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ふたつめの話

<1>

 まずはこの物語の主人公である佐藤茜について説明しよう!

 彼女は、どちらかと言えばモブキャラ的立ち位置にいる人物である。

「なぁ、このくだり必要か?」

 必要だとも!

 何せ、今回は舞台が違う。

 彼女の見た目は高校のときとそう変わらない。

 黒髪黒目。髪型は高校のときと同じ――いや、昔から変わらず、同じ髪型を続けてきたというべきか――肩口のあたりで、前髪はわずかに目が隠れるかどうかのあたりで切り揃えている。

 身長は百六十センチ。体重は乙女の秘密だ。

 今回の彼女は、とある地方にある公立中学校に通っている、中学一年生だ。

 彼女の通う中学は非常に――普通の学校だ。

 髪型には多少の規制があるし、制服の着方にも多少の文句を付けられる程度の風習や校則があった。

 そんな中で、彼女は校則を遵守して上は黒のセーラー服をきっちりと着込み、下はプリーツスカートをしっかり膝下まで伸ばしていた。そして膝下まである靴下を履いていて――肌を出さないことに命をかけているかのような服装は、この時代から継続していたようである。

 彼女がモブキャラたる所以は、彼女自身の境遇に特筆すべき点がひとつもないことにある。

「ここは本当に必要ないだろう。何度も言われると腹が立つんだけど流石に」

 別にバカにしようとして言っている訳ではない。

 君自身は確かに特別ではないかもしれない。

 だけどこの時期に、君は大衆小説で描かれる出来事に近いことを体験しているだろう?

「…………」

 だから。

 彼女の身上に特筆すべき点がひとつもなくとも、今回の話に限っては、ただ彼女自身の意思のみで、ただのモブキャラとは一線を画す特別性を手に入れたのだ。


 では、物語を始めよう!


「あの面倒を語る羽目になるとは……まぁいい。今回は、悪魔と戦う正義の味方のお話さ」



<2>

 はーい、佐藤茜でーす。

 ……ああ、無理。テンション高い感じはホント無理だ。

 本日は平日。水曜日だ。

 朝はちょっぴり寝坊して、母の作ってくれた朝食を食べ損ねてから、家を出た。

 学校には遅刻せずに到着し、空腹に耐えながら午前の授業を受けて。弁当でお腹を満たした後で、午後は睡魔に耐えながら授業をやり過ごした。

 そして、ようやく放課後だ。

 部活に行くやつは部活に行くし、遊びに行くやつは遊びに行く。

 私? 私は放課後になったら、図書室に行くことに決めている。出された課題を片付けるのが主で、予習や復習もそこでやるようにしていた。

 真面目な学徒なのでね。

「……はぁ」

 遊ぶ友達も居ないだけではあるのだが、考えるのはよそう。溜息しか出ないから。

 この学校の図書室は、校舎内部にある。――当然なのかどうなのか、学校によるだろうと思って言ってみた。

 この中学の校舎は、上から見ると四角形に見える形になっていて、特別教室のある棟と教室のある棟の両端が渡り廊下で繋がっている。図書室は特別教室のある棟の三階にあった。

 対して私の教室は教室のある棟の二階中央部分にある。

 まぁ大した距離じゃあない。

 終礼が終わった後にのんびり行けば、すぐにつく。

「はぁ、はぁ……」

 階段を上がるのが少し辛いくらいだ。

 ――我が事ながら情けないが、なかなか体力はつかないようだ。

 体育の授業も真面目に受けているというのに。

 なかなか努力は成果に結びつかないものだ。

「…………」

 息を整えてから、図書室の扉を開ける。まず目に付くのは司書さんだ。話をしたことはないが、最早顔見知りである。会釈だけして図書室にある机の一角に座った。

 その後、鞄の中から勉強道具を取り出して課題を開始する。

 今日の最初の課題は数学――苦手な科目だ。

 課題や予習を全部片付けるまでは時間がかかりそうだった。





 課題を片付けるのに手間取り、予習を終えるのにまた手間取り――結局、終わらせようと思ったものを全部は終えられないまま、図書室の閉室時間となってしまった。

 出て行けと直接言われないまでも、早く出ろと遠まわしに圧力をかけてくるので急いで図書室を出た。

 顔見知りとか言ったのは誰だ。――私だな。

 どうやら向こうの認識は、単にそこに居る置物と認識は対して違わないようだ。

「これからは会釈なしで入れるな」

 気遣いが減るのはいいことだ。

 さて、いつもなら図書室から直接下駄箱に向かうのだが、今日は事情が違う。と言っても、大したことじゃない。単に、教室に忘れ物をしただけだ。

 よくあることだ。

 忘れ物は何かと言えば、国語の教科書だった。

 予習の必要はほぼない教科ではあるが、復習をするためにはノートだけだと非効率だ。そして、今日も家に戻ってから余裕があれば復習はやるつもりでいたので、どちらかといえば、持って帰っておきたい。

 だから、今日は図書室から自分の教室を経由して帰るつもりで移動していた。

 図書館から自分の教室への移動は特に問題なかった。問題があるほうがおかしいのだが。

 私の学校ではクラスの戸締りは宿直の教員が行うことになっていて、鍵の管理は教員が行っている。

「…………」

 戸締り前であったらしく、教室には容易に入ることができた。もし鍵がかかっていれば、教科書は諦めていたが。諦めずに済んでよかったよかった。

 教室に入り、電気を点ける。眩しさに一瞬目がくらんで、でもすぐ慣れる。

 自分の席に行って、机の中を漁る。置き勉――教科書類等を自分の席や教室のあちこちに置いたままにしておくことだ――はしない主義であるため、机の中はすっかすかで、だから、探し物はすぐに見つかった。

 てーれってれー。佐藤茜は国語の教科書を手に入れた。

「……面白くないな」

 溜息を吐いて、苦笑もしながら、教科書を自分の鞄に詰める。

 そして、念のために――忘れ物をしたからだ――机の周囲を再度確認してから、教室の電気を消した。

 今度は目が明るさに慣れていたせいで、教室に来る前より暗さがよりいっそう増した気がした。

 ほんの少しだけ不安が過ぎる。漠然とした不安だ。

 気のせいなのだが。

「……やれやれだ」

 言って、教室の扉を後ろ手に閉じながら廊下に出る。

 同時。

 肌がぞわぁっと肌が粟立った。

 直感的に、なぜかこう感じた。なにかいる、と。

 私は周囲をちらちらと見回す。

 ――なにが? なにが見てるの?

