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ひとつめの話

<1>

 まずはこの物語の主人公である佐藤茜ついて説明しよう!

 彼女は、どちらかというとモブキャラ的立ち位置にいる人物である。

 黒髪黒目。髪は肩口のあたりで切り、前髪はわずかに目が隠れるかどうかというあたりで自然に切りそろえている。

 視力は両目とも一.〇。身長は百六十二センチ。体重は――うわなにをするやめろいわないから!

「…………」

 ……さて、説明を再開しよう。

 彼女はとある地方にある公立高校に通っている、高校一年生である。

 彼女の通う高校は割りと自由な校風が自慢で、服装からして自由度が高い。

 そんな中で、彼女はワイシャツの上に黒のカーディガンを着込み、プリーツスカートの裾は膝上まできっちり伸ばしている。そしてそのスカートの下にはスパッツを履いている。その上膝下あたりまで延びる靴下を履くという、肌を見せないことに命でもかけてるのかというくらいに肌の露出を減らしているのが彼女なりの着こなしである。

 彼女がモブキャラたる所以は、彼女自身の境遇に特筆すべき点がひとつもないことにある。

 母親は専業主婦。父親はしがないサラリーマン。二人の経歴にも特別なところはなく、普通に恋愛して普通に結婚して普通に子どもを生んで今に至る。しかし、現在もなお夫婦仲が良好なのは特筆すべきことかもしれない。

 普通の家庭で育ち、普通に公立の小中学校を卒業して、現在の公立高校に入った。

 血統による覚醒? 生い立ちによる暗い過去?

 ――断言しよう。まったくの無縁である。

 しかし、普通であることは悪いことなのであろうか。

 まさか、そんなはずはない!

 大半の人間に特別な生い立ちや状況などない。

「それでも、人は自らに特別性を求めて他人と自分とを比較してしまうものだ」

 しかし、君は違う。そういった特別な何かを背景に持たない人々と、ほんの少しだけ違う。

 君自身の生い立ちに特別性はないし、特別な血統をもって新たな力が覚醒することもないが――君の周囲は、他の誰かよりも、ほんの少しだけ物語性に満ちている。

「ああ、その通り。なんでみんなそのことに気づかないのかねぇ」

 彼女をモブキャラと断じない特別性は、その自覚の差にあるのだ。


 では、物語をはじめよう!


「大した内容も披露できないけどな。……今回は、一人の男を二人の女が取り合う話さ」



<2>

 というわけで皆さんこんにちは。ただ今ご紹介に預かった佐藤茜です。

 ――誰に語りかけてるか、だって? 誰でもいいだろう。どうせ一人遊びみたいなもんだしな。

 本日は平日、火曜日だ。

 朝は真面目に起きて、母の作ってくれた朝食を父と共に平らげ、いつもの時間に登校をしている。

 私が通っている学校の名前は、沖入学校というんだ。週休二日制を律儀に守る、学習要領にはきっちり従う高校だ。おかげで三年生の受験シーズンに勉強する量が莫大になっているという噂もある。小耳に挟んだ程度の話で信憑性はないがね。その分――と言っていいのかわからないけど――校風はすごく自由で、通っていて疲れにくい場所だと思う。イベントも、突発的なものも含めて多いから、割と楽しもうと思えば楽しめる、学校生活になるだろう。

 私がこの高校に通い始めてからー……三ヶ月くらいは経っている。いい加減クラスの人間関係に慣れてくる頃合だ。私は誰かにびくつくこともなく、また、誰かと特別近しくなることもなかった。慣れというより成れの果てというか。

「……は、うまく言えてはいないな」

 小学校でもぼっち、中学校でもぼっち――女特有のネットワークから少し離れたところにいられただけよしとしてきたが、この高校でもそうなったようだ。

 まぁ、目立つのは好きじゃないからいいのだが。

 私の家から高校までは、徒歩で約二十分の距離だ。始業時間は八時四十分。今現在の時刻はー……八時三十分。既に視界に高校の姿は映っている。余裕も余裕の、ぎりぎり到着になるだろう。

