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よっつめの話

<1>

 まずは物語の主人公である佐藤茜について説明しよう!

 彼女はどちらかと言えばモブキャラ的立ち位置にいる人物である。

 今回の彼女は、中学三年生だ。

 身長は百六十一センチ。体重は乙女の秘密。そして、肌を極力見せない服装を心がけている一人の少女。

 彼女がまさしく事件の中心であったことがある。

 その事件とは他人の――彼女からすれば理不尽、あるいは因果のよくわからない感情による、理解のできない迫害によって起こったものだった。

「いじめというやつだな」

 そう。そして、いじめというものは特別なものでは決してない。

 誰かが、誰かを――被害の大小、程度の差はあるだろうが――排斥することは、集団で生活する者にとって必然だ。

 その手段が陰口など、小さなコミュニティの内側で済む内はいい。ただ、その行いが実際に被害者を出す形になることもある。

 彼女の身に起こった出来事も、その内の一つだ。

 どこにでもあり、どこでも起こりうる出来事の一つでしかない。

「当事者にとってはそうもいかないがね」

 しかし、君の採った行動はおそらく他の者が行うそれとは異なるものだろう。

「……そうかな?」

 そうだとも。

 加害者全てに等しく罰を与えた被害者など、そうはいない。

 君は、君の意思と為すべきを為す行動力のみをもって、それを行ったのだ。

 それは君がただのモブキャラではないことを示す――君の特別な一面だろう。


 では、物語を始めよう!


「たいしたことではないけれど。……今回は、たまたまうまくいった、いじめの解決に関する話だよ」




<2>

 平日は月曜日。

 日曜日の惰眠を貪るような遅寝遅起きの後に来る週の始め。生活リズムの乱れの影響で薄く、全身に倦怠感が纏わり付いて、気分が上がらない曜日だ。ブルーマンデーという言葉を考えた人の感性はすばらしい。これ以上にこの気持ちを表す単語は無いと思う。

 やる気が出ないことこの上ないが、それは学業をおろそかにする理由にはならない。というか、親が許さない。

 まぁ、休む気も殆ど無いのだが。

「……ああ、眠い」

 そう思って、呟いて、私は登校の準備を始めた。

 寝巻きから制服に着替え、洗面所で顔を洗ってからリビングに行く。リビングのテーブルには母が用意してくれた朝食が並んでいた。

 私は私のいつもの席に座って、

「いただきます」

 手を合わせて一人で食事を始める。そうしている内に父がリビングにやってきて、母と一緒にテーブルについて食事を始めた。

「ごちそうさまでした」

 二人よりも先に食べ終わると、食器をキッチンに下げて洗面所へ行く。歯を磨いて、鏡を見ながら寝癖を修正すると、昨夜の内に玄関に放置していた通学用の鞄の中身を改める。

 忘れ物が無いことを確認すると、まだリビングで朝食を摂っている両親に向かって、

「いってきます」

 声をかけて家を出た。

 私が通っている中学までは、私の家から徒歩だと三十分程度かかる。地味に遠い上に、中学自体がちょっとした坂道の先にあるものだから、登校が嫌になる時もある。

 ブルーマンデーとか関係なく、だ。

 でもまぁ。

 起きて、着替えて、朝食を摂って、家を出て学校へ向かう。

 いつも通りの朝。

 だから、今日もいつも通り何事もなく終わる。


 ――今朝の私は、そう思っていた。





 イレギュラーが起こったのは、放課後になってからだった。

 帰りのHRが終わり、ざわざわとした空気の中で、帰り支度を済ませたところで、それは起こった。

 まず、声をかけられた。

 佐藤さん、と呼びかけられて視線を動かすと、そこには女子生徒が四人ほど固まって立っていた。

 ……誰だっけ、この人たち。

 少し考えて、このクラスの女子ヒエラルキー上位のグループだったかな、と思い出す。

 自慢ではないが、この中学校内において私の友人と呼べる人間は殆どいない。そして、その殆ど居ないがわずかに存在する友人は、このクラスに所属していない。

 そして、私は集団の階層制度に興味はなく、したがって彼女達と関わり合いになる覚えは無いのだが。

「…………」

 彼女達の顔を見ると、なにやら物騒な雰囲気が漂っているように見える。

 表情が不機嫌そうに歪められているからだろうか? それとも、ヒエラルキーの違いに我知らず押されているのだろうか? もしかして私の勘がそう判断させている?

 まぁ、なんにせよ。このまま無言で居るのもまずかろう。

 そう思って、彼女達に向けて言う。

「何か用ですか?」

「ちょっと時間貸してよ。話があるんだけど」

 グループの中心――だったはず――に居る女子生徒が応じた。

 私としては、用事の内容を聞いたつもりだったのだが、その意図は伝わらなかったらしい。

 とは言え、そのことには言及しない方がよさそうだ。沈黙は金というしね。

 時と場合によるけれど。

「……まぁ、構いませんが」

「ついてきて」

 私の言葉にそう返すと、彼女は先立って歩き始めた。

 私も荷物を持って彼女についていく。

 彼女の取り巻きは、私の周りを囲うようについてきた。

 ……逃がさないようにしている?

 思って、やっぱり私の勘が当たっていたのかと、内心で嘆息した。

 連れて行かれたのは体育館裏の、人気のないスペースだった。

 私を壁に追いやって、彼女の取り巻きが逃げ場を封じたところで、彼女が口を開いた。

「佐藤、あんたさ、坂上くんとどういう関係なわけ?」

「坂上……?」

 聞いた覚えのない苗字だった。彼女の口ぶりからすると、その坂上とやらは私と親しい人間のようだが、覚えが無い。

 坂上くん、と呼んでいることから、それは男子生徒を指しているのだろう。

 男子生徒で私が親しくしている相手――と考えたところで一人の名前が脳裏に閃いた。

「恭二のことか?」

「……っ、そうよ。彼のことよ。どういう関係なの?」

 私の問いかけに、彼女はわずかに表情に険を乗せて、苛立ったような声色で問うてきた。

 何が引っかかっているのか検討もつかないが、私には、問われたことに対してこう答えるほかない。

「どういう関係も何も、ただの友人ですよ」

「なんで!」

「……友人関係になぜと問われても困るんですが」

「どういう関係か答えなさいって言ってるの! なんであんたが坂上くんとそんなに親しくなってんのよ! どうしてあんたなんかがっ、彼を呼び捨てにしてるの!?」

 ――何言ってんだこいつ。

 そう思ったのが顔に出たのか、彼女の表情が怒りで歪む。

 彼女の取り巻きは、彼女と私の反応を見て、私をにやにやと笑いながら、ひそひそと会話を交わす。調子に乗ってるよね、だとか、そんなことを言い合っているようだ。

「生意気なのよ。地味な根暗のくせに、坂上くんと昼食一緒にしたりだとか。身の程を弁えたらどうなの!?」

 彼女はそう言って、私の胸倉を掴んで引き寄せた後で、思い切り突き飛ばしてくれた。

 背中が壁に当たる。ちょっとした痛みがあって、わずかに顔をしかめてしまった。

 彼女は私の表情が痛みで歪んだことでわずかに喜色を見せたが、すぐにまた怒りで歪んだ。

「いい!? 彼はあんたなんかが近づいていい人じゃないのよ! 身の程を弁えて、これからは彼に近づかないようにしなさいよね! じゃないと、あんたが学校に来れなくなるようにしてあげるから!」

