月の無い空に世界蛇は哭く 伍詞“終焉の未来と数の正義”
声が聞こえた。
それは自分の名を呼ぶものだ。
それが心地好いものでは無いことに、微妙ないらつきをガルンは覚える。
どうせ呼ぶなら、綺麗な声色が良いに決まっている。
どうせ聞くならば。
「起きろガルン!」
その声が五月蝿いのは当然だ。
相手は頭がおかしいのか、指向性音波を直接頭に向けている。
これでは耳が聞こえようが、聞こえ無かろうが関係ない。骨振動で脳内に響き渡しているようなものだ。
「うるせぇ!!」
ガルンは叫びながら身体を起こそうとして、全身を駆け巡る痛みに顔をしかめた。
見上げた空はぼんやりしてはっきり見えない。
まだ、重力加速の後遺症が抜けていないらしい。
激しい痛みに、自分の身体の異常箇所を探していく。
(な……んだ? チャクラの三つは完全停止……している?)
肉体のダメージより、身体の構成体のダメージが酷い。
特に霊体のダメージは深刻だ。
このまま目が覚めなかったら、霊体が肉体から抜け落ちていたかもしれない。
ガルンは激しい頭痛に耐えながら、記憶をまさぐる。
五感が麻痺した状態で最後に感じたのは、カナンの声と--ありえない膨大な霊的波動。
魂に響いたその波動を最後に、記憶が完全に欠落している。
「やうやく目覚めたか? ガルン・ヴァーミリオン?」
聞こえた声には覚えがあった。
フィン・アビスだ。
音使いの力を使えば、直接骨に音を伝えるのも容易な事であろう。
「何があった?」
「それは、こっらが知りたいところだ」
そう呟くと、ぼんやりと視界が回復してきた。
真上に始めに見えたのは、壊れた筈の天三輝だった。
自動修復機能があったのか、盾は元の形に戻っている。
天三輝のリジェネーション能力が、ガルンの肉体修復を促しているのだろう。
身体を起こそうとして、
ようやく足にもたれるように倒れているカナンに気がついた。
その手の先には砕けた聖剣がある。
「カナン?!!」
何が起こったのか全く理解出来ない。
ガルンには、カナンのチャクラにプラーナを流し込んだ事により、精神の呪縛が解けたと言う認識しかない。
例えそれが勝手な思い込みだとしても。
激しい痛みを無視してカナンを揺り動かす。
「カナン! どうしたカナン! 大丈夫か!」
身体を揺すられても、カナンはピクリとも動かない。
まるで精巧に造られた人形のようだ。
「くそ! 何があったんだ」
焦りながら辺りを見回す。
開けた地平線には、駆け付けたらしいアビスたち
増援部隊の姿だけがあった。
砕けた聖剣が、何を意味するのかもガルンには分からない。
何故気を失っていたのかも謎だ。
「その女は死んでいる。諦めろ」
淡々と告げられたアビスの声に、ガルンは不思議そうな顔をした。
「はっ……?」
間が抜けた顔のガルンを、アビスは面倒そうに見つめた。
「その女の心臓は既に止まっている。鼓動も無い。音使いの俺が言うんだ。間違いない」
「なっ……? 何を馬鹿な事を。カナンが死んでいる? つまらない冗談は止せよ」
呆れ顔のガルンを、アビスは冷ややかに見つめた。
大きくため息を吐いてから、ガルンの胸倉を掴む。
「現実逃避は止めろ! 貴様らしくない。現実をすかした顔で眺めているのが貴様だろうが」
「何を適当な事を吐かしてやがる! そう言う、すかした態度を取るのはお前の方だろうが!」
睨み合う二人を、周りの騎士達が微妙そうに眺める。
アビスは珍しく苛立ったのか、きつい顔でガルンを見据えた。
「貴様にはプラーナ感知などの、生体感知能力があるのだろう? それで見れば、一目瞭然だろうが」
「何を馬鹿な事を……」
ガルンは鼻で笑いながら、チャクラを動かす。
低回転過ぎて、なかなかプラーナ感知が働かない。
いや……。
プラーナ感知は出来ている。
反応が無いのは--
「はぁ? なんの冗談だよ。今、気配を消してどうすんだ。くだらないジョークは止せよカナン」
その言葉にカナンは沈黙で返した。
うなだれた顔には生気は無い。
ガルンは疲れた顔に苦笑いを浮かべた。
「つまんねぇぞカナン?
言わなかったがな、俺には精霊の眼って言う、存在の光を見る目があるんだ。狸寝入りなんて一発で分か……」
切り替えた精霊の瞳は、あらゆる存在の光を感知する。
それは、どんな遮蔽物があろうと、かなりの遠方だろうと許容範囲ならば等しく感知が可能だ。例えそれが死者であろうとも。
硬直したガルンを、アビスは気の毒そうに眺めた。
「故郷の同胞だったな……。丁重に弔うように兵士には言っておく」
ガルンには、アビスの声を遠くで聞いたような錯覚を感じた。
静かに眠るように瞼をつぶるカナンは、ただ、ひなたぼっこでうたた寝をしているように見える。
茫然と座り込むガルンの周りを、天三輝が心配そうに見守るように廻る。
『それでは、本当に泣きたい時に……上手く泣けんぞ?』
カナンの遺体を見つめながら、何故か無名の言葉が頭に過ぎった。
「カ……ナン?」
胸を締め付けるような、不安な感情がゆっくりと這い上がって来る。
天空には赤い空は無かった。
何処までも澄んだ蒼天が拡がっている。
カナンが最後に放った霊威力は空に風穴を開けていた。
霊威力の爆散。
それは、正気に戻ったカナンがあえて起こした事なのか、単純に霊妙法の使用限界を越えたのかは分からない。
その内在霊威力の暴発により、聖剣は内包エネルギーを誘爆してしまい粉みじんに砕けてしまった。
滅陽神流剣法は自身の魂を削って使う、もろ刃の奥義。
強すぎる力にはリスクが伴う。
滅陽神の剣を使い過ぎてしまったカナンの魂は、霊気の損失がたたって完全に砕け散ってしまっていた。
魂なき身体は、生命とは既に呼べない存在だ。
身体をワナワナと震えさせながら、ガルンはしっかりとカナンの遺体を抱きしめた。
(俺は……一体……何の戦いを……。何の為の……戦いを……しているんだ……)
パリキスを護る。
その誓いに間違いは無い。
しかし--カナンも護る。
それはグラハトの死の直後にも、そして、姉の敵討ちから帰郷するときにも思った事だった。
目の前に迫った危機に、優先順位をつけるようになったのは何時からだったのだろう。
「お……俺は……!!」
青い空の下に、遺体を抱いたガルンの慟哭の叫び声がこだました。
世界全てに響くような痛ましい声に、兵士たちは揃って暗い顔をする。「これは戦争だ。人の死を悼み過ぎると死に引きずられるぞ。忘れるな」
アビスはそう兵士達に告げると、洞窟入口の瓦礫を退けるようにと淡々と指示を出した。
大地に魔法円が拡がった。
巨大な転移ゲートの出現は予定より遥かに早い。
いきなり第四フェーズへの移行。
第三フェーズ、パリキスの神降ろしは未だ実行されていない。それより先に最深部に先行部隊が到達したのを、望ましいと考えるべきか。
洞窟入口付近の度重なる白銀の光は、全軍に不安を掻き立たせている。
それとこの状況に関連性があるのか?
天翼騎士団、団長アルダークは渋い表情を浮かべた。
転移ゲートの構築は最深部に到達する以外に、もう一つだけ使用条件が許された事柄がある。
それは、火急に天翼騎士団がそこに向かわねばならない危険性を孕む状況。
この戦争自体を揺るがす、重大な危機を招く事象に遭遇した場合だ。
後者の場合、この転移ゲートの意味は大きく変わって来る。
使用者はクライハルトだ。
使用選択に間違いはない。
(例えそこに難関があろうと、それを打ち砕くのが我等の役目)
アルダークは立ち並ぶ騎士達に視線を向ける。
壮観に並ぶ、神の国最高の騎士たち。
戻ってきたばかりのレッドレイの姿も見える。
本人は小さく肩を竦めると、わざとらしい笑みを浮かべていた。
行ったり来たりと、一人で数人分の仕事をさせている事にアルダークは苦笑を浮かべる。
だが、今は世界存亡の危機だ。そんな些細な事を気にしてはいられない。
「時は来た! 我等の力を見せる時だ。天翼騎士団出るぞ!」
アルダークの号令以下、騎士たちの了承の声がそろって上がった。
「これは予想外ね?」
地下洞窟、奥底の特等席で戦闘を眺めていたムボウは不思議そうに、そう感想を漏らした。
目の前で行われている、パリキス護衛軍と餓鬼の戦いは熾烈を極めている。
パリキス護衛軍の損失はかなりのものだが、封殺された餓鬼の数も相当数に及ぶ。
これでは彼我の戦力差から、もうすぐ餓鬼の数は底をつくだろう。
強大な生命炉を護る軍隊は、妙な歌声の後からは、恐怖を持たない狂気の軍団と化していた。
死を恐れない兵士たちは、始めから刺し違える勢いで戦っている。
彼等は餓鬼が命を吸収する前に、多大な犠牲を無視して着実に数を減らす戦法を取りはじめたのだ。
「さて、こちらの策はなったのだから、そろそろ本気で行くとしよう」
大柄の冥魔族、ゼンルーは無骨な顔でそう告げた。
「あーあ。また、あんたの力ばかり上がりそうね」
「ならば貴様が仕掛けるかムボウ? 貴様の実力なら、この戦況をひっくり返す事も可能であろう?」
「まあ……可能だけど、なんかノらないのよね。何時も噛み付いてきたハリイツがいないせいかしら?」
ムボウはつまらそうに戦火を見る。
競争相手がいないと言うのは、彼女的には気分が盛り上がらないようだ。
しかし、彼女は黒鍵騎士団の部隊長ブルースフィアを瞬殺した強者である。
その実力は未知数と言える。
やる気のない女冥魔族を、ゼンルーはさして興味がなさそうに見ていたが、それも飽きたのか戦場に目を向け直した。
「それでは我がタレント“幽鬼境界”を発動しよう」
ゼンルーは両手で何やら印を結ぶと、辺りに向かって青白い光が拡がっていく。
それが洞窟内部に浸透すると、次々に何かが起き上がる。
「なっ……、何だ?!」
「どう言う事だ!」
「お前たちは……?!」
ざわめく兵士達が目にしたのは、その場で生き絶えたはずの兵士達だった。
その身体が青い光に飲み込まれる。
そして、それはまるで蛹から生まれい出る、蝶のような現象に見えた。
身体の背が裂け、中から新たな人間が“生えてきた”のだ。
「ばっ……馬鹿な?! 貴様は」
「お前は死んだ……はず?!」
「何だこれは?! 何なんだ!」
各地で錯乱した声が上がる。
それは、悪夢の焼回し。
彼等はこれから最悪の敵を迎える事になる。
それは人の持つ業が形を成したものだった。
それは、地下に侵入したガルン達の元にも現れる事になる。
地下洞窟上層部。
そこには第十九次突入部隊がいた。
フィン・アビスを筆頭とする部隊である。
そこには、ゆらゆらと歩くガルンの姿があった。
満身創痍。
ボロボロの姿のガルンはとても戦える状態では無い。
それは誰の目から見ても明らかだ。
白かった王宮近衛騎士の服は激戦の為に汚れ、すす切れ、見るも無惨だ。
身体のあちこちにもガタが来ているのか、歩く足どりも覚束ない。
それに輪をかけているのが、憔悴仕切った顔付きだ。
まるで、何もかも失った廃人に近い。
その後をゆっくりと浮遊しながらついて来る、菱形の物体が逆に悲壮感をただ寄らせている。
持つ武器も背中の刀一本。
折れたダークブレイズは地上に残して来ていた。
どのみち、剣としては死んでいるから置いてきたと言う訳ではない。
グラハトの形見でもある魔剣は、カナンの遺体と一緒に在るべきだと思い、供に回収して貰ったからだ。
今思えば、グラハトの墓すら建てていない。
それが何故か漠然と頭に過ぎった為だった。
地下に進みながら、若い騎士がアビスの元に歩みよる。
「団長、彼を連れて来ていいのですか? 明らかに消耗仕切っています。あれでは死に急いでいるようにしか思えません」
「それでも奴は貴様の数十倍は強い。それに……地下に向かうのはあいつの意志だ。誰にも止める権利は……ない」
呟くようにしゃべるアビスは何故か不機嫌だ。
ガルンの行動はあまりに不合理だ。
アビスの主義には全く合わないのだろう。
血臭の立ち込める洞窟を、下へ下へとただひたすら前へ進む。
血塗られた道を一歩一歩進みながら、ガルンは折れそうな心を立て直そうともがいていた。
(ま……だだ。まだ、止まれない。パリキスを……守らなければ。此処で脚を止めたら……、何のために、カナンと……戦ったんだ)
奥歯を砕きそうなぐらい歯を食いしばる。
病んだ精神を無理矢理叩き起こす。
魔剣を失ったとは言え、未だ妖刀の精神食いは終わる事はない。
弱った精神状態では、間違えれば蝶白夢を使っているだけで気を失いかねないのだ。
「うおっ?!」
唐突に最前列の兵士が奇声を上げた。
目の前に次々と立ち上がる人影がある。
青白く光る姿は、人の形をした人魂のようだ。
目の前の異様な光景を目の当たりにして、兵士達は次々に剣を引き抜く。
明らかに敵勢力だとは看破出来る。