 わからない。教師だろうか。でも教師だったらこんな風には感じないだろう。

 ――本当に? 気のせいじゃないの?

 わからない、わからない。だって、暗いし、どこから見ているのかだってわかりはしないんだ。……本当かどうかなんて判るか!

 こわい。こわい。こわいこわいこわい。なにこれ、なにこれ。

 ああ、誰か居るなら出てきてよ。それで安心させてよ。でも、変質者とかが居るんだったら勘弁してほしい。

 そこまで考えたところで。

 脇腹の辺りに衝撃を感じた。

 ――最初に感じたのは熱。

 熱い。なにこれ。え?

 ――次に感じたのは、中身が触られる壮絶な違和感。吐き気。気持ち悪さ。

 やだ、やだ、何これ、何なんだこれ!

 ――そして、次に感じたのは、中身が吸われそうにな――


 瞬間。頭の中が真っ白になった。

 そして、私は私に刺さったそれを、自分の手がどうなるかも厭わずに、携帯していたピアノ線を巻きつけて切断した。

 何かが声らしきものをあげたような音がした。


 ふっと正気に戻った後で、腹部と手の痛みに泣いた。腹部は特に熱くて、痛くて、泣き叫んでいた。もう痛すぎて訳がわからなかった。

 おなかを触った。べっちゃりとなにかが手についた。何なのか考えたくなかった。でもこのまま死ぬのかと思った。

 そう思った時に、声が聞こえた。

「大丈夫か!? 助けに――」

 一言目が論外だったのでぶち切れた。

「これを見て大丈夫に見えるか!? いいからさっさとどうにかしてよ! どっちからでもいいから!!」

「――わ、わかりました!」

「ああ、でも……」

 姿の見えない誰かに対して、随分と酷いことを言った気はするが撤回はできないか。

 ああ、でも、どうせならこっちからどうにかして欲しいなぁ。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。

「しにたくないよぉ……」

「……死なせませんよ。死んでもらっても困ります」

 もう一人の誰かの声を聞いた直後に、私の意識は落ちた。






<3>

 ああ、ここは何だろう。

 すごいいろんなものがある。どっかで見たことのある気がするものばっかりだ。

 それが何かはわからないけど。

 でも、わかることがある。

 ここにあるものは、どれもが私の大切なものだ。

 ……あれ、何でそれを持っていこうとしてるんだ?

 ――何かが、ここから何かを持っていこうとしているのがわかった。

 しかし、持っていこうとしているものは、ここにあるものだ。ここのものだ。


 ――佐藤茜個人のものだ。私の了承もなしに、なに勝手に持っていこうとしてるんだ――!





 私は飛び起きた。

 ――何だ、今の夢は?

 普段夢を見ることの少ない私にしては、やけにはっきりと、明確に思い出される夢――というより、もはや記憶に等しいといっていいくらいに、褪せることがなかった。

 そして思う。ここはどこだ?

「……私の、部屋?」

 視線を巡らせれば、見慣れた自分の部屋だった。

 しかし見慣れない異物が二つある。

「ええ、あなたの部屋よ」

 と答える、うちの制服を来た女子が一人。

「…………」

 そして無言を維持する、これまたうちの制服を来た男子が一人だ。

「……誰、あんたら」

 言いながら、私は自分の体を確認する。

 制服は着たままのようだ。

 しかし、その制服は無事なまま、いつもの姿をしていて。

 脇腹を触っても、痛みや傷も確認できなかった。――傷については、服の上からのみの確認である。男子がいるからな。でも、服の上からでも十分確認できるレベルの傷だったはずだ。

 それに、掌の傷もない。

「……恩人に対して、あんたらという言葉は失礼ね。気を失っていたあなたを介抱して、この家まで運んであげたのよ?」

 ここに来てこの台詞。気を失っていた前は、私はどうだった? なんで気絶した?

 笑ってしまう。なにを言っているのかと。

「何それ。それで母さんに、ここに通してもらったの? もっと直接的に言えばいいじゃない。命を救ってあげましたよって」

 一瞬空気が凍った。――そんな気がした。

 まぁ多分こうなることもわかってはいた。実際にこうなるとは、本当には思ってなかった部分もあったけど。

 なかば自棄になって言ってしまった部分もあった。しかし、嘘を貫き通せばいいのに。そう思った。

 私の言葉を聞いて、女子のほうは動揺から思案顔に、男子のほうはこれはもうあからさまに聞いてきた。

「……っ、お前、覚えてるのか?」

 女子の視線が男子に刺さる。男子は女子に対して申し訳ないと表情で語っているが、なにが悪かったのかを判っているのだろうか。

 私がわかっている時点で終わっているのかもしれないけど。

 私はベッドの上から下りて、立ち上がると、頭を下げた。

「恩人に対して、誰何の仕方がなってなかったのは謝るわ。ごめんなさい。寝起きは悪いほうで。

 とりあえずは、お礼を言わなきゃいけないな。

 命を助けてくれてありがとうございました」

 恩人に対して、私ができるのは言葉の礼だけだ。金銭を要求されても困る。ただ、私なりに礼は尽くしたつもりだった。

 そして、私は頭を上げて、特に女子のほうを意識しながら続ける。

「それで、私はあったことを言うつもりもないし、言う相手もいないから。安心して帰ってくれていいですよ」

「……そんな言葉で帰ると思う?」

「私の言葉がなくてもあなたたちは一度帰らざるを得ないでしょ。

 ――母さん! もう二人帰るってさー!」

「あなた!」

「これで居座ると印象悪いでしょうね」

「ただの問題の先送りよ」

「あなたたちのね。私には問題なんて生じてない。その問題は、私の側の問題は、あなたたちの手で解決されている。それとも、正義の味方は、その行いの対価に金銭を求めるの? ――ねぇ、そこの男子。正義の味方は助けたからって、助けたヒトからお金を貰うの?」