 そして、彼女はそう言い捨てると、憤懣やるかたないと言った様子でこの場から離れていった。

 彼女の取り巻きたちはにやにやと笑みを貼り付けたまま、

「言うこと聞かないとやばいよ~」

「〇×ちゃん怒らせると怖いんだから」

「まぁ居なくなったらなったで、誰も困らないんだから。早く学校から消えれば?」

 などと言葉を残して、彼女に追従してこの場を離れて行った。

「……何なんだ、いったい」

 さて、これからどうしようか。

 本当なら、今日は家にまっすぐ帰って、本でも読みながらのんびり過ごすつもりだったのだけど。

「先に根回しをしておいた方がいいかもしれないな」

 呟いて、溜息を吐いた後で、私もこの場から移動した。





 私は体育館裏から離れて、利用者の少ないトイレに向かった。

 個室に入って鍵を閉め、便器の蓋を閉めて、鞄を扉のフックにかける。

「面倒くさいけど、まぁ一応用心しておかないとね」

 やれやれと吐息を吐いた後で、作業を始める。

 まずは鞄を開いて、ゴムベルトを取り出す。そして、スカートのホックを外して、ウエストのあたりを外側にぐるぐると巻いて裾の位置を膝上五センチ程度に調整。その上からゴムベルトを巻く。

 次は一度上着を脱いで、鞄から紺色のカーディガンを取り出して着込み、その上に脱いだ上着を着る。スカーフは外したままで、ポケットに入れていたピンを胸ポケットに差す。

 そして、後ろ髪を後頭部の下、首の付け根あたりにまとめてゴムで留めて、前髪をピンで右側に留める。

 最後に、黒縁眼鏡を取り出して身に着ければ作業は完了だ。

「……ふむ」

 コンパクトの鏡で仕上がりを確認して、まぁいいかと出来に納得したところで、変装終了である。

 このくらい服装を変えれば、遠目で見たときに、私だと一目で判ることはないだろう――多分。

 コンパクトを閉じて鞄に入れると、私はトイレを出て新聞部へと向かった。

 新聞部の部室、その扉を三回軽く叩いて、中から返事があったので扉を開く。

 新聞部の部室は狭い。

 左右の壁際には過去発行分の新聞や、それらを作成するのに使った資料を納めた本棚がずらりと並んでいる。

 部屋の中央部分にあるスペースには、事務机が四つ並べられており、本棚と事務机の間のスペースにも、資料やファイルがうずたかく積まれていて、足の踏み場に困るくらいに狭くなっていた。

 そして扉の対面、窓側に近い部分には、部屋中央の事務机より一回り大きな事務机が置かれている。

 部長の席だ。

 そこには一人の女子生徒が座っている。

 居てくれて助かった。

 彼女に協力を仰ぐことが、私がここに来た理由だったからだ。

 しかし、彼女の視線は机の上にあるノートパソコンの画面に向かったままだ。どうやら作業に集中していて、扉のノック音には気づかなかったらしい。

「…………」

 扉に近い側の席に座る一人の男子生徒が、訝しげな視線を私に向けている。

 私は彼に視線を移して、言う。

「忙しいところごめんなさい。部長と話がしたいんだけど」

 彼は私の言葉を聞いて、何を聞くでもなく、少し大きな声で部長と呼びかけた。

 彼女の体がびくりと一度震えて、視線をノートパソコンからこちらのほうに動かす。

 彼女と目が合う。すると、彼女は驚いた様子で、

「あか――」

 口を開こうとしていたので、その言葉が終わるよりも早く、私は彼女の言葉に被せるように言葉を発した。

「新聞部部長、斉藤美月さん。ちょっと話をしたいんだけど、時間もらえるかな?」

 彼女――斉藤さんは口を噤んで黙った後で、

「……っ、はい。いいですよ」

 そう言って、席を立ってこちらにやってくる。

「ごめんね、忙しいだろうに」

「いいえ、気にしないで下さい。――悪いけど、少し出るから。もし何かあったら、その内容をきちんとメモに起こして私の机に置いておいて」

 斉藤さんは部員に対してそう言うと、私に視線を向けた。

「じゃあ行こうか。……ほかの人にはできるだけ聞かれたくない話なんだよね」

「どちらに?」

「近くに空き教室があるから、そこで」

「わかりました」

 言って、新聞部の部室を離れて、すぐ隣の空き教室に向かう。

 彼女を先に入るよう促して、周囲に人影がないことを確認した上で、私も中に入った。

 後ろ手で扉を閉める。大きく息を吐いて、扉にもたれかかるように背中を預けた。

「すまないね、斉藤さん。忙しいところをわざわざ呼び出してしまって」

「いいえ。気にしなくていいですよ、茜さん。……それにしても、なんでそんな格好を?」

「似合わないかな?」

「いつもの格好の方が、らしくはありますね」

「私もこの格好は落ち着かないね。まぁ、変装というやつだよ。今日、私が君に会っていたとわかると面倒でね」

「……何かあったんですか?」

 私は肩を竦めて吐息を吐いた後で、斉藤さんの言葉に頷く。

「確実にそうなるというわけでもないんだけど、ちょっと面倒なことになりそうで。だから、ちょっと協力をお願いしたいんだ。

 ……ああでも、話を聞いた上で、協力が難しいようであれば断ってくれていいから」

 斉藤さんは困ったように笑う。

「話を聞いてみなければわからないですよ」

「そうか。じゃあ、話すよ。

 ……実は私、いじめられそうなんだよね。だから、証拠固めとかに協力してくれないかな、と思ってここに来た」

「……はい? いじめられるって、茜さんがですか?」

 斉藤さんの言葉に私が頷きを返すと、信じられないといった表情を浮かべた。

「まだ確定ではないけどね。彼女たちの口ぶりだと、こちらが何もしなくても、ちょっかいをかけてきそうで」

「何があったんですか?」

「つい先ほど、私のクラスに居る女子たちに呼び出されて言われたんだ。坂上恭二と親しくするな、このままだと学校に居られなくしてやる、ってさ。

 ……いったい何が気に入らないんだか。私と彼女たちに接点はないはずなんだけどね」

「……茜さん、本気で言ってます?」

「ん? ああ、そうだよ。なんで恭二のことが出てきたのか、私にはさっぱり」

「多分、嫉妬だと思いますよ」

 斉藤さんの言葉に、私はきょとんとしてしまう。また意外な単語が出てきたものだ。だから聞く。

「嫉妬? いったい何に」

 斉藤さんは私の質問に、当たり前の事実を話すように答える。

「坂上くんは、私たちの学年では異性に人気の高い生徒です。茜さんに絡んできたその子は、彼が好きなんでしょう。そして、仲の良い相手――茜さんを邪魔だと思ったのではないかと」

