ルフィナのあれこれ
今回は少し暗い表現があります。
ルフィナとの親睦も兼ねた宿の一階での食事は、彼女がウトウトとしてきたところでお開きになった。
身体の傷は柚華のヒールでほぼ完治しているとはいえ、今日まで毒に侵されていたルフィナはかなり体力を失っているはずだ。身体もまだガリガリだし、あまり無理をさせるわけにはいかない。
部屋に戻ると、ルフィナが「やはり奴隷にベッドは……」とまたごねてきたので、「もう二人部屋を取ったんだからベッドが無駄になる」と無理やりベッドに寝かしつけ、俺も隣のベッドに寝転がる。しばらく抗議めいた視線を向けてきたルフィナだったが、やはり疲れていたのだろう、程なくスヤスヤと可愛い寝息が聞こえてきた。
(ルフィナやっぱり疲れていたんだな。そりゃそーだよね。というか、俺も疲れたよ……)
午前中に王宮を出発し、奴隷商でルフィナを購入し、ルフィナの治療の為に王都を駆けずり回り、そして今だ。まさかこんなに忙しい一日になるとは思わなかった。
(でも、何とか上手くいって良かった。これでいつでも冒険者としてスタートできる。ルフィナも良い子みたいだし、本当に助かって良かった)
ルフィナの体力回復のために数日は必要だと思うが、一番の懸案事項だった"仲間"の問題が解決したのは大きい。これで冒険者になる一番の不安が取っ払われた。戦闘補助の頼みを快諾してくれたルフィナには感謝しないとな……。
そんな思いを抱きつつルフィナに視線を向けた所で、俺はある事実に気が付いた。
―――俺は今、美少女と二人っきりの空間にいる!
この部屋は一応、二人部屋という事になっているが、そんなに広い作りではない。俺とルフィナのベッドだって人一人分程度の隙間しか開いていないのだ。
そんな中、俺は一晩美少女と二人っきり……ッ!
俺は自分の人生で未だ嘗てない事態に陥り、激しく動揺していた。
もちろん、大野との事前打ち合わせで奴隷の女の子を買うと決めていた。だけど、この事態は想定していなかった。と言うより、宿屋の夜のことなんて頭からすっぽり抜け落ちていた。
―――"奴隷少女は片桐氏に信頼と好意を寄せるようになり、「ご主人様……♡」と毎晩片桐氏のことを……!"
不意に、昨日の大野のセリフが脳裏を過る。
あの時はそんなバカなと一蹴したが、今横で無防備に眠る美少女のことを考えると「まさか……?」なんて思いが芽生えてくる。
(どうする!? どうする俺!)
必死に頭を働かせるが、彼女いない歴=年齢の俺では圧倒的に経験が不足しており、全く答えが導き出せない。
(あー、わかんねー! どうすりゃいーんだよ! こんな時俺がイケメンだったら……! 例えば、そう、例えば神崎だったらこんな状況の一つや二つ既に経験しているんだろうに! なんで俺はイケメンじゃねーんだ! なんでだカーチャン! どうする!? イケメンじゃない俺、どうする!?)
と、頭が相当テンパったあたりで、ふと気付いた。
(……いや、どうするも何も、どうもしないに決まっているだろ。病み上がりのルフィナに俺は一体何をするつもりだ……)
頭がスーと冴え、冷静な思考が戻ってくる。
危ない、童貞を拗らせてとんでもない思考に突っ走るところだった。
(せっかく信頼してくれたんだ。そのルフィナの信頼を裏切らないようにしよう。この状況にも早いうちに慣れないとな)
俺はそう決意すると、ゴロリと寝返りを打つ。
(…………)
すー、すー
(…………)
すー、すー
(…………)
すー、すー
(……………………ダメだ!)
邪念を払う為にわざとルフィナを視界の外に追いやったのだが、考えが全く甘かった。すーすーとルフィナの可愛い寝息が狭い室内にこだまし、その度に俺の耳もピクピクと反応する。
(……寝ないと……)
結局、俺が寝付くまでに数えた素数は四桁を超えた。
―――
「ご主人様、あまり眠れなかったのですか? なんだか体調がよろしくないようですが?」
「いや、何でもないよ……」
俺は寝不足の目をこすりながら、ルフィナを適当にはぐらかす。まさかルフィナの寝息に悶々として眠れなかったなんて言えるわけがない。
ああ、太陽が眩しい。身体が怠い……。
まぁ、いいか。
どうせ今日は、ルフィナの体力回復のために宿屋でゆっくりする予定だ。
「それよりも、朝食にしよう」
「あ、はい……」
一階の食堂に行くと、既に何人かのお客さんが入っていた。
おお、何かゲームに出てくる冒険者みたいな人達がいる!
