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黒閾のダークブレイズ  Re.FIRE  作者: 星住宙希
第三章
5/31

錬成の鬨

身体が思うように動くようになるのに、三日の時間を要した。


 凍傷を考えれば、それでも驚異的な回復力と言えよう。


カナンの親身な介抱は有り難くもあり、優しかった亡き姉を思い出す為か酷く億劫でもあった。


「カナンは……嫌いだ」


ガルンはそう呟いて頭の中に浮かぶ、太陽のように笑う少女の顔を掻き消す。


しかし、ここ数日に見続けた残光は消えそうにはない。


動かない身体で常に見続けていたのは、彼女の笑顔ばかりだ。


頭を振って重たい足を進める。


辺り一面雪景色。


その中を点々と足跡を残しながら、ガルンはゆっくりと前進していた。


吐く息は真っ白だが、寒さを全く感じない。


存在が変質した為か、怪我の影響で脳のリミッターの何かが外れた為かは分からない。


だが、今のガルンにはそれは有り難い現象だった。


身体の機能が低下しようと、それを無視して身体を動かし続ける事ができる。


少年は三十センチはある積雪の中を、黙々と進んでいった。


「絶対このルートのはずだ……」


疲れを感じないと言っても体力は奪われていく。


寒さにより見る見る顔色は悪く成り、自由に動かなくなってきた身体に苛立ちを感じる。


それでもガルンは周りを気にしながら雪道を進む。


ガルンが進んで行く道は、例の三人組が逃げたルートと一致していた。





例の三人組は邪妖狼から逃げるように町を去った。


そうすると、機動力が上回る狼相手に山岳方面に進むはずはない。


逃げるとしたら海岸方面である。


町から海岸方面に抜けるには、険しいハラロ渓谷を抜けるしかない。


そこには一本の跳ね橋があった。


何処を抜けようと橋を通らねば先には進めないので、おのずと逃走ルートは決まってしまう。


ガルンはクフルの話を思い出す。


奴らは囮の贄として、姉を捨てて行ったはずだ。


ガルンは歯を食いしばって全神経を総動員して辺りを探す。


姉の死は確定だ。


蒼き狼は姉の幽体を食ったと言ったのだから。


しかし、姉の遺体はあるはずなのである。


自らも幽体を喰らったから分かる事だが、幽体食いは身体を傷つけないのだ。


身体から幽体だけを抜き取って捕食する。


ヴィジョン的には幽体離脱した霊体だけを食べるイメージに近い。


ガルンは不安定な存在になって気付いた事だが、生命体とは幾重もの身体が重なって成り立っている事を知覚した。


ガルンの知識には無い事であったが、一つの世界自体が既に幾重もの重なった平行世界によって成り立っている。


その中を生きる生命もまた、一つの身体に幾重もの身体が集約して成り立っているのだ。





物質世界は肉体を。


精神世界は精神体を。


幽境界は幽体を。


精霊界は霊体を。


幾重もの世界があり、また、幾重もの身体も存在する。


それらが全て合わさって生命は成り立っているのだのだ。


それら全てを繋げるものを霊核と言い。


それら全てを内包する器をこの世界では魂と呼び、全てを循環させているものをエーテル体と呼ぶ。


人間の死とは、そのどれかが欠損する事を意味する。


肉体が滅びれば、霊核は抜け落ちエーテル体が崩壊、全てが分裂する。


精神体が抜け落ちれば何れは母体たる身体が朽ちて死ぬ。


幽体とは星に刻まれた記憶であり、念積体やアストラル体とも言われるエゴの塊を指す。


これが無いと、霊体は何れ霧散して精霊界に回帰してしまう。


霊体は存在の根幹であり、これが無いと精神体は

エーテル体に定着しない。


全てが一であり、一が全である。


不死者と呼ばれる眷属はこのうち肉体が死に、魂が昇化してしまっているが、元来の特殊能力や禁術によって霊核を無理矢理打ち込んで他の存在体を束ねている状態を指す。


能力レベルに寄っては、最も脆い精神体が瓦解して定着するため、大半の不死者は精神が希薄な感情主体の狂喜体に成るのが通例である。


不死者の最もランクの下のアンデット族は、残りの存在体がほぼ無い状態を言う。


幽体のみだとゴースト、霊体のみだと悪霊、精神体のみだとスピリットなどになる。


それに肉体が繋がったままなら、ゾンビやグールと言った化け物に成り下がるのだ。


本来、星の血液に当たる流脈に帰化するはずの幽体が、強すぎる後悔の念を持つと幽霊と呼ばれる存在に成り果てる。


そして、邪念の強すぎる幽体は悪霊と化し、死を撒き散らす厄災と成り果てるのだ。


どちらも世界の慣わしから外れた存在であり、その変質した幽体を邪妖狼は喰らう。


邪妖狼、デュアルウルフと人間達に恐れられる存在は、本当は自然の守護眷属の一つであり、真実を知る種族たちには星狼【ほしおおかみ】と呼ばれる吉兆の高位存在なのである。