 八時三十五分。玄関――下駄箱に到着し、ささっと内履きと外履きを履き替える。

 八時三十八分。階段を急ぎ足であがって三階に。一年生は一番上の階の教室なのだ。

 八時三十九分。クラスは階段寄りにあるので助かっている。後ろ側にあたる扉から教室に入ると、入って正面、窓際の一番後ろという最高席が私の席だ。

 しかし。

 教室に入ってすぐに、私の足はぴたりと止まってしまった。――なんだこれ。

 ……空気重っ。

「……っ」

 口に出さなかっただけマシだと思いたい。リアクション的にはアウトなのかもしれないけど。

 八時四十分。教室前方にあるスピーカーがががっと鳴ってから、鐘の音を流し始めた。

 私の足は動かない。そういえば教室内の活気というか気配が入る前から薄かったかもしれない。入る前にきっちり気づいておけば別なリアクションもあったものを。

「おーはよ……う、諸君」

 私が立ち往生してしばらくしてから、教室前方の扉からこのクラスの担任教師――鈴木氏が顔を出すと同時に、教室内の空気に気づいて挨拶の勢いをなくしてしまった。

 鈴木氏の視線が、いまだ立ったままの私に移る。しかし私も誰が中心か見当はついても、原因までは知らない。首を横に振って視線に応じた。

 鈴木氏はそうかと頷くと、流石教師、少し無理のある感はあったが挨拶をし直して、教室内の雰囲気を黙殺して教壇の上に立った。

 私は鈴木氏の視線に促されて、止めていた足を動かして、自分の席に急ぐ。

 その際にちらりと視線を動かして、確認するのは三人の生徒だ。

 一人は男子生徒。名前はー……確か黛だったはずだ。クラスの中心とまでは言わないが、かなり活力のある人間だったように思う。しかし、今はどこか窮屈そうというか居心地悪そうに背中を丸めている。

 一人は女子生徒。名前は赤神。女子の中でも明るく、このクラスのムードメーカーの一人だ。まぁ、その一人が超無表情で怒気を撒き散らしていれば、クラスの雰囲気も言いにくい何かに変質するというものだろう。

 最後の一人も女子生徒。名前は腰越。女子の中でも一番とっつきにくいと噂されている人物だ。態度が高飛車なのだとか。彼女もクラスの雰囲気への寄与は大きい人物ではある。彼女はとてつもなく悲しそうな雰囲気を背中から漂わせていた。

 この三人の生徒が教室内の変な空気の原因だろうと思う。そうなった理由まではわからないが。

「えー、ではまず朝の挨拶からお願いしようかな」

 鈴木氏が教室内空気に巻けずに、クラス委員に声をかける。

 起立、気をつけ、礼、着席の号令に従って挨拶を行う。

 それが良い合間、区切りとなったのか、教室内の変な空気は幾分解消された。

 鈴木氏もそれを感じたのか、言葉の勢いが元の調子に戻り――各種連絡事項等を説明し始めた。

「…………」

 まぁ、私が気にすることでもないからいいけど。そう思いつつ、私は鈴木氏の連絡に耳を傾けた。






 朝一番の妙な雰囲気は、朝のHRが終わる頃には鳴りを潜めて、クラス内の雰囲気は落ち着いた。恐らく原因である赤神と腰越の二人が自分の感情に一時とはいえ区切りを――怒りならこれ以上怒っても仕方ないと考えたり、悲しむならこれ以上この状態を続けても仕方ないと考えたり、できるようになったためだと思われる。

 単にそうすることに疲れただけかもしれないが。

 黛は赤神と腰越の二人の雰囲気に当てられて縮こまっていただけだから、二人の雰囲気が戻ればほっとしたように、いつも通りになるだけだ、多分。

 表面上、雰囲気は落ち着いた。しかし、いつもなら――というより昨日までは、事あるごとに黛に対してアクションを起こしていた二人が今日に限って何もしない。いつもと様子が違うという意味で、周囲の人間は若干動揺というかなんというか――言葉にするほどのものでもないのだが、違っていることに対する違和感は感じている。

 少なくとも私はそうだ。

 ただし、いつもお花畑みたいなハーレムリア充やりやがって鬱陶しいと思っていたので、たまにはいいんじゃないかと思ってそれ以上気にはしなかったが。

 周囲の人間で、黛、赤神、腰越の三名と話ができる者は、会話のついでに朝の出来事についてやんわりと聞こうとしているようだ。

 まぁ多分なんでもないと答えられるのがオチだろう。

 ところで、私は比較的真面目に勉学に励む生徒であると自負している。予習はしないこともあるが、復習はきちんとやるし、宿題だってよっぽど面倒でなければ――解けないものでなければ、きっちりやっている。

 授業中に教室で寝たりすることもないし、内職をすることだってない。我ながら頑張って学生をやっていると思う。成績はその頑張りになかなか追いついてこないがまぁそれは今はいい。

