Ich vergesse nie unser erstes Treffen.
私たちが初めて会ったあの日を忘れはしない。
悲劇は何時だって予想もしていないときに訪れるものである。
だからこそ悲劇は悲劇足り得るのだ。
悲劇に道理などありはしない。
それでも思わずにはいられないのだ。
なぜ悲劇に見舞われたのは自分だったのだろうかと。
左様!左様!!
すべての悲劇は我が手中より生まれ出るものである!!!
《そのように汝らが定めたればこそ!!》
それはスポットライトの下でくるりくるりと回る道化師のように両腕を広げ声高にこの世すべてから集め取ったような悪意を言葉の端々に滴らせながら笑い声を上げる。
《我はありとあらゆる悲劇に喝采を叫ぶ者!!汝ら欺瞞なりし大いなる偽善を掲げ弱者をいたぶる者が産み出した《悪》そのものであると知るがいい!!》
どろりと泥炭のような黒い涙を溢れさせながら、骨が軋むほどベルンシュタインの腕を握るソレに彼女は貴方は何者かと叫ぶ。
《我は勇者。》
かつて魔王なる者の討伐を成したるゼーゲン・クロイツ王国建国王ディアマント・ユーヴェレン・フォン・クローネなり!
《――――恐れよ、汝らが信奉せしものに無惨に外套を汚す塵芥を払うがごとく殺されゆくことを!》
かつて私は日本という国で平凡に生きていたごく普通のOLだった。
そんな私の日々の楽しみは新発売された乙女ゲームの『花の誓い、石の囁き』というゲーム。
他の乙女ゲームに比べて確りと作りこまれた美しい世界観が気に入っていた。
勿論攻略キャラクターも魅力的であったこともお気に入りであった理由ではあるのだけれど。
特筆すべきことは『花の誓い、石の囁き』にのめり込んでいたということだろう。
なぜならゲームをしている間だけは辛い現実を忘れることが出来たからだ。
幼い頃に離婚した両親には邪魔者と見なされ家に身の置き場がなかったことから高校卒業後は早々に家を出て上京して一人で生きてきた私は何時も独りぼっちだった。
せめて勤めていた会社に気のおける同僚でも居たらマシだったのかもしれないが昔から要領の悪かった私は会社でも悪い方向に要領の悪さを発揮し顔にこそ出されないが酷く疎まれていたことを知っている。
自分でも要領よく生きれないことを恨んだりしたけれど。
それでも真面目に働き続ければ何時か私のことを認めてくれるんじゃないかって。
信じて。
信じて信じて。
信じて信じて信じて。
信じて信じて信じて信じて信じ続けて願い続けてたけれど。
本当は分かっていたんだ。
そんな日は私が私である限り来ることはないということぐらい。
だから私とは正反対の『花の誓い、石の囁き』の主人公に憧れたのだと思う。
乙女ゲーム『花の誓い、石の囁き』は神魔大戦と呼ばれた戦いから百年後の世界で数多の戦士を率いて大戦の幕引きを担った勇者の一族が治める始まりの国ゼーゲン・クロイツ王国にある王立ブルーメ学園を舞台に七人の攻略キャラクターと時に剣と冒険を交えながら恋愛を繰り広げる物語だ。
主人公は下町暮らしの少女シュトゥルムフートが病で母親を亡くしたあと貴族の隠し子であることを知らされ慣れない貴族社会に翻弄されながらブルーメ学園に入学し。
数多の勉学に励みながら攻略キャラクターと出会い出自で時に反目したり逆に親しみを持たれながら努力してキャラクター達と愛を育み学園卒業と共に攻略していたキャラクターと結ばれるようになっている。
なによりシュトゥルムフートはふわふわとわたあめみたいな薄紫の髪に濃い青の瞳をした美しい少女の姿をしていた。
まるで目立つものなどなにもない私とは大違いで。
「私もシュトゥルムフートみたいな見た目だったらみんなに好かれたのかなぁ。」