その血を受けたガルンは本来、正なる存在に近づくはずであった。


しかし、クフルの感じたイメージは限りなく負のイメージである。


「クフルは幽体しか食わない……。姉ちゃんの遺体はあるはずだ」


今のガルンの望みは、せめて姉の遺体をきっちりと埋葬したいと言う想いだけだった。


姉の遺体を探し始めて半日。


ようやくガルンは不自然な雪の塊を発見した。


近づくと姉の手が雪の間から見えている。


「あいつら、こんな所に捨てて行きやがって」


沸々と怒りが込み上げてくる。


しかし、その感情は、姉を早く冷たい雪の中から救い出したいと言う想いが打ち消した。


手を両手で掴み、渾身の力で引きずり出そうとしてガルンは尻餅をついた。


「……?」


余りの軽さに不思議がる。





ガルンが引き抜いたのは……引き抜けたのは二の腕から切断された姉の右腕だけだった。


「!!!」


思わず腕を離す。


分離した腕は、奇怪な肉の塊にしか見えなかったからだ。


「なっ……なんで?」


恐怖に青ざめながらも、何とか腕を拾い直す。


腕は滑らかな切断面を見せていた。雪狼や熊に引き裂かれた訳では無い。


「……そうか。あいつら」


心の奥底で黒い炎が灯るのを感じた。


ドス黒い復讐の炎を。


三人組は蒼い狼の生態を知らない。


彼等は邪妖狼の気を引く餌として、姉の身体を切断してそこらに撒いたのである。


まだ息のあった姉を解体して。


血が出るほど唇を噛み締める。


握った手が紫に変色するまで握り続けた。


「あいつら……絶対に殺してやる」


頬を伝う涙の熱さだけが、狂った身体の中に鮮明な記憶として刻み込まれた。





「お前……アホだろ?」


その声でガルンは埋没していた意識を浮上させた。


体に微妙な振動を感じるが、身体全体がかじかんでいるせいで今一よくわからない。


見開いた眼にうっすら映ったのは赤く焼ける空だった。


夕暮れなのか朝焼けなのか、疲労困憊の頭では判断出来ない。


しかし、自分が雪道を引きずられている事だけは理解できた。


引きずっているのは声から判断してグラハトであろう。


「体中凍傷だ。それ以前にもう少しで凍死だぞ?」


呆れ声が天から降ってくる。


再びグラハトに救われたのをガルンは理解した。


結局、姉の遺体は探し回った末、頭部と右腕しか発見出来なかったのだが、それを巨大な古木の下に埋める作業をした所で意識が途絶えたのだ。


その後、気がついたのが今である。


ずるずる引きずられているのが、なまじっか抱えられるより遥かに今は気分がいい。


「ったく、死にかけのくせに泥だらけで何やってやがるんだか……。それに目の回りが腫れてるぜ、この寒空に泣くぐらいなら外にでるな」


「……」


「いいか? 男が泣いていいのは恋人か肉親が死んだ時ぐらいにしておけ?」


「……姉が死んだ」


ぽつりとそう言ったガルンの言葉でグラハトは一瞬立ち止まったが、再び泣き腫らした少年に一瞥も与えずに歩き出した。