 しかし、退屈な授業ほど辛いものはない。予習をしている場合は尚のこと辛い。なにせ全部知っている内容なのだから。

「……くっ」

 今日の授業、このコマがそれだ。科目は国語・古典。

 何が悲しくて他人の色恋沙汰――しかも大抵男側がろくでもない――ものを読まにゃならんのかといつも思う。問いかけに対する答えは受験に必要だから、でしかないけども。

 しかし、どうしても。どうしても授業についていけない――勉学内容にではなく、授業そのものに付き合う気力が出ない場合は、こういう手段をとることにしている。

 教壇に立つ教師の説明がちょうど終わったタイミングを計り、へんなりと手をあげて、

「すみません、先生。気分が悪いので保健室にいかせてください」

 保健室へ行かせて欲しいと懇願するのだ。

 成功率は低くない。長い学生生活で感じる限りは、ほぼ成功する。

 理由は二つ。一つは昨今の教育現場において生徒の発言力は無駄に大きいこと。厳密に言えば教員の立場が弱くなってきたから親の言葉が大きくなっているだけだが。そしてもう一つは、教員としても、一人の生徒のために全体の授業を止めるのも面倒だろうということだ。ここからここまで、この学期中に進めなければならないという形で授業を決めているはずで、であれば授業時間は貴重だろう。

 とは言え、たまに本気で心配してくる教員も、いるにはいる。しかし、そんな人が相手なら、私も仮病は使わない。

 国語担当教師は、しばらく悩むような仕草をした後で、溜息を吐くと、わかったと言葉を作った。

「……っし」

 私は教壇から見えない角度で、机の下でガッツポーズをした。声は思わず漏れたが特に聞かれた様子はなさそうだった。

 しかし、国語担当教師の続く言葉で若干気分が沈む。

「保健委員は居るか。彼女を連れて行ってやってくれ」

 職務に律儀? な教員だ、と内心で溜息を吐く。

 ぎくしゃくした会話をしながら行く道中について考えていたところで、わかりました、と返事があり、誰かが近づいてきた。

 傍に寄ってきた人影を確認するべく視線をあげると、そこには一人の男子生徒が立っていた。

 ……うん?

 と思って再度相手を確認したが、認識は間違っていないらしい。

「佐藤さん、大丈夫? 歩ける?」

 と声をかけてきた相手は、朝にあった騒動の中心人物、黛その人だった。

「……ああ、大丈夫、歩けるよ」

 そういえば、黛は保健委員だったかと、今更ながらに思い出して内心で舌打ちをする。

 椅子から立ち上がり、黛を伴って教室を出るまでの間に、若干突き刺さるようにきた二対の視線の主はおそらく想像の通りだったろうと思う。

 一年生の教室と保健室の間は距離がある。普通に歩いていけば、往復で八分程度だろうか。

 この学校の校舎は上から見るとコの字型の構造である。保健室があるのは一階で、教室がある側とは逆側の位置にあるので、距離はかなり遠くなるというわけだ。

 保健室の位置について、私は授業をエスケープする手段によく使うので場所は把握している。黛のほうはどうなのだろう、一応保健委員ならば知ってそうなものだが。

「じゃあ行こうか」

 黛はそう行って、私より先んじて歩き出した。場所は知っているようだ。

 もし違ったらそのときは自分で正しい道を行けばいいし、言うほど大変な間違えは、この単純な構造の校舎内ではほぼないだろう。

 私は黛の言葉に頷いて、後を追いかけるように歩き出した。

 階段を下りる。踊り場で方向転換する。下りる。回る。下りる。回る。下りる。

 ……超無言だな。

 一階についたら、左に曲がる。しばらく歩けば左手に昇降口が見えるようになる。

「…………」

 先ほどからずっと、目の前には黛の背中がある。こころもち、普段よりも曲がっていて、力がないように見える背中が。

 ――あ~~もう。

「……はぁ」

 やれやれ、問題に積極的に関わるのはあまり好きじゃないんだけど……まぁ、自分の快適な学生生活のため、とすれば関わる理由としては十分か。

 さて、この背中にかける言葉で適当なものは何だろう。

 ――ああ、考えるのは面倒だ。思ったことを言ってみるか。

「自分のことで手一杯で他人を慮る余裕もないのに、保健委員としての仕事か。大変だな、黛」

 ……我ながらいい挑発になっている。やりすぎたかもしれない。

「はぁ!? いきなりなんだよ、それ!」

 実際相手は足を止めて、結構な勢いで振り返ってきた。視線には若干の怒りと、それ以上に驚きが見て取れる。

 まぁ当たり前か。図星を突かれたにせよ何にせよ、先ほどのような台詞を聞かされればそれなりに気が立つものだろう。言った本人が言うのもなんだが、彼と同じ立場で同じことを言われていたらキレるかもしれない。それはそれとして。