 突然水を向けられたそこの男子は、身体をびくつかせて驚いた後で、首を傾げながら言う。

「え、いや、求めないんじゃね?」

「……っ!」

 女子は男子の発言にお冠だ。怒りすぎて言葉にならないらしい。

 そんなタイミングで、私の部屋の扉がノックされた。

 母さんだ。下りるのが遅いと見に来たか、単に見送るために上ってきたか。いずれにせよ、ここにいる二人はお帰りだ。

「流石に、発言をそうそう翻したりはしないよね? ――じゃあ、そういうことで」

「覚えてなさいよ」

「忘れたほうがよかったのでは?」

 女子は舌打ちを、男子はそんな女子に戦々恐々としながら部屋から出て行った。

 私ははーっと溜息を吐いた後で、ベッドに倒れこんだ。

「疲れたー。……今日の分の勉強はいいや、面倒くさいし」

 その後、ベッドに倒れた私は玄関のドアが閉まる音が聞いた。二人は大人しく帰ったらしい。

 そして、母さんが階下から夕食はどうするのー?と聞いてきた。

 流石に夕食まで抜くのは勘弁だ。だから元気よくこう返事した。

「食べる!」




<4>

翌日。平日は木曜日だ。

 今日の朝はいつも通りに起床したが、母の朝食はなかったので、泣く泣くパンを頬張り家を出た。

 母がいない理由は母親の会みたいなのの一泊二日の旅行のためらしい。つまりは二日は母の食事にありつけないことになる訳だが、お金は父からもせびったし、ひもじい思いはしなくて済みそうだ。

 いつもより早く家を出て、途中のコンビニで今日の昼飯と飲み物を確保して、いつも通りの時間につくように学校へ向かった。

 教室に着くと、中はわいわいといつもより少しだけ大きく、騒がしさを見せていた。

 私は挨拶する相手もいないし、会話に加わる相手もいない。だから、HRの時間までそうないし、まっすぐ自分の席に向かう。

 ただ、内容については気になったので周囲の言葉に耳を傾けてみる。

「でも、びっくりしたよねー。上級生が来るなんて」

「でもさぁ、一緒にいた子、うちらの学年だよね」

 ふむ。

「あんな綺麗な上級生が居るなんて知らなかったぜ。損してたー!」

「一緒に居た男子、あの人とどんな関係なんだろうなぁ」

 ふむ。ふむ。

 どうやら朝、男子と女子の二人組がこの教室に訪れたらしい。そのことが話題となってクラス内を沸かしているようだ。

 でも、普通だれそれを探していると乗り込んでくるものだと思うが、名前は知らないのだろうか? 苗字だけはわかりそうなものだが……うちのクラスに佐藤は二三人いたな、そういえば。そうでなくともクラスの中を見渡せば、誰に聞かずとも、居るか居ないかくらいはわかるか。

 クラスだけは、まぁ昨日襲われた場所であたりをつけたのだろうが。

「流石に一日乗り切るのは無理か」

 朝訪れたという男女について、おそらくそうだろうなと思うだけではあったが。

 昼休みになるのが少し不安になった。





 昼休みになった。

 だから、自然な動作を心がけつつ、鞄の中から今日の昼食を取り出し、椅子から立ち上がり、教室の外に向かう流れに乗って教室を出ようとした。

 しかし、教室から一歩出たところで右肩を叩かれた。

 無視をしてもよかったのだが、それはそれで面倒そうだと考えて、右を見た。

 視線が合うと、相手は少しも楽しくなさそうに笑った。そして言う。

「ハロー。昨日はよくもやってくれたわね」

 昨日私の部屋であった女子だった。

 案の定である。

 私は溜息を吐いてから、出入りの邪魔にならない位置に移動した。そして聞く。

「こんにちは。どこの誰とも知らない人。昨日はお世話になりました。それで、何の用ですか?」

「私たちの話を聞きなさい」

「……昼食を摂りながらでよければ」

「いいわ。中庭に行きましょう」

 言って、彼女は歩き始めた。

 中庭とは、この四角い校舎の中央部分を言っているのだろうか。

 私を追うようにして歩き出す。

 彼女の歩みはかなり速かった。ついていくのも、体力のない私では一苦労だ。

 内心ではひいひい言いながら、私は彼女に問いかける。

「もう一人の男の子はどうしたの?」

「先に行かせたわ。私のほうが当たったから」

 もしかして教室の前後にある扉それぞれに立って、出て行く人を見ていたのだろうか。なんて不毛な。

「私が教室から出なかったら徒労になってましたよね、それ」

「出たからいいのよ。ある程度人が居なくなっても見つからないようなら、教室の中を見ればいいだけだし」

「まぁ出ることは予想されてた感じですかね。いやー、叶わないなぁ」

「……本気でない賛辞は不快なだけなのだけど」

「世の中はお世辞で回ってるのに、大変な生き方をされているようで」

「……見捨てておけばよかったかしらね」

 そんなことを言われてしまっては、私は口を噤むしかない。黙って彼女についていくことにした。

 彼女は階段を下りると、一度下駄箱に向かった。

「靴を履き替えてきて」

 と一言残して、彼女は上級生――三年生の下駄箱に向かった。

 ……この間に逃げてしまってもいいのではないか。

 とも思ったが、先ほどもああ言われたし、後が怖いのでやめておいた。

 素直に靴を履き替えて、昇降口を出ると、どこかイライラした様子で立っている彼女の姿を見つけた。

 彼女もこちらの姿に気づいたらしい。

 私がある程度近づくと、再び無言で歩き出した。

 私もそれに続く。校舎にそって延々と歩く。

 やがて校舎の外周半分くらいを回ったところで、彼女の背中が消えた。曲がったようだ。

 私も進んで、首を振って彼女の姿を探して、そちらへ曲がる。

 するとそこには、緑が多めに配置されたスペースがあった。

 そして目の前には彼女が男の子を叱っている姿がありました。

「なんで、まだ、準備できてないの!」

「いや、ちょっと雑談して来るの遅れて、あと、シート広げるのに手間取って――ああ、悪かったって怖い顔すんなよもー!」

「わたしー、帰ってもいいですかー」

「丁度いいからあなたも手伝いなさい、シート広げるの。ほら、早く!」

「うへぇーい」

 別に大した作業ではないからいいけども。

 三人でかかればすぐに広げられたシートの上に、三人で上がる。

 私は持ってきた昼食をコンビニ袋から取り出しながら、言う。

「それで、私に話って何なんですか。……それよりもまず、自己紹介からですか」

 口を開きかけた彼を彼女が制止して、言う。

「単に、私たちはあなたに確認したいことがあるだけです」

 暗に自己紹介の必要がないといわれたようだ。名前が無いと困ることは……まぁないが。

「……別にいいですけど。何ですか?」

「あなたは昨日の夜にあったことをどの程度覚えているの?」

「……気絶する前は、何かに襲われて、襲われた後に誰かが来た。そのときに脇腹と掌を怪我した。脇腹のほうは大怪我だったけど。血がどばどば出てたし。それで、弱音を吐いてるところにもう一人の誰かが来た。