「……恭二には綾子という相手が既に居るけど」

「……そうなんですか?」

「あれ、知らない?」

「殆どの人が知らないと思います」

 なるほどね、と私は溜息を吐いた。

「惚れた腫れたの話か。……それでもまぁ、仲の良い相手を蹴落とそうとするやり方は、あまり褒められたものではない気がするが」

「私もそう思います。――それで、茜さんはどうするんですか?」

「いじめられたら、然るべき手段でもって相手をするよ」

「私は何をすれば?」

「もしも本当にそうなった場合は、君に記事を書いて欲しい。いじめが起こっていることを、ただその事実のみを書いた記事を。

 そして、可能であれば、いじめをしている場面の写真か動画を確保して欲しい」

「前者は喜んでやらせてもらいます。情報さえあれば、記事を書くなんて造作もないですから。でも後者は……」

「後者については、私が機材を持っているから、回収と内容確認だけでも構わない」

「どうするつもりなんですか?」

「私の席は窓側でね。反対側の校舎屋上から撮れば、なんとか行けるだろう。うまくいくかどうかは賭けだけど。まぁ、他にもやりようは色々あるさ」

「……茜さんの席が窓際にあるのなら、私の方でなんとか出来るかもしれませんね」

「いいのかい? 無駄足になるかもしれないけど」

「そのときは何か奢ってください」

「それくらいなら、喜んで。というかまぁ、手伝ってくれたお礼として、それくらいはするよ。――あんまり高いのは厳しいけどね」

「ふふ、楽しみにしてます」

 言って、斉藤さんは笑顔を浮かべた。

 少しの間をあけて、

「迷惑をかけてごめんね。協力、ありがとう。嬉しいよ」

 私はなんとか、そう口にすることができた。

 本当にあるかどうかもわからないことに協力を求めて、それが起こらなかったとすれば無駄足を踏ませ、それが本当に起きたとしたら彼女を自分の問題に巻き込んでしまう。

 それが申し訳なくて。だけど、協力してくれるのが嬉しくて。

 その気持ちを口にすることが正しいのかわからなくて。

 ――そんなごちゃまぜの気持ちを、なんとか言葉にして伝えておきたかった。

 斉藤さんは私の言葉に少し驚いたような表情を浮かべた後で、再び笑顔を浮かべた。

「気にしないでください。私も、茜さんの力になれたら嬉しいですから」

「うん、ありがとう」

 斉藤さんの言葉に、私も笑ってそう言った。





「情報が手に入り次第、携帯の方に連絡しますね」

 最後にそう言って、斉藤さんは部室に戻った。

 私は斉藤さんを見送った後で、空き教室を出た。

 向かう先は自分の所属する教室だ。

 扉を開けて、中を見る。人影はない。

「さて、と」

 まず確認するのは自分の使っている机だ。窓際最後列にある机に近づく。

 椅子、中身、天板をそれぞれ確認したが、特に異常はなかった。まだ何かをされてはいないらしい。

 次に向かうのは教室前方、窓際にある棚だ。教室の隅に合わせたような台形の板が、天井から約一メートル下の部分に取り付けられている。

 その上にはテレビが置かれている。

 このテレビは授業でビデオを使う場合や、昼休みの学校放送を見る場合などに使われるものだ。

 滅多なことでは使われず、だからこそ、人の目がほぼ向けられることはない。

「…………」

 棚近くにある机を移動させ、その上に乗った。

 鞄を開いて、小型カメラを取り出す。スピーカー偽装型のビデオカメラだ。

「録画はどうするんだっけか……こうかな?」

 設定等で多少四苦八苦したものの、無事に空きコンセントも見つかり、接続と設置を完了する。

 ビデオカメラ前面にある動作ランプが点灯していることを確認して、机から降りた。

 机を元の位置に戻して、教室を出る。

 その後、再びトイレに行き、髪や服装をいつもの通りに戻して帰宅した。




<3>

 翌日、平日は火曜日。

 私はいつも通りの時間に登校した。

 しかし、私の学校生活はいつも通りに過ごせないようだ。

「……早速やったのか」

 教室に入り、自分の机を見る。

 天板には言い募るかのような悪罵が所狭しと書き込まれていた。内容についてはあまりにも低俗かつ下劣なもので、見ているだけで気分が悪くなってくる。

 これを見た人間は周囲にも居る筈だが、特に何か動こうとしている者はいない。

 まぁ、付き合いのある人間がいじめられる場合であっても、同様の被害に遭うことを避けるのだ。ましてや、私のように特別誰とも関わり合いになっていない人間がいじめの対象であれば、我関せず、遠巻きに眺めるか無視を決め込むといった対応になるのは当然のことといえる。

「…………」

 ……気にしないつもりではいたものの、やはり実際に目にすると来るものがあるな。

 溜息と共に、そんな思考を吐き捨てた。

 鞄を下ろして、まず行うのは状況の確認と保存だ。

 机と椅子の状態を確認する。いたずらをされているのは、机の天板だけのようだった。

 椅子に何か仕掛けられてはいるのではと思ったが、そこまではしていなかったらしい。

 ポケットから携帯を取り出して、机の天板のアップ写真、斜めから机の状態を見た場合の写真をそれぞれ撮影する。

 写真映りを確認して、状況が確認できる資料であると判断し、携帯をポケットにしまう。

 そして、私は何事もないかのように椅子に座った。

 鞄から一時限目に使う教科書類のみを取り出して机に入れた後で、さらにチェーンと南京錠を二個取り出した。

 チェーンは机の横にある金具のフックに巻きつけた後で、鞄の持ち手に巻いて南京錠で留める。また、鞄の開閉口にあるチャックの金具に南京錠を通してそちらも留めた。

 物を盗られたり、移動させたりされないようにするための対策である。

 正直面倒くさいのだが、こういう対策というのは、おおげさな対応くらいで丁度いいと思っている。

 周囲の様子にはもはや興味も沸かない。近づいてくる人影には一応注意をしているが、それ以上の気配りをするつもりもない。

 机を見る。そこには悪罵が書いてある。指で触ればわずかに粉がついてくるので、チョークで書き殴ったのだろう。

 この状態になったのがいつからなのか、今はわからない。しかし、この状態を目撃している人間は確かに居て、その上で無関係を装うのであれば、それは私の敵である。

 敵認定は大人であっても子どもであっても行う。それは、年齢によって分けられるものではない。

 椅子に座って、ICレコーダーのスイッチを入れる。

 朝のHRが始まるまで、まだ少し時間があったので、

「一応、作っておくか」

 時間を潰すついでとして、メールを作成することにした。本文を作成し、送り先を設定して、携帯をしまう。

 ほどなくして、教員が教室にやってきてHRが始まった。

 起立、礼、着席の三個一式の挨拶が終わった後で、私は座らずに立ったまま、教員に尋ねる。

「教員、この机を見て何か言うことはありませんか」

 教員は少し間を置いて、私の問いに答えた。

「……いくら構って欲しいからと言って学校の備品にいたずらをするな、佐藤」

 私以外の生徒が笑い声をあげる。何人が笑ったのかは数える必要もない。笑い声を無視して、教員に更に問う。

「教員、あなたはこれを私が行ったというのですね」

「いいからさっさと座れ。くだらないことに時間を使わせるな!」

「……わかりました」

 言って、私は席につく。

 くすくすと笑いが漏れている。

 ……どうやらここには私の敵しかいないらしい。 

 そう考えて、胸の中心がほんの少し重くなる錯覚を覚えたが、奥歯を噛み締めて押し殺した。





 その後、一時限目から四時限目まで、教室にやってきた教員に対してそれぞれ、担任にした質問とまったく同じ質問を行ったが、誰もが私が気を引くためにやっていると結論づけた。