「なら今回は不問だ。お前のねえちゃんの分も命を無駄にしない事だな……」


「……」


ガルンは虚空を眺めながら大きく息を吐いた。


白い吐息が大気に溶けて消えていく。


麻痺した身体に微かに感じる振動が、まだ生きている証明でもある。


「おっさん……あんた戦う力を持ってるよな? それも強い」


「……」


「俺に戦い方を教えてくれ」


ガルンの言葉にグラハトは足を止めた。


ゆっくりと引きずっている少年を見下ろす。


「動機はなんだ?」


「姉ちゃんの敵討ちだ」


「止めとけ、助かった命を捨てるだけだぞ?」


グラハトは余りに真っ直ぐ天を見上げる少年に釣られて、天を仰ぎ見た。


「俺は約束を守れなかった」


「約束?」


「自分を守って育ててくれた分、大人になったら姉ちゃんが幸福になるまでずっと守るって約束をしたんだ……」


ガルンは溢れてくる涙を必死に堪える。


「約束を破るような男になるなと、父ちゃんが生きていた頃に言っていたと聞いた……」


グラハトは天を見上げながら目を細めた。


何か感じる所があったらしい。


「俺は……二つも、約束を……守れなかった……」


言葉に鳴咽が混ざり出す。





グラハトは頭をボリボリ掻いてから、大きく溜息をついた。


「はっきり言うが……。俺は成すべき事を成せなかった、途中で諦めたチキン野郎だ。それに、昔の古傷のせいで全盛期の十分の一も力が出せん。それに……」


一瞬言葉を切ってから、今度は足元に視線を移した。


「俺の力は天に唾を吐く力……。いや、単純に悪魔の業と言うべきだろう。俺の力は破滅を導く邪悪な力だ。それを引き継ぐだけで、貴様は俺と同じように闇側に存在が変質するはずだ。それでも力を獲たいか?」


「俺の存在はもう変質しているんだろ?」


グラハトはゆっくりとガルンを見つめた。


ガルンの顔に涙は無い。


「最後に一つ言っておくぞ。俺は世界の敵だった者だ。お前も世界の敵と認識される事になる可能性は高いぞ?」


「……例えそれが悪魔の力でも、俺は力が……欲しい」


ガルンの目には陰りが無い。


グラハトは覚悟を決めた。再び闇に堕ちる覚悟を。


「いいだろう。神すら殺す力をやろう」


グラハトはニヤリと笑うと、ガルンを軽々と拾い上げると肩に担いだ。


「……?!!」


いきなりの行動に驚きを隠せないガルンを無視してグラハトは走り出す。



「なら、連れてってやるぜ修羅の世界へ」


男の嬉々とした姿に、ガルンは何故か微笑した。


顔も思い出せない父の姿を連想した為かもしれない。


担がれた顔に、横合いから光りが差し込んで来た。


朝焼けだったらしく、太陽が山の間からゆっくりと顔を出し始める。


ガルンはその光が酷く明る過ぎるように感じたが、あえて考えるのは止める事にした。


陽の光が空を碧く照らし出していく。


冬は早々と終わろうとしていた。



         ◇



三年の月日が経った。


 