 多分、この二人があなた達なんでしょう。

 そこで気絶した後、気がついたら部屋に居て、そこにあなた達も居た。私が覚えてるのはこれで全部だけど」

「本当に全部覚えてるのね」

「普通忘れてるもんなんだけどなぁ。何かヘマしたの、綾子」

「名前は言うなと言ったでしょう、恭二!」

「おまえも言ってるじゃん」

「あんたが言ったからよ!」

 基本的に彼――キョウジのほうが緩く、それを抑えるまたはフォローするのが彼女―ーアヤコになっているらしい。それにしても、二人のやり取りを見ている限りは、非常に近しい間柄であるように見受けられる。幼馴染か、ないし恋人か。まぁ後者であるかを聞くのは流石に野暮というものだが。

 二人のやり取りが終わるまで、基本的にやることがない私は、黙々と昼食を食べ進める。時間が勿体無いし、何よりお腹がぺこちゃんだ。

 むっしゃむっしゃと昼食を平らげていると、やがて言い合いはひと段落ついたのか、こちらに視線が戻ってきた。

「……なんで昼飯もう食ってんの」

「今は昼休み。食事の時間。だから私が食事を摂っていることに不思議はない。そして、私は食べながらでいいなら、とここに来た。つまり間違っていることは何一つ無い」

「俺も食っていい? 綾子」

「……私も食べるからいいわ」

 言って、二人も昼食を広げる。二人ともお弁当のようだった。

 どうやら中身は一緒らしい。

 仲のいいことだ。

「……なに、その顔は」

「いえ、別に何も。――それで、今回の用件は、さっきの聞き取りで終わりですか」

「……どうしようかしら。こういう風になったことないのよね」

「うちの爺さんに報告したら、おまえらでなんとかしろ、って言われたけど」

「……しばらく監視でもする?」

「私は誰かに話したりしませんよ。というか、むしろ私から聞いてもいいですか」

「……なにを?」

「昨日私を襲ったのは、何ですか」

 私は彼女を見ながら聞いた。

 彼女はしばらく思案するように首を傾げた後で、言った。

「……私たちは悪魔と呼んでる。人を喰う化物よ」

「二人はそれを退治している?」

「おう、そうだぞ。俺が直接戦闘、綾子が回復とかの支援だな」

「ちなみに、その悪魔に、人の言葉を理解するようなやつはいるんですか」

 私の言葉に、面食らったような表情をして固まった後で、怪訝そうに表情を歪めて彼女が聞いてくる。

「……どうしてそんなことを聞くの?」

 私は特に気負うわけでもなく、肩を竦めて言った。

「単に気になったからですよ。他意はないです」

「……居るらしいけど、出会った事は無いわ」

「俺も話でしか聞いたこと無いなぁ」

「そうですか。――ごちそうさまでした」

 言って、立ち上がる。

「……急に立ち上がってどうした?」

「いえ、聞きたいこともないし、やってほしいこともないのであれば、教室に戻ろうかと」

「やってほしくないことはあるわ」

「喧伝して回るな、でしょう? それは重々承知してます。他には?」

「……いえ、それだけやって貰えれば十分よ」

「……なんていうか、つめてぇなぁ」

 立ち上がって、数歩歩いて、ああ、と言い忘れていたことを思い出した。

 二人を振り返り、彼に視線を合わせて、

「私から一つ言い忘れていた。キョウジくん、あの時は口汚く罵って悪かった。必死だったんだ、許してくれるとうれしい」

 頭を下げて、上げる動きで身体を反転させて、歩き出す。

「ああ、気にしてねえよ!」

 背後から言葉が届いて、その内容にほっと一息を吐いた。





 その後、彼と彼女からの干渉や接触は特に無かった。

 同学年の彼とは、流石に接触なしとはいかなかったが、それでもやったのは会釈程度だ。

 ほぼ接触がないと言っていいレベルだろう。

 あの日のことは、あれで終わりになった。

 私は普通に生活する毎日に戻った。

 そして、三ヶ月ほど経ったある日。

 その日は木曜日だった。

 朝は母の朝食をきちんと食べて、父と一緒に家を出た。いつも通りに学校に辿り着き、そつなく授業をこなした後で、放課後になった。

 放課後になれば、私は図書室に行って勉強に励む。

 ……あんなことがあった後でも、この習慣は変えなかった。

 別に再体験を期待していたわけではない。あんな痛い思い、死ぬような思いは二度とご免だ。

 ただ、私は私の普通を貫くことに必死だっただけだ。余裕なんて元々ない。それをすることで精一杯なだけだった。

 そんな放課後の終わりも終わり、司書に追い出されて、さて帰るかというところになって、ふと外を見た。

 雨が降っていた。結構な土砂降りだ。

 うわあめんどくさあ、と思いながら鞄を漁って折り畳み傘と教科書保護用のビニール袋がなかったかなと探しつつ、窓に近寄る。

 一度窓を開けて、どの程度の土砂降りなのかを見るためだった。――廊下が汚れる? それは掃除当番が気にすればいいことだ。

 開けてみると、ぶわあっと一気に雨が振り込んできた。廊下がすぐに濡れ始める。すぐに窓を閉めた。

 まさかこれほどとはおもわなか――なんだあれ。

「……?」

 窓の外をよく見る。見るのは中庭の一角だ。緑の多い場所に、何か居る。影に隠れてよくは見えないが、あの色は確かにうちの学校の制服だ。雨の中で傘も差さずに、濡れる地面に座り込んでいるようだ。それにしてもなんだ、周りの地面が赤く滲んでいる気がするが……まさか。

