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Du bist mein Ein und Alles.

お前は俺にとっての全てだった。

今でも夢に見ることがある。

この世で唯一愛した女を永久に失ったあの日の夢を。




「っといけない予鈴が鳴ったわね、つい嬉しくて長々と話し込んでしまったわ。」


学舎に鳴り響く鐘の音にそれまで彼と食堂で談笑していた彼女は教科書を片手に立ち上がると貴方も授業に遅れないようにねと念を押した。


「あとそれから、」


「必ず終わった頃に迎えに行こう。」


先回りして彼女が何事かを告げるよりも早く言葉を言えば彼女は額に手を当てて唸るように項垂れる。


「あのね、入学式の件で心配をかけたのは分かるけれど私は一人でも大丈夫だから。」


貴方がわざわざ授業が終わるごとに送り迎えをしなくったって平気よと呆れたように笑う彼女にグラナートはしかし首を振ることで答えた。


「まだ貴女を刺した人間が見つかっていない以上用心するにこしたことはない、それに再び襲撃されたとして今度もまた貴女一人だけが襲われるとは限らない。」


「つまり今度は周りに居る人間も巻き込まれるかもしれないって言いたい訳ね、グラナートは。」


そう言ってしまえばどうにもお人好しな気のある彼女は私の提案に頷くしかないと分かっていて口にすると案の定彼女は眉を潜めて琥珀の瞳を微かに翳らせる。


「犯人さえ判れば幾らでも先んじて手が打てるのに、ままならないものね。」


自分一人の被害で済む話ではないかもしれないと私の思惑通りに思考を巡らせた彼女はやがて了承の意を口にする。


「では私が行くまで教室に居てくれ。」


「ええ、大人しく良い子で貴方を待ってることにするわ。」


再度再び鳴った予鈴に伴い慌てて弾かれたように授業へと向かう彼女の背中を見送り彼は椅子を引くと先程から無遠慮に視線を寄越していた者へと振り返った。


「それで騎士団の団長殿とあろうものが出歯亀とは、騎士団もよほど暇を持て余していると見えるな。」


短く刈り上げられた灰色に近い銀の髪と山あいから流れる雪解けの水と良く似た獣の如き鋭利な瞳。


顔は野性味を覗かせ、更に額から左頬にかけて横切る傷痕が男の相貌を際立せている。


隻眼の男は愉快げに肩を竦めて見せテーブルに肘をつき、口角を吊り上げ形の良いその犬歯を剥き出しにした。


「そうかっかしなさんな、わざわざ飼い主が投げた小さな小骨を何倍にもして持って帰ってきてやったんだからなぁ。」


獰猛な肉食動物の咆哮のようなそれが男の笑みであると知っているグラナートは眉間に力を込め無言を返す。


「言うなりゃあ褒められてもいい働きをしたじゃねえかと、まあ俺は思うんだがそこんとこはどうなんだな飼い主様よ。」


「―――···貴様が飼い犬?ハッ笑わせてくれる、貴様のような狂犬をこの私は飼った覚えがないな。」


その朱色の瞳を眇めグラナートはさもおかしげなものを聞いたといわんばかりに男へと笑い飛ばす。


「一度戦となれば敵の血を剣に味わせずにはいられない王国騎士団が生んだ鬼子ヴォルフガング。」


謳うように或いは嘲笑うかのように彼は目の前の男を評した。


それがこの男の概ねの世間一般での評価であり、また揺るぎようもない事実の一端でもあった。


「貴様のような男がこの国の国防を担う騎士団の団長と言うのだから国王も随分焼きが回ったものだ。」


グラナートの言に彼は大袈裟に肩を竦め飄々と笑って見せる。