 私は三歩の距離を置いて、黛に対峙する。

「私の気づかれにはね、朝のあの妙な雰囲気も一役買ってるんだ。覚えがあるだろう? ――というかあれは、君が原因だろう、黛。多分みんなわかっているよ、そこまではね。ただ、そうなった経緯はわからない。

 要点をまとめよう。

 クラスの人間が気にしているのは一点だ。なぜ赤神と腰越の二人がああなったのかということ。それを理解するために必要なことはひとつ、それは君がどういう振る舞いをしたのかを含めた経緯の説明だ。

 しかし、クラスの人間の殆どが求めているのはね、多分だけど、君たち三人が昨日までと同様の関係に戻ってくれることだと思う。

 ……今の状態が続けば、それはそれで慣れるのだと思うけどね」

「何が言いたいんだ」

「私が言いたいことは言った。そこから君がどうするのかは知らないよ、私の判断の外だからね。……付き添いはここまででいいよ、ありがとう。黛、君は教室に戻るといい」

 ああ、すっきりした。

 私は言いたいことをちゃんと言えたという、ちょっとした達成感を味わいながら歩きだす。

 黛は動かない。動かない黛の肩をぽんと叩いて、保健室へと近づいていく。

 しかし、その足はぐんと引き寄せられるような力で止めさせられた。

 見れば、私の手首を黛の片手が掴んで止めている。

「あれだけ言われて、はいそうですかと行かせると思うのか」

 私は黛の顔を見る前に、掴まれた手首を確認する。どうやら上から掴んでいるらしい。

「……単純に、私は保健室に行く理由があり、君にはない。付き添うだけだからね。教室に帰らないならサボりになるよ。それでもいいのかな?」

「君はこのままだと保健室には行けないだろ?」

「そうでもないよ」

 私は掴まれたほうの手をぴんと伸ばして、地面のほうに思い切り振った。それだけで拘束が外れる。

「え?」

 相手が驚いている隙に、後方に三歩距離をとる。……ああ、疲れる。

 ふう、と息を吐いていると、黛がこちらに視線をよこした。なので言う。

「私は別に君たちの関係がどうなっていようとも、驚きこそすれ、悲しむことはないよ。単純に腐った背中が前にあったから、思ったことを言っただけだ。こういうのは発破をかける役割の人間がやることだろうけどね。ちょっと見苦しかったから、私が言った。

 何度でも言おう。あの二人がああなったのは君のせいだ。事情を知らない人間から見ても、それは明らかだ。何割が君のせいなのかまではわからないけど、筆頭は君だ。どうするかは自分で考えるといい。――では、さようなら」

 言って、私は一目散に逃げた。

 我ながら余計なことまで言ってしまったかな、と思ったが、友人の多そうな彼のことだ、いずれ誰かが言っただろうことを言っただけさと自分を納得させて、保健室に飛び込んだ。

 飛び込んだと同時に、保健室の中から私に声がかかる。

「おいおい、随分と元気な病人だなぁ」

 この保健室の保険医は、天井氏という。対応が割とゆるく、サボりと判っても追い返したりはしないし、ある程度話も聞いてくれる。どちらかというと、保健室で過ごすことを目的とした人間に対して優しいというべきかもしれない。

 なので、私はこうお願いした。

「授業終わるまでベッド貸して、先生。あと誰かが私に面会を求めても断って」

「匿えって言ってる? ……別にいいけどさ」

「ありがとう、先生」

「保険医は先生じゃないけど。まぁいいか」

 なんて言葉を背後に聞きながら、私は保健室のベッドのうち、空いているほうに潜り込んだ。

「今度ジュースでも、お礼に持ってくるわ」

「子どもに奢ってもらうほど落ちぶれてないから。気にすんな」

 ベッドの中でふっと笑って、私は瞼を閉じた。





 昼休みになった。

 この学校は昼休み中に校外への外出を許していることもあり、昼食の取り方はいくつかある。

 ひとつは学食利用派。メニューも多め、値段はリーズナブルとそれなりに人気が高いようだ。私は利用したことないが。

 ひとつは購買利用派。学校の昇降口で販売を行っているようで、パン等の軽食類を中心に販売されている。私もたまにデザート系のパンを食べたくなったりして、利用する場合がある。

 ひとつは外食派。外出をして、店で食事を取って返ってくるパターンと、コンビニ等で購入してから戻ってくるパターンの二通りがいるらしい。

 最後は持ち込み派。家から、または登校途中に購入したものを校内で摂る者たちが該当する。

 私は持ち込み派だ。親がわざわざ用意してくれたものを、ありがたく頂くことにしている。量も私好みで味も私好み、蔑ろにする理由がない。そして、わざわざ学内を移動するのも面倒なので、教室の自席で食事を摂ることにしていた。

 鞄から弁当箱の包みを取り出し、包みを解いて広げる。私の弁当箱は女子が使うには大きめで無骨なデザインの二段型だ。弁当箱の蓋を開けて、まずは一段目の中身を拝む。1段目はおかずだ。からあげ、ミニグラタン、ミートボール、餃子が入っていた。ナイスおかずである。弁当箱の蓋を裏返して、お弁当の1段目をあけて乗せる。お弁当の二段目はごはんがぎっしり詰まっている。ああ、すばらしきかな、白い平原。……おなかが空いていて、若干テンションがおかしくなっているかもしれない。

 私は食べるのが好きなんだー!

