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Du machst mich glücklich. 

あなたこそが私を幸せにする。

黒煙を上げながら燃え上がる炎が空気を巻き込んでより大きくなっていく。


―――···こんなにも呆気ないものだったのか。


痩せ細った一人の少年は炎を辿り黒煙に汚れていく空から地へと目線を移すと平時は厳かであろう教会が音を立てて崩れて行く様を見てとり思わず乾いた笑みを溢した。


笑みはしかし震えに変わりやがて身体を折り曲げて狂おしいまでの怒りをにじませた呻きへと転じた。


その崩れ行く教会は少年にとって生まれ時から存在した目に見える牢獄であり世界そのものだった。


例えその牢獄が少年にあらゆる責苦を徒にもたらすだけのものだとしても教会しか自己を隔てる外界を知らない少年にとっては間違うことなく世界その物だったのである。


それが今正に灰塵と帰そうとしていた。


『こんなにも呆気なく崩れ去るものに僕は今まで囚われていたというのか。』


他でもない少年の目の前で地獄がほどけていく。


突き上げた衝動のまま少年は地につき咆哮し流れる熱い涙を拭うことなく炎に飲み込まれていく教会を強く睨み付けた。


手を握り締め爪が割れ血が滲み掴んだ地を汚すことに気づかぬまま少年はこのような道理が罷り通るというのかと吐き捨てた


教会は燃える、そこで少年に行われた教会とは名ばかりの諸々の悪業を一切秘匿したままに。


悪は悪のまま誰に正されることもなく!


(そんなこと果たして許しても良いものか。)


それは少年にとって到底看過することが出来ないことだった。


だからこそ少年は燃え盛る炎の中に自ら飛び込んで行った。


――――全てを焼き尽くす炎に恐れがなかった訳ではない。


だが炎への恐れを凌駕して彼は目前で消え行く悪逆を見過ごすことを何よりも強く畏れたのである。


肌を舐める火の赤い舌よりも、その胸にたぎるような怒りとも憎悪ともつかぬ感情のままに少年は崩れ行く教会の中をひたすらに駆けていく。


形のない罪の証となるべきものを探し、そして悪逆を為したるものを見つけるべく。


何よりも胸の内に渦巻く憤怒を正しく向けるべき相手を探して――――····


やがて少年はまだ火の手が迫りきらずにいた聖堂に辿り着き「それ」を見つけた。


割れた五色のステンドグラスの合間から差し込む微かな光に照らされた白い巨像。


憂いとも喜びともつかぬ静かな笑みを淡く湛えた麗人の体をしたそれは教会で過ごした日々の中で何度となく目にして来たものだった。


白一色の中で唯一色硝子を嵌め込まれた瞳が青く輝きを放ち足下の少年を見下ろす。


その巨像は教会の教えに説かる英雄譚の登場人物にして根幹を為したる者の似姿を象った物であった。


人は巨像の彼の者を指して高らかに謳う。


偉大なるゼーゲン・クロイツ王国の勃興の祖にしてまったき善を為したる勇者と。


その時、少年は自らの憤怒の矛先が定まるのを身の内で感じた


神魔大戦の立役者にして長きの戦いに幕引きを担ったこの男こそが我が怒りを向けるべき者なのだと彼は巨像を睨み据え口角を吊り上げた。


『例え、幾年かかろうとも《私》は僕をこの地獄に突き落としたものに《世界》に仇をなそう。』


その為に私は《僕》に連なる全てを捨てる。


この身を現す忌まわしき我が名を、悪逆の中で積み上げし脆弱なる心を、歩めと押し付けられたる不条理なるこの人生を!!


『全てを炎へ焼き捨て僕は私という人間に生まれ変わる。』


―――···全てはこの身の内に流れし毒の如き血潮に仇なさんが為にッ!!


