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Wer anderen eine Grube gräbt, fällt selbst hinein.

墓穴を暴く者はそれが自らの墓穴であることを知らない。

背中には壁が真正面には明らかに風体がよろしからずな柄の悪い数人の男達が口元を歪めながら自分を見詰めて笑っている。


「さあ、大人しく胸元に抱えるそれを渡して貰おうか!!」


そうして声高に告げる男達を見ながら昨日の今日でまた事件に巻き込まれるとは普通は思わないわと胸に抱えた小さな蝙蝠を抱え直してベルンシュタインは痛む額を押さえながら呻いた。






誘拐事件以降騎士団の事情聴取などで騒がしかった学園が平時の静けさを取り戻したある日のこと。


女子寮の一室にて和やかな朝食が正に行われようとしていた。


(目の前のテーブルには焼きたてのパンと薫り高い珈琲があって実に理想的な朝だ。)


それはまだ良いとローザはテーブルに着くと見慣れた姿があることに顔をひきつらせ此処一応女子寮だよねと確認し息を吸い込んだ。


「――――女子寮なのにどうして普通に僕達の部屋で君が一緒に朝食を取って居るのかな!?」


「ベルの顔を見に来たついでにな。」


驚愕そのままに叫ぶローザにグラナートは至極当然のように軽い調子で告げると珈琲を優雅に口に含み新聞に目を通す。



「女子寮の警備ってもしかしてザルか何かなのかい?」


「そこは気にしたら負けよローザ。」


項垂れるローザにベルンシュタインは割りと彼って前からこんな感じだったからと告白以前とあまり変わりがないグラナートに苦笑を溢した。


「さあさあ、一日の始まりは良き朝食から。」


ベルンシュタインはエプロンを外し目玉焼きを乗せたプレートをローザに差し出すとご飯にしましょうと笑うと彼女の言葉を合図に三人は席に着くと朝食を揃って取ることにした。


半熟の玉子の黄身をナイフで割り一緒に焼かれたベーコンと絡ませ口に運ぶとローザはところでとグラナートに話を振る。


「そういえば君って良く冒険者ギルドに行くみたいだけど目的でもあるのかい。」


授業の一貫にしては多い頻度だと告げるローザの言葉に彼はあっさりと目的は金だと言い放つ。


「君って奴は割りと顔に見合わず身も蓋もない明け透けな言い方するよね。」


「毎度のことだが顔は関係ないだろう。」


目玉焼きに塩を振りながらグラナートは貴族社会によらない人脈作りもギルドに出入りする理由ではあるがなと付け加えた。


「それにしても話だけなら聞いたことがあったけれど具体的にはグラナート冒険者ギルドではどんなことをしているの。」


興味深々で琥珀の瞳を輝かせるベルンシュタインにグラナートは苦笑を溢して薬草集めに始まり未知の迷宮攻略から魔獣退治までだと例を挙げて数え上げた。


「時には傭兵紛いなこともするが簡単に言ってしまえば街の雑用係を担うのが冒険者ギルドだ。」


学園内での誘拐事件の一件から学園の安全性を確認するまでは授業が停止していることもあり今日もギルドに行く予定だと口にした彼にベルンシュタインとローザは顔を見合わせた。


「確か今日までは通常授業がなかったよねベル!」


「特に課題も出ていませんし時間は有り余っていますわね。」


その二人の顔にありありと浮かぶ好奇心の色に少し早まったかとグラナートは珍しく首を傾げてみせた。





「いやぁ、城下町だけあって活気があるねベル!!」


賑やかな城下町の居抜き通りを前にして興奮冷め止まないローザにベルンシュタインは声を弾ませて首肯を何度も返した。


「賊に誘拐された時は真っ暗闇で何も見えなかったけれど。」


こんなにも城下町は活気に溢れた街並みだったのかと犇めき合う露店や行商人の姿に流石王都だと彼女は目を輝かせた。


しかしあまりにも多い人の数に思わず圧倒されたベルンシュタインはたじろぐように傍らに立つ彼の服の裾を思わず掴んだ。


裾を掴まれた感覚に気付き振り返った彼は目立つ容姿を隠すために目深に被った外套の影から柔かな笑みを覗かせると彼女の手を掬い上げて指を絡めた。


「どうせなら服ではなく此方を。」


(手を繋ぐなんて今までにも何度となくしてきたことなのに。)


