、アイロンかけて持ってきて〰」と叫ぶやつらなのですよ、トホホ) 


 何度も「お母さん、手をかけすぎだよ」と言われたのですが、……難しいですよね? 本当は私が面倒くさがりで、イロイロと本人たちにやって欲しいと思っていたんです。けれど、待ってたら日が暮れちゃいますからねー、三人に対して、ついつい手を貸してしまう生活を送っていました。



 年長の秋に市役所から連絡がありました。病院の医師と一緒に、三男が普通の学校に入れるかどうかの検査をしたい、というようなものでした。年少のときに病院で受けた検査に似た、その年齢に応じた難しさのものを受けました。


 やはり知能は問題なく年相応。けれど市からは普通の小学校ではなく、特別支援学校の入学を進められました。その方が、その後の人生に必要なことが学べたり、体の動かし方の授業もあったし、手も細かい動きが苦手なところがあるので、考慮した授業をして貰えると説明を受けました。


 私はてっきりウチの市の支援学校かと思って訊ねると、県の病院の隣の学校だと言われました。


 朝の通勤タイムと重なる時間に、高速道路を使っての登校。それまで病院に通うのは昼間でしたし、月に一~三回くらいなものだったのですが、通学となれば当然それを毎日……。朝と夕の二往復ということは、一日に四時間運転するということです。え? むりじゃね? 高速を運転すると、緊張感から頭が痛くなって、眠くなっちゃうんだけど。


 ずっと、普通の小学校に通うんだろうとも思っていましたし、上の子と同じ体験をさせてあげられない、というのは親にとっては辛いものです。


 それに、親はどんなに子供を大事に思っていても、所詮子供より先に死ぬもの(それは経験済みでしたし)。ならば小さいときから一緒に育つ近所の子供たちの中に、一生付き合ってくれる様な、信頼出来るお友達が出来たらいいなと思っていました。


 それらを市役所の担当の方に伝えると、「わたくしどもの考えとしては、○○くんは支援学校の方が、得るものが多いと思われます。でも決めるのはご家族の方なのですけどね」という感じで、私が何を質問しようとも、この同じ言葉が返ってきました。


 ……このときから市役所が大の苦手なのです。誠意のありそうな言い方をしながら、こっちの意見は全く聞き入れない。普通話し合いというものは、たとえ結果が決まっていたとしても、多少の擦り合わせをすると思います。けれどそれは無かったです。


 ちなみに、このとき長男は中学三年生。次男は中学一年生。長男の塾通いのサポートをしていました(車で送り迎えが必要な距離)。次男の学年は少し荒れていて、バタバタした日々を送っていました。(次男は大人しいタイプで、いじめまではいかないのですが、周りの子達にかなり振り回されていました。その為彼は、しょっちゅう腹痛や頭痛に悩まされていました。学校の対応がおかしいときがあって、これは流石に電話して抗議しました。って、関係ないか)


 それでもまあ、見てみないことには始まりません。特別支援学校の見学をしました。……そしたらね、すとんと納得しちゃったんですよね。車イスで過ごせる環境が整っているのですから。


 特別支援学校ですが、肢体不自由児ということで勉強は普通の学校と全く同じ教育課程で学びます。何より、病院に行くのに学校を休まなくても良い!! (その時間だけ抜け出せるのです) これは一年に何回も病院に通っていたので、逆に助かります。

 

 一応三男にも両方の学校に通う際のメリットとデメリットを説明して、一緒に考えました。そして、特別支援学校に通うことになったのでした。



 三男が特別支援学校の、何年生のときだったかな? 法律が変わりました。……正式な法律の名前が思い出せないのですが、確か障害者自立支援法だったと思います。 


 これは、特別支援学校ではなく地元の普通の学校に通いたい、と言ったら通うことが出来る法律です。……けれど今更、お友達も、仲の良い先生もたくさんいるのに、普通の学校に行っても、ねぇ? 転校はしませんでした。



 三男は今、中学部の一年生。最近、来年度の陸上大会に向けての練習が始まりました。以前三男に、パラリンピックの映像を見せたことがあって、車イス陸上をやってみたいと言ったことがあったのです。やっと彼のやりたかったことが始まりました。


 親バカかもしれませんけど、なかなか車イスを漕ぐスピードが速いんですよ!! 東京オリンピックまであと二年、は無理だと思うけど~。


 平昌オリンピックが終わればパラリンピック。ぜひとも身障者スポーツを応援して頂けたらと思います。出来ればもっと、放映して欲しいと思っているのですが。




 以上、長くなりましたが、こんな感じの出産話でした。それではこの辺で……。


…………書いちまったぜ。(・・;)


旦那に言ってない。バレたら怒られそうだ。


……ま、いっか。いつかは書きたかった話だし。いつ書くの? 今でしょ!? って、ことで~。 


えっと三男、中一から学校の寮に二泊ほどする様になったので、今は運転が少し減っています。


兄ちゃんずは、三男を可愛がってくれてます。

普通、22ともうすぐ20の息子って、家族で出かけたがらないと思うんですよね。でも全然平気なんですよ。三男のお陰だと思ってます。

長男と次男でお金を出し合って、三人分のDSのソフトを揃え、ゲーム内で冒険していますね。


そうそう、市役所との話し合いのときに「そんな遠くまで送り迎えをしていて、万が一大きな地震などが起こったら、上の子たちのことも心配だし、タイミングによっては下の子も迎えにいけなくなっちゃうし……」みたいな話もしたのです。そのときに、へらっと相手に笑われたのですが、その約半年後にあの東日本大震災が起こったのでした。



三男と出かけるといろんな方が話しかけてきて、それぞれいろんな話を聞かせて下さいます。


「去年無くなった主人が、脳梗塞で倒れたときのことを思い出した」という老婦人の方。


「母が晩年……」という、私と同世代の方。


「足、痛いの?」と心配してくれた幼い姉弟。


「ウチの孫も同じような物を足にはめてるのよ」と、おっしゃったお婆様。


「この子! 足がおかしいわよ!! 病院でちゃんと診て貰ってるの!!!!」突然怒鳴り出した、見知らぬおば様……。


平日の、真っ昼間のゲーセンで『何だ? この子供』という目付きでジロジロ眺め回して来た、どう見ても働き盛りのオジサマ……。


コンビニの自動ではないドアを押さえててくれた、はにかんだ笑顔が素敵な、茶髪でピアスなお兄様。


世の中には、いろんな人がいますが、今日も強かに生きてます。



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