この宿の宿泊客だろうか、食堂のテーブルには、皮鎧に帯剣をした人、重厚な鉄鎧を装備している人、ローブを纏った人など様々な格好の人たちが適当に固まって食事を摂っていた。
「ああ、アンタ達朝食かい? 宿の朝食でいいんならすぐに準備できるよ」
俺が冒険者っぽい人たちを眺めていると、宿屋のおばちゃんが声を掛けてきた。
宿屋の料金には朝晩の食事代も含まれている。昨夜はルフィナの快気祝いも兼ねて少し豪華な晩ご飯を別料金で頼んだので、宿屋の固定メニューを食べるのは今回が初めてだ。
「おや、そっちの子は? ……もしかして昨日の、顔に大きな傷のあったお嬢ちゃんかい?」
「あ、はい……」
話を振られたルフィナは少し戸惑いがちに返事をした。
俺達は昨夜も食堂には来たんだけど、どうやら客が多くて俺達の存在に気付いていなかったようだ。
「やっぱりそうかい! ということは、あの怪我や毒は治ったのかい?」
「はい。ご主人様のお陰でもう完全に治りました」
「そうかい、それは良かった! アンタいいトコあるじゃないか」
おばちゃんはニンマリと笑みを浮かべ、俺の肩をバシバシ叩く。
ちょ、おばちゃん。
ちょっと力が……。
痛いって!
「痛いです!」
やべ、口にでちゃった。
「おっと、ごめんよ。それにしても、昨日のお嬢ちゃんの姿は酷かったからねぇ。心配してたんだよ。お嬢ちゃん、アンタいいご主人様を持ったね」
「はい!」
俺の事を褒められて嬉しいのか、ルフィナは元気いっぱい返事をした。
それにしても、おばちゃんはルフィナが獣人なのに普通に接している。確か大野からは、獣人は一般の人からもかなり酷い差別を受けているって聞いたんだけど……。
俺がそんなことを考えていると、ルフィナが遠慮がちに口を開いた。
「……あの、私の事を見ても何とも思わないんですか?」
「ん? ああ、あんたが獣人ってことかい? 別に何とも思わないよ。この商売してたら獣人に会う機会なんて山ほどあるからね。いちいち気にしたりしないよ」
「そうですか……」
おばちゃんの回答に、心なしルフィナが嬉しそうな表情をする。
「とはいえ、お嬢ちゃんが心配するのはもっともだね。お嬢ちゃんはよーく知ってると思うけど、私みたいな人間は少数派で、大半の人は獣人に冷たいからね。だからお嬢ちゃん、こういう獣人に優しいご主人様は大事にするんだよ」
「はい! もちろんです!」
おばちゃんがルフィナの銀髪を撫でながらそう言うと、ルフィナは笑顔で頷いた。おばちゃんの言葉に俺の心も温かくなる。人間全部が獣人差別しているわけではなく、おばちゃんみたいな人も中にはいるんだな……。
「そう言えば、アンタ達朝食を食べに来たんだったね。引き止めちゃってすまないね。宿の朝食でいいかい?」
「あ、はい。お願いします」
「あいよ。ベティ! 朝定食二つ!」
おばちゃんが厨房に声をかけると、奥から「はーい!」と女の人の声がする。
宿の朝定食は、野菜や肉が入ったスープとパンだった。少し硬めのパンだったがスープに浸して食べると結構イケる。やっぱりここの食事は美味いな。おばちゃんも良い人だし、紹介してくれたメイドさんに俺は改めて心の中で感謝した。
部屋に戻り、ルフィナに体力回復のために数日は宿で安静に過ごすことを伝える。申し訳なさそうにしていたルフィナだったが、その分回復してから期待しているよと言うと「はい!」と気合の篭った返事をくれた。
部屋ではいろんな話をした。
まだお互いのことをよく知らないからな、丁度いい機会だった。まずは俺が置かれている事情の説明を行った。
俺のスキルは【武器弱化】といってあらゆる武器を弱体化させる能力だということ。そのせいで装備出来る武器がなくて困っていること。だけど、俺はどうしても強くなる必要があり、こんな俺でも戦えるスタイルを必死に模索していること。そして、その為の第一歩として選んだのが冒険者であること。ルフィナにはその補助をして欲しいということ。
「……そのようなスキルが実在するなんて……」
話を聞いたルフィナは、俺のスキルの特異性にやはり驚いていた。
スキルは有用というのはこの世界では常識だ。使い所の難しいスキルも中には存在するが、それでもスキルを所持していてマイナスに働くことなんてない。だが、俺の【武器弱化】は違う。所持しているだけで所持者にマイナスの効果を及ぼす。所持者に害のある、まるで呪いのようなスキルだ。
だが、俺は今、【武器弱化】に可能性を感じ始めている。
その可能性を気付かせてくれたのはルフィナだ。