「まあ大方、騎士団なんてしち面倒臭いもんに押し込めて団長っていう首輪を嵌めさえすれば俺を飼い慣らせるとでも思ったんだろうがな。」


首輪の意味を解さない犬に首輪を着けても意味がなかろうよとヴォルフガングは自身の首筋を叩いた。


「貴様の場合は首輪そのものの意味を解さないのではなく、嵌めるべき首輪が見当違いの首輪だったというだけの事だろう」


ピクリと眉を跳ねらせたヴォルフガングにグラナートは目の端で捉えながら場所を移すと席を立った。





「それで、そこまで大口を叩いたのだ。よもや手ぶらで私の前に現れたのではないのだろう。」


「まあな、にしてもあれだな。お前さんシュバルツ嬢と俺とじゃまるっきり態度が違わねぇか。」


茶化すように笑えばグラナートは当然のことだと冷めた目で彼を睨み据える。


「そもベルと貴様が同じ土俵に立ってるとでも思っていたのか、随分とお目出度い頭をしているようだなヴォルフガング」


「ついでに口も悪いと来てる、まったくシュバルツ嬢にその本性とやらを見せてやりたいね。」


「知られたところであの人が俺から離れることはない、だが万が一そうなればその日が貴様の命日だと心得とくといい。」


「おっとそう凄みなさんな、《ユーヴェレン・フォン・シュバルツの魔王》さまにわざわざ逆ってまでシュバルツ嬢に告げ口なんざしねぇよ。」


空き教室の窓辺に寄り掛かりながらグラナートは口元に不吉なまでに艶然とした仄暗い笑みを浮かべると腕を組みヴォルフガングに話を促す。


「―――戯れは此処までだ、報告を。」


その様は生まれながらに人の上に立つことを定められた王族よりも遥かに他者という存在の上に君臨する者としての風格を窺わせるとヴォルフガングは内心苦笑を溢した。


「先ず調べるように言われていたシュバルツ嬢を学園で襲った犯人なんだが、今朝方になって下町の路地裏で見つかった。」


一瞬にして空間全体を支配する火傷しそうなほどに凍てついた殺気に肌が粟立ち喉元が締め付けられるのを敢えて気づかない振りをしてヴォルフガングは話を進める。


「と言っても残念ながら死体でな。死因は鋭利な刃物による心臓への一突きだ。」


それも殺しに慣れた人間によると付け加えればグラナートは顎に手を当て思案するように目を閉じる。


「それと僅かにだが魔力の残滓が検出された。掛けられた魔術はそうとう強力なものだったらしく死後も名残が残っていやがった。」


うちの騎士団と懇意にしている魔術師に見せたところ魔術は魅了の類いらしい。


「魅了の魔術だと?」


微かに見開かれた瞳に浮かぶ驚愕にヴォルフガングは頷いた。


ゼーゲン・クロイツ王国では三代前に魅了の魔術を用いて王族に連なる者が多数の貴族を巻き込んで国に叛乱を起こしたことから魅了の魔術は禁術に指定されていた。


「単独犯による犯行とばかり考えていたが、どうやらこの話は私達が思っていたものよりも単純なものではないようだな。」


襲撃犯が何者かに殺害されたとなれば一令嬢への凶行は幾分複雑さを増していく。


「また検死をした医者によれば死体は死後二月ほど経っていたそうだ。」


辛うじて生前の見た目が残って居たんで事件の目撃者の証言した襲撃犯の死体だと判断することが出来たが発見が遅ければ身元不明の死体として処理されていたことだろう。


「このことから襲撃して直ぐに襲撃犯は殺されたと考えられる、以上を踏まえて事件の概要を纏めると二月前にベルンシュタイン嬢を何らかの理由で襲撃した犯人はその直後に何者かによって殺害されて、死後その死体は下町へと遺棄されたことになる訳だが。」