シュトゥルムフートが攻略キャラクターに好かれるのは見た目だけではないことは分かっているが、彼女の見た目は言わば私にとって愛されるということの象徴だったのだ。
ないものねだりほど虚しいことはない。
それでもシュトゥルムフートのような少女になって人に愛されるという夢想を抱きながら日々を過ごしていたある日のこと、私に転機が訪れる。
通勤中のこと乗っていた電車がずんずずんと下から突き上げられるような揺れに襲われた。
慌てて外を見た私の目に映ったのは幾重にも重なりながら空を覆う七色のオーロラ。
あまりにも現実離れした光景に息を飲みながら断続的な襲う揺れに悲鳴が上がる車内のなか立っていられなかった私は鞄を手元から落としながら頭を抱えて必死に揺れに耐えていた。
「お、収まった?」
誰かの呟きに恐怖から閉じていた目を開け安堵の息を溢したとき私が乗っていた電車は先程の大きな揺れで線路からじぐざくにはみ出ていたせいで前から来る電車と勢いよく激突し。
気がついたとき私は二つの電車が折り重なった場所で金属の塊となった電車の屋根に押し潰されていた。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!)
痛い!
じわじわと冷たくなっていく身体に恐怖し間近にまで迫った死を前に私は子供のように泣きじゃくる。
(死にたくない。)
私はまだ死にたくない!
誰にも愛されないままで死にたくはない!!
唯一自由な腕を伸ばし少しでも助かろうと指先に力を込めて引っ掻くも体は少しも瓦礫から抜け出ることは出来ず。
ひたひたと忍び寄る絶望に髪を振り乱してかな切り声を上げた。
けれど助けを求める私の声は誰にも届かない。
目にはいる場所に居るのは既に息絶えた人々だけ。
私も彼らのようにこのまま死ぬのかと震えたとき。
「大丈夫よ!貴女の声はちゃんと聞こえているわ!!」
私の手を掴む人が居た。
綺麗な黒髪をしたセールで投げ売りされていた既製品を身に纏う私と違い仕立ての良さそうなスーツを着た女性が床を引っ掻き過ぎて爪が剥がれた私の手を優しく掴む。
女性の腹部は千切れた金属の手すりが突き破っている。
痛いだろうに死にたくないともがく私を励ますように何度も頷きながら女性は救助はきっともうすぐだからと声をかける。
その声があんまりにも優しかったから。
私はぼろぼろと涙を流しながらすがるように叫ぶ。
「わ、たし!わたしまだ誰にも愛されてない!誰もだれもわたしのことみてくれてないのに死にたくなんかないよぉ!!」
「なら生きなさい!」
女性は叱咤するように私の手を握り締め生きることを最後まで諦めてはいけないのよと額から汗を滲ませながら微笑む。
「それに少なくとも私がいまこうしてきちんと貴女を見ているじゃない。」
「おねーさんはわたしのことみてくれるの?」
「ええ!」
女性の持つ濃い琥珀色の瞳をみながら私は安堵したように吐息を溢したけれど体を傾がせた女性に悲鳴を上げる。
「おねーさん!おねーさん!!やだやだやだ起きて起きてよ!誰か誰かたすけて!おねーさんが死んだら私またひとりぼっちだよ!やだひとりはやだ!もうひとりぼっちはいやぁ!!!」
それが前の私について覚えている最後の記憶。
気がつけばあのシュトゥルムフートとしてゼーゲン・クロイツ王国の首都にある下町で高熱に浮かされながら私はお世辞にも上質とは言い難い木のベッドで横になっていた。
「私シュトゥルムフートになったの?」
割れた窓ガラスに映る少女にぺたぺたと自分の顔を触りながら私は歓喜せずにはいられなかった。
私はシュトゥルムフート。
シュトゥルムフートになったのだ!
