ルフィナの治療②
結局、柚華はルフィナを治療することが出来なかった。
意気消沈し、力が及ばずすみませんと頭を下げる柚華を宥め、リチャードさんにも礼を言ってから、俺は王宮を後にした。
ルフィナの意識はまだ戻らない。たまに苦しそうに呻くことはあるが、話しかけても反応は返ってこなかった。俺は宿に戻ると、おばちゃんに王都にある医者の場所を教えてもらい、ルフィナを担いでその場所へと急いだ。
向かった先にあったのは、現代日本でいう町の診療所のような建物だった。
この世界で医療の総本山というと笹本さんの腕を治した大司教様のいる神殿だ。回復魔法の使い手にとって神殿で働けることは一つのステータスであり、優秀な使い手ほど神殿の上位職を目指すらしい。一方、実力不足のために神殿を去ったり、そもそも神殿入りを目指さない非エリート思考の回復魔法の使い手もいる。そういった人達の就職先が街の医者だ。
この世界では疫学や薬学もそこそこ発展しているらしく、医者は回復魔法と薬草などを併用しながら治療にあたるそうだ。
ルフィナを診察してくれたのは、チョビ髭を生やした中年の男性医師だった。
「……これは酷いねぇ。正直なことを言うと、まだ息をしているのが不思議なぐらいだ」
開口一番、チョビ髭先生はそんなことを言った。
「そんな……」
「期待を持たせても仕方がないからねぇ。奴隷の中にはこの毒で死んでしまう者も少なからずいる。似た患者を何人も診てきた経験で言わせてもらうと、腹部がここまで濃い紫色になっていたらもう末期だ。持ったとしても数日といった所だねぇ」
あまりにハッキリとした言い方に驚いたけど、どうやら、言葉を取り繕うことが出来ないぐらい病状が進んでいるらしい。やんわりとした言葉遣いとは裏腹に、チョビ髭先生の表情は険しい。
「一応、解毒剤は出しておくよ。少しは苦しみを和らげてくれるかもしれないからねぇ。だけど、ここまで体内に毒が蓄積していると、あまり効果を期待しないようにねぇ」
「……分かりました」
俺はチョビ髭先生に料金を払って薬を受け取ると、診療所を後にした。
「……まだだ」
俺は下唇を噛みながら、そう呟く。
実は、宿のおばちゃんには予め複数の診療所の場所を聞いていた。リチャードさんからは既に"手遅れ"という診立てをされている。つまり、素人から見てもそれだけ酷い病状ということだ。なので、何カ所か診療所を回るとい可能性も事前に想定していた。
もちろん、これはチョビ髭先生やリチャードさんがいい加減な診断をしたと考えているわけではない。ただ、もうダメだと直ぐに諦めてしまうことも、俺には出来なかった。
「ルフィナ、しっかりしろ。きっと次の医者なら大丈夫だからな」
心の中に溢れる絶望感を振り払うように、背中でまだ眠ったままのルフィナに声を掛ける。そして俺は、二件目の診療所に向かって歩き出した。
――――
あの後二件の医者を回ったのだが、他の医者の診察結果もチョビ髭先生と同じ"手遅れ"という内容だった。俺が徒労感と絶望感に包まれながら宿に戻った頃には、日は既に傾むきつつあった
二つあるベッドの一つにルフィナを寝かせ、チョビ髭先生に処方された解毒剤を飲ませる。ルフィナはまだ眠ったままだったが、水に溶かして口に含ませると、無意識に少しずつ飲み込んでくれた。
ルフィナに毛布を被せ、隣のベッドに腰掛ける、……つもりだったが、かなり疲れていたのだろう、ベッドに座ろうとして尻もちをついてしまった。
「……はぁ……」
座った瞬間、思わず口から溜め息が漏れた。
正直な話をすると、俺は医者に期待をしていた。いや、リチャードさんは近衛騎士であり医者ではない。その診立てが間違っていることを期待していたのだ。だが、リチャードさんは正しかった。どの医者もリチャードさんと同じ診断をした。最後の医者になんて、「いくら医者に診せる為とはいえ、こんな状態の患者を連れ回すのはよくない」と説教を食らってしまった。
結局俺は、ルフィナを助けるどころか空回りして、逆にルフィナに負担をかけただけだった。
「……くそっ」
陽が落ち、暗くなった部屋の中に俺の悪態が寂しく響く。
今日買ったばかりの奴隷だが、俺はルフィナに絶対に治って欲しいと思っていた。
その感情の正体は所詮"偽善"なのかもしれない。現代日本人の感覚からすれば、目の前で自分に関係ある人が死にそうになっていたら可能な限り助けようとするだろう。万が一、無視して死んでしまったら目覚めが悪いなんてレベルの話ではないのだから。それは、"死"に慣れていない日本人高校生なら尚更当たり前の感覚。ルフィナに対しても似たようなものだ。自分で買っておいて、死にそうになったら「俺には関係ない」と放り出すのは無責任この上ない振舞い。だから、その無責任にならない為の偽善的な行動―――。
……でも、感覚的なものだけど、それだけじゃないとも思えるんだ。
俺は今でも鮮明に覚えている。美味しいと泣きながらスープを飲んでいたルフィナの顔を。あのスープは確かに美味しかった。だけど、特別に上等なものでもない。材料だって普通だ。つまり、そんなのすら口に出来ないほど、ルフィナの奴隷生活は過酷だったという事だ。
あの涙を見てしまったせいだろうか、頭の中にある考えが浮かんでくる。
大野の提案した"奴隷の好感度アップ作戦"では、俺の奴隷になった時点であの程度の食事は食べ放題確定、本来なら、今ごろルフィナはご飯を腹いっぱい食べることが出来ていた。ルフィナはその事を知らないし、この件で俺が気にする必要などないのかもしれない。だけど、ついつい考えてしまうのだ。あと一カ月、一週間、いや、あと三日早く俺が奴隷商を訪れていれば、また結果は変わっていたのではないかと……。
「…………ご、しゅじん、さま……」
俺が項垂れていると、か細い声が聞こえてきた。
「ルフィナ……?」
「……すみません、ご迷惑かけて……」
ルフィナの目が薄っすら開かれている。意識が戻ったのか!