『この悪逆を生み育てた忌まわしき血を絶やすことで私は私にとっての悪を正そう。』


少年が背にした扉が迫り来る炎に耐えきれずに木っ端と共に熱風が聖堂へと雪崩れ込む。


酸素を求め急激に吹き荒れる風の中で少年の黒髪がたなびき顔を覆う髪に隠されていた瞳を露にする。


まるで炎を閉じ込めたような赤々とした緋色の瞳が痩せぎすな未だ幼い少年には不釣り合いな仄暗さを宿した光を帯びた。


だがそれにさえ構うことなく少年は巨像から目を反らすことなく挑むように見上げ続ける。


――――炎に照らされながら見上げた先に座す巨像の顔は少年の相貌とあまりにも良く似ていた。


かくして因縁は歪ながらに固く結ばれ運命という物語の下地が整うこととなる。


からからと女神が手繰る糸車のごとく少年の運命は流転する。


たった一人の宿命の少女と出会う為に―――――······








空気を割くようなけたたましい音がほの暗い夢から少女を目覚めさせる。


(―――――あぁ、あれは"夢"だったのか。)


だが夢とは何時だって突拍子もないものであるはずだと目覚ましを止めながら少女は先程まで確かに感じていた夢の残り香へと嘆息し夢にしてはあまりにも理路整然としすぎると呟いた。


クレヨンで幼子が描いた深い意味もない、ただ色をあるだけ全て塗りたくったような他愛もなく朝の光の訪れと共に露と消えるものが夢と言うものだった筈だと目を擦り微かに痛む頭を押さえた。


(これも前世を思い出した弊害かしらね。)


「だからかしら、最近は夢見が最悪なのは。」


うっそりとベッドから身を起こし惰性のままに寝間着のまま洗面台に赴き夢の名残りごと洗い流すように顔を勢い良く洗って鏡を見詰めた。


そこには十数年付き合い続ける見慣れた黒色の髪と琥珀の瞳をした色が白いだけが唯一の美点である造作の顔があった。


夢見のせいか薄く横たわる隈にため息を吐き出した。


当然ながら夢で見た緋色の目をした黒髪の少年とは当然ながら似ても似つかない顔だと濡れた顔を手拭いで拭いながら身支度をすべく部屋に戻る。


夢とは記憶の副産物だと言う話を人に聞いたことがある。


だとするならば先程の夢は前世で記憶したことを準った作り物ということになる


(作り物だとしても強ち間違ってはいないのよね。)