どうしてか告白して以来変に彼を意識してしまうとベルンシュタインは跳ねた心臓を誤魔化すように俯くも彼女の心情を正しく把握したらしくグラナートは絡めた手を持ち上げて口付けた


「なんというか、相変わらず二人ともお熱いご様子で。」


そんな二人に生暖かい目で笑ったローザの視線に気恥ずかしさから彼女は身悶えた。


「このままギルドに向かうの?」


話を変えようと彼を見ればギルドの前に先ず市民街の市場に寄ると慣れたようにグラナートは人混みを掻き分けて行く。


不意に声が掛かったのは普段は公園だという青空市場に足を踏み入れた時だった。


「おやまあシュバルツの旦那が別嬪の娘さんを二人も連れていなさる。」


声の主は恰幅の良い肉屋の主人で笑いながらグラナート達を店へと手招きしてくる。


「もしかして別嬪って僕達のことかい?」


嬉しそうに頬を掻いたローザにグラナートはどうやら肉屋の親父は随分と目が悪くなったらしいなと間髪入れずに笑った。


「君は本当ベルが絡まないと口が悪いよね!?」


猫の子のように髪を逆立てるローザを宥めながらベルンシュタインはグラナートに喧嘩しないのよと苦笑を溢すと彼はただ肩を竦めて見せる。


「いやはや益々持って珍しいねぇ。」


三人の会話に肉屋の主人は噴き出し旦那が誰かと軽口を叩くなんて団長以外で初めてみやしたよと物珍しげに頬杖をつく。


「今日もギルドの依頼を受けるのなら日持ちする干し肉を買っていきますかい?」


そう言って差し出された燻製肉にグラナートはしかし首を横に振る。


「いや今日は顔見せに行くだけだからな。」


それに頷きながらも珍しげに彼女達を見る肉屋の主人にベルンシュタインらが首を傾げると先の言葉通り此処にはヴォルフガング以外とは来たことがないから私が奴以外の人間と来たのがよっぽど物珍しいのだろうなと彼は嘆息する。


「ヴォルフガング団長が良く此処に来るのかい?」


耳をピクリと反応させたローザに古くから王都で店を出している為に街全体に顔が利く肉屋に何かと騎士団であるヴォルフガングが顔を見せるのだとグラナートの変わりに肉屋の主人が言葉を継ぐ。


「そう、なんだ。」


ヴォルフガング団長と呟き微かに耳の先を赤らめたローザにベルンシュタインは小さく首を傾げた。


それから肉屋の主人は思い出したように旦那の耳に入れたいことがあると最近の街の様子を話始める。


「旦那はアルビオン帝国で内紛があったってことは知っていなさるかい。」


「――――···アルビオンで内紛が?」


こいつは行商人から聞いたことだが植民地での利権争いで帝国貴族の間で内紛が起こっているらしい。


「その煽りを受けて三週間前から南の商業国家ソルフを経由してゼーゲン・クロイツ王国に逃れてくる帝国の民が多数出てきているですよ。」


それだけならまだ良いんだがそうした難民の中で傭兵崩れの暴漢が紛れ込んでいるらしく王国各地で傭兵崩れによる犯罪が問題になっていると肉屋の主人は付け足した。


王都でも矢張三週間前から傭兵崩れと思しき物々しい格好の連中が宿屋の代金を踏み倒したり酒場に出入りしては誰彼とな喧嘩を売っては無法の限りを尽くすようになったと肉屋の主人は言葉を切り此処だけの話だがと声を潜めた。


「確か傭兵崩れが王都にまで姿を見せるようになった頃から真夜中に出歩いているとまるでお伽噺の吸血鬼にでも血を吸われたみたいに首筋から血が抜かれるっていうなんとも奇妙な事件が起きるようになりましてね。」


騎士団は傭兵崩れの犯罪の線で動いてはいるものの何分被害者全員が薬を嗅がされたか魔術を掛けられたか事件直後の記憶が曖昧だとかで犯人の目星が付かず捜査が難航しているという。