では襲撃犯を殺した何者かは一体誰なのか、そして襲撃犯が殺された理由とは何か、疑問が次々と浮かび上がってくる。


「今の段階で襲撃犯を殺害した何者かについては考えるだけの材料が足りない以上、脇に置いておくとして襲撃犯の殺害理由は大方推測することは出来る。」


襲撃犯には仲間ないし凶行を実行するよう唆した人間が居た。


そしてその人間は強力な魅了の魔術で襲撃犯に掛けて操っていた可能性がある。


「そして事件後に用済みとなった襲撃犯を口封じのため殺害したのではないか。」


「自分にまで累が及ばないようにか。」


ヴォルフガングの呟きにグラナートは閉じていた朱色の瞳を開き翳りのある光を覗かせる。


「蜥蜴の尾のように文字通り切って捨てたつもりなのだろうが、私を敵に回してそれで終わるとでも思っているのか。」


底冷えするような鋭利な輝きを宿し朱色の瞳はその色も相まって地獄から立ち上る業火の如く燃える。


グラナート・ユーヴェレン・フォン・シュバルツが《ユーヴェレン・フォン・シュバルツの魔王》と称されるには理由がある


学園入学当初その朱色の瞳が魔性の者であるとして彼や彼を擁するシュバルツ家を嘲笑った輩が多数居たのだそうだ。


長年に渡り教会の教えや歴史の逸話から植え付けられた魔性に対する恐れもあったのだろうが、朱色の瞳を持つというハンデを遥かに上回るほど学業に置いて優秀だったグラナートに対するやっかみもそこには多分に含まれていたのだろう。


なんにしろ出る杭は打たれると言わんばかりに特に選民意識のあった貴族の子弟は挙って彼を槍玉に上げて学園から排除しようとした。


しかしそれに対してグラナートは排除に動く者達の中でも有力貴族の者に的を絞るとそれらの家々を次々と没落にまで追い詰めてみせた。


不思議と彼を排除しようとした貴族やその親類縁者の領地にのみ内乱や一揆が起こり、更には不作と疫病に見舞われ領地経営が逼迫し、転がり落ちるように公金横領や収賄の罪が暴かれて爵位の返還か或いは牢獄へとその身を落とされという。


気がつけば学園からグラナートを排除しようとした有力貴族の子弟こそが逆に学園から姿を消している有り様に、皆が皆疑いの目をグラナートへと向けた。


彼を虐げた貴族の子弟の家系にだけ数々の不幸が襲うなど偶然にしてはあまりにも出来すぎている。


しかし彼による仕業だという確たる証拠は勿論ありはせず。


「命が惜しければ私とシュバルツ家についていらぬ口を挟まぬことだな、せいぜい口の利き方には気をつけると良い。」


艶然とただ微笑む彼の目に灯る仄暗く凍てついた意志の火を見て人々は彼によってもたらされた災いが我が身にまで降り掛からなかったことの幸運を喜んだ。


それから誰が言い始めたのか、グラナートは《ユーヴェレン・フォン・シュバルツの魔王》と囁かれるようになったのだ。


(―――彼の者の手の内より逃れられるものはなし、ってか。)


いつぞや教会で聞いた一節が頭に浮かぶ。


一切の躊躇なく自らの敵を葬りさる様は死神が鎌を振るが如く


(ったく末恐ろしい奴だぜ、本当によぅ。)


「それで襲撃犯の身元は割れたか。」


思索の淵から戻りヴォルフガングは頭を掻いた。


「なんせ死後二月だからなぁ。顔かたちが分かっただけマシってなもんだぜ?」


行方知れずで捜索願いが出てる人間なんてそれこそ王都だけでも山ほどいるのだと告げるヴォルフガングにグラナートはため息を吐き出した。


「この学園に違和感なく居られたのだから襲撃犯は十代半ば頃の未成年、となれば未成年の行方不明者に的を絞れば捜索網は狭まるはずだ。」


数が多いから身元の捜索までは無理だと言うのは怠慢と思え。


「待ってくれ、学園の生徒って線もあるじゃねぇのかい。」


「私がこの二月を無為に過ごしたと?」


「つまり学園の学生って線はないと。」


にべもなく言い捨てるグラナートにヴォルフガングはこれでも俺騎士団の団長で多忙なんだがなと頬をひきつらせた。


「現在ゼーゲン・クロイツ王国は近隣諸国との関係も安定している、騎士団の仕事も王都の治安維持と国境警備ぐらい。」


ならばやってやれないことはないはずだヴォルフガング団長殿


「聞いたところによると最近事務仕事ばかりで体が鈍っていると部下にぼやいているとそうだな。」


丁度良かったなヴォルフガング。


「精魂尽きるまで駆けずり回れば体の鈍りも吹き飛ぶぞ。」


「お前は鬼畜か!」


「貴様は私の飼い犬なのだろう?」


飼い主の命令は絶対だと笑うグラナートに、自身の首に回された鎖を幻視して流石魔王とヴォルフガングは思わず項垂れた。


授業終了の鐘の音にグラナートは彼を待っているだろうベルを迎えに行くべくヴォルフガングとの話を切り上げる。


(偉いことになっちまったな、たくよぉ。)