         ◇



「くそ! 何でだ!」


ガルンは手にした黒い剣を大地に突き刺した。


刀身も柄も全てが黒い。


近づいて見れば朱い幾何学模様や、紅いエノク文字のような紋様が所々に浮かんでいるのに気付くだろう。


だが、遠目では黒一色にしか見えない。


大人でも大型の長剣に入る長さの剣だ。


子供のガルンが持てば斬馬刀のようにしか見えない。


「まだまだだな。ダークブレイズは思念を焔に変える魔剣。注ぎ込まれたお前の念いで威力が変わる」


グラハトはへばり込んでいるガルンを冷ややかに眺める。


二人は切り立った崖の上にいた。


地上三十メートル。


精神修業といえど、墜ちれば即死の高さだ。


しかし、二人は別段恐怖を感じている様相はない。


「まあ、お前にはまだ早いって事だな。素直に剣術に磨きをかけな」


「そうは言っても、基本の百八の型はもう身につけたじゃないか。それなら、素直に滅陽神流【ホロビガミリュウ】の奥義を教えてくれよ」


膨れっ面の少年に疲れた笑みが向かう。


かれこれガルンが剣から焔を出す訓練始めて三時間は経つ。


ただ突っ立っているだけでも、こんな所では疲労が蓄積されていくのは仕方が無い。






「奥義ねえ……。まだ、そんな華奢な身体じゃ、奥義もクソも無いな」


ジロジロ身体を見周す喜色な視線を、ガルンは殺意の篭った視線で返す。


十二歳と言う年齢では長身な体躯を持ち、屈強な筋肉のつき方をしているが、それでも所詮は子供である。


鍛え抜いた大人の筋力にはまだ届かない。


現に訓練中のグラハトと力比べをして一度も勝てた試しがないのだ。


魔剣の訓練前にも、既に一度負けている。


「そもそも、お前、霊妙法を身につけたのか?」


「うるさい! あんな意味不明な事、簡単に出来るかよ!」


呆れ顔のグラハトに噛み付く。


「やれやれだな。滅陽神流剣法を身につけるには、大前提の能力なんだがな。お前ときたら三年かかって一度も使えないとは……。才能ゼロだな」


「ぐっ……」


ガルンは酷く悔しそうに歯を食いしばる。


三年前の修業を受ける前に語られた言葉を思い出した。


姉の埋葬をしに行った為に、再びベット行きになった時の事を……。


身体中の凍傷と、体温低下による免疫不全で高熱を出していた時に語られた言葉を。


朦朧としているガルンに構わず、グラハトはゆっくりと話をし始めた。





例の薄暗い洞窟の中に作られた一室。


「はっきり言うが、俺は人間の敵側だった存在だ」


真顔とは言え、グラハトのセリフは冗談にしか思えない。


普通なら一笑に付す所だ。


「十年前の聖魔大戦を知っているか?」


その問いに、ベットで寝むるガルンは首を振った。


ガルンの生まれる前の話であり、それが行われたとされるのは大海を隔た遥か東の大陸の話だ。


ただ、世界が闇に包まれた“闇の一年”と呼ばれる期間があった事だけは知っていた。


「まあ、簡単に言えば魔性と神性の代理戦争だ。この地の覇権をかけてのな……。俺は魔性側。魔属に選ばれた人間だった。俺は世界を魔性に委ねる為に戦った。全てを賭けて」


視線が遠くを見る。

過去に居た、遠く離れた故郷を思い出すような憐憫な表情だった。


ガルンは直感でそれが真実だと理解する。


この話は聴かなければならない事だと。


「まあ、俺はその戦いの為に造られたものだからな……。何故? とか聞くなよ? 結局ボコられて半死半生だしな。その時の怪我で体はボロボロだ」


ニカッと屈託なく笑う姿は、ある意味羨ましい。


ガルンはコクりと頷く。


「俺が身につけている技巧は滅陽神流剣法。魔性に与えられた、真に神すら切り伏せる剣技だ」




「神を……殺す剣技?」


「根幹は霊妙法……想念を極限まで高め、人体の持つチャクラで霊的に変換。魂が持つ霊子力と融合させる事により高位存在にすら届く霊威を構築する。それと特殊な剣技を合わせて振るうのが滅陽神の剣だ」


「……?」


朦朧とした意識に、理解不能な情報を投げ掛けられてガルンは困惑した。


意識云々以前に意味不明な公式のようだ。


その様子に気付いてグラハトは苦笑する。


相手は年端もいかない子供なのだ。


「早い話、現界していれば神すら斬れる剣法ってことだ。これの本質は霊威力。あらゆる存在に通用する力だ。相手が竜種だろうが巨人族だろうが関係ない。些か問題はあるがな……。まあ、まずは霊妙法を身につけろ。」


話はよく解らなかったが、ガルンはその内容を一語一句覚えて頷いた。


言葉として心に刻み込む。


人の知られざる知識と、

人の知り得ぬ技の集合体。


それが滅陽神流剣法だと。


剣技を身につけるには、先に霊妙法と呼ばれる力を身につけるしか方法は無い。


それが最善の選択。


それが唯一の選択。


いくら型や技法を身につけても、霊妙法が基礎になければただの剣術にしか過ぎない。


そうガルンは認識した。





滅陽神流剣法。


その真価を発揮する土台がまるで出来ていない。


これでは見た目だけ立派な、骨組みしかない張り子の虎のようなモノだ。


それが分かるからこそ悔しさが込み上げてくる。


魔剣ダークブレイズの機能は、霊妙法を使うには抜群に相性がいい秘宝だ。

霊威力をそのまま乗せて、強力な物理攻撃としても敵に撃ち込める。

これならば相手がゴーレムの様な無器物や、城塞すら打ち砕く事が出来る。


グラハトが愛用していた理由が、機能を考えれば自ずと分かると言う所だ。


しかし、その魔剣すら十分に扱えず、基本である霊妙法すら使えない現状では、一体何を学んできたのかと途方に暮れるのは当然と言えよう。


「ガルン。人間が他の種族より秀でているモノは何だと思う?」


唐突なグラハトの言葉で現実に引き戻される。


(人間が多種族より優れているところ?)


