世界の名護りとバッドエンド・レポルタージュ
【flowers for the Broken spirit】
A woman turned into a stake will dominate
the world on the blazing plate.
(杭となりし女、発火する皿の上で世界を握るだろう)
私は居間のソファに寝転がって、スマート・フォンを弄っていた。私は寝ようと考えていた、しかしいつしかスマート・フォンを眺める事を目的としてソファに身体を預けいた。それは30分前からだった気がするし、1時間前からそうだったのかもしれない。5分前からのような気もするけれど、その意識の入れ替えは誰にも語る事は出来ないし、語ろうとする人も世界中探したって見つけられやしないと思った。ひょっとしてアジアの政治家や軍事評論家の中に1人ぐらいいるかもしれない。
睡眠を取るべき環境なのに視覚から情報を得る事を強制されている私は、なぜこんな状況に陥っているのかを少し考えてみることにした。ユリ・ゲラーのアメイジング・マジックと私を重ね合わせても、答えは出なかった。これは時の牢獄と情報の執行猶予に囚われたからだと思って考えるのをやめた。ユリ・ゲラーにも同情した。ユリ・ゲラーは私に同情するべきだと思う。将来マジシャンになることは諦めよう。
そんな高度な思考を張り巡らせて、アプリケーション・ゲームをやっていたらいつの間にかスコアーが表示されていた。こんな低俗な、アプリケーション・ゲームにも自分の価値を定めらるなんて、こっち世界もまだまだ捨てたものではない。と私は思った。そのあとはスマート・フォンにイヤホーンを挿し込み、音楽を聴いた。そちらの世界では女の子達が歌って踊り、地球儀を廻すような時間だけが過ぎていった。イヤホーンを手でクルクルと動かしながら音楽を聴くと、ノイズが発生するが、私はその雑音が好きだった。スマート・フォンにイヤホーンが刺さっているところを見ているとそれはセックスみたいにペニスを挿入したようにも見えたし、イヤホーンの刺さっているスマート・フォンにも見えた。さっき時間を確認したときに見た短針と長針が重なって一番上の12を指しているのを見たけど、それもセックスなんだろう。私は思った。
音楽が3曲目に差し掛かり、女の子たちが99回目の夜について井戸端会議している曲に切り替わったときに、メッセージが届いた。最近知り合った女性だ。明日のデートについてのメッセージだと刹那に理解した。この思考の回転力には、ジャスティン・ビーバーもお手上げだと思う。そういえば明日はデートだった事を思い出した僕はメッセージを読まずにしっかりと瞼を閉じ、ソファ本来の使い方をすることに決めた。
朝目覚めた私はまず、洗面台に向かい、手を洗った。とても冷える朝だったが、目を覚ますために冷水でハンド・ソープを泡立てた。泡立てている時に時間を確認すると時計の針は7時54分を指していた。泡立てた泡の一つ一つには人生は無いけれど、それは人ではないからで、一つ一つに運命はあるんだろうなと考えた。手についた泡に永久の別れを告げたときに、手首に少しだけ泡が残った。泡にも運命があるという仮説が見事に証明された私は「なるほどな」と言った。その後私は歯を磨き、顔を洗った。さすがに冷たいと感じたので少し水を温かくした。先程までの痛みともとれる刺すような水の冷たさと打って変わって、今の水は母親のようだった。しかし、感覚を失いかけていた私の手を包み込むその温かさは、少々強すぎた。言うなれば蛇口から捻りだされた液体の聖母だ。その聖母が私の顔面に施しを与えてくれたのだ。時計の針は8時5分を指していた。
純白のタオルですべての母に別れを告げた私は、システム・キッチンへと向かった。湯を沸かしながらテレビを付けてみると、幼児向けのアニメーションが放送されていた。リモート・コントローラを手に取り、音量を下げて番組を変えた。情報番組に切り替えたものの、ローカル・バラエティが放送されていたので、司会者に慈愛を向けながらテレビの電源を落とした。それとほぼ同時にポットが精神だけが子供のまま育った男性の明日を生きたくないという悲痛な叫びのような音を鳴らして、第2の朝を第3の朝へと変えてしまった。時計の針は8時9分を指していた。