【武器弱化】は昨夜、ルフィナの身体を蝕んでいた毒を消滅させた。それは偶然が生んだ幸運な出来事であったが、同時に、初めて【武器弱化】が俺の役に立った瞬間でもあった。
俺はこれまで、【武器弱化】は何の役にも立たない屑スキルだと思っていた。いや、決め付けていた。だが、それはまだまだ俺の検証が足りていなかっただけで、このスキルにも有用な部分があることに気付かされた。正直、【武器弱化】はまだまだマイナスの部分の方が遥かに大きい。けれど、昨日までと違って今はこのスキルを使って色々と試してみたいことが浮かんでいた。
俺の話が終わると、次はルフィナが話し始めた。
「昨日も少し話題に出しましたが、私の種族は白狼族です。白狼族の一番の特徴は、獣人の中では珍しく魔法が使える種族ということです」
「魔法が……」
基本的に魔法を使えないの獣人だが、中には魔法を使いこなす珍しい獣人種族も存在する。白狼族はそんな数少ない例外の一つだ。しかし、その特殊性が人間至上主義のこの世界では仇になった。
種族としての珍しさに加え、骨や内臓など身体の部位が優秀な素材になるという白狼族は、昔から人間の狩りの対象になることが多かった。
長い年月、人の手から逃れるうちに白狼族の住み処は次第に山の奥へ奥へと追いやられていった。ルフィナも11歳になるまで、そんな人里離れた白狼族の隠れ里で暮らしていた。
ルフィナは一応、族長の一族に当たるのだが、族長と言っても所詮は山奥にある小さな集落の長。特別な贅沢など出来る筈もなく、他の者と変わらない慎ましい生活を送っていた。山奥の生活は質素で厳しかったが、皆で助け合い、ルフィナは暖かく幸せな時間を過ごしていた。
だが、そんな静かな生活は里に襲来した奴隷狩り達の手によって無残にも崩壊してしまう。
この奴隷狩りの出現、実は魔王の復活が遠因となって起こった悲劇の一つだ。
魔王の復活の予兆が最初に確認されたのは今から約10年前。この500年、大きな動きをしてこなかった魔族が突如活発化したのだ。
大陸の国々はみな伝承にある魔王の復活を警戒し、それと同時に急いで自国の軍備拡張を行った。だがそれは、素材や魔石、奴隷などの需要増大を招く結果になった。
素材・魔石・奴隷などの価格高騰に商機を見出したのは冒険者や商人たちだった。彼らは利益を求めて今まで人が立ち入らなかった辺境の地にも手を伸ばすようになる。辺境には強力な魔石や素材を持つ魔物が棲息し、まだ手つかずの獣人らの集落が多く存在した。彼らは辺境を開拓し、手に入れた魔石や素材を売り捌くことで莫大な富を得るようになった。
ほどなく魔王軍の侵攻が始まると、その流れは更に加速する。避難民が崩壊した都市部から辺境へと流れ、辺境の開発が促されたのだ。
そしてトドメになったのが、各国による魔石の大量買い付けだった。勇者召喚のために必要な魔石は国庫の備蓄分だけでは到底足らず、各国は市場から魔石を調達しようとしたのだ。
ほとんどの魔石が冒険者らの言い値で取引された。この頃になると、冒険者たちは更なる魔石を求めて辺境のもっと奥、秘境・魔境と呼ばれる地域にまで立ち入るようになっていた。
こうして、長い年月、人間の手から逃れていた白狼族の隠れ里も、その欲望に塗れた毒牙に晒されることになった―――。
奴隷商で初めてルフィナに会った時、ルフィナの顔には大きな深い傷があった。その傷はルフィナの母親が付けたものだった。
里を取り囲む大量の人間たちを見て、ルフィナの母親はせめて子供達だけでも逃がそうと考えた。ルフィナの母は、ルフィナが白狼族とバレないように特徴であるその白い尾を切り、人間の男達の慰み者にならないようにルフィナの顔に傷を付けた。
自分も残ると泣き叫ぶルフィナを年長の子供に任せると、ルフィナの母を含む大人達は、ルフィナ達が逃げる隙を作るために人間たちに突撃していった。
「―――ルフィナ、ごめんね」
それが、ルフィナが耳にした母親の最期の声だった。
年長の子供を先頭に、ルフィナ達は深い森の中を必死に逃げた。だが、激しい残党狩りの中、一人また一人と命を落としていく。最後はバラバラになって逃げたのだが、数日間の逃亡生活で気力も体力も限界だった。結局ルフィナは、森で倒れていたところを人間に見つけられ、奴隷として売られることになった。
ルフィナを最初に買ったのは、とある商人の男だった。奴隷に落ちてしまったルフィナだったが、後々考えると最初の主人がこの男だったのはルフィナにとって幸運だった。