ガルンはいきなりの質問に当惑したが、何かしらの意図がある筈だと判断した。


グラハトは嘘や冗談をよく言うが、その中には必ず重要な事柄が含まれている。


本人言わく、これも一つの情報戦。


情報の収集は戦局の要を担う鍵だ。


それを見極めるのも戦いの内と言う事だろう。




「人間が勝ってるもの……?そんなものがあるのか」


率直な感想。


ガルンがそう思うのは仕方がない。


この世界には数多くの種族が存在する。


エルフやドワーフと言った亜人族から、昆虫族や獣人族、果てはドラゴンや巨人族まで。


伝説や希少性ならば、“魔神鬼”や“無慧【なえ】”と呼ばれる上位種族すら存在する。


邪妖狼もこの一種だ。


彼らに比べれば、人間の素養は決して高いとは言い難いのは当然と言えよう。


「あえて言うなら……いっぱい、いる事?」


半信半疑で聞いてみる。


ガルンの言う“いっぱい”いるは人口の事だ。


確かに人間は他種族より人口が多い。


繁殖能力と言う点では確かにずば抜けていると言える。


「あ~、それもあるがチと違う。人間の最も優れている所は“素体”としての万能性だ」


「素体?」


ガルンは座り込んでグラハトを見上げた。


どうやら体力の限界らしい。


それを見てグラハトも腰を落とす。


「人間の最大の長所はその汎用性、対応能力にある。あらゆる力の器になりうる、その素体としの優位性はあらゆる種族の中で断トツだ」


「……?」


「人間と言う種は、あらゆる可能性を秘めた万能の素体だ。事実上、人間が身につけられない力は存在しない」


グラハトは何故か愉しそうに目を輝かせている。





「いろいろ身につけられるのが最大の強味って事か?」


「そう言う事だ。例えばエルフ。繊細で俊敏な動きができて、高い知能と驚異的な集中力、先天的な高い魔力と精霊魔法を操れるが……、それがスタンダード。多様性が無い」


「多様性?」


「奴らは気法や特殊能力、今やっている霊妙法などをほとんど身につける事が出来ないと言う事だ。多様性が無いと言う事は、能力の拡張限界を意味する」


グラハトは淡々と話を進めるが、ガルンには今一要領が掴め無い内容であった。


それを物語る様に眉間にシワが寄っている。


修業中の霊妙法。


これを身につけられるのは人間ぐらいなモノだと語っていた事を思い出した。


「でも、それって器用貧乏じゃないのか? 一つを極めた方が強いだろ?」


「まあ、それも一理あるが、相手の能力が端から分かっているんだ。これほど戦略を練りやすい事は無い。逆に霊妙法。こいつみたいな特殊な戦闘方法を持っている奴はそうざらにいない」


そこまで聞いて、ようやくガルンは合点がいく。


人間種としての最大のメリット。


汎用性の高い人間は、早い話ビックリ箱なのである。


何の能力を持つか分からないエネミー。


多種族にして見れば、取るに足らない雑魚だが、たまに猛毒を持っているモノが含まれていても気付かない。





「油断している敵に対して、霊体攻撃である霊妙法は猛毒だ。滅陽神流剣法ならば、それを遥かに上回る致死毒にも成得る。こんな神にすら届く技能を身につけられるのは、人間だけの特権だからな。人間だけの・な」


「……?」


最後のフレーズに違和感を感じてガルンは顔を曇らせた。


何か致命的なミスをした事に、ようやく気付いたような後悔の念を感じる。


「正直、お前の戦闘センスはかなりのものだ。情けない話だが、俺より一ランク上だ。もって生まれた才能の違いってやつかな? そのお前が霊妙法を使えない理由は一つしか考えられない」


険しくなる視線にガルンは息を飲んだ。


一陣の風が崖の上を吹き抜けていく。


グラハトの服は大きくはためいたが、ガルンの服は全く靡かなかった。


まるで風が避けるかのように。


「お前……人を辞めているな」


「……!?」


その言葉にガルンはその場で絶句した。


人を辞める。


普通なら失笑して流す話しだが、邪妖狼の血を身に入れたガルンには冗談ではすまない。


普通の人間とは掛け離れた状態の可能性は、非常に高いのだ。


グラハトは人間の優位性について語っていた訳では無く、ガルン自身を指した話しをしていた事にようやく気がついた。





「会ったときに気付いた違和感。存在の変質……。 ただの人間が存在を変質するのはニパターンしかない。知り得ぬ知識、秘宝に触れるか、ある高みを越えた事によって心格が上位存在にシフトした時。これは人の身で在りながら存在だけが変質した事になる」


「……もう一つは」


「別存在になった時だ。悪魔と取引して人間を辞めたり、吸血鬼や不死族の様に別存在にクラス代えした時、肉体に他の生命を取り込みキメラ【混成生物】に成った時。すなわち人間では無くなった時だ」