「アンデットか?! ネクロマンサーか死人使いがいるのか!」
アビスが注意を促す。
しかし、その時には洞窟内部に悲鳴が拡がっていた。
前線の兵士達が、次々に青い死体に切り刻まれていく。
「何だアレは?!」
奇っ怪な現象が展開している。
立ち上がった死体が“剥けて”、新しい人間が出てきたのだ。
それも、それぞれ鎧を纏っていたり、槍や剣を携えている。
それを見て、兵士達から悲鳴が上がった。
「うわぉ!! そんな馬鹿な! 貴様は死んだはずだ!」
「エディバラの亡霊?!」
「冥魔族もいるぞ?!」
騒ぎの原因を、ようやくガルンも実感した。
目の前に現れた三人の人影には覚えがある。
左腕の指が欠けたスカーフェイス。
百足の入れ墨の男。
そして、長刀を持つ痩せた男だ。
「よう、糞餓鬼。何でかなぁぁ、俺達は生き返ったようだなぁ?」
「ふん、頭は働かないが
殺意だけは沸く」
「あの時の焼かれた苦痛……覚えているぜ?」
異様な目つきの三人組。
その顔には覚えがある。
下品な笑い声。
厳つい顔。
昔は見ただけで沸々と怒りが込み上げてきた存在。
(ああ……。そう言う……術……か)
ガルンは茫洋と目の前の敵を見た。
姉の仇だった盗賊三人。
ダラック、ガダラ、ギュレーと呼ばれた仇敵だ。
精霊の眼には、その存在のありようがありありと見える。
「どうやら、てめぇーにやられた借りを返すために、奇跡とやらが起きた見たいだぜ、オイ?」
「なっ……んだ、この術は……、俺が昔殺した奴らばかりだ……」
アビスが珍しく言葉を詰まらせる。
どうやら見知った顔がいるらしい。
周りの兵士達も次々に同じ感想を述べている。
「死者を転生させる術……なのか? こんな大規模な死霊魔術など、聞いたことも無い……」
アビスの顔が固いのは、何人か手練れの敵を見つけたためだ。
しかし、ガルンはそれを冷めた瞳で眺める。
「からくりは分からないが……、死体に幽体が憑依している。全て憎しみに満ちた幽体だ。過去の亡霊……か」
「……新手の冥魔黎明衆の力か」
「所詮、昔倒した敵だ。過去の亡霊などに負ける要素は……無い」
ガルンは蝶白夢を引き抜くと、ゆっくりとチャクラを回しだした。
カナンとの戦いで霊妙法に用いたチャクラは、三つ完全に停止している。
第八のチャクラは六割、他のチャクラも四割が動く程度。
(これで十分だ)
「あぁ? あの小娘はいねぇーのか? あのクソ女も犯しまくってからブチ殺す予定なのによぉ」
下品な笑みを浮かべながら、ダラックは唾を吐き捨てた。
その言葉にガルンの眉がピクリと動く。
「おっ? やっこさん、あの黒い剣持ってないぜ?」
「それは好都合。それならば、あの時の間違いは起こすまい」
ニヤつく二人を見て、アビスは小さく舌打ちした。
ガルンの反応を見ても、敵は何かしらの因縁がある相手だ。
そして、目の前に現れた敵は一癖も二癖もあるものばかり。
相手が死体から生まれた事も気掛かりでしょうがない。
しかし、その感情は、真横から感じる酷い殺気に押し潰された。
身体の芯が凍りつくような悍気。
一瞬で油汗が浮かび上がる。
「カナンは……いない。
いない……い・な・い!」
静かな怒りがガルンの沸点を越えた。
冷ややかな眼には、全てを射殺すような殺意が詰まっている。
刀を片手に走り出す。
チャクラでの高速移動。
一瞬で百足の入れ墨の男、ガダラの懐に入り込む。
「うおっ!」
ガダラは驚きの声とは裏腹に、“不協和音”を発動させた。
しかし、音波攻撃にガルンが停滞したのは一瞬だ。
始めからチャクラ一つを状態維持に回している。能力は既に知っているのだ。
一撃で心臓を貫く。
唖然と残りの二人はそれを見つめた。スピードに反応出来ていない。
ギュレーが刀を振り上げる。
その時にはガルンは蝶白夢を一閃させていた。
水の刃が空中に波紋のように拡がっていく。
ギュレーは“錯視境界”を常に発動させている。
だが、それは既に折り込み済みなのだ。
広範囲に拡がった水刃は、誤差数メートルなど射程内。
ギュレーはあっけなく、一文字に切り裂かれていた。
「こっ、この糞餓鬼……!! いつの間にこんな手練れに成りやがった!」
顔を引き攣らせるダラックに、ガルンはゆっくり向き直る。
「貴様らが死んでから何年経つと思っている。雑魚はとっとと消えうせろ!」
ガルンの妖刀が閃く。
それを見てダラックの唇は、有り得ない高さまで吊り上がった。
袈裟斬りの一撃。
ダラックを切り裂いた瞬間、激しい痛みがガルンを襲う。
ペイン・ミラー(痛覚共有)の力は健在のようだ。
痛みの為か、ガルンの動きがぎこちなく固まる。
奇妙な動きにアビスは疑問符を浮かべた。
パッと見た感じは、ガルンが圧倒して終了の戦いだ。自らが参加する必要すら感じない。しかし、明らかに異変が生じた。
斬られたダラックはそのまま立ったままであり、斬り倒した筈の二名もゆっくり立ち上がったのである。
それを見て、ダラックは
狂喜的な嘲笑を始めた。
「ギャハハハぁ!! どうやら俺達は確かに死んだようだぜ? だがな、代わりに俺達は死なねぇ~! なんせアンデット見たいなモンだからな!」
笑い声は更に高まる。
ペインミラーに不死。
残りの二人はまだしも、この組み合わせは最凶の相性だ。
何せ相手は死なないのだ。
致命傷を与えても倒せず、代わりに攻撃した人間がショック死する程の痛みを喰らう。
これでは迂闊に攻撃出来ない。
周りからも阿鼻叫喚の騒ぎが起こっていた。
以前倒した敵が不死身で襲いかかって来る。
その敵が望まぬ敵ならば、効果は覿面だ。
これが冥魔黎明衆“黄昏戻しのゼンルー”の特殊能力“幽鬼境界”の力である。
この力は対象者に殺された、憎しみ、怨みを持つ幽体を星脈から引き出し、死体に憑依させて物質化を行う。
正しく、死霊が肉体を得て復活するようなものだ。
甦った死霊は、怨みに引きずられて対象者を襲う。
その死霊は宿主たる肉体を壊せば一時的には消えるが、幽鬼境界が発動している間は、死体が在れば何度でも蘇る。
それは、死者のエンドレスワルツ。
対象者にとっては、終わらない悪夢に他ならない。
しかし--
「ああ……。そうだったな……。そうか……。そうだ」
ガルンはブツブツと呟きながら、妖刀を振りかぶった。
「あ゛っ?」
ダラックは酷く間抜けな声を上げた。
その後には、切り飛ばされた左腕がボトリと足元に落ちるのが見える。
ギュレーとガダラは思わずお互いの顔を見合わせた。
「あっああ゛?! テッ、てめぇー! 馬鹿か! 今、てめぇーは左腕が取れた痛みを感じている筈だろうが! 何、普通に切り掛かってやがる!」
狼狽するダラックを、ガルンは病的な瞳で見据える。
口元は微妙に笑みが見えた。
「貴様の能力はなぁ……痛みだけなんだよ。脳が焼けるような痛み。だが、実際、痛みはあっても腕はとれていない。それにさえ耐えられれば、どうと言う事はない……」
奇っ怪な鬼気を出しているガルンを、アビスは不気味に感じた。
前々から、妙な思考回路の人間に思えたが、明らかに考え方が短絡的になって来ている。
「馬鹿か貴様は! 致命傷の痛みなどを受ければ、人間の精神など耐えられんぞ! 戦場で死ぬ人間の四割近くが、何で死んでいるか分かっているのか! 痛みによるショック死だぞ!」
叫ぶアビスを無視して、ガルンは前に進む。
(こんなものは、カナンが受けた痛みに比べたら、どうと言う事は……ない!)
明確な殺意を感じて、ダラックは無意識に後退しかけた。
しかし、持ち前の狂気が顔を変貌させる。
「ひっひ、面白いじゃねぇーか! 何処まで死の痛みに耐えられるか見せて貰うぜ! こちとら不死身よ! てめぇーが死ぬまで付き合ってやろーじゃねぇぇかぁ!」
「馬鹿が……」
ガルンはそう呟くと刀を斜め右下に構えた。
「砕け散れ。滅陽神流剣法、無式百十一型“魂月”」
下段から捩り混むような高速突き。
妖刀がダラックの心臓を綺麗に穿つ。
ダラックは満面の笑みを浮かべながらそのまま倒れた。
ガルンがぐらりとよろめく。
青白い顔色のガルンを、残りの二人はニタニタしながら眺めていたが、何時まで経ってもダラックは立ち上がって来ない事を不思議に感じた。
ギュレーとガダラはお互いに顔を見合わせる。
「お前らのネタは上がってんだよ……。いくら身体が不死身でも、おまえらの残留人格に近い幽体自体を砕いてしまえば、復活は二度と出来ない」
ガルンはさらりと告げるが、本来、幽体を物理的に斬る事は出来ない。
幽体とは幽霊と言っても遜色ないもので、物理領域には存在しないものだ。
祈祷や退魔術など浄化作用のある攻撃か、幽体を霧散させる魔力量の攻撃辺りが有効だが、剣で斬れる代物ではない。
しかし、滅陽神流剣法は違う。
もともと斬れないものを斬る為の剣であり、あらゆる事象を殺す為に特化したものだ。
幽体も例外ではない。
始めから幽体のみを狙っていれば、それすら斬る事が可能なのである。
以前カナンは肉体ダメージを無くす事により、痛覚共有を躱そうと試みて滅陽神流剣法を使ったが、結果は散々であった。
肉体を素通りしても魂の痛みが共有される。
ペインミラーの能力ランク自体は、エラークラス(測定外規格)と言う事になるだろう。
だが、ガルンは既にそれを知っている。
始めからチャクラ一つを潰す覚悟で、痛感遮断用として身代わりにしたのだ。
予想通りチャクラ一つは完全に停止してしまった。
だが、今のガルンにとっては瑣末な事だ。
そんな事はどうでもいいと、本気で考える。
ギロリと視線を残りの二人に、いや、這い出てきた全ての死人兵に向ける。
「貴様らにはぺイン・ミラーは……無い。貴様らでは、俺を遮る壁にはならない。立ち塞がるならば……貴様ら全てを打ち砕く!!」
ガルンは妖刀を構えると、一瞬で戦場に駆け出した。
戦場は予想外の展開を見せていた。
幽鬼境界の力により生まれた死人兵は、その凄まじい猛威を発揮していく。
当然と言えば当然だ。
相手は既に死んでいる。殺すのではなく“壊す”しかないのだ。
それも死人兵を倒しても、そばに損壊の少ない死体が在れば何度となく復活する。
無限に現れる地獄の使者。
餓鬼に続く不死身の敵。
しかも、相手は以前自分が殺した強敵ばかりだ。
兵士達に発動していたアジテーション(扇動)の魔術の効果も、薄くなっていくのは仕方がない。
戦況は一方的な展開になりつつあった。
しかし、それは一瞬で覆る。
洞窟全てを覆うような淡い光りによって。
「し……信じられん」
そう呟いたのはゼンルーだった。
目の前に展開されたのは、超広域の極大浄化魔法。
完全に規格外の魔力量だ。
世界を覆い尽くさんばかりの魔術は、洞窟全域の死人兵を浄化してしまったのである。
「有り得ん! 我が能力を完全に無効化しただと?!」
「すんごいわね、アレ。これだけ破格だと、喰ったら……凄い事になりそうね?」
驚くゼンルーとは対照的に、ムボウの顔に嬉々とした笑みが浮かぶ。
まるで獲物を見つけた捕食動物が歓喜するようだ。
幽鬼境界を無効化したのは、目を覚ましたパリキスの神聖魔法の力だった。
しかし、流石のパリキスの顔にも疲労感がこびりつく。
原因はこの極大浄化魔術や治療魔術のせいでは無い。
原因は天三輝への共有魔力量の負担である。
度重なる霊威力防御、盾自体の再生、ガルンの治癒促進と神霊力を莫大に消費しすぎたからだ。
「姫……もう、魔術ペケ……だよ」
パリキスに寄り添うスピカの顔には緊張が見える。
明らかにパリキスの顔色は悪くなる一方だ。
「わらわは大丈夫……じゃ、気にするでない。それより新手の敵がおる。そちらを気をつけねば」
頑ななパリキスの態度に、スピカは頷く事しか出来なかった。
そんな事は露知らず、周りからパリキスへの喝采が上がる。
一瞬で全ての敵を駆逐したのだ。
崇拝じみた勝鬨が上がるのは仕方がない。
その大喝采の最中、アルダークの大声が上がる。
「見よ! これが殿下のお力だ! 我等には聖なる加護がある。 神の使徒の信念を、今こそ見せる時だ。神敵を討ち滅ぼす為に進め戦士達!」
その声に答えるように、更なる喝采が洞窟に響く。
高揚して進軍する神の軍隊。
立ちはだかる敵戦力は、ほぼ沈黙したように見える。
戦争が開始されてから、既に七時間。
地下に進んだ部隊の数は数千。
その数、およそ十万におよぶ。
地下洞窟を制圧するには充分過ぎる戦力であろう。
しかし、彼らは知らない。
冥夢の幻域に突入した部隊の数が、既にニ桁も存在していない事実を。
投入された魔本の魔人の殆どが、既に消失している事実を。
終焉の時刻は刻一刻と近付きつつあった。
全てを飲み込む悪夢の終焉と、更なる始まり。
それは既に始まっていた。
地下には妙な静寂が続いていた。
早足で進むガルン達にも、妙な胸騒ぎが起こる。