朝食はいたってシンプルなものだった。スクランブル・エッグ、それとハムとキュウリを挟んだサンドウイッチを食べた。このサンドウイッチはとても美味しかった。私はサンドウイッチに関しては誰よりも自信があったから本当に美味しいサンドウイッチなのだろう。昨日作ったフレンチ・トーストに比べても、この味は確かなものだった。コーヒー・ブラックも一緒に飲んだが、これも中々美味しく、サンドウイッチの味にしっかりと調和していた。「なるほど」と私は言った。彼女とのデートに行く前に、私はもう一度歯を磨いた。今度は冷たい水だったが、気持ちのいい水だったので、この水は娼婦だったのだろうか。あるいは本当の母親だったは冷水だったのかもしれない。時計の針は8時36分を指していた。
時計の針は9時45分を指していた。待ち合わせの時間よりも1時間ほど早い時間だが、私は待ち合わせ場所に行き、近くのカフェ・テラスでコーヒー・ブラックを飲んでいた。この時間は世界のどんな富豪が大金を叩いても手に入れられないものであり、潜水艦のような馬鹿げた車、2010年式のランボルギーニ・ムルシエラゴ・スーパーヴェローチェのグリジオ・テレストカラーの所有者である50歳超の男性ですらこの有意義にはありつけない。この永い一瞬が積み重なり、出来上がった時間と形容するのが相応しい何かは、見つけられたものにのみ与えられる概念的な四つ葉のクローバーなのだ。コーヒー・ブラックを一杯飲み終えた僕はまだ待ち合わせの時間に40分以上余裕があることを確認し、もう一杯注文した、今度はコーヒー・キリマンジァロを頼んだ。コーヒー・キリマンジァロが来るまでの間、私はジタン・カポラルを一本吸った。煙草は吸わなくても問題ないが、生活のサイクルになっているので吸わないと死んでしまう。要するに問題のない死を遂げてしまうのだ。ジタン・カポラルを吸い終えた時に丁度来たコーヒー・キリマンジァロは優雅なアロマを漂わせていた。
コルク・ボードに「キリマン」と表記されていたそのコーヒーは記載のチープさとはかけ離れ、高貴な香りがした。「なるほどな」と私は言った。イヤホーンを耳に掛け、音楽を再生しようとした。すると、店内でビートルズの「トロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」が流れ始めた。確か、私がカフェ・テラスに入ってからは6曲目だった。曲の繊細さと、高貴な香りに神経を集中させると、安らかな気持ちになれた。黙示録のトランぺッターである天使達がユーフラテス川に繋がれている四人の御使いを開放し、ダンスを踊らせているのを、キリスト教の原理主義者である私が鑑賞し続けているようだった、耽美な虐殺だ。曲が終盤に差し掛かり、私は次の曲が何か、考えてみた、私はファティマの預言者なのだ。次の曲はジョン・レノンが作った曲だろうという確信を持っていた私は、「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」と預言した。曲が切り替わり、ヨハネのラッパ吹きが7回目のアポカリプテッィク・サウンドを奏でた。それは確かにジョン・レノンだった、しかしそれはビートルズという宗教ではなく、ジョン・レノンの「スターティング・オーヴァー」だった。宗教ではなく、神様から直接言葉を預かった気分になった。「やれやれ」と私は言った。
預言者としての資格を失った私は、コーヒー・キリマンジァロを飲み干し、時間を確認した。約束の時間まで、20分あった。3杯目を注文するかを考えながら、もう1本、ジタン・カポラルを吸った。ボックスの中には9本残っていた。すると、コルク・ボードの前にいきなり人が立ち止まった。聞き覚えのある声で、「待った?」と彼女は言った。「まあまあだよ」と私は答えた。
会計を待つ間、彼女は他愛もない話を投げかけてきた。私の前に会計している人が二組いた。若いカップルが一組と、スーツを着た会社員が一人、30歳ほどの男だ。若いカップルは店員から釣銭を受け取っていた。