きっと私は今度こそみんなに愛されるためこの世界に生まれ直したのだ。
「みんなに愛されるためなら私はなんだってするよ!」
その手始めとして私は父から養育費と称して金を無心し金蔓としてしか自分に関心のない母親を原作のシュトゥルムフートが唯一持つ父の血筋マルモァ・ツー・ヴァイス家から伝わる異能。
《麗しきカンタレラの毒花》で少しずつ弱らせ命を奪うことにした
カンタレラ。
それは特殊な魔術で魔力を結晶化させることで出来る極めて毒性の強いもの。
シュトゥルムフートの父であるマルモァ・ツー・ヴァイス家の男爵が数々の政敵を闇に葬る為に用いられた秘術中の秘術。
「どうして!どうして母であるこのあたしを!あんたを産んでやった私を殺すのよ!?」
「そのことに関してはお母様には感謝しています。」
でもあなたはちっとも私を愛してはくれないじゃないですか。
「私は愛されたいのよお母様。」
「だれがお前のような女を愛するものか!」
寝台の上でびくりびくりと弱々しく跳ねるこの世界での産みの親を見下ろしながら私はただ笑う。
「愛されますわ!だって私はシュトゥルムフートなのだから!」
笑って苦悶の顔で動かなくなった母に背を向けて私は父に接触する算段を考えていた。
原作では母の葬式が終わってから風の噂で彼女が死んだことを知った父がシュトゥルムフートを迎えに来たはずだった。
だが意外にも私が考えていたより早く父は私をマルモァ・ツー・ヴァイス家に招き入れてくれた。
豪奢な屋敷の一室で対面した父は私と揃いの薄紫の髪を後ろに撫で付けた年嵩の男性だった。
「あの女の遺骸を調べさせ驚いたよ。」
お前が我が一族にのみ伝わる《麗しきカンタレラの毒花》を使いこなせていることに。
父だという男爵は見た目こそ端正ではあったが酷薄な性根が滲み出るような薄い唇を歪めて笑う。
「お前のその力を見込んで父の頼みを聞いてはくれないかい?」
私と同じ濃い青い瞳に井戸の底のようにどこまでも真っ暗な悪意で蠢かせる父に私は微笑む。
父が国家転覆を謀る極悪人だろうと構わない。
大事なのはひとつだけ。
「お父様は私を愛してくれますか?」
「私の意のままに踊れるというのならお前が望むように愛してやろうとも!」
そう大事なのは私を愛してくれるかどうかなのだから。
父の願いは王立ブルーメ学園に入学しゼーゲン・クロイツ王国の次期国王であるサフィーアに近づき懇意になり恋人になり子供を身籠ったところで徐々にカンタレラで弱らせ命を奪うこと。
父はゆくゆくは現国王の命も奪うつもりだ。
「それでも構わないわ!だって愛されるためだもの!」
手始めに王家を追い落とすのに現国王の親類であり国王よりも濃い勇者の血筋だというユーヴェレン・フォン・シュヴァルツ家を邪魔だと感じていた父の指示で微量な神経毒で錯乱した使用人に学生服を着せてシュヴァルツ家の嫡子だという少女ベルンシュタインを刃物で刺させた。
更には神経毒に併せて父が私の為に用意したという紅玉の首飾りの魔道具で魅了させて操ったのだが上手くいかなかった。
原作では攻略キャラクターであるサーフィア王子とのルートにのみ王位争いで敵対するキャラクターとして登場するグラナートこと《ユーヴェレン・フォン・シュヴァルツの魔王》が横やりで魅了の魔術が打ち破ったからだ。
あと少し踏み込むだけでベルンシュタインの命を奪えたものを。
土壇場で魅了の魔術が切れた使用人は正気に返り自分の犯した罪に慌てて学園から逃げ出した。
逃げたところで私と繋がりがあることが明らかにならないよう始末されるだけなのに。
それにしてもまさかゲームのなかで王位第一位継承者でありながら討ち滅ぼされた魔族の印である赤い瞳であったことから教会に捨てられ。
度重なる教会の信徒らに虐待され逃げ出した先で見掛けた自分の一族に連なる親子の愛溢れるやり取りに出生を恨み。
自分を捨てた王家を。