死体とは言え、数々の人間を砕き壊してきたガルンのマントは真っ赤に染まっていた。
斬り殺すのではなく、解体して来たと言っても過言ではないのだから仕
方がない。
その姿は消耗仕切ったガルンの様相を、さらに禍々しく彩っていた。
しかし、消耗しているのはガルンだけでは無い。
フィン・アビスや、周りの兵士達も同様だ。
冥夢の幻域の吸奪能力は並では無い。
この力の余波をまともに受けていないのは、実はパリキスの加護に守られたガルンとパリキス護衛軍だけであるが、それを今は誰も知り得ない情報だった。
「ガルン、確かお前は“幽体喰い”とか言う、体力回復の力があると言っていなかったか?」
「それは……今は……使えない。地上なら、まだ、使えたかも知れんがな」
アビスの言葉にガルンは振り向かずに答える。
その声には、諦めに似た疲れが滲み出ていた。
ガルンが幽体喰いが出来ない理由は、実際二つある。
一つは冥夢の幻域の効力だ。
殆どの力は全てこれに吸い取られていく。
それは霊体の持つ霊子力や、幽体の持つ幽子力と呼ばれる構成要素にもおよぶ。
これで全ての幽体は密度を失う。
そして、もう一つの問題はパリキスが使用した浄化魔術にあった。
ゼンルーの力を破る為に、殆どの幽体を昇化させてしまったからである。
現在、ガルン達が進む地下洞窟のルートには、死者の影がないのだ。
本当は地上で幽体喰いを行うチャンスはあった。
しかし、それにはカナンが戦闘を行った場所を離れなければならない。
何故ならば、あの一帯は滅陽神流剣法の余波によって、霊体も幽体も全て砕けてしまっているからだ。
今の環境では体力回復は見込めない。
ガルンはただ先を急ぐだけだった。
異様な静けさのために、兵士達が歩く音が洞窟内に響いていた。甲冑が擦れる金属音や、荒い呼吸音が聞こえて来る。
どれだけの深さを潜ったのか、似たような景色の為に把握出来ない。
侵入と共に地図を作ってきたマッパーにも、これ程の地下迷宮は初めての広さだった。
先頭部隊に混ざったネーブルは小さくため息をつく。
パリキス護衛軍との合流は、明らかに間違った選択だった気がする。
地下を目指す一団とは裏腹に、ネーブルはいの一番で逃げたい葛藤に苛まれていた。
「誰か倒れているぞ!」
先行隊の兵士の呼び声がする。
急いでそちらに足を運ぶ。
「あっ?!」
そこにいる人物を見つけて、ネーブルは血相を変えて駆け寄った。
血塗れで壁に寄り掛かっていたのは、突入部隊にいたグレイだったからだ。
「お前! だから止めとけって言ったのに!」
ネーブルの喧しい声を懐かしそうに聞きながら、グレイ・ファーラントは
小さく微笑んだ。
「確かに……お前の言う通りだったな。ちょっと、下はヘビーだったぜ」
「喋るな! ヒーラーかクレリックを呼べよ! 早くしろボケ!」
ネーブルは癇癪を起こしかけながら、周りの兵士に叫ぶ。
グレイの出血量は酷い。
寄り掛かっている壁は血で染まっている。
「それより……、奥に救援に行ってくれ。天翼騎士団が来てくれたが、それでも……まずい筈だ」
その言葉の後に、洞窟に揺れが走った。
奥から爆音や金属音が微かに聞こえる。
奥底では壮絶な戦闘が行われているらしい。
「何があった?!」
「遅過ぎた……。奴らは次のゲートオープン(開門)を成功させてやがった」
「へっ……?」
「奴らの増援は……既に到着していやがる。それも……来やがったのは、冥魔黎明衆……クラスだ」
グレイの言葉にネーブルは沈黙した。
血の気が引く。
頭に激しい頭痛がしたような気がして、ネーブルは数歩よろめいた。
洞窟の奥は広大に開けた空間だった。
軽い宮殿並の大きさは、一度に万単位の人間が入れる規模である。
最奥には神殿らしい巨大なピラミッドのような建物が見え、その前には奇妙なオブジェが立ち並んでいた。
龍の体に、虎の顔と猿の手足をつけたような巨大なフォルムは、キマイラ(合成獣)としてもチープに見える。
しかし、オブジェに見える巨大な像は微かに動いていた。
重圧的な呼吸音。
立ち並ぶそれは、全て千眼の魔人の一部を取り込んだ進化した餓鬼だと、誰が思うだろうか。
その足元には百数人の冥魔族が見える。
その場になだれ込んだパリキス護衛軍は、現状のありように絶句するしかなかった。
血まみれの床には、メルテシオン最強の象徴たちが転がっていた。
飛び散った手足、原形の無い死体は明らかに天翼騎士団のものだ。
戦闘をまともに行えている人間は六人しかいない。
天翼騎士団、団長アルダークと副団長クライハルト、団員三名。そして、突入部隊のアカイだけだった。
その惨状に先頭で入ってきたマグリネスは絶句する。
虎の子の二部隊はほぼ壊滅状態。
特に衝撃的な光景が目の前にあった。
「おっ、来たな。こいつらが例の生命炉の護衛か」
そう呟いたのは白い短髪の冥魔族だった。
かなりラフな服装は冥魔族の中でもかなり浮いている。
その手には生首が握られていた。銀色の髪の少女の首が。
ゆっくりと灰になっていく生首を、マグリネスは茫然と見つめた。
自分の上官であり、メルテシオンの真の守護者たる存在。
吸血鬼である彼女が滅ぼされるとは。
「あっ? やっぱりこいつ、あんたらの中じゃ強い部類だよな? これだけ殺しきれなかった奴は久しぶりだったぜ」
「一人で滅ぼしたような言い草は止せ。こっちは四人掛かりだ。自慢にならんぞ」
顔の濃い、ワイルドな感じの冥魔族が窘める。
白髪の冥魔族は、わざとらしく両手を上げて肩を竦めた。
「バッ……馬鹿な。副団長が……滅ぼされたと言うのか」
マグリネスの声を、周りの騎士達は戦慄と共に聞いた。
メルテシオン最強戦力と歌われる二部隊、天翼騎士団と王宮近衛騎士団の敗北は、彼らの精神的支柱が折れるのに等しい。
「今は嘆いている場合では無いぞ!」
アルダークの一喝が洞窟に響く。
「こいつらを抑えて、召喚ゲートを壊さなければ我等に勝利はない!」
クライハルトがそれに続く。
額から流れ出ている血が目に入った為か、左目は瞑っていた。
二人ともかなり疲弊しているように見える。
これだけの数の冥魔族が揃っているが、実際、彼らと戦っている冥魔族は極少数だ。
それでも苦戦を強いられている。
それは当然だろう。
彼らが戦っている敵は、全て冥魔黎明衆なのだから。
奥底から響く轟音目掛けて、ガルン達はひた走っていた。
傷んだ体を誤魔化すために、チャクラ一つを状態維持に回している。
進む道には死体ばかりで、何故か行方を阻む敵は現れない。
アビスがソナー代わりに
高周波を道々に放って、索敵をする意味すらない程に。
そのおかげで、問題となるのは距離だけだった。
闇の中を駆け抜ける姿は、微かな光りに映る影法師の群れのようだ。
その影法師が薄れていくように、やうやく闇を抜ける光りが見えた。
飛び込んだ先の場景を見て、ガルンは息を飲んだ。
そこには血の海と屍の山が築かれていた。
殆どが人間のモノで構成されている。
周りを囲む冥魔族よりも、周りに張り巡らされた妙な蔦の存在が気になる所だ。
中心にはパリキス、マグリネス、スピカが居り、周りを騎士達が囲んでいる。
外周部にはアルダークとクライハルト、二名の天翼騎士、アカイ。中間にグレイ、ネーブルの姿が見えた。
しかし、先行していたアズマリアとライザックの姿が無い。
死体の山を見れば、自ずと姿が見えない理由は見えて来る。
ガルンは奥歯を食いしばりながら妖刀を引き抜いた。
周りを見回してから、手近で劣勢な場所に飛び込む。
中心にいるパリキスは、当分は無事と判断したようだ。
そこには、人間を“粉みじん”に吹き飛ばしている冥魔族がいた。
背後には彼の幽冥獣らしい、空中に浮いた妙な金色の棒が三つ浮かんでいる。
「まだ……仲間がいやがるのか。いい加減飽きたぜ」
「飽きたなら……とっとと去れよ害虫ヤロー!!」
雄叫びを上げながら、ガルンは妖刀を振った。
水の刃が鞭のように伸びる。
それを男は詰まらなそうに眺めながら、腕を徐に上げた。
開いた掌を向けると、水の鞭はいともあっさりと砕け散る。
「何ぃ?!」
驚愕するガルンに、男の背中に浮く金色の棒が向く。
その尖端がいきなり伸びた。
突撃槍さながらの三連打突。
ガルンはそれを寸前で躱す。
しかし、それを読んでいたのか、その先に男が迫っていた。
向けられた掌に、ガルンは不吉な予感が走る。
妙な高音が鳴り響く。
間に割って入った天三輝が極小に震えていた。
それを見て男は目を見開く。
「へえ、こいつは驚いたぜ。俺の“絶交心音”を完全に中和するたぁー驚いた」
「……?!」
何が起こったか分からずに後退するガルンとは逆に、周りの味方の騎士は好機と判断した。
左右に回り込みながら挟撃する。
右にランスで突撃をする騎士、左からは剣で突きを放つ騎士が進む。
男は両腕を左右に向けた。
ランスと剣が掌に触れると思われた瞬間--騎士達は鎧ごと粉みじんに吹き飛んだ。
血煙が空に舞う。
「なっ……んだ、こいつの能力は?!」
ガルンは目を細めた。
先ほどの蝶白夢の水撃も、粉砕されたのを思い出す。
しかも、妖刀の水刃が幻蝶に変化していない。
「面白いぜテメェー、この“分断のホホウロ”がマジに相手してやるよぉー」
ニヤリと冥魔族の男、ホホウロは笑う。
「待てホホウロ。これ以上は不毛だ。全員止まれ!」
いきなり中央に立つ金髪の冥魔族が声を上げる。
その声で、戦っていた冥魔族は全員立ち止まった。
「あぁ? 何をリーダー気取りしてんだリンドウ?」
ホホウロがリンドウと呼んだ青年を睨みつける。
リンドウも威圧的にホホウロを睨みつけた。
二人の間に火花が散りはじめると、その間の空間に赤毛の美女が突然現れた。
二人の顔が微妙に陰る。
「冥魔黎明衆に序列はないけど、ここはリンドウに任せましょうよ。ねっ、ホホウロ?」
紅一点のムボウはたおやかに助言を述べる。
ホホウロは舌打ちすると顔を背けた。
どうやら彼女には頭が上がらないらしい。
それを見てから、満足そうにリンドウは一歩前に出た。
パリキス護衛軍を見渡すと、朗々と声を張り上げる。
「貴様らを此処で根絶やしにするのは可能だ。しかし、こちらも幾許かの損失を被るだろう。それはこちらの望む所ではない。そして、全滅もそちらの望む所ではあるまい? そこで貴様らに選択権をやろう」
その言葉に、ほぼ全員が怪訝な顔をした。
それは人間どころか冥魔族もだ。
「我々が欲しているのは、膨大な力の塊であるそこの女だけだ。その女を殺せば、他の人間は全て見逃してやろう。何処となりとも消え失せるといい」
リンドウはパリキスを指差して、得意げに胸を張る。その妙な高説に、ほぼ全員が呆れ返った。
余りに破天荒な提案だ。
それは人間側にも冥魔族側にとってもであろう。
しかし、一部の者にはそれは興味深いアプローチであった。
「まぁー、いいんじゃないかしら? こんなボロボロの連中なんて、腹の足しにもなりそうにないし」
「反対だな。あっちの羽根付きはかなり上質だ。喰いごたえは十分あるだろう」
ムボウの賛同意見を、青いオールバックの冥魔族は否定した。
視線の先にはアルダークとクライハルトの姿がある。
「あれは確かにおしいね」
「どうでもいい。皆殺しにすれば済む話だ」
「だが、時間をかけると上の連中が面倒な手を考えるかも知れんぞ?」
適当に回答する冥魔族の中で、ワイルドな冥魔族は賛同意見を述べた。
「俺は乗ってもいい。あの生命炉の防御術式はちょっとやそっとでは歯がたたん。 こいつら全員の命で、生命炉を殺せるなら楽でいい」
「確かに。俺の冥法も完全に防がれた。あれは厄介だ」
口々に意見を述べ出した冥魔族を、ガルンはザッと見回す。
「こいつら、何もんだ……」
明らかに異質な冥魔族が存在する。
戦闘の矢面に立っている九人は、完全に別物だろう。
妙な話し合いが始まった隙に、アカイがガルンに注意を促しに近づいてきた。
「気をつけろガルン。手前にいる奴らは、全て冥魔黎明衆だと名乗っていたぞ」
「なっ……に?!」
愕然とガルンは振り向く。
それが真実ならば相対数が少ない冥魔族が、パリキス護衛軍を壊滅状態に追い込んでいるのも頷ける。
しかし--
「ああ? 俺達を末端の冥魔族と一緒にするなよ? 冥魔黎明衆と名乗れる使い手は、十二人しかいねぇーんだからな?」
ホホウロは威嚇しながら口を開いた。
さも自分達は特別だと言うプライドが見える。
その態度には嘘は見えない。ガルンは緊張しながら生唾を飲み込んだ。
彼等が冥魔黎明衆だとすれば、一人一人が何とか辛勝したハリイツクラスと言う事になる。
それが九人。
一人一人の戦闘能力の密度が違い過ぎる。
此処で一対一で冥魔黎明衆と互角に渡り合える人間が何人いるだろうか?