「ねえ、どうして毎回カフェに入るの?」と彼女は言った。
「幸せだからだよ」と私は答えた。
「じゃあどうして毎回待ち合わせの1時間以上前にいるの?」と彼女は言った。
「幸せだからだよ」と私は答えた。
「ふうん」と彼女は言った。そんなやり取りをしているとスーツの男が会計を終える直前になっていた。男は何故か5000円札で支払っていた、細かいお金がなかったのだろうか、それとも細かいお金を消費したくなかったのだろうか。それについて考え尽くすことは私にはできないし、あるいは世界中の誰もそんなことはできないかもしれない。そう思いながら私も5000円で会計を済ませた。
「前に会計した人、なんで5000円で会計していたのかしら」と彼女は言った。
「わからない、店員に対する嫌がらせかも」と私は言った。
「それなら、何故貴方も5000円で会計したの?」と彼女は言った。
「それが正解だったから」「店員が嫌がらせをしてくれって言ってたんだ」
「それって何だか政府みたいね」と彼女は言った。「なるほどね」と私は頷いた。
彼女はよく「政府みたいね」と言う。これに関して意味は分からないが、おそらく、意味が分からないから政府なんだろう。そして彼女の癖はもう一つある、人の間違いや、ミスを指摘する際に「ガバ」と発することだ。この様な言葉は聞いたことがないので、きっと造語だと思う。先程の政府という言葉の英訳であるガバメント、の略なのだろうか、それとも全く別の言葉なのだろうか。深く考えたことはない。
「貴方、前回私と寝たのはいつだったか覚えてる?」ガバの彼女は問う。
「よく覚えてない」「1か月前ぐらいかな」と私は言った。
「ふうん」とガバの彼女は言った。「多分合ってるわ」とガバの彼女は続けた。
「私と寝るのは嫌い?」と彼女は言った。
「別にそんなことはないよ」「前回も3回セックスしただろう」と私は言った。
「やっぱり貴方は覚えているのね」彼女は言った。
「セックスの内容を覚えているわけじゃない。陰毛がふっくらと盛りあがっていた事もよく覚えてないし、ペニスが勃起したかすら記憶にない」
「じゃあどうして回数は覚えているの?」
「僕は君の鳴き声は絶対に忘れられないんだ」と私は言った。そこで店を出てから彼女と1度も目を合わせていない事に気が付いた。彼女がセックスの時に出る声は、声というよりも音に近く、高くて細い空気の振動になっている。せめてもの名称を付けるならば、鳴き声が一番正しい呼び名だろう。セックスする時にしか聞いたことがないので、もしかしたらその音は性器から出ているのかもしれない。あるいは、声帯が性器についているのかもしれない。ただ私はその特徴的な鳴き声にとても惹かれたし、彼女のチャーミング・ポイントだと考えている。
「ふうん」と鳴き声の彼女は言った。あまり信じてないようにも感じる声色だった。そこで初めて目が合った、彼女は私の手の甲を指で軽くつついた。動作としてはキツツキが木をノックするような感じだったが、感覚としては雛がクロム・イエロの口の中を晒している時に餌を放り込む親鳥のようだった。
店を出てから私達は暫く歩き続けた。ゆっくりと歩き続けたが、それは私の経験の中で判断したものであり、この速度が本来は早いものなのかもしれない。あるいは止まっているほど遅いのかもしれない、ただ私が便宣的に決めたものである。日は出ているが、日差しは強くなく、穏やかな日だろう。と生まれ堕ちてから数か月の赤子ですら肌でその感覚を味わい、実感し、泣くことで両親という名の召使、もしくは奴隷に話しかけることができるだろう。そんな気候だ。
彼女は先のカフェ・テラスで何も飲んでいないので紅にも感じられる、赤々とした自動販売機でジンジャー・エールを買って飲んでいた。
「私ジンジャー・エールって好きなの」ガバの彼女は言った。
「それはどうして?」と私は問う。
「ジンジャー・エールって辛口と甘口に分かれてるの、本来刺激のあるジンジャーと炭酸をシュガーみたいな甘いものでかき消してまで作る価値があるから。だって本当なら辛口だけが存在してればジンジャー・エールとしての価値は見いだせるでしょう?」