 その度に笑われていたが、そこは気にならなかった。むしろこの学校やばいなと、対応の悪さに呆れ返るばかりだった。

 そうしてやっと辿り着いた昼休みに、またひと波乱生まれそうな事態が発生した。

 恭二が教室に来たのだ。

 綾子が卒業した後でも、ごくたまに、恭二はこうして私の居る教室にやってきては昼食を一緒に摂ろうと誘いに来る。

 それ自体は構わない。しかし、今日はまずかった。

 恭二が教室に来て私の机を見るなり、表情が変わった。

「おい茜。おまえ、この机……!」

 爆発しそうな気持ちを抑えつけているような、そんな声音で、恭二は私に声をかける。

 私は恭二の顔を見て、小さく笑う。そして、ポケットに入れた携帯を取り出さないまま操作して、朝の空き時間に作成したメールを送信した。

「気にするな。この教室では誰も気にしていない」

「それ、おかしいだろ!」

 恭二がそう言ったところで、小さく、低い振動音が鳴った。

「携帯、鳴ってるぞ、恭二」

「今それどころじゃ――」

「いいから出なよ。緊急の連絡かもしれないし」

 恭二はそれでも何かを言おうとしていたが、やがて諦めたように、気持ちを吐き出すように大きく息を吐いた後で、携帯を取り出した。画面を確認すると、何かを確かめるように私と携帯の間で視線を何度も往復させる。

「……っ、茜、わりぃ、ちょっと別件で用事ができた。昼飯はまた今度、一緒に食べようぜ」

「ああ、その時は誘ってくれ。――あと、心配してくれてありがとう」

 恭二は私の言葉に返事をせず、苛立たしげに足音も大きく、この教室から出ていった。

 ……悪いことをしたかな。

 恭二が確認したメールの発信元は私の携帯だ。

 文面は次の通り。


『恭二、このメールの文面は誰にも見せるな。

 そして、余計なことを言わずにこの教室から外に出てくれ。

 これは私の問題だ。君を巻き込むわけにはいかない。

 私は大丈夫だから。

 この騒動に決着がついたら、また連絡する。

 それまで教室には来るな』


 今回のことの遠因は確かに恭二だが、恭二本人が悪いわけではない。それに、友人と呼べる数少ない人間を、こんなクソみたいな出来事に関わらせたくなかった。

 本当なら、昨日協力をお願いした斉藤さんにだって話を持っていきたくはなかったのだ。

 ただ、私に新聞に近い記事を書くスキルは無く――だからどうしても、彼女には協力を仰がざるを得なかった。

 ……言い訳かなぁ。

 彼女には今度、機会を見てきちんとお礼をしなければと考えながら、お弁当に箸をつけた。





 昼食を終え、昼休みが終わり。続く五時限目および六時限目でも、教室に来た教員に聞いてみたものの、案の定と言うべきか、答えの内容は変わらなかった。

 まぁ、制裁を加えることに何の迷いも生まれなくなるという意味では、よかったのかもしれないが。

 流石にこう何度も繰り返していると、クラスの人間が笑うことはなくなった。むしろ呆れている様子さえ見て取れた。

 私としてもうんざりしているのだが、止める訳にはいかない。証拠取りのために、必要なことだからだ。

 帰りのHRが終わった後、私はすぐに席を立って教室を出た。

 昨日の女子グループに捕まって時間を無駄にすることを避けるためである。幸いと言うべきか、彼女たちに絡まれることはなかった。

 その足で向かうのは図書室だ。

 教室から人が居なくならなければカメラを回収することができない。その待ち時間を有効に利用しようと思ってのことだった。

 相変わらず図書室にはやる気があるんだか無いんだかよくわからない司書くらいしか居ない。

 静かでいいことだ。そう思って手近な席に腰を下ろす。

 鞄から今日出された課題用プリントを取り出して、作業に取り掛かる。

「…………」

 ただ黙々と課題を片付け、予習を進める。そうこうしている内に、図書室の閉室時間が近づいてきた。

 司書に何かを言われる前に、荷物を片付けて図書室を出る。

 そして、帰る前に教室に寄った。

 教室に入り、まずは机の状態を見た。状態は教室を出る前と変わっていなかった。いじめの主犯は登校時に作業を行っているのだろうと、この情報を頭の隅に置いておく。

 次に教室前面に設置したビデオカメラを交換する。ACアダプタを取り外して、スピーカー型の本体を回収し、もう一台のビデオカメラを再設置する。

 再設置したビデオカメラの動作ランプが点いていることを確認後、教室を出て帰路についた。





 帰宅して、夕食を摂った後で、私は回収したビデオの映像とレコーダーの音声の確認作業を始めた。

 まずはビデオの映像を確認する。

 ビデオカメラを私用のノートパソコンに繋ぎ、アプリを使って映像を再生した。

 撮影時間は約十五時間程度。大半が意味の無い映像だ。計算して、およそのところまで再生時間を進める。そのまま流していると、教室内にちらほらと人の姿が映るようになってきた。ちょこちょこと映像を飛ばす。

