魔族との初戦闘③
ドラゴンはかつて、この世界で最強種の一角と目されてきた。
その硬質の鱗は並大抵の攻撃を通さず、強烈なブレス攻撃は一噴きで街を焼き払う。絶対数が少ないので遭遇する機会は稀だが、運悪く街などに出現した場合は、超ド級の天災に見舞われたような甚大な被害を被ったと言われている。
一方、ドラゴンの鱗や牙、骨などを素材に作成された武具は皆押しなべて強力であり、"神具"や"聖剣"などと崇められて重宝されてきた。例えば、この竜王剣もパノティア王国の国宝として大切に保管されていた。
その強力な素材に目を付けたのが、500年前に召喚された勇者だった。魔王を討伐するために強力な武器を欲していた勇者達は、多くのドラゴンを討伐し、その素材で強力な武器やアイテムを数多く作った。結果、ドラゴンは勇者の手によって狩り尽くされ、地上から姿を消してしまった。
王宮でそのように教わっていたのだが、その滅んだはずのドラゴンが、突然、俺達の目の前に現れた。
存在しないはずのドラゴンが現れただけでも驚きなのだが、もっと不思議なのが、ドラゴンが文字通り突然出現したことだ。
この隠し部屋には隠れるような場所は存在しない。ならばドラゴンは壁を突き破るなどして外から入ってきたとしか考えられない。だけど、壁を破ったりドアをこじ開けた形跡は全くなかった。この巨大なドラゴンは、瞬間移動してきたかの如く、いきなりその姿を現出させたのだ。
俺やクラスメイト達はもちろんのこと、イザラムですら状況が理解できなくて固まっていた。
ドラゴンがゆっくり顔を動かす。
何かを探るように、周囲を見渡す。
やがて、その鋭い瞳が俺の姿を捉えた。
『貴様は―――っ!
…………いや、そういうことか』
喋った!
ドラゴンって喋れるのか!?
「言葉を解するドラゴン……。まさか、古代竜か?」
イザラムが震える声でそう言う。その声音には、畏怖の念が滲み出ていた。
ドラゴンはジッと俺を睨みつけてくる。
「何で俺を?」と思ったが、そんなこと口に出来る状況ではなかった。
俺は緊張と恐怖で身動ぎすることができない。
まさに蛇に睨まれた蛙だった。
やがて、ドラゴンは俺から視線を外した。
『―――魔族の小僧よ、去るがいい。我はこの者に用がある』
再び「何で俺を!?」と、内心で驚いたが、一番驚いたのは去れと言われたイザラムだった。
「な―――っ!? なぜドラゴンが貴様を!?」
イザラムが俺に向かって叫ぶ。
知るか!
俺だって今の状況が分からないよ!
助けを求めて柚華達に視線を向けるのだが、逆に、「これはどういう事!? 説明してよ!」という顔をされた。
「まさか、このドラゴンは貴様が召喚、いや招魂したのか?」
イザラムが俺を見る目が途端に険しくなった。先ほどまでとは全く違う。その瞳には、明確で濃密な殺気が込められていた。
イザラムが俺を捕らえようと手を伸ばす。
だが、次の瞬間、イザラムの姿が俺の目の前から消えた。それと同時に、部屋の壁からドンッという音が聞こえてきた。
「ぐ……っ!」
そこには、壁に叩き付けらて蹲るイザラムの姿があった。どうやら先ほどの音は、イザラムが壁に激突した衝撃音だったようだ。
『去れと言ったろう』
そう言いながら尻尾を揺らすドラゴンを見て、俺はようやく、ドラゴンが尻尾でイザラムを殴り飛ばしたのだと気が付いた。
イザラムは何とか立ち上がるが、その口元には血が滲み、片腕は変な方向に折れ曲がっていた。
「あの魔族を一撃で、すごい……」
そう言ったのは、やっとパニックから抜け出した城井さんだった。
俺もそう思う。
俺達から見てイザラムは確かに強いのだが、ドラゴンの強さはその更に上をいっている。
しかし、ならば尚更気になるのがこのドラゴンの目的だ。
何故か俺に用があるようだが、はっきり言って俺には心当たりがない。
イザラムは俺が召喚?あるいは招魂?したとか言っているけど、俺にはそんな芸当はできない。
今のところドラゴンはイザラムだけを攻撃している。だけど、それでドラゴンが俺達の味方だと断言する事はできない。もしも、この後その矛先が俺達に向けられたら……。今度こそ終わりだ。
「……確かに、俺如きでは歯が立たん、立ち去るしかないようだな」
イザラムは苦虫を噛み潰したような顔でそう言った。
「だが、俺も十二魔将の一人。古代竜を招魂するほどの手練れを放置することもできん」
イザラムは宝石のような物を懐から取り出し、高々と掲げた。
「……?」
その行動の意図が読めずに訝しんでいると、イザラムがニヤリと笑った。
「貴様がそこに立っていたことが幸いであった―――」
そう言われ足下に視線を落とした俺の目に、複雑な幾何学模様と難解な文字群が飛び込んできた。それは、この隠し部屋に描かれた巨大な魔法陣の一部。
―――俺は転移魔法陣の内側にいたのだ。
「―――貴様を魔族領に連れ去る」
イザラムがそう言うや否や、魔法陣が眩いばかりに輝き始める。
「ご主人様!」
「兄さん!」
遠くから俺を呼ぶ、まるで悲鳴のような声が聞こえた。
その声に応じようと口を開けた瞬間、俺の周りの景色が歪み始める。
「柚華―――っ! ルフィナ―――っ!」
俺は大声で叫んだのだが、もはや景色は歪みきっていて、二人がどこにいるのかすら分からなかった。
やがて、歪んでいた景色がまた色と形を取り戻していく。
はっきりと周りの景色が確認できるようになった時、そこが今までいたダンジョンではなく、深い森の中であることに気が付いた。
―――"魔族領に連れ去る"
先ほどイザラムの言った台詞が脳裏に蘇り、俺は絶望―――しそうになった。
俺は一人で転移させられたと思っていた。だけど、俺のすぐ側には、離れ離れになったと思っていた少女の姿があった。
「はぁ、はぁ、何とか【縮地】で、間に合いました……」
「ルフィナ!」
ルフィナの呼吸が荒い。おそらく、全力の【縮地】を使って咄嗟に魔法陣に飛び込んだのだろう。しかし、肩で息をしつつも、ルフィナの顔には安堵したような笑みがあった。
「……ち、一人連れてきてしまったか」
その時、聞きたくなかった奴の声が聞こえてきた。
「イザラム……」
「まぁいい。ここは我らの本領であり、パノティアから遠く離れた魔族領だ。貴様ら二人だけならどうとでもなる」
立っているのもやっとといった状態に見えるイザラムだが、それでも俺達二人相手にするのは容易いと思っているのだろう、イザラムの目には余裕が感じ取れた。
「頼みの招魂獣もこれだけ術者との距離が離れれば魔力供給が途絶えて消滅していることだろう。もはや貴様らに勝ち目はない」
イザラムが不敵に笑う。
だが、その笑みは長くは続かなかった。
『去れと言ったんだが、忠告が伝わらなかったようだな』
俺達の目の前に、再びドラゴンが現れた。
先ほどのダンジョンの時と同じように、突然に。
「な、なぜ……。招魂獣に転移魔法は効かないはず……」
イザラムは口元を震えさせ、ありえないと呟く。
『魔族の小僧よ、お前は勘違いしている。我は招魂獣ではない。
―――我は、その剣に封じられし竜だ』