ガルンは沈黙した。


他の生命を取り込む。


蒼き狼の血により助かった命だが、ガルンの身体には違和感が存在する。


精霊界に干渉する力……。


自分でも半分、精霊に成ったような違和感。


「人間を辞めた奴は強大な力を得る替わりに、本来の人間の持つ可能性を棄てた事になる。これだけ凶悪な力が宿ると言うのにな」


グラハトの声は、何故か忌ま忌ましいかの様な毒を含んでいた。


さも、人間の持つ可能性を見てきたかの様に。


「普通に考えたら、後者のが強く無いのか? 魔力も肉体も人間とは比べものにならない……。メリットばかりだ。生命力すら段違いに違う」


何か自分を弁解するかの様な言い方に、ガルン自身が戸惑いを覚える。





まるで自分が弱い事を悟りたく無いように。


グラハトは空を仰ぎ見た。

真上にはさんさんと輝く太陽が、我が物顔で空を蹂躙している。


清々しいほどの晴天。


太陽の光りが目を焼く。


近づけば焼かれるだけだと分かっているのに、光りに寄り添う虫のように、恋い焦がれる相手を凝視する様に、羨望の眼差しを向けていた。


案の定、目を軽く押さえて俯いた。


暗転した視界に光りの残像がハッキリ明滅している事に苦笑する。


「お前の意見はもっともだ。人間からしてみれば他の生命の強さに惹かれるのは当然だ。だが……元々持ち得る力に依存している奴らは、能力が極端に向上出来ない。肉体的にも精神的にもな。考えてみろ? 勇者と呼ばれた英雄達には必ず人間が混じっているはずだ」


「……確かに」


ガルンは小さい頃に村に来た吟誦詩人の謡を思い出した。


数々の英雄譚。


その中でも魔王を倒す在り来りな話しに目を輝かせていた。


活躍する中心は人だ。


人間の勇者は常に話の中心だった。


子供達の憧れの的。


ガルンもいつか勇者になると思っていた事がある。


あの伝説、伝承が真実だとすると、逆に必ず存在する人間種の異常な数に気がつく。




「人間は成長する事に関しては群を抜いている。カリスト進化と言ってもいい……。だが、そのアドバンテージはあくまで人間の持つ特異性だ。人間のな」


声のトーンが落ちる。

治らない不治の病を宣告する医師の様な赴き。


それを感じ取ってガルンは拳を握りこんだ。


「俺は霊妙法が……身につかないかも知れない」


グラハトとは逆にガルンは足元を……大地を睨み続けた。


まるでそこに天と地の境があるのに気がついたように。


「悲観するなよガルン? 百パーセント可能性が潰えたわけじゃない。過去にはモザイクの成功例もある」


「モザイクの成功例?」


ガルンは軽い疑問と共に顔を上げた。


可能性が零と一では天と地の隔たりがある。


零では奇跡でも起きなければ不可能な事でも、一ならば可能性が潰えた事にはならない。


それが例え限りなく茨の道だったとしても一縷の望みはある。


「四十伍年前辺りに、魔邪大戦まやたいせんと言う大規模な戦争があったらしい。内容は朧げにしかしらんが魔邪文明とやらと精霊連合とやらの戦争だ。その時、生み出された“星創統合体”はモザイクでも驚異的な成長を遂げたと聞いたな」


「モザイクって……キマイラ、混在体?」


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「融合存在だったかな? 仕組まれた混血児は基本的に強いが、出力が不安定と言う弱点がある。人間程の適性があるのはやはり稀だな」


「……。融合存在」


ガルンの耳には残りの言葉は入っていなかった。聞き慣れない言葉だが、自身が限りなくそれに近い存在に変質している気がしてならない。


人間と精霊との融合存在…。


それが凶と出ている事になる。


「親父~! ガル~ン! 飯~!」


下から聞こえる大声で現実に引き戻された。


崖の下を見ると、鍋の蓋をおタマで叩いている少女の姿が見える。


どうやら昼食の呼びかけのようだ。


「まあ、飯にしよう。霊威力にまで引き上げられなくてもチャクラ自体は廻っているんだ。内気功として使用するだけでも人間相手なら十分な威力だしな。別にお前は神と喧嘩するツモりではないだろう?」


グラハトの言う事は最もだ。


現在、ガルンは人体に八つあるとされるチャクラの内、四つを開放する事が可能になっている。


チャクラとはプラーナや気と言われる生体エネルギーの発生源であり、これをエーテル体を通して肉体に循環させるだけで、クンフーを積んだ達人並の身体能力を発揮させる事が出来るのだ。