「ただ中には勇者に滅ぼされた魔族の祟りなんじゃないかって噂する街の連中もいるんですよ。」


間の悪いことにその噂は王宮の上層部の耳にまで入ってしまい噂の火消しを速やかにせよと騎士団はかなりの圧力を掛けられているらしいとも肉屋の店主は神妙に話を結んだ。


(アルビオン帝国の内紛に傭兵崩れの犯罪と王都での吸血事件)


前者二つはまだしも後者の関連性は薄いとは思うがいずれの出来事も此処三週間の内に間を置かずに同時期に起きていることが気にかかる。


「それにしても吸血鬼とは随分と埃を被った伝説を持ち出されたものだ。」


神魔大戦において勇者によって滅ぼされた魔族である吸血鬼が数百年を経て王都で猛威を奮うなど。


(それが本当の話であれば勇者の血筋である王家にとっては面白くない話ではあるな。)


今更王家などの威信が傷つこうとも私には興味など然程も感じられはしないのだが。


「どうかしたのグラナート?」


難しい顔をしているとそっと彼の袖を引いたベルンシュタインの頭を撫でながらグラナートはギルドに行く前にもう少し寄り道をする必要が出てきたと目を細めた。


(王家がどうなろうと知ったことではないが罷り間違ってベルに災いが振りかかってはいけないからな。)


少し更に詳しく情報を得る必要があると銅貨を幾らか肉屋の主人に噂話の代価を払うとグラナートは更に市場の奥へとベルンシュタインらを連れて向かい煉瓦造りの建物に入る。


「ヴォルフガングは詰所に在駐か?」


煉瓦造りの建物騎士団の詰所であり誘拐事件以来学園で良く見掛けるようになった騎士団員の姿がそこかしこにあった。


「珍しいなお前から騎士団の詰所に顔を覗かせるなんて。」


受付から話が伝わったのか直ぐに詰所の奥から顔を覗かせたヴォルフガングはグラナートと彼の傍らに立つベルンシュタインとローザに気づき隻眼を瞬かせた。


ヴォルフガングにその節は大変お世話になりましたとベルンシュタインは苦笑を溢すと押し黙った友人に首を傾げる。


「ローザ?」


その声でローザは慌てて緊張したように身を硬くしながらもヴォルフガングに覚えていないかもしれませんがお久しぶりですと淑女の礼を取る。


柔らかに紺碧の隻眼を緩めるとヴォルフガングはおどけて胸元に手を当て一礼すると確かローザだったよなと口角を上げた。


「こんなにも麗しいご令嬢を見忘れたりなんかしないさ。」


その言葉を咀嚼するや頬を上気させるローザにもしかしてとベルンシュタインは彼女の耳元に手を添えてローザはヴォルフガング団長が好きなのかしらと微笑んだ。


「そ、そんなんじゃないよッ!!」


泡を食ったようにローザはただ昔から騎士団に所属している兄様から話を聞いて僕が勝手にヴォルフガング団長に憧れているだけでと顔を真っ赤にして狼狽えた。


何事かを話し合うベルンシュタインとローザを目の端で捉えながらグラナートは少し聞きたいことがあるとヴォルフガングを外に誘う。


丁度職人街を巡回しに行く予定だったというヴォルフガングはそれでわざわざ街まで出向いてまで俺に聞きたかったことはなんだと顎を擦る。


「最近街で多発している事件についてお前の話が聞きたい。」


職人街に立ち並ぶ露店の軒先から見える細かな装飾の髪飾りや首飾りに美しく染め上げられた染め物を覗くベルンシュタインとローザの後ろを歩きながらグラナートは話を切り出す。


その言葉に辺りの雑踏に声が紛れるように低めながらアルビオンから難民が来ていることは知っているなと確認するヴォルフガングに一見して関連性が見えないがどうもきな臭いとグラナートは頷いた。