寡黙なその男は、優しい男ではなかったが不公平な人間でもなかった。その男が所有する奴隷はルフィナを含めて十人近くいて、中には人間の奴隷もいたのだが、男はその全てを平等に扱った。理不尽な命令や暴力を振るわれることはなく、ご飯も、美味しいとは言えないが、それなりの量があり、ルフィナ達奴隷が飢えることは決してなかった。
最初は全ての人間を憎んでいたルフィナだったが、この男と接するうちに、人間にも色々いて悪い人間ばかりじゃない事を知った。もちろん、だからと言ってルフィナの里を襲った人間達への憎しみが消えたわけではない。あの奴隷狩りの連中だけはいつか必ず殺してやりたいと思っている。だけど、少なくとも、今の自分の主人がその連中と違うことだけは理解できた。
そんな生活が一年ほど続いた後、再びルフィナの生活に変化が起きた。男がとある商売で失敗し、多額の負債を抱えてしまったのだ。
負債の補填のため、ルフィナは再び奴隷商に売られてしまう。次にルフィナを購入したのは、『蒼き双剣』というパノティア王国でもかなり有力な冒険者クランであった。
ルフィナがそのクランで過ごした二年間は、端的に言って地獄だった。
ルフィナはクラン内の素材調達を専門に扱うチームに回された。そこに回される奴隷は所謂"ワケあり"の奴隷だった。手や指が欠けており作業が満足に出来ない奴隷、ルフィナの様に顔に傷があり他の使い道がない奴隷、そんな格安の奴隷たちがそのチームには集められた。
そこで奴隷達は、まともな装備も持たされずに囮として魔物の前に放り出された。奴隷達が魔物の気を引いている間、あるいは奴隷達が盾となっている間に、後ろに控えた冒険者が魔物を殲滅する。以前、リチャードさんから聞いた冒険者による奴隷の運用そのまま。まさに使い潰しだ。
何人もの獣人奴隷が命を落としていく中、ルフィナは生き残った。これは、初級ではあるがルフィナが治癒魔法が使えたことが大きかった。
人間の前で魔法を使うことは母に強く禁じられていたので表立って使うことはなかったが、奴隷部屋でこっそりと怪我を癒し、結果としてそれがルフィナの生死を分けることになった。
だが、精神的に危ない時期もあった。毎日毎日ギリギリの囮をこなし死の恐怖を味わっているうちに、もう逃げ出したい、死んで楽になりたいと考えることもあった。
そんな時に思い出すのはいつも母の顔だった。自分のために死地に向かった母の最期の姿が、ルフィナに最期の一線を越すのを踏みとどまらせた。
そんな風に首の皮一枚で生きながらえてきたルフィナも、半年前から始まったポイズンフロッグ狩りで窮地に立たされる。ポイズンフロッグから受けた毒は解毒魔法を覚えていないルフィナでは対処することができなかった。徐々に身体に蓄積していく毒はルフィナの動きを鈍らせていく。
クランの人間も、日に日に衰弱していくルフィナの様子に気が付いた。そして、どうせこのまま死んでしまうのなら少しでも元を取ろうと考えた。普通に考えれば末期に近いルフィナを売却することなど不可能だ。だが、奴隷商にとって『蒼き双剣』は大のお得意様。奴隷の入れ替えのタイミングに合わせ、他の奴隷と一緒にルフィナは再び奴隷商に売られることになった
「……でも、今となってはそれも幸運なことだったと思います」
当時のことを思い出しているのか、ルフィナの目の淵には光るものがあった。
もう三度目になる奴隷商の建物の中で、ルフィナは絶望しきっていた。このまま死んでしまったらせっかく命を懸けて生かしてくれた母に顔向けできない。でも、次に買われても自分の命はそう長くないだろう。人間は全てが傍若無人な者ばかりではない。それは一人目の主人の時に少し理解したつもりだ。だが、そんな彼もルフィナのことを積極的に助けようとまではしなかった。公平な人物であったが、優しい男ではなかった。自分が出会った人間の中で一番獣人に優しかった彼でさえそうなのだ。次の主人が自分を助けてくれるとは考えられなかった。
死にたくない、死ぬことはできない。でも、死ぬしかない。
そんな絶望にまみれたルフィナを買ったのは、一人の少年だった―――。
年は自分より一つ、二つぐらい上だろうか。この辺りでは見かけない、黒い髪をした少年。
少し頼りなさそう。
そんな第一印象を抱かせる彼は、奴隷商を出るとまず自分に食事を施してくれた。
その食事はこの三年間食べたことのないほどの美味しさだった。
そして、毒で気を失った自分を担ぎ、医者や治癒術師を何軒も回ってくれた。
ルフィナには理解できなかった。
なぜ人間が、獣人の自分に、なぜ―――?
