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第五章

 建物の中に入ったジョージ・サリンジャーは、そこが魔女の隠れ家である事を確信した。

 その内装を一言で言うと、『魔女の厨』である。

 薄暗く、光源は僅かに蝋燭数本。その明かりに照らされて、所どころに怪しげな由来来歴を持っていそうな道具が山と詰まれ、かび臭い古書がその悪状態を気にもされぬまま塔の如く立っているのが見えた。辺りには腐り切ったチーズの様な匂いが立ち込め、ジョージは思わず眉を潜めながら、ガラクタの脇を通って奥へと進む。天井は低く、部屋も狭かったが、道具を崩さない様、慎重になり、移動には偉く手間を取った。

 作り物……と信じたい……骸骨にキスしそうになったのを何とか避けながら、ジョージは漸く多少開けた所に出た。そこにはひん曲がった脚の机と、座れば崩れそうな椅子が二つ置かれており、奥の方に一人の老婆が座っている。この部屋にある物達に負けず劣らない老いと汚れを蓄えた、一目見るだけで不快感を催させる人物だ。

 老婆はジョージがやって来た事に気付くと、何十年着っ放しなのか解らないフードを取って、にこやかに笑った。尤もその歯の殆どを喪失し、黄色く変色した歯茎をまざまざと見せられて、『にこやか』とはとても思えないだろうが。

「いらっしゃいませ旦那様。ささ、どうぞそこにお座りになってくださいまし。」

 囁く様なかすれ声に一瞬何と言ったのか解らなかったが、直ぐに理解してジョージは椅子に座り、老婆と対面した。座り心地の悪い椅子が軋み声を上げる中、老婆はさて、と一拍置いてからこう言った。

「ここまでやって来たと言う事は、ここがどの様な場所であるか知っていると言う事でしょうな。私は知っての通りの魔女……モルグ、と名乗らせて頂いております。旦那様は何とお呼びすれば宜しいですかな?」

 ジョージにはどう言う意味か解らないが、モルグとは奇妙な名前である。だが、相応しいとも思えた。

「私はジョージ……ジョージ・サリンジャーだ。」

「ジョージ様で御座いますか。成る程成る程。」

 何が『成る程』なのか解らないが、モルグはそう言いながら二、三頷き、そしてこう続け様に言った。

「それで、ジョージ様。貴方は一体何用でここにおいでになったのですかな?」

 そぅら来たぞ、とジョージは余計な思考を頭の中から払い出すべく、すっと瞳を閉じた。ここに来てまだ時は経っていないが、それでもこの人物が奇怪な、それこそ噂に近い人物である事は解る。何か粗相があってはいけない。

 彼は瞳を開け、モルグをじっと見つめながら徐に言った。己の願望を。燃え滾る黒い炎をその瞳に宿して。

「私を『保因者』(キャリアー)にして頂きたい。」

 低く静かに紡がれた言葉の奥に篭った熱に気付いたのだろう、モルグの顔がぴくりと動いた。彼女はあの嫌な笑みを浮かべながら、ジョージを試す様な、その人間性を値踏みする様な眼でじろりと見つめる。

 彼はその視線を真正面より受け止めながら続けた。

「それはそれは……しかし恐れながら言えば、この国に、この論曇ロンドンに保因者等腐る程いますよ、勿論字義通りに。ただ保因者になりたいのであれば、そこらの売春婦相手に一発かませばもうなれましょうぞ。」

「そんな安物に興味無い。何故私がここを選び来たのか、あなたになら解る筈だ。」

「それは買いかぶりと言うもので、ジョージ様。私には皆目……一体全体何故で御座います?」

「私は力ある者になりたい。誰よりも、何よりも強いものに。」

「それはまた何故に?」

 執拗なモルグの問い掛けに、ジョージは終止符を打つかの様に断言した。

「竜を倒す為に。」

 意外で馬鹿げた、それでいて真摯な答えに魔女の老婆の顔からへつらいの笑みが消えた。

「……何故竜を倒したいのです?」

 この質問に、ジョージは一瞬躊躇った。こんな者に変に勘繰られたくは無かったからだ。

 同時に思い出してしまったのである。屍すら残っていなかったあの荒廃した故郷の風景を。

 だが言わなければ話は進まない。押し寄せてきた吐き気を堪えつつ、彼は言った。

「竜は私の妻子を奪った。その為にだ。」

「……復讐、で御座いますか。」

「ああ……私自らやらなければならない事なんだ。」

「……何があっても、で?」

「……何があっても、だ。」

 そう言いながら、机の下でジョージの拳がぐっと握りこまれる。視線が下がり、薄汚れた木目に注がれた。

 モルグはその様子を相変わらずじぃっと見つめている。そして、少々の時を置いてから言った。

「竜に復讐だなんてまるで神話か伝説ね、この時代には相応しく無いわ。でも面白い。凄く、面白いわよ、それ。」

 その唇から紡がれたのは、妖艶にして妙齢な女性の声だった。

 はっとジョージがモルグへ視線を戻すと、彼女の姿は一転していた。

 そこに座っていたのは、見目麗しき貴婦人である。縦巻きにロールされた淡い緑色の髪が美しく、それと全く同じ色をした瞳が、細く長い光を燐と湛えていた。服装すら、何時社交界に出てもおかしく無い緑色に統一されたドレスへと変わっている。みすぼらしいフードの面影等、一切れも存在しなかった。

「……あなた、は……一体何者だ。」 

 この厨に全く持って相応しくない人物の唐突な出現に、ジョージは驚く自分を隠せずに居る。

「あら、既に名乗ったじゃない。モルグ、って。でも、今この姿の時はルフィナと名乗っているわ。ルフィナ・モルグ、合わせてそれがこの私のフルネームよ。覚えておきなさいね、ジョージ・サリンジャー?」

 そんな彼を見ながら魔女ルフィナ・モルグは妖精の様に可愛らしくも意地の悪い笑みを浮かべて応えた。

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