「それにしても傭兵崩れか。」


傭兵といえば戦になるとその都度ごとに雇われ戦が終わればそこで雇用契約は失効し傭兵は次の戦へと赴くもの。


だが大概の傭兵が往々にして荒くれ者である為か平時においては無用ないさかいを良く起こすとして近頃問題視されていた。


「下手に武力がある分、連中さ一般市民が相手するには些か分が悪い輩だからな。」


そう吐き出すように告げるヴォルフガングに騎士団で現場を押さえたかと聞けば彼は苦虫を噛み潰したように全て取り押さえる前に逃げられたと口惜しげに首を振る。


「原則として犯行現場を押さえない限りは例えどんなに疑わしかろうとも騎士団は相手を拘留することも出来やしない。」


良くて事情聴取が関の山だと頭を掻きヴォルフガングは巡回の数を増やすのが精一杯だと眉間を押さえた。


「お陰で騎士団は人員が足りなくてな、お前に頼まれていた例の刺青の調査だが時間がもう少し掛かりそうだ。」


本当なら三週間前には粗方調べ終わっているはずなんだがな。


ヴォルフガングの言葉に弾かれたようにそれは確かなことかと声を荒げた。


「ああ、それが一体どうしたって。」


まさかとヴォルフガングは気色ばみ全て繋がりがあるとでも言うのかと眼を見開いた。


「アルビオン帝国の内紛も王都での傭兵崩れの犯罪も全て三週間前を契機にして起こっている。」


偶然と捉えることも出来なくはないがそこに何者かの手引きがなかったなど果たして言い切れようか。


「となれば騎士団の捜査体制を見直す必要があるな。」


その話が本当ならば個々の犯罪は何者かに手繰すね引かれた大規模な犯罪ということになる。


だが目的が分からないとヴォルフガングはグラナートを見る。


「アルビオンに内紛を起こし王都で犯罪を陽動してまで例の件に関する調査を妨害する必要がある?」


「そうまでしてまでも探られたくないことがあるのだろう。」


いずれにしても詳しいことは一旦騎士団の詰所に戻ってからだなと天を仰いだヴォルフガングに頷いたところで焦りを滲ませたローザの声が二人の耳に飛び込んで来る。


「ベルを、ベルを見なかったかい!?」


グラナートが顔を上げた先には居るべき筈の姿がどこにもありはしなかった。


「――――···ベルンシュタイン?」





雑踏の中で目に飛び込んで来たものに彼女は思わず後先も考えずに友から離れて駆け出していた。


「良かった翼の骨は折れてないみたい。」


道行く人の足下で小さく身体を震わせていた一匹の蝙蝠を両手で包みながらベルンシュタインは安堵の息を吐き出した。


彼女の手の上で不思議そうに蝙蝠は首を傾げ鳴き声を上げる。


白にも見える珍しい銀毛の蝙蝠は固く閉じた目を彼女に向け鼻を鳴らすと大きな耳を側立てる。


「こんな街中にも蝙蝠はいるのね。」


よくよく見れば蝙蝠の身体には幾つもの刃物で切られたような傷があり傷から滲みだした血の名残りが折角の銀の体毛を汚していた。


彼女はとりあえずはと水の妖精を呼び出してハンカチを濡らすと傷に障らないように注意しながら拭いていく。


そうすれば痛々しい傷は残るものの蝙蝠の銀毛は日の光を柔かに反射するようになりベルンシュタインはこれでよしと蝙蝠の頭を撫でて笑う。


指先でうりうりと蝙蝠を撫でていると蝙蝠が固く目を閉じているのがこびりついた血のせいであることに気づき再度ハンカチで拭うとパチリと目が開かれてベルンシュタインを小さな瞳に写し出した。


「貴方も綺麗な紅い目をしているのね。」


どうやら蝙蝠は片目にも怪我をしていたらしく開かれた目は一つだけだったが痛みは既にないらしく何度か目を瞬かせると鮮やかな紅い瞳で彼女を静かに見詰めぽてりと安心したように両手に横たわる。