少なくとも、天翼騎士団か王宮近衛騎士団クラスの実力が必要なのは明白だ。
「くだらん! そんな愚問などいらんわ! 我らは姫の盾。例え全て砕かれようと一歩も引かん!」
マグリネスが怒りの声を上げる。
当然だ。
メルテシオンは信者の国だ。
死を引き合いに出しても意味はない。
だが、彼等は忘れている。
この戦場にいるのは信者ばかりでは無いことを。
「姫は……死んでも……守る。お前らは……死んどけ」
ムスッとしたスピカが弓を上空に引き絞る。
放たれた銀色の矢は、空中で花火のように四散した。
“弾けた水銀”が弾丸のように、包囲した冥魔族を襲う。
冥魔族達はそれぞれ障壁を張りはじめて、それを防ぐ。
「やれやれ、折角の名案を水泡に帰すとは。仕方が無い殲滅戦だ。全員戦術自由。撃滅しろ!」
リンドウが静かに開戦を宣言した。
全員がいきなり全力で動き出す。
パリキス護衛軍からは、魔術師団が魔法の矢を一斉に撃ち放つ。
既に戦闘準備は万端だ。
降り注ぐ光の矢を、ホホウロは手を翳すだけで砕いていく。
魔術の力も意味が無い。
「やっぱり、くだらねぇやり取りだったじゃねぇ-か。カスが」
苛々しながら前に進む。
そこにガルンは再び水流弾を撃ち込んだ。
解き放たれた水の渦が、螺旋のように回転する。
それをホホウロはうざったそうに、片手で振り払う。
水流はやはり、何の抵抗も出来ずに呆気なく霧散した。
「各個撃破する。行くぞガルン、アカイ!」
そう叫んで後方から飛び込んで来たのはアビスだ。
両手を打ち鳴らすと、正面からホホウロに腕を伸ばす。
超音波による超振動。
後方からガルンとの戦いを見ていたアビスは、ホホウロの力を振動系の力と判断したのだ。
これならば最悪相殺、油断していれば相手を出し抜ける筈である。
しかし、現実は全く違う結果を用意した。
耳に響く、異様な金切り音が大気を震わせる。
水風船が割れるような、味気ない音がその後に続いた。
弾き飛ばされるアビスを、ガルンとアカイは何も出来ずに見送った。
地面に吹っ飛んだアビス自身も、何が起こったか分からずに目を白黒する。
「ったく。こう言う馬鹿は何処にでも居やがる。俺の“絶交心音”と真正面からやり合って、勝てる訳がねぇーだろうが雑魚が」
ホホウロは唾を地面に吐き捨てた。
地面に広がっている血だまりが、無造作に撥ねる。
その余裕の姿にアビスはほくそ笑む。
慢心している敵ならば、付け入る隙は幾らでもある筈だ。
直ぐさま立ち上がろうとして、何故か前につんのめった。
「……?」
不思議そうに目の前に広がる血を見つめる。
立ち上がれないのは当然だ。
アビスの右腕と右足は、綺麗に根本付近から消失していた。
いや、正確には“分解していた”。
「馬鹿な?!」
神経ごとごっそりやられている事に、愕然と顔を歪ませる。
痛覚、触覚などが完全に死んでいる。
「テメェーらのチンケな術と一緒にするなよなぁ? 俺のタレント“絶交心音”は、あらゆる構造、構成を分断する無音の鼓動だ。それは魔法だろうが、剣だろうが関係ねぇ。等しく全てを分断する。それが例え振動だろうとな?」
ホホウロは威圧的な瞳で前に進む。
まるで全てを風化させる化身のように。
「誰かアビスを下げろ! ここは俺が食い止める」
ガルンが焦りをあらわに前に出る。
今のところ、確実にホホウロの能力を防げるのは 天三輝だけだ。
それを見てホホウロの顔つきが変わる。
「面白れぇ! お前はかかって来いよ!」
ホホウロの掌がガルンに向く。
ガルンは蝶白夢を一振りした。
溢れ出た水泡が空に舞う。
しかし、それを意に介さずにホホウロは左腕で振るう。
次々と水泡がシャボン玉のように弾けていく。
ただ、それだけだ。
本来ならば、水泡は砕けると精神汚染を促す水蝶に変化する。
しかし、その変化は全く生まれない。
何故ならば、妖刀の力自体も分断されているからだ。
ホホウロは一気に間合いを詰めて行く。
本来ならばガルンの得意なクロスレンジではあるが――
ガルンは意を決して剣を振りかざした。
「滅陽神流剣法・無式、二じゅ……」
そこで、ようやくガルンは自分の体の変化に気づいた。
“剣をまだ振り上げられていない”。
反射速度と体感速度があっていないのだ。
「悪いな。各個撃破はこちらも同意だ」
真横に、いつの間にか青いオールバックの冥魔黎明衆がいる。
いや、もう一人緑髪を束ねた少年の冥魔黎明衆もだ。
そちらに意識が散漫した隙に、ホホウロの拳が伸びる。
見えない力がガルンを襲う。
それを間髪入れずに天三輝が守った。
しかし、これでガルンを守るものは無い。
「その隙。貰います」
緑髪の少年の腕から、碧い光が放電する。
碧い電撃。
だが、少年はガルンを撃ち抜く事は出来なかった。
何故ならば、いきなり視界が真っ赤に染まったからである。
「させん!!」
少年を真横からアカイが蹴り飛ばす。
レッドインパルスは健在だ。
蹴り飛ばされながら、少年は自嘲気味に苦笑いを浮かべていた。
蹴り飛ばした筈のアカイが、グラリと体勢を崩す。
「追撃だ、インドゥルァ」
少年の声でそれは姿を現した。
碧い光の巨人。
それが電雷の塊で出来た幽冥獣だと、誰が判断出来よう。
巨人は無造作に真横に腕を振るう。
それをアカイはまともに受けて吹き飛んだ。
少年を蹴り飛ばした際に、電撃を流されたのを理解しているのはアカイ自身だけだ。
少年は常に体中に電撃を帯電しているのである。
「何を余計なことしてんだクリフェイス、ギネマリ!! テメェーら砕くぞ!」
怒りを表にするホホウロを、二人は呆れながら見つめる。
「戦いを楽しむ癖は、止めておく事を薦めますよホホウロ。好戦的だったハリイツも滅んだらしいじゃないですか」
「同感だ」
雷霆使いの少年、ギネマリの意見をオールバックの冥魔族、クリフェイスは肯定する。
「テメェーら、ブチ殺されてぇーらしいなぁ?」
顔を引き攣らせるホホウロを無視して、クリフェイスはガルンを見る。
いつの間にか、吹き飛んだアカイをフォローする位置に移動していた。
「驚いたな。俺の“不動庭園”内でそこまで動けるとは。基本能力値がずば抜けて高いのか?」
「ああ、こいつは雑魚とはちょっと違うぜ? あの浮いている金属片の防御障壁の出力も異常だ。俺の一撃で分断しきれなかったのは久方ぶりだ」
三人の視線にガルンは剣を構え直す。
周りの騎士たちが、ガルンに並ぶように剣を構える。
「お前えらは下がれ! あいつらの相手は俺がする」
その言葉に騎士達は不敵に笑う。
「王宮近衛騎士を失えば、我らの勝率は落ちるだけですよ。例え壁にしか成らなくてもお供します」
周りの騎士も笑って頷く。
ガルンは釣られて小さく微笑んだ。
阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されつつあった。
周りに伸びる蔦が、いきなり近くの人間を捕獲し始めたのだ。
それも触れた者は、鎧も肉体も全て関係なく蔦に侵食されて飲み込まれていく。
そして、倒れ伏した人間達も“脱皮し始めた”。
悪夢の姿を伴って。
戦場から少し離れた場所には、腕を組むゼンルーの姿が見える。
新たな死体が生まれれば、“幽鬼境界”は再び起動可能なのだ。
周りに控えていた冥魔族も動き始めた為、情勢は一気に冥魔族に傾き出していた。
「姫、今こそ“神降ろし”を! この窮地を打ち破るには、御身の御力が必要です」
マグリネスは中央にいるパリキスに声をかける。
当然だ。
このまま戦えは全滅は必至。
この状況を覆すにはパリキスに頼るしか無い。
しかし――
パリキスは胸を押さえて俯いていた。
顔にはじっとりと脂汗が浮かんでいる。
「すまぬ。今直ぐには無理じゃ。時間を稼いで……たもれ」
「……!?」
マグリネスは愕然とパリキスを見た。
切り札であるパリキスが動かなくては、この戦いに未来は無い。
これでは、後は全滅覚悟で中央突破をはかり、せめて神殿を壊すぐらいしか戦略は無いと言えよう。
周りから聞こえてくる悲鳴の数々を、マグリネスは悪夢のように聞くしかなかった。
空中に血飛沫が舞う。
斬り飛ばされた翼が、空に羽を撒き散らした。
雪のように落ちる羽と共に、“頭をくり抜かれた天使”が地面に落ちる。
それを軽々しく行った美女を、顔面蒼白で天翼の騎士は見つめた。
「馬鹿な?! 何故、貴様には神霊力が効かん!」
「ん? 別に効くわよ。その恐ろしい攻撃を喰らったら、私は一撃で瀕死だわ。当たればだけどね」
天使を意図も容易く屠ったムボウは、静かに妖艶に笑う。
次に騎士の首を切り抜くのも、同じように容易いな事だった。
銀色の幕が大気を覆う。
見事なまでの美しい輝きは、世界にも類を見ない麗しさだ。
空間に広がるオーロラは、戦場には似つかわしくない景色に見える。
だが、それに飲み込まれた騎士達は、一瞬で火膨れ弾けとんだ。
後には潰れたトマトのような肉片だけが、累々と残る。
「よくぞ避けた! この“熱圏のリンドウ”の“極光の宴”を、ここまで躱したのは貴様が初めてだ!」
オーロラに狙われていた、八枚羽根の鳥は空に駆け登る。
それを掴もうとするように、天と地から蔦が迫る。
それを器用に避けながら、アルダークは戦場を一望した。
次々に倒されていくパリキス護衛軍を、悠然と見つめる着膨れした冥魔族が目に入る。
飛ぶアルダークを見て何故か舌なめずりをする事から、捕縛侵食する蔦を操っているのはこの太った冥魔族の仕業であろう。
「この密閉空間では、物量は脅威か……」
そう呟くアルダークの体が、いきなり落ちる。
翼の一枚に蔦が絡み付いていた。
「捕まえた。ボクちんの“侵食樹海”は一度捕まえたら、二度と抜ける事は出来ないんだよね? まあ、侵食融合された箇所を見れば一目瞭然だけどさー」
デブの冥魔族は腹を抱えて笑い出す。
コミカルなその様は、土産屋に場違いに置いてある、意味不明な人形のようであった。
「……馬鹿な。 この私が捉えられないだと?」
体中の痛みのせいか、初めてクライハルトは戦場で愚痴を零した。
対峙している冥魔黎明衆は二人。
アズマリアの首を持っていた白髪の少年と、紫髪のワイルドな青年だ。
「やっぱり強いねぇ! さっきの少女の次は羽根付きの君か、あっちの羽根付きのゴッツイ奴が強いと思っていた通りだぜ!」
叫ぶ少年にクライハルトは腕を向けた。
「天地・転!」
物体束縛のソリッドスライドが発動する。
しかし、一瞬で相手を呪縛する能力は、完全に不発で終わった。
狙った場所には、既に少年の姿はない。クライハルトはそこでようやく真横に移動している少年を捉えた。
奇しくもデュランダークがカナンの攻撃を避けたような間合いだ。
手にしたファルシオンが閃く。
クライハルトはそれを手にした天獄剣で防ごうとして、見えない剣戟に腕を切り裂かれた。
「っつ!?」
先程から繰り返される、見えない攻撃。
それをワイルドな外見の冥魔族は、当然の結果を見るように冷めた瞳で見送る。
クライハルトはファルシオンを防ぐ事が叶わず、天獄剣ごと手首を切り落とされた。
「……!!」
驚愕に目を見開きながら、クライハルトは後退する。
それをウキウキと見ながら、白髪の少年はファルシオンを手の中で回していく。
「悪いなぁ~、君の攻撃は一秒遅いんだよなぁ。それじゃ、この俺“時跳びのブレイロー”には一生追いつけないぜ? まあ、テスペレントの“残滓傷痕”に翻弄されている状態じゃ、酷な話だけどね」
「余計な情報を流すなブレイロー」
気軽に話すブレイローと名乗った少年を、テスペレントと名指しされた青年はジト目で睨む。
それを、
「怖!」
と、おちゃらけて受けながらブレイローはクライハルトに視線を戻した。
クライハルトはその間に、天使の力で手首を再生している。
「さてと、わざとらしい時間を上げた甲斐はあった見たいだね?」
ニヤつくブレイローを、クライハルトは忿怒の形相で睨みつける。
「その余裕。後悔するがいい!」
叫ぶとクライハルトは、翼命剣を手の中に生み出した。
大地に花火が上がっていく。
人間の形をした火薬は、極少まで粉みじんになれば、鮮やかな朱い華を咲かすには持ってこいの材料だ。
周りの騎士と共に、砕け散った妖刀をガルンは歯を食いしばって見送った。
分断のホホウロにカウンターを仕掛けたが、精神力が低下しているガルンには妖刀を支えられるだけの力が出せなかったのか。
刀と共に、砕け散った右手首を押さえる。
流れ出る血を何とかしなければ、五分とかからず出血死するだろう。
「……なんだぁ? このつまらねぇ~展開は。そもそも、何でお前は戦う前からボロボロなんだ?」
ホホウロは周りに朱い花火を打ち上げながら、ゆっくりとガルンに近づく。
頼みの綱の天三輝は、クリフェイスの不動庭園に包まれていた。
幾ら高性能の盾でも、ガルンの壁として近くになければ意味が無い。
凄まじい鈍さで近づく盾を、ギネマリの碧い雷撃が弾き飛ばす。
ガルンは荒々しくマントの端を引きちぎって、左腕と歯で器用に右手首に巻いた。
じっとりと真っ赤に染まっていく切れ端を、ガルンは苦痛を抑えながら見る。
「お前、武器無しで、後、何が出来んだ?」
「武器ならある」
ガルンは叫ぶと、足元に転がる死体から剣を拾う。
余りに華奢に感じるロングソードを、ガルンは仕方なく構える。
「あ~。終わったな。つまらねぇの」
ホホウロは遊びに飽きた子供のように、玩具を壊して遊ぶ方向性に意識を切り替えたようだった。
「なっ……んだよ、これ。なっ……」
ネーブルはよろよろと数歩後退した。
惨劇の宴に招かれた、哀れな生贄。
それが自分達だと理解する。
「逃げろ! ネーブル!」
グレイの声が聞こえた。
そちらを振り向くと、ちょうど頭が消え去るシーンが見えた。
頭を喪失した体が、数歩前進して無様に倒れる。
その後ろには紅い髪の美女が立っている。
天道空洞のムボウが。
ネーブルは声に成らない絶叫を上げた。
「大丈夫ですか! 気をしっかり持って!」
体を強く揺すられて、ようやくネーブルは目の焦点が合ってきた。
怯えるように辺りを見回す。
そこには薄暗い洞窟内部と、自分を介抱している僧兵が目に入った。
落ち着いて見れば、横でグレイが同じように寝かされて、神官らしきヒーラーに治癒魔術をかけられている。
(そう……か、新しいビジョン)
ネーブルは憔悴しきった顔で、額に手を当てた。
自分では完全にコントロール出来ない、未来予測能力。
ここまで鮮明に見えたのは、今が一番危険なデッドラインを越えているからだろう。
(……このまま行ったら……確実に死ぬ)
ネーブルは身震いすると、ゆっくりと立ち上がった。
軍の進行が止まっているのを不審に思い、マグリネスは先を急いだ。
先遣隊が齎した情報のせいであろうが、それが切迫した状況に当て嵌まるかは別の話である。
冥夢の幻域はいるだけで体力が減っていく。
休憩と体力回復率は比例しない。
今は先を急ぐのが優先事項だろう。
ようやく前線に追いつくと、そこでは討論がされていた。
「何ごとだ!」
マグリネスの声に、討論していた人間達の視線が集まる。
騎士らしき人間が敬礼するが、話し相手の少年は顔を背けた。
「霊脈集積地点はこの先だ! 先攻部隊と天翼騎士団が戦っている! 直ぐに援軍を送ってくれ!」
足元から、何とか上体を起こしたグレイが叫ぶ。
今だ治療中のようだ。
「何故向かわない?」
「それが……」
マグリネスの言葉に騎士は言葉を詰まらせた。
「邪魔だからさ」
そう告げたのは小柄の少年――いや、そう見える少女、ネーブルだった。