なによりもこの世界を恨み復讐を誓いあらゆる策謀でユーヴェレン・フォン・シュヴァルツ家の世継ぎに収まり国家転覆を謀った冷酷無比にして狡猾な魔性のグラナートがたった一人の少女に取りすがり涙を流す姿には驚きを禁じ得なかった。
驚きながら私はグラナートを睨み付けた。
「なんだ···貴方は私が貰えなかった愛を貰えたのね。」
私には分かる。
彼はあのベルンシュタインという少女によって愛されているのだ。
愛されているから彼はあんにも取り乱した。
「そんなの貴方だけズルいわ。」
私を差し置いて貴方だけが愛されるなんて。
そんなこと許せるはずがないじゃない。
だって貴方は私と同じ。
私と同じように誰にも愛されず孤独のなかで命を落とす筈だった貴方がまだ誰にも愛されていない私と違って既に愛されているなんて
胸にグラナートへの憎悪が募る。
鏡合わせのような私達。
でもね出来の悪い鏡像なんていらないわ。
だから私はサフィーア王子に近づく傍らグラナートからベルンシュタインという少女を亡き者にしようと動き始めることにした。
授業の一貫で気性の荒いユニコーンを暴れさせたり父にねだって腕のたつ男達にベルンシュタインを拐わせたりしたが全てグラナートによって退けられ私は歯噛みする。
(どうして上手くいかないのだろう。)
ベルンシュタインの誘拐を失敗した男達をカンタレラで殺しながら私は考えを巡らせる。
「私の力が足りないからなの?」
ならば力が欲しい。
あの男から完膚なきまでに愛を奪いさるだけの力が欲しいと私は密かに学園から抜け出して父であるマルモァ・ツー・ヴァイス男爵取りすがった。
「ならばあんな魅了しか出来ない魔道具よりも良いものをあげようか。」
アレは高いだけの欠陥品だったからなと笑う父に私は頷く。
赤い紅玉の首飾りは使う度に使用者が吸血衝動に駆られるという副作用があった。
お陰で血を手に入れるのに酷く苦労したものだ。
また魔道具の乱用から瞳は本来の色から赤みのある薄紫色に変わってしまった。
「これを使うと良いシュトゥルムフート。」
父が執務机から取り出したのは一本の青い蒼玉が嵌め込まれたタガー。
父はこの短剣を手に入れるため王宮の宝物庫に忍び込むという大罪を犯したという。
(それだけお父様は私に期待してくださっているのね!)
学園に帰った私は自室でうっとりと美しいタガーを見詰める。
一目で見ただけでタガーには強い魔力が内包されているのがよく分かり触れるだけでこれからなにもかも上手く行くような自信が沸き上がるようで私は笑みを浮かべた。
「このタガーの名前は確か《魂喰らい》だったかしら。」
確かに魂が奪われそうなほどに美しいと鞘から抜き放ったタガーの刃に映る自分の顔を見詰める。
鏡のように映った自分の輪郭が波打つように揺れ。
「ひっ!?」
にたりと刃に映る私が赤い口が裂けるほどに笑みを浮かべた。
『お前にこの宝剣を与えよう。』
父の言葉が脳裏を過る。
だがお前は気を付けないといけないよ。
この短剣はこの世にまたとない宝であると同時におぞましい呪いの形代でもあるのだ。
『というのもこの短剣は建国王たる勇者が自害するために使ったものだからだ。』
短剣は末期に勇者が募らせた怨念によりすっかり変質してしまい使用者に多大な魔力を与える代わりに魂を喰らう魔剣となった。
「故にそれを使ったお前は必ず命を落とすことだろう。」
ブルーメ学園の方角から立ち込める黒雲を窓越しに見ながらマルモァ・ツー・ヴァイス男爵は唇を歪めながらほくそ笑む。
「お前は派手に動きすぎたのだよシュトゥルムフート。」
私の言う通りに踊れないものを愛するつもりはない。
「せいぜい私のために多くの人間を巻き込んで自滅しておくれ。」
バキリと空間を砕きながらタガーを中心に滲み出る闇に捕食されたシュトゥルムフートは狂乱のなか叫ぶ。
(また私は死ぬの?)