 教室後方、アプリ画面上では右上にあたる位置が私の席だ。

 やがて、複数の人影が私の席に集まり始めた。

「やっとか」

 アプリ上の再生時間を確認してメモをとる。そのまま映像を流していると、きゃっきゃと笑う声が聞こえてきた。人をいじめる――追い詰める作業が楽しいらしい。

 予想通りというかなんというか、言葉に窮する限りである。

 そして、彼女達が机から離れたところで映像を止めた。再生時間を確認してメモをとる。

 メモした再生時間を目安に、不要な時間の映像をカットする。

 次にレコーダーの音声を確認する。

 ICレコーダーをノートパソコンに接続して、アプリを使って再生する。

 録音時間は約六~七時間程度。こちらも大半は意味の無い音声だが、ビデオと比較して取り出す部分が多いため、若干作業が面倒くさい。

 こまめに再生位置をずらしていって、教員の音声がどこにあるのか、その再生時間をメモした。

 残しておきたい音声を抽出して、計六個の音声ファイルを作成する。

 作成した映像ファイルと音声ファイルの中身を確認して、内容に間違いが無いことを確かめる。内容に問題はなさそうだった。

「さて、と。出てもらえるかなぁ」

 携帯を取り出して、電話をかける。相手は斉藤さんだ。

 四コールほど待っていると、もしもしという言葉が聞こえた。

「佐藤茜です。斉藤さん、話がしたいんだけど、今時間はとれるかな?」

『大丈夫です。何でしょう?』

「ありがとう。――昨日相談した件なんだけど、資料ができたからそちらに送りたいんだ。昔教えてもらったフリーメールのアドレスに送ろうと思ってるんだけど、いいかな?」

『はい、そこに送ってもらえれば確認します。資料の中身は聞いても?』

 私はメーラーを起動して送信する準備をしながら、彼女の質問に答える。

「資料は三つ。机にされたいたずらを写真に残したものと、いじめをしている最中の映像、そしていじめを受けた生徒に対する教員の対応を録音したものだ。

 この学校、マジでヤバイぞ」

 笑いながら言って、メールを送信する。

 しばらく沈黙があって、彼女の言葉が返ってくる。

『メール来ました。今から確認します。――確認しました。

 あの、音声のほうは、これ、本当にこう言ってたんですか?』

「私にそんなものを捏造する理由はないよ」

『だとしたら腐ってますね。……本当、最悪だ』

「とりあえず今日確保したのはそれだけだね。明日以降も同様に証拠を集めるつもりではあるけど、記事は書けそう?」

『問題なく。――ああ、そうだ。こちらでも写真が確保できましたので、送っておきますね』

「ありがとう」

 そう言って、メーラーを何度か更新すると、新着メールが出てきた。メールを開いて、添付ファイルを開く。

 添付ファイルは画像データだった。中身はいじめをやっている最中の女子グループの様子を撮ったものと、アップで各々の顔を撮ったもの。映りがいい、よく撮れた写真だった。

「こっちもファイルを確認したよ。よく撮れたね、こんな写真」

『一応部活でやってますからね。色々あるんです、やり方』

「頼もしい限りだ」

『お褒めに預かり光栄です。この手の写真がまだ要るようであれば、まだ撮りますが、どうします?』

「いや、これだけでいいよ。何度も時間をとらせるのもなんだし。証拠としてはこれで十分だろう。音声つきの映像も残ってるしね」

『私のことは別に気にしなくてもいいんですが……茜さんがそう言うのであれば、写真を撮るのはやめておきます。

 代わりに、記事作成をがんばりますね。いつまでにあげればいいですか?』

「今週の金曜までに貰えれば助かるけど。デッドエンドは日曜午前ってところかな」

『んーと……はい、わかりました。金曜は厳しいですが、土曜には記事を送ります』

「ありがとう。よろしくお願いします」

『はい、わかりました。では、また何か情報が得られれば連絡します』

「うん、わかった。そのときはよろしく」

『はい。それでは失礼します』

 ぷつんと電話が切れる。私もボタンを押して電話を切った。

 そして、ノートパソコンを落として、軽く伸びをする。

「ふ……んーう。とりあえず今日の分は終了だな。明日もがんばるとしよう」

 言って、私はベッドに横たわった。





 翌日、平日は火曜日。

 学校に登校し、教室に入り、自分の席に行く。

 今日は机の上に菊の花が一輪、花瓶に挿して置かれていた。

 私を死んだものと見なしたいのだろうか。金もかかるだろうに、よくやるものだと内心で感心した。

 昨日と同じように、机の状態を携帯で撮影して保存しておく。机の中身、椅子と確認して、何も無いようだったので、菊の花はそのままにしておいて、席についた。

 鞄をチェーンと南京錠で留めておくことと、ICレコーダーのスイッチをオンにすることも忘れない。

 やがて朝のHRが始まったので、新たに追加された菊の花について、どう思うかを教員に尋ねたが、やはり私がやったことにされた。

 これは他の教員に関しても変わらない。気を引きたいのかと、そんな風に言われることが多かった。

 放課後になると、図書室に篭って課題や予習復習に精を出す。閉室時間の前に図書室を出て、教室に設置したビデオカメラを交換する。

 家に帰ると、ビデオカメラの映像とICレコーダーの音声から資料となる部分を抜き出して保存し、念のためということで、斉藤さんにメールを送った。

 その後、てきとーに時間を潰して就寝した。





 その後、水曜日から金曜日にかけて、いじめは続いた。

 水曜日には机に生ゴミを詰められた。木曜日には椅子の板に机と同様の悪罵を書かれ、鞄を水浸しにされた。金曜日は鞄の持ち手を切断されて、鞄をごみ箱に捨てられた。

 それぞれの出来事について教員にどう思うか聞いてみたが、誰一人としてこの有様をいじめと認めることはなく。木曜日の時点で私の問いかけは無視されるようになった。

 流石に鞄を壊され、捨てられたときはうんざりしたが、私は淡々と証拠集めを進めた。

 金曜の夜に集めた資料を再確認して、各資料を三部ずつ印刷してファイルにまとめた。また、音声データと映像データについては、無料のファイルアップロードサービスを利用してURLを確保し、どのURLが何のデータかわかるようにリスト化した。

 斉藤さんの作った記事は、金曜の深夜にメールで送られてきた。電話をかけて感謝の言葉を伝えると、斉藤さんは笑みを含む声でこう言った。

『気にしないで下さい。私のしたことが茜さんの役に立てたなら、嬉しいです。

 何を奢ってくれるか、楽しみに待ってます。ご武運を』

 再度お礼を言って、通話を切る。

 そして、いじめの主犯、クラスに所属する生徒、および私の問いを否定した教員の名前を多少ぼかした――例えば木村ならK村とする――形で記載した名簿表を作って、斉藤さんが送ってくれた記事とURLを記載したリストをまとめて数百部刷る。

「さーて、と」

 これで準備は整った。

 ここからは反撃の時間である。




<4>

 土曜日はただぼんやりと過ごした。

 反撃をする前の最後の休憩というやつだ。

 ――なにせ、明日以降私が生きているかどうかわからなかったから。

 日付が変わって日曜日。

 夜の八時を回ったあたりで、私は外着に着替えて家を出た。

 金曜から土曜にかけて、深夜に刷った数百部の紙束を入れた鞄を持って夜道を走る。

 携帯の画面に表示した地図を元に、手近な家から順序よく紙束をポストに入れていった。

 学区全部を回るのは流石に無理だが、可能な限り広い範囲を回るようにした。

 鞄に入れた紙束が完全に無くなったのは、夜の十時を回ったあたりで、

「……あー、きっつい」

 家に辿り着いたのは十一時ちょっと前になった頃だった。

 計四時間――フルマラソンでもした気分になる。もうへとへとだ。

「茜ちゃん、こんな時間までどこに行ってたの?」

 玄関に座り込んで、靴を脱ぎながら息を整えていると、背後から声がかかった。母の声だった。

 首を動かして後ろを見ると、母の心配そうな、ただちょっと怒っているような顔が見えた。

 私は苦笑を浮かべて、母に答える。

「ちょっと走ってきたんだ。最近運動不足だったから」

「こんな時間にやらなくてもいいんじゃない?」

「人が居ると恥ずかしいからさ。どうしても夜になっちゃうんだよ。……でもまぁ確かに、今日は遅くなりすぎた。久々だから時間の感覚忘れちゃってたんだよ。おかげでもうへとへと。

 次からは気をつけるから、今回は大目に見てくれるとうれしいなぁ」

「……茜ちゃんは女の子なんだから、気をつけないとダメよ」

「うん、わかってる。ごめんなさい」

「わかってるならいいけど……。とりあえずお風呂に入っちゃいなさい」

「わかった。一度部屋に戻って着替えを取ってくるよ」

 言って、自分の部屋に戻る。

 証拠写真、証拠の各データが入ったUSBメモリ、今日配った記事と関わった人間のリストをそれぞれ三つずつ用意して、それぞれを一部ずつ封筒に入れて机の上に置いた。

 そして、用意しておいたメモを別な封筒に入れて、資料を入れた封筒の上に置く。

 最後に用意した封筒は両親宛の伝言だ。

「……やらなくてもよさそうなのはわかってるんだけどなぁ」

 吐息を吐いた後で、下着の替えと寝巻きを出し、机の引き出しからメスを取り出して風呂場に向かった。

「今からお風呂入るねー」

 リビングに居るだろう母にそう告げて、脱衣所に入る。

 汗だらけの外着と下着を脱いで脱衣カゴに投げ入れて、風呂場に入った。

 給湯器の電源を入れて、シャワーのハンドルを開く。お湯が出たのを確認してから、頭から被った。

 ざあざあと頭に当たったお湯が体のあちこちを流れていく感覚をただ無心に味わって、大きく息を吐いた。

 シャワーのハンドルを閉めてお湯を止める。

 そして、持って入ったメスの刃を眺めた。

 ……本当にやっていいの? やれば後戻りは出来ないよ?