がしがしと頭を掻きヴォルフガングは身近にあった椅子に乱雑に腰を降ろした。


「ヴォルフガング、私はそんなにも母に似ているか?」


不意に掛けられた言葉に首を巡らせた。


どこまでも見透かすような目で此方を見るグラナートにヴォルフガングは息を詰まらせた。



「いきなり、なにを言い出すんだか。」


どくりと嫌に波打つ鼓動を誤魔化すように呆れた風に顔を作るヴォルフガングにグラナートは笑う。


「―――···聞こえなかったのならばもう一度言おうか、ヴォルフガング・ユーヴェレン・フォン・クローネ王弟殿下。」


「ッ何故それを知って、」


それは久方ぶりに聞くヴォルフガングの本来の名前だった。


「調査の件は任せた、我が伯父上殿。」


からからに渇いてはりつく喉が何かを発するよりも早く踵を返し去っていくグラナートに思わず身構えた体を解して脱力する


「ハハッどこまでお見通しなのやら。」


額に両手を当てて天上を仰ぎ見ながらヴォルフガングは笑う。






グラナートの母であり兄の妻だった前王妃キルシュブリューテはヴォルフガングがこの世で唯一愛し、そして永久に失うことになった女性だ。


南の国境を守護するボーデン・フォン・ロート家の生まれであるキルシュブリューテは幼い頃より先王とロート家当主の取り決めから王妃となることが定められ、幼少期から王宮に上がり王妃教育を受けて育った。


「こんにちは、あら貴方って綺麗な目をしているのね!」


「いっ、いきなり現れ顔を覗き込むなど無礼な!?」


当時の俺は病がちで体も細く目ばかりが大きな子供で早々に長くはないだろうと親にも、そして兄にも見放されていた。


「私はキルシュブリューテ、貴方の名前は?」


だから普段誰の訪ないもない自分の自室に突然ひょっこりと現れた見知らぬ存在に狼狽えた。


「えっと、あ、ヴォルフ、ヴォルフガングだが。」



「ヴォルフガング···”旅する狼”か、つまりワンちゃんね!!」


「誰が犬っころだッ!!」


そう憤るものの、目の前の少女があまりにも無邪気に言うものだから不思議と嫌な気はしなかった。


キルシュブリューテは緩やかに波打つ赤みを帯びた金色の髪に、猫のようなややつり目の瞳は美しい碧眼と砂糖をミルクで固めたような白い肌をした何もかもが華奢な作りの少女だった


「なんでお前は俺に構うんだ、俺と付き合ったって得なことはなにもありはしないぞ。」


俺と歳が近いこともあってか、最初の出会い以来寝付くことが多く部屋に籠りっきりな俺の部屋に良く顔を覗かせてくるようになったキルシュブリューテにある日に俺は問いかけた。


「どうせ俺は長くは生きられないんだ、だったら俺なんかより兄上と親睦を深めた方がよっぽど有益じゃないか?」


「ッ馬鹿なことを言わないでちょうだいヴォルフガング!!」


頬に走った痛みに気づくよりも早く顎にぶつかったものに寸の間脳が揺さぶられ意識が飛び、自分が彼女に抱き締めりられて居ることに気づくのが遅れた。


「貴方が死んだら私は泣くわ、大泣きよッ!!」


泣いて泣いてこの国を涙で水没させてやるんだからと細い肩を震わせ眦を釣り上げるキルシュブリューテにおろおろと慌てた


「そんな無茶な、」


「無茶でもなんでもないッ大切な友達が死んだら悲しいに決まっているのに泣かないほうがおかしいわ!!」


――――貴方は生きるのよ、ヴォルフガング!!