「この先では最高戦力が戦闘を行っている。相手は冥魔黎明衆だ。雑魚が集まっても邪魔なだけだ。ここは様子を見た方がいい」
その言葉にグレイが食いつく。
「何を言ってるんだネーブル! 相手は強敵揃いだ! 怪我を負った俺は、援軍を呼ぶためにここに来たんだぞ! 今すぐ戦力が必要だ」
「天翼騎士団が来てるんだろ? 元々の作戦通りじゃないか! 俺達は囮だろ! それとも姫さんが何とかしてくれるのかよ!」
ヒステリックに叫ぶネーブルを、マグリネスは淡泊に眺める。
「貴様、何処の所属だ?」
「黒鍵騎士団、千人長アンフィニ・ネーブルさ。現在死んだ先遣隊隊長の代わりに、先遣隊の指揮をしている」
「何故伝令を寄越さない。判断は指揮官たる我が行う。現状報告をしろ!」
マグリネスの一喝に、ネーブルは萎縮したようだった。
仕方なく口を開く。
「二キロ先に霊脈集積場所を発見。現在、最終防衛ラインらしい冥魔族部隊と、先攻部隊と天翼騎士団の二部隊が交戦中……です」
「ならば物量で圧せば良い。直ちに出兵する。部隊を前に出せ!」
「反対だ! 相手には冥魔黎明衆がいる。無駄な戦力は足手まといなだけだ! 戦況が鎮静化したら数で圧せばいい!」
立ち向かうネーブルを、マグリネスはいらだたしく見つめる。
「貴様の意見は聞いていない。全軍出陣! 先遣隊は今すぐ前線に合流しろ!」
「承服できねぇ! そんな浅はかなプランなら俺は下りるぜ!」
食らいつくネーブルに、マグリネスはため息をついた。
「貴様を指揮官権限で更迭する。そんなに嫌なら後衛で怯えていろ。慎重論など今はいらん! この部隊はこのまま我が指揮する、先遣隊出陣だ!」
歩き始める部隊を見ながら、ネーブルは内心安堵した。
これで前線から離れられる。
少しでも安全な場所に移動する事を、今は最優先で模索すべきと判断していた。
本当は逃げ出したい所だが、こんな地下深くから地上まで一人で逃げ切れる保障はない。
(私は……死なない。絶対に。絶対に……)
ネーブルは自分に言い聞かせるように、思いを反芻して胸にしまった。
既に未来予測にズレを生じさせる、一石は投じた筈だ。
後はそれに賭けるしかなかった。
奥底から響く轟音目掛けて、ガルン達はひた走っていた。
傷んだ体を誤魔化すために、チャクラ一つを状態維持に回している。
進む道には死体ばかりで、何故か行方を阻む敵は現れない。
アビスがソナー代わりに
高周波を道々に放って、索敵をする意味すらない程に。
そのおかげで、問題となるのは距離だけだった。
闇の中を駆け抜ける姿は、微かな光りに映る影法
師のようだ。
前方に明かりが見え始める。
そこで漸く前方に兵士がいる事に気がついた。
「追いついた!」
ガルンの安堵の声が上がる。
急ぎに急いでいる為に、追随出来ているのはアビスだけだ。
「現状はどうなっている!」
ガルンの声に兵士が気がつく。
血染めでも、王宮近衛騎士の服装は誰しも知っている。
情報は直ぐに開示された。
「只今、前線部隊が最終目的地にアプローチ中です。最前線では冥魔族と先攻部隊、天翼騎士団が交戦中との事です」
「了解した」
ガルンは頷くとそのまま道を駆け抜ける。
このまま最前線まで抜けていくつもりだ。
「妙だな。第三フェーズは飛ばされたのか? 何故、第四フェーズが始動している」
アビスの疑問は尤もだ。
ガルンも感じた疑問である。
(先にアズマリア達が召喚ゲートに辿り着いたからか? そうだとしても、何故、天翼騎士団が動いている)
憶測は可能だが、今はどうあがいても推測の域を出ない。
とにかくガルンは先を急ぐ事にした。
洞窟の奥は広大に開けた空間だった。
軽い宮殿並の大きさは、一度に万単位の人間が入れる規模である。
最奥には神殿らしい巨大なピラミッドのような建物が見え、その前には奇妙なオブジェが立ち並んでいた。
龍の体に、虎の顔と猿の手足をつけたような巨大なフォルムは、キマイラとしてもチープに見える。
しかし、オブジェに見える巨大な像は微かに動いていた。
重圧的な呼吸音。
立ち並ぶそれは、全て千眼の魔人の一部を取り込んだ進化した餓鬼だと、誰が思うだろうか。
その足元には百数人の冥魔族が見える。
その場になだれ込むように、パリキス護衛軍の先遣隊は到着した。
そこには目を瞑りたくなるような惨状が並んでいた。
血まみれの床には、メルテシオン最強の象徴たちが転がっている。
飛び散った手足、原形の無い死体は明らかに天翼騎士団のものだ。
戦闘をまともに行えている人間は五人しかいない。
天翼騎士団、副団長クライハルトに団員ニ名。そして、突入部隊のアカイとライザックだけだった。
その惨状に、先頭で入ってきたマグリネスは絶句する。
虎の子の二部隊はほぼ壊滅状態。
特に衝撃的な光景が目の前にあった。
「おっ、来たな。こいつらが例の生命炉の護衛か」
そう呟いたのは白い短髪の少年冥魔族、ブレイローだ。
その手には生首が握られていた。傷だらけの精悍な男の首が。
ゆっくりと辺りに散っていた羽根が消えていくのを、マグリネスは茫然と見つめた。
メルテシオンの象徴たる存在。
天翼騎士団団長である彼が倒されるとは。
「あっ? その驚き具合は、やっぱりこいつもあんたらの中じゃ強い部類だって事だよな? やたら強くて大変だったぜ?」
「一人で滅ぼしたような言い草は止せ。こっちは三人掛かりだ。自慢にならんぞ」
顔の濃い、ワイルドな感じの冥魔族テスペレントが窘める。
ブレイローは、わざとらしく両手を上げて肩を竦めて見せた。
「バッ……馬鹿な。アルダークが……倒されるとは」
マグリネスの声を、周りの騎士達は戦慄と共に聞いた。
メルテシオン最強戦力と歌われる二部隊、天翼騎士団と王宮近衛騎士団の敗北は、彼らの精神的支柱が折れるのに等しい。
「アズマリア殿も滅ぼされた。こいつらは一筋縄では行かない強敵だ! だが、こいつらを抑えて、召喚ゲートを壊さなければ我等に勝利はない!」
クライハルトが戦士達に一喝する。
額から流れ出ている血が目に入った為か、左目は瞑っていた。
その場にいた五人はかなり疲弊しているように見える。
これだけの数の冥魔族が揃っているが、実際、彼らと戦っている冥魔族は極少数だ。
それでも苦戦を強いられている。
それは当然だろう。
彼らが戦っている敵は、全て冥魔黎明衆なのだから。
軍隊の行進と、平行して走り抜けるガルンが立ち止まったのは、パリキスを見つけた為だった。
かなり体調が悪いのか移動用の魔法具か、秘宝らしき浮遊するカーペットに乗っている。
「大丈夫かパリキス!」
ガルンの声に気づいて、ゆっくりとパリキスは顔を上げた。
「大丈夫じゃ。しかし、ちと無理をし過ぎたようでな。今は体力回復に努めておる」
無理矢理笑うパリキスの姿を見て、ガルンは安堵と不安が入り混じった妙な気持ちになった。
この状態で戦場に出すのは心許ない。
「殿下の元には間に合った……。どうするガルン?」
アビスの声で我に返る。
「直衛……歓迎」
横に控えていたスピカが、親指をあげる。
彼女なりの歓迎合図らしい。
ガルンはチラリと前方を見た。
最前線では今も熾烈な戦いが行われているだろう。
そちらを見ていると、グレイに肩をかすネーブルの姿が見えた。
「グレイ! ネーブル!」
声をかけると、二人はガルンの存在に気づいて顔を向ける。
「ガルン!!」
二人の顔がパッと明るくなった。
黒鍵騎士団の頃から戦って来た二人には、ガルンの存在は一際大きい。
強さと信頼を兼ね備えた存在は、罪人が大多数を占める黒鍵騎士団では貴重な人材だ。
「どうしたんだ二人とも?」
ガルンの質問に、ネーブルは苦笑いを浮かべると、わざとらしい渇いた笑い声を上げた。
「はっはっはっ。ちょっと司令官様と口論して、後衛部隊に飛ばされちまったよ。こいつは大怪我負ってるから、ついでに救護隊行きさ」
支えているグレイを指さす。
指さされたグレイは、ネーブルを押し退けると一人で立ち上がった。
「今は援軍が必要だ。とにかく俺と一緒に前線に来てくれ」
グレイの視線には、必死の熱意が見える。
しかし、明らかにグレイは戦える状態ではない。
「何を焦っているんだ貴様は? その傷では足手まといだ。とっとと救護隊に向かえ」
アビスは憮然とした表情で、腕で後衛を指差す。
救護隊は後衛中心に配置されている。
地上戦で同じように重傷をアビスは負ったが、戦闘に支障のないレベルまで回復してから、戦場に復帰してきていた。
戦場で負傷者は、仲間に気を使わせるお荷物でしかない。
「……アズマリアは、俺を庇って重傷を負った。あのまま戦ったら、流石の吸血種でも危うい……」
グレイは唇を噛み締めた。
救援を呼ぶために、地下道を後戻りしてきたグレイには、既にアズマリアが滅ぼされた事実を知らない。
その様子を見兼ねたのか、パリキスは地面に降り立つとグレイに掌を掲げた。
まばゆい、暖かい光りがグレイを包んでいく。
紡ぐ呪文はまるで歌のような麗しさだ。
「これで平気な筈じゃ。どうかや?」
告げられたグレイは、目をぱちくりと動かした。
体に痛みがない。
手足を動かしても違和感はゼロだ。
「凄いな……。これが最高クラスの神聖魔法か」
「それなら、行けそうだな」
ガルンの言葉にグレイは頷く。
「ならば先を急ぐぞ! パリキスが着く前に敵を蹴散らす!」
ガルンはそう宣言すると走り出した。
先を行く兵士達に退くように叫びながら、数キロの距離を一気に駆け抜けた。
激しさをます戦闘音と焦げたような臭いが、戦場に近づいている事を再確認させる。
飛び込んだ先の場景を見て、ガルンは息を飲んだ。
そこには血の海と屍の山が築かれていた。
殆どが人間のモノで構成されている。
周りを囲む冥魔族よりも、周りに張り巡らされた妙な蔦の存在が気になる所だ。
最前線で戦っているのは、クライハルトにニ名の天翼騎士。それに、アカイにライザック、マグリネスだ。
先行してい戦っていた筈の、アズマリアやアルダークの姿はない。それに天翼騎士団の数が少な過ぎる。
死体の山を見れば、自ずと姿が見えない理由は見えて来るが、信じられない思いにガルンは歯を食いしばった。
ここで立ち止まっては、先に散っていった仲間に見せる顔がない。
周りを見回してから、手近で劣勢な場所に妖刀を抜きながら飛び込む。
そこには、人間を“粉みじん”に吹き飛ばしているホホウロがいた。
背後には金色の棒型の幽冥獣が三つ浮かんでいる。
「まだ……仲間がいやがるのか。いい加減飽きたぜ」
「飽きたなら……とっとと去れよ害虫ヤロー!!」
雄叫びを上げながら、ガルンは妖刀を振った。
水の刃が鞭のように伸びる。
それをホホウロは詰まらなそうに眺めながら、腕を徐に上げた。
開いた掌に触れる前に、呆気なく水刃は霧散していく。
「何ぃ?!」
驚愕するガルンに、ホホウロの背後に浮く金色の幽冥獣が牙を向ける。
いきなり伸びた、突撃槍さながらの三連打突。
ガルンはそれを寸前で躱す。
しかし、それを読んでいたのか、その先にホホウロが迫っていた。
向けられた掌に、ガルンは不吉な予感が走る。
妙な高音が鳴り響く。
間に割って入った天三輝が極小に震えていた。
それを見てホホウロは目を見開く。
「へえ、こいつは驚いたぜ。俺の“絶交心音”を防ぎやがった!」
「……?!」
何が起こったか分からずに後退するガルンとは逆に、周りの味方の騎士は好機と判断した。
左右に回り込みながら挟撃する。
右にランスで突撃をする騎士、左からは剣で突きを放つ騎士が進む。
男は両腕を左右に向けた。
ランスと剣が掌に触れると思われた瞬間、騎士達は鎧ごと粉みじんに吹き飛んだ。
血煙が空に舞う。
「なっ……んだ、こいつの能力は?!」
ガルンは目を細めた。
先ほどの蝶白夢の水撃も、粉砕されたのを思い出す。
しかも、妖刀の水刃が幻蝶に変化していない。
「面白いぜテメェー、この“分断のホホウロ”がマジに相手してやるよぉー」
ニヤリとホホウロは笑う。
「下がれガルン!」
背後からグレイの声が聞こえる。
放たれた爆風の魔術がホホウロを後ろに押し退けた。
「チッ!」
ホホウロは舌打ちして、距離をとる。
何ものをも分解する不可視の一撃は、されど広範囲の攻撃までは対応していかったのだ。
直前の風は分断出来るが、足元や回り込む気流までは手が回らない。
「俺様の嫌いな風使い……じゃ、なさそうだな? 魔術のスピード程度じゃ、俺様の敵じゃないぜ?」
強がるホホウロを見て、ガルンはダークブレイズが無いことを悔やむ。
能力を過信している態度から、純黒の炎なら一撃で倒せそうな雰囲気だ。
(接近戦は無謀か? 流石に無式でもアレは斬れそうにない……となれば)
ガルンは駆動可能なチャクラを確かめる。
使えるチャクラは四つのみ。
霊妙法使用にはチャクラを三つ占有する。
そうなると、チャクラ一つで冥魔黎明衆を相手取らなければならない。
それは些か無謀なチャレンジな気がする。
「いや……まだ、蝶白夢でも戦いようはある」
グレイの攻撃が有効だったとガルンは判断する。
ホホウロの能力は凶悪だ。
魔法だろうが、金属だろうが、特殊能力だろうが、等しく物理領域のものならば打ち砕くであろう。
しかし、その力にも効果範囲が存在する。
グレイの風魔法を完全に防げなかった事から、掌から直径1.5メートル程度が射程と考える。
そして、体が押し流された事から、サイドはがら空きの可能性が高い。
(虚をつけば倒せる)
ガルンは妖刀を振り始めた。
辺りに水飛沫が飛び、水溜まりが拡がっていく。
「ああ? 何だそりゃ?」
ホホウロは地面に拡がっていく水を凝視する。
すると、そこからゆっくりと水蝶が生まれ始めた。
幻惑的な光景だが戦闘中なのだから、ろくなことにならないとホホウロは判断する。
「まあ、何だからしらねぇーが、分断しちまえばどうって事はねぇ!」
前進しながら、周りに拡がる蝶を吹き飛ばす。
次々に蝶は水飛沫に変わっていくが、死角から別の蝶が近づいて行く。
だが、その死角を守るように浮かぶ、金の棒型幽冥獣が蝶を次々に打ち落とす。その為、体まではまったく届かない。
「どんな手品かしらねぇーが、こんなもん何の意味もねぇーぜ?!」
意気揚々と近づくホホウロ。
しかし、それを見てガルンは不敵に笑う。
それを見てホホウロは眉を寄せた。
疑問に足を止める背後から、迫るモノがある。
「……!?」
背筋に走る危険信号。
唸る攻撃を、ホホウロは横に避ける事で躱した。
「なっ……んだと?!」
唖然と攻撃してきた存在を見る。
それは背中を任せた幽冥獣だった。
棒状の形状は謎だが、どうやら蝶を打ち砕いてきたものは肉体だったらしい。
精神汚染にかかった幽冥獣は、無差別に攻撃を始めたのだ。
「ここだ! 滅陽神流剣法、無式二十八型・羽飛沫!!」
ガルンは地面に拡がる、水面を波立たせるような一撃を放った。
まるで津波のように足元を這って進んだ衝撃波は、水飛沫を上げてホホウロの足元で跳ね上がる。
「!!」
ホホウロは素早く掌を向けた。だが、効果範囲の下だったのか、速度が間に合わなかったのかは分からないが、ガルンの一撃はホホウロの右腕と右足を切り裂いた。
「……!!」
「浅い!」
チャンスとばかりにガルンが突っ込む。
「大気に普く風よ答えよ! その速さは風脚にして最速、エアリアル・ラピッド(空圧速射弾)!」
それを援護するように、グレイが風の魔術で作り上げた空気弾を撃ち放つ。
それをホホウロは左腕で消し飛ばす。
(貰った!)