 ――脳裏に過ぎったのは二人の姿。キョウジやアヤコと呼ばれた男女だ。

 気のせいであればいい。というか、私が行ったところで何も出来やしないのだが。

 気になった。

 だから、私はその場に行くことにした。

 誰かに見られたら咎められるな、と思いながら、廊下を走る。

 三ヶ月の成果で、ある程度は体力がついて、階段の上り下りでは息が上がらなくなったとは言え、それでも体力なしのレベルである。すぐさま息が荒れるが、構わず走った。

 階段を三階分降りて、そのまま三年生の教室を横切って渡り廊下を目指す。一階部分の渡り廊下は左右に壁が無く、外と繋がっており、中庭に出るには一番速いルートだからだ。

 渡り廊下に出る直前で鞄を廊下に放置してから、渡り廊下に出る。走るのをやめて、歩きながら中庭に視線をやる。

 すると、先ほど見かけた影はやはり人影であることがわかった。

 渡り廊下の位置からでは、人影が二つあり、片側は座り込んで、片側が倒れこんでいることしかわからない。

「ああ、くそ……!」

 私は濡れる覚悟を済ませてから、両者に近づいた。

 近づいて、すぐに息を呑んだ。

 倒れこんでいるほうが、制服に血を撒き散らして、今も傷口から垂れ流していたからだ。

 しかし、すぐに意気を取り直し、座り込んでいる側に近づいた。

 話ができるとすればこちらだろうと、そう思ったからだ。

「おい、何があったんだ?」

 言って、しゃがみこみ、座り込んでいる側の人物の肩を掴んで、強引に相手の顔を見た。

 そこにあるのはやはり知っている顔――アヤコさんの顔だ。

 まぁ私の知るアヤコさんの顔は自信に満ちた表情くらいのもので、こんなに血の気の引いた余裕のない表情を見たいとは思わなかったが。

「…………」

 視線を動かせば、やっと見えるようになった倒れた人物の顔も、やはり知っている顔――キョウジくんだとわかる。

 しかし、会話をする相手は彼ではなく彼女だろう。ただ、今のままでは会話も成り立たない。

「ごめんなさい。少し酷いことをする」

 言って、彼女の頬を張った。ぱちん、と我ながら軽い音が響く。

 彼女は張られた頬に手をあてて、きっと睨んできた。いいことだ。

「君は回復役なんだろう。だったら、君は君のやるべきをやってほしい。そして、私に出来ることは何かあるか? 救急車を呼ぶほうがいいのであれば、救急車を呼ぶぞ」

「あなたに出来ることなんてないわ。消えて」

 問う言葉に返って来たのは拒絶の言葉だった。

 私は溜息を吐いた後で、彼女の言葉に頷きを返した。彼女がそう言うのであれば、私に出来ることなどないのだろう。

「わかった」

 彼女の肩を一度叩いて、立ち上がる。そして渡り廊下のほうに振り返って――異物を見た。

「なぁ、アヤコさん。忙しいとは思うんだが、教えて欲しいことがある」

「……何よ」

「彼がそうなった原因は、倒しきれたのか?」

「いいえ。……まさか!?」

「あんなのが知らないところで闊歩していたとは、ぞっとする話だ」

 それは、人の形はしていなかった。

 中心部は表面に小さな斧の刃をとりつけたハリセンボンみたいな円形で、その中心部には前方に尖った太い嘴が一つ生えている。そしてその中心部の下部からは、どす黒い――汚くなった筆洗い用の水のようなものが粘り気を伴って毀れていて、それが地面と接している部分に円形上の染みを残していた。

 流石にあれをヒト型とは呼ばないだろう。

「嘘でしょ、何でこんな短時間で……!」

 化物が動く。ゆっくりと、こちらに向けて、動くのが見える。ああ、あの刃の射程はどれくらいあるのだろう。もう圏内だろうか。

 それよりも、獲物の数に私も入っているのだろうか。――多分そうなんだろうなぁ。

 がちがちとなりそうになる歯を必死に押さえ込みながら、私は彼女に聞く。

「アヤコさん、もう一つ教えて欲しい」

「何よ!」

「あれは人語を解してくれる生き物なのかな」

「知らないわよそんなの!」

「じゃあ試す価値はあるか。……そこのヒト、ちょっと待って欲しい。そこで止まって欲しい! こちらと話をする気はないだろうか!」

 言うと、化け物の動きが止まった。やった。だけど、あれはこちらの言葉を理解した上で止まってるのか? それともこちらが大声を出した結果として生じた警戒から止まったのか? どっちだ? わからない。わからない。

 ああ、畜生、自分の命が掛かってるのにわからない。怖いなぁ、怖いなぁ、ああ怖い!

「もしも私の言葉がわかったなら、その結果として止まったなら、どうか応えて欲しい! できればこちらの言語にあわせて欲しい! 私はそちらの言葉を知らない」

「……あなた、何しようとしてるの?」

「……うっさい、余計なことを喋る暇があるなら自分の仕事をしろ!」

 悲鳴のように、ただし小声で彼女に言葉を返した後で、続ける。

「どうだろうか! 私は会話をする用意がある。会話はできないだろうか、会話での解決はできないだろうか!」

 化物の動きは止まったまま、しばらくの間何も起きなかった。しかし、数秒を待った後で、相手側から反応があった。

 それは耳鳴りを無理やり声に加工したような無機質な音だったが、確かに言葉になっていた。

『何の用だ小娘』

 聞き慣れない音に、渋面になってしまったが、特に意識せずに言葉を返す。

「交渉がしたい」

『何の』

「私たちの命を助けて欲しい」

『そこに何の得がある』

「今から説明する内容に、ぜひとも得を見出して欲しい。……ただ、その前にいくつか聞かせてくれないか?」

『何を聞きたい』

「あなた達は、ヒト以外を食べたことはあるのだろうか? または、それ以外を食べた上でヒトを食べなければならない理由があるのだろうか?」

 返答までは間があった。その間が私の寿命を縮めていることに気づいて欲しい。言ったら殺されるから言わないけど。

『牛や豚を食べたことはある。そして、ヒトを食べることに理由はない。たまにどうしようもなく食べたくなるだけだ』

「わかった。質問への回答、感謝する。

 では今から説明する内容を聞いて欲しい。

 それは、ヒト以外のものを食べることで満足してもらえないだろうか、ということだ。

 理由としては簡単だ。こちらとしても、同族を食われては抵抗せざるを得ないということだ。抵抗をするものは、ここに寝転んでいる者を始めとして、あなた達から人間を守る者たちだ。彼らは最後の最後まで、あなた達に抵抗するだろう。その抵抗の結果は、双方の怪我、あるいはどちらかの死亡だ。

 これを損害、面倒といわずに何と言うのだろう?