 弱気の虫がまたぞろ頭をもたげる。

 ――知るか、クソッタレ。

 奥歯を噛んで、感情を噛み殺してメスの刃を手首に走らせた。

 ちくりと痛みが走る。

「……っ」

 痛みに遅れて、赤い雫がふつふつと沸いてくる。

 足りない。これじゃただのためらい傷だ。

 もう一度メスを振る。足りない。振る。足りない。足りない。振る。まだ足りない。もっと、もっと傷が要る。もっと、もっと――!

 何度もメスを振って、やがて雫は筋となり束となって溢れた。

 静脈が切れたのか。もうよくわからないけれど。

 ……もういいんじゃない?

 ――まだ足りない。これじゃ、ただの自傷だ。 

 メスを慎重に構えて、手首の皮を大きく切る。切った皮に指を入れて、傷口を開いた。

 ……痛い。痛い。痛い。痛い!

 がんがんと頭に痛みが走る。涙が出る。歯を食いしばる。開いた口端からよだれが垂れる。

 それでも続ける。

 血でよく見えない手首の中をかき回して、筋繊維を避けて、押し広げて、動脈に触れる。

「うぇ、げ、あぐ……っ!」

 痛みが積み重なって限界を超えて、吐いた。膝から床に崩れる。かろうじて吐いたものが傷にかかるのは防いだ。代わりに顔や口の周りがべったりと汚れた。

 構わない。だから風呂場を選んだのだ。

 傷口からいったん指を離して、メスをまた握る。刃を慎重に潜り込ませて刺した。

 溢れる血の量が一気に増える。どくどくと、鼓動にあわせて流れている血を見て、後悔した。

 ――何やってんだろ、私。

 笑う。涙で視界がぼやけている。アホなのはわかっているが、やっぱりこういうのは怖い。傷が痛い。二の腕の付け根を握る。流れる血の量は変わらない。このまま死ぬ? 怖い。寒い。力が抜ける。怖い。怖い。意識が遠のく。怖い。

「……あー、バカだなぁ私」

 意識が飛んだ。





 目が覚めた。飛び起きようとして、体がついてこなかった。

 ぎぎぎ、とまるで関節が錆び付いてるようだった。なんとか上半身を起こしきったときには、息があがっていた。

 頭がずきずきと痛む。瞼が異様に重くて開けていられない。そんな状態ではあったが、ゆっくりと視線を動かして周囲を確認した。

 白い部屋だった。薬品くさい清潔な空気、真っ白なシーツ、簡易ベッド――私の体に視線を移せば、身に着けているのは見慣れない衣服。

「病院の病室、かな?」

 声もかすれてうまく出せなかった。

 しかし、生きている。そのことにほっとした。

 私が意識を失ってからどれくらい時間が経ったのだろう? 病室に時計やカレンダーといったものは置かれていない。誰か来るまで待たなければいけないのだろうか。

 そう思ったところで、病室の扉が開いた。

 入ってきたのは母だった。

 母は私が起きていることに驚いたようで、少しの間かたまって動かなかったが、すぐに気を取り直したのかこちらに近づいてきた。

「あの、母さん、今日の日付を――」

 私の発言は乾いた音で止められた。

 頬を張られたと気づいたのは、音が終わって、頬がわずかに熱を持ったように傷んだからだ。

 視線を戻す。母は泣いていた。私と視線が合うと、母は口を開いた。

「あんた、何をやったかわかってるの!? 自分で自分を傷つけるなんて……どうしてそうする前に相談しなかったの!?」

「……ごめんなさい。心配をかけて」

「本当に、もう、こういうのはお終いにしてちょうだい」

「うん、ごめん。もうしない」

 母は私の言葉を聞いて、一応納得してくれたのか、涙を拭いてこちらを見た。

「それで、話はしてくれるんでしょうね?」

「うん、話すよ。包み隠さずに。――そして、お願いしたいことがあるんだけど、父さんは?」

「今から連絡する」

「じゃあ、申し訳ないんだけど、ついでに自宅に戻ってもらって、私の部屋の机に置いてある封筒を持ってきてもらうようにお願いしてくれないかな」

「なんで」

「説明するのに必要だから」

「わかった。ちょっと待ってなさい」

 そう言って、母は一度病室を出た。

 どれくらい時間が経っただろうか。やはり時計がないと、変な感じだ。時間感覚が無くなっていくような錯覚がある。

 割と長い時間待っていた気はするが、実際は十~二十分くらいだったのだろうと思う。それくらいの時間が経ってから、また病室の扉が開いた。

 入ってきたのは父と母の二人。母の手には、私が用意した封筒があった。

「ありがとう。……それと、父さんにも迷惑をかけたね。ごめんなさい」

「それはいい、気にするな。でも、どうしてあんなことをしたのか説明が欲しい。母さんもそう思ってる。もちろん、私もだ」

「うん、話すよ。全部話す」

 母さんから封筒を受け取り、資料の入った封筒を開いて中身を出した。

「私ね、いじめられてたんだ。

 まずはこの写真を見て。一日目は机に落書き、二日目は菊の一輪挿しを飾られて、三日目はゴミを入れられた。四日目は机だけでなく椅子にも落書きをされて、最後の日には鞄を捨てられた」

「……学校の先生には相談しなかったの?」

 母が写真から視線を動かさないまま、聞いてきた。

 私は母の質問に肯定を返す。

「うん、したよ。授業の始まるときなんかに、聞いたよ。これを見てどう思いますか、ってね。

 誰一人として、私がいじめに遭っているとは思わなかったみたいだ。全部、私が周囲の気を引くためにやっているということにされた」

 私の言葉を聞いて、母は憤りを隠せないようだった。ベッドの端を叩いて、大声で言う。

「そんなの、おかしいでしょ!」

 父はそんな母を宥めるように肩を軽く叩くように手を置いて、ただ視線は私に向けて、聞いてきた。

「それで、犯人の目星はつけてるのか?」

「証拠なら手に入れてあるよ」

 私は封筒からUSBメモリと、主犯や教員の名前が書かれた紙を取り出して、父に渡した。

「このUSBメモリにはいじめを実行しているところを撮った写真と映像、そして教員が私の問いにどう答えたかを残した音声データが入っている。

 こっちの紙には、いじめの主犯や傍観したクラスメートと教員の名前が書いてある」

 父は資料を一瞥した後で、私に視線を戻して聞いてきた。

「どうしてほしい?」

 私は父の視線をまっすぐ受け止めて、言った。

「お金がかかるけど、弁護士にその資料を持って相談してきてほしい。

 その資料だけでは名誉毀損か侮辱罪にしかならないけど、今回の私の自傷を絡めれば自殺教唆か殺人未遂も付けられる筈なんだ。勿論、私は法律の専門家ではないから、実際に相談してみて判断してもらわないと、その罪がつけられるかはわからない。だけど、もし事実を犯罪として構成できるのであれば、弁護士と一緒に警察に行って被害届を出して。