「私より、うんとうんと長生きしないと許さないんだから!」


じゃないとあの世まで私が引き摺り戻しに行くとぼたぼたと幾つもの透明な涙を流す彼女に、何故だか笑みが溢れた。


(誰も望まない俺の命をキルシュブリューテは望んでくれた。)


親さえも、実の兄弟さえも見捨てた俺を彼女だけは!!


込み上げた歓喜が胸を焦がし目頭を熱くするのを止める手立てを俺はしらなった。


「国を、水没させられるのは困るなぁ。」


だから生きてやる、優しいお前がそんなことをせずに済むように。


「約束よ、ヴォルフガング。」


「ああ、約束だ。」


不思議とその日から俺の病は快方に向かい、なんの気兼ねなく外を歩き回れるようになると彼女は俺の手を引いて王宮全てを遊び場にして俺を良くつれ回した。


俺達はそうして長い時を共に過ごした。


それこそ将来の彼女の伴侶である兄よりも長い時を共に過ごしたのではないだろうかと彼は思う。


幼かった二人は他愛もないことで気兼ねなく笑いあい些細なことで喧嘩しては仲直りを繰り返し、また転げるように笑いながら王宮内を遊び回った。


キルシュブリューテは華奢な見た目に反して酷くお転婆で良く木登りをしては家庭教師に淑女らしくないと怒られていた。


「私が一番高く登れたわ!!」


「それは良いが家庭教師の女史が悪鬼の如き形相で此方に向かって来ているぞ、キルシュブリューテ。」


それから驚くほど頑固でチェスをすれば自分が勝つまで終わらせないなど負けず嫌いな側面があった。


「はい、チェックっと···まだ続けるのかキルシュ?」


「くうっまた勝てなかった、リベンジよワンちゃん!!」


また一度こうと意志を決めて臨んだことは必ずやり遂げるだけの胆力を持っていて、時に大人がたしなめなければ無理をしてまで勉学に打ち込む時があった。


「いい加減休め、淑女が目に隈を作るな。」


「まだ私の知らないことがこの世には沢山あるのに、それらを知らないままでいるなんて悔しいんだもの。」


何時かは王弟と王妃として節度ある仲を望まれると分かっていても、いや何時か来る別れが分かっていたからこそ俺達は一日一日を大事に抱えるように積み重ねていったんだ。


兄の成人と同時に正式に彼女と兄が婚約を結び、自分自身も十五歳になり騎士団に見習いとして所属してからは二人で会うのは公式行事だけになっても、代わりになんとか手紙をやり取りして互いの近況を伝えあっていた。


だがやがて軍事大国アルビオンとの戦争が激化したことで見習いを終えたばかりの俺も前線に一兵士として投下されて、何時しか手紙のやり取りもなくなっていった。


だが明日をも知れぬ身だからこそ却って憂いはないほうが良いと気にすることはしなかった。


彼女のことを少しでも耳に入れてしまえば郷愁を覚えるのを自分自身良く分かっていたからだ。


郷愁で心を揺らがせていては過酷な戦場では生きられない。


だから兄と彼女がこれ以上戦況が激化する前にと結婚したことも、夫婦仲睦まじく彼女は夫である兄を陰日向に支えていることも、全て後々人伝に聞いたことだ。


どうやら彼女は賢妃として国民にも支持されているらしい。


(座学では俺や兄よりも成績が良かったからなぁ。)


兄とは鴛鴦のように互いを信頼し支え合い夫婦仲も良く何時子供が出来てもおかしくないほどだと周りにいる人間は噂しあっているとか。


(男でも女でも彼女の血を引く子供なら賢い子供になるだろう)


微かに傷んだ胸はきっと幼馴染みが知らぬ内に大人になり遠く離れた場所に行ってしまったからだと、そう俺は思い込んで胸の痛みがあったことなど頭の片隅に追いやった。


―――···そうして何年経ったのだろうか。


何度も戦場で死にかけたが、キルシュブリューテの泣き顔がその度に死の淵から俺を生へと引き摺り戻した。


「戦況の推移を速やかに報告せよ、ヴォルフガング。」


アルビオンとの戦争が膠着状態になったのを見計らい戦況を報告するよう王都に呼び出された俺が王宮で目にしたのは見知らぬ女を王妃として傍に置く兄の姿だった。


「兄上、キルシュ···王妃の姿が見えませぬが。」


「····余の王妃は此処にいるリリーエのみと心得よ。」


(――――おいッ待ってくれ、話が違うじゃないか。)


兄の隣に居る女は誰だ、そこは彼女のキルシュブリューテの居場所じゃなかったのか、何故誰もそのことを追求しない、あんなにも賢妃だとこれ以上の王妃はいないと彼女を褒めそやしていたのにあの女の存在に否やを唱えないッ!!