 一方で、ヒト以外のもの、例えば牛、豚、鳥などを食べるのはどうだろう。これは狩るのが非常に簡単な生き物だ。同族が襲われることに対して抵抗する勢力が存在しない。楽に喰える。文句を言う者もほぼ居ない。北海道にいる蝦夷鹿なんぞは、むしろ増えすぎて困っているくらいだ。食べ過ぎるのも問題だが、食べるのに困る量ではないと思う。

 だから、食べるのならヒト以外のものを食べるほうが得だと思う。

 どうだろう、考えてみては貰えないだろうか」

『私がそうしても他がそうしないのでは私が損だ』

「で、あれば。そちらにも王が居るのでは? ただの推測だけど、きっと居るだろうと思って話をするよ。だから、この意見を、その王様に話してみては貰えないだろうか。その話に興味を持って貰えれば、その王の力である程度までは徹底できる。あなたの言う、損はなくなる。

 どうだろう、考えてみては貰えないか?」

『確かに我らにも王はいる。その王に話を進言してみるのも悪くない。しかし――それはお前たちを見逃す理由にはならない』

「……そうですか」

 ああ、やっぱりこんな程度の話じゃ引いてくれるわけないよなぁ!

 化物は再び進み始める。

 私は背後に居る彼女に問いかける。

「ところでアヤコさん。あなたって、どの程度の怪我なら治せます?」

「急に何」

「早く!」

「……欠損単位なら、四肢一本くらいは私でもなんとか」

「good。覚悟が決まりました」

 ああ、決めたくもない覚悟なのにさぁ、死ぬよりは最悪マシなんだけどさぁ……!

「聞いてください。私の話と腕一本で、どうにかこの場は引いてください!」

 返答は実践で来た。

 ぶちり、と鈍い音が体内に響く。ああ、引き抜かれる――そう判る感覚がおなかの下あたりにやってくる。

 その後に来るのは喪失感と熱。

 あついあついいたいいたいいたいいたいいたい――!

『小娘。貴様の覚悟に免じて今日はこれで引く。――後ろの二人は小娘に感謝をすることだ』

 最後に聞こえた酷い音質の声を最後に、私の意識は遠退いた。





 私が目を覚ますと、知らない天井がそこにあった。

「……まさかリアルでこんなことを思う機会があるとは」

 ゆっくりと体を起こして、手を動かして自分の目の前に持ってきた。

 手は二つあった。ちゃんと二つあった。

「……っ」

 安堵で涙がこぼれそうになる。こぼれるより先に、両手を目にあてて、涙を押さえ込んだ。

 しばらくそのままで固まっていた。数秒くらいだろうか。

 落ち着いた気分になった私は、周囲に視線をやった。ここはどこだろうか。

 和装の部屋だ。広さは五畳程度か。一人部屋だろう。私から見て右の壁には桐箪笥、左の壁には襖のついた収納スペースがある。くるりと体を半回転してみると……おや、誰か居たようだ。桐箪笥と背面の壁に沿って設置された文机の間に一人の少女が座っている。少女とわかったのは、その服装からだ。体操座りで頭を膝上に乗せた状態で、どうやら眠っているようだ。

 おそらくアヤコさんなのだろう。

 新しい腕を新造するのに、力を使い果たして寝てしまったのだろうか。――わかりはしない。とはいえ、疲れて眠っていることは明らかだ。静かにしよう。

 そう思ったタイミングで、異変が起きた。

 一瞬で彼女の姿が消えたのだ。

「……っ!?」

 そして、視線を回せば、すべての景色がうっすらと紫色がかってみえるようになっている。

 何が起こった?

 わからない。何だこれは。――そう思っていたところで、その疑問を氷解させる声を聞いた。

『小娘。貴様に同行を願う』

 元々この声に方向性などなかった。しかし、なんとなくこっちからだと、そう思って振り向いた先にそれは居た。

 昨日、私の腕を奪った化物がそこにいた。

 息を呑む。容易く私の命を奪える化物がそこに居る。

 しかし、相手は奇妙なことを言わなかったか?

「……同行、ですか? それは何故?」

『王に貴様から聞いた話をしたところ貴様の話に興味を持ったそうだ。だから本人と話をしたいと申された。だから私が再びここに来た』

「……そちらの提案に乗るにあたって、お願いが二つあります」

『何だ』

「一つ、この会談前後、会談中の私の身の安全を保証してください。二つ、可能な限り、今後私と私に近しい者を襲わないで欲しい」

『命乞いか』

「私は簡単に死んでしまうただの人間ですから。……交渉のためのネタもありません。ただのお願いです」

『私は構わん。しかし王はわからん』

「……そうですか。できれば行きたくない、というのが本当ですが、そうもいかないでしょう。いいですよ」

 一難去って、また一難か。命の危険が多すぎる。

 そして、そう思った直後に、景色が暗転した。

 ただ暗い――黒いだけの空間が広がっている。

 ……は? 何が起きた?