「なるほど」「それは政府のようだね」と私は言った。
「それは違うわ」とガバの鳴き声の彼女は返した。「でも、合ってるわ」とガバの彼女は付け加えた。「さて、何処に行きましょう」ガバの彼女は声のトーンを上げ、問う。
「どこでもいいよ、仮に私が提案するなら、レコード・ストアーなんてどうだい?」と私は声のトーンを変えずに言った。
「賛成。ただ、音楽媒体としてレコードじゃないのにレコード・ストアーというのは不思議なものね」と彼女は笑った。そして目的地が決まると私達は吸い込まれるように歩いて行った。ブラック・ホールに吸い込まれたようだった。こんなに身近な所にあるブラック・ホールなんだから、この人生の半分は、ダーク・マターなのだろう。
レコード・ストアーに着いて、私達はお互いの聞きたい曲を二人で聞いた。私は何となく、様々な国の国家を聞いてみた。「つまらないわ」と彼女は言った。「私もそう思う」と返した。
彼女はまず始めに、エレクトロニック・ダンス・ミュージックを物色し始めた。一言にエレクトロニック・ダンス・ミュージックといっても、サブ・ジャンルの1つだから、少々区分けが難しいのである。彼女はその中からニッキー・ロメロとアヴィーチーの「アイ・クドゥ・ビー・ザ・ワン」を選んだ。
「いいわね、これは」
「そうだね。いかにも君が聞きそうだ」
「そうね、ヘッドホーンで聞きたいわ」
「エレクトロニック・ダンス・ミュージックならサブ・ウーファー・ミッドバスで聞きたいものだと思っていたよ」
「それじゃあつまらないわ、何も面白くない」
「どうしてつまらないのか説明できるかい」と私は言った。
「ガバだから」と鳴き声の彼女は返した。
「やれやれ」と私は言った。その後はザ・ファット・ラットだったりゼッド、マーチン・ギャリックスなんかを聞いて時間を流していった。故意で経過していったのだから流れたのではなく、流した。というのが正解だろう。これに関しては誰も反論することは不可能だ。
私達はその後、アニメ・ソングのコーナーへと向かった。彼女が聞きたがっていた曲を少し聞いてみた。1つはテニスをするアニメーションの曲だったが、基本的に何をいっているのかわからなかった。そういったコンセプトの曲なんだろうか。もう一つは、ロボットの曲だった。彼女が「止まるんじゃねえぞ……」と言っていたから何故そのような言の葉を紡いだのか聞いてみたが、「これが今のトレンドなのよ」と言われた。
最後に、ケモノ・フレンズの「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャパリパーク」を聞いた。「いかにも大衆向けの音楽だね」と私が言うと、彼女は苦笑いをしていた。「でも……」と何か言いたげにも見えたけど「そうね」とガバの彼女は言った。
次に私達が向かったのは八百屋だった。彼女が林檎を食べたいと言い出したのでスウィーツ・ショップに入ろうとしたら、断られた。なので八百屋へと向かった。
八百屋ではタンク・トップを着て禿げ上がった男が店番をしていた。見るからに果物には詳しくなさそうだが、私達が林檎を物色していると声をかけてきた。これが美味しい、と漠然とした事を言うものだから私は笑ってしまった。試しに彼女が選んだ林檎と禿げの男が選んだ林檎を買ってみた。食べ比べてみるとまったく味が違い、流石に驚いた。「なるほど」と私は言った。
「アイザック・ニュートンの万有引力ってあるじゃない」とガバの彼女は言った。「あれって林檎である意味はあるのかしら」と続けて質問した。
「あるよ。絶対に林檎じゃなければ駄目さ」と私は言った。
「どうして駄目なの?」
「あのエピソードの核が林檎だからさ。アイザック・ニュートンでなければ、万有引力でもない。あの話のすべては林檎なんだ」
「もし仮に林檎じゃなかったらどうなるの?」と彼女は問う。
「そうだな、あの話の核である林檎は地に堕ちることで初めて話が完成する。これは爆発すると言ってもいい、一種の芸術のようなものだ。」
「ふうん」と彼女は相槌を打った。返事のようだが調子から察するに相槌だろう。話を続けろ、という催促にも取れる。