 あと、一緒に、いじめの主犯に対して損害賠償請求の内容証明も出してくれれば嬉しい」

 母が目を見開いてこちらを見ながら、言う。

「……茜ちゃん、もしかして今回手首を切ったのは」

 非常に言いにくいが、それでもここは答えなければならないところなのだろう。

「……うん、自殺教唆をつけるため。この部分は弁護士には言わないでほしい」

 母の髪がざわっと逆立ったように見えた。やばい、超怒ってる。当たり前かもしれないけど。

「茜ちゃん、あなたね――!」

 しかし、父が母を制した。母さん、と一言呼ばれて、母は押し黙る。

「茜、君のやったことは褒められたことじゃない。もっと自分を大事にしなさい。次からは公務員が頼れなくても、私たち、親を頼りなさい」

「わかった。もし次があれば、必ず相談する」

「よろしい。……他に何かあるか?」

「ううん、ないよ」

「学校には何も言わなくてもいいのか?」

「そっちは私が手を付けてる」

 私は封筒から斉藤さんに作ってもらった記事を取り出して、父に渡した。

「これと、名前をちょっとぼかした名簿、それと音声データや映像データを取得できるURLを書いた紙をひとまとめにして、近所に配ってある。

 私が動かなくても、声の大きな大人が学校や役所に電話を入れてるはずだよ」

「動かなかった場合は?」

「この封筒を教育委員会宛に送ればいいだけ」

「じゃあ、私が出しておこう。ついでだ」

「うん、じゃあお願い」

「では私はいったん帰るよ。母さんも一緒に、弁護士のところへ行くようにしよう」

「迷惑をかけてごめん」

「謝る必要はない」

「……じゃあ、動いてくれて、お願いを聞いてくれてありがとう」

「子どもが気にすることじゃない。――母さん、こういうのは取り掛かるなら早いほうがいい。行こう」

「……あと一日は安静にってことだから。その時間を使ってちゃんと反省しなさい」

 父と母、それぞれがそれぞれ言いたいことを言い残して、病室から出て行った。

 扉が完全に閉まって静かになってから、私はベッドに横たわって、

「……あーあ、もうちょっとスマートに物事を進められるようになりたいなぁ」

 大きく溜息を吐いた。





 私が気を失ってから二日、意識を回復してから一日という時間を病院で過ごした後で、私は病院を退院した。

 大事をとって――というか母が外に出したがらなかっただけだが――今週いっぱいは学校を休むことになった。

 とは言え、体の調子は、退院する頃になると普通に動く程度であれば問題ない程度に回復していたので、ただ暇を持て余すだけになった。

 その間に、父や母にお願いした件について聞いてみたら、なんとか動いてもらえるようになったという返答が返って来た。

 内容証明には連絡は弁護士を通して行うことを明記したそうで。後は全部私たちに任せなさいと、父から言われた。

 そう言われては、私としてはもう動くこともできない。余計なことをして、更に迷惑をかけるわけにはいかなかったから。

 このままのんびり過ごして学校に戻るのだろうかと、漠然と思いながら過ごしていたのだが、どうやらそうは問屋が卸さないらしい。

 家に戻って二日経った、平日は金曜日。

 部屋に引きこもってラノベを楽しんでいた夕方に、やにわに階下が騒がしくなった。

「……なんだいったい」

 扉が閉まっている状態では、なんだかうるさいということしかわからない。妙に気になったので、扉を開けてみると、

「……怒鳴り合い?」

 声は鮮明に聞こえてくる。母と訪問客が言い争いをしているようだ。

 母が声を荒げるとは珍しい。そう思って聞いていると、被害届がどうたらとか、そういう単語が聞き取れた。

「もしかして、内容証明出された連中が押し掛けて来た?」

 やれ子どものしたことなのに大げさだとか。子どもの将来がどうなってもいいのかだとか。どうにも加害者意識に欠ける単語が聞こえてきた。

 母もその声に負けじと、声を張って、

「弁護士を通してくださいと言ってあるはずです。お引取り下さい!」

 玄関から先にあげないように牽制しているようだ。

 この時間に父はいない。母一人では押し切られるだろう。

 ……仕方ない。あまり気乗りはしないけど、私が出るか。

 そう決断して、私は机のほうへと取って返した。机の引き出しを開き、手袋を取って身に付ける。ICレコーダーをオン状態でポケットに入れて、携帯も持って部屋を出た。

 階段を下りると、玄関には結構な人数がたむろしていた。数えてみると、十一名居る。いじめの主犯は四人なので、誰か一組のみ片親で集まったようだ。

 彼らの先頭に立って声を張り上げていたおっさんが、階段で降りてきた私の姿を認めて、その声の矛先を変えた。

「おい、おまえか、佐藤茜とかいうガキは!」

 おっさんの態度が変わって、母も私の方に視線を移す。

「茜ちゃん、出なくていいから、部屋に戻ってなさい。――あなた達も帰ってください。弁護士を通してくださいと、何度も言っているでしょう! 帰ってください! いい加減に警察を呼びますよ!?」

「呼べるものなら呼んでみろ。こんなことで警察が来るわけないんだ!」

「不退去罪ってのがありますけどね。無学な人だ。――母さん、もういいよ。私が話を聞くから。

 それで、我が家にいったい何の御用で?」

 おっさんはここぞとばかりに声を張って言う。

「送られてきた内容証明、あれはどういうことだ! うちの娘が何をしたって言うんだ!」

「いじめをしてたんですよ。証拠写真とか見なかったんですか?」

「うちの娘は身に覚えがないと言っているぞ! どうせ捏造したんだろう!」

「じゃあ裁判すればいいじゃないですか。多分、あなた達の負けになるでしょうけど。無罪を証明する証拠、持ってるんですか?」

「おまえ、それが大人に対する態度か!? 親の教育がなってない証拠だな!」

「そりゃそのままあんたらのことでしょうよ。――話にならないな。母さん、警察呼んじゃって。再三の退去勧告に応じない、迷惑な客が来ていて困っているから不退去罪でしょっぴいてくれって。もし警察がまともに取り合わないようなら、監察に対応が悪いとクレームつけるぞと言えば、多分まともに話を聞いてくれるようになるから」