「キルシュブリューテは何処に居る!?」


彼女についてを王宮の誰に問うても一様に口をつぐみ忌々しげに彼女の名を口にすることも拒む姿に嫌な予感に襲われた。


「そのような方はこの王宮は勿論、国にもおりません。」


「ッ黙れ!!」


その予感を振り払うように引き留める者の手を振りほどき王宮中を探し回り、それでも見当たらない彼女の姿を求めて国中を必死になって探し回った。


あらゆるツテを辿って情報を集めた先で漸く彼女の実家に身を寄せていることを探り当てたが、その時には全てがもう決定的に遅すぎた。


「ヴォルフガング殿下、かねがね娘よりお話を聞かせて頂いておりました。」


彼女が居ると窶れた面差しの婦人によって通されたロート家の屋敷は消毒液の匂いと濃厚な死の気配がした。


一歩彼女に近づく度それらは濃くなる。


嫌にがなり立てる鼓動を抑えて上った二階の奥部屋に探し続けた彼女は居た。


「久しぶりね、ヴォルフガング。」


三年越しに再会した彼女は記憶の中の少女よりも美しかった。


「お互いすっかり変わってしまったわね。」


昔は私より細っこかった貴方が今では立派な騎士様なんだから時が流れるのは早いわね。


「お前は、なにも変わっちゃいない。」


「あら、貴方は何時からお世辞が言えるようになったの?」


事実どんなに病に膿み疲れ枯れ木のように四肢が痩せ細ぼっていても、彼女ほど美しい女を俺は知らなかった。


「教えてくれ、俺が王都を離れている間にお前の身に一体何があったのかを!!」


「子供が、居たの。」


静かにベッドに横たわっていた彼女が身を震わせながら起き上がる。


「赤い目をした可愛いあの子。」


一筋の涙を流しながら彼女は咄嗟に差し出した俺の手を掴む。


「お願いよヴォルフガング、私の代わりにあの子を探してッ」


そうして俺が知ったのは王家が抱える闇の一端だった。


彼女が産んだ子が魔性の者の証である赤眼を持って生まれたこと、それを妾妃の一派に知られ魔族と姦淫したと烙印を捺され親子共々引き離されたこと、これを受けて王妃から廃位し蟄居を命じられたこと、国王は兄はそれを一切止めはしなかったことを彼女の口から聞かされた。


赤い目を持ったものが魔性の者など埃を被ったような古い言い伝えでしかない。


だというのにそれを王宮の者は信じ、彼女を王妃から引き摺り降ろしただけでなく生まれたばかりの子供を何処かの教会へ身の内の魔を抑えるとして幽閉したのだというではないか。


「私は病でそう長くはない、どんなにあの子をこの手でこの足で探したくとも私にはもう時間がありはしないのッ!!」


これは最初で最後のお願いよ、ヴォルフガング


「あの子を見つけて、私の代わりにどうか守ってあげて。」


それが彼女と交わした最後の会話だった。




「キルシュブリューテ。」


王家の霊廟ではなく貴族が葬られる一般的な霊園の片隅に彼女は埋葬された。


「キルシュ、キルシュブリューテ!!」


白い石の墓石に刻まれた名前を指でなぞり、喉元に込み上げたものから手で口を塞いでやり過ごす。


(今更後悔してなんになるッ!!)


堪えきれず体を折り曲げ荒い呼気を吐き出して膝を着く。


彼女が自分にとってかけがえのない存在だったことに気づいても、最早遅い!!


彼女はもう二度と届かぬ場所へと行ってしまったのだから!