『着いた。付いて来い』

「随分と早い……」

 言って、よいしょと体を立ち上がらせる。

 そして、前を行く怪物の後をついていく。

『この場所に距離という概念はない。すぐに着く』

「どこから来ても等距離で、中は別ですか?」

『中もそう広くはないのだろう。ここは何もかもがひどく曖昧な場所だ。そもそも気にしたことが無い』

「そうですか。私、あんまり長くいるとそれだけでやばそうな場所な気がしてきました」

『ここに訪れたことのある人間は稀だ。誇るといい』

「無事帰れたらそうします……」

『着いた。貴様も頭を下げろ』

 言って、化物はその中心部を床面近くまで下げた。

 私はこうだっけ? と思いながら片膝をついて頭を下げた。

 特に文句が出なかったところを見ると、合格らしい。及第点かもしれないが。どちらでも、とりあえず第一声で殺される羽目に合わなければそれでよかった。

「面を上げてくれ。今回は急な呼びつけに快く対応してくれて嬉しく思う」

 言われたので頭をあげる。

 その視線の先に、化物が言う王らしきものがいた。

 それは若い男性の姿をしていた。蓬髪の髪は金色で、瞳は赤。仕立てのいいスーツかなにかを着ていて、モノクルを掛けている。

 化物と比べれば、よっぽど親しみやすい姿かたちをしている。

 しかし、王と呼ぶ以上は化物以上の苛烈さがあるかもしれないのだ。いよいよここで私の命が終わるかもしれないと思うと本当に泣きそうになった。

「それで、私に、横の人に伝えた内容をもう一度話せと言われたんですが、それが今回お招きいただいた理由なのでしょうか」

「いや、違う。だが、それに関することで聞きたいことがある」

「いったい何でしょう。私に答えられる範囲なら」

「そいつも言ったように、人間を喰うのは、どうしても食べたくなることがあるからだ。それを、娘、お前の案では解決できない。どうするつもりだ?」

 絶対聞かれると思ったそれ。しかも、どうする、と来たもんだ。私には何も出来ませんよ、と泣きつきたくなる。けどそれをやると多分死ぬ。

「…………」

 あえてあの場で言わずにいたことを思い浮かべる。

 言える内容はある。しかし、これは言ってもいい内容なのか? と考えて、胸の中心がずしりと重くなった気がした。

 しかし、それを無視して、言う。口を動かす。

 だって死にたくない。

「まず、私に出来ることなんてひとつもありません。それは前提です。

 けれど、当事者間での話し合い、もしくは、あなた達がそうするだけで、糸口はひとつ見つかります」

「それは何だ?」

 問いかけに応えるのに、少し時間が要った。

 内容をもう一度思い出す。

 そして一息、思考の熱を捨てるようにして吐息を吐く。

 ……どこかの他人の命より、私の今の命のほうが優先だ。

 目を伏せて固くそう思った後で、目を開いてこう言った。

「死刑囚を食べればいいんです」

「……ほう?」

 先を続けろということだろうか。まあ、説明を続けよう。

「死刑囚はそこで死刑に処されるまで燻っている人的資源です。そして、死ぬ以外に使い道がない。であれば、絞首台に上るか喰われて死ぬかの違いは、誤差の範疇でしょう。ばれない様にやれば、ですけどね。

 数については、現在居る分だけになってしまいますが、時間が経てば多少は増えます。犯罪を犯す人間は決して居なくならないから。

 それに、海外には三桁年単位の懲役をもらった犯罪者がいます。きちんと区別し、ばれない様にうまくやれば、ここからも取れるでしょう。

 これで、どうしても食べたくて仕方がないものが現れた場合にどうするのか、については、数の問題はありますが、多少改善が見込めると思います。

 また、雌雄を何対か奪い、養殖すれば、時間はかかりますが安定して数が供給できるはずです。環境を作るのが大変かもしれませんが」

『それをなぜ私が居るときに言わなかった?』

「近くに他にヒトがいたから。普通に考えたら、これはかなり外道な考え方ですからね。ここには私以外の他人はいないでしょう?」

「くははっ、その通りだな。……まぁ、穴だらけの論の中の、ほんの少しの穴が閉じたにすぎないが、一考には価するかもしれんな」

「それは何よりです。……帰っていいですか?」

「ああ、構わん。聞きたいことは聞いた。――おい、案内してやれ」

『小娘、王に要求することがあったのではないのか』

 それをここで言いますかね、あなた。

「そうだな、褒賞をとらせんでもないぞ。言ってみろ」

 ……言って、命取りになることがありませんように!

「えーっと、会談前後中の命の保障と、今後の生活における私と私に近しい者の命というかその辺の保障が欲しいと思ったりしています」

 戦々恐々、内心でがたがた震えながら声を出した。

 その返答は割りとあっさりしたもので、

「前者は当然だ。後者もまぁよかろう」

 私はその回答に全力で頭を下げた。

「ありがとうございます!」

「では達者でな」

『小娘、すぐこっちへこい』

「え、なんで」

『早く!』

 言われて急ぐが、その時点で既に手遅れに近かったのだと知る。

 足元にあった確かな感覚が消失したのだ。

「は?」

 と思ったときには体がどこかに落ち始めていた。

 しかし、最後まで――と言っても、この暗闇に底などあるのか……? ――行き着くことは無かった。

 化物たる彼が、泥のような部分を延ばして私の手を掴み、引っ張り挙げてくれたからだ。

「何ですか、今の」

『お前が見ていたのはお前に合わせた触覚だ。今消えた一部も王の体だった』

「ひょえー……。ありがとうございました、助かりました」

『私は会談前後中のお前の命の保障をするという条件を飲んだからな』

「それでも。助けてくれたことにはお礼を言います。ありがとうございました」

『……では戻るぞ。貴様の世界に」

「はい、案内よろしくおねがいします」

 進む彼に遅れないように、私は歩き出した。





 会談後、無事自分自身の世界に戻ることができた。

 彼との別れの挨拶は簡素なもので、

『もう二度と会うことはないな』

 その言葉のみを残して、私をこの場に置いていった。

 場所は変わらず、おそらくつきだがアヤコさんの部屋だった。

 視線を巡らせる。他人の部屋を不躾に見るのはあまりよくないが、一度私の部屋は見られているのでお相子というやつだ。

 すると、大した時間も経ってないのに、アヤコさんの姿が消えていた。

 となると、私は勝手に荷物を持って帰っていいのかどうかわからず、仕方ないので二度寝でもしようかと布団を被りなおす。

「……上品な肌触りだなぁ」

 これはもしかしてアヤコさんの布団を占有しているのではなかろうかという考えも浮かんだが、いい部屋がついたお家だ、客用の布団くらいあるだろうと思うことにした。

 そして、うとうととし始めたころになって、この部屋の襖がぱぁーん! と開かれた。

 びっくりして布団から這い出すと、入り口にはアヤコさんが立っていた。

「あなたいったいどこに行ってたの!?」

 随分な形相で勢いよく喋られても困りますけど。

「いや、別に大したところには……」

「あんたの姿が見えなくなってから半日近く経ってるのよ!」

「……マジで?」

 色々と曖昧、と聞かされては居たけれど。ここまで時間の尺が違っているとは。軽く浦島気分だ。

「マジよマジ! だからいろんなところを探し回ってたのよこっちは!」

「そうだったんですか。……じゃあ、大した内容じゃないですけど、どこに連れて行かれてたかを話します」

 そう言った後で、悪魔に連れ去られていたこと、悪魔の王と呼ばれるものに会ったこと、昨日の交渉内容を再度説明させられたことを話した。ただし、死刑囚のくだりは話していない。こんなところになって反論をされても手遅れだし……まぁ、色々と面倒くさいからだ。