嫌だ!嫌だ!嫌だ!!
だって私はまだ誰にも愛されてない。
誰にも見向きもされていないのにこんなところで死にたくない!!
「たすけて!いやだやだやだいやいやいやぁ!!たすけてこわいよやだよたすけてたすけておねーさん!!」
迫り来る恐怖に泣きながら思わずシュトゥルムフートがすがったのは。
サフィーアでもマルモァ・ツー・ヴァイス男爵でもなく。
あの始まりの日に彼女の手をとった女性だった。
授業中に学園全体に響き渡った何重もの悲鳴にベルンシュタインは驚きながら不意に過った嫌な予感に胸を握り締めた。
「どうかしたのかいベル?」
「いま呼ばれたような気がするの。」
突然隣り合った机に座る友であるローザの案じる声にベルンシュタインは困惑しながら答えながら立ち上がる。
「行かなきゃ。」
だって確かに私に向かって助けを求める声が聞こえたのだからとベルンシュタインは止める声を振りほどくように教室を抜け出した。
「待って!そっちに行っちゃダメだベル!!」
廊下は何かに怯えて逃げ出す学生で犇めきあい混迷をきたしていたがそれでも流れに逆らうようにベルンシュタインは震源地に近づき
変わり果てたシュトゥルムフートを見つけることになる。
辿り着いたのは女子寮の一室。
荒れ狂う嵐に見舞われたように破壊された部屋のなか。
『『『おおぉおおおぁああああうぁあああ!!!』』』
年頃の女子生徒らしい調度品の置かれていたはずの部屋にはコールタールのような粘性のある黒く蠢く闇が煮凝っていた。
闇のなか骨が噛み砕かれる音を出しながら喘ぐシュトゥルムフートの姿にベルンシュタインは目を見開いた。
「それ以上それに近づいてはいけないぞベルンシュタイン!!」
騎士科の生徒を多数率いて駆けつけたグラナートが部屋に入ろうとしたベルンシュタインの腕を掴む。
「グラナート!」
間に合ったかと思わず安堵の息を溢したグラナートにベルンシュタインはあれは一体なんなのだと問い掛ける。
「それは俺から説明させて頂きたい。」
騎士科の学生に道を譲られながら現れたサーフィア王子と臣従アゲートは手短に王宮の宝物庫より謂わくつきの宝物が盗まれたことを語る。
「問題はそれが長年に渡り王家が公に秘した超弩級のブラックボックスであるということです!」
「決して表に出してはいけない王家の恥部さ。」
苦虫を噛み潰したように語るサフィーアにグラナートは要するにその宝物を取り戻すべく僅かな魔力の痕跡を辿りこの女子寮に行き着いたらしいと肩を竦めた。
「まったく文献通りの禍々しさだな!」
軽口を叩きながらも顔色を悪くさせたたまサーフィアは蠢動する闇を睨む。
そのとき一際大きく鳴り響いた咀嚼音に顔を部屋に向けたベルンシュタインは闇の中から手を伸ばすシュトゥルムフートに気づく。
「た、すけておねーさん。」
その声にベルンシュタインの脳裏に過ったのは遠い記憶。
必死に生きたいと悪夢のような事故現場で叫んでいた幼げな誰か。
「ベルンシュタイン!?」
「行ってはダメだ義姉上!!」
理性ではこれが危険なことだというのは分かっていた。
分かっていたのにベルンシュタインは自分を止めることが出来なかった。
闇のなかもがくシュトゥルムフートの手を掴み彼女は微笑む。
「大丈夫よ貴女が探している私はここに居るわ。」
もうシュトゥルムフートは顔も半分しか残って居なかったけれど。
安心したように笑っておねーさんと呟く。
「おねーさんだけだったの。」
私をちゃんと見てくれたのはおねーさんだけだったからとシュトゥルムフートは子供のように笑う。
