腹ごしらえ
今回は少し短めです。
美少女から涙ながらの熱い抱擁を受けるという俺の人生始まって以来のラッキーイベントは、ルフィナの腹が盛大に鳴ったことであっさり終了した。
涙目で必死になって弁解するルフィナによると、実はルフィナは、毒状態による体調悪化と奴隷商でのマズイ飯のせいでここ数日まともに食事が摂れていなかったらしい。あの痩せこけたお腹は毒のせいだけじゃなかったんだな。
とにかく、そんな状態なら話よりまずは腹ごしらえだ、と項垂れるルフィナを何とか宥めて食堂に向かおうとしたのだが、ここでまたプチ問題が発生した。
食事を摂る前に顔を洗いたいと言ったルフィナが水桶を覗き込んだ瞬間、自分の顔にあった筈の傷が綺麗サッパリなくなっていることに気付いたのだ。尾や耳を治してくれたのは知っていたが、まさか顔まで、しかも傷跡すら残らないレベルまで治療してくれているとは思っていなかったらしい。
「……う、ぐすっ……! ご、ごしゅじん、ざま゛っ……! ほんとうに…… ぐすっ……ありが…… う、うああぁぁっ……!」
結局、再び大泣きして感謝の言葉を述べるルフィナを必死に宥める羽目になった。
ようやくその場を鎮め、身綺麗になったルフィナを見て今度は俺が驚いた。
―――そこには、輝くような銀髪を携えた美少女が立っていたのだ。
灰色と思っていた髪の毛は何日間も風呂に入っていないせいでホコリや泥で淀れていただけだった。元々綺麗だなと思っていた顔も、汚れを落としたことで、その白い肌が際立っている。
「……? 何か?」
俺が呆然としていると、ルフィナはキョトンと小首を傾げて俺に問いかけてきた。
「なっ、何でもない!」
ルフィナから思わず目を逸らす俺。
ルフィナさん!
その仕草はやばいよ!
しかも無自覚とかっ!
反則だよ!
「……?」
状況が飲み込めていないルフィナはまだ不思議そうな顔をしていたが、俺の方もそんなことを気にしている余裕はない。
一気に上がった心拍数を何とか抑えるべく、深呼吸をする。
(……これは、大野が知ったら発狂するな……)
思わぬ美少女を奴隷にしてしまったことに内心でドギマギしつつ、俺はルフィナを連れ立って一階の食堂に向かったのだった。
丁度、晩飯時だったようで、食堂はそこそこの込み具合だった。
昼間来た時は定食屋のような感じだったが、夜になって客層も変わり、前に元の世界で親に連れて行ってもらった居酒屋のような雰囲気になっていた。
好きなものを頼めと言ってもルフィナは戸惑うばかりで埒が明かなかったので、適当に何品か注文することにした。しばらくすると一品目の料理が運ばれてくる。牛肉のステーキに似た食べ物で、ジュワッと溢れる肉汁や、香ばしい匂いが食欲をくすぐる。
ステーキを見たルフィナは必死に無表情を保とうとしているようだ。しかし、おそらく無意識なんだろうけど、ルフィナの無表情とは裏腹に彼女の尻尾は千切れんばかりに振られていた。
「ルフィナ、食べていいよ」
俺は吹き出しそうになるのを堪え、ルフィナに食事をすすめる。
「―――っ! …………で、でも……」
一瞬、"ぱぁぁぁ!"ってめちゃめちゃ嬉しそうな顔したルフィナだったが、すぐにその表情を消してしまった。
(我慢しなくていいのに……。いや、正確には"我慢"ではないのか)
ルフィナは奴隷に落ちて三年と言っていた。そしてこの三年間、今日ほど人道的に扱われたことはなかったとも。つまり、今のルフィナの行動はその奴隷の習性が染みついてしまった結果、あるいは、期待する度に何度も絶望を味わってきたのかもしれない……。
って、こんな暗い思考をしてちゃダメだ!
俺は、陰鬱な気分になりかけた自分自身に喝を入れた。
(今日からルフィナなそんな日々とはオサラバするんだ。それなのに、そのオサラバさせる本人である俺自身が暗くなってどうするんだ!)