「きちんとした治療は学園に戻ってからするとして。」


そこで漸くベルンシュタインは薄々気づいてはいたがと辺りを見渡して友人の姿は勿論グラナートの姿もないことを改めて認識して迷子確定と額を押さえた。


「くよくよしても事態が動くでもなし。」


ベルンシュタインは一先ず騎士団の詰所にまで戻ろうと蝙蝠を胸元に抱えて歩き出すことにした。


暫くして職人街を抜けた先でふんわりと風に乗りこんがりとした甘く美味しそうな香りが鼻を擽った。


辺りを見渡すと一軒の屋台が人の列を往来に作り出している。


「そう言えばもう昼時になるのね。」


すぴすぴと胸元から頭を出して匂いを嗅ぐ蝙蝠に釣られていそいそと列に向かうと屋台ではじゅうっと油を跳ねらせながら少し歪な丸型のものが揚げられていた。


懐から財布を取り出して小銭を用意しながら自分の番が来ると新聞紙の袋で包まれたものを渡される。


「パッと見だと包み揚げみたいだけど。」


代金を払い多くの屋台の客がそうするのを真似て路地の端に置かれた樽の上に座り熱さと格闘しながら一口頬張った。


皮はザクリとした外側に対して中はもっちりとしていて噛じった先からざく切りの蜜をたっぷりと含んだ林檎とカスタードが顔を覗かせる。


ほくほくとした林檎の食感は勿論だが程よいカスタードの甘さが後を引く美味しさになっている。


ふと胸元からの視線に気づき林檎の包み揚げを食べやすいように小さく千切り口元に持っていくと丸い目を瞬かせ首を傾げた


「お裾分けよ。」


(といって蝙蝠に通じるかどうかは分からないけれど。)


良かったら食べて見てと笑えば意図を察したかのように口を大きく開け蝙蝠は包み揚げを咀嚼する。


『――――···【譲渡】システムによる外部からのエネルギーの供給を承認します。』


雑踏のざわめきで蝙蝠から酷く機械的な声がしたことに彼女が気づくことはなかった。






林檎の包み揚げを蝙蝠と分けあって食べ終え改めて詰所に向かうかと毛繕いする蝙蝠を胸元に抱えた時だった。


往来のざわめきが突如として現れた者達により静まったのだ。


煤けた皮鎧に歯こぼれしたナイフを手で弄びながら黄ばんだ歯を剥き出しにした凶悪な笑みを浮かべた男達が辺りを値踏みするように見渡していて往来の人々はそんな彼等から微かな緊張を顔に貼り付けて動向を探るように身を強張らせている。


不意に胸元の蝙蝠が威嚇するように翼をはためかせ高く鳴き首筋の毛を逆立てた。


咄嗟に蝙蝠を手で隠すよりも早く群衆の中の男達はベルンシュタインと彼女が抱える蝙蝠を見咎めるや口角を吊り上げる。


「これはこれはお嬢さん私達の探し物を見つけてくださり感謝申し上げます。」


男達は芝居懸かった仕草でベルンシュタインが抱える蝙蝠を此方に差し出すようにと手を伸ばした。


(彼等はこの蝙蝠の飼い主?)


一瞬ベルンシュタインは蝙蝠を差し出すべきか悩み視線をさ迷わせて男達が持つ歯こぼれしたナイフに着いた僅かな血の痕に気づき咄嗟に後退った。


「申し訳ありませんがお断りさせて頂きますわ。」


威嚇する蝙蝠の身体に着いた刃物で切られて出来たような傷


「貴殿方が本当の飼い主ならばこんなにも蝙蝠が威嚇するとは思えませんもの。」


そう例え飼い主だとしても蝙蝠を傷つけないという確証がない限り渡すわけにはいかないと胸元の蝙蝠を抱え直した。


「大人しく渡しときゃ良いものを!!」


そうしたベルンシュタインの意思を見抜いたのか男達は笑みを削ぎ落とし舌打ちするや距離を詰める。


背中は見せずにベルンシュタインはゆっくりと後に下がると男達の一瞬の隙を突いて素早く身を翻した。


「三十六計逃げるが勝ちですわ!!」


細い路地を幾つも通り必死で逃げ回るも男達は行く先々で待ち構えていたように姿を現し徐々に人の居ない場所へと向かわせ終には彼女を裏路地へと追い詰めると悪辣な笑みを浮かべてみせた。