肉体的に多種族に劣る人間が、力で拮抗するには必要不可欠な能力と言える。


これが人間種のアドバンテージの分かりやすい力の一つであり、大半の種族はチャクラ開放ができない。


ガルンは少なくともこのレベルは越えている事にはなる。


天才と呼ばれるタイプの人間は、このチャクラ開放を教えられなくとも先天的に使用している場合が多く、幼くとも強力な力を振るう者がいるのはこの為である。


この段階で対人戦闘に置いては十分な力量を身につけたと言えるだろう。


グラハトの指摘は正しいと言える。


(この中途半端な力が……俺の限界? これで奴らを倒せるのか)


ガルンは静かに拳を見つめるとゆっくりと立ち上がった。


力が延びないのなら、後は技術を身につけるしかない。しかし、それを最短に身につけるのには実戦しか有り得ない。


それが、この三年でガルンが肌で感じた直感だった。




「ガルンは相変わらず極端だよね。だよね?」


脹れ面のカナンを無視してガルンは黙々と旅仕度をしていた。


グラハトに話をされた翌日である。


その日の内にガルンはここを出る決心をしたのだ。


百八あると言う基本の型は身につけた。


霊妙法が身につかなければ滅陽神流剣法の奥義も何も無い。


霊妙法の訓練自体も瞑想さえ出来ればどこでやっても同じである。


「霊妙法なんて一朝一夕で出来やしないって! 私なんか今だ“チャクラ”二つしか廻らないんだよ?」


何故かカナンが酷く焦っている事に、ガルンは不思議な感じがした。


カナンもこんな人気の無い山奥で、グラハトから滅陽神の剣を学んでいたのである。


しかし、ガルンが来てからは修業の中心はガルンに移り、カナンはまともに訓練を受けていない。


それを不服と取っているとガルンは思い込んでいた。


「だいたいガルンがいなくなったら、私が親父にしごかれるんだよ? せっかく最近は朝の型練習と寝ながらチャクラ維持しかやらないですんでいたのに……。だからガルンはここにいようよ。と言うかいなさい!」


真摯な眼差しに反して、ガルンはそんな理由でと溜息をついた。


顔の表情がコロコロ変わる、感情豊かな少女の真意は伝わっていない。




「グラハトは剣の後継を育てようとしているんだろ? なら俺はお役御免だよ。俺には滅陽神の剣を使える可能性は余りに低過ぎる。想念を霊的にまで昇化できるカナンのが可能性は高いさ。今のうちにカナン一人に訓練を絞った方がいい」