開けた両腕の隙を狙って、真正面からガルンは突きを放つ。
しかし――
「あめぇ! 冥法・空咒“逸脱の壁”」
見るざる壁がガルンを弾き飛ばす。
そう冥魔族にはスタンダードな術式、冥法が存在する。
特殊能力ばかりに気をとられていては、冥魔黎明衆知には勝てない。
それを失念していた事にガルンは歯軋りした。
体勢を立て直して蝶白夢を構える。
「こっのお! 馬鹿が! 冥法・空咒“弾ける天蓋”!」
ホホウロが掲げた手から、全方位に衝撃波を撃ち放つ。
その一撃はガルンやグレイ所か、棒状の幽冥獣すら吹き飛ばした。
彼にとっては、邪魔するものは全て等しく敵のようだ。
「後、一手足らないか」
ガルンは空中で軽やかに回転して着地する。
ちょうど、そこにパリキス護衛軍の本隊が到着したのをプラーナで感知した。パリキスの巨大なオーラは、詳細に感知する必要性がない程分かりやすい。
この混戦の中でも、スピカのロングアプローチなら攻撃は援護になる。
「スピカ!!」
ガルンの声が戦場に走る。
スピカはのほほんとした外見とは裏腹に、その声を聞き留めてキョロキョロと辺りを一望した。
目敏くガルンを見つけると、何故かブイサインをする。
援護要請と気づいたかは分からない。
しかし、ここでホホウロを詰むには、もう一手が必要だ。
「てめぇ~ら、やってくれんじゃねぇか?! マジぶち切れたぜ、奥の手を使うぜコォラ!」
怒気を放つ、ホホウロの周りの空気が異質に変わっていく。
辺りにピリピリした緊張感が漂い始めた。
「待てホホウロ。これ以上は不毛だ。全員止まれ!」
いきなり中央に立つリンドウが声を上げる。
その声で、戦っていた冥魔族は全員立ち止まった。
「あぁ? 何をリーダー気取りしてんだリンドウ?」
ホホウロは怒り心頭でリンドウを睨みつける。
リンドウも威圧的にホホウロを睨み返した。
二人の間に火花が散りはじめると、その間の空間に赤毛の美女が突然現れる。
それを見て、二人の顔が微妙に陰った。
「冥魔黎明衆に序列はないけど、ここはリンドウに任せましょうよ。ねっ、ホホウロ?」
紅一点のムボウはたおやかに助言を述べる。
ホホウロは舌打ちすると顔を背けた。
どうやら彼女には頭が上がらないらしい。
それを見てから、満足そうにリンドウは一歩前に出た。
パリキス護衛軍を見渡すと、朗々と声を張り上げる。
「貴様らを此処で根絶やしにするのは可能だ。しかし、こちらも幾許かの損失を被るだろう。それはこちらの望む所ではない。そして、全滅もそちらの望む所ではあるまい? そこで貴様らに選択権をやろう」
その言葉に、ほぼ全員が怪訝な顔をした。
それは人間どころか冥魔族もだ。
「我々が欲しているのは、膨大な力の塊であるそこの女だけだ。その女を殺せば、他の人間は全て見逃してやろう。何処となりとも消え失せるといい」
リンドウはパリキスを指差して、得意げに胸を張る。その妙な高説に、ほぼ全員が呆れ返った。
余りに破天荒な提案だ。
それは人間側にも冥魔族側にとってもであろう。
しかし、一部の者にはそれは興味深いアプローチであった。
「まぁー、いいんじゃないかしら? こんなボロボロの連中なんて、腹の足しにもなりそうにないし」
「反対だな。あっちの羽根付きはかなり上質のようだ。喰いごたえは十分あるだろう」
ムボウの賛同意見を、青いオールバックの冥魔族、クリフェイスは否定した。
視線の先にはクライハルトの姿がある。
「あれは確かにおしいね」
「どうでもいい。皆殺しにすれば済む話だ」
「だが、時間をかけると上の連中が面倒な手を考えるかも知れんぞ?」
適当に回答する冥魔族の中で、ワイルドな雰囲気を漂わせるテスペレントは賛同意見を述べた。
「俺は乗ってもいい。あの生命炉の防御術式はちょっとやそっとでは歯がたたん。 こいつら全員の命で、生命炉を殺せるなら楽でいい」
「確かに。俺の冥法も完全に防がれた。あれは厄介だ」
口々に意見を述べ出した冥魔族を、ガルンはザッと見回す。
「こいつら、全員が……冥魔黎明衆」
明らかに異質な冥魔族が存在する。
戦闘の矢面に立っている九人は、完全に別物だ。
妙な話し合いが始まった隙に、アカイがガルンに注意を促しに近づいてきた。
「気をつけろガルン。手前にいる奴らは、全て冥魔黎明衆だと名乗っていたぞ」
「了解だ。グレイに話は聞いている。だが、良いところに来てくれた」
ガルンは眼前にいるホホウロを顎で示す。
「奴を先に倒す」
「ああ? てめぇー、俺を末端の冥魔族と一緒にするなよ? 冥魔黎明衆と名乗れる使い手は、十二人しかいねぇーんだからな?」
ホホウロは威嚇しながら口を開いた。
倒すと言う言葉に、痛くプライドが傷ついたようだ。
その感情的な態度を、ガルンは好機と考える。
彼等が冥魔黎明衆だとすれば、一人一人が何とか辛勝したハリイツクラスと言う事だ。
それが九人。
一人一人の戦闘能力の密度が違い過ぎる。
今のうちに一人でも冥魔黎明衆を減らしておかなければ勝機は見えない。
「くだらん! そんな愚問などいらんわ! 我らは姫の盾。例え全て砕かれようと一歩も引かん!」
マグリネスが怒りの声を上げる。
当然だ。
メルテシオンは信者の国だ。
死を引き合いに出しても意味はない。
だが、彼等は忘れている。
この戦場にいるのは信者ばかりでは無いことを。
「姫は……死んでも……守る。お前らは……死んどけ」
ムスッとしたスピカが弓を上空に引き絞る。
しかし……その矢が放たれる事は無かった。
「あっ……れ?」
スピカは胸から突き出ている刃を、青ざめた顔で見つめた。
近くにいたパリキスや、周りの騎士達の顔が凍りつく。
スピカの体がゆっくりと地面に倒れると、そこには血塗られたシミターを手にしたネーブルが立っていた。
一瞬で辺りが騒然となる。
「貴様ぁ、何をするか!!」
周りの騎士達は、この広間に入る前に抜刀している。
直ぐさま剣先がネーブルに向いた。
「待てよ! 待て! 俺の話を聞け! お前ら全員聞け!」
「裏切り者が!」
騎士の一人が勇んで剣を振りかぶる。
しかし、その騎士は一瞬でその場から消えた。
周りの騎士達が、唖然と消えた場所を見つめる。
そこには、騎士の足首だけが残っていた。
「人の意見を聞けない人間は、ディスカッションするには価しないカスよね?」
いつの間にかムボウが、ネーブルの傍らに立っていた。
周りの騎士がざわめきながら、一歩後退する。
ムボウはチラリと、地面に倒れたスピカを介抱するパリキスを見た。
そちらに腕を向ける。
硝子を砕くような、妙に甲高い音が響く。
パリキスの周りにいた騎士たちが、一瞬で消え去っていた。
後には、スピカを抱くパリキスの姿だけが残る。
「かぁ……、固い固い。局所空間干渉を無効化するなんて、意味不明な防護領域ね。やっぱり正攻法はきついか」
呆れ顔のムボウをパリキスは睨みつけた。
それが合図だったかのように、光の弾丸がムボウを襲う。
まばゆい閃光が、地面ごとムボウを爆散させた。
「貴様ぁら!」
遥か先から攻撃を行ったマグリネスが、噴怒の表情でネーブルを見つめる。
「待てよ! お前らも話を聞け! 」
ネーブルが大声を張り上げる。
その周りに兵士達は駆け寄ると剣を向けた。
「この戦いは無意味だ! 俺達に勝ち目は無い! 王宮近衛騎士団の副団長に、天翼騎士団の団長もやられたんだぞ! 勝てる訳が無いじゃないか!」
その言葉に兵士達は息を呑んだ。
確かに最強騎士の象徴両翼が失墜しているのだ、心に響かないと言うと嘘になる。
「惑わされるな! 我等にはパリキス王女がいる! こんな状況など幾らでも覆せるわ! 」
遠くで叫ぶマグリネスを、ネーブルは睨みつける。
その目には、憤りの詰まった光を宿していた。
「嘘をつくな!! 言っておくがな、この女には切り札の“神降ろし”を使う力はもう無い! この戦いに切り札は無いんだよ! これはただの消耗戦だ。意味が無い! このままじゃ、全員無駄死にするだけさ!」
ネーブルはパリキスを指差して、ヒステリック気味に声を張り上げた。
ネーブルの主張に周りの兵士達は顔を見合わせる。
「何を馬鹿な事を! 殿下! 今こそお力を! 兵士達は姫を守護しろ!」
マグリネスの声に、しかしパリキスはうなだれたままだった。
幾ら治癒魔法を使っても、回復しないスピカを思ってではない。
スピカは既に即死していた。
治癒魔法を続ける事の方が意味が無い。
パリキスが黙っている為に、周りの兵士達は怪訝な顔をしはじめた。
「殿下……?」
その様子にマグリネスの顔色が変わる。
周りパリキス護衛軍のメンバー達は、反応の無いパリキスを見て妙な焦りを感じ始めた。
「時を……稼いでくりゃれ。今すぐには……神降ろしは出来ぬ」
か細い声が、止まっている戦場に何故か響いた。
その妙なやり取りを、遠巻きにしていた冥魔族達は不思議そうに眺めた。
「今更仲間割れか? これだから下等生物は……」
呆れながら、冷ややかな評価をゼンルーが下す。
「まあ、リンドウの御手柄って事ね。惑わすのも兵法の内よ?」
真横から聞こえた声に、ゼンルーは振り向かずに答える。
「一瞬、攻撃を喰らったように見えたが……。貴様が攻撃を喰らう訳は無かったな。流石、天道空洞のムボウと言った所か」
顔も向けないゼンルーに、いつの間にか真横にいるムボウは、少々がっかりしたようだった。
「“神降ろし”が出来ない?」
兵士の間から憔悴したうめき声が漏れる。
ざわめき立つ後方の喧騒が、次第に全体に拡がっていく。
パリキスが神降ろしを行えないと言う事実は、最後の希望が打ち砕かれたに等しい絶望感がある。
「分かったろ! このまま戦っても犬死にだ! それなら此処は撤退した方が良い! 姫を差し出せば皆、生きて地上に戻れるんだぞ!」
ネーブルの訴えに、近くにいた騎士は剣を向けた。
「ふざけるな! 姫を差し出せすだと? この人で無しが!」
「この場で切り捨ててくれる!」
殺気立つ騎士達を見て、ネーブルは臨戦体勢を取る。
黙って殺される玉では無い。
「この馬鹿どもが……。死の未来に何の希望がある。俺は……私は嫌だ! こんな穴蔵で死ぬなんて真っ平御免だ!」
「五月蝿い、黙れこの罪人が!」
「止めなさい!」
パリキスの声が上がる。
しかし、その制止は届かず騎士は剣を振り下ろした。
いきなりの出来事に、周りの人間は硬直した。微妙な静寂が世界を包む。
それを打ち破ったのは、地面に落ちた剣の渇いた音だった。
「きっ……貴様……」
騎士は脇腹に刺さった槍を見てから振り向いた。
その先には槍を引き抜く兵士の姿がある。
「俺はそいつに賛成だ。俺もこんな穴蔵で死ぬのは御免なんでね」
「この異教徒が!」
他の騎士が槍使いに切り掛かる。
しかし、その騎士は後ろの兵士に首を撥ねられて絶命した。
血飛沫を上げながら、首無し死体が倒れる。
ざわめきは一気に洞窟に拡がっていく。
「異教徒上等だぜ。俺達は貴様ら、神の国の奴隷で終わる気はさらさらねぇーよ!」
「当然だ、命あっての物種だ」
槍使いと剣士は武器を構える。
それを見て、ネーブルは口の端をゆっくりと吊り上げた。
この反応は死に直面した窮地ならば、当然有り得る現象なのだ。
この強固に見える神の軍隊には、実は至って明瞭な綻びが存在している。
それは黒鍵騎士団。
傭兵と犯罪者の集団が混在している兵士達の存在だ。
彼等は自由を得るためと、金と地位と名声の為に命を懸けている。
だからこそ、完全に無意味と思える戦いには命を懸けられない。
彼等には信じる神など存在しないのだ。
自身の命は、賭けられる最高にして最後のカード。
それを安易に棄てるギャンブラーなど存在しないのだ。
いきなり始まった同士討ちの波紋は、加速度的に拡がり始めた。
「何でそんな結論になってんだぁ?」
疑問に思う一兵士に、近場の騎士が剣を向ける。
「貴様らも裏切る気か!」
「はぁ? 何言い出してんだてめぇは?」
いきなり剣先を向けられ、兵士の目に殺意が浮かぶ。
威圧的な眼光に騎士の顔つきが変わる。
「始めからこんな犯罪者どもは、慈悲など与えず首を撥ねれば良かったのだ」
「何だとてめぇ?」
兵士は騎士の胸倉を掴もうと腕を伸ばした。
それを攻撃と判断したのだろう。
目の前の騎士は、兵士の喉を一突きしていた。
「テッ……め-―」
兵士の声は、途中から喉から漏れ出る血と空気の音で掻き消える。
崩れ落ちる兵士を見て、黒鍵騎士団に属する兵士達は剣を騎士に向けはじめた。
「頭イカレてんのか盲信者ども!」
「黙れこの咎人が!」
「罪人と傭兵を混同するなクソ騎士!」
「貴様らも死肉を貪るハイエナであろう!」
「言ったな! この腐れ騎士!」
罵倒の嵐は次第に暴力へとゆっくり姿を変える。
そうなるには時間は全く必要としなかった。
冥夢の幻域で精神、体力ともに疲弊し、確実な死が迫っているのだ。
錯乱し、正常な判断力が欠落し始めるのは致し方ない。
集団パニックの波は、瞬く間にパリキス護衛軍全てに伝播してしまった。
その異変に気づいたガルン達は愕然とした。
「なっ……!? 何が起こっているんだ!」
異常事態に、パリキス護衛軍全体が混乱し始めているのは明白だ。
仲間内で殺し合いが始まるなど、夢にも思わない現象である。
「……何処かに、精神汚染系の能力者が隠れているのか?!」
ガルンの推測は、珍しく完全に的外れであった。
極限状態の人間の心理など、どう足掻いても他人には理解できない。
「戻れガルン。ここは俺が食い止める」
「どうやら、上手い具合に穴埋めになったようだな。ここは任せろ」
グレイの言葉にアカイが相槌を打つ。
ガルンは走り出そうとして躊躇した。
目の端にはホホウロを捉えている。
尖がった少年は、鋭い視線で辺りを凝視していた。
ホホウロを相手にするには、今の人数は削れない。
「ナイトが、プリンセスの窮地に駆け付けないでどうするんだ? 後は俺達を信じてさっさと行ってこい!」
「この事態を収集しなければ、勝てるものも勝てんぞ!」
二人の言葉にガルンは拳を握りしめて、無言で頷いた。
踵を返して一気に走り出す。
目の前には、同士討ちを行う奇っ怪な戦場が拡がっている。
(とにかく、パリキスの安全が急務だ!)