「しつこい殿方は嫌われますよ。」


行き止まりに追いやられベルンシュタインは壁を背に弾む息を吐き出しながら正面に陣取る男達を睨みつけた。


「さあ楽しい追いかけっこは終わりだ。」


「その前に少しばかりお聞かせ願えるかしら?」


ナイフを構えて近づく男達にベルンシュタインは声を張り上げ蝙蝠を執拗に狙うのは何故だと叫んだ。


男達は顔を見合わせ腹を抱えてゲラゲラとそんなことも知らないのかと笑い出す。


「紅い目をした生き物は教会に売れば金になるからさ!」


「――――なッ!?」


紅い目を持つ生き物は魔性のものだと説く教会は昔から紅い目をした生き物を高値で買い取ってくれるのだと男達は言う。


「買い取って、一体どうするというの。」


男達はさも優しげに神の教えに従ってと首筋に親指を走らせる


それだけで何がなされるかを十分に彼女は理解してしまった。


「――――ッただ目が紅いというだけで何故そこまでされなければならないのですか!?」


蝙蝠を抱えた腕が思わず震え沸き立つ湯に投げ込まれたように身体が熱さを増す。


「例え紅い目を持っていたとしてもそれが魔性である理由にはならないわ!!」


「文句ならば紅い目は魔性だと定めた教会に言えば良い。」


(――――··この男達は教会が定めたというそんな理由で、)


自分達は教会の教えを忠実に守っているだけだと嘯く彼等にベルンシュタインはふつりと糸が切れるような音を聞いた。


(ただ目が紅いという理由だけで――――!!)


「人を傷つけることを良しとする教会の教えなんて糞食らえですわ!!」


ベルンシュタインの脳裏を過ったのは彼女が誰よりも愛すると決めた紅い瞳のグラナートの姿だった。


『エルダーの仔らよビャクシンの門を抜けて現れ出でよ!!』


「呪文の詠唱とはまさか魔術師か!!」


――――我が求むるは全てを飲み込み破却する猛き奔流!!


肩口に集まりだし水塊を男達に差し向けようとした彼女は音もなく頭上に落ちる影に気づき汚れることも厭わずに地に伏せ転がり距離を取る。


「····伏兵なんて随分と卑怯なことをなさるのね。」


蝙蝠を抱えた腕に走った焼けつく痛みに歯噛みすればたばかる地面に赤い染みが音を立てて広がった。


「いやいや戦術的と言って貰いたい。」


背後で男達の仲間と思しき男が彼女の腕を引き裂いた奇妙な針が二つ突起のように着いた金属の輪に舌を這わせて笑い出す。


「丁度血に餓えていた頃だ。」


楽しませて貰おうかと間合いを詰める男達にベルンシュタインはせめてと蝙蝠を胸元から解き放った。


だが蝙蝠は空に逃げることなくベルンシュタインから溢れる赤い血の只中に落ち銀毛を染め上げた。


しかし銀毛が赤く染まったのは一瞬だけ。


唐突に蝙蝠を中心にして噎せかえるほどの薔薇の薫りと銀の霧が渦巻き巨大な風となり視界を奪い去ったのだ。


『採取した血液を鑑定し対象者が種族【ヒューマン】ジョブ【魔術師見習い】個体識別名【ベルンシュタイン・ユーベレン・フォン・シュバルツ】であることを確認しました。』


これより採取した血液から隷属承認プログラムを起動。


『ベルンシュタイン・ユーベレン・フォン・シュバルツを【主人】と認定し主人ベルンシュタイン・ユーベレン・フォン・シュバルツの負傷に伴う自動迎撃プログラムを執行する。』


耳を打つ聞き慣れぬ機械的な音声に眼を見開き顔を上げた彼女が見たのは霧を纏いながら銀色の髪を翻し皮膜のある蝙蝠の羽根を背中に広げ紅い隻眼を男達に固定したまま地面を深く穿つ黒衣の見知らぬ青年の姿だった。