「あのね私ね。」
ただみんなに愛されたかっただけなんだよ。
でも失敗しちゃったとそう言ってシュトゥルムフートに闇は大きく覆い被さり。
ぼきりと噛み砕かれる音だけを残してベルンシュタインの目の前でシュトゥルムフートは命を落としたのだ。
「シュトゥルムフートさん!!」
思わず蠢く闇に手を伸ばしたベルンシュタインの手を白い手が掴む
シュトゥルムフートが生きていたのかもしれないと期待を抱いた彼女を裏切るように手は筋ばった男のもので。
徐々に手から順繰りに肘が現れ二の腕が浮かび。
衣服で飾られることなく晒された逞しい半身を辿りベルンシュタインは思わず息を飲んだ。
《――――まさにいま漸く時は満ちた。》
幾千の魂を喰らい幾億の悲劇を飲み干し漸く我はこの世に再び実体を得たり。
闇より現れたのは恐ろしく整った相貌を持った青年。
艶やかな黒髪を肩に流し切れ長の青い瞳を細めながら笑う彼の相貌は間違いなくベルンシュタインにとって見慣れたグラナートの顔と寸分違わぬものだった。
「貴方は何者なのですか!?」
シュトゥルムフートはどうなったのだと掴まれた腕を引くベルンシュタインにこれは異なことを問うと酷薄に笑う。
《――――アレはお前を殺そうとしたのだよ?アレもお前を殺そうとしなければ魂だけを喰らうだけに留めたものを。》
「どうして。」
どうして彼女を殺したとベルンシュタインは目に煮だつような怒りから涙を浮かばせる。
確かにシュトゥルムフートが悪事に荷担していたことは知っていた
知っていたが彼女が死ぬことを望んだつもりはない!
「生きていれば分かりあえたかもしれない!あんな風に孤独のなか独りぼっちで死んでいくこともなかったかもしれないのに!!」
《――――やはり幾度生まれ変わっても貴女は変わらず優しい。》
「なにを言って!?」
ぎちりと掴まれた手を引き寄せられベルンシュタインは青年の胸に頭をぶつける。
鈍い痛みに顔を上げたベルンシュタインに青年は笑いながら彼女を抱き締め口づけを落とす。
まるで儚い硝子細工に触れるように。
「うぁ!」
「ベルンシュタイン!!」
口づけを落とされたとき焼けつくような痛みに胸を押さえたベルンシュタインをグラナートが引き寄せ青年から離すとすかさずハルバートを振り上げた。
《――――甘い。》
くつくつと笑いながらハルバートを片手で止めて青年はグラナートを嘲笑う。
《――――なにもかもが甘いわ!!》
腹立たしげに青年はグラナートのハルバートを押し退け濃密な瘴気の風を吹き荒らせる。
無数の風によって四肢を深く刻まれたグラナートにベルンシュタインは悲鳴を上げる。
「グラナート!!」
「ッ私は無事だ!サフィーア!ベルンシュタインを下がらせてくれ!!」
「承知しているとも兄上!!」
傷つきながらベルンシュタインを庇うように立つグラナートに青年は憎悪を瞳にたぎらせる。
「闇より出るお前は何者だ。」
戦意を萎えさせることなく紅玉のような瞳を鋭く細めたグラナートに青年は答えることなく嘲笑するよいに口を歪めた。
「教えて貴女は何者なのか!」
痛みに胸を握り締めながら喘ぐように青年を見詰めるベルンシュタインに彼は青い瞳を瞬かせグラナートに浮かべていた笑みとは異なる優しげな微笑みを彼女に向ける。
「貴方がこの悲劇を引き起こしたというのですか?」
《――――左様!左様!!すべての悲劇は我が手中より生まれ出るものである!!!》
我はありとあらゆる悲劇に喝采を叫ぶ者!!