勿論細部は異なるとしてもアレは確かに少年のグラナート・ユーヴェレン・フォン・シュバルツという人間の始まりの記憶に他ならないのだ。


勇者の血筋に産まれながら魔性の証を持ったグラナートは首都より遥かに離れた山陰の教会に生後間もない頃より幽閉され幼少期を過ごした。


外界から隔絶されたそこは教会と呼ぶことも憚れる場所であると幼い子供が知ったのは物心がつく頃だったとされている。


清貧を尊ぶべき僧侶は肉欲と傲りにまみれて聖者の顔で悪逆を為し教会で説くべき教えは既に形骸化して久しいことを子供は目の当たりにすることになったのだ。


他でもない我が身をもって残酷な事実を突きつけられたのだ。


勇者の血筋でありながら血に反して魔性の証を見せる子供は俗世にまみれた僧侶にとっては丁度良い贄だったのだろう。


なまじか尊ぶべき血筋の子供を自分の口先ひとつ指先の一振りでどうにでも転がせるという事実は良くも悪くも僧侶の心を至く擽ったらしい。


幼い子供は突きつけられた地獄に抗うことも出来なかった。


自らに降り掛かり身を苛む悪徳は、あって当たり前のものなのだと僧侶らによって刷り込まれて馴らされていたからだ。


何よりも彼は教会しか自分という個と隔てる外界を知らなかったことで正しい物差しで自身に課されたそれらが間違いであることに気づくことが出来なかった。


それでも教会に出入りする人々の振る舞いや書庫で埃を被った教本を読みとくことで悪徳は悪徳と悪逆は悪逆なのだと彼は正しく理解した。


だがそう知ればこそ彼はより苦しむことになる。


例えそれが心ある人が唾棄すべきことでも依然として彼にとっては絶対的なものであったからだ。


終わりの見えない地獄の日々を終わらせたのは一条の黒煙。


身体に出来た無数の傷の治療をすべく教会を抜け出して痛みを和らげる薬草を採りに行った帰りに彼が目にしたのは炎に包まれた教会だった。


音を立てて崩れていく教会に浮かんだ戸惑いはやがて強烈な怒りへと変わった。


炎はすべからく灰塵に帰すだろう。


悪は悪のまま誰にも正すされることなくして無に還ることを彼は到底許することは出来なかった。


だが炎は彼の思惑を知りもせずそこで行われていた悪徳の一切を秘匿するがごとく燃え盛っていく。


だから焼け死ぬ覚悟で業火に包まれた教会に飛び込みそれらの証となるものを探した。


だが全ては遅きに逸した後だった。


なにもかもが燃え尽きていく中で発露した怒りを向けるべき相手を探した彼が見つけたのは己が血の源流たる勇者の巨像。


もしも自分が勇者の血を引いていなければ、或いは勇者などいなければ自分は悪徳の檻たる教会に追いやられることも悪が正されることなくのさばることもありはしなかったのではないか


ふと生じた考えは強く彼の心に根付いて花実を咲かせる。


彼は炎の中で誓いを立てる。


必ず為された悪徳をこの我が身に降りかかった悪逆を正してみせようと。


――――憎き怨敵たる血筋に仇なすことでそれをなさん。


それが言わば彼の復讐の形だったのだろう。


そしてそれが原作でグラナートがサフィーア王子と対峙する背景でもあった。


数々の非合法に手を染めて伸し上がり悪を正すために自らが悪となりながら彼が目指したのは王位を簒奪することだった。


王位を簒奪することで彼は勇者の血筋を絶やそうとしたのだ。


勇者の血があったからこそ彼は苦しんだのだ、その考えは必然的な帰結だったとも言える。


例えその為に血を分けた異母弟を手に掛けることになっても彼は躊躇わなかった。


それが人に言わせれば私怨と指差されることだと知っていても彼は自らを突き動かす怒りを止めることが出来なかった。


何故ならその怒りこそが最初から何もかもを奪われた彼が唯一その手に持ち得たものだったからだ。


それを手放すことなど彼には出来なかった。


なぜならば彼にはそれしか何もなかったのだ。


その怒りさえも結局は相対したヒロインに肯定され異母弟であるサフィーア王子に許されたことで喪うことになるのだが。


そして本人さえも知らなかった望みに気づくことになる。


血筋を恨みながらもその実は血縁の情を望んでいたことを。


そしてたった一人でも構わない。


――――自分も誰かに愛されたかったという小さな祈りを。


(毎度同じ結論に行き着くけれど原作のヒロインや王子は彼を許したりしたのだろうかと考えずにはいられないわね。)


何もかもが奪われた彼から唯一残されたものさえ取り上げて残酷な事実を突き付けた彼等に浮かぶのは憤りだった。


恨ませるだけ恨ませといて最後の最後で最早叶わぬ願いを突きつけるぐらいならば最後まで彼に恨ませてやれば良かったのだ


許しなど中途半端な善意は絶望しかもたらさないのだから。


(そう思ってしまうのは何か間違っているだろうか?)


だってそれでは彼があまりにも救われないじゃないか。


つきりとした痛みと共に熱くぶれる視界に拳を当てて泣くなと私は歯噛みする。


泣いたってどうすることも出来ないのだから。


物語の中のことは変えようたって今更変えられはしない。



(そうとも物語は変えることは出来ない。)


けれども今ある現実だけは変えることが私でも出来るはずだ。


――――例えそれが蝶の羽ばたきほどに微かなものであっても構わない。



(最早躊躇うことなどなにもありはしない、あんな結末をグラナートに迎えさせてたまるものですか!!)


顔を上げ私はその決意のままに部屋を出て歩き出す。


教室や食堂に赴く学生らが行き交う寮と学舎の間にある渡り廊下に差し掛かったところで見慣れたその人と鉢合わせした。


「おはよう、ベル。」


艶やかな夜を束ねた黒髪に微かに翳りのある緋色にも見える朱色の切れ長の瞳が柔かに細まり、麗人然とした端正な相貌にあるかなしかの笑みを浮かべた。


(あー···っと、うん。微笑みひとつでどうしたらこう色気がでるのかしらね。)


朝から心臓に悪いわと妙にどぎまぎしながら見上げると低いテノールが嬉しげに私の名前を紡ぐ。


ただそれだけ、それだけのことなのにひどく胸が締め付けられて仕方ないのはどうしてだろう。


「どうかしたのか、泣きそうな顔を貴女がしているなんて。」


(物語の彼とグラナートが違う存在だということは分かってる)