解毒剤が効いたのかもしれないが、チョビ髭先生は期待をするなと言っていた。その証拠かわからないが、ルフィナの顔色は悪いままだ。
「……! ……ベッドまで……、す、すみません」
「―――いいから、休んでな」
ベッドから降りようとするルフィナを、俺は慌てて止める。
「でも……」
「いいから、いいから。それより体調はどうだ? 何か食べられそうか?」
俺がそう言うと、ルフィナは僅かに目を見開く。
「……。いえ、すみません。恐らく喉を通りそうにないです……」
「そうか。まぁ、食べれそうならいつでも言って。食堂で消化に良い物作ってもらって来るから」
「……ありがとうございます……」
そう言うとルフィナは黙り込んでしまった。
沈黙がちょっと息苦しかったが、ルフィナは会話をするのも辛いかもしれない。俺から無暗に話しかけるのも憚られた。
しばしの静寂の後、ルフィナが弱々しく口を開いた。
「……私はヒト族からは、獣人と呼ばれていますが、……正確には、白狼族の族長の血を引く者です……」
白狼族……。
たしかリチャードさんもそんなこと言ってたな。その白狼族っては珍しいみたいで、リチャードさんも驚いていたようだったけど。
って、ルフィナはいきなりどうしたんだ? こんなタイミングで自己紹介か?
「……私の骨や臓器は、……それなりの素材になるそうです……。私が死んだら、ご主人様に……」
「ルフィナ!?」
急に縁起でもない話を聞かされ、俺は思わず声を張り上げた。
「……最初は、ご主人様の考えが、読めませんでした……。奴隷である私に、食事を与え、回復魔法を施し、医者を何軒も回ってくれて、……どうして、そこまでしてくれるんだろうって………」
俺の今日一日の行動だ。ルフィナに話しかけても返事がないのでてっきり意識が無いものと思っていたのだが……。
「……ルフィナ、気付いていたのか?」
「……時折、朧げにですが、意識が戻って……。先ほど、尻尾が治っているのを確認して、ご主人様にして頂いたことは、毒に侵されて見た幻覚なんかじゃ、なかったんだって……。……尻尾……諦めていたのに……」
ルフィナの瞳に、光るものが宿る。
「……正直に言いますと、今でもご主人様の考えは、わかりません……。でも、奴隷に堕ちて三年……今日ほど厚意を受けたことは、……人として扱って貰えたことは、ありませんでした……」
「……」
ルフィナはそう言って俺に微笑みかける。その笑顔があまりにも儚くて、俺は思わず下唇をかんだ。
「……どうせ死ぬのであれば、ご主人様に、せめて何かお返しを……。どうか、受け取ってください……」
「ルフィナ……」
"そんな弱気なことを言うな" "絶対に治るから!"