「このガキ……っ!」

 おっさんは我慢の限界だったのか、靴を脱いで勝手に上がり、私のほうへと近づいてきた。

 母がおっさんを止めようとしたが、間に合わなかった。

 おっさんが私の胸倉を捕みあげる。

 顔が近い。おっさんのブサイクな面は見るに耐えないが、まだ手を出す時間ではない。

 私は思う限りの侮蔑を視線に乗せて、表情で表して、おっさんに言う。

「これ、暴行罪になりますよ。前科増やしたいんですか?」

「被害届を取り下げろ。痛い目にあいたいのか!?」

「お断りします。取り下げて欲しいなら示談条件を提示してください。納得のいく内容であれば取り下げますよ」

「……この、クソガキが! 痛い目にあわなきゃわからないみたいだなぁ!?」

 そう言って、おっさんは私の頬を思い切り殴った。

 顔が横にそれる。頬が薄く、熱を持った感覚があったが、芯までは来ていない。大した痛みでもなかった。

「ちょっと、やめてください。離れて!」

 母が慌てた様子でおっさんに手をかけて引っ張るが、おっさんはその手を煩わしそうに払うだけだ。

 おっさんは胸倉を掴んだまま、再度私に言い放つ。

「被害届を取り下げろ。また痛い目にあいたいのか!?」

 私の意見は変わらない。呆れたような吐息もサービスでつけて、おっさんを見ながら言う。

「お断りします。帰ってください」

「この……っ!!」

 おっさんが拳を振り上げて、こちらに向かって振り下ろした。

 ……おっそい、腰の入ってない殴り方だなぁ。

 私はその拳を掌で受け止めた。軽い音が響く。弱すぎる。

 相手が反応を見せるよりも早く、私は次の動作に移った。

 空いている手で胸倉を掴んでいる手の小指を掴んで、逆側に折った。枯れ木が割れるような軽い手応えが手の中に返ってくる。

 胸倉を掴んでいた手は外れた。

「ぎゃあああああ――!」

 汚い声がうるさいので、黙らせるために顎を蹴り上げる。

 すると、腹や胸ががら空きになったので、胸の中心を狙うことにした。軽く踏み込み、体を回して胸の中心を踵で蹴りぬいた。

 おっさんの体が宙に浮いて玄関に落ちる。

 周囲の、一緒に抗議に来ていた親や子どもが悲鳴をあげる。

「うるっさいんだよゴミどもが。黙ってろ!」

 私がドスの効いた声を張り上げると、悲鳴は止まった。

 沈黙が降りる。私に向けられた視線は怯えている。それは母も同様だった。

 ……この件については後で弁明することにして。

 とりあえず、現状を解決するために、私は携帯で警察に通報した。

「もしもし警察ですか? 係争中の相手が家に押し掛けてきて、再三の退去勧告にも応じず困っています。不退去罪でしょっぴいて欲しいので、人を派遣してください。

 あと、押し掛けて来た人間のうち、一名が私に暴力を揮ってきました。言葉で解決する努力はしましたが、止まらなかったので、やむを得ずこちらも暴力で対応しました。こちらについては暴行罪でしょっぴいて欲しいんですけど。

 ――はぁ? ご近所トラブルはこっちでなんとかしろって?

 監察にクレームつけられたくなかったらとっとと人を寄越せ! 住所は――だ! いいな!? もし人が来なかったら、電話をかけた時間を連絡して、別口でクレームつけるからな。ちゃんと人を寄越せよ。いいな!?」

 言って、携帯の通話を切った。

 どうして警察の腰はこうも重いんだかなぁ、と溜息を吐いた後で、母に向かって、

「じゃあ母さん、後は任せたから。警察の人が来たら、このゴミども連れて行ってもらって。被害届も、書けるならついでに書いて出しておいて。

 もし対応できないようであれば、私を呼んでくれればいいから」

 そう言い残して、私は自分の部屋に戻った。





 その後、十分ほど経過してから、警察官がやってきた。

 私が呼ばれることもなかったので、母のほうでうまく処理してくれたらしい。

 詳しいことはわからないが、どうせ注意だけで済ませたのだろう。処分については正直どうでもよかった。

「……それよりも、母さんにどう説明したら納得してもらえるかなぁ、さっきの暴挙」

 バカがやってきたことなどよりも、後で顔を合わせたときに、母から何を言われるかと考えるほうが、私にとっては大きな問題だった。



<5>

 平日は月曜日。

 再び訪れたブルーマンデーにうんざりしつつ、私は学校に登校した。

 教室に入ると、

「茜さん!」

 と名前を呼ばれた。

 何事だろうと思って視線を動かすと、私の席に二人の人影があった。一人は斉藤さん、もう一人は恭二だ。

 ばたばたと駆けて来るのは斉藤さんで、名前を呼んだのも彼女のようだった。

 恭二は私の席に座って、私と斉藤さんを眺めている。

 斉藤さんは私のところまで来ると、両手を私の肩に置いて顔を近づけた。

「茜さん、よかった。もう学校に来ないのかと思いました」

 私は対応に困って曖昧な笑みを浮かべた。

「ちょっと体調を崩してしまってね。心配してくれてたの?」

「当たり前じゃないですか!」

「そ、そうか。ありがとう。だけど、気にしすぎだよ。私がそんな人間じゃないことは、君もよく知ってるだろ?」

「そうですけど……。でも、本当によかった。安心しました」

「それはよかった。でもよかったの? ここに来ちゃって。私と友達だなんて知られたら――」

 私の言葉が終わる前に、斉藤さんが私の名前を呼んで、顔を近付けてきた。

 私の言葉が止まる。

 斉藤さんと無言で見つめ合う形になり、一息を挟んで、彼女が口を開いた。

「私を見くびらないでください。そんなのはどうでもいいです」

 強い視線を受け止めて、彼女の言葉が本当であると思えて、私は力を抜いた笑みを浮かべることができた。

「……そっか。ありがと」

 斉藤さんも笑みで一度、満足したように頷いた後で、手を離した。

「じゃあ、私は自分の教室に帰りますね」

「今度また電話する。一緒に何か食べに行こう」

「楽しみにしてます。では」

 言って、彼女は教室から出て行った。

 その背中を見送った後で、私は自分の席に向かう。

 恭二は相変わらず私の席に座った状態で視線を向けてくるだけだった。

「こんな時間からここに居るのは珍しいな。どうした?」

「机、替えておいたから」

 ん? と思って机を見ると、机に書いてあった悪罵が消えている。椅子は恭二が座っているのでわからないが、おそらくそちらも替えているのだろう。

「そうか、面倒が減ったよ。助かった」

「もう問題は片付いたのか?」

「ああ、おそらくな」

「……なんだよ、随分曖昧な返事だな」

「対応は親任せになったからな。私はもう関知していないんだ。とは言え、弁護士も入れているし、ほぼ確実に何らかの形でケリは着くさ」

「何で先週来なかったんだ?」

「体調を崩していた」

「ウソだろ」

「ウソというわけでもない。……なんだ、随分絡んでくるな。綾子と喧嘩でもしたか?」

「別に。……おまえが居ない間、学校大変なことになってたんだぜ」

「近隣から苦情ばかりが入って自習だけになってたとか?」

「よくわかってるじゃねーか。その通りだよ。おまえ、何やったの?」

「恭二、君も私の机の惨状を知っているだろう。そういうことに対して、対応を行わない公務員が多い学校だぞと喧伝しただけだ」

「……えげつねえ。やっぱり、おまえは怖いな」

 言って、恭二は椅子から腰をあげた。

「綾子から伝言だ。次に何かをするときは私も混ぜなさい、だってよ。あと、命を投げ出すような真似はもうやめて、とも言ってた」

「……どこまで知ってる?」

「職業柄、病院に伝があるんだ。――茜ならこれだけでわかるだろ?」

「……その件については、親にも釘をさされた。もう二度とやるつもりはないよ。私だって、自分の命は惜しい」

「本当に?」

「今のところはそう思ってるよ」

「おっかねえ。おまえを敵に回した奴らはアホだな、アホ。喧嘩を売る方が間違ってる」

「私ほど温厚な人間もいないぞ?」

「冗談きついぜ、茜。……ああ、そうだ。綾子に電話でもかけてやってくれよ。結構心配してたから。体、大丈夫なのか?」

「血の気が多い性質だからな。すぐに回復したさ。綾子には後で連絡を入れておく」

「頼むわ。じゃあな」

「ああ。心配ありがとう」

「は、心配なんてしてねーよ」

「……捻くれ者め」

「どっちが」

 恭二は笑って、手をぷらぷらと振って見せながら教室を出て行った。

 私はその背中を見送った後で、鞄を置いて席についた。

 もう少しで朝のHRが始まる。

 さてさて、教室に入ってきた教員は、私の顔を見ていったいどんな顔をして、どんな反応を見せるのだろう。

「まぁ、どんな態度であれ、思い切り嘲り笑ってやることに変わりはないけど」

 くくっと笑いながら、席についた。


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