幼い頃から共に過ごした私がそのことを良く理解しているが。


あの夢は現実と重なるように彼が確かに歩んだ地獄に他ならないということも既に私は知っていたから。


そして私にとっては夢でも彼には紛れもない確かな現実に起こった過去そのものだったということも。


(けれどグラナートを物語の彼のようにはしないと誓った。)


そっと頬に触れたグラナートの手を両手で取り彼を見上げた。


「私、決めたわ。」


常ならぬ私の様子にベルンシュタインと首を傾げた彼に笑みを口元にのぼらせる。


これは私なりの決意表明だ。


彼がなにもかも奪われるというのなら私は私が持て得る全てを共に分かち合おう。


怒り以外にも沢山の愛が、光がグラナートを満たすように。


(きっとその為に私は私として此処にあるだから。)


――――だから、グラナート。


「私は貴方を必ず幸せにするから、何時までもそうやって私の傍でこうしてグラナートは笑っていてね。」


握り締めた手先に力を込めて言い切った私にグラナートはややあって瞳に良く似た朱色で顔を染めた。


「あ、ああ···よろしく頼む。」



途端耳を側立てていたらしき周囲から何故だか大きな歓声が爆発的に上がったことに私は驚きながら首を傾げた。


(あら、何か可笑しなことを私は言ったかしら?)



後に私の発言が所謂プロポーズそのものだったことに思い至り大いに慌てることになるのだがそれはまた別の話である。







――――私の幼馴染みは中々に変わった人だ。


「念のため《情報操作》はしないとな。」


そう雑踏に掻き消えるか否かの声で呟いてグラナートは魔力で編まれた鳥を瞬時に生み出して人混みへと飛ばす。


(あれが上手く情報を撹乱してくれるだろう。)


その行為を魔術に明るい者が見れば卒倒したことだろう。


彼が行なったのは《使い魔》のワンアクションによる発動だったからだ。


通常この世界の魔術は何をするにしても某かの呪文詠唱が付きまとうものである。


魔術とは世界に満ちるマナと呼ばれる無色の魔力を呪文詠唱というトリガーで体内に取り込んでオドという自己の色に変えた魔力を放出することによって発動するというのがこの世界の定義である。


呪文の詠唱は熟練度に応じて短くなるとされており理論上はたった一節の詠唱で魔術を発動することも可能であるという


しかしそれを成し遂げる為には行う魔術の明確な理論と複雑な術の構築式への理解が必要だとされておりそれこそ国家が擁する大魔術師ですら何の反動もなしに行使出来るかどうかは怪しいレベルというのが今のこの世界の常識として通っている。


そうワンアクションでの魔術発動はお伽噺の《魔王》ならば行えるだろうという代物と言えば彼が行なった魔術の出鱈目さが分かるだろうか。


例え出来たとしてそれは未だに青年の域にある彼が修められる代物ではない、ましてや魔術師ですらない騎士見習いの一学生徒が行えるような術ではないのだ。


(見られて痛くない腹を探られても煩わしいからな。)


魔術とは便利なようであり不便なものだと彼女に気取られぬよう痕跡すら残さずに発動した魔術を消し彼は苦笑を溢した。


(だがそれで今度こそ彼女を守れるならば如何なることも労ではない。)


彼女を守るためならば自分はどんなこともしよう。


例えそれが自分自身であってもと私の手を取り穏やかながらも勝ち気な笑みを浮かべる彼女を見詰めた。







――――その記憶が夢として蘇った切っ掛けは成長と共に目覚めた魔力が暴走し生死をさ迷ったことからだった。


自分ではない自分が生まれてから死ぬまでを辿るあまりにも惨憺たる血で彩られた物語を生死の境でさ迷っている間中私は常に見続けた。


突拍子もない夢の話と断ずるには物語の中の《私》は私に似すぎていた。


地獄の淵より這い出るまで自分が感じていたことまでも同じと来ればそれがただの夢ではないことを嫌でも実感せざるを得なかった。


過去だけではなく私ではない私の歩む未来の行き着く先を見た夜に私は熱に茹だる身体を引き摺り彼女の部屋を訪ねた。


グラナートではない《私》という男の記憶で押し潰される前に一刻も早く彼女と会わねばと思ったのだ。


唯一記憶の《私》と異なる関係であるベルに会わなければ私という自己が消えてしまいそうだったからだ。


夢には義父や義母が今はまだ知らぬ周りの大人達が出てきた。


知ってるはずの人間が知らない顔で喋り動き私はそれを嘲りながら笑っている。


誰かを傷つけながらもそれがさも当たり前のような顔をして。


(私は彼奴ではない。)


――――彼奴ではないのに私の手が赤いのは何故だ?