汝ら欺瞞なりし大いなる偽善を掲げ弱者をいたぶる者が産み出した《悪》そのものであると知るがいい!!
《我は勇者。》
かつて魔王なる者の討伐を成したるゼーゲン・クロイツ王国建国王ディアマント・ユーヴェレン・フォン・クローネなり!
「お前があの勇者だというのか?」
呆然と呟いたグラナートにディアマントは愉しげに笑い声を上げた
《――――恐れよ汝らが信奉せしものに無惨に外套を汚す塵芥を払うがごとく殺されゆくことを!》
まるでスポットライトを浴びた道化師のように両腕を広げながら言葉の端々に滴るような悪意を隠すことなくディアマントはベルンシュタインに優しく微笑う。
《――――そして貴女こそ我が討ち滅ぼせし魔王なる者であり。》
我が最愛の妃なれば。
目を見開いたベルンシュタインの胸を指差したディアマントに併せ彼女の胸が一際強く痛みに疼く。
声を殺し痛みに呻くベルンシュタインにグラナートはまさかと彼女の学生服をゆるめ胸元を開き絶句する。
「これはまさか隷属の所有印?」
《――――我が妃に左様な下賤なものをこの俺がつける訳がないだろう。》
黒い荊に囲まれた薔薇の紋様にディアマントはこれなるものは自分と彼女を結ぶ呪刻の印と笑う。
《――――今度こそ死ぬときも貴女と共にあれるように。》
「ふざけたことを!貴様なんぞにこの私がベルンシュタインを大人しく渡すとでも思うか!!」
一瞬の隙をつきディアマントの首を跳ね飛ばしたグラナートに彼は落ちた首を腕に抱えて笑いながら瘴気を纏う。
《――――ならば西の果てにある魔大陸まで呪いを解きに来るが良い。》
魔大陸。
それはかつて魔族が治め勇者により封じられたとされている呪われた大地。
《――――もっとも汝らが辿り着くよりも早く呪刻の印が彼女を蝕むことだろうがな。》
彼女を悪戯に苦しめたくなければ大人しく俺に渡すことさ!
瘴気を渦巻かせながら笑って部屋を破壊して黒雲のなかに飛び去っていくディアマントに追撃すべく魔法陣を展開したグラナートを焦りを滲ませたサーフィアの声が引き留める。
「待てくれ兄上!義姉上の様子がおかしい!!」
ぐったりとちからなく横たわるベルンシュタインを抱き締めグラナートはよくも彼女をと激しいまでの怒りを募らせる。
「グラ···ナート。」
「ベル!!」
私は大丈夫だから心配しないでと怪しく明滅する呪刻印に併せて襲ってくる痛みに耐えながらグラナートの頬を撫でるベルンシュタインを抱き締めながら奪われて堪るものかと腕に力を籠めた。
これを機にベルンシュタインとグラナートは王家が長年に渡り隠し続けた勇者のもうひとつの物語を知ることになることになる。
「今こそ王家に代々伝わる勇者の本当の物語を語ろう。」
すべては勇者が魔族を統べるという一人の少女。
魔王なりし者と恋に落ちたことから始まっていたんだ。
「だがそれこそが勇者の身に起きた悲劇の始まりでもあったとされている。」
それにより魔大陸で魔王として君臨する勇者ディアマントとの戦いに身を置くことになることを二人はまだ知らずに居たのである。
前回からかなり間が開きましたがこれにて第一部は完結です。
体調の悪さや家族の介護など色々ありなかなか執筆が出来ませんが少しでも楽しんで貰えたら幸いです。