 というわけで、昼休みは昼ごはんがあるので、学校にいる時間の中で一番好きな時間なのだった。

「いただきます。……ん?」

 至福のときを味わおうとしていたところで、人影が私のほうに近づいてくるのを感じた。

 視線を弁当箱から離して、周囲を見る。すると、ある人物と視線が合った。

「佐藤さん、君は随分と視線に敏感なんだね」

 言って、当たり前のように隣の席に座ったのは、一人の男子生徒――黛だった。

「…………」

 午前中の一件がある。

 私は怪訝に思いながら視線を投げた。体は自然と動いて、椅子をわずかに後ろにずらし、いつでも立てるようにしていた。

 しかし、視線の先にいる黛は、こちらの動作を特に気にした様子もなく、ただ向けられた視線に困ったように笑っているだけだ。

 相手が口火を切らないので、こちらから攻め込むことにする。

「……何の用かな?」

「……いや、午前中の話でさ。ちょっと、相談をしたいと思って」

「相談? 私に?」

 こいつ正気か、と思った。ぼっちの私に相談とか、もっと相談し甲斐のある人間の一人や二人、知っているだろうに。

 私の視線からどうして、という疑問符が伝わったのか――どうかは知らないが、黛は話を続けた。

「あそこまで辛らつに言ってくる君なら、忌憚のない意見が聞けると思って。……俺に肩入れなんてしないだろ?」

「……そうだな。少なくとも、君たちの誰かに対して肩入れすることはないよ。今のところはね」

「それに、言いたいことを言うだろ」

「君たちを思って言わない、ということは、ないかもしれないな」

「それで十分だ。少し話を聞いてくれるだけでもいい。お願いできないか?」

「……黛、君が後悔することになってもいいなら、好きにしたらいい。私には断る理由もない。ご飯を食べながらでもいいならね」

「場所は移してもいいか?」

 黛の言葉に、私は溜息を吐きながら、広げた弁当箱を閉じて包みを結び直す。

「出来ればここがいいけど、それが無理ならベランダにでも出ようか。今日は都合よく、あまり人はいないようだから。内緒話のトーンで話せば、あまり声も漏れないだろう」

 言って、私は背後、窓の外を親指で指した。

 この学校の窓側の外には、ベランダがついている。教室後方、つまり私のすぐ傍に外と繋がるガラス戸があり、ベランダに自由に出入りできるようになっているのだった。

 黛は数秒迷うように固まっていたが、やがてわかったと頷いた。

 私は弁当箱の包みを持って立ち上がり、ガラス戸を開けてベランダに出る。

 風が少し強い。スカートを軽く押さえながら、右に進む。

 少し遅れてばたんと閉まる音が聞こえた。背後を肩口から窺えば、黛が続いて出てきたようだった。

 視線を前に戻して足を進める。

 この教室はもっとも階段側に近い教室だ。そのため、ベランダは教室前方のところで終わっている。

 私は奥まったところ――ベランダの柵と教室側の壁で囲まれた隅に座り込み、弁当箱の包みを開くことにした。

 私の動作を見て、ここで話すことにしたとわかったのか、黛も教室側の壁を背にして座り込む。

 彼のほうは食事の類を携行していないようだったが、それは私が気にすることではないと考え、広げた弁当箱を前にいただきますをしっかりやって、食事に移った。

「本当に食べるんだな」

「食べながらでいいなら聞く、と最初に言ったはずだけどね。場所は移したんだ、これ以上の要望は聞けないね」

「誰かに聞かれそうなんだけど」

「声をひそめるといい。誰かに聞かれたくないならそもそも話す相手と時間を間違っている」

 黛は少し悩むような間を置いた後で、まぁいいか、と吐息を吐いてから話を始めた。

 私は弁当のおかずとごはんをどういう分配で口に運ぶか悩みながら、箸を進めつつ、黛の声に耳を傾ける。

「まぁ、朝のことなんだけどさ。話はすごい単純なんだ。結果も過程も、全部俺一人が悪いんだ」

「ふぅん。私の推測は当たっていたのか。……それで、何をしたんだい?」

「それを話す前に、もう一個話さないといけないことがあってさ。三年の高嶺先輩って知ってる?」