朦朧とする意識の中で、ルフィナは考えた。
だけど答えは出なかった。
当たり前だ。
今までこんな人間に出会ったことなどなかったのだから。
宿屋で目を覚ました時、ベッドを使用していることに驚いた。慌てて謝るルフィナに少年がかけた言葉はまたも予想外のものだった。
―――"いいから、いいから。それより体調はどうだ? 何か食べられそうか?"
それは優しい、思いやりの言葉。
家族なら当たり前のように掛ける言葉だが、ルフィナはこの三年間、そんな言葉を掛けてもらったことなんてなかった。
まさかそんな言葉を掛けてくれる人が、それも人間でいようとは。
気付くとルフィナは、自分が死んだ後、自分の身体を素材として提供すると少年に申し出ていた。
ルフィナは自分のことを、死ねない、生きることを諦めてはいけな存在だと思っている。
だけど、自分はもうすぐ死ぬ、それも理解している。
ならば、自分の死んだ後、少年に僅かばかりのお礼の話をするぐらいなら許されるのではないかと思った。
最期に人の優しさに触れることが出来た幸福に感謝していたルフィナだったが、少年がもたらしてくれた幸福はそれで終わりではなかった。
少年はルフィナの尻尾を治し、顔の傷を治療し、毒を身体から消し去った。
ルフィナは、少年に救われた。
命の恩人である少年はそのことを鼻にかけることすらしなかった。そしてルフィナに自分の戦闘補助をして欲しいと言って頭を下げてきた。今まで囮役をしてきたルフィナには辛いだろうけど、頼める人がルフィナしかいないと。
命懸けで囮役をこなしてきたルフィナにとって、戦闘補助は確かにそのトラウマを抉る行為だ。だが、少年が与えてくれたものに比べたらそんな事は些細な問題でしかなかった。
ルフィナが快諾すると、少年は"ありがとう"と言って笑みをみせた。
そして、今も目の前で変わらぬ笑みを見せている。
「……私は、貴方に救っていただきました。命も、心も……。命を懸けて貴方を守るといった私の言葉は、心の底からのものです」
ルフィナが、透き通るような微笑みを浮かべる。
その微笑みをみて、俺の頭の中にある考えが浮かんだ。
ルフィナは俺に救われたと言ったが、それは俺も同じではないだろうか。
俺もこの世界にきて、いや、この世界に来る前からずっと虐げられてきた。これは別に、俺とルフィナは境遇が似ているとか、ルフィナの気持ちが理解できるとかそう言うことが言いたいわけではない。
俺には柚華や大野、高山といった理解者がいたし、そもそも命の危険がなかった。ルフィナとは全く違う環境だ。
俺が言いたいのは、俺もルフィナに救われたと言う事だ。
何の知識も、力も、後ろ盾もなしに異世界の街に放り出され、正直俺は不安で一杯だった。
奴隷購入という日本人の俺に言わせると荒唐無稽な大野のアドバイスに素直に従ったのも、その不安を少しでも解消させたいという縋るような気持ちがあったことは否めない。
だがルフィナは、俺に無条件の信頼と協力を申し出でくれた。
まだ心配な事は多々あるが、王宮を追放された直後に比べると俺の不安はルフィナのお陰で相当解消された。
(大野が提案した"奴隷の好感度アップ作戦"……。まさか、ここまで読んでいたわけじゃないよな?)
俺は少し頭を振ると、脳内に浮かんだバカな考えを振り払う。
「命を懸けるってのはアレだけど、そんな風に言ってくれて嬉しいよ。俺もルフィナに今までの様な辛い思いはさせないと約束する。だから……、これからもよろしくな、ルフィナ」
「はい!」
ルフィナは尻尾を大きく振り、笑顔で頷いた。
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