ノイズがかった視界と脳裏に蘇ったのは現実のベルンシュタインより遥かに大人びた女性が私の足下で床に倒れ伏す光景。


青ざめて口元から溢れた鮮血が白い肌を汚し光のない琥珀の瞳がゆるやかに閉ざされていく。


その刹那、瞳が写したのは一体どちらの私だったのだろうか。


「そこに居るのは、グラナート?」


声にならない悲鳴を上げた私を掬い上げたのは隣室だった私の起こす物音で起き出した彼女だった。


寝ぼけながらベルは廊下の壁にすがり付くようにたばかる私を見て何事かを察したのか無言で手を引き自室に招いた。


「些か貴女は不用心過ぎではないか?」


数えで十を過ぎた女性が幼馴染みとは言え男子を部屋に無防備に上げるとはと小言を言うと彼女はなんてことない顔で笑って見せた。


「だって相手はグラナートだもの。」


真っ直ぐに向けられる揺るがぬ信頼に気がつくと私は彼女をきつく抱き締めていた。


そうしている間だけは自分が彼奴じゃないのだと思えた。


私はベルの幼馴染みであるグラナートという人間なのだと実感することが出来たのだ。


とくとくと抱き締めたことで耳に聞こえてくる彼女の心臓の音に波打った心は穏やかになっていった。


それは自分にとってどんな意味で彼女が特別なのかを理解した時でもあった。


そうこうしている内に魔力が落ち着き身体が出来上がったことで剣を稽古するようになると日々の忙しさから来る疲れからかで夢自体を見る頻度は減っていった。


だが夢を完全に見なくなった訳ではない。


何度となく夢を通してもう一人の自分を見る度に私は彼奴でないのだと否定した。


だがいくらそうして否定しても私は日を重ねるごとに彼奴に似てきていることを認めざるおえなかった。


それを拒絶したある夜に何時ものように彼女を訪ねると苦笑を溢しながら読んでいた書物を閉じて肩を竦めてみせた。


「今はもう真夜中よ、グラナート。」


呆れながらも私が訪ねてくるのが分かっていたのが用意されていた温かな紅茶を淹れてくれる彼女を私はやはりお人好しだと目を伏せた。


(だから私なんかに貴女は捕まるのだ。)


「グラナートは座って待っていて。」


生憎と椅子はひとつしかないから貴方がベッドに座ってねとカップを温めるベルに頷き返した。


改めてそうして彼女を見れば出会った頃より幼さが抜け大人びた横顔をしていた。


前々から体格が変わってきたのはわかっていたが夜着の彼女は細く年々彼奴に似た図体になっていく自分と比べて華奢で。


私が触れたならば折れてまいそうな儚さに無性に怖くなった。


「グラナート?」


突然無言になった私に気がついたのか彼女は振り返るとそう呼び掛けた。


「それはどちらの《私》なんだ?」


ふつふつと燻っていた想いが口をついて出たのはそれが初めてだった。


「貴方以外に誰が居ると言うの。」


しかし笑って燻った火種を鎮火したのも他ならぬ彼女だった。


「こうして真夜中だというのに淑女の部屋に断りもなくやって来たり、賢いのに奇妙なことで悩んだり小難しい理屈でがんじがらめになっている幼馴染みが貴方以外にいるもんですか。」


何ごともないように当たり前に理屈という理屈を追い抜いて。


「グラナートはグラナートでしょう?」


「簡単に言わないでくれッ!!」


(貴女は何も知らないからそんなことが言えるのだッ!!)