「知らない。誰だそれは」

「綺麗でかっこいい、女の先輩さ。俺、その人のことが好きで……告白したんだよね」

「草食系がはびこる昨今、すばらしい肉食さ加減だね。それでどうなった?」

「振られた」

「振られる理由に、うちのクラスの二名の名前でも出されたか」

 私の言葉に、黛は驚きの表情をこちらに向けてちょっとの間固まった。その後、表情を消すように吐息を吐いて、続ける。

「佐藤さんの言う通りだよ。二人の名前を出された。俺が好意を向けられる状況に甘んじていると、そんな感じでね」

「そして、その後に会った二人に、つい当たってしまったわけか。日ごろの小さな不満も含めて、ついでに言ってしまったわけかな」

「……佐藤さんって、まるで見てたみたいにずばずば当ててくるね」

「自分の単純さを嘆いたほうがいいんじゃないか。大した予想でもない」

 黛は降参といわんばかりに両手をあげた後、がっくりとうなだれた。そして言う。

「どうすればいいと思う?」

 黛の言葉を聞いて、私は思わず苦笑した。そして言う。

「それを聞くのはまだ早いなぁ」

「どういうこと?」

 黛の問いかけを聞いて、面倒になった私は、少し考えた後でこう言った。

「君が百パーセント悪いのはわかった。それはいい。

 では、悪いことをしたら普通どうする? ――そんなのは、聞くまでもなく判っていることだ。謝る、のさ。そう、謝らなければならない。

 でもね、黛。謝るという行為は、ただ行えばいいというものではないよ。

 謝る相手に対して、自分がどんな悪いことをしたのか、自分の行いが相手にどんな嫌な気分を味わわせることになったのか、それを把握しないまま謝っては意味がない。

 君がまずやるべきは、それだ。彼女たちに対して何を言い、何を行ったのかはもう聞かない。私には関係がないからね。話さなくていい。だけど君は、彼女たちに対して何を言い、何を行ったのかをもう一度思い出し、考えることだ。そしてその上で、何に対して謝るのかについて、考えるといい。

 もしそこで誤りがあって、また喧嘩になったとしても、そのプロセスを続けていけばいずれ誤解もすれ違いも解消できると、私は思うよ。一般論で申し訳ないがね。

 何にせよ、君に出来ることは、謝ることだけだろう? だったら、謝ることについて考えればいいさ」

「……謝っても許してもらえなかったら?」

「先のことばかり心配しても仕方ないだろうに」

 その心配は杞憂だろうと思わなくもないが、まぁ沈んだ相手だ、少しは気の利いた言葉でもかけてやるべきか。

「でもまぁ、もし食事を一緒にする相手が足りないようなら、気が向いたときに一緒に食べてあげるよ。私にできる協力はこれが精々だろうな。しかし――」

 私は溜息を吐いて、

「まずは考えた後で、謝ってみてからだろう。……私から出来る助言はこのくらいだ。君はもう昼食は済んだのかい? まだなら早く食べに行ったほうがいいぞ」

 ごちそうさまでした、と空になった弁当箱に両手を合わせた後で、手早く片付けて立ち上がる。

 黛もこちらの様子を見て、これ以上はないと感じたようで、同じように立ち上がった。

「はよいけ」

 黛に動く気配がなかったため、肩のあたりをひっつかんで方向転換させて背中を押した。勢いに負けて、とぼとぼと歩き出す。

 ガラス戸を黛に続いて通った後、私はすぐに自分の席に座った。

 そんな私に、黛から声がかかる。

「また相談してもいいか」

「とりあえず謝ってから出直せ」

「……厳しい」

「普通だよ」

 黛の言葉にばっさりと即答を返して、私は昼食後の楽しみでもある文庫本の読破を進めるのだった。





 放課後になった。

 部活や委員会に所属していない私にとって、放課後とは自由時間を意味する。学校の学習要領で規定された時間割から開放され、自由となり、己の思うままに時間が使えるという意味だ。

 しかし、人生ままならないこともある。

「ちょっと来てもらえるかしら」

 のんびりと帰り支度を整えていた私のところに、一人の女子生徒が近寄ってきてこう言ってきたのだ。

 ……うん?