「林檎という名前の核が地に堕ちて爆発したらどうなると思う?」私は要望に応えて話を続ける。
「そうね、数学的に見たら大発見だけど、そのストーリーだったらみんなが不幸になるわ」
「その通りだ。これは明らかなバッドエンドだ。林檎だけでなく、アイザック・ニュートンも万有引力も全部バッドエンドなんだ」と私は言った。
「貴方って頭がいいのね、でもなおさら林檎である必要が分からないわ」と彼女は言った。禿げた店主が選んだ林檎を食べ終えたようだった。
「私みたいに、バッドエンドじゃないと生きられない人間もいるんだよ。私達は不幸の買い手なんだ」と美味しくないほうの林檎を齧りながら私は言った。
「ふうん」とガバの彼女は言った。店を出て、歩いている間も彼女は「バッドエンド」という単語をメガ・バクテリア症にかかり、糞が変色して余命が2週間程度になってから初めて、不本意で言葉を覚えてしまったオパーリン・マリン・ブルーのセキセイインコのように繰り返し呟いていた。
最後に私達が向かったのは、町の外れにある小さな書店だった。
私は目当てのものがなかったので、なんとなく銃に関する雑誌を読んでみたが、すぐに飽きてしまった。日本で銃が一般的ではないからこそ、興味が湧くものの、一般的ではないからこそ、すぐに飽きてしまったのだろう。ただ私はその一連の流れに何故か安心感を覚えてしまったので、昔の英雄や偉人の本を読んでみた。やはり今に生きていない者はすぐに飽きてしまった。
彼女の読んでいるコーナーに寄ってみると、彼女は既に買う本に検討を付けていて、適当な本を物色していた。魔法学校に入学した魔女の女の子の本を眺めているようだった。そこで私に気付いたのか「私ウィッチって好きなの」と話しかけてきた。そして自分自身もバッドエンドに理解を深めようとしてか、「この本はどうなの?」と私に聞いてきた。表紙に眼鏡で桃色とも白色ともとれる髪を三つ編みにした少女が写っていたが、その手にはギプスがされていた。「違うな、それはバッドエンドじゃなくてアン・ハッピーだ」と私は言った。もう一つは旅館宿の本だった、そこに描かれていた櫻と柚子の木を指さし、「このはなきれい?」と柔らかく聞いてきた。漢字という概念すら知る由もなく、片仮名ですら平仮名表記にしないと違和感に押しつぶされて泣きわめく第一次反抗期の童のような言い方だった。なので私は「まあね」と一言だけで返答をした。
「ふうん」と彼女は言って、マスクド・ライダーの本を物色し始めた。マスクド・ライダーは最近の彼女内でのトレンドになっており、私が最後に会ったときには二人組で一人のマスクド・ライダーが好みだったようだが最近は少し形状の違うサーシング・ベルトを身に着けているようだ。ディテールかなりごつごつとしていて、ギミックもあるようだ。装飾としての意味合いが強いのだろう。
元々忍者が好きだったり、女の子を偶像崇拝をしていたりと、子供じみた趣味嗜好の彼女だが、最近は何が彼女の流行りなのかはまったく分からない。第一、聞けば自分語りとも取れるような内容が噴出し続けるのだが、少し前までは自分の好きなものに関する知識が、言葉と自己顕示欲の濁流として、日本では馴染みのない深紅の壊れた消火栓からアメリカン・コミックのギャク・ワンシーンのように吹き出していたものなのだが、1度周りから拒絶され、奥手になってしまったのだという。今の彼女にはその水分を受けきることの出来る砂漠のような、あるいはシングル・ファザーと呼ぶに相応しい人物が必要なのかもしれない。そう、父親状態のサハラのようなシルク・ハットを被り、バタフライナイフを忍ばせている蛇にも似た人物だ。裏の顔があっても、普段は糸目にして笑みを浮かべているだけで十分な人物。
「何を買ったんだい」と私は聞いた。すると彼女は、何も言わずに購入した本を見せてくれた。1冊は「揺る百合」というタイトルの本だった。表紙には制服を着た少女が4人、同じ方角を指していた。これは何かの暗示だろうか、しっかりと見ると制服の造形もおかしく、違和感しか感じない作品だ。私は思わず吐き気を催した。2冊目は「名護り」というタイトルの本だった。これは表紙に顔のデフォルメされた未知の生物が写っていた。脚のようなものが4本生えていたが、形状から察するにこれは水母を参考にクリエイトされたものだと思われる。