否定すれば否定するほどその存在を認めざるを得ないもう一人の自分に日増しに似ていく自分は何時か夢見た通りに誰よりも大切で愛しいと感じる貴女をこの手で害するかもしれない。


それは私にとって例え何を犠牲にしてでも忌避すべき未来だった。


「貴方が何を思い悩んでいるかは私には分からない。」


けれどもこれだけは言わせてもらうわと彼女は私から決して視線を反らすことなく笑ってみせた。


「その悩みを受け入れるべきよ。」


「悩みを?」


知らず知らずの内に俯いていた顔を上げた先に待っていたのは揺らぐことなく注がれる琥珀の瞳。


「自分から切り離せない悩みならばそれを自分の一部と受け止めるしかないのよ。」


そうやって自分の一部として悩みを認め――――···


「けれども所詮は一部は一部でしかないんだって笑って、悩みのその先へと歩き出すしかないの。」


(悪夢のようなあのもう一人の自分を認めろと言うのか。)


納得しないって顔をしているわとベルンシュタインは眉を下げて苦笑を溢した。


「正直なところ貴方の悩みがなんであれ私はそれが貴方の一部ならば否定をしたくはない、でも今こうして目の前で悩み苦しむグラナートの為にも全面的に肯定することも出来ない。」


だから私は否定も肯定もしない、ただ受け入れることにする。


「どんなグラナートでも私は貴方を受け入れるわ。」


例えどんな悩みを抱えていようとも貴方が私のかけがえのない大切な幼馴染みだってことに変わりはないのだから。


でもどうか忘れないでね、グラナート。


「一部が全部を飲み込む道理はないということを。」


(ああ、どうして貴女はそう欲しい言葉をくれるのだろう。)


「例えば私が何時か貴女を殺すかもしれないと怯えているとしても貴女は私を受け入れてくれるのか?」


不意に伸ばされた腕に抱き締められる。


「それはつまり私を殺したくないと思ってくれているということよね。」


「随分とポジティブな発想だな。」


言外に殺すと予告されているようなものなのに。


「貴方が意味もなくそんなことをするとは思えないもの。」


私の知っている『グラナート』はそういう人だから。


――――その言葉がストンと腑に落ちる音がした。



(······ずっと私は恐れていた。)


何時か私は夢で見たもう一人の自分になるかもしれないと。


だがどんなに否定をしようと、もう一人の私は消えはしなかった。


(ならば受け入れるしかない。)


受け入れて、その先に行くしかないのだ。


一部は全部じゃない全部が一部でもない。


私は、私なんだと肯定してくれる彼女が居てくれるならば私はもう一人の私が歩めなかった新たな道を行けるかもしれない。


(ああ、それはなんて明るい―――···)


その時、私は夢を通してもう一人の自分を何故垣間見たのか理解した。


「ベル、貴女が居てくれるなら私は他でもない私という人間になることが出来るかもしれない。」


(私はもうあの夢を見ることはないだろう。)


何故ならば道は既に示されたのだから。


(私はきっともう一人の自分が歩めなかった道を行くために。)


彼女と歩む為に夢を見たのだろう。


―――――今度こそ彼女と共に生きていくために。







「―――グラナート!」


遠い記憶が頭を過るままにそのままつい物思いに沈みかける意識を引き留めたのは他ならぬベルンシュタインその人だった。


「ねぇ、私なんか変なことをいってしまったかな?」


彼女にうながされあらためて周りを見渡すと物見高い観衆と化した学生らの好奇の目が集まっていたことに気付く。


それらにたじろぎおもわずといったように私の背中に隠れる彼女を見ながら思わぬ形でかつて誓ったことが叶いそうだと私は肩を竦めた。


「ベル。」


気恥ずかしげに俯く姿と先程の発言が半ば告白染みていたことへと気づかぬ彼女に苦笑を溢した。


聡い彼女はこうしてたまに突拍子もないことを言うから全く変わっているとしみじみと噛み締める。


「なにも、可笑しなことはいっていないさ。」


だがまあ出来ることなら私の口から言いたかったと首を捻り疑問符を浮かばせている彼女の手を取って歩き出すと擽ったげにはにかむように笑う。


ただそれだけ、それだけのことに喜びが込み上げて胸が締め付けられる思いがするのだから。


(ああ、私もまったく重症だな。)


他人事のように呟きそうは言っても今更治そうとも思わないのだがと一人ごちた。



今回は何故魔王さまが魔王となったのかを掘り下げてみました。

なおこの話の別題はチートは横にいる、です。

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