 帰り支度を中断して、視線をあげて確認したところ、どうやら声をかけてきた生徒は赤神のようだった。

 仕方ない。

 私はまず立ち上がり、視線を赤神と合わせる。その上で問いかける。

「来てもらえるかしら、とはどういうことですか? どこに? 誰と? あなたのほかに誰が?」

「来ればわかるわ」

「であれば、私は断ります。付いていく義理もない」

 言って、私は立ったまま帰り支度を再開した。

 横から声が聞こえる。

「ちょっと! どういうつもりよ!」

「私が聞いている側ですよ。どういうつもりで連れ出すんですかと」

「話がしたいからよ!」

「ここでも出来ますよ。今もしていますね」

「ちょっと人に聞かれたくない話なのよ! わかるでしょ!!」

「場所はどこですか。あなたの他に誰か居ますか」

「だから来ればわかるでしょ!」

「……だから、行きたくないと言っているのに。わからない人ですねぇ」

 忘れ物の有無を指差し確認で確認した後で、鞄を持って、横に立つ赤神に視線を合わせる。

 赤神の表情を見て、意地でも引かないという感情が読み取れて、私は思い切り大きな溜息を吐いた。そして、言う。

「駅前のファーストフード店、わかりますよね? そこで――三十分は待っていますので、落ち合うようにしましょう。話があるならそのときに」

 言って、私は赤神の横を抜けた。

 しかし、また私の体は止められる。

 肩をぐいとひっぱられて、顔を背後に向けさせられる。

「そんなのが通ると思ってるの」

 吐息を吐いて、肩に触れていた手を弾いた。

 かける言葉などありはしない。

 あちらが思った以上に強く叩いてしまったのか、赤神は手をぎゅっと抱えたまま、固まっていた。






 沖入高校最寄の駅には、フードコートがある。

 ファーストフード店やうどん屋、おにぎり専門店みたいなのを含めて計六店。その内、ファーストフード店は一店だけであるため、待ち合わせとして使う分には丁度良かったりする。

 私は私の発した言葉の通り、学校から帰りの足でここのファーストフード店に来ていた。

 注文したメニューはポテトと飲み物のLサイズセット。長く時間を潰すにはもってこいの組み合わせだと思っている。財布は思わぬ出費でダメージを受けたが、自分の言葉を曲げるよりは安い。

 私が取った席は壁側にあるソファ席と椅子の間に机を置いているタイプの席だ。ソファ席側の中央席に座って、持ってきていた文庫本を読みながら、ポテトをぽりぽり齧っている。

 この席なら、店舗の入り口から探したとしても目立つしわかるはず。

 そう思って席を選んで、そろそろ十分は経つだろうか。十五分? ……厳密に計ったわけではないからわからないか。

「…………」

 携帯を開いて現在の時刻を確認し、携帯を操作してアラーム機能であと二十五分を設定する。

 携帯を閉じてスカートのポケットにしまいこみ、またぽりぽりとポテトを齧る。

 文庫本をぺらぺらと読み進めていって、飲み物に手をやったところで前方から声がかかった。

「いた!」

 視線をあげれば、声の主の姿はよく見知ったものだ。

「赤神、他のお客さんに迷惑だから、大声を出すのはやめたほうがいいぞ。あとちゃんと注文してからこっちに来い。来るならね」

 私は大声にならない程度の声で赤神の言葉に反応しつつ、赤神の後ろに居る人影に視線を移す。

 微妙に姿を隠すようにしているのは、どうやら腰越であるようだ。

 学校での問答で、赤神に連れが居る可能性は既にあったし、居ることを問題とは思わない。

 しかし、これで関係者全員と話をする羽目になってるなぁと溜息を吐く。

 程なくして、赤神と腰越の二人は注文を済ませてこちらの席にやってきた。赤神も腰越も飲み物のみのようだ。

 こちらのポテトに手を出そうとしたらぶっ飛ばそう。

 そう考えつつ、私は文庫本に栞を挟んで鞄に戻し、二人が席に着くのを待った。

 二人は一瞬視線をあわせたが、やがて両者とも、私の対面にある椅子の席に座った。

 そして、口を開くかと思えば、いっこうに開く気配がないため、私が口火を切ることにした。

「それで、私が呼び出された理由は、黛が私に関わったこと以外に何かあるか?」

「……っ、どうして」

 抗議をするように声をあげたのは腰越だ。しかし、言葉は続かない。

 仕方がないので、私はそのまま話を続ける。

「合っていると仮定して話を進めるよ。朝の件、と言えば二人とも何のことか理解できるよね。昼休みに受けたのは、その件についての相談さ。どうすればいいだろう、と相談を受けた。だから応じた。それだけだよ。色恋沙汰に発展する何かがあったわけじゃあない。少なくとも私に彼を気に入る理由はない。