争う者たちを縫うように
避けながら、ガルンは先を急いだ。
「浮足立つなこの馬鹿どもが……! 戦いを止めんか! 仲間割れをしてどうする! 敵は冥魔族だ、奴らの思う壷だぞ」
マグリネスは吐き捨てるように声を荒げる。
流石の迫力に周りの兵士達は硬直した。
「今、我々がすべきことは召喚システムの破壊だ! これを阻まなければ奴らは増えつづける! それだけは断固阻止せねばならん。そうしなければ世界は終わるのだぞ!」
「貴方、ちょっと黙っててくれないかしら? せっかく面白くなって来たのが台なしよ」
唐突に背後から聞こえた声にマグリネスは反応した。
サイドステップしながら身体を回転させる。
一秒前にいた地面は綺麗にえぐられていた。
「あら?」
見えない攻撃を避けられた事に、真後ろに現れていたムボウは驚いた顔をする。
マグリネスはそのまま回転しながら、手に持つ“成聖剣レクホート”で薙ぎ払う。
しかし、大剣は空を切った。
「?!」
目の前にいた筈の女冥魔族が忽然と消えている。
マグリネスは一瞬だけ目を見開いたが、直ぐに顔を引き締めた。
片腕で素早くルーンを刻むと腕を突き出す。
「我刻むは太陽の軌跡。照らす総ては光りの領土。闇を啄み打ち捨てん。ルーン・ハウディシュ(光御子の狩場)!」
掌から発した光りが辺りを一面を照らす。
「そこだ!」
掌に光の粒子が集約する。
装弾のミスティリオン。
神霊力そのものを高速収束させ、力の塊に変えて打ち出す特殊能力。
撃ち放たれた光弾は、光の軌跡を網膜に残しながら、後方に存在していたムボウの腹部に叩き込まれた。
僅かにムボウは前傾したが、何事も無かったように顔を向ける。
「へぇー。面白い力を持っているようね? 敵を領域捕捉する結界魔法陣に、タイムラグが限りなくゼロな光撃能力。私達の冥法と遜色ない速さね。でも……」
ムボウは妖艶に微笑むと、顔にかかった髪をかきあげた。
目の前で腹部を押さえて蹲る騎士を、楽しげに見つめる。
「なっ……んだと?!」
マグリネスは真っ赤に染まっていく、王宮近衛騎士の服を見た。
腹部の痛みは、何かが貫通した為だ。
マグリネスの前にムボウは悠然と歩みよる。
「無駄無駄。かなりの錬度だけど、私のタレントの前では無意味よ?」
「ふざけおって! 獅子聖王剣グランドクロス!!」
マグリネスの剛剣が唸る。
横薙ぎからの打ち下ろし。
十文字斬りがムボウを切り裂いた。
ムボウの右肩から切り裂いた剣は、腹部辺りで止まった。
地面に膨大な血が撒き散らされる。
それを冷ややかに見ながら、ムボウはクスリと笑った。
「なっ……んだ……これは?」
マグリネスは不思議そうに腹部から生えている、自身のサクラメントの切っ先を眺めた。
今だ剣はムボウの身体に突き刺さっている。
しかし、剣先は何故かマグリネスの身体から抜け出ていた。
マグリネスの身体には胸部を一文字に斬られた跡と、右肩から腹部まで斬られた跡がくっきり残っている。ムボウに放った剣筋と寸分の狂いもない刀傷が。
「残念。私のタレント“天統空洞”の前では、物理攻撃は無意味に近いわよ?」
「………!!」
マグリネスは最後の力で剣を引き抜いた。
連動するように、マグリネスの腹部から剣先が消える。
自身の身体から剣を引き抜いていく手応えに、マグリネスは顔を歪めた。
「ま……まさか、貴様の能力は……空間統制……能力」
「ご明答」
ムボウはニッコリ微笑むと、掌をマグリネスの頭にゆっくり向ける。
後には凄惨な血の花が、地面に鮮やかに咲き吹いた。
「殿下をお守りしろ!」
そう叫んで騎士達を先導しているのはライザックだった。
混乱の坩堝と化した戦場で、何とか騎士達を召集する。
しかし、それを黙って見ていた冥魔族がとうとう動き出した。
それも反乱者に味方するように、パリキスを守る者だけに狙いをつけて攻撃を始める。
「怯むな!」
叫んだライザックの足元にあった蔦が、いきなり足に絡み付く。
それは他の騎士も同様だ。
「蔦……が?」
ライザックはよろめくと片膝をついた。
急激に精力が吸われていくような虚脱感。
冥夢の幻域と合わされば、その猛威は桁外れの威力に近い。
騎士達は叫び声を上げながら、蔦を斬ろうと剣を振り下ろす。
しかし、切り付けた剣は蔦の半ばで止まり、そのまま蔦と同化していく。
「うあ?! 足も!」
蔦に搦め捕られた足も、蔦と融合していく事にようやく彼らは気づいた。
物質に侵食していく蔦。
気がつけば、それが洞窟内部に張り巡らされている。
次々に蔦に騎士達は搦め捕られていく。
「植物魔法なのかこれは?! 何でこう冥魔黎明衆はレア能力ばかり!」
ライザックは解呪術式を唱える。
しかし、蔦には全く効いた感じはしない。
「術法じゃない?! 炎の魔術で焼き払うしかないか!」
ライザックはシールドソーサーを蔦に叩き付けた。
防御法呪で括られた聖なる盾は、蔦を半ばまで切り裂く。
そして、神聖魔法防壁が侵食を阻む。
「行けるぞ?! 防御魔法を蔦付近で展開させれば……!」
ライザックは解を見つけた学者のように歓喜の声を上げた。
だが、その声は途中で途切れる。
背後から近寄ってきた蔦が、口を塞ぎながら身体を雁字搦めにしたのだ。
「無駄無駄。ボクチンの“侵食樹海”から逃げるのは不可能さ」
背後から太った冥魔族が近づく。
それと共に絡み付いた蔦の圧力が増す。
ライザックは身体のあちこちから、鈍い音が響くのを感じた。
「君らは不便なんだな。そんな遅い呪文じゃ全く間に合わない。ましてや、口が聞けなければ終わりだね~」
絡み付いた蔦が、じっとりと身体に食いついていく。
痛みより、身体の細胞に染み渡りだした奇妙な感覚に吐き気を催す。
「さぁ、ボクチンの養分になって消えちゃいな」
そう言うと、太った冥魔族“土地喰いのリュオー”は舌なめずりした。
あちこちから苦痛の声が上がっていた。
パリキスを守る騎士達が瞬く間に駆逐されていく。
仲間からの裏切りに、冥魔族も加わっては手の施しようもない。
その中を、ガルンは歯を食いしばりながら駆け抜ける。
「くそったれがぁ!」
裏切った兵士達を、撫で斬りにしながら前に進む。
再びガルンの騎士服は血まみれに染まっていく。
気がつけば倒してきた冥魔族より、人間を殺している量の方が遥かに多い。
(見えた!)
ようやくガルンはパリキスの姿を目に捉らえた。
周りの騎士達は、次々に蔦の波に捕われていく。
「何だアレは……!」
ガルンは妖刀を握りしめた。
錬金魔術師、クロックワードの樹木の怪物を彷彿とさせる怪異。
再びダークブレイズが無いことが悔やまれる。
(純黒の焔が使えれば……)
ガルンが最も親しんできた最強のイメージ。
全てを焼き尽くす炎は、心のそこに封じた怒りのイメージともシンクロする。
だが、無いものをねだっても始まらない。
今待てる力で戦わねばならないのだ。
「ガルン。今の状況を理解しているな」
後方から唐突に声が掛かった。
ガルンに追随してくるプラーナを感知しなくても、声で誰だか理解出来る。
「分かっているぜアビス。とにかく今はパリキスの安全が最優先だ。刃向かう奴は例え味方でも打ち倒す」
「同感だ」
フィン・アビスの言葉の後に、耳ざわりな重低音の音色が響いた。
「あっ……?」
全ての血液が沸騰するような奇妙な感覚が、ガルンの全身を包んだ。
視界が一瞬暗転する。
いつの間にか目の前に地面がある事を、不思議に感じた。
(……? なっ……何だ? 何が起こった?)
身体の自由があまり利かない。
俯せに倒れている事にようやく気づく。
倒れた身体の真上に、何者からも守るように天三輝が浮遊していた。
「流石に驚異的な盾だね、それは。でも、全周囲の魔力が介在しない物理エネルギーは中和出来ないようだね?」
アビスの声が天から届く。
状況が理解出来ずに、明滅する目を仕切りにしばたたく。
「状況を……り……いしているなら……理解す……べき」
アビスの声が聞き取れない。
周りの喧噪も酷く遠くに聞こえる。
天三輝のリジェネーション能力で回復した筈の、聴覚が再びいかれたらしい。
(何を……食らったんだ? 音波攻撃……アビス……に、やられた……のか?)
何が起こったのか理解出来ない。
完全なる不意打ち。
とにかく全チャクラを状態復帰に傾ける。
駆動出来るチャクラは四つ。
それも出力は五割が限度。
それでも全力で回復に集中する。
(早く早く速く!)
瞳を閉じて、チャクラにのみ意識を向けていく。
いきなりどろりと疲労感が襲う。
蓄積されたダメージ。
精神的なダメージに、削られていく全エネルギー。
全てが最悪だ。
コンディションもメンタルも全てが低下していく。
(まだだ……まだ、こんな所で立ち止まってはいられない。パリキスを……守らなければ!)
意識が疲労と言う名の泥に沈む前に、無理矢理叩き起こす。
自身との葛藤が、どれだけの時間を費やしたのかは分からない。
身体を何とか動かせるまで回復したのを感じて、ゆっくりと上体を起こした。
「あっ……?」
ガルンは間が抜けた声を上げて、辺りを一望した。
静まり返った空間には、妙に荒い息遣いばかり響いていた。
今まで五月蝿い程響き渡っていた、戦闘音が止んでいる。
そして、周りは死体の山と妙なオブジェに、血に染まった兵士達ばかりが立っていた。
いや、遠巻きには相変わらず冥魔族と、巨大な餓鬼が辺りを囲んでいる。
「な……にが……?」
ガルンは近場のオブジェに手をかけて立ち上がった。
微妙な生暖かさに、ガルンは手を離す。
オブジェに見えたものは、蔦に同化された騎士の成れの果てだった。
「なっ……!?」
愕然と数歩下がる。
周りに見えるオブジェは、全て生きたまま蔦に取り込まれた人の柱だった。
それに取り込まれていない兵士は、一様に狂喜的な笑みを浮かべている。
「休戦だ」
背後の声にガルンは振り向いた。
そこには神妙な顔のアビスが立っている。
「な……にを、言っているんだ、アビス?」
「お前が言った通りだ。刃向かう奴らは全員黙らせた。この場には……地上に帰る意志を持った者しかいない」
「……?」
「正確にはお前と……王女だけは、違うかも知れんがな」
そう告げたアビスは、ひどく疲れた顔をしていた。
一気に老け込んだような、やつれた顔だ。
生き残っている兵士達も、どれも似たような顔をしている。
「戦闘が……終わっている?」
意味の分からない状況の中、洞窟のほぼ中央にいるパリキスの姿を見つけた。
「パリキス!!」
叫んで一先ず駆け出す。
その身体が一気によろめいた。
身体中が悲鳴を上げている。
無様に倒れてから、ガルンは地面に転がっている死体の多さに驚いた。
立ち上がって再び走り出す。
血の海を走るような、異様な寒けが全身を駆け巡る。
一先ずがむしゃらに走ってパリキスの前で立ち止まった。
そこには唇を噛み締めた、気丈に佇む姿がある。
「何が、どうなってるんだ?」
パリキスを庇うように背を向けて、辺りを睥睨していく。
パリキスの周囲だけが、不浄を寄せつけない聖域と化していた。
半径五メートルには蔦やオブジェ所か、死体や流れでる血すら無い。
真円で隔絶された聖域。
それがパリキスの桁違いの力の結果であろう。
「ふ~ん。やっぱりガルンは近づけるんだな?」
そう呟いたのは少し離れた場所で、短剣をお手玉のように片手で廻すネーブルだった。
その少し先にはクライハルトの姿が見える。
「どうなっているんだ!」
ガルンの問い掛けに、全員が苦笑を浮かべた。
異様な雰囲気にガルンは眉を寄せる。
「ここに残っている人間は帰還を希望して、奴らと盟約を結んだのさ」
「盟……約……?」
「パリキス王女を殺せば、奴らは俺達の帰還を阻まない」
ネーブルの言葉にガルンは絶句した。
言っている意味が分からない。
見たことも無い数式を見せられ、解答は解る筈だと問われたような気分だ。
「ネーブル? 何を言っているんだ……」
ガルンは顔を引き攣らせながら、辺りの兵士を見た。
全員が渇いた笑みを浮かべて視線を逸らす。
その中でクライハルトだけが冷淡な瞳を向けてきた。
「どう言う……事だ。クライハルト!」
「人それぞれ思う所はあるだろうが……。俺は今の状況を軍に伝えるのが、最優先事項と判断している。ここで全滅する訳には行かない」
「何を馬鹿な事を!! 他の奴らも、全員同じ意見だって言うのか!」
ガルンは片っ端から兵士達を睨む。
(残った全員が同意な訳がない! そうだ! グレイやアカイ、ライザックなら賛同する筈が無い!)