「なに、それ! 諦めるのは良くないよ! ガルンなら本当に強くなれるんだから! じゃなきゃ親父がわざわざガルンに剣を教えるわけないじゃない!」


何故か自慢げにカナンは胸を張った。


訓練の賜物か、筋肉の為か、妙齢の少女にしては胸が無い。


本人はかなりコンプレックスを持っているようなので、グラハトとガルンは暗黙の了解で迂闊に触れられない話題の一つになっている。


「まあ、そう言うなカナン」


そう言いながら洞窟内にこさえた部屋の一室に、グラハトもするりと入って来た。


元々は何かの遺跡後だったらしく、作り自体はしっかりしているが大きさは八畳辺りしかない。


筋肉質なグラハトを含めて三人も入れば、かなり狭苦しく感じる。


『親父邪魔』と露骨にカナンは嫌そうな顔をした。


何がなんでも足止めしたいらしい。


「ガルンはスランプ見たいなもんだ。それを払拭するには実戦は最高の特訓になる。それに今のガルンなら盗賊ぐらいなら余裕で勝てるだろうしな……」


「……」


軽くウインクするグラハトをガルンは不思議そうに眺めた。



グラハトはガルンの姉の仇が盗賊だと知っている。その目的も。


まるで修業ついでに仇を討ってこいと言わんばかりだ。


普通の武芸者なら『復讐は復讐しか生まない』や、『仇を討っても死んだ姉は帰らない』など綺麗事を並べると思っていた。


英雄譚や本に出てくる師匠とはそう言うものだ。グラハトも同じような事を言うとばかり思っていたのだが、この豪胆な親父にはそれが全く当て嵌まらないようである。


「カナンお前も荒行だ。ガルンのお目付け役で行ってこい」


「はあ?!」


素っ頓狂な声を上げるガルンを余所に、カナンは手を叩くと「話せるじゃん親父!」と言って指を鳴らした。


「直ぐに仕度するから、勝手に行かないように! 行ったら許さないから」


カナンはガルンに釘を刺すと、颯爽と部屋を飛び出していった。


太陽が沈んだ後のように、その場にひんやりとした沈黙が訪れる。


ガルンはグラハトを睨み付けたまま、その場に固まっていた。


抗議の視線に中年親父は肩を竦めると、


「まあ、諦めろ」


と言った。


不服を隠くそうともせずに、ガルンは何も言わずに荒々しく旅仕度を再開する。


元々ガルンの荷物は殆ど無い。


今は旅に必要そうな物をかき集めているに過ぎないのだ。




「あんたは、俺の敵討ちについて何も言わない。なんでだ?」


あえて顔を見ずに呟く。

グラハトは何故かニヤリと笑った。


「人間の多種族を越えている要素を後二つだけ教えてやる。その一つが感情だからだ」


その言葉にガルンは作業を中断して、ゆっくりと振り向いた。


「感情? それがアドバンテージになる?」


「身体的や能力の話じゃねぇーぞ。中身の話だけだがな」


とんとんと指で額を叩く。頭の中と言いたいらしい。


「人間が多種族を上回る特色は感情と想像力だ」


「感情と想像力?」


オウム返しで言葉を確認するが、疑問しか浮かばない。それが何に役立つのか。


「喜怒哀楽。これだけ突出して感情を表す種族は他にはない。何かに特化していても基本偏った感情が関の山だ。感情は全ての原動力と直結している。言葉に熱を持たせられれば他者の心を震わせたりも出来る。まあ、火事場の馬鹿力の発火装置見たいなものでもあるしな。感情とはそれだけの力があるって事だ」


「……?」


「そして想像力。こいつも群を抜いている。これのお陰で人間は栄え発展し、道具を生み、兵器を生み、疑心暗鬼にもなり、未来を夢みて悦に入ったり、不安になったりとまあ様々だ。戦闘に置いては予測にも使えるしな」




ガルンは顔をしかめた。


想像力は立体空間として敵を認識したり、敵の能力を推測したりと使えるが、考えすぎれば疑心暗鬼に陥る。


感情はどちらかと言うとマイナスなイメージしかない。


焦りや怒りは冷静な判断力を奪う。


恐怖感もまた然り。


「遠回しに感情と想像力のコントロールを気をつけろって事か?」


ガルンの言葉にグラハトは苦笑した。


出来の悪い生徒に手を焼く教師のような表情だ。


いや、逆だろうか?


不満足そうでもあり、納得したようにも見える。


「まあ、悪くない解答だが……いずれ分かる時がくるさ。その意味がな」


「……? それを伝えに来たのか」


止めていた手を再び動かしだす。


ガルンにはさほど重要なアドバイスとは感じられなかったようだ。


「まあ、感情の赴くままにやるのも悪くないって事だ。特にガキのお前じゃ敵討ちしなきゃ前に進めないだろ」


「……悪いけど、俺の目的は敵討ちだけだ。正直、滅陽神流剣法はその為の手段でしかない。あんたも分かっているだろう?」


それを聞いてグラハトは何故か笑い出した。


いきなりの大笑いに、少年は不愉快そうに顔を向ける。


長い間笑ってから、大男は今度は鼻で笑った。


「敵討ちをしたらお前の人生は終わりか? 違うだろうが」





ガルンが沈黙しているのをグラハトは肯定と受け取った。


「だから、その後の人生は俺がもらうぞ? な~に、ただこの滅陽神流剣法を継承してくれればいい。こいつは神性側への抑止力として残したいんでな」


再びガハハと大笑いするグラハトを見てガルンは額を押さえた。


この親父には押し問答は通じない。


どちらにしろ、ここまで強くしてもらった恩もある。


拒否権は端からあるとは思っていなかった。


「はいはい、分かったよ。約束する。敵討ちが終わったら剣法修得に励むよ。カナン程の才能は無いとおもうけどね」


投げやりの返事だか、グラハトは満足したようだった。


うんうんと頷いている。


「もう一個約束しろ」


「もう一つ?」


「カナンの事を頼む。あいつは普段明るいが芯は意外と弱いからな」


頬を掻きながら天井を見上げる中年親父を、ガルンは何故か羨ましそうに眺めた。


「了解。出来る範囲で約束するよ」


そう言ってガルンは楽しそうに微笑した。




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