俺は気持ちを切り替え、ちょっと明るめの声でルフィナに話し掛ける。
「食べていいんだよ。それとも、また俺が"あーん"ってしないと食べてくれないのか?」
「っ!」
からかい半分に俺がそう聞くと、ルフィナは顔を真っ赤に染め、慌ててフォークを掴む。そして、切れ端の肉をフォークで刺すと、その小さな口に恐る恐る運んだ。
「~~っ!」
ステーキの端っこの方を口にしただけなのだが、それでもルフィナは顔を緩め、幸せいっぱいといった表情をみせる。
「そんな端っこを……。ルフィナがそれを全部食べるまで、俺は何も食べないから」
俺がここまで言うとルフィナもさすがに理解したようだ。ルフィナは大きく目を見開き、ステーキと俺の顔を交互に見やる。
そして、ルフィナはガブッとステーキにかぶり付いた。
一心不乱に目の前のステーキにむしゃぶりつくルフィナ。
しばらく無言でステーキをほうばっていたルフィナだったが、やがてそんな彼女から嗚咽が漏れてきた。
「ひぐっ……! 美味しい……。ひっぐ……! ……ありがどう、ございます……。 ……ぐす……」
ルフィナは頬を伝る涙を拭うことすらせず、フォークを握りしめて泣き続けた。
――――
「……どうして、奴隷であり、獣人の私にこんな待遇をして下さるのですか?」
頼んだ料理をあらかた胃の中に入れたルフィナが、躊躇いがちに俺に尋ねてきた。
「ルフィナに元気になって欲しいというのもあるが、……実は、俺のためでもあるんだ」
「ご主人様のため、ですか……?」
「ああ。ルフィナの毒を治療したのは俺のスキルだって言ったよね? 詳しくはまた後日説明するけど、そのスキルのせいで俺は戦闘力がゼロなんだ。皆無と言っていい。だから、ルフィナには元気になって、その上で俺の戦闘補助をお願いしたいんだよ」
「戦闘、補助……?」
ルフィナが訝し気に呟く。
「ルフィナがこれまで、前の主人にどのように扱われてきたかある程度察しはついている。それなのにこんなお願いをするのは本当に申し訳ない話だと思う。だけど、俺もルフィナしか頼める人がいないんだ。もちろん、俺も戦闘には参加するし、日々の食事だってちゃんとしたものを用意する。怪我をした時は必ず治療することも約束する。だから、どうか俺の力になってくれないか?」
俺が頭を下げると、ルフィナが慌てて言葉を発した。
「や、やめてください! ご主人様が頭など下げられてはいけません!」
「でも……」
「いえ、本当にダメです! ……そもそも、私はご主人様が食事を与えてくれたり、怪我の治療を施してくださることを疑ってなどいません。それは、今日一日ご主人様が私にして下さったことで十分に理解できます。ですが……、だからこそ、尚更私にはわからないんです」
「もしかして、なぜ奴隷なのに、と考えているのか?」
「はい。……奴隷であれば、怪我をしたり命を落としたりしても買い換えれば済む話です。治療費や食事代などを考えればそちらの方が得になりますから。私のように死にかけだった奴隷なら尚更です。それなのにご主人様は私を治療して下さりました。この顔の傷を治した治癒魔術なんてどれほど高額だったのか私には想像もつきません。……どうして、そのように良くしてくださるのですか?」
ルフィナの言葉に対し、俺は用意していた答えを話す。
「実は俺は遥か東の国の生まれでね。その国には奴隷なんて制度はなかったし、獣人もいなかった。俺は別にルフィナが奴隷や獣人だからってどうとも思わないんだ。むしろ、獣人という今まで会ったこともない種族のルフィナと知り合いになれて嬉しく思っているよ」
「……っ!? そんな、ことが……? でも、確かに珍しい髪の色だとは思っていましたが……」
そう言ってルフィナは俺の黒髪に視線を移す。
俺が王城を追放される際、ドノブ宰相は俺に外で勇者と名乗るのは控えてくれと言ってきた。名乗ってはいけない理由を色々とそれっぽく言っていたが、要は外聞が悪いということらしい。
せっかく召喚したのに、追放されるような無能者がいるなんてどういうことだ?
他の勇者の実力は大丈夫なのか?
国の内外からそんな突き上げを食らってしまう可能性を危惧しているようだった。
ドノブ宰相としても、召喚した勇者の中に俺という無能者がいて、しかもそのせいで勇者全体の士気が落ちるなんて事態は想定外だったのだろう。かなり念を押されてしまった。
俺のせいと思うと少し申し訳ない気持ちになったが、そもそも勝手に召喚したのは向こうだ。少しぐらいは苦労してもらおう。
ただ、勇者という事は秘密で行動することにした。もともと吹聴して回るつもりもなかったし、ドノブ宰相を無駄に敵に回す必要もないと考えたのだ。
というわけで、ルフィナにしたのは適当に作った話だ。と言っても、そこまで大きな嘘もついていないが。
「俺の故郷ではほとんどの人が黒髪だったけど、こっちでは珍しいみたいだな。……まぁ、とにかく、そういう訳で俺にとって奴隷とか関係ないんだ。むしろ、ルフィナをまた危険な目に遭わせてしまうのが、その、申し訳ないというか……」
「―――いいえ、それは違います!」
後めたい気持ちもあった俺が少し尻すぼみに話すと、ルフィナがその言葉を遮る。
「正直に言いますと、ご主人様の仰っていることはあまり理解できておりません。でも、ご主人様が私の命を救ってくれて、そのご主人様が私を必要としてくれているというのは分かりました。危険な目に遭わせると気にされているようですが、私としては、命の恩人に報いる絶好の機会だと思っています」
「ルフィナ……」
「今日一日でご主人様がお優しいお方だというのは理解したつもりです。私は奴隷であり、ただ命令を下すだけで良いのに、そんな私のことを気遣ってくださって……」
「それはまぁ、あんまり慣れてないというか……」
俺がそう言うと、ルフィナはクスリと微笑む。
「そうでしたね。それもすぐには信じがたいですが……。でも、奴隷がいないというご主人様の故郷にも、恩を受けた方には恩を返すという考えはあったでしょう?」
「ああ、その考えは俺の故郷にもあったよ」
俺の答えを聞くと、ルフィナはピンと耳を立て心なし姿勢を正した。
「ならば、私の答えは決まっています。どこまで私がお役に立てる分かりませんが、この命に代えましてもご主人様のことをお守りいたします!」
「ルフィナ……。ありがとう。これからよろしく」
「はい! よろしくお願いします!」
そう笑顔で返事をくれたルフィナの尻尾は、元気いっぱいにブンブンと振られていた。