「もっと早くにお前を愛していることに気づいていればお前は死ななかったのかキルシュブリューテ?」


―――···何もかも俺は遅すぎたのだ。


「だがお前に託された子供だけは必ず間に合って見せる。」


拳を握り締め彼女が眠る墓石から踵を返す。


(例え兄と敵対することになろうとも、この国全てを敵に回してもお前の子供は俺が守って見せる。)


王家にとって決して知られてはいけない忌み子であるキルシュブリューテの子は王家の暗部として念入りに隠されている。


王弟とあっても今は一騎士団員でしかない自分が暗部を暴くには足りないものがある。


「先ずは身分と地位から、か。」


それから五年が経ちアルビオンとの戦で多くの武勲を得た俺は目論み通り騎士団の中で地位と身分を確立し、キルシュブリューテの子供の幽閉された教会を探り当てる事が出来た。


だがそこで待ちうけていたのは跡形もなく破壊され尽くされた廃虚だった。


周囲の村々にそれとなく聞き込んだところで分かったのは一年前に教会で火事があったこと。


山あい深くあったことで消火まで時間がかかり、それにより跡形もなく教会は焼け落ち多くの者が焼け死んだという。


「生き残った者の中に子供はいなかったか?」


「確か火事がある二日前に下働きの子供が居なくなったと話しているのを耳にしはたが、行方までは流石にわからんよ。」


再び消息が掴めなくなったキルシュブリューテの子供。


―――···その子供は八年後に思わぬ形で俺の前に現れた。





王立ブルーメ学園の騎士科に有望な学生が入ってきたと騎士科の授業を受け持っていた部下の話に惹かれるものがあり俺は様子を見に行った。


「剣を教授する身ですが彼の力量は私程度では最早教えることがほとんどありません。」


「副団長のお前がそこまで言うのなら楽しみだな。」


それは騎士として将来有望ならば今の内にスカウトしたいという単純な理由から。


「ああ、今日もやっていますね。」


部下と連れ立って騎士科の生徒が鍛錬を積む鍛練所を覗き見て思わず絶句した。


「同学年ではまるっきり相手にならないので、ああして上級生と鍛練しているのですよ。」


多勢を無勢に一人の少年が剣を巧みに操り自身より遥かに体格が上回る相手を次々と切り伏せていく。


「―――···キルシュブリューテ?」


「団長?」


流れるような黒髪も玲瓏な切れ長の瞳もまったく彼女とは似ても似つかないというのに。


その相貌に彼女の面影を、見た。


俺は確かにそいつがグラナート・ユーヴェレン・フォン・シュバルツがキルシュブリューテの子供だと分かったのだ。




それ以来俺は王弟であることや奴の母親である彼女のことを隠してグラナートと接してきたのだが。


(いやはや、まさかバレているとはなぁ。)


王弟とはいっても既に臣籍降下し王家との繋がりを絶って久しいことから俺が王弟だとバレるのはもう少し先のことだとばかり思っていた。


それだけでなく自身の母親と俺の繋がりについて気づくとは。


(キルシュブリューテのことは禁忌として些細な記録でも尽く抹消されたというのによく辿りついたものだ。)


ぎしりと椅子を倒しながらヴォルフガングは天井を仰ぎ見た。


「やっぱりお前の子供は賢い子になったよ、キルシュブリューテ。」


ちっとばかし口が悪いのが珠に傷だがな。


(俺は今度こそ守れるだろうか。)


微かに聞こえてくる声に促され椅子から立ち上がり窓辺に寄るとユーヴェレン・フォン・シュバルツ嬢と何事かを話ながら寛いだ笑みを浮かべるグラナートの姿があった。


「ああ、まったく重たい首輪だぜ。」


だがそれを降ろす気は彼の心に微塵も浮かんではこなかった。


「それにしても似た女を好きになるのは血筋かねぇ。」


新キャラ ヴォルフガングさんが今回がっつり絡んできました。

当初は顔出し程度だったのにその名のごとく奔放に動き回ってくれました。


魔王さまが彼に対して口が悪いのは信頼を置いているからです、わかりずらいですが。

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