そんな言葉が俺の喉まで出掛るのだが、結局、音に成らずに口の中で悉く霧散していく。
穏やかな表情のルフィナを見て、俺も涙が溢れそうになる。ルフィナの年は外見からして中学生ぐらいだ。俺より年下の少女が、死を受け入れて気丈に振る舞っている。
ふと、ルフィナの腹部が俺の視界に入った。
先ほどベッドから起きようとしたので、シャツがめくれ、お腹が剥き出しになっている。
美少女のヘソ出しなんて、普段ならば赤面して直ちに目を逸らすような光景だが、そこにあるのは、痩せこけ、毒々しく紫に変色した小さな腹だった。
「この毒さえなければ……」
この時俺は、特に何か考えがあったわけではなかった。ただ、患部を慰撫するかのように、思わずその腹に触れたのだ。
その瞬間、俺の手に武器が装備された感覚が走る。
「―――え?」
ルフィナの腹に触れる俺の手が熱を帯び、みるみるうちにルフィナの腹に浮かんだ紫色の痣を消していく。
「え? ええっ!?」
「……ご主人様? ……あれ? 身体が急に軽く…… えっ!?」
戸惑う俺にルフィナも訝し気な表情を向けてくるのだが、直ぐにその意識はルフィナ自身の身体に起きた変化の方へと向かった。
ルフィナはガバッと起き上がり、自分の服を捲り上げる。そして、自身のお腹をまじまじと見つめた。
ルフィナのお腹は痩せこけたままだったが、先ほどまで痛々しいほど腹一面に広がっていた紫の痣は綺麗になくなっていた。
「身体の痣が……、毒が、治ってる……」
自分の白いお腹を見つめ、ルフィナが呆然と呟く。
「毒でスキルが発動したのか……? まさか俺のスキルにこんな使い方が……」
さっきの感覚は間違いなくスキルが発動した時のもの。
状況的に考えて、スキル【武器弱化】はルフィナの身体を侵していた毒を"武器"と認識し、その毒を粉々に吹き飛ばした……。
……毒って武器なのか?
まぁ、武器と言えなくはないか。
いや、そもそも武器を装備しないとスキルが発動しないんじゃなかったのか?
毒を装備って、そんなのアリなんだろうか?
それとも、武器を装備という認識そのものが間違っていたということだろうか?
……うーん、わからん。
情報が少なすぎる。
俺は俺で突然の事態に混乱していた。
必死に考えを纏めていると、正面からの視線を感じる。
「……ん?」
視線の主は、腹を出したままの姿勢で固まっているルフィナだった。
いかん、思案に耽るあまりルフィナをそっちのけにしていた。
「……これは、ご主人様が……?」
「あ、ああ。たぶん、俺のスキルが発動したんだと思う。俺もこんな使い方があるなんて知らなかったけど……」
しばらく俺のことを呆然と見つめていたルフィナだったが、次第にその大きな瞳に光るものが溢れ始めた。
「……わたし、もうダメかと……ぐすっ……。死ぬんだとばかり……、ぐす……う、う」
ルフィナは嗚咽を漏らしながら、肩を震わせている。
「それを……ご、ごしゅじん゛さ゛ま゛……ぐすっ ……ありが、と……、っ、ござ…… う、うああああああ!」
感極まったルフィナは、大声で泣きながら俺の胸に飛び込んできた。
「ルフィナ!?」
近い近い!
ルフィナさん、ちょっと待ってよ!
コレどうしたらいいの?
中学生の慰め方なんて知らないよ!
ちょ、やばい、なんか柔らかいし!
パニック状態の俺の胸中など知る由もなく、ルフィナは俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。
「うう、怖かった……ぐすっ……」
心底安堵したようなルフィナの声色に、混乱していた俺の頭もスーっと醒めてくる。
「……大丈夫。もう大丈夫だよ」
ルフィナの頭を撫でつつ、俺はそう声を掛ける。
(色々疑問はあるが、今はルフィナが無事に治ったことを喜ぼう)
そうして俺は、ルフィナが落ち着くまで、しばらく彼女を慰め続けた。
――――
同時刻。王宮。
「まったくリチャードめ。せっかくあの無能を【聖魔法】の勇者様から遠ざけたのに、余計なことをしよって……」
報告を聞いたドノブ宰相は忌々しげに呟き、そして、手にしていた赤いワインをグイっと飲み込んだ。すると、脇に控えた側仕えの男がすぐに近寄り、空になったグラスに新たなワインを注ぐ。
人払いを済ませた宰相の執務室にいるのは、ドノブ宰相と側仕えの男、そして彼らの目の前で跪く壮年の騎士の三人だけだ。
本日の午前中に追放した無能勇者が、再び午後に王宮に姿を現した。そして、リチャード近衛隊長の立会いの下、【聖魔法】の勇者であるユズカ・カタギリと会見したという。
そんな報告が、目の前にいる宰相の息のかかった騎士から齎された。
「……とはいえ、あまり大袈裟に動くこともできんな……」
ドノブ宰相はしばらく思案すると、報告に来た騎士へと指示を出す。
「門兵に通達せよ。次にあの男が現れたら勇者様は探索のため外出中と伝えるようにな」
「はっ」
「それと、手紙やプレゼントなど何か贈り物を持ってきた場合は、まずこちらに持ってくるように伝えよ。私から直接勇者様に渡すとな」
「はっ」
ドノブ宰相からの指示を受け取った騎士は、恭しく礼をして執務室を後にする。
「当面はこれで凌げよう。その間に……」
ドノブ宰相はそう呟くと、脳内で今後の行動を思い浮かべる。
その口元に下卑た笑みが浮かんでいた。
取り敢えず、一区切りです。
10万字を目処に章分けする予定ですが、おそらくここで第一章が終わりになります。