後ろを振り向く。
悪びれないアビスの姿が見える。
ガルンが先ほど受けた一撃は、アビスの音波攻撃だったのだろう。
味方の攻撃を想定していなかったガルンは、直撃を喰らったのだ。
歯ぎしりしながら、その奥に瞳を向ける。
そこで……ガルンは顔を歪めた。
したり顔のホホウロと、クリフェイス、ギネマリ達冥魔黎明衆の姿が見える。
ネーブルが未来予測で、ガルンを追い込んだ面子と同じだ。
そして、足元には無惨な死体が転がっている。
電撃で黒焦げになった死体と、身体の上半身が分解された血まみれの下半身だ。
どちらがどちらの遺体かは判別出来ないが、精霊の眼を持つガルンには、それが誰なのかハッキリと理解出来た。
わなわなと拳が震えて来る。
「くそったれが……!!」
ガルンの瞳に怒りの炎が
浮かぶ。
ガルンは周りにいる人間が、全て敵になった事をようやく理解した。
此処には裏切り者しか存在していない。
「この選択は正しい。今は殿下の命より、情報の方が貴重だ」
クライハルトの言葉に、ガルンは振り向くと親の仇を見るように睨みつけた。
「ふざけるなよ?! テメェーはそれでもメルテシオンの騎士か! 栄えある天翼騎士団とやらの副団長か!」
「仕方あるまい。彼我の戦力差が有りすぎる」
クライハルトは、チラリと遠くで寛ぐムボウを見つめる。
それに気づいたのか、ムボウは何故か嬉しそうな顔をした。
「あの女は空間統制能力者だ。俺と同質の力を持つ……凄腕だ。わざとらしい攻撃の受け流し方をしていたが……、局所空間接続を俺は見逃さん……」
「あらあら、ばれちゃってた? いかにも攻撃を相手に返す能力者ぽく振る舞ってたのに」
「……局所空間換地を安易に使っていたのに、気づかない訳がなかろうが」
クライハルトは吐き捨てるように呟いた。
局所空間換地。
任意空間を別空間と入れ換える特殊能力だ。
マグリネスの攻撃を全て一蹴していたのはこの能力であり、瞬間移動のように移動していたのは、自身を内包した空間換地によるものである。
局所空間移動メインのクライハルトと、局所空間接続、局所空間換地能力メインのムボウとではレベルがワンランク違う。
どんな物理攻撃も、空間を介さなければ意味をなさない。
その空間を敵は操るのだ。
「私はあいつと渡り合うのがやっとだろう。そうなれば他の冥魔黎明衆をどう抑える? 貴様が幾ら強いと言っても、残り全てを相手にするのは不可能だ」
「だからと言って、パリキスを犠牲にする免罪符にはならない! そもそもパリキスが神降ろしを使えば、あんな奴ら全て排除する事が可能だろうが! そのパリキスを護らないでどうするんだ」
「出来ればね」
そうポツリと呟いたのはネーブルだった。
ガルンはそちらに顔を向ける。
「どう言う意味だネーブル?」
「まんまさ。その姫さんは、馬鹿見たいに後先考えずに神霊力を使いすぎたんだ。降神術を行うだけの力が足らないんだよ」
ガルンは疑問に目を白黒させた。
現状、誰もパリキスに手を出せないと言うことは、それだけの力をパリキスが今だ有していると言う事になる。
それで力が足らないとはとても思えない。
「本当なのかパリキス?」
ガルンの囁きに、パリキスは申し訳なさせうに俯いた。
「そう……じゃ。今のままでは不完全な神しか呼べぬ。それでは……妖精界戦争の焼き回しになりかねん」
「……」
ガルンはそのまま沈黙した。
暴走した神が世界に災いを呼んでは、冥魔族と大差無い。
まさに万事休す。
この場にいる全員が理解出来ないが事だが、パリキスの力が足らなくなった一番の理由はガルンにあった。
サクラメント“天三輝”。
パリキスと力を共有する無敵の盾。
しかし、その無敵の盾を維持するには、パリキスの莫大な神霊力を必要とする。
ガルンは激戦につぐ激戦を越え、盾に負荷を掛けすぎてしまったのだ。
特に致命的なのはカナンとの戦いである。
滅陽神流剣法を防ぐと言う行為は、神の防衛能力を切り裂く一撃を防ぐに等しい行為だ。
それに費やされる神霊力は、膨大過ぎて予測も出来ない。
それはイコールで、パリキスにかかった想定外の負荷だと言えるだろう。
押し黙るガルンに、アビスが刀を投げた。
軽い金属音を奏でながら、大地に転がったのは蝶白夢だ。
そこで漸くガルンは無手だと言う事に気がつく。
がむしゃらに前に進んだために、刀を拾い忘れていたのだ。
ガルンは警戒しながら刀を拾い上げる。
「なんの……つもりだ?」
ガルンの疑問も尤もだ。
今のアビスは敵に等しい。
パリキス抹殺の障害になるガルンに、塩を送る必要性は無いはずだ。
「お前が姫を殺せ」
アビスの言葉がやけに静かに辺りに響いた。
全員が沈黙する。
静まり返った中で、ガルンだけが激昂した怒りの声をあげた。
「ふざけるなよアビス! 何を血迷った事を抜かしてやがる! テメェーぶっ殺すぞ」
「……別にふざけてなどいない。どうやら姫に近づけるのは貴様だけのようだからな。だから、貴様が姫を殺せ」
ガルンのこめかみに青筋が走る。
手にした妖刀から水泡が漏れ出した。
「はっ! 俺がパリキスを殺す? 天地がひっくり返ろうが、世界が滅ぼうが、そんな事を誰がするものか! 例え死んでも……いや、お前らを皆殺しにしてもやるかよ!」
怒り心頭のガルンをネーブルは覚めた目で見下す。
「お前の考えは身勝手なんだよ。お前みたいに強い奴は良いさ。まだ戦う余力があるんだろ? こっちは冥夢の幻域のせいでガス欠さ。今、まともに戦闘をする体力が残っているのは、クライハルトとガルンぐらいなもんだよ」
ネーブルの言いようにガルンの目つきが怪しくなっていく。
(お前らが無駄な同士討ちなんぞ始めやがるから、体力がねぇーんだろうが!)
ネーブルを叩き切りたい衝動を何とか我慢する。
ここで切り付けたら、本当に一対“全て”になってしまう。
「言っておくが、姫の犠牲には意味がある」
そうクライハルトは宣言すると、何やら呪文を唱え出した。
クライハルトの頭上に天使の輪のようなものが浮かぶ。
その輪が一気に広がり、ネーブルとアビス、ガルンとパリキスを包む。
「これは隔絶伝播結界だ。この中の会話は奴らには聞かれない」
クライハルトは周りに気を回しながら言葉を選ぶ。
秘匿会話専用の結界。あからさまに怪しい行為だ。
冥魔族が黙っているかは賭けであろう。
秘密の会話。
ガルンの頭に僅かに希望が宿る。
今までのは敵を欺く苦肉の策ではないかと。
「何か秘策があるのかクライハルト! この状況を覆せる何かが!」
ガルンの叫びには切望する熱意があった。
しかし……その希望はあっさり砕かれる事になる。
「秘策と言う訳ではない。ただ、現状で考えられる最善策を、消去法で導いただけだ」
「……?」
「地上にはレッドレイがいる。あいつがいれば転移魔法が使えると言う事だ」
そこで、やっとガルンは赤髪の騎士の事を思い出した。
確かに彼の姿は無い。
天使間転移魔法で地上に
導かれたきりだ。
「団長が体力を使い尽くしたレッドレイを、いざという時の撤収地点として地上に残したのだ。それを使えば地上への帰還には時間がかからない」
「そうか! それでパリキスを地上に帰還させるんだな!」
ガルンの顔がパッと明るくなる。
それを見て、クライハルトはため息を吐きながら首を振った。
「それは無理だ。分かっていると思うが、転移魔法には準備に時間がかかる。奴らの目標らしい殿下を連れ去ろうとすれば、阻止されるのは必至。殿下には囮として犠牲になってもらうしかない」
「なっ?! それじゃ、本当に地上に逃げ帰るだけの策じゃねぇーか! ふざけんな!」
ガルンは地面に妖刀を叩き付けた。
地面にひびが走る。
それをネーブルとアビスは呆れた風に眺めた。
「意味は大いにある。地上に戻り、この場所と戦力情報を連合軍に知らせれば、まだ対策は練られる」
「パリキスを失ってまだ策がある? そんなモノがあるかよ! それならパリキスを地上に戻して、体力回復を待った方がまだ可能性がある筈だ!」
「王女を連れ去る転移魔法を、奴らが見過ごすとは思えない。クライハルトの提案は有用だ」
最後の声はアビスのモノだ。それを聞いてガルンは片眉を微妙に上げる。
「……なら、俺達全員が足止めしてパリキスを逃がせばいい」
「馬鹿かお前は! あいつらが強すぎて無理だっていってるだろ! お前が十人いれば話は別だろうがな!」
ネーブルが怒りの声を上げる。
確かに冥魔黎明衆の実力は未知数な上、一人一人が強力だ。
それに今更仲間を闇討ちした兵士達が、協力して冥魔族と戦うとは思えない。
「なら……俺が一人で冥魔黎明衆をぶっ殺す。そうしたらクライハルトは転移魔法を行ってくれ。冥魔黎明衆がいなければ、周りのメンツでも時間を稼げるかもしれない」
ガルンの提案をネーブルは鼻で笑った。
既にネーブルはガルンの戦いを未来予測のヴィジョンで見ている。
三対三で勝てなかったものが一対九になるのだ。
それに、既にガルンはボロボロの状態だ。
そんなものは与太話にもならない。
「お前は昔から全て一人で抱え込む癖があるよ。それを成し遂げる実力もある。だけどな、今回は駄目だ。こんな状況をひっくり返すなんて、神様にでも頼るしかない。だけど、その肝心の神様すら今は頼れない。もう手は無いんだよ」
「我々が地上に情報を持ち帰れば、各国も渋っていた最大戦力を出さずにはいられない筈だ。メルテシオンも王宮近衛騎士団の八割は投入するだろう。そうなれば勝機はある」
ネーブルに続いてクライハルトが念押しする。
確かにメルテシオンには天翼騎士団と双璧を張る、王宮近衛騎士団の戦力が残っている。
アズマリアの本体も健在だ。
その全てを投入すれば、冥魔黎明衆とも互角に渡り合える目算は立つかもしれない。
しかし、それには致命的な問題が一つだけ残る。
「お前らの言いたい事は分かった……。だがな、それじゃ駄目だ。それじゃ時間がかかりすぎる。今回見たいに新手が呼び出されちまう。これ以上奴らの戦力が増大したら、手の施しようがなくなる」
ガルンの意見は正鵠を射ているだろう。
今回の作戦の失敗は、明らかに敵戦力の増援によるものだ。
ハリイツ達先遣の冥魔黎明衆が全員地上に向かったのは、増援の到着を知っていたからであろう。
冥夢の幻域の効果には無駄が無い。
吸収した力は、霊脈と同じく召喚ゲートにも回されている。
そのエネルギーが召喚使用時間を短縮させていたのだ。
皮肉な事に、冥魔族を阻む為の戦力が増えれば増える程、新たな冥魔族が現れる時間は冥夢の幻域によって短縮されていく。
“進化した餓鬼”を見れば分かるように、冥魔族は放置すれば戦闘種族としての力がますばかりだ。
後手に回れば回るほど事態は悪化の一途を辿り、世界は自分の首を絞める事になる。
「お前は気づいている筈だぞクライハルト? 時間を与える危険性を。それを直感で理解したから、お前は第三フェーズを飛ばしてここに天翼騎士団を呼んだ。ここで転移ゲートを潰さなければ、取り返しがつかないと」
ガルンはそう言うとクライハルトの顔色を覗う。
「だからこそ殿下には死んでもらう」
「……?!」
「殿下が死ねば、ここら一帯は全て膨大な神霊力で浄化される。冥夢の幻域すら切り崩すぐらいにな。ついでに辺り一帯の死者の魂も浄化されるだろう。そうなれば奴らも餓鬼も弱体化する上、力の吸収も出来ない」
神霊力は聖なる力である。
幽子や霊子すら取り込む冥魔族だが、浄化作用がある神霊力だけは唯一取り込みにくい力だ。
吸収は可能だが、変わりに今まで蓄えてきた力を失い兼ねない。
それでは意味が無い。
「それに、ここには幸か不幸か天使達の死骸がある。地上に戻っても、それを基点に再び転移は可能だ。これならば再突入も時間がかからない」
クライハルトの言い分は至極真っ当であろう。
現状取れる策としては、ベストに近い。
ただし、パリキスの犠牲は前提である。
「冗談じゃねぇ。そんな策は糞くらえだ。 パリキスを殺すことが前提の作戦になど乗れるかよ! 俺は俺の好きにやらせもらう! 貴様ら負け犬の策など冗談じゃねぇ!」
ガルンは叫びながら、クライハルトに刀の切っ先を突き付けた。
宣戦布告に近い。
自分一人でも抗う姿勢の現れだろう。
刀を向けられたクライハルトは、酷く落胆したようだった。
「それで、貴様の無茶苦茶なプランを実行すると? 仮に私が転移準備を始め、兵士達全員が殿下を守ったとしよう。貴様が冥魔黎明衆全てを倒せる保証がどこにある。見れば貴様、炎の魔剣はどうした?」
ガルンは一瞬沈黙してから、重い口を開いた。
カナンとの戦いが頭に過ぎる。
「……戦いで失った」
「話にならんな」
クライハルトはバッサリとガルンの案を切り捨てた。
当然の選択と言えよう。
「せめて、貴様の兄弟弟子とデュランダークがいればな……。あの二人はどうした?」
地下で戦っていたクライハルトには、地上戦の経緯など知る由も無い。
「……二人は戦死した」
ガルンはボソリと呟いて俯く。
ガルンの覇気が幾分かダウンした事に、ネーブルだけは気がついた。
俯いたガルンは、空いている左手を静かに見つめる。
(カナンも死んだ……。ダークブレイズも無い。だが……まだ、戦う牙は残っている)
拳を握りしめると顔を上げた。
その顔には、揺るがない意志の覚悟が見える。
「まだ、俺には切り札がある」
ガルンはそう呟くと冥魔黎明衆を睨みつけた。