遅れてやって来た破壊音と土煙に咳き込みながら咄嗟に蝙蝠を探すと気配に気付いた青年が歩み寄る。


無表情ながらも恐ろしく整った顔をした青年は身構える彼女に何処か無機質な瞳を向けて膝を着く。


『貴女の思考パターンから【ビーストⅠ型】蝙蝠形態の私を探していると推測します。』


青年の言葉にまさかとベルンシュタインは顔をひきつらせる。


「貴方が蝙蝠だとか言わないわよね?」


『Yes,Master!!』


心なしか嬉しそうに雰囲気を和らげた無表情の青年の背後でナイフを翳すように躍り出た男がいた。


ベルンシュタインは咄嗟に身を屈める青年を腕に庇おうとした


しかしそれよりも早く青年が彼女を腕に抱えると僅か二指でナイフを止め無機質な紅い瞳を光らせレンガの壁に叩き付けたことで未然に終わることになった。


「お前は一体何者なんだッ!?」


明らかに人間技ではない青年の行動に男達は倒れた仲間を引き摺り後ずさる。


『――――···我は神魔大戦にて魔族を統べる者により造られし決戦兵器が一つ銀影の吸血王【ノスヘラトゥ】である。』


青年はそう抑揚を感じさせない口振りで彼等に言い放った。


その意味を彼等が正しく咀嚼するよりも早く翻る影があった。


細身の体躯に背丈よりも巨大なハルバードを手繰り目深に被った外套から底光りする朱色の瞳を覗かせ地を蹴ると一番近くに居た者の懐に入り込みハルバードの石鎚を使い鳩尾と顎に強烈な一打を打つ。


「新手か!?」


そこで漸く新たに現れた彼の存在に気付いた者の鼻先に鋭利なハルバードの先を突き付け低く囁いた。


「――――野犬は野犬らしく精々声高に吠え立てるが良い。」


逃げ出そうとした者を目敏く見るやその軸足を柄で払い倒れた男に躊躇なく喉と腹に踵を振り下ろし。


彼はグラナートは優しげな死神のように男達に微笑んだのだ。


「あー···ちなみに逃がすつもりはないから大人しく騎士団に降って貰おうか。」


凄惨な笑みを前にして戦意を喪失した男達にグラナートの背後から遅れて騎士を多数引き連れたヴォルフガング団長が現れると抵抗の意思を挫くように止めを刺した。


「ベルンシュタイン!!」


瞬きほどの間に起きた事にベルンシュタインが放心していると外套が落ちるのも気にかけることなくグラナートは青年の腕から彼女を奪い抱き締めた。


「貴女から目を放すべきではなかった!!」


抱き寄せられた腕の熱に今更になって恐怖と安堵の涙が浮かぶ


「グラナートごめんなさい。」


自分が迷子になったばかりにこんなことになってしまったと震える声で言えば彼は無言で彼女の肩に顔を埋めて詰めていた吐息を溢した。


「もう私の目の届かない場所に行かないでくれ。」


私の心臓がもちそうにないとグラナートは微笑んだ。


その後意識を取り戻した男達の聴述によれば彼等は王都に流れ着き犯罪行為を働いていた傭兵崩れであるらしく騎士団の詰所にある牢屋へと入れられる運びとなった。


「それで後ろの男は一体何者で貴女とはどういう関係なのか話して貰おうかベルンシュタイン?」


詰所にて事情聴取さながらにグラナートに詰め寄られながらも背中にぴったりと張り付く青年を何と説明すればいいのかとベルンシュタインは頭を悩ませていた。


「そう詰め寄られては話せることも話せないよグラナート。」


諌めるようにローザがたしなめると友達の僕には話せるよねと優しく微笑む彼女にベルンシュタインは北風と太陽かしらと目を遠くにやった。


そんな二人の猛攻に観念したようにベルンシュタインは迷子になったところから蝙蝠を拾い蝙蝠が人間の青年に姿を変えて彼女を助けたことを洗いざらい話した。


「銀影の吸血王【ノスヘラトゥ】か。」


その言葉が偽りではないなら問題だなとローザは頭を抱えた。


首を傾げるベルンシュタインにグラナートは神魔大戦の折に魔王の片腕として多くの神族を打ち倒した者がいたのだと朱色の瞳を細めた。


「それが魔族である吸血鬼の頂点にして君臨者たる銀影の吸血王【ノスヘラトゥ】だとされている。」


さてそんな教会の与太話が真だとして数百年前に終結した大戦の遺物が今更何用だとグラナートは青年を睨みつけた。


『汝らの問いに対して我は否定し訂正を述べる。』


――――···我は銀影の吸血王【ノスヘラトゥ】なり。


しかしそれは初期化される以前の我であると訂正する。


『神魔大戦の終局にて機体の八割を損壊した我は敵方に情報が渡らぬようにと魔を統べる者の手によってあらゆる機能を初期化されたのち時間経過による自己修繕を行うようプログラムされて生命活動を停止した。』