この「名護り」を見た瞬間、私は強い衝撃を受けた。それはカズオ・イシグロの「日の名残り」にタイトルが似ているからではなく、マイナス・ドライバーで頭を殴られた以上の衝撃、友人にサインを描いたスノウ・ボードをインターネット・オークションに出品されてしまった様な、そんな衝撃だった。「これは日本だけで知名度がある作品なのか」と私は言った。「日本国内で人気のある作品よ、ただ私は」「世界の名護り」「だと思っているわ」彼女は3回に言葉を分けた。「世界の名護り」というワードを強調したかったのだろう。それは私の頭から離れて取れなくなった。まるでアロン・アルファーのようだった。
すべての目的を終え、ディナーを食べる事になった私達は、少し日常的な会話をしてみた。
「今日はセックスをするの?」と鳴き声の彼女が切り出す。
「まだ決めていないよ」
「じゃあ、マスターベーションするの?」
「それはしないよ」
「どうして?」
「今日は新しい発見が沢山あったからね。そんな日は身体の外に何かを排出するのは極力避けたいんだ」
「私も新しい発見があったわ。バッドエンドについてよ、これで私の真白のレポートが書けるわけじゃないけど」
「まだレポートを仕上げてないのかい」
「まあね、それはいいの。ねえ、今日はやっぱりセックスしない?」と彼女は私の腕や肩に、指の腹で訳の分からない図形を描きながら問いかける。
「どうして?」私は問い返す。
「お互い思考を共有して、発見をしたからよ。やっぱり外に排出するのは嫌?」
「なるほどね」と僕は頷いた。「いや、そんなことはないよ。ペニスとヴァギナはあわせて一組なんだ」「ロールパンとソーセージみたいにね」「だから、問題ない」
「やっぱり、貴方って頭がいいのね」ガバの彼女は感心する。
「君の鳴き声のお陰かもね」「そういえば、ディナーは何が食べたい?」と私が話題を変える。
「そうね、梅のサラダ・ドレッシング、鰯と油揚げ、山芋のフライに、セロリと牛肉の煮物、いんげんのごま和えやみょうがのおひたしなんかもいいわ」
「ねぎのみそ汁と御飯も合うかもね、私はわかめとツナをまぜたポテト・サラダや、おいしいフランクフルト・ソーセージのザワークラウト・ソーセージが食べたいね」
「そういうの最高だわ」「チョコレート・ケーキも食べたいし、ウィスキー・オールド・クロウのオン・ザ・ロックも飲みたいわ」彼女は嬉々として答える。
今日という日の終末まで予定が決まった二人はまた、人の生としてのダーク・マターとなってブラック・ホールに吸い込まれていった。実際これは吸い込まれていったのかもしれないし、ホワイト・ホールに吐き出されて動いているのかもしれない。
バッドエンド、林檎、エレクトロニック・ダンス・ミュージック、レポート、名護り、5000円、この世のものはすべて意味と存在で成り立っているだけの下らない物質に過ぎない。
「そういえば私、地球って好きよ」「何事も地球のスケールで考える、それが一番苦労しないの」唐突に彼女が話を切り出す。
「なるほどね」と私は言った。彼女の価値観はすべて私の逆を生きる。それも水面に写り込むような揺らぎのある鏡ではなく、真冬の薄氷のような反し方だ。やはり、そういう点も彼女のチャーミング・ポイントなのだと再確認した。
ディナーへ向かうために歩き始めた私達を町は盛大に迎えてくれた。ローベル・カサドシュの弾いた、モーツァルトのコンチェルトがかかっていた。私が意識し始めた時にそれは第23番イ長調の終盤であり、直に第24番ハ短調へと変わり、ディナーへの道にハンドメイドのレッド・カーペットを敷かれたような錯覚へと陥った。
その間、町は宇宙を超え、概念的に小さな銀河となった。
太陽はなぜ今も輝きつづけるのか
鳥たちはなぜ唄いつづけるのか
彼らは知らないのだろうか
世界がもう終わってしまったことを
“THE END OF THE WORLD”