 話を聞いたアヤコさんは、信じられないといった顔をした上で、

「信じられない……」

 と実際に口にして、大きく溜息を吐いた。

 やがて意気を取り直したのか、顔を上げてこちらに詰め寄ると、言う。

「どうして私を起こさなかったの!?」

「いや、起こすも何も居なくなってたので……。そんなことより、私の腕を付け足してくれたの、アヤコさんですよね。ありがとうございました。助かりました」

「と、当然のことをしたまでよ」

「見捨てなくて良かったでしょう? 命の借りは、しっかり返しましたからね」

「また腕を付け直してあげたじゃない」

「二人分の命を救ったはずですけど、勘定あってませんか?」

「腕の分でちゃらよちゃら!」

「そうですか。それならそれでもいいですけどね」

 詰め寄ってきた彼女の肩を掴んで退けて、立ち上がると、私は軽く伸びをした。

「あー、これで全部終わった気がしますねぇ」

「全部?」

「私が死に掛けた件について、自分なりに全て終わった気分になったと、そういうことですよ。――じゃあ、私は家に帰りますから」

 回収してもらえていたらしい、私の鞄を持ち上げると、ああそうだ、とアヤコさんにお願いする。

「玄関、わからないんで案内してもらえます? あと、親になんて言ったのか教えてください」

 笑って頼んだ私を見て、アヤコさんは再び盛大に溜息を吐いて見せた。





 アヤコさんの家を出た後は、急ぐでもなく家に帰った。

 一日ぶりの我が家だ。

 特別な感慨というのもなかったが、家に帰ると母が非常に心配した様子で迎えてくれた。

 他所の家に病気の娘を置いていた、というのだからその心配もある程度仕方ないだろう。実際はもっと酷い目にあっていたわけだが、それを伝える理由もない。

 母にはもう大丈夫、問題ないと伝えるだけ伝えて、部屋へあがって着替えて寝た。

 それはもうぐっすりと寝た。

 その後、親に呼び起こされて、こころもち、いつもより豪華な夕食を食べて、風呂に入ってからまた寝た。

 それでこの日の行動は終了だ。




<5>

 日曜はどこへ行くでもなく、部屋でごろごろして過ごし、翌日。

 月曜日、週の始めだ。

 いつも通りに起きて、母の作った朝食を食べ、いつも通りの時間に家を出た。そして、いつも通りに学校に到着し、色々なことをいつも通りに過ごして。

 昼休み。

 母が作ってくれた弁当をさあ食べようと開いていたところに、声がかかった。

 クラスメイトだが、特に親交のない相手だ。――親交のある相手など、このクラスにはいないのだが。

 悲しくなる事実は忘れよう。

 その相手が言うには、クラスの入り口で誰かが待っているらしい。

 ……まさかなぁ。

 脳裏に浮かんだ誰かの姿を、首を振って消した後で、クラスメイトに形だけの礼をして、クラスの入り口に向かう。

 どちら側か聞いていなかったな、と思いつつ、近い側――教室後方の扉へ向かう。

 扉を抜けた直後、横から肩を掴まれた。

 視線を向けると――案の定、見知った顔がそこにいた。

 アヤコさんだった。

 いつぞやと同じように、人の流れを邪魔しないような位置に移動して、問いかける。

「何の用です?」

「……昼食の誘いよ」

 ……それはまた、意外な申し出だった。

「あなたの職業とは無関係で?」

「そうよ。何か変?」

「いいえ、別に。ただ、意外だっただけですよ。……どこで食べるんです?」

「中庭。前と同じところよ」

「となるとキョウジくんも一緒ですか」

「何か悪いことでも?」

「いや、単にそうなんだなぁ、と思っただけです。わかりました、折角のお誘いです、ご一緒させていただくとしましょう。

 アヤコさんは先に行っててください。弁当は教室に置いてきてるので、後から行きますよ」

「それくらいだったら待つわ。……それと、呼び捨てでいいわ」

「……あなたがいいのであれば、そう呼ばせてもらいます。では、アヤコ、少しだけ待っていてください」

 教室の中に戻って、急いで開いていた弁当箱を戻して、包みなおす。

 飲み物と一緒に包んだ弁当箱を持って教室を出ると、アヤコの姿を探す。

 どうやら前方の扉まで移動していたようだ。私はアヤコに近づいて、

「お待たせ」

「別に待ってないわ。行きましょう」

 アヤコは何でもないことのように言って、歩き出す。

 私も彼女に続いて歩き出して――道中が暇だから、話を始めた。

「それにしても意外ですね。お誘いがかかるとは」

「あなたはそれだけのことをしてくれたじゃない」

「王様の話?」

「私たち二人の盾になってくれたことよ」

「結果的に、だけどね。治るのをアテにした盾ですよ」

「それでも、あなたはあの時に盾として私たちを庇ってくれた。その事実が何より大事なの」

「感謝の気持ちで誘われたのかな」

「きっかけはそうだけど。私はあなたと一緒に過ごしたいと思っているわ、茜」

「……そう言われると、うれしいものがありますね」

「あとで連絡先を交換しましょう。……あのバカの愚痴が多くなるかもしれないけど」

「いいよ。そういうものを相談するのも、まぁ、友人関係と言えるんじゃないかな。よく知らないけど」

「じゃあ、また後で、そういう話もしましょう」

 言って、アヤコは笑った。

 ――まぁ、友人ができるのは悪いことじゃない。きっかけは何にせよ。

 そう思って、私も笑い返した。





 ――二年後。とある夜。


 私はベッドに寝転がりながら、携帯をぽちぽちと弄っていた。

 やっているのはメールだ。

 相手は綾子。

 二年も交友が続くとは思っていなかったが、今もまだ交友は続いている。

 幸いなことに。

 そして送る内容は、最近聞いた恋愛話について。

『なあ、綾子。つい最近身近に居るバカが高嶺という先輩に告白して振られたらしいんだが、知ってるか?』

『高嶺って、私の苗字よ茜。確かに最近、男の子を振った気がするわね。なんか二人の女の子に迫られているとかって聞いたことのある子だったから』

『高嶺って綾子の苗字だったのか。今になって初めて知った。あとそのバカは振って当然だから気にしなくていいぞ』

『私はそのことより、私の苗字を未だに茜が知らなかったってことのほうがショックだわ』

『それは君が最初に会ったときにマトモな自己紹介をしようとしなかったからだろう』

『そういえばそんなこともあったわね。そのせいもあるなら仕方ないか』

『恭二のほうは元気か』

『相変わらずのバカよ』

『なら心配は要らないな。ああ、そうだ、たまには一緒に昼食でもどうだろう。学食あたりで合流する感じで』

『ええ、いいわよ。茜は相変わらずお弁当?』

『ああ。……君は作る相手がいなくなって、やめたのかな』

『余計なことばっかり口にする。今もお弁当は作ってるわよ。一人分だけどね!』

『そうか。確かに余計なことだったな。じゃあ、明日あたりどうだろう?』

『また急ね。でも、いいわよ』

『ああ、ありがとう。明日が楽しみだ。では、また明日に』

『ええ、また明日』

 ついでに、昼食の約束をして、メールを終えた。

 ああ、明日が楽しみだ。


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