 君たちが知りたかったことは他に何かあるのかな? あれば、聞いてくれれば、答えられる範囲で答えるよ」

「……どんなことを話したの?」

「答えかねる。大した内容でもないが、一応、相談事は他人に話すべきではないだろう。……さっきので十分言っているようにも思えるが。

 ただまぁ、黛、彼も一応今の状態をどうにかしたいと思ってはいるようだよ。彼が動いた結果どうなるかは、君たち次第だろうし。実際に彼が動くのはいつになるか、私にわかることではないが」

 言って、私はポテトをとって齧り始めた。

 赤神と腰越はこちらの様子を窺うように視線を交互に移すだけで、無言のままだった。

 私は口の中のポテトがなくなってから、ふうと吐息を吐いて、苦笑した。

「学校では随分と威勢がよかったのに、今は随分と大人しいな、赤神。腰越も、噂に聞く限りでは随分と高飛車とのことだったが、大人しいものだな。――まぁ、別に大人しいことは悪いことじゃないけれど。私にとってはね。

 黛にも言ったが、私は君たちの関係がどうなろうと知ったことじゃあないんだ。私は部外者だからね。君らは彼の新たな一面を知った……のかどうか知らないけど、もしそうだとして、愛想が尽きたならそこで恋は終わりだろうね。まぁ、今の状態のまま続いていって、周囲にとってそれが当たり前になるのもそう遠くないとは思うけど」

 どちらが早いやら、という言葉は飲み物で胃の中に流し込んだ。

「なあ、佐藤」

「何かな、腰越」

「……高飛車とか言われてるの? 私」

「ああ、私はそう聞いたよ。今日会った印象はそうでもないようだけど。たまに強く言い聞かせるか言い負かすことがないかい? もしあれば、それが噂の元だと思うよ」

「あー、それだわ、多分。超うぜー」

「ねぇ、佐藤さん」

「何かな、赤神」

「……さっきはごめんね? 連れ出すとき、なんかちょっと、強く言っちゃって」

「気にしていないよ。こちらこそ、少し手を強く叩きすぎたようだ。申し訳ない」

「でもさぁ、佐藤。どうして学校で話をさせてくれなかったの?」

「誰が何人居るかわからないところは怖いだろう。だから、ここを指定したんだ」

「……どういうこと?」

「トイレに呼び出しくらって苛めにあったりするのは嫌だろう? 人の目がないところに連れて行かれるのが怖かっただけさ」

「……あ! だから、ここなの?」

「そうだよ。ここなら人目があるからね」

「なんだそれ、そんなビビッてたってこと? うける!」

「小物なりの護身術だよ。色々大変なんだ」

 ……などと、色々こまごまとしたことを話した結果。

「佐藤さんって話すと印象違うねぇ」

「思ったより話せるし」

「そう思って貰えるならうれしいよ。……さて、そろそろ出ようか。このメニューで粘るには時間が経ち過ぎてる」

 そして、赤神、腰越の両名に妙に気に入られ、アドレス交換をした上でその日は解散した。





 翌日。水曜日。

 私はいつも通りに起きて、母の朝食を平らげ、いつもの時間に家を出た。父は出張で私よりも早く起きて出て行き、今日は帰らないそうだ。今日の夕食は少しグレードが下がることを覚悟せねばなるまい。母は父がいないと手を抜くのだ。特に料理を。

 やれやれ、今日の昼食は大丈夫だろうかと心配になりながら、通学路をせっせと進む。

 八時三十五分。昇降口で内履きと外履きを履き替える。

 八時三十九分。教室の後ろ側入り口をがらりと開いて中に入る。

「……ふぅん」

 クラス内の雰囲気はいつも通り――月曜日と似たような雰囲気で落ち着いていた。

 八時四十分。教室前方のスピーカーがががっと鳴った後で鐘の音を流しだす。

「おはよーう、諸君!」

 時間通りに動く男――鈴木氏が教室前方の扉から姿を現した。

 私は急いで自分の席に座る。

「では、まず朝の挨拶をしよう」

 鈴木氏の言葉があり、それを受けて、クラス委員が四個一式の号令をかける。

 私はなおざりになりすぎない程度に号令への反応に手を抜きつつ、着席してほっと一息を吐く。

 続いて鈴木氏からの本日の連絡が口頭で行われるのを聞きつつ、スカートの中で震える携帯電話を開いてみた。

 そこには二通のメールがあり、中身は長かったり短かったりだったが、要は昼食を一緒にとろうということが書かれていた。

「……まぁ、こういうこともたまにはあるか」

 携帯電話を閉じて、今日の昼食はどこで摂ることになるのだろうかと、ほんの少しだけわくわくした気持ちを味わった。




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