「要するに神魔大戦で死にかけて眠りに着いたら人格が切り替わってたってことかい?」


ローザは青年の話をかい摘まんで問うと是と青年は頷き返す。


『今の時代に合わせれば商業国家ソルフであったか。』


神魔大戦時まで魔族の領地だったという商業国家ソルフにある砂漠の遺跡で自己修繕が終わるまで決して目覚めぬ眠りに着いた筈だった彼はけれども意図せぬ外部からの刺激で目を覚ますことになったという。


青年はゆっくりと閉じていた片目を開き吸血鬼の象徴にして切札たる【魅了】の魔眼を盗まれたが故にと伽藍洞の目を見せた


「魅了だと?」


微かに目を見張りグラナートは魅了の魔眼は持ち主でなくとも力を発揮するかと問い質す。


『吸血鬼のように魅了の強弱の操作や解除は出来ないが発動だけであれば可能である。』


だが本来の持ち主である吸血鬼以外が魔眼を使用すれば強烈な血の渇きを覚えることになるだろう。


「その話は本当か?」


そう締めくくる青年の話を傭兵崩れの男達の事情聴取を終えたとヴォルフガングに伝えると溜め息混じりで通りでと頷く。


「傭兵崩れ達はアルビオンでの内紛の後に酒場で飲んでいた時に金を積まれてゼーゲン・クロイツの王都で犯罪を起こすようにと頼まれたらしい。」


幾つかの指示の中でひとつだけ奇妙なことに若い人間の血を定期的に集めて依頼人に寄越すよう命じられたそうだ。


血を渡す相手は依頼人の使用人だとかで傭兵崩れは血と引き換えに幾ばくかの金を得ていたらしい。


(血に餓えているとか大層な言葉を言っていた癖に実際は金の為と。)


神妙に頷くベルンシュタインに首を傾げながらヴォルフガングはとりあえず傭兵崩れから聞き出した受け取り場所を騎士団で張ってみるがあまり期待はするなと告げた。


「どうせ蜥蜴の尻尾切りよろしく依頼人までは辿り着けないだろうからな。」


そんなヴォルフガングの言葉を背に受けてベルンシュタイン達は学園の帰り道に着いたのだが吸血鬼だという青年は相も変わらずやはり彼女の背中に張り付くようにして着いてくる。


「そう言えば貴方はどうして傭兵崩れに探されていたの?」


『奪われた魔眼の気配を辿った先にあの者らがいたのだ。』


「そうして着いていく内に傭兵崩れに見つかり教会に売られそうになったと。」


でもそれなら人型に姿を変えて傭兵崩れを捩じ伏せれば良かったのではないかと疑問を口にすると主従の契約を交わした者が居て初めて十全に吸血鬼としての力が発揮出来ると首を振った


そういう風にプログラムされたのだと彼は淡々と告げる。


『我は魔族の叡知を集結し人工的に造られた存在である。』


プログラムという制約をつけることにより我という存在を御しようとしたのだろう。


「君の事情はなんとなく分かったけれど。」


それで学園にまで着いてくるつもりかいと成り行きを見ていたローザが躊躇いがちに青年に聞くとベルンシュタイン・ユーベレン・フォン・シュバルツを新たな主と認定したが故にと無表情で頷き返す。


「いや、うんそれは分かるんだけど君をそのまま学園に連れていくには障りがあるというか。」


静かにベルンシュタインの死角でハルバードを取り出すグラナートにローザはどうにかならないかいと顔をひきつらせた


『人型が問題であればビーストⅠ型に形態チェンジするが?』


ぽふりと煙と共に青年は銀毛の蝙蝠に姿を変えベルンシュタインの肩に掴まり身を寄せた。


肩に乗る蝙蝠の小さな頭を指で撫でながらベルンシュタインは

それにしてもと嘆息する。


(身の回りで目には見えない何かがとぐろを巻く気配がする。)


もしかしたら自分が気づかないだけで何かが大きく動き始めているのかもしれないとそんな予感に彼女は身を微かに震わせた。



魔王の(元)片腕が仲間になりました。

同時に存外に根深い問題がこの世